撮影日記 2009年6月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

2009.6.30(火) 更新

 今月の水辺を更新しました。

(写真展のお知らせ)
北九州市平尾台自然観察センターにて、写真展を開催します。是非、御覧ください。
期間  7/1〜8/30
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2009.6.27〜29(土〜月) 超撥水



 昔は、
「額に入れて飾りたいから写真が欲しい。」
、と求められたら、見せたい写真がたくさんあったのだが、近頃は、なかなか適当な写真が出てこなくなった。
 趣味で写真を撮っていたころは、絵画として写真を撮っていたのだが、近頃は、絵画ではなくて物語を思い描きながら僕は写真を撮る。そして物語なのだから、たくさんの写真が組み合わさって何か1つのことを伝える作品なのであり、その中から、どれか1枚を選ぶことはできにくいのである。
 
 さて、今大変に苦戦しているのが雨の撮影だ。
 まず、今年は梅雨入り後に福岡県ではまだまとまった雨が降っていないこともあるが、たまに雨が降ったら降ったで、いざ撮影しようと思うと、どう撮影すべきか方針が定まらない。
 さて、どうしたらいいのだろう。
 僕はもともと雨の中での撮影が大好きで、以前は大雨が降ると、その日を狙って渓流に入り、濁流の写真を撮ったりもした。
 そして、その時にカメラ用の雨具をこしらえたり、いろいろな工夫も施した。
 だがそれでも、3〜4時間も雨の森の中を歩くと機材はびしょ濡れ。帰宅後はしばらくカメラを乾燥させなければならなずスマートではなかった。それは極めて泥臭く、いつ機材が故障してもおかしくないような、ギリギリの撮影だった。
 ただその時は、雨が主役なのではなく渓流が主役で、雨はその渓流のある一面だった。だから、たくさんの写真を撮る必要はなかったし、かろうじて頑張れた。
 が、雨が主役となると、たくさん写真を撮らなければならないが、機材がそんな状態になると、やはりなかなか集中できなくなるし、物語を描きながら写真を撮るゆとりなどはなくなってしまう。
 やはりまず第一は、雨の中での機材の維持になるだろう。
 機材をハードケースに入れてみるか?ハードケースなら水が浸み込まないから安心だが、悪路を歩いたりするのには、ケースが邪魔くさくて適さないなぁ・・・。
 そう言えば、完全防水のリックサックタイプのカメラバッグもあったよな!
 でも、確か防水ジッパーの開け閉めなど、操作性はイマイチだったような・・・
 僕は、普段買い物をする際には通信販売が圧倒的に多いのだが、こればかりは現物をみなければ難しそうだったので、今日は博多のヨドバシカメラへと行ってみることにした。
 結局、超撥水とうたわれたカメラバッグを1つ購入。バッグの底の部分などは、ビニルで加工してあり、水がしみ込みにくい作りになっている。

(写真展のお知らせ)
北九州市平尾台自然観察センターにて、写真展を開催します。是非、御覧ください。
期間  7/1〜8/30
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2009.6.24〜26(水〜金) 雨乞い

 アジサイに雨の組み合わせは定番であり、よくリクエストが寄せられるのだが、福岡では、山間部は別にして、梅雨の雨が降り始める前にアジサイの花はたいてい終わってしまう。
 アジサイの開花に梅雨の雨がちょうど重なるのは、いったいどの地域なのだろうか?

 雨を撮影したくて時間を取ってあるのだが、肝心な雨が降ってくれない。
 仕方がないから、晴れの日が向いている別の仕事を先に片付けてしまうなどして予定をやりくりすることになるが、連日、予定表を作り直さなければならず、頭の中がもうゴチャゴチャ。
 そのせいもあって、ここ数日は、実際にやった仕事の量の割に疲れがひどく、ちょっと休みたい気分だ。
 そこで今日は、畑の土手に座り、その位置から撮影できる範囲で、のんびりと、なんとなく蝶を撮影してみた。
 使用するレンズも一本だけ。
 自然写真家という仕事がもう少し稼げる仕事で、雨の降り出しや、生き物の産卵の始まりなど、何か1つのシーンをじっくりと待てるような立場だったならなぁ。じっくり時間をかけた、いい仕事がしたいなぁ。
 

CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM ストロボ

CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM ストロボ

(写真展のお知らせ)
北九州市平尾台自然観察センターにて、写真展を開催します。是非、御覧ください。
期間  7/1〜8/30
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展

 

2009.6.23(火) 趣味とは

(写真展のお知らせ)
北九州市平尾台自然観察センターにて、写真展を開催します。是非、御覧ください。
期間  7/1〜8/30
内容  野村芳宏 西本晋也 武田晋一による3人展


NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)
 
 この3人での写真展は、ここ数年恒例になっているのだが、昨年、ある方から、
「野村さんと西本さんの写真があまりにつまらない。これって、ほんとうに展示して見せるような写真なの?」
 と指摘をされ、ドキッとした。実は僕も内心、写真が良くないと思っていたから。
 ただ、それをずっと黙っていたのだが、やっぱり黙っていては写真展をする意味がないと考え直し、今年になってから、お二人に指摘を受けたことを話した。そして、どうせなら、ちょっとばかり本気でやりましょうか!と今年は事前にメール会議などをして、3人の接点を探したり、テーマ設定をおこなった。

 僕は、北の水辺の水鳥たちの写真を選んだ。カメラのシャッターを押しながら、何だか楽しいなぁと感じた瞬間ばかりを集め、その楽しさの理由を探ってみた。
 すると、そこには、水鳥の、どこか人間臭い動きがあった。
 僕は、歩いているカモを撮影するのが大好きなのだが、カモやハクチョウは、右足と左足を交互に出して歩く。そして、その足の動かし方は人間の足運びに良く似ているから、その姿にカメラを向けると、なんだか人間っぽく写る。
 カモ以外にも、野鳥には右足と左足を交互に出して歩くものが存在するが、多くは、その足運びがとても速いので、あまり人間っぽくない。
 その点、カモの1,2、1,2というゆっくりとした足運びに、僕は無意識のうちに人間の姿を追い求め、それを快感に感じていたのだ。
 僕は、基本的には撮影中は一人になりたい。
 だが、そんな僕が、無意識のうちに、カモの動きの中に人間を追いかけていたとは!やっぱり、写真の究極のテーマは、特に写真展などの場合は、たとえ自然が被写体であっても人間ですね。

 完全な趣味として写真を撮っているアマチュアの野村さんや西本さんと、テーマについてメールをやり取りしてみると、趣味とは何ぞや?と考えさせられ、また教えられるものがあった。
 どうも、僕の写真は、あまりに仕事に徹し過ぎているのではないかと。
 仕事に徹する、というのは儲かればいいという意味ではない。僕は、必ずしも儲かればいいとは思っていないのだが、写真は使われなければ意味がないとついつい考えてしまうのである。
 自分を曲げてまで写真を売りたいとは思わないが、自分のやりたいことの中から、売れる要素がある部分だけを撮影してしまうのである。
 
 さて、昨年からカメラを向けている金魚。撮影は今年のうちに終えられる目途が立っているのだが、その後も金魚の飼育は趣味として続ける予定であることは、以前も書いたことがある。
 僕は、写真を仕事にしてしまったから趣味をなくしてしまった。
 一時期、熱帯魚が趣味になっていたのだが、魚の飼育器具を、スタジオでの水槽撮影に流用した結果、熱帯魚は一匹もいなくなってしまい、その趣味もおしまいになった。
 でも、何か1つくらい趣味があった方がいいなぁ。何の生産性もないことに、夢中になれた方がいい。


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 昨年、家で生まれた魚の中にも、かなりいい魚が育ってきた。
 上の画像の金魚は、お店で、極上などと書かれて売られているレベルだと思う。
 ただ、色が悪い。白が多いものは、あまり人気がなく、これにもっと赤が多かったなら・・・・素人が育てたものとしては上出来だっただろう。
 実は、今年の春までは、金魚は、撮影終了後は一切合財やめてしまおうと思っていたが、極上っぽい魚が数匹育っているのをみたら、カ〜っと熱くなった。

 下の画像は、6/13日の撮影。
 さらに下は、今日今日撮影したもの。
 13日の時点では目だった鱗はないが、今日は鱗がはっきりとしている。
 金魚の飼育とは、そうした金魚の成長過程に合わせて、飼い方を変えていくことである。
 たとえば、尾っぽの形が決定する時期には、尾っぽがいい形になるような条件を整えてやる。
 そうした成長の過程によって、時には広い場所で飼った方がいいタイミングもあるし、逆に、あまり広すぎない場所で飼った方がいい場合もある。
 その見極めが、とても面白い。


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 

2009.6.19〜22(金〜月) 風景写真誌



 風景写真 7-8月号に、僕が撮影した写真と文章とが掲載されています。是非、御覧ください。

 『風景写真』 に 『彼方からの手紙』 というページがある。このページは、掲載された人が次の人を指名する、リレー形式になっている。
 と言っても、恐らくご存じではない人の方が多いと思う。何といっても、始まってまだそれほど回数を重ねていない企画であり、僕がどうも4回目にあたるようだ。
 僕は、昆虫写真家の高嶋清明君を指名した。
 また、僕を指名してくださったのは、北海道在住の写真家・佐藤晶人さん。僕よりも、6つ年下の方だが、完成度が高い、すきのない、カチッとした作風の、写真が上手い人だと思う。
 面識はないのに、僕のホームページを見ているから、と声をかけてくださった。
 嬉しいことだなぁと思う。やる気が湧いてくる、というものだ。
 
