撮影日記 2003年07月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ

07月31日(木)

 撮影用のモデルとして飼育中のアマガエルの容器の中に、知らないうちにオタマジャクシが泳いでいた。どうも飼育しているものが産卵をしたようだ。僕が野外スタジオとして使用している場所で、放し飼いにしているアマガエルがビオトープの中に産卵するのは毎年のことだし、容器の中で飼育した場合でも、採集をしたその年に卵を産むことはよくあるが、容器の中で一年以上買い続けたものが産卵をしたのは初めてのことだ。
 ただ北九州では、野性のアマガエルの大半が6月に産卵をすることを考えると、産卵の時期は自然状態の個体とはかなりズレがある。飼育容器は野外に置き、なるべく自然に近い状態で飼ってはいるが、やはり何かが自然とは違うのだろう。

 それから、事務所の片隅にある一畳ほどの容器の中に、結構大きなトノサマガエルを見つけた。多分、今年の初夏にアマガエルのオタマジャクシを採集したときに紛れていたトノサマガエルのオタマジャクシが大きくなったものだと思う。樹上性のアマガエルの場合、オタマジャクシはカエルになると水辺から離れるが、トノサマガエルの場合は、水辺から離れずに、その付近に住み着くのかな?
 容器には田んぼの土を入れ、植物をたくさん茂らせているが、まさかアスファルトで固められた駐車場の片隅にポツンと置かれた容器の中でスクスクと成長しているとは!
 そう言えば、今年の春には大型のヤンマの抜け殻を同じ容器の付近で見つけたが、トノサマガエルが順調に成長するだけの餌が、たった一畳ほどのプラスチックの容器の中の水辺で調達できるということになる。
 ということは、ほんのちょっとした庭があれば、トノサマガエルを放し飼いにして何代も世代を交代させることができるということになる。
 トノサマガエルは近年とても数を減らしたといわれているが、一匹一匹は、アスファルトの上の容器の中で生き続けるほどたくましい。トノサマガエルが好むような、魚もすまないような浅い水辺が減っているということが分かる。

今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月29〜30日(火〜水)

 今日は、カタツムリをスタジオで撮影した。撮影の方法は、以前にも画像を掲載したように、白い紙の上にカタツムリを置いて撮る白バック撮影だ。
 カタツムリは、紙の上に置くと水分が吸収されるのを嫌がり、しばらくすると体を殻の中に引っ込めがちになる。そうなる前は、まず逃げることを考えるので逆に動きがいい。
 撮影は、動き回っている間に終えなければならないが、いいポーズを撮ろうと思うとそれなりに時間がかかる。たまたま撮影を始めてすぐにいいポーズの写真が撮れればいいが、そうでない時には、時間をかければかけるほどカタツムリが動かなくなり、いい写真が撮れる確率が低くなる。
 白バック撮影なので、カタツムリの形や特徴が分かればいいのだから、ポーズにこだわる必要はないかもしれないが、僕は、生き物の写真は、たとえ白バック写真や図鑑写真でも凛々しくあってほしい。

 この手の写真を撮る時には、高画質のデジカメが欲しいなぁと思う。デジカメなら、いいポーズの写真が撮れるまで何枚でもシャッターを押せる。野外でも、マイナーなカタツムリを見つけた時などはデジカメが欲しい。マイナーで、滅多に写真が使用されないようなカタツムリでも、写真を撮るのであれば凛々しい写真を撮りたい。フィルムなら、「ああ、もう1本撮影したから、滅多に売れない写真を撮るのにこれ以上お金をかけられない」と諦めなければならないが、コストを考える必要がないデジカメならそれができる。
 スタジオでの白バック撮影には、キャノンのイオス1Dsが欲しいが100万円近くするので検討の余地もない。コダックからは、もっと安くてニコンのレンズを使用する同等に高画質なデジカメが発売されているが、こちらはスタジオにはいいが、野外ではあまり役に立ちそうもない。スタジオ限定のような用途に買うのは馬鹿らしい気がする。

 デジカメの画質に関しては、印刷物を見るとフィルムに全く敵わないように見えると以前に書いたことがあるが、それはデジカメの画質の問題ではなく、デジタルデータから印刷する技術がまだ確立していないからだと、海野先生から教わった。

今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月28日(月)

 僕が所属する日本自然科学写真協会の写真展・SSP展の飾り付けをするために博多の町に出かけた。SSP展は6月から東京展、大阪展と巡回し、福岡展の日程は下記の通りになっている。
 昨年までSSP展のお世話をしてくださった富士フォトサロンの小川穣さんは、ちょうど今日が定年退職の日で、今年からは新しい担当の川原さんがお世話をしてくださることになった。
 小川さんは、定年を機にクリエイトのギャラリーで写真展を開催されているが、今日は、その写真展の初日でもあり、富士フォトサロンでの展示作業終了後は、小川さんの写真を見せてもらうためにクリエイトに寄ってみた。
 写真展のテーマは花だったが、僕はその中に含まれていた有名な阿蘇の「一心行の大桜」の写真に、ハッと気付かされるものがあった。

 多くの桜は、花が散るとあっという間に葉が出てくる。僕は、その成長の早さに毎年驚かされるが、中でも「一心行の大桜」は、他の桜にも増して葉が出るのが速い。年によっては満開から3〜4日後には青々とした緑の大木になる。
 小川さんの写真は、ちょうどそんな葉桜の頃に撮影されたものだったが、恐らく小川さんは花を撮影するために土日の休日を前々から空けておき、撮影に出かけられたのだと思う。
 だが桜の生長は著しく、ほんの数日前まで見頃だった桜は、まるで別の木のように変化をとげていた。一輪の花も残らない緑の大木を目にして、「もしも時間が自由に取れるのなら、満開の日に・・・」とせつない思いをされたに違いない。だが、富士フィルムに勤める小川さんには、そんな自由な時間が取れない。それでも、せっかくの休日に遠くから来たのだからと写真を撮った。
 おそらくそうして撮られたであろう一枚の写真に、僕は、一生懸命に勤めて日本を支えてきたお父さん方の思いを感じた。

 僕も、数年前に一心行の大桜を一年以上に渡って定点撮影したことがある。満開の日の写真を撮り、今度は葉桜をと翌週に出かけてみると、桜は葉桜を通り過ぎ、濃い緑の真夏の装いになっていて、その生長の速さに驚かされた。
 有名な桜の満開の日の撮影は朝暗いうちから場所取りをして、マナーの悪いカメラマンが撮影の邪魔になる位置に割り込まないように「割り込むなよ〜」とオーラを出し、一般の見物客が画面に入らない瞬間を待てから撮影しなければならず、その日の僕にとっては楽しくない撮影だったが、もしも同じ木を撮影した経験がなかったなら・・・
 小川さんの葉桜の写真が満開の日からほんのタッチの差だったことが分からなかっただろう。なぜ、こんな半端な時期の写真を撮るのだろう?と感じ、小川さんや、そうして撮影している多くの人の思いが理解できなかったに違いない。
 そう思うと、たとえ嫌いな被写体でも撮影をする機会を与えてもらえ、写真を通して何かを体験できることはありがたい。 

