撮影日記 2009年4月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2009.4.30(木) 季節感と言えば


CanonEOS5D EF24-105mm F4L IS USM

CanonEOS5D EF24-105mm F4L IS USM

CanonEOS5D EF24-105mm F4L IS USM

 高校の美術の時間に、校外出かけてスケッチをし、その後、生徒たちが描いた絵を先生が一枚ずつ評価しながらみんなに見せる、という授業があった。
 美術の先生は、筑豊を代表する画家・赤星月人先生。
 そのスケッチの評価の時間に、友人のY君の絵が、先生から絶賛された。
「民家の屋根の瓦の細密さがいいですね。それから、鯉のぼりが描いてあるのが季節感があって非常にいい。」
 と。Y君と同じクラスだったのは高校一年の時だから、入学して間もない高一の、ちょうど今頃の季節だったのだろう。
 
 僕は、先生がおっしゃる、鯉のぼりが描いてあるのがいいというのが、イマイチ理解できなかった。なんだか、とても理屈っぽいような気がしたのである。
 絵画というのは、鯉のぼりが描いてあるから季節が分かる、というような情報や知識が重要なのではなく、デザイン的に、視覚的に優れていることそこが大切ではないのか?と。
 今は、赤星先生がおっしゃったことも分かる。写真の仕事だって、季節感は大変に重要な要素だから。
 でも心のどこかに、未だに分からない、という思いもある。それでも、絵画って視覚的に、理屈抜きに人の心を動かせるかどうかが重要なんじゃないですか?と。

 赤星先生は、すでに亡くなられているが、亡くなる1年くらい前だっただろうか。僕の父と顔を合わせる機会があったらしく、その時に父から、
「赤星先生の口ぶりからして、君に会いたそうだったよ。」
 と聞かされた。赤星先生は、僕が写真を撮っていることを知っておられた。
 その時にお会いして、疑問に感じたことなど、聞いてみれば良かったのかな。
 
 写真も、僕は、視覚的に訴える力があるものが好きだ。
 例えば、生き物の写真の場合なら、ある一枚の写真を評する際に、
「この写真には、生き物の背景に、その生き物が生息する環境がちゃんと写っているから、いい写真です。」
 というような評価を時々耳にするが、僕にはそれがあまりよく理解できない。
 背景に写っているその環境が、人の心を視覚的に動かすことができる何かを持っているのなら、その写真は素晴らしいと思うのだが、ただ環境が分かるというような理由でそれがいい写真だというのは、どうもピンとこないのだ。
 絵画も写真も、僕は、単なる情報ではないような気がする。僕にとって映像や絵画は、理屈では伝えられないもの(臨場感なのかな?)を伝える手段なのだ。

 

2009.4.29(水) 水中と陸上の違い

NikonD3X Ai AF Micro-Nikkor 60mm F2.8D

 水辺の生き物ではないが、テントウムシにカメラを向けたことは、僕にとってとてもいい勉強になった。恐らくここ4~5年で、写真に関する勉強の時間としては、最も内容が濃かったと思う。
 水辺の生き物の場合、中でも、特に水中の生き物は、静止という状態を持たない物が多い。例えばフナやメダカだって、カメラを向けてみると彼らはいつでも動いていて、同じ写真を2枚撮ることができにくい。
 ところが、テントウムシのような陸上の昆虫は、時には枝や葉にくっついたまま全く動かないこともあるし、脱皮や羽化の際には、体の一部を枝葉に固定する。
 すると写真家としては、照明器具の位置をセンチ単位で調整してみたり、照明と被写体との距離を変えてみたりと細工を施しやすい。
 なるほどなぁ。昆虫の写真家に飛びっきり照明が上手い方がおられるのは、そんな訳なのか!
 その点、昆虫と同じ節足動物でも、水中のアメリカザリガニなどは脱皮の際にも体を固定しないし、脱皮の直前まで歩くし、センチ単位で細かに照明の具合を調整することなどはほとんど不可能だ。
 その結果、アメリカザリガニを撮影する際の照明はおおざっぱになるし、そうなると、細かな照明の使い方をなかなかマスターできない。

 だがその代りに、水中の生き物には、常に動く面白さがある。
 たとえば金魚にカメラを向けると、尾がひらひらと舞い、そこに表情が生まれる。僕は水辺をテーマにした結果、照明はおおざっぱに手堅く、でも、必ず動いているシーンにカメラを向けるようにして、その動きで写真に表情を生み出すような習慣がついた。
 先月から、何度かナナホシテントウの写真を紹介しているが、茎にとまっているように見える写真でも、実は、茎をトボトボと歩いている間に撮影したものであり、すると足に表情が生まれるし、僕のこだわりはそこにあった。
 僕はそこから逆算し、カメラやレンズや照明や撮影の手法を決めて撮影に臨んