撮影日記 2003年08月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ

 08月31日(日) 

 今日は、朝から丸一日フィルムを整理しているが、改めてフィルムを見直してみて、今年はスタジオで撮ったものにつまらない失敗が多い。野外で撮った写真に関しては、例年よりも失敗が少ない。仮に気に入らない写真も、「あの状況では仕方がなかったな・・・」と納得のいくものがほとんどだ。
 8月いっぱいで今年撮影したフィルムの整理を終えたかったが、あと一週間くらいかかりそうな感じがする。9月の第一週までになんとかしよう。

 僕の場合、野外で写真を撮る時には、考えるよりもやってみた方がいい結果に結びつくことが多い。例えば雨の写真を撮ろうと思い、取材に出かける前にあれこれ作戦を立てるよりも、とにかく出かけて車の中で寝泊りをする生活に入れば、いつの間にか写真が撮れているというケースが多い。
 だが、スタジオではそれが通用しない。少しでも不安な点や上手くいかない点は、細やかにちゃんと対応をしなければ、見切り発車では決して解決することができないように感じる。今年はつまらない失敗が多かったと書いたが、よくよく考えてみると、スタジオでの失敗は見切り発車をした時の写真ばかりだ。
 ただ、いつ慎重にならなければならないか、その具合はよく分かった。その要領さえ分かれば、後はひたすら上手くなるばかりだろう・・・なんちゃって。
   
  

 08月29〜30日(金〜土) 
 



 今日は、飼育中のカタツムリの殻の色のバリエーションを、スタジオで白バックで撮影した。
 今日の画像は、すべてツクシマイマイという種類のカタツムリだが、色々な殻のバリエーションがあり、そう教えられなければ、初めて見る人にとってはとても同じ種類だとは思えないだろう。その殻の模様や色がどのようにして決まるのか、直感的には遺伝だと思ったが、環境によって決まるのだという有力な説があると聞いたこともある。
 九州で一番多く見られるのは b で黄土色に太い縞がある。 a は縞が消失したタイプで、 c はさらにべつの細い縞が余分にあるタイプだ。
 下の列の d は、殻の色にらせん状の濃淡があり全体に赤っぽい色をしている。 e は、そのラセン模様の殻にさらに太い縞模様が加わったタイプだ。
 僕が遺伝だと感じた理由は、殻の色の変化に規則性があり、この殻とあの殻を組み合わせたら、こっちの殻が出来るのではないか?と、何となく想像ができるからだが、撮影用に飼育中のものを使って少しだけ調べてみた。

 今回は、下の2つのタイプの間に子供を作る実験をしたみたが、その結果どんな子供ができるのか、ちょっと想像してもらいたい。想像がついたら、画像をクリックすると生まれてきた子供の画像が見られる。



 他にも気のせいかもしれないが、色が薄いカタツムリには大きなものが多い。暗い色のカタツムリには、成長をしてもあまり大きくならないものが多いような気がするが、気のせいだろうか?
   
  

 08月28日(木) 

 今月の水辺を更新した。今回は、書きたいことが上手く形にならずにパソコンの前で苦心した。

 時々、僕は物書きも良さそうだな・・・と思うことがある。例えば一枚の写真を貸し出して、それで2万円の写真の使用料をもらい、ついでに写真に添える文章を書いて文字原稿料を1万円ほどもらったりすると、文字を書いてもらえるお金って、なんて楽で効率がいいんだろうと感動する。
 特別な道具が要らないのだから、布団の中やトイレの中でも仕事ができるし、他の仕事をしていていも、例えば僕が警官でパトカーの運転をしていても頭の中で物書きの仕事をすることも可能かもしれない。現に誰だったか、市役所に勤めながら夜文章を書いて文学賞をとった方がおられたが、きっとネタは昼間役所にいる時間に出来かかっているに違いない。特別にお金がかかるわけでもない。素質さえあれば、どこの誰でも出来そうだ。
 それに対して自然写真は、自然がある現場まで行かなければ撮れないし、少なくともおまわりさんがパトカーを運転しながら同時に自然写真の仕事はできないだろう。純粋にそのための時間がいる。撮影現場まで行く交通費もかかるし、真夜中に昼の風景を撮ろうと思っても撮れないので、物書きのようにいつ何時でも仕事ができるわけではない。

 だが、それは文章がスラスラ〜と浮かんでくる場合の話のようだ。今日のように上手く言葉にならないと、たかがホームページの更新でも結構苦しい。恐ろしいほど時間もかかる。自然写真であれば写真の質はまた別にして、道具と被写体さえ目の前にあれば一応写して形に表すことができる。
 今日は、物書きは大変だな〜と思った。
   
  

 08月27日(水) スタジオで使用するためのストロボ

 昨日ストロボのことを書いたが、ストロボは被写体の形や材質に合わせて使い方を変えなければならない点がむずかしい。
 例えば、ガラスのように透き通った物を撮る場合と金属のように反射する物を撮る場合と布のように光を吸収する物体を撮る場合とでは求められる光の質が全く違うので、それに合わせてストロボの光のあて方も変わってくる。
 野外では、幾つもストロボを持ち歩く余裕がないので、僕の場合は、2つのタイプのストロボでなんとかしているが、スタジオでは完璧を期さなければならないので、被写体の材質、形をよく考えた上で必要があれば工作をしたり買い物をする。
 今日の画像の物体は、小型のストロボと、その光をソフトにして被写体に強い影をつけないようにするための小道具たが、この小道具は今日僕が工作をして作った物だ。ストロボの光を直接被写体に当てるのではなく、一旦トレーシングペーパーにあて、そのトレーシングペーパーを通り抜けた光で被写体を照らすようになっている。
 工作の内容だが、ステンレスの板を直角に曲げ、一方の面の内部をくり抜き、そこにトレーシングペーパーを取り付ける。残りの一方の面にはストロボを取り付けられるようにして、さらに三脚にも固定できるようにした。
 本当は、現在所有しているスタジオ用のストロボと同じものをあと1つ買い足したかったのだが、10万円くらいお金がかかるので、我慢して工作をする羽目になった。
 スタジオ用のストロボは、トレーシングペーパーを使ったり、白い布に反射させたりして使う前提で作られているが、今日の画像の小型のストロボはそんな前提で作られていないのでトレーシングペーパーを通すと色がおかしくなる。その狂いをメーターで測定して、フィルターを使って補正をした。