今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月27日(日) 大分県・由布川渓谷

 大分県の原尻の滝を撮影しに出かけた。
 滝といえば、山の中の断崖を流れ落ちるイメージだが、原尻の滝は、平地の田んぼの間を流れているような里の川が、突然に広範囲に崩れ落ち、そこが滝になった日本の滝としては珍しいタイプの滝だ。東洋のナイヤガラとも呼ばれるが、確かにナイヤガラの滝に形が似ている。
 平地で見られる滝なので、周囲には田んぼや民家や道路がたくさんあり、おまけに滝の断崖の上には遊歩道まである。一見して撮影意欲をそそられるような滝ではないが、滝の下流の川岸に降り、そこから滝を見上げると、田んぼも、民家も、道路も、断崖の上の遊歩道も、すべて滝の断崖に隠れ、特に、晴れの日の真っ青な空をバックに、滝の断崖を撮影するとカッコいい。
 今日は、天気予報が晴れの予報だったので、梅雨明け直後の水量が多い時期に、青空をバックに原尻の滝を撮影しておこうと出かけてみた。
 ところが、今朝は天気予報がはずれ、朝から雲が多い。そこで原尻の滝の撮影をあきらめ、急遽移動をして同じ大分県の由布川渓谷と東椎屋の滝を撮影することにした。

 由布川渓谷は、有名な全国区の渓谷で、九州では菊池渓谷や高千穂峡に続いて数多く写真雑誌に登場する渓谷だが、僕がどうしても好きになれない場所の1つだ。
 今日の画像を見ていただければ分かると思うが、岩の形が面白くて、そこを流れ落ちる小さな滝は何気にカメラを構えても確かに絵なる。ところが水に若干泥の濁りが入り、そんな渓谷もあるのだろうが、僕の渓谷のイメージにはどうしても合わない。
 ただ、有名な場所なので写真は抑えておきたい。でも、じっくり撮る気になれない。今回は最も由布川渓谷らしい場所を、ほんの数箇所だけ集中して撮影しておくことにした。

今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月25〜26日(金〜土)

 ニコンから新製品のデジカメD2Hと数本のレンズが発表された。僕は、35ミリ版のフィルムカメラではニコンを主に使用しているにも関わらず、ニコンのデジカメを一度も使用したことがないが、D2Hは、同時に発表されたレンズも含めて、欲しいな!と感じさせられる内容だ。

 僕の場合、水中〜野鳥まで、風景〜大きさ1ミリ程度の被写体まで、自然写真の世界で考えられるほぼすべてのタイプの被写体を撮影しているが、当然、道具がたくさん必要になる。
 ところが、お金はあまりないので、撮影全体のことをよく考えて道具を買わなければならない。
 例えば、水中撮影では、ニコンのF90Xを専用の水中撮影用のケースに入れて使用しているが、水中ケースは20万円近くするので気安く買える道具ではない。通常の陸上での撮影であれば、使いやすいカメラが出たから買い換えようかな!と新しい物を買えばいいかもしれないが、水中で使うのであれば水中ケースも含めて買わなければならないので、そうはいかない。
 デジカメを導入したいな!と思っても、全く同じことが言え、特にデジカメのように日進月歩の機材は、とても買いにくい。仮に、ニコンD100用の水中ケースを買っても、3〜4年うちには、明らかにより画質がいい新製品のデジカメが発売されているだろうと考えると、とても買う気になれない。
 そこで、ある程度デジカメの将来が見えてくるまで辛抱することにしているが、今回発表されたニコンの製品は、ニコンが目指すところが良く分かるように感じた。
 フィルムカメラでフィルムを交換するように、デジカメのデジタルの部分だけを交換するようなシステムが生まれればいいのになぁと僕は思う。ライカが発表したシステムが、ちょっとそれに近い。 

 デジカメの画質に関しては、オリンパスの画質が僕の好みにあう。フィルムは派手な富士のベルビアが好きな僕だが、何故かデジカメは、ちょっと落ち着いたオリンパスE-10の画質は気に入っている。オリンパスの製品は、白の白さが気持ちいいような気がする。
 ここのところ昆虫写真の海野先生のホームページの中で掲載されている新製品E-1で撮影された画像も、とても好みに合う。海野先生は、デジタル画像でもパソコン上で作り上げたりすることがないし、海野先生のデジカメに関するレポートはとても信頼ができるので、E-1の画質も、多分僕の好みに合うだろうと思う。
 だが、E-1のシステムがこの先存続できるかどうか先が見えないので、水中やいろいろな撮影をすることを考えると買いにくい。それから、先日も書いたように、カメラの操作部分に関しては、常に新しいカメラを作り続けてきたニコンやキャノンと比べると、停滞していたオリンパスの下手さを感じる。

今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が開催されます。
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月23〜24日(水〜木)

 スタジオ撮影を終え野外での撮影に出かけると、初日はどこか体がだるい。スタジオの快適な環境に慣れた体が、車で寝泊りするような生活に、すぐには適応できないからだと思う。
 逆に野外での撮影から帰ってくると、今度はスタジオ撮影をする気力が湧いてこない。野外での緊張感になれた身と心が、刺激的ではないスタジオの空間に馴染まないのだろう。
 19日に水辺の撮影から帰宅をしたが、帰宅後は、いくつかのスタジオ撮影と事務的な仕事の計画を組んでいたが、スタジオ撮影はどんどん後回しになっている。
 ということで、今日は今月の水辺を更新しました。

(写真展の案内)
僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展 第24回SSP展・福岡展が通り開催されます
場所 富士フォトサロン福岡 2003年7月29日(火)〜8月8日(金)<土日休館
僕は、水中から、魚の目で見た空の写真を出品しています。
詳細は日本自然科学写真協会のHPで。
  

07月22日(火)