 さて、『彼方からの手紙』には、写真が一枚とそれに添える文章が掲載されるのだが、文章は、写真家から読者に宛てた手紙、という形で書くことになっている。
 そして僕は、風景写真誌のフォトコンテストにいつも投稿しておられる方々にあてた手紙を書いた。
 と言っても、実は、コンテスト常連の、ある一人の方をイメージしながら書いた。
 ところが残念ながら、7-8月号に限っては、コンテスト常連のその方が、応募されなかったのか、あるいは選に漏れたのか、コンテストには入賞しておられなかった。
 ともあれ、僕は、その人の写真の大ファンなのである。
 
 『風景写真』 は、ナショナルジオグラフィックの次に、うちに数多くある月刊誌である。
 コンテストのレベルは無茶苦茶高いし、取り上げられるプロの写真家も、実にいい人を取り上げるものだから、古くなっても捨てにくい。
 昔は、ジム・ブランデンバーグの特集なんかもあったし、その号などは、今でも頻繁に引っ張り出しては目を通す。
 そのジム・ブランデンバーグの特集が掲載された号の表紙も、今回の表紙と一緒に日記に載せようかと思い自宅から事務所に本を持ってきたはずなのだけど、なんと!それをどこに置いたのかが分からなくなった。
 最近、少しずつ、物忘れが増えつつある。
  
 

2009.6.17〜18(水〜木) 一眼

 先日、オリンパスから、新しい規格のカメラの発売を知らせるメールが届いたのだが、内容を読んでホッとした。
 そのカメラには大変な将来性を感じるが、今回発売されたものはあくまでも第一号機。今の時点で僕の仕事に使えるものではなく、あれを買うべきか・・・と悩まずにすむものだった。
 オリンパスのカメラは、つい先日E620を買ったばかりだから、このタイミングですぐにでも欲しくなるようなものが発売されると、ちょっとせつない。
 
 さて、そのオリンパスからのメールの中に 『一眼』という言葉があったので、ちょっと考えさせられた。
 実は先日、あるカメラに関するライターさんのホームページを見ていたら、一眼という言葉が本来の意味で用いられていないことを批判する内容があった。
 そして今回発売されたオリンパスのカメラも、その方の主張によると一眼という言葉で表すべきではないカメラになる。一眼とは、一眼レフを略したものらしいが、確かに、オリンパスの新製品は一眼レフではない。
 が、メーカーは、一眼とうたっている。
 そのホームページの文書をさらに読んでいくと、
「コンデジなどは論外」
 とも書かれていたので、さらに考えさせられた。
 コンデジとは、コンパクトタイプのデジタルカメラを略したもの。
 言葉を扱う人のこだわりなのかな。言葉を安易に略するのは好きではないのだそうだ。

 僕は、あまり言葉には興味がないし、言葉は使い方も意味も変わっていくものだと思っているが、自分なりのこだわりはある。
 それは、相手に伝わるかどうか。
 僕は、デジカメ(デジタルカメラの略)という言葉をこの日記の中では使うが、コンデジは、使ったことがない。
 デジカメは多くの人に通用するし、下手をしたら、デジタルカメラは分からなくてもデジカメならわかる人だっておられる可能性があるが、コンデジという言葉は、一部のおたくっぽい人にしか通用しないから。
 また、誰かと一緒に仕事をする時、その人の言葉の一言一言は、大変に気になるものだ。そこに、その人の奥行きの深さが現れるような気がするから。
 そういえば、僕が一緒に仕事をしたくなった人たちは、例外なく、安易な言葉の略をしない、プロ意識が染みついた人たちばかりだった。
 
 一方で、言葉を略してもいい場合だってある。
 たとえばトンボマニアのみなさんはトンボの名前を略して読んでおられるが、そうすることで、いかにもマニアックな世界を楽しんでおられる。
 カメラ好きばかりが集まる場なら、コンデジという言葉だって、別に使っても構わないと感じる。

 さて、写真展を開催することになっていて、今日はこれから準備に出かける。

 

2009.6.16(火) ボウフラと言えば


CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 生物学と言うと、多くの人が、野外で生き物を追いかける研究者の姿を思い浮かべるのではないだろうか。
 だが実際には、現在の生物学の研究の主流は実験生物学であり、野外での研究を中心にしている人は、おそらく生物学の研究者の1%にも満たないのではなかろうか。
 なぜそうなるのかは、科学のことをそこそこ知っていなければ理解できないだろうから説明は省略するが、簡単に言ってしまえば、野外での研究でわかることは、今科学が追及していることとは、ちょっとずれているのだと思う。
 テレビのニュースなどで生き物のことが取り上げられ、その際に専門家として登場する大学の先生だって、本職は実験生物学だというケースが圧倒的に多いだろう。
 