 今年は秋〜冬にかけて、水辺の小動物の撮影の合間を縫って、ペットを撮影する予定にしている。
 正直に言うとペットが好きなわけではない。ペットの写真はよく売れるので、ある部分仕方なく撮る。
 でも、手抜きをしたり、いやいや撮っていたのでは、目先のお金を稼ぎ当面のやり繰りをしただけに終わり、僕の目指すところからは遠ざかってしまう。そこで、ペットを撮りながら徹底して照明のことを勉強して、それを野生動物の撮影や野外での撮影に生かそうという腹だ。
   
  

 08月25〜26日(月〜火) 

 ここ数日は、暇さえあれば、スタジオでデジカメを使ってストロボ(人工の照明)のテストをしている。ストロボに自作の小道具を取り付けたり、複数のストロボを同時に光らせたり・・・。野外でカエルなどの小動物を撮る場合、日陰に咲いている花を撮る場合、スタジオで生き物の飼育のシーンを撮る場合など、日頃僕が撮っているあらゆるシーンを想定しながら、光をどのように変えれば、それに伴って写真がどうかわるのかを試す作業だ。
 カメラやレンズに関しては、最近はいい道具がたくさんあるので滅多に改造をする必要はないが、ストロボだけは別。工夫をしなければ、思うような写真が撮れないのだ。
 以前はデジカメがなかったので、試し撮りをしたらそのフィルムを現像して・・・と、ストロボの改造はとても面倒な作業だったが、すぐに結果が見られるので、機材のテストがとても簡単になった。
   
  

 08月24日(日) 

 つい先日、父と母がお盆休みを利用して北海道の島に出かけたが、その時にデジカメで撮った花と風景の画像を昨晩見せてもらい、それがなかなか良く撮れていたので驚いた。
 客観的に見て人をワ〜と感激させる程ではないが、それほどに高い写真のクオリティーが要求されない雑誌や本なら一応記事として通用するのでは?という程度にはよく撮れていた。
「なんだ、よく撮れていると言ってもその程度か・・・」
 と感じた人もおられるかもしれないが、ちょっとした記事でも通用するような写真が撮れるアマチュアは滅多にいない。僕の身の周りには、写真クラブなどで指導をする立場のアマチュアの方が何人もおられるが、そんなレベルの方でも通用するには程遠く、自己満足の写真を撮っているのが現実だ。
 
 父は元々写真が好きで、僕が子供の頃は、僕たち兄弟や山や花の写真を撮っていたのでど素人ではないが、写真に打ち込んでいるという程でもない。
 その父に、そこそこ通用しそうな写真が撮れたのはデジカメの威力が大きく、一般的なほとんどすべての撮影はデジカメを使うことでずっと簡単になるし、そのうちよほどに高いクオリティーが要求される撮影でなければ、何でも自分で出来てしまうプロなんていらない時代がくるだろう。
 写真が簡単になるのは、僕たちプロの写真家にとってはある意味困ったことだ。そんな中でどうやって生きていくのか、今よく先を見通しておく必要があるように最近感じる。
 
 ただ、父に通用しそうな写真が撮れたのは、デジカメによって写真が簡単になったからだけではない。父は、いわゆる普通の写真ではないが画像に関わる仕事をしていて、写真に関してプロ的な着眼をもっていたことも大きかったと思う。
 アマチュアの人はプロの写真を見ると、「ピントがいいなぁ・・・」など技術的なことばかりを口にするが、プロとアマのもっと大きな違いは、写真のもつ説明力だ。アマチュアの写真を仮に見るものだとすると、プロの写真は見るものであり、読むものでもあるとでも言ったらいいだろうか。プロは、必要最低限のことをちゃんと説明しようとする意識が高く、写真が具体的だ。
 日頃、画像に関わる仕事をしている父は、その仕事柄、漠然とした写真ではなく具体的な写真を撮ろうとする癖が染み付いているのだろう。
   
  

 08月23日(土) 

 昨日は、本の編集者の方と6時間くらい話をしたが、僕は、本作りに携わる人と話をした日には寝られないことが多い。昨日もやはりそうだったが、日頃、心の中に眠っている自分でも気付かないアイディアが、話をきっかけに一気に湧き出してきて、頭が活発になり目が冴えてしかたがない。
 
 僕は、毎年「今年は、この生き物を撮ろう」とテーマを決めて撮影するが、そういった何を撮るかというテーマの他に、技術面でのテーマも設定する。
 ここ数年は、野外では苦手だった風景写真のクオリティーを上げることを主に、スタジオでは手堅いオーソドックスな撮り方を確立することを技術面での目標にしてきたが、いずれも自分で最低限納得できるレベルに近づいてきたし、ここのところは新しい目標を捜し求めていたが、昨日の話がきっかけでそれが見えてきたように思う。
 今度は、野外では小さな生き物を撮るときのストロボの使いこなしを、スタジオではいつでも手堅く被写体を撮るのではなく、被写体ごとにライティングを工夫して、いい写真ではなくて、飛びっきりいい写真を撮ることを目標にしてみようかと思う。
 自然写真家には、ありのままに、自然の中で写真を撮ることを好む人が多い。その結果、子供の本のように、屋外での自然状態での写真と、飼育や実験などスタジオで撮られた写真とが混在する本の場合、スタジオでの写真が手抜きになっていて本全体の出来がイマイチになってしまう傾向があると思う。
 例えば、僕は時々、「メダカが殖えないんだけど・・・」と相談を受けることがあるが、本に書いてある通りにしてもなかなか上手くいかないことが多い。本の飼育や実験のページにはあまりエネルギーが注がれていなく、本当にそれでうまく飼えるのか、実験が上手く出来るのかの確認もおろそかになっているし、写真も手抜きなのがその原因だと思う。
 そこで、スタジオ撮影の技術に磨きをかけて、実験物、飼育物の写真を本当に分かりやすく、そしてきれいに撮れるようになりたいのだが、他の自然写真家があまり一生懸命取り組まない部分だし、いい写真を撮るのではなく、いい本を作れる写真家になりたいという僕の大きな目標にも適っているので当面のテーマとしては良さそうだ。
  