 写真は、動く被写体の動きを止めて写そうとするとピントが合いにくくなり、ピントをしっかり合わせようとすると、動きが止まらなくなる。詳しい仕組みの説明は省くが、動きか、ピントか、どちらを取るのか、カメラマンは選択をしなければならない。
 例えば、19日の日記に載せた川の流れの画像の場合、水飛沫の一滴一滴まで動きを止めて写そうとすると、手前の流れの部分にはピントが合うが、奥の川岸の部分にはピントが合わなくなる。だが、水飛沫や川の流れが、どれだけブレて写っても構わないのなら、画面全体にピントを合わせることができる。19日のケースでは、僕はピントも合わせたかったし、動きもそこそこ止めたかったので、両者を上手く満たしてくれる撮影条件が知りたかった。
 そこで、19日は、フィルムで撮影する前にデジタルカメラで色々な撮影条件で撮影して、水の流れの質感をギリギリ写しとめることができ、しかも、画面の手前から奥までピントがあうカメラの設定を探った。ここのところは、そうしたデジカメでのテスト撮影にキャノンのD30を使用しているが、少しずつデジカメでの撮影が面白くなり、645版のフィルムカメラと合わせて、ほぼ100%持ち歩くようになった。

 フィルムカメラの面白さは、その場で絵を見ることが出来ない点にあると思う。カメラもシンプルだし、操作をする箇所も少ない。僕は、車で寝泊りする野外での撮影に出かけると、電気がない、テレビがない、夜は日が暮れたら寝るしかない・・・シンプルで物がない生活に安らぎを感じるが、フィルムカメラで撮影すると、そんな感覚に近い安心感がある。
 一方で、デジタルカメラの面白さは、その場で絵を見ることができる点にある。絵を見ながら、思い通りの写真を撮るためにはどうすればいいのか、色々なアイディアを試し、試行錯誤をすることができる。まるでパソコンに向かっている時のような面白さがある。

 当面は、デジカメとフィルムを両方持ち歩く撮影が続くだろうが、645版のフィルムカメラと35ミリ〜300ミリまでのレンズを持って歩くと、かなりの荷物になるので、もう少し小さくて軽いレンズ交換式のデジカメが欲しいな〜と思う。
 オリンパスの新製品E-1と標準ズームレンズ+50ミリマクロレンズがあれば、フィルムでの撮影の前に試し撮りをするだけでなく、状況に応じて、デジカメでも本番撮影ができるので、うってつけに思えるが、どうもカメラ本体のボタン類の配列が好きになれない。
 キャノンやニコンのレンズ交換式のデジカメのように、ボタン類が一箇所にまとまってあれば、何かを操作する時にそこを見ればいいが、E-1では、ボタンがカメラの周辺全体に散りばめられているので迷ってしまうだろう。僕が今所有しているオリンパスのE-10も、新発売のE-1と似たボタンの配列をしているが、いまだにその操作に慣れることができない。 
  

07月20〜21日(日〜月)

 僕は、雨の渓流が大好きで毎年梅雨の到来を楽しみにしているが、その梅雨の大雨で、九州各地に大きな被害がでた。雨の日の渓流の恐ろしさは、それを間近でじっくり見たものにしか分からないだろう。撮影は、細心の注意を払わなければ、いや細心の注意を払っていても危ない。水が澄み、水位も低く、いつも通りの沢の流れでも、雨が降り出せばあっという間に濁流になる。
 時折、沢にキャンプに行き、濁流の沢に取り残されレスキューのお世話になる人がいあるが、雨の日沢の変化を、カメラを構えて一日じっくりと見ていると、取り残される人の気持ちがよく分かる。沢の増水は、人が考えているよりも速く、とにかく刻々と状況が変化するのだ。
 僕は、撮影で、川の中を歩いて渡ることが多いが、雨が降っている日には2〜3分おきに、水位と濁り具合を確認する。でなければ沢に取り残されてしまう。
 撮影で沢を歩くこと以外にも、車で寝泊りする場所や、撮影地から撮影地への車での移動などにも、十分な注意を要する。寝ている間に車を止めている場所が川になってしまう危険性もあるし、沢沿いは崖崩れや道路が崩れることも珍しくない。
 もちろん、どうしようもない事もあると思う。19日に掲載した画像は、沢の中の岩に渡って、岩の上から撮影したものだが、その岩がグラっと押し流されたら、100%僕は溺れ死ぬだろう。だが、その時は、覚悟の上なので仕方がない。

 僕は、今回何事もなく帰宅をしたが、今日は、先週からの取材で目に見えない危険を見落としていなかったかどうか、一通り振り返っている。 
  

07月19日(土) 大雨の日の菊池渓谷  凄まじいぞ〜

 今日は、朝から激しい雨が降った。いつもなら、そんな日は雨を撮影するが、今日は、時折台風並の風が吹くのでそれもむずかしい。
 今回の熊本・宮崎・大分取材は、大分県の東椎屋の滝と由布川渓谷の撮影を残すのみだが、この二箇所は、雨上がりのやや水量が落ち着き始めた頃、薄日が差すような曇りの日に撮影したいと考えていた。が、今日のこの大雨では、少なくとも2〜3日は撮影ができないだろう。そこで、いったん福岡に引き上げることにした。
 引き上げる前に、せっかくの豪雨の痕跡を撮影しようと、あれこれ考えを巡らせ、荒れ狂った流れを期待して菊地渓谷に行ってみることにした。菊地渓谷は雨の日には濃い過ぎる霧がでるので撮影には向かない面もあるが、比較的足場がよく、安全性が高い点がいい。
 もちろん、それでも流れに飲まれたら死んでしまうだろう。かといって、 望遠レンズで遠くから濁流を撮影するような逃げ腰な撮影はしたくないので、やはり流れに近づきたいし、同時に、十分に安全に気を使わなければならない。ゴム底の長靴で流れに近づくようなう無謀なことをしてはならない。フェルト底の、渓流の岩場を歩くための滑りにくい足回りが必要だ。
 大雨の日の沢のエネルギーは凄まじいので、水が怖いような人は、近づいただけで足がすくんでしまうだろう。

 時折、水がどうしても怖いという人がいる。そんな人に、僕の水辺の写真を見てもらうと、
「あんな怖い場所で、よく写真なんて撮るね〜」
 と感心されることもあるが、一般的には写真を評価してもらえないことが多い。写真の評価には、その被写体の好き嫌いが大きく関わる。先日も、農作業を趣味にしている知人に、田んぼ写真を見てもらう機会があったが、
「あ〜いい写真だねぇ」
 と誉めてもらった。だが、同じくらいいい写真であったとしても、それが都会のビルの写真だったら全く評価されなかっただろう。
 ちなみに、僕は高い場所が多少苦手だ。それから、風が強い日があまり好きではない。撮影条件としては、風を上手く生かせば面白いのだろうが、強風の日はなぜか落ち着けない。
  

07月18日(金) 熊本県 五老ヶ滝

 つい一昨日、鵜の子滝に向かう遊歩道でお腹が痛くなり、絶体絶命のピンチに陥ったばかりだが、また同じ場所で撮影した。
 一昨日は、ほぼ一日快晴の天気だったが、今日は曇りなので同じ場所でも全く違う写真が撮れる。曇りの方が物が素直に写るので、滝全体の様子を分かりやすく撮りたい時にはいい。
 