 僕は、そんなことは露知らず、野外で生き物を研究したいと思い生物学へと進学したのだが、それで飯を食える可能性はとても低いことを知り、別の道を模索するようになった。
 そして、写真へとたどり着いた。
 生き物を知らなければならない仕事はたくさんある。生物学の研究者は言う間でもないが、漁師さんや養殖業者やペット業者。自然写真家だってそうだろう。
 先日、生き物を取り扱うある仕事をしている人と話をする機会があった。
 その際にその方は、
「大学の先生なんか、何も生き物について知らない。」
 とおっしゃったのだが、それは、生き物を見る角度にはいろいろな角度があり、それぞれの立場によって知りたいことや知るべきことがちょっとずつ違っているに過ぎない。むしろその人が、ある一面からしか生き物を見ていないのだとも言える。

 結局、 野外での研究は、今やアマチュアの世界なのだと思う。アマチュアでも、十分にできるのだと思う。
 僕の恩師は、元々は野外で昆虫を研究していたにも関わらず、学生には、野外での研究を勧めなかったのだが、日本の大学には日本の大学の使命があり、今は、そんな時代ではない、と考えておられたようだ。また、大学を、学生がただ好きなことをするだけの思いで作りの場にはさせない、という強い意思が、僕には感じられた。
 さて、僕の大学時代の研究材料は蚊。だから蚊にカメラを向けると、今でも学生時代のことを思い出す。

 

2009.6.14〜15(日〜月) オリンパスE620


RICHO Caplio GX100

 ふと考えてみると、ここのところ、まともな仕事がほとんど来なくなった。
 来るのは、みな特殊な撮影ばかり。機材も、テクニックも、普通では撮れない写真の撮影依頼が圧倒的に多くなった。
 先日は、オリンパスのデジタルカメラ E620 とオリンパスの古いレンズが大変に役に立った。オリンパスのデジタル一眼レフカメラは、ニコンやキヤノンのものとは規格が違うのだが、恐らく、そのオリンパスの規格のカメラ以外ではできない仕事だっただろうと思う。
 プロとして仕事をするのなら、いろいろな規格の道具を持っておいた方がいい!
 オリンパスのE620は、それとはまったく別の、やはり特殊な撮影をするために購入したもので、購入の際には、果たして元を取ることができるのかが分からず、買うべきか買わざるべきか迷ったが、思いもかけないところで別の用途に使うことができ、あっという間に元が取れてしまった。
 E620で撮影した写真の枚数はまだ500枚にも届かないのだから、信じられない速さで元が取れたことになる。儲かった!

 さて、僕はお金の計算があまり得意ではない。
 だから、普段の撮影の際には、売れる写真を撮ることにかなりこだわっている。
 売れる写真を撮り、そこそこの数の写真を売れば、道具を買う際やその他で買い物をするような時に、極端にお金のことを気にしたり、倹約をする必要がない。
 また、お金を受け取るときにも、ギャラを上げろ、と交渉する必要もないし、お金に関して適当でいることができる。
 機材を修理するような際にも、滅多に見積もりを取るようなことはしないし、1つの道具を長く使いたいからとにかく修理してほしい、と依頼することが多い。
 が、今日はそれで結構痛い目にあった。
 実は先日、スタジオで使用しているストロボがひどく熱を帯びるようになったので、修理に出したら、特に異常がないにも関わらず、点検をするだけでおよそ10000円を請求されたのである。
 あまりに高額なので、
「何かしたのですか?」
 と聞いてみたら、
「内部の清掃です。」
 と。これは、完全なぼったりではあるまいか? 

 

2009.6.13(土) はねる


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 一匹の金魚のメスは数千個の卵を産むが、愛好家は、その中から数匹だけを残す。残りは、『はねる』と言って、除外してしまう。
 今日の画像の魚たちは、体型、大きさ、色などからして、いずれも、本来ならとっくの昔にはなられているはずの魚だが、僕の場合は、一匹の親からいろいろな子供が生まれることを写真で紹介したいのだから、こうしてはねずに残してある。
 が、撮影終了後は、やはりはねることになる。
 金魚の撮影のための金魚の飼育で何が一番大変だったかというと、本来はねるはずの膨大な量の魚の維持だ。
 一連の撮影終了後の来年も金魚の飼育や繁殖は続けるが、今度は、はねるべき魚ははね、魚の数を減らし、無理のないように、楽しい趣味として飼育する予定だ。
 もちろん、写真も撮る。が、これまた無理のないように、今度は子供向けの本ではなくて、初めて本格的に金魚を飼う人のための本を、極めてわかりやすい写真で、丁寧に丁寧に、凝って凝って作ってみたい。