  

 08月22日(金) 

 今日は、本の編集者の方が、5月から撮影をしてきた虫の写真を見に福岡までお越しになった。これまで撮影した写真に関してはとても喜んでもらうことができ、ぐっと気持ちが楽になったし、他にも、いろいろと次の撮影のアイディアを出したり、別の本の構想を練ったりして充実した時間になった。
 今回の被写体は陸上の小さな虫だが、僕が日頃撮影している水辺の小動物とは住んでいる環境が違うし、撮影の際に求められるノーハウが若干違う。例えば、カエルのようなヌメヌメした被写体を撮る時にはそれなりの撮り方があるし、メダカのような水中にすむ生き物を撮る時はまた違うノーハウが必要になる。
 今回は、撮り慣れない被写体ということで、そういったノーハウを勉強をする機会を与えてもらったと思い、多少の無駄を覚悟で時間も手間も多めにかけて撮影してきたし、採算が合わないような撮り方になってしまわないか一方で心配でもあったが、写真を気に入ってもらえると何もかもすっ飛ばして嬉しい。
 また次の年も、今回撮影している虫を切り口を変えて撮ってみようか!という話も出たし、もし実現すれば、今回身につけた要領を生かしてクオリティーの高い本が作れるだろうし、なかなか楽しみになってきた。
  
  

 08月21日(木) 

 昨日は、田んぼで撮影をしたが、田んぼの周辺を運転すると昆虫が車によくぶつかる。そうした虫がたくさん事故にあって死んでいると、昆虫写真の海野先生がNHKの番組で話しておられたが、僕も以前に海野先生を助手席に乗せて車を走らせている時に、
「虫をひかないでよ」
 と先生から注意をうけたことがある。
 そう言われて気を付けていると、確かに次から次へと虫が車にぶつかるが、当時の僕は、ほとんどそれに気付かずにいた。
 だが、当時主に撮影していた野鳥だけでなく、小さな生き物もたくさん撮影するようになると、車の運転中に虫がとてもよく見えるようになった。ちょうど今頃山道を運転するとオニヤンマがよく通り過ぎるが、野鳥ばかりを撮影している頃には、ほどんどそれに気が付かなかった。
 野鳥を探す時には、だいたい50〜100メーターくらい先を見るが、昆虫を探す時にはせいぜい30メーター以内くらいの距離に目を配る。風景を撮ろうとしている時にはまた違う目の配り方をするし、何を見ようとしているのかによって見えている風景が全然違うことになる。
 ただ、一度でも一生懸命撮影したことがあるものに関しては、探していなくても自然と目に入ってくる。例えば、僕は昔チョウゲンボウという野鳥を撮影したことがあるが、風景を撮ろうと思って車を走らせている時でもチョウゲンボウがいるとすぐに気がつく。
  
  

 08月19〜20日(火〜水) 

 今日は、春から定点撮影をしている田んぼに出かけてみたが、ちょっとばかり油断をした結果、日が傾きすぎて撮影中の田んぼに山の影が落ちてしまい、もう一度出直さなければならなくなった。今年は、この手の、ちょっと作業が雑になった結果の失敗が多い。
 そうして仕事が雑になるのは、大抵は新しい撮影よりも、いつもやっているはずの慣れた撮影が多い。田んぼの定点撮影も同じ場所に10回以上通ったポイントだし、刺激がなくなり油断が生じてしまう。
 生き物や自然を相手にする作業には、そもそも一度でビシッと片付けられない作業が多く、試行錯誤の末ようやく結果が出せることが珍しくないが、一度で終わる仕事は一度でけりをつける習慣をつけなければ、交通費も、時間も、エネルギーも勿体ないと改めて感じた一日になった。
  
  

 08月18日(月) 

 今日からは、今年の春〜夏にかけて撮影した写真を整理する。
 手始めに、最も最近に撮影したフィルムを分類し、ラベルを貼り、整理してみたが、撮影したばかりの写真の場合は整理をする時間も楽しい。撮影時に考えたことをまだよく憶えているし、その時に意識したことが、どのように写真に反映されているのか、確認しながら整理をすることができる。
 今年は、春からほとんど写真の整理をせずに、ひたすらに撮影して、8月にまとめて整理をする方法を撮ったが、やはりその時々に整理をするのがベストなのかな?
 