 僕は、いつも、きれいな写真を撮りたいと思うし、カメラマンなら誰しも同じような思いを持っていることだろう。だが、きれいに撮れば、その写真が必ずしも使われる訳ではない。
 例えば、書店に足を運んでみれば分かるが、鳥のきれいな写真を集めた写真集は、滅多に置かれていないのに対して、鳥をただ単に分かりやすく写した図鑑は、たくさんの書店に置かれている。
 カメラマンが、「これは芸術写真だ!」と自慢するような写真よりも、「これはただ鳥が写っているだけの写真だよ」と馬鹿にしているような図鑑写真の方が、印刷物の中には多く見られる。鳥の本を買う大半の人は、誰かの芸術写真の世界よりも、鳥の世界を見たいとカメラマンに望んでいるのだ。
 ところが、きれいな写真を撮りたい!といつも思い続けていると、多くの人が求めているものが何なのか、それをつい見失い、自己満足の芸術の世界に迷い込んでしまいそうになる。
 きれいな写真といっても、色々なきれいさがある。
 僕は、自然を分かりやすく、そして正しく見る人に伝え、その被写体について伝える写真がきれいに撮れたらいいな〜と思う。

 一昨日は、晴れの日の強烈な太陽の光に照らされた鵜の子滝の流れをアップで撮影した。それはそれで楽しかったが、鵜の子滝らしいきれいな写真も撮っておきたいと思った。
 昨日は大分県まで移動をしていたし、一昨日撮影をした同じ場所に、またひき返すことには迷いもあったが、来て良かった!今年は梅雨が長いので水の量も豊富だし、周辺の木々の緑がみずみずしいので、滝全体の写真を撮るのに適した年だと思う。
 他にも、うなぎ滝、竜宮の滝、五老ヶ滝など、矢部町周辺の大きな滝を撮影してまわったが、どこもカメラのファインダーをのぞき込んだ瞬間に、胸がワクワクするような条件の良さだった。
  

07月17日(木) 大分県・男池周辺
 
 昨日は、滝の裏側から撮影した画像を掲載したが、滝の裏側に回ると、水飛沫で、あっという間にカメラのレンズがずぶ濡れになる。
 撮影は、レンズ表面の水滴をふき取り、ほんの数秒の間に終えなければならないし、構図を考えたりしながら長々とその場にいると、カメラが故障してしまうだろう。僕自身も頭から濡れるので、なかなか冷静ではいられない。
 だが、せっかく滝の裏側に回るのだから、珍しい場所から撮りました!という企画の面白さだけでなく、一枚の写真としても見られるように、構図をよく考えて、滝の裏側ならばでの気持ち良さを写しとめたいと思った。そこでデジタルカメラを活用してみることにした。

 動物を撮影する時には、のんびり構え過ぎると逃げられてしまうので、チャンスを逃さないことが大切になる。自分の立ち位置を変えたり、構図を工夫したくても、ゆとりがないことが多く、それよりも、生き物の表情や、一瞬の動きを逃さないことが写真の良し悪しを決める。いかにカメラのファインダーの中に集中するかが大切になる。
 一方で、風景の場合、動物の撮影のように秒を争うようなケースはほとんどない。それよりも、カメラのファインダーにとらわれ過ぎず、広い視野を持ち、周囲のものを生かす状況判断が大切だし、自分がどこに立ち、どこを撮影するのかをよく考えた方がいい。
 ところが、水飛沫がかかるような場所では、立ち位置や構図をゆっくりと検討するゆとりがない。そこで、フィルムで撮影する前に、デジカメ使って色々なアングルから試し撮りをして、いったん滝の裏側から出て、試し撮りの結果をみて、最終的な撮影アングルを設定することにした。
 試し撮りなので、三脚を立てるようなこともせず、多少ブレていていも構わないので、とにかく短時間で色々なアングルを試す。その結果、ここがいい!と気に入った場所に今度は三脚を立て、なるべく短い時間でフィルムでの本番撮影を終える。
 昨日の撮影の場合、デジカメでの試し撮りで最も気に入ったアングルは、僕が直感的にここだ!と思った場所とは異なる場所だったので、試し撮りが役に立ったと言えるだろう。

 今日は、滝や九重周辺の水辺を撮影したが、やはり、まず先にデジカメでの試し撮りを試みた。滝の裏側のように特別にむずかしい場所でなくても、デジカメで前もって撮影をすると、ずっと冷静になれる。
  

07月16日(水) 滝の裏側にまわり撮影してみた

 僕が生物学を勉強した山口大学の理学部では、4年生になる時に、誰か一人の先生につき、指導を受けながら卒業論文を書くことになっていた。
 僕は昆虫の体内時計を研究している千葉喜彦先生に師事したが、千葉先生はすぐれた研究者として評価されていただけでなく、音楽や美術を愛し、遊びの要素を大切にする先生だったので、研究室全体が自由な雰囲気で、僕の好みに合った。
 野外で研究をしたいと考えていた同級生は、植物学のA先生の研究室を選んだ。宮崎県で熊探しをしている写真家の栗原智昭氏は、僕の山口大学時代の同級生だが、彼などは真っ先にA先生の研究室を志望した。
 そのA先生の研究室に進もうかと、女性であるSさんが言い出し、栗原氏に相談を持ちかけたことがある。女性の場合、野外での研究は誰かと一緒に行動をしなければ多少の危険が考えられる。相談の内容は、行動を共にできないだろうか?という内容だったと記憶しているが、栗原氏は、一つ条件をつけた。
「野ぐそができるなら、一緒に動いてもいい」
 Sさんは、
「そんなの、朝ちゃんと出しておけば、大丈夫よ」
 と答えたが、その場に居合わせた同級生の中には、「Sさんが野ぐそをするところを見てみたいのか?趣味が悪いな〜」と栗原氏を疑った者もいたかもしれない。

 今朝、熊本県の矢部町にある鵜の子滝に向かう遊歩道を歩いていたら、突然におなかの具合が悪くなった。滝のような、一般の人が多く見に来る場所の場合、下手をしたら見られてしまうので、野ぐそはまずい。
 ひき返そうかな〜と迷い始めたちょうどその時、カーブを曲がると滝が僕の目に飛び込んできて、光の具合が実にいい。「これは撮るしかない」と覚悟を決めて撮影をはじめると、気合が入ったからだろうか?おなかの具合は回復した。
 ところが、一通り撮影をして、「もういいかな?」と気持ちを緩めた途端に、また、やばくなってきた。今度は、いよいよ急を要する。お腹に力を入れ、早足でトイレに向かい、やがてトイレが見えてきた。
 だが、ここで油断をしてはならない。ウエストバックの中の撮影済みのフィルムなどをトイレの中に落としては台無しなので、冷静に用を達する態勢に入らなければならない。一分一秒を争う展開になったが、何とか間に合った。突然に、Sさんの顔が思い出された。
 その後は、調子がよく、今日は4つの滝を撮影した。
  