 はねた魚の行先は、人によってさまざまである。
 ある人は販売し、ある人は川に放すという。中には、トイレに流す、という人までもが存在するようだ。
 トイレに流すなんて、怪しからん!と思うでしょう?
 僕の場合は、ペットショップに引き取ってもらい、商品価値があるものはショップで売られ、奇形など販売できないものは肉食魚の餌になっている。僕が持って行った魚たちは、一般の人によく売れるらしい。
 ともあれ、僕は絶対にトイレに流したりはしないが、実際に数千匹の稚魚を持ってみると、トイレに流す人の気持ちも理解できないわけではない。それは厳密に言うと、金魚をトイレに流すことが理解できるのではなくて、たとえ生き物であっても時には物としてみなければならないことがあるということ。
 昔、水産大学出のある方から、養殖場での魚の扱いに関して、
「魚を、命ではなくて物か食品だと思わないと、とてもできる仕事ではないよ。」
 と言われて、
「それは言い過ぎだろう!」
 と少々腹立たしく感じたのだが、金魚を大量に飼ってみて、なるほどなぁと痛いくらいに思い知らされるのである。
 そんな時に、生き物を虐待している!とヒステリーを起こすような人は、恐らく、自分で大量の生き物を扱ったことがない人だろう、と思う。
 金魚をトイレに流すなんて絶対に許されないと思っていた僕も、今は、むしろ川に放すことの方が許しがたい。自然の川の中に人が手を加えた生き物を放すことは、、それが原因で何が起きるかわからないのだから誰か一人の問題ではないし、控えなければならない。
 いやいやそれにしても、大量の生き物を扱うこととは、なんと大変なことなのだろう!

 

2009.6.12(金) スッキリ!


CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 金魚の卵の連続撮影が無事終了。魚の卵のこの手の撮影は非常に手間がかかるので、無事に終わると、盛大に打ち上げでもしたくなるくらいにホッとする。
 魚の場合、昆虫などと比較するとよりたくさん卵を産む代わりに、卵にかびて死んでしまうような確率も高い。卵にカビが生えるのと、稚魚が出てくるのとどちらが早いか?というような側面がある。
 だから、連続撮影の途中に卵が死んでしまい、すべてを1からやり直し、といったケースが多々ある。
 また、孵化の瞬間は、虫などに比べるとごく短時間であり、これまた油断ができない。場合によっては、シャッターチャンスは1秒以下なのである。
 さて、金魚の卵の撮影が終わったことだし、気分転換に、水たまりの中をのぞきに行ってみるか!


RICHO GX200

 

2009.6.11(木) 楽園


CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 一昨日の卵の中に、もう魚の形ができているのだから、凄いなぁ。わずか2日ですよ!
 もしも僕らが、魚が卵から生まれることを知らずに魚の卵を観察し、生き物がみるみるうちに形作られる様子を見たなら、それは、感動というよりは薄気味悪いのではないかろうか?
 特に、受精〜1日くらいの間の変化は大きく、頭の中を空っぽにして無心になって観察していると、まるでエイリアンの映画でも見ているかのような錯覚を起こすことがある。
 不思議としか言いようがないし、少なくとも、僕の脳では、理解したり納得することはできそうもない。


CanonEOS5D EF300mm F4L IS USM

 金魚の卵の撮影の合間を縫って、一昨日は知人の畑へ、昨日は、カタツムリを探して歩いてみた。
 ある神社に、ツクシマイマイという、僕がいつも撮影しているカタツムリの楽園があった。雨の日にそこに行くと、20〜30匹位のツクシマイマイを、あっと言う間に採集できた。
 ところが昨年あたりから、その場所に放置して積んであった石(墓石かなにか)や、辺りに茂っていた下草や落ち葉や枯れ枝の片づけが始まり、そこはきれいになったが、僕のカタツムリの楽園も、一緒になくなろうとしている。
 恐らく多くのカタツムリは、枯れ枝やその他と一緒に運びされてしまったのだろう。残るは、そこにある大きなクスノキの上にいたものだが、ツクシマイマイにとって、樹上と地表付近とはセットで生活に場になっているはずだから、さらに片づけが進めば、やがてはもっと数が少なくなってしまうに違いない。
 さみしい。
 これがカタツムリではなくて、フクロウの仲間のアオバズクか何かだったならなぁ。申し出をして、あたりをそっとしておいてもらうこともできるだろうが、カタツムリでは、まず理解してもらうことはできないだろう。


CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM

CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM

 楽園と言えば有名な写真家・三好和義さんのテーマだが、同じ楽園でも僕の楽園は・・・。

 