 つい最近、富士フィルムから新しいフィルムが発売されたばかりだが、今日整理したフィルムには、従来から発売されていたRVP、新製品のRVP100、RVP100Fの3種類のフィルムが含まれていたので、その印象を書いてみたい。
 まず、従来からのRVPとRVP100の比較だが、曇った日の緑の発色に関しては、従来製品のRVPの方がいい。新製品のRVP100は、やや緑が黒っぽくて、日陰にある暗い緑が黒くつぶれる傾向がある。晴れた日には、RVPもRVP100もほとんど区別がつかないくらい似た発色をするが、やはり微妙にRVPの緑の方に深みがある。
 だが、青の発色に関しては、新製品のRVP100の方がいい。青空の青がより自然で、透明感のある発色をする。恐らく、晴れた日の雪の白のような透明感が欲しい被写体も、新製品のRVP100の方がいいのではないだろうか?
 僕の結論としては、曇り〜雨の日の森の中や渓谷などの撮影では絶対的にRVPがいい。だが、晴れた日の開けた環境での撮影にはRVP100がいいだろう。トータルとしては、込み入った緑の中での撮影が多い僕にはRVPの方があうと感じた。
 スタジオでは、ストロボを使用するため曇りの日はないし、RVPとRVP100の区別もほとんどつかないので、感度が高く値段もやや安いRVP100の方がいいかな?
 RVP100Fは、スタジオのみで使用してみたが、緑の発色に関してはあまりいい印象を受けなかった。なんとなく濁っていて、抜けが悪い。RVP100はもう少し試してみたい。
  
  

 08月16〜17日(土〜日) 

 ようやく溜め込んでいたフィルム整理が終わった。と言っても、終わったのはここ数年〜去年までに撮影した分の写真で、明日からは、今年撮影したフィルムを整理する。

 整理を溜め込んでしまう写真には、テーマがはっきりとしない漠然とした写真が多い。
 例えば、岩に落ちた鳥の糞がまるで白いペンキで描いた模様のように見え、面白いな〜と思って撮った写真がある。撮る時にはそれなりに楽しんで撮っているが、現像が終り、そのフィルムをどこかに整理をしようと考えてみると、写真があまりにも漠然とし過ぎていて、収まる場所がないので溜め込んでしまう。
 もしもその糞の写真を、もう少し具体的に、何の鳥の糞なのかが分かるように撮っておけば・・・例えば、それがコサギの糞だったなら、その特徴を最低限おさえて撮れば、コサギを紹介する本のページの中で写真が使われるだろうし、それならばコサギの写真と一緒に糞の写真を収めておけばいい。
 だが、単なる模様として撮ってしまうと、そんな漠然とした写真にはニーズはないし、写真を整理して収める場所が見つからなくなる。未整理のままで積まれていた漠然とした写真の山を整理しながら、テーマをはっきりとさせた上で写真を撮ることの大切さを感じた。
 明日からは、今年になって撮影した写真を整理する。
 
  

 08月15日(金) 
 今日も昨日に引き続き、事務所でフィルムの整理をしている。お盆で、どこも人が多いので外に出る気にもならないし、なかなか集中できていい。毎年、お盆はフィルム整理をすることにしよう!

 今日は、フィルムの整理と平行してスタジオで撮影をしているが、こちらは生き物が枯葉の影に隠れているシーンの撮影で、スタジオで2つのストロボを使い、枯葉とその穴から射し込んでくる光を再現してみた。
 今日の画像は、その途中でおおまかな雰囲気を把握するためにデジカメでテスト撮影をしたものだが、このあともう少し手を加え、生き物を放してから本番撮影をした。
 ちょっと色がおかしいが、デジカメは日向と日陰が混在し、しかも主要な被写体が日陰の部分にあるような写真の場合、その発色は、まだまだフィルムには敵わないように感じる。日陰の部分に妙な色の濁りが出てしまうようだ。画面全体が日陰の状況になるような状況で撮影する時には、むしろフィルムよりもいい発色をするのだが・・・。
 
  

 08月14日(木) 

 写真は勝ち負けを争うものではないが、「こいつは手強そうだな〜」などと、人の活動を見て感じることがある。例えば、誰かのホームページの中の日記や掲示板を読んで、
「先日の取材で撮影した写真を整理しました・・・」
 などと書いていあると、
「撮った写真をすぐ整理するとは、なんて腰のすわった仕事をしているんだ!手強い」
 と感じる。僕は、自分自身がほぼ毎日写真を撮るので、いつも写真を撮っている人よりも、的を絞って丁寧に写真を撮り、その撮った感触がまだ残っているうちに心を込めて写真を整理するような人を手強く感じる。自分が撮った写真をよ〜く見て、データを頭に叩き込んでおくことはとても大切なことだと思う。
 ところが、いざ自分が写真を整理しようとすると、整理をしている時間は何も生産をしていないような気がする。怠けているような、だらけているような気がしてきて、どうも心地が悪いのだ。
 その結果、写真の整理が先送りになり溜め込んでしまう。

 今日は、今シーズンに入ってから撮影した写真の整理に取り掛かった。その前に、写真の貸し出しをして、本の中で使われて返却された写真が、返却時の封筒に入ったまま積み重なっていたので、まずその写真から片付けた。
 例によって先送りしてしまわないように、昨晩から事務所に泊まり、朝一番の仕事としてフィルムに向かい合った。すべての写真の整理が終わるには一週間くらいはかかりそうだが、8月の間に何とかしておきたい。
 
  

 08月12〜13日(火〜水) 

 今日は満月の明かりで月光浴をしながら、渓谷の夜景を撮影する予定だったが天気が良くない。先月も、満月の日に同じような計画をたてていたので、二ヶ月連続して撮影が中止になった。
 今年は雨が多いので涼しいし、水辺は水量が多くて美しいので滝や渓谷の撮影が楽しかったが、いい事ばかりではない。

 代わりにスタジオで昆虫の脱皮を撮影したが、今日は脱皮をした虫が脱いだ殻を食べてしまうシーンがうまく撮れた。
 現在進行中の虫の撮影は、この5月から6月にかけて繁殖の撮影に多くの時間を費やしてきたが、繁殖は時期を逃すと撮影が不可能になるので、他の予定をいくつか取り止めにして時間をまわした。年にたった一度のシーンなので・・・と気合いが入った。そして繁殖が終わり、イマイチ消化不良な結果に終わった。
 しかし、なんと2度目の繁殖が始まり、一度目の繁殖の時にはうまく撮れなかったシーンが撮れた。さらに8月になってからは、数は少ないが3度目の繁殖をする虫が出てきて撮り損ねたシーンをあと何シーンか撮影することができた。
 僕はてっきり繁殖が一度きりだと思い込んでいたが、どうも年に2〜3回ほど繁殖をするようだ。本には6〜8月が主な繁殖の時期だと書かれていたが、それは3度の繁殖を合わせた結果だと思う。何でもない身近な生き物でも、じっくりと写真を撮ってみると知らないことだらけだ。