07月15日(火) 矢研の滝

 今日は、宮崎県総合博物館に用事があり、学芸員の方をたずねた。学芸員の方にお会いする前に、ちょっと早めについて、時間をかけてゆっくり常設展示を見せてもらったが、僕が見たことのある博物館の展示の中では、最高に気に入った展示の1つとなった。
 大きな都会の博物館に比べると、おしゃれではないかもしれないが、生き物や自然がとても身近に感じられるという点では、最高レベルではないだろうか?
 博物館の展示を見て、「博物館って面白いなぁ」と感じた事は今までにもあるが、「あ〜こんな生き物たちの写真を撮りたいなぁ」と撮影意欲を掻き立てられたのは、はじめてのことだ。
 展示の良さもさることながら、展示されている生き物の種類が宮崎県の場合は面白い。キリシマミドリシジミやミカドアゲハ、コシジロヤマドリやヤイロチョウなど、多くの自然ファンにとっての憧れの生き物たちが、宮崎県には多く生息している。
 
 ついでに、宮崎市の周辺の滝を撮影してかえることにしたが、今回は矢研の滝を撮影することにした。
  

07月14日(月) 

 宮崎県南部の猪八重渓谷を歩いてみた。渓谷の入り口から3キロ弱歩いたところにある五重の滝の撮影が、今日のメインイベントだったが、滝の下段に倒木が積み重なっていて、思うような撮影ができなかった。
 滝の周辺に遊歩道を作るときに伐採した木や、その際にもろくなった地盤が崩れ落ち、倒れこんだ木々が積み重なったものだが、とても美しい滝なのに、台無しだ。
 4〜5年前に来た時にも同じような倒木があり、がっかりした記憶があるが、その時よりもさらに状況が悪くなっている。さらにそれ以前には、そんな木々は一切なかったのに・・・
 もう少し水量が多いと、上段の滝は縦に一直線に、下段の滝は横に広く流れ落ち、僕が撮影したことがある滝の中でも文句なしにNO1の美しさだが、滝壷には、チェーンソーで切った、そのままベンチかテーブルにでも出来そうな丸太が何本も浮いている。
 滝を見てもらうために遊歩道を作り、その結果、滝が見苦しくなるようなお粗末が、行政の仕事には多い。道を作るなら作るで、後片付けまでして欲しい。

 観光地に行くと、有名な滝の付近には、「何とかの滝」と書かれた立て札がある。撮影をしようと思うと、その立て札が、ど〜んと画面の中に入ってしまい、どうにもならないことが多い。
 仮に僕が風景写真を撮らなかったとしても、あれって何とかならないのかな?と、その美的なセンスを問いたくなる。立て札なんて、もっと離れたところに立てて、美しい風景を見せようとして欲しい。
 ところが、観光でその場所を訪れる人達は、その手の立て札が大好きだ。滝の前で記念撮影をする人達を見ていると、滝を画面に入れて撮る人よりも、立て札を画面に入れて撮る人の方が多くくらいだ。
 なるほどな〜と悲しくなる。
 そんな人達に合わせて立て札が立てられているのだろう。が、滝よりも立て札が好きな人には来てもらわなくていい!というくらい、故郷の滝の美しさを大切にする気持ちを、行政の人達には持っていてほしい。
  

07月13日(日) 定点撮影中の田んぼ

 定点撮影中の田んぼに出かけてみた。6月21日に植えられた稲が少しだけ大きくなっていた。
 熊本県と福岡県の県境付近の南関という場所だが、今年は、九州内で撮影する時には、初日に必ずこの場所で撮影をしている。
 野外での撮影のリズムと、スタジオでの撮影のリズムとは全く違うので、スタジオから野外に出た最初の日は、どうしても調子にのれないことが多い。
 だが、初日は必ずこれを撮ると決めた被写体があれば、スムーズにフィールドでの撮影に入り込める。定点撮影の場合、場所の設定など、撮影に入るまではむずかしいが、いったん撮影をはじめると撮影そのものは易しいので、初日の被写体としては、なかなか都合がいい。
 車の中で、こうしてホームページの更新をして、温泉に入り、車の中で寝て、翌朝目覚めると、野外で撮影する心と体の準備が整ってくる。

 僕は、日頃、人を応援するよりも自分が何かをしたい方なので、誰かの熱烈なファンになって応援をするようなことは滅多にない。むしろ、色々な場所に顔を出して、応援ばかりしている人を見ると、
「お前が先頭に立ってやれよ!」
 と、もどかしく感じる。例えば、何かと、子供子供・・・と、すぐに「子供」の応援に回りたがる熱心なママを見ると、応援をするのではなくて、あなたが先頭に立って、他の人にはできないことをやって見せてあげれば?と思うのだ。
 親がどんなに応援をしても、頑張るのは子供本人だ。どんなにいい塾の先生をつけてあげても、勉強をして苦しいのは子供本人なのだがら、応援をする立場は先頭に立つことに比べれば、やはり楽チンなのだ。一番苦しいところで、汗を流して見せる人が、僕は好きだ。
 滅多に応援をしない僕だが、福岡ダイエーホークスだけは別で、試合がある日には、いつも応援をしてしまう。今日は、田んぼで撮影をしたあと、菊池渓谷に向かう予定にしていたが、この場所は今日のような雨の日には霧がでて撮影に不適なので、ラジオでホークスの試合を聞いて過ごしている。そんな日も、なかなか楽しい。
 戦時中に非国民という言葉があったらしいが、福岡県に住んでいてホークスの応援をしないのは、非県民と言ってもいいだろう。
  

07月12日(土) サンインマイマイ
 今日からは、熊本・宮崎・大分で取材をする予定だったが、天候が思わしくないため、スタジオで撮影することにした。つい先日の、山陰山陽取材のついでに採集したカタツムリを、白バックで撮影したが、殻の高さが高くて、なかなか面白い形のカタツムリだ。
 明日は、朝から出発をして、熊本県で撮影をする。明日は満月なので、菊池渓谷で月光浴をしながら夜景の撮影がしたかったが、この天候だと多分月は出ないだろうなぁ。
  

07月10〜11日(木〜金)