2009.6.10(水) 畑へ


CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE

CanonEOS5D EF100mm F2.8 マクロ USM

 僕は、物心ついた時から生き物が好きだったのだが、父はむしろ生き物が嫌いだったから、武田家では、生き物に思う存分のめり込むことは許されなかった。
 ただ、父は学問好きなので、生物学なら許された。
 そこで僕は、やがて生物学へと進学をすることになる。が、それは高校を卒業する段階の話であり、幼少期には、家に仕事の関係で出入りしておられる釣り好きのTさんがいろいろな川へと連れて行ってくださるのが、唯一、思う存分に自然にのめり込める時間だった。
 もしもあの時間がなかったなら、僕はもしかしたら、今生きてはいないのではないか?とさえ思うことがある。

 さて、昨日は早朝に金魚の採卵をし、卵をしばらく撮影したのち、そのTさんが趣味で作っている畑へと、ある生き物を観察するために行ってみた。
 趣味の畑なので完全無農薬。しかも化成肥料は一切なし。作物は虫食いだらけであり、本に書いてある通りの害虫が、本に書いてある通りの植物に見事についている。
 畑のところどころには水が貯えてあり、その水の中には、蚊が湧かないように、と金魚が飼育してあるが、一方で、金魚に与えるため、とバケツに水が入れられており、ボウフラが発生している。
 要するに、魚も飼ってみたい、ということなのだろう。
 趣味と言っても広大な土地であり、金魚は、そこに作られた大きな貯水槽の中で勝手に増えているのだそうだ。

 

2009.6.9(火) 人工授精


CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 大潮の日。予定通りに金魚が産卵。
 
 金魚の元になった生き物はフナ(中国産)だが、金魚ほど、いろいろな品種が作り出された動物は、他には犬くらいしか存在しないのではなかろうか?
 あの地味なフナに、それだけの可能性が秘められていたのだから、生物の遺伝という現象は、なんと興味深いことなのだろう!
 それにしても、なぜフナが?
 その答えの1つに、もしかしたら、人工授精というテクニックの存在が挙げられるかもしれない。
 実は金魚の世界では、当り前に人工授精が行われており、少々強引に子供を作ってしまうのである。
 そして今日の画像の卵も、その人工授精によって得られたものだ。
 
 人工授精のテクニックは、おそらく、ある種の他の魚でも使うことができるだろう。
 たとえばメダカ。
 メダカは小さいし、春〜秋にかけては毎日卵を産むから、無理をして人工授精をする意味は一般的にはないだろうけど、卵の撮影をしたり研究をする場合などには、大変に有効であるに違いない。
 僕が日ごろ大切にしているのは、そうして何か1つのことを徹底してやりながら、他の多くのことにも通用する何かを見出すことだ。

 

2009.6.7〜8(日〜月) 未熟


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 6/1日撮影

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 6/8日撮影

 今日の2枚の画像は、全く同じ縮尺で撮影した金魚の稚魚。わずか一週間でこんなに大きくなるのだから凄いなぁ!
 ようやく金魚の撮影に目途がつき、自宅をあまりあけられない状況から解放され、梅雨明け前後からは、いろいろな場所へと出かけることができそうだ。
 それを想像すると、つい顔がにやけてしまう。

 目途がついた、といっても大半の撮影はこれからであり、どう撮影すべきかが定まったに過ぎない。だが、撮影で一番難しいのは、方針が定まるまでだと思う。
 金魚に至っては、昨年から他の大半の仕事を犠牲にした上で撮影を始め、2年目にしてようやくどう撮るべきかがわかってきたのだから、ずいぶんたくさんの時間を投資したものだ。
 が、水槽を使用した撮影のテクニックは、もういや!というほど勉強することができたし、少なくとも、一年前の自分はお粗末そのものだったし、それだけの時間がかかって当然だった、と今は思う。
 今度は、金魚の撮影で身につけたものを流用し、他の生き物を電光石火のスピードで撮影し、今回投資した多くの時間を取り戻す、いや、利息をつけて返してもらう予定だ。

 未熟だったこととは・・・
 例えば、写真が最終的に本の中で使用される際のデザインや編集が、よく頭に入っていなかった。
 具体的には、今日2枚の画像は金魚の稚魚が成長していく様を見せているのだが、写真を撮る人なら、上の魚をもっと大きく撮影したくなるだろう。
 だが、実際にそれを大きく撮影してしまうと、編集を担当する人が、これらの魚の大きさをイメージできにくくなるし、実際に、そうして大きく撮影してしまった写真を編集者にお渡しした際に、あとから、
「これは実際には何センチくらいの大きさなのですか?」
 と尋ねられることがある。
 数枚の写真を並べ大きさの比較をするような場合、撮影の段階で縮尺を揃えておき、大きいものは大きく、小さいものは小さく撮影した方がいい場合がある。
 そんなことは、写真学校などを出て商品撮影などをしている人には、恐らくイロハのイ程度の常識なのだろうけど、その程度のことが僕にはまだまだわからないのだ。