 生まれて初めて撮る生き物で、しかも繁殖のシーンを一度きりの機会で撮りこなすことはとてもむずかしい。だが、3度チャンスがあれば、そこそこ納得ができる写真が撮れる。ただ、それでも繁殖の撮影は難しいので、はじめから3度チャンスがあると思っていたら、多分撮れなかっただろう。中にはかなりの工夫を要するシーンがあり、その工夫を思いついたのは恐らく一度しかチャンスがないという緊迫感があったからだと思う。
 
  

 08月11日(月) 

 カメラ屋さんに出かけて何かを探そうとしても、機材に関する知識という点では、店員さんが全く役に立たないことが多い。店員さんで、僕よりもたくさん、そして切実に写真を撮っている人は滅多にいないだろうし、店員さんが考えるレベルよりも、僕の側の要求の方がはるかに高く、そして細かいからだ。
 だが、例外もある。僕のホームページにリンクしている「トンボ探検隊が行く」の主・西本さんは、北九州の小倉で小さな写真店パルを経営しておられるが、その知識の豊富さにはいつも驚かされるし、相手が何を求めているのかを感じ取る能力もすばらしい。
 パルには、西本さんとあと一人店員さんがおられるが、類は友を呼ぶで、こちらも西本さんに負けず劣らず詳しいし手際もいいし、何よりもいつも一生懸命仕事をしておられる。
 そのパルで、北九州の現像所を一箇所紹介してもらい、今日は、一昨日撮影したフィルムを現像してみた。フィルムの現像料金は、一般の人とプロとで大きな開きがあり、一般の料金は時にプロの倍に近い額になるが、交渉の結果、今日からプロ料金で現像してもらえることになった。
 うちの近くにプロ料金で、2〜3時間以内に現像ができる場所を知らなくて、ずっと困っていたが、これでずっと楽になった。
 パルの西本さんは、単に知識が豊富なだけでなく、分からないことを知ったかぶりをしたり、曖昧にして逃げるのではなく「分からない」と答えてくださるところが、とてもありがたい。何でもないことだけど、とてもむずかしいことだと思う。
 
 以前に、僕の写真を気に入ってくださった方々に公演の話を持ちかけられたことがあるが、その準備の過程で、僕が伝えたいことが相手に伝わっているのかどうかが分からなくて困り果てた。僕の意見や、こういう公演にしたいという話をすると、
「あなたのおっしゃること、分かりますよ!」
 と即座に返事をしてくださるのだが、いざ何かをやろうとすると、何をしてもスムーズに事が進まなかった。全く話が伝わっていないのだ。
 僕の写真を気に入り、共感して呼んでくださったのだから、お互いに分かり合いたいことは痛いほど理解でき、そして嬉しかったが、僕は分からないことは悪いことではないと思う。分からないことは、まず分からないと認め、たずねたり、調べたりして分かるように努力をするのが正しいと思った。
 
  

 08月10日(日) 

 今日の九州は、台風一過の気持ちのいい青空になった。台風で雨がたくさん降ったので、本当は青空を背景にした滝の撮影に出かけたかったが、お盆も近いことだし、どこも人が溢れているだろう。
 町の中ならともかく、自然の撮影に出かけて人ごみに紛れるのは御免なので、昨日からはスタジオで小動物の撮影をしている。
 
 僕がまだ小学生の頃、父に連れられてお盆の連休に穂高に登ったことがあるが、小倉から名古屋に向かう新幹線の中から見える阪神や名神高速道路が数十キロに及ぶ渋滞をしていることに、とても驚かされた。当時の九州では、大型連休でも高速道路が渋滞をするなど経験がなかったのだ。
 さすがに最近は、九州でも大型連休には渋滞する。道路だけでなく、お店も、自然の中までも、ちょっと名が知られた場所には人が殺到するようになった。
 でも、人がたくさん訪れるその自然が大切にされているかというと、そうでもない。みんなが帰ったあとは、ごみだらけで目もあてられない。
 連休に出かけることだけでなく、物を買おうとしても似た傾向がある。例えば、カメラやパソコンや・・・・新製品が発表されると、メーカーが散々に宣伝をしておきながら、買おうと思うと数ヶ月待ちでなかなか手に入らないことも珍しくない。でも、その手に入らなかった製品もあっという間に古くなり、見向きもされなくなる。
 多くの人が、ワ〜っと煽られて一箇所に集中し、またすぐに忘れ去れるような社会は暮らしにくいなと思う。

 そんな社会だが、僕が学生時代から愛用しているニコンは、使い捨てのようなカメラやレンズを作らない。ライバルのキャノンが、ニコンとは逆に次々と新しい物を作り、斬新な製品で、ニコン取って代りプロが最も多く愛用する道具になったのだから、キャノンのやり方が時代の流れには合っているのだろうが、時間が経ってみるとニコンが古いのかというとそうでもない。
 僕が学生時代に発表されたニコンF801というカメラは、今でも普通に使えるのに対して、当時のキャノンのEOS650を今使いたい人は、まずいないだろう。発売された当時は、キャノンのEOS650の方がずっと進んだカメラだったが、ニコンのF801の方が古くなっていない。
 そのうち僕もデジタルカメラを本格的に導入するだろうし、そのデジカメを、ニコンでいくのか、キャノンでいくのか多少迷ってはいるが、最近は、使い捨て社会に対する反発の意味も込めてニコンを使い続けようかなと思うようになってきた。
 ただしニコンが古くならないといっても、それは撮影者の技術がある程度しっかりしている場合の話で、趣味で週に一度くらいしかカメラを使わない人であれば、間違いなくキャノンの最新のカメラで撮影した方がいい写真が撮れると思う。それから、僕も、ある限られたレンズ限定だがキャノンの道具も使用している。
 