 明日からは、今度は九州の水辺を撮影をする。そろそろ梅雨が明ける頃だが、梅雨明け直後の瑞々しい沢の流れを撮りたい。梅雨が明けてしまうと、車で寝泊りする取材は、夜が暑くて地獄になる。今回の取材は、この春〜夏の取材で楽しめる最後の取材になるだろう。十分に堪能したい。

 車はエンジンを動かしている間は、冷却装置が働くので、エンジンの温度がある一定以上に上がることはないが、エンジンを止めたとたんに冷却装置も止まり、しばらくエンジンの温度が上昇を続ける。
 普通の形をした車の場合、その熱は、ボンネットから逃げ去るようになっていて、エンジンの温度が上がっても車内の温度はそれほどには上がらないが、僕が使用しているワンボックスカーの場合は、そのボンネットの上に運転席があり屋根があるのだから大変だ。
 さあ、寝ようかとエンジンを止めると同時にエンジンの温度があがりはじめ、ム〜と熱気が車内を暖める。だいたい28度程度の気温の日で、車内の温度が34〜35度くらいまで上がる。僕は慣れているので、その温度でも一応寝られるが、やはり熟睡はできないし、快適はない。
 
 今日は、今回、広島や島根で撮影をしたフィルムの一部をテスト現像するために、博多の町に出かけた。今回の取材では、富士フィルムの新製品「ベルビア100」と従来からのフィルムである「ベルビア」を両方使ってみたが、早くその結果を見て、明日からの九州取材の参考にしたかったのだ。
 現像の結果、両者とも発色や調子はとても似た傾向で、一見するとほとんど同じフィルムのように感じられる。ただ、細かい点まで比較をすると、従来の製品であるベルビアの方が、曇った、どんよりした天候の時には、ほんのわずかだが発色がいい。それから暗部の再現がいい。例えば、暗い場所にある岩場の微妙な濃淡などは、従来のベルビアの方がいい。
 発色や調子の点では従来製品、感度の点では新製品に分があり、一長一短の全くの五分だと僕は感じた。風景のような動かない被写体の撮影には、従来の製品の方がいいだろうし、動く被写体には新製品の方が有利になるだろう。
 通常、僕は、なるべく高い感度でフィルムを使用したいので増感現像をしているが、増感現像をすると暗部の再現性が若干悪くなる。ベルビア100の場合は、ベルビアよりも最初から暗部の再現性が悪いので、なるべく増感をしない方がいいフィルムだと感じたが、日頃はノーマルで、ISO100で使用しておき、どうしても暗い日のみに、一絞り以内の増感をするのがベストかな?
   

07月09日(水)広島県・吉和村にて

 昨日の夕方、広島県の吉和村にある瀬戸の滝を見に行ったが、滝よりも、流れ落ちる渓流が美しいので、うれしくなった。今日は、もう一日時間を取って沢の撮影をすることにした。
 中でも特に気に入ったのが画像の場所だが、渓流と言われて僕がイメージするのがちょうどこんな感じなのだ。
 流れの形や絵になり易さよりも、僕は生き物の気配が感じられる場所が好きだ。この画像は渓流を撮ったのではなくて、植物を撮ったと言った方がいいのかもしれない。

 そこに、一組の老夫婦がやってきて、
「何を撮っているのですか〜」
 と、おばちゃんが僕に話しかけようとしている。
 僕は、撮影中に話をしたくない方なので、気付かないふりをしてやり過ごすことにした。が、おばちゃんはしぶとい。まるで、門限を破った娘を待ち構える父親のように、沢から道へとあがる入り口で腕組みをして待ち続けている。仕方がないので、構図を変え、余分に撮影をしておばさんが行ってしまうのを待つことにした。 
 多くの人の目には、ただシャッターを押しているだけに映るかもしれないが、周囲の音を聞き、匂いを嗅ぎ、肌で空気を感じているのだし、その緊張を切りたくないのだ。今日は、遠くでアカショウビンが鳴き続けていた。僕の声よりも、ちょっと耳を澄ましてアカショウビンの声を聞けばいいのに・・・。
 撮影を終え、移動のために高速道にのり、パーキングエリアで昼食をとっていると、なんとまたそのおばさんと一緒になった。またまた話しかけられそうになったので、一足先に逃げ去った。普通に話をするのは嫌いではないが、ド〜ンと強引に入り込まれるのがどうしてもイヤなのだ。
 あ〜心が狭い。ごめんね、おばちゃん。
   

07月08日(火) 島根県・観音滝

 初めて東北地方を車で走った時、あ〜こんないい場所が、まだ日本に残っているんだと、その素朴な風景にとても感動をしたが、それと同等に人手が加わっていないのが、中国地方の山間部だ。
 東北地方には、まだ、素朴な田舎を楽しむ観光資源として、スポットライトが当てられることもあるが、島根県・鳥取県・広島県の山間は、ほとんど忘れ去られているといった方がいいだろう。
 ちょっと食べ物を買おうかなと思っても、そのお店が見当たらないし、どこで車にガソリンを入れたらいいの?と不安になるど何もなくて、車の燃料の残りを気にしなければならなかったり、食べ物の補給をする場所や時間を逃さないようにしなければならなかったり、多少取材しにくい点があり、意外に敷居が高い場所でもある。
 その中国地方には、大きくて美しい滝が多いが、今日は島根県の観音滝を撮影した。一昨日からの雨で、滝に近づくと、地面が揺れてるんじゃない?と感じるほどの水量があり、その迫力に思わず顔がにやけてしまったが、人がいないのでその顔を見られる心配もない。
 同じ中国地方でも、瀬戸内海側の山陽はやたらに人が多くて、ゴミゴミしている。僕が日本国内で一番住みたくない場所なのだが、山陽の山間から山陰は正反対で、引越しをするのなら住んでみたい場所の一つだ。

 午後からは、広島県の瀬戸の滝を撮影するために移動をしたが、途中で、オオサンショウウオをテーマにしている博物館に立ち寄ってみた。町の小さな博物館だが、とてもおしゃれにまとめられていて気持ちがいい。学芸員の方に話しを聞くことができたが、8〜9月にかけては、野外でオオサンショウウオを見られる可能性が高く、案内してくださるとのこと。8月は他にあまり撮影する対象がないので、ゆっくり時間をかけれるので今から楽しみだ。 
   