 

2009.6.6(土) マナー

 先日、町を歩いていたら、前から火がついたタバコを持った男性が歩いてきた。
 狭い歩道ではあるし、危ないやつやなぁ!実に怪しからん!と思ったら、その人が急に立ち止まり、あたりに放置してある自転車をきれいに並べ始めたことには驚かされた。
 通りの向こう側から、足が不自由なお年寄りが歩いてきたのだった。
 恥ずかしながら僕は、自転車を整理整頓しようとは、少しも思わなかった。邪魔と言えば邪魔だけど、お年寄りが歩けないほどではなかったから。

 そうだよね!
 人それぞれ、大切にしていることのつぼが違っていて、ある面ではマナーが悪いとされる人も、別の面では、とても温かい人かもしれない。
 僕の頭に思い浮かんだのは、ある自然保護活動のことだった。
 たばこのマナーが悪くても、他の面ではどうだかわからないし、何か1つのことで、誰かの人間性を測ることなど、できるはずもない。
 野生の草花を盗掘してかえるような人でも、別のところではとても優しい人かもしれないし、僕の知人の中にも、生き物の撮影の際の自然に対するマナーはあまり良くないのに、相手が人の場合は、大変に礼儀正しく、思いやりが深い方がおられる。
 人間って、そんなもんだよね。
 自然を相手にしていると、自然に対するマナーでもめごとが起きる。
 そして、マナーはマナーで大切なことだし自分の意見を主張するのはいいとしても、それで特定の人の名前を上げ、人格を否定するかのような攻撃をする人も、また論外か、本末転倒ではなかろうか。
 生き物を守るなどという大義名分がある場合、特にその手の攻撃が激化しやすい。
 僕は、真面目人間があまり好きではないのだが、真面目な人間ほど、しばしば原理主義者であり、恐ろしいのである。
 僕は、少々崩れている人が好きだ。
 
 

2009.6.4〜5(木〜金) お手本

 家族が手術をすることになり、今朝は、応援をするために病院へ行ってきた。
 手術をすることは先月すでに決まっていたのだが、それが終わらなければ、待っている僕らも、何をしていても完全には心が解放されない。
 一番大変なのは手術を受ける本人である。
 それが、僕にとって何よりもつらい。
 誰がどれだけ心配しようが、本人に比べれば・・・。たとえ家族であっても、その苦痛や大変さを分け合うことはできないのであり、そういう意味では、本人が孤独になっているのである。
 人間って、やっぱり孤独な存在なのかな。
 親ってありがたいな、と思ったのは、病気になった姿を見せてくれることだ。
 僕も、普通に考えれば、いずれ病気で死んでしまう確率が高いが、病気になった時にどんな風に振舞うのか、それを自らの姿で見せてくれたことだ。
 中には、鳥越俊太郎さんのように、自らの闘病を見せてくださる方もおられるが、こればかりは、やはり身近な人間でなければ、お手本にはできにくいのである。
 
 さて、ただ待っているだけだったのだが、心底疲れた。昼ごろに事務所に戻り、最低限しなければならない仕事を終えたら、何もできなくなった。
 頭が恐ろしく疲れているので横になり、しばらく眠って回復させようと思うのだが、妙な緊張があり、なかなか寝付くことができなかった。
 やがていつの間にか眠りにおち、目が覚めた後で少しだけ写真を撮ることにした。

 昨年意外に時間を食い、しかも結果があまり良くなかったのが、家で生まれた金魚たちのポートレート撮影である。
 何が難しかったのかというと、金魚は屋外で飼育しなければ発色が悪くなるのだが、屋外で飼育している金魚は人を見慣れていないから、水槽に入れると人を恐れあまり泳がなくなり、撮影に異常に時間がかかってしまうことだった。
 そこで今年は、撮影スタジオの中に金魚を馴染ませるための準備水槽を設置し、そこにまず5匹の魚を入れ、餌を数日与えて、人を見ると、餌をねだってと狂喜乱舞して泳ぐように調教することにした。
 今日はそのうちに2匹を撮影用水槽に移し撮影し、撮影が終わった2匹は屋外に戻す。
 残りの3匹は、人が餌をくれることを覚えているからそのまま準備水槽に残しておき、そこに新たに屋外から2匹の新入りを加えると、3匹の先輩が見本になり、餌を比較的短時間で覚えてくれる。
 できれば、合計で50〜100匹くらいの、いずれも武田家生まれの金魚たちを撮影する予定だ。
 昨年は1匹の金魚の撮影に最低20〜30分はかかったのだが、金魚が人に慣れてさえいれば、いいポーズのオンパレードであり、撮影は一匹あたり5分もあれば十分。
 わざわざ撮影の時間を設けなくても、隙間の時間に撮影することができるだろう。
 