  

 08月09日(土) 

 今日は、手伝ってもらわないとむずかしい撮影を2シーン撮影した。いずれも小動物のスタジオ撮影だが、僕のスタジオは狭いので二人で作業をするのは厳しい。もう少し広いスペースが欲しいな〜
 ただの物を撮影するのであれば、どこかにスタジオ撮影用の場所を借りればいいが、生き物の撮影をするためには、同時に生き物を飼うための場所が必要になる。さらに、生き物を飼うのであればちゃんと目の届くところでないと細かい観察ができないので、事務所の一角にスタジオがあるのが好ましいが、そうするとやはり場所が狭くなる。
 もう少しスタジオが広ければ、手伝ってもらう時に作業しやすいだけでなく、撮影の際の照明も自由な角度から当てることができる。複数の照明を使い、もっと効果的なライティングで撮影したり、いろいろな表現を試すこともできる。

 理想的には、まず、この被写体はこう撮りたい!という絵コンテが頭の中にあり、その絵コンテ通りに撮るためには照明はこうすればいいと、後から撮影の方法がついてくるといいのだが、今の僕の狭いスタジオでは先に照明の位置が決まり、その状況でちゃんと撮れるように、絵コンテの方をスタジオに合わせて考えなければならない。要するに、被写体の魅力を引き出すように自分が被写体に合わせていくのではなく、被写体を自分のパターンに当てはめていくことになる。
 パターンに当てはめること自体は悪いことではないと思うし、そういうパターンを持っていなければ仕事として写真を撮ることなど不可能に近いだろう。ただ、それだけになってしまうと面白くない。
「こうしたら絶対に写る」
 だけでなく、
「こうしたら、こんな写真が撮れるんじゃない?」
 とか
「こうしたら、どんな写真が撮れるかな?」
 といった部分が多少はなければ上手くもならないし、それがない写真は何かが足りないような気がするのだ。
 
  

 08月07〜08日(木〜金) 

 今日、8日は、スタジオで小動物の撮影を計画していたが、その撮影の小道具として枯葉を一枚使うことにしていた。枯葉の用途は、ややこしいので書かずにおくが、訳あって撮影の直前までその枯葉を動かしてはならないし、動かしてしまうと今日の撮影が台無しになる。
 ところが、いざ撮影に入ろうかと枯葉を見ると、なんと勝手に枯葉がゴソゴソと動いている。当然、撮影は失敗に終わったが、枯葉を動かしていたのは枯葉を置いた土の中に紛れ込んでいた1匹のミミズだった。ちょうどミミズが枯葉の真下に頭を出し、枯葉を動かしたのだ。
 僕の撮影は失敗だらけだが、いろいろな失敗があるものだ。
 実は、今朝、枯葉を一枚そっと置き、しばらくして(その間に撮影の準備を整えている)枯葉の様子を見ると、枯葉の位置が変わっていたので驚いた。
 何かの間違いではないか?と目を疑ったが、間違いなく移動している。ただ、動いた量がほんのわずかだったので、今日の撮影が失敗という程ではなく、また数時間時間がたてば撮影ができそうだ。台風なので、その風が室内に入り、枯葉を動かしたのだろうか?それにしても、つまらない失敗をするもんだと、自分に対して腹がたった。
 それから数時間待って「よし!撮影しよう」と構えたら、今度は目の前で大きく枯葉が動いた。今日の撮影はできなくなったが、今度はとてもほっとした。僕のお粗末なミスではなくて、どこの誰にも想像ができないような偶然のアクシデントだった。
 
  

 08月06日(水) 池山水源
 昨日、一昨日と菊池渓谷で撮影をしたが、渓谷は僕が一番好きな場所なので、写真が売れるとか売れないなどと下世話なことは考えずに、気の向くままに撮影することにしている。
 そうして丸二日間撮影したら、どこか心が満たされたのだろう、今度はせめて交通費とフィルム代分くらいは売れる写真を撮っておきたいと思えてきた。そこで、今日は菊池から阿蘇、九重と車を走らせ、手っ取り早く売れそうな被写体を探してみた。
 まずは、阿蘇周辺の田んぼに出かけてみたら夜露に濡れた稲がとてもきれいだ。これは売れそうだな!と、まず撮影する。よく見ると、所々にクモの巣が張っている。これも行けそうだな!とついでに撮影し、さらに、目の前の稲にトンボが一匹降り立ったのでカメラを向ける。なかなか調子がいい。
 阿蘇や九重のあたりは標高が高いし、日中と夜間の温度差が大きいからだろうが、夜露がとてもきれいだ。今日は何気にそんな被写体探しをしてみたが、今度は一度、最初からそれを狙って来てみようかな。
 それから、九州の主な水辺の名所は一通り撮影しておきたいと常々考えていたので、今日は池山水源という美しい湧き水の水源池を撮影してみた。三脚を立て、カメラを構えているとちょうど光の具合がよくなった。
 水源池の撮影を終え、さらに車を走らせていると、ヒゴタイという他ではあまり多く見かけない植物が花を咲かせている。そう言えば、ヒゴタイの花は8月〜9月だった。特殊な花なのでたくさん写真を撮ってもたくさん写真が売れることはないだろうが、数枚撮っておけば、僕の一生の間に少なくとも1〜2度は写真が売れるだろう。花の前にカメラを構え、柔らかい感じに撮るために、ちょっと曇ってくれたらいいのになぁと考えていたら、うまい具合に曇ってきた。何だか今日はつきがあるみたいだ。
 お金を稼ごうとして撮る写真は、時にあまり楽しくないが、好きな被写体を思いっきり撮った後は気分が良くて何でも楽しめるし、楽しいといい流れになっていくから不思議だなと思う。