07月07日(月) 広島県・常清の滝

 昨日は、スタジオ撮影で失敗をしてしまい、撮り直しをしたと書いた。失敗をしたシーンは、ここ一ヶ月くらい、手を替え品を替え、いろいろな工夫をしながら撮影を試みてきたシーンで、初めて、本当に納得できる写真を撮ったと思ったら、しばらくしてミスが発覚した。
 シャッターを押し、撮れた!と思い込んだ瞬間は、苦労が報われて嬉しかったというよりは、同じ写真をもう一枚撮れと言われても撮れないような〜と感じたし、仕事ってやっぱり厳しいな〜としみじみ感じた撮影だったので、撮り直しは不可能かな?と正直思ったが、やってみたら、失敗で失った写真よりも、もう少しいい写真が撮れたような手応えがあった。
 生き物の行動や性質の撮影は、ちょっとばかり腕がいいとか、センスがあるといったことより、最後は執念で勝負が決まると言っても過言ではないような気がする。

 今日は、ようやくスタジオを抜け出して、フィールドに出かけることができた。夕方一瞬光が差した以外は、激しい雨が降り続き、撮影条件は厳しかったが、その雨を撮影したり、一瞬差し込んだ光で浮かび上がった滝の白い流れを撮影したり、また九州では見られないカタツムリを採集したり・・・とにかく楽しい一日になった。
   

07月06日(日) オトメマイマイの仲間だと思う・・・

 昨日日記の中に書いた、撮影中の待ち時間に採集した模様の面白いカタツムリの画像を掲載してみた。
 白バックで撮影をすると、背景がない分、生き物そのものの形や色が強調されるが、デジカメのモニターに映し出された画像を見て、カタツムリが歩く姿って、カッコいいな〜と思った。
 そういう生き物その物の、色や形の魅力が写れば、一見退屈そうな白バック写真の撮影も突然に面白くなる。ますます、いろいろな種類のカタツムリを写したくなった。
 カタツムリのこの手の写真は、切り抜き写真か、図鑑のような使用目的以外には需要がないだろうから、写真が極端に大伸ばしにされることはないだろうし、シビアな画質が求められるわけではない。今僕は、645版のカメラで撮影しているが、デジタルカメラもいいかなと思う。
 日記の画像は、300万画素クラスのキャノンD30で撮影した画像だが、出来れば600万画素クラスの、キャノンD10かニコンD100あたりが欲しい。誰か、匿名で送りつけてくれないだろうか?
 近々発売されるオリンパスの新製品E-1も魅力があるが、レンズを買い揃えなければならない点が都合が悪いかな・・・ 

 今日は、フィールドで撮影する予定だったが、スタジオ撮影で次から次へとミスを犯し、出かけることが出来なくなった。今日から4〜5日間は、山陰で撮影する予定を組んでいたのに、その中の1日を削り、スタジオ撮影に充てることになった。今年は同じパターンで、ほとんど、ほとんどフィールドに出ていない。
 突然悲しくなって、虚しい気持ちがこみ上げてきて、ワ〜と大声を上げたくなったりするが、冷静に考えてみると、僕の腕が悪いだけなので仕方がない。さらに冷静になると、誰もが通る道なのだろう。
 今回の失敗は、ストロボに取り付ける部品を間違えた。僕はサンパック社製のストロボを使用しているが、サンパックは、ペンタックス用の部品を取り付ければペンタックスのカメラに、キャノン用の部品を取り付ければキャノンのカメラに使用できる。その部品を間違えて、キャノン用の部品を取り付けてペンタックスのカメラで使用をしてしまったのだ。当然撮り直しをしなければならない。
 ミスを犯すのは、やはりやり方が確立していないからだ。  
  

07月05日(土) キタキュウシュウシロマイマイ

 6月末に、雨の中で撮影した写真が仕上がってきた。ショウブの写真にいいカットがあった。別府の山間にある神楽女湖の岸辺に咲いたショウブの花、うっすらと湖を包み込んだ霧、そして、気持ちよく降り注ぐ雨の水滴が一枚の写真の中に写りこんでいた。
 僕は、観光地的な写真にはあまり興味がないので、その一枚が気に入ったわけではないが、これは売れるぞ!という手ごたえを感じる写真だった。
 
 雨の中の写真は、微妙な光の具合で雨がよく写ったり、そうでなかったりするので、その日は十分に時間をかけて撮影をした。一枚の写真を撮るために2〜3時間待った。
 ただ待っておくのはつまらないので、付近でカタツムリを探してみると、面白い模様のカタツムリが見つかった。まるで、コーヒーにクリームをいれ、そっとかき混ぜた瞬間のような、チョコレート色の殻に、白い縞模様のあるカタツムリだった。
 カタツムリは、種類や見方によっては気持ちが悪いので、撮影の際には被写体を十分に選ばなければ写真が売れにくい。一般的には、あまりグロテスクな印象を与えないミスジマイマイの写真がよく使われているが、九州では、ツクシマイマイがそれに近い。そういう理由で、僕は、いつもツクシマイマイという種類を撮影しており、他の種類を撮影した経験はほとんどないが、急にいろいろなカタツムリを撮りたくなり、そのチョコレート色のカタツムリを採集して帰ることにした。
 気持ち悪い種類も含めたカタツムリの写真には、どんなニーズがあるだろう?と考えてみたが、図鑑が一番可能性が高いだろう。そこで、機会があるたびに、白バックで図鑑用のカタツムリの写真を撮っておくことにした。滅多にニーズがないと思うが、写真を揃えておけば、一生の間に何度か声がかかるだろう。

 さっそく、うちで飼育をしていたキタキュウシュウシロマイマイから撮影をはじめた。たかが白バック写真と思ったが、デジカメで試し撮りをしてみると、殻が汚れていることに気が付いた。野外で自然の生態を撮る場合は、ありのまま、殻が汚れていてもいいだろうが、標本的な写真の場合はきれいな方がいい。自然を撮るからといって、何もかも自然のまま撮ればいいわけではない。どのような目的でその写真を使いたいのかTPOをわきまえなければならないが、そんな何でもないことが意外にむずかしい。  
  

07月04日(金)
 