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 

2009.6.3(水) 得


NikonD2X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF) 2007年2月撮影

 撮影した画像をパソコン上で処理して仕上げるのは、撮影直後のまだ感動が残っているときに限る。「あ〜撮れた撮れた、やった〜嬉しい!」という余韻が残っている間に、丁寧に丁寧にその画像の仕上げをする時間は、僕にとって大変に豊かな時間だ。
 ところがそのタイミングを逃すと、今度は一転して、画像処理は大変に苦痛な時間になる。
 さて、ふと気づけば、何となくハードディスクに貯め込んでしまった画像は100G以上。
 100Gと言えば、いつもなら手をつける気にもなれない莫大な量だが、昨日〜今日にかけては、まるで人が変ったように気合いが入り、それらの画像の整理が快調に進んでいる。
 物事は、やる気がある間に、楽しく一気にやってしまうに限る。どうせ同じことをするのなら、絶対に楽しい方が得。今年は、そんな得を徹底して追求しようと思う。
 
(写真撮影の話)
 自然写真で一番大切なものの1つに、生き物の表情がある。
 同じように飛翔中の鳥の写真を撮影しても、ある写真には躍動感があり、またある写真は、躍動感がない。
 それは、たいていの場合、撮影テクニックや表現方法の問題ではない。だから例えば、テクニックを駆使して鳥の翼をわざとぶれるように撮影しても、そんな小細工で、写真に躍動感が出るというものではない。
 では何の問題なのか?というと、10中8、9、シャッターチャンスである。
 人間にも表情があり、人の顔写真を100枚撮れば100枚違った顔が写るように、生き物の姿にも表情があり、いい表情の時にシャッターを押すことが肝心なのだ。
 シャッターチャンスさえ的確なら、鳥の羽がぶれていようが、完全に静止していようが、どちらにしてもそれなりの躍動感が感じられ、それなりに魅力ある写真になるものだ。
 氷の上から飛び立つカモだって、足のかかとが浮いているのと浮いていないのとでは全然躍動感が違うし、かかとが浮いている瞬間はカメラで連写をすれば写るというものでもないし、僕は、一枚だけシャッターを押すことで、その一瞬を的確にとらえることにこだわる。

 

2009.6.1〜2(月〜火) ここぞ!という時に


CanonEOS30D EF300mm F4L IS USM 2007年2月撮影

 日頃の行いが悪いからか、はたまた単なる被害妄想なのか、僕は、撮影中のここぞ!という時に、カメラのバッテリーが不足したり、画像を記録する記録メディアが満タンになるなど、撮影ができなくなることが多いような気がする。
 そして昨日は、とても忙しいというのに、そんな日に限って、撮影した画像をバックアップするためのパソコンのハードディスクがいっぱいになり、パソコンでの画像処理ができなくなった。
 そこでディスクを調べてみると、古い未整理の画像が結構な量を占めていることが分かり、急遽、撮影〜画像処理を中断し、画像の整理に励んだ。
 特に、未整理のまま多く貯め込んでいるのが、水鳥の画像だった。水鳥は、一ヶ月くらいの期間、車で寝泊まりしながら撮影しているので、毎日まめに画像の整理をすることができないし、貯め込んでしまう。
 
 水鳥の羽毛のアップと言えば、ちょっと前に友人のホームページを見ていたら、青空をバックにそびえ立つ、けわしい冬山の山頂が紹介されていた。
 へぇ・・・いつの間に、こんな山に登ったんやろう?それにしても、これは厳しい山やなぁ、と説明文を読んでみたら、実は写真に写っていたものは山ではなくて、冬の北海道で除雪をされた際にできた雪の山の小さな頂きだった。
 その画像だけを見れば、エベレスト級。
 だがそれはギャグではないし、見る人を騙そうとしているわけでもなく、除雪された雪の山に登りながら彼が思い描いた妄想を写真で表したものなのだろうと思う。
 その彼と一緒に写真を撮ると、彼がいつも、妙な部分のアップや、訳の分からないものばかりにカメラを向けることに驚かされ、こんな世界があるのか、と気づかされる。
 が一方で、その手の写真は、妄想力豊かな才能に恵まれた人間が撮るべきものなのだと思い知られるし、凡人である僕がすべきことではないと思い知らされた。
 僕は次第に、そうした特殊な感性が要求されるシーンにはカメラを向けなくなった。
 が、以前撮影した画像を改めてみると、生き物の部分を切り取った写真の中に、多少は見られるものがあることに気付いた。
 やっぱり、何事も決めつけずに、まず練習。僕も、訳わからないものにも、カメラを向けてみようではないか!
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2009年6月分


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