 この流れであと数日写真を撮りたいが、明日はSSPの写真展を見に、まとまった数のお客さんがお越しになる。誰か、写真展の会場で解説をして欲しいと頼まれたので、僕が出かけることになっているので帰らなければならない。
 
  (写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。

詳細は日本自然科学写真協会のHP。 
 
  

 08月05日(火) イワタバコ 菊池渓谷にて
 ずっと以前に、森本毅郎さんと昆虫写真の海野先生が雑誌で対談をした記事を読んだことがあるが、その中で海野先生が、
「今は、ゴルフの会員権を持つことがステータスですが、森林の入会い権を持つことがステータスであるような日本の社会であって欲しい」
 と述べておられた。
 僕は、豊かな自然が残っていて欲しいと強く望むが、自然を守らなければならない!というのは、どこか傲慢な感じがして好きではない。でも、森林の入会い権を持つことがステータスであって欲しいは、とても気持ち良く僕の心の中に入ってきた。
 僕は、海野先生の写真が好きだったので先生の指導を受けたいと思ったが、写真の好き嫌いだけでなく、先生が意見を書いた文章が好きだったのも、そう思った理由の1つだった。
 それから、先生が僕と同じ科学出身であったことも大きかった。
 海野先生の他に、当時の僕は(もちろん今でも)岩合さんの写真が大好きだったが、お父さんの代からの動物写真家である岩合さんの生き方を僕が参考にするのは無謀だっただろう。
 昨日、海野先生から、その科学に関して1通のメールをもらった。海野先生がある雑誌に書いた「科学とは」という文章が、なんと奈良県の公立高校の国語の入試問題に採用され、それを見つけた海野先生が、こんなもの見つけたよと送ってくださったものだった。

 今朝は、菊池渓谷でイワタバコを撮影したが、花を科学の目で写真に撮ることはむずかしい。第一、花の写真を見る大多数の人は、花を美しいものだと思っているのだから、最低限、花の写真は美しくなければ人が目をとめてくれない。だが、美しく撮ろうとすると科学の目ではなく、情緒の世界になってしまう。 
 イワタバコは渓流の岩場の植物なので、今日は、せめてその環境が良く分かる写真を撮ってみた。
 渓流では、沢の流れに沿って風が吹くことが多いが、2時間以上撮影して、風がやんだ瞬間は合計で1分にも満たなかった。さらに、風がやむと山の方から温かい空気が流れ込んできてレンズが曇り、一枚撮ってはレンズを拭き、また撮っては拭きの繰り返しになった。
 デジカメのモニターで見たときには、とてもいい写真に見えたので、時間をかけて撮影してみたが、パソコンで大きくしてみると、大したことなかったかな?という気もしてきた。無駄だったかな・・・デジカメにコードで接続する15センチ角くらいの薄型モニターのオプションがあったらいいなぁ。
 まあ、こんな暑い日に、気持ち良く過ごせただけでも十分かな。ついでに、滑って転んで、デジカメを持った右手だけを残して体が水没してしまったので寒いくらいだった。

  (写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。

詳細は日本自然科学写真協会のHP。 
 
  

 08月04日(月) 菊池渓谷にて
 今朝は6時に菊池渓谷に入ろうと思ったら、その時点ですでに10台の車があった。全員、写真を撮る人だが、目的地もみんな同じで、渓谷の奥にある広河原という場所だ。
 広河原は、朝一番の光が水面に当たった瞬間に霧が立ち昇り、その朝霧の中を木漏れ日がいく筋も通り抜けて行く。
 夏の晴れの日の早朝に、広河原で写真を撮ってみて、うお〜と感激しない者はまずいないだろう。人がすでにたくさん写真を撮っている同じ場所で、同じような写真を撮っても仕方がないと日頃強く強く思っている人でも、おそらく我を忘れてシャッターを押してしまう、そんな場所だ。
 僕は、今朝は広河原の少し下流にある滝を撮影した。滝の名前や、名前の由来などにはあまり興味がないので、もしかしたら間違えているかもしれないが、確か、日本の滝100選に選ばれた四十三万の滝だったと思う。
 今日は、いつもよりも水量が多く、ちょうどいい具合に岩に水が被っていたが、水が多過ぎず、水の下の岩のデコボコの具合も失われていなかったので、岩盤の微妙な起伏や傾斜が分かる角度から撮影してみた。

 夏の晴れの日の早朝に、広河原にカメラマンがいなかった日は、今までの僕の経験の中では一度も無い。毎日、必ず誰かが写真を撮っているのだが、いったい何枚の写真が撮られたことになるのだろうか?

  (写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。

詳細は日本自然科学写真協会のHP。 
 
  

 08月03日(日) 
 
 一昨日の深夜、事務所から自宅に帰る途中で車内の温度計を見たら、気温が思いのほか低くて驚いた。例年7月半ばを過ぎると、夜中でもアスファルトの道路を走る車の周辺の温度は30度に近いが、その日は22度をさしていた。
 だが、とうとう本格的な夏がやってきたようだ。昨日は今年初めて、暑いな〜と感じた。今日も暑い。こうなると、車で寝泊りしながら取材するのはとても辛い。
 そこで、真夏は涼しい場所に出かけることにしているが、菊池渓谷の駐車場は真夏でも22〜3度で気持ちよく寝られる。明日からは、数日間菊池で渓流や水辺の植物を撮影する予定だ。