 昨日、フィルムのことを少し書いたが、僕が使って気持ちのいい発色をするフィルムを、他の誰かが使い、同じように好結果が得られるかというと、そうでもない。同じように自然にカメラを向けているようでも、人それぞれ見ているものが違い、撮ろうとしているシーンが違う。撮ろうとするものが違うと、それに合ったフィルムも違ってくるからだ。
 僕は他人の心の中に入り込めるわけではないので、人が何を見ているのかは分からないが、時々、
「あ、こんなものを見ていたんだ!」
 と、誰かが撮影した映像や画像から感じることがあり、つい先日も、昆虫写真の海野先生が出演されたNHK教育テレビ 「人間講座」の中で放映されたミツバチの映像を見て、そう思った。
 巣の周りを飛び回るミツバチたちの姿がスローモーションで流されたが、
「なんて、気持ちよさそうに飛んでいるんだ。海野先生には、こういう風に見えているんだ!」
 と感じた。その気持ち良さを写すためには、海野先生がビデオをセットしたアングルでなければならなかっただろう。なるほどな〜と、納得させられた。
 海野先生の事務所で、栗林慧さんが撮影されたバッタの映像を見せてもらったこともあるが、こちらはバッタがすごいというよりは、バッタがジャンプした瞬間に跳ねあげた土煙の迫力が満天で、その砂煙の1つ1つの粒が見えるのでは?と思えるほど鮮明な映像だった。栗林さんは、写真もビデオも大変に画質にこだわっておられるように日頃感じられるが、砂煙の粒の1つ1つを写すためには画質が良くなければならない。なぜ、そこまで画質にこだわるのかが、そのビデオの映像からわかるような気がした。
 海野先生が撮影をしたビデオの映像には、虫の動きに伴う砂煙が凄いというような映像よりも、虫そのものの動き・色合い・行動が面白い映像が多い。海野先生は、画質に極端にこだわるよりも、より深く昆虫の世界に踏み込める道具を日頃から好まれるが、海野先生のミツバチの映像を見ると、先生がなぜそのような選択をするのか、海野先生の主張が伝わってくる。  
  

07月03日(木)
 
 スタジオで撮影をする合間に、富士フィルムの新製品をテストした。これまで主に使用してきたRVPという銘柄のフィルムを、RVP100という新しいフィルムに変えようかと思うのだが、その前に、全く同じ被写体をテスト撮影して、発色や感度を新旧の製品で比較することにした。
 僕は、雨や曇りの日の撮影が大好きで、そういう条件の時にベストな発色をするフィルムを選んでいるが、今日は幸い雨なので、雨の中での新製品の発色を試すことができる。気に入れば、これからはすべて新製品のRVP100を使用することになる。事務所の冷蔵庫の中には、買いだめしている古いRVPがたくさんあるが、こちらはスタジオで使うことにしよう。
 人によっては、条件に応じて細かく使用するフィルムの銘柄を変える人もいるが、僕はうっかりが多いので、いろいろなフィルムを使用した結果、感度やその他の手違いで失敗をしてしまうことが怖い。特に野外では、そういうミスが起こりがちなので、何か一種類のフィルムを使用して、ボンミスを防ぐと同時に、撮影そのものに集中できるようにしている。

 RVP100という新製品は、もしかしたらアマチュア写真の世界を大きく変えるフィルムになるかもしれないと僕は感じている。これまで販売されてきたRVPは、曇りや雨の日の発色が抜群に優れているにもかかわらず、感度が低いという理由で、曇りや雨の日に使われることが少なかった。日頃RVPを使用していても、曇ってくるとより感度が高いフィルムに入れ替える人をよく見かけた。
 一般に、曇りや雨の日には、写真の色合いはくすんだ色になってしまうが、RVPは、その点見た目に近い発色をする。むしろ、曇りの方がいい。それを知らない人が多かったが、今度の新製品がもしも曇った状況下でRVPと同じような発色をするのであれば、曇っていてもフィルムの銘柄を変える必要がない。その結果、
「おいおい、曇りの日でも写真って綺麗に写るんじゃない!」
 と、驚かされる人がたくさん出てくるのではないだろうか?
 撮影現場で、アマチュアの人たちがよく
「あいにくの曇り空だねぇ」
 と会話するのをよく耳にするが、曇りがあいにくではなくなるかもしれない。  
  

07月02日(水)
 
 うちで生まれたツクシマイマイ(カタツムリ)の子供を放しに出かけた。いつもは子供たちの親を採集をした、近所の神社に放しているが、今日は別の場所に放すことにした。今年は、雨のたびに、生まれたてのカタツムリを放しにいき、ついでに雨の日の生態(生き様)を観察しているが、僕が日頃採集している場所は、稀にみるいい場所であることがわかった。
 ツクシマイマイは、大きな木があり、その下に下草が生えていて、下草の間に枯葉が積もっているような場所に多い。山の中に行けば、そのような場所はたくさんあるが、山は広すぎてツクシマイマイが分散してしまい、一箇所で見られる密度が低くなる。その点、近所の神社では、隣接する森の外れに大きなクスノキがポツンと生えていて、その木の周りに大〜小まで、カタツムリたちが集中しているので都合がいい。
 また、通常カタツムリたちは、下草の中に隠れこんでしまい捕まえるのが難しいが、僕が採集をしている場所では、墓石の残骸のようなものが木の下に積んであり、その石の表面に、いつも数匹のカタツムリが止まっている。おそらく、石の表面からミネラルを吸収しているのだろう。
 
 その稀にみるいい場所の付近で、神社の駐車場を作る工事が始まった。神社という場所柄、カタツムリたちが住む木を切ってしまったりはしないだろうが、木の下に放置してある墓石の残骸はついでに片付けられる可能性が高い。そうなると、僕が望むサイズのカタツムリを、短時間で採集することがむずかしくなので、似た場所を自分で作ることにしたのだ。
 場所は、知人の畑に隣接した森の中の、一本の木の周囲に決めた。ツクシマイマイは、野菜を荒らさないので、畑のそばでも問題はない。知人の土地のはずれなので、コンクリートのブロックか何かを、カタツムリを放した木の下に積んでおけば、ブロックからミネラルを吸収するために、カタツムリが集まってくるに違いない。 
  

07月01日(火)
 
 今日の九州北部は、最近見たことがないくらい激しい雨が降った。雨が降り続いた時間はそれほど長くはないが、まさにバケツをひっくり返したような雨だ。
 僕は、数年前から、渓流をテーマに撮影をしているが、この撮影は、自然を記録して伝えるいわゆる自然写真ではなく、僕の心の中にある自然に対するあこがれを表現しようとしたもので、沢を源流から下流に向かって旅をするという設定で撮影をしている。その中で、いずれ、雨の日の荒れ狂った沢も、間近で撮影してみたいと考えている。

 渓流をテーマにすると同時に、水中写真を撮りはじめたが、沢に潜ってみると、どこも岩が汚い苔に覆われて、なかなか僕の自然に対する憧れを表現できる場所が見つからなかった。
 8月だったので、季節が悪いのだろうと考えた。日差しが弱くなれば、苔はなくなるだろうと予測した。だが、10月になっても、11月になっても、翌春になっても汚い苔はなくならなかった。
 そして、梅雨明けの沢で、僕は自分の目を疑った。大岩から小石まで、すべての石が、まるでやすりで丁寧に磨かれたかのようにツルツルになっていた。清流を通り越して、まるで墓場のような静けさだった。梅雨時の大雨で増水した、川の流れの仕事だった。
 その自然のもつ圧倒的なエネルギーを、いずれ写真に撮ってみたいのだ。 
  
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年07月


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