 いつだったか、8月に仲間と撮影に出かけ車の中で寝ていたら、真夜中に仲間が何度も車から出て行く音で目がさめた。どうも暑くて寝られなかったようだ。車内の温度を調べてみたら33度だったが、いつもそうして寝ている僕には寝られても、慣れていない人には酷だったようだ。
 そこで次の日は、夕方にいろいろな場所を走って、涼しい場所を探しみた。すると、菊池渓谷に向かう山道を登りだした途端に10分も走らないうちに温度が29度、28度、27度、26度・・・とみるみる下がりだし、駐車場では22度までおちた。涼しい自宅で寝るよりも、もっと快適だった。
 夏の菊池渓谷はあまりに人が多く、なるべく避けていたので、涼しいことを知らなかったのだが、その味を知ってしまって以降は、よそで寝ることができなくなった。ということで、梅雨明け以降のフィールドでの取材は、なるべく菊池渓谷の駐車場から可能な範囲で撮影することにしている。

  (写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。

詳細は日本自然科学写真協会のHP。 
 
  

 08月02日(土) 知人の写真展へ 展示作業中
 
 将棋の世界に、『下手の考え、休むに似たり』という言葉がある。格言というよりも、プロの棋士の誰かが、ふと漏らした言葉ではないかと思うが、下手糞は考え過ぎるよりも、思いついた手を実際に指してみて経験を積んだ方が早く上達するという意味だ。
 僕は、将棋ではなくて写真だが、写真にも似たところがある。写真を始めたばかりの頃に、考えて考えて考えた末に撮影した写真を今見直してみると、特にそう感じる。初心者ゆえに、見当違いの方向に努力をしてしまっているケースが多い。
 僕には考え過ぎる悪い癖があるので、『下手の考え、休むに似たり』という言葉がよく当てはまると思うが、そんな癖を修正してくれたのが、カエルやカタツムリやメダカなど身近な生き物たちを山のように撮影した経験だ。
 身近な生き物だとシャッターチャンスはたくさんあるし、一日にフィルム10本近くを撮影することもある。5月〜7月の時期には、ほぼ毎日フィルム5〜6本の写真を撮った年もある。そうしてたくさん撮影すると考える暇はないが、道具が手足のように体に馴染み、自然と被写体が見え、考えなくてもいいポジションに足が動き、写真が撮れるようになってきた。
 すると今度は、逆に、考えることが大切になった。一枚一枚の写真をこれまでと同じ気持ちで、体が動くままに撮るのではなく、それまでの僕よりも少しでもいい写真が撮れるように、必ず何か工夫をすることが大切だと感じるようになった。
 そこで、これから数年は、じっくりと時間をかけて撮影に取り組むことができるように、撮影以外のイベントを可能な限り予定しないことにした。
 
 ここ数年、僕は、毎年この時期に、北九州市の山田緑地公園で写真展を開催していたが、今年は上の画像の野村さんに代ってもらった。写真展のテーマは、北九州の曽根干潟の鳥たち。福岡県は、珍しい渡り鳥が多く見られることで、鳥好きの間では全国的に注目を集めているが、その中でも特によく知れられた場所の1つが、野村さんがテーマに選んだ曽根干潟だ。
 僕が野村さんにお願いした理由は、野村さんが「曽根干潟の鳥」という明確なテーマを持って写真を撮影しているからだが、アマチュアカメラマンで、ちゃんとしたテーマを持っている人は少ない。
 そういうと、
「いや、俺はテーマを持っているよ」
 という人もいるが、話を聞いてみると、そのテーマは例えば『風を感じさせる写真』や『わびさび』といった漠然とした、具体的には中味のないもので、テーマというよりは作風であることの方が多い。
詳しくは野村さんのホームページ

  (写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
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 08月01日(金) (左)オトメマイマイの仲間  (右)キタキュウシュウシロマイマイ
 

 
 生き物の写真を撮る人には、生き物の可愛さや美しさを重視して情緒的な写真を撮ろうとするタイプと、生き物の可愛さや美しさにこだわることを嫌い、生き物の生態(生き様)を記録して報道しようとするタイプとが存在する。
 他の何かに置き換えるなら、前者を美術とすれば後者は科学に近い活動であり、同じ生き物の写真を撮る行為でも、その中身は全く違うし、両者は反りが合わないことが多い。
 例えば、科学的な写真を好む人は、美術的な写真を好み人のことを
「可愛さや美しさばかりに気を取られていて、何も自然の本質を見てない」
 と否定し、逆に美術的な写真を好む人は、科学的な写真を好む人を
「ただ現象をフィルムに焼き付けているだけの説明ばかりで、作品として見れる写真がない」
 と否定する傾向にある。
 僕は、そうして2つのタイプにカッチリと分かれてしまう傾向を、つまらなく思う。両者は、相反するようでいて、案外一連の物なのではないかと感じるからだ。
 例えば、カタツムリの中ではミスジマイマイの系統が愛らしいので、僕はミスジマイマイの仲間をモデルにして「あ〜可愛いね」と言われるような写真を撮る。でも、いつもそうして写真を撮っていると、だんだん色々なカタツムリに興味が広がってきて、どんなカタツムリでも、見つけた時には、面白いな!と感じるようになってきた。そして、いろいろなカタツムリに興味が湧くと、それぞれがどんな分布をして、どんな特徴を持っているのか・・・無限に興味が広がっていく。
 ふと思い起こしてみると、今は、自然のメカニズムに興味ある僕も、子供の頃は本の中の可愛くて美しい生き物に夢中になったし、誰しもそうして興味の幅を広げていくものではないだろうか?僕は、生き物の写真の情緒的な部分と、科学的な部分とを切り離さない写真家でありたい。

 今日は、白いカタツムリを2種類撮影してみた。左がオトメマイマイの仲間で、右はキタキュウシュウシロマイマイだが、後者の方が殻が高い。
 カタツムリの撮影をはじめたばかりの頃は同じ種類だと思っていたものの中に実は2種類のカタツムリが含まれていて、何度も何度も見ていると、それが全く違う種類にちゃんと見えてくるから不思議だ。
 つまり、最初は何の興味も感じなかった些細な違いを、今では面白い!と感じるようになったことになる。

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場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHP。 
 
  
先月の撮影日記へ
 

自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年08月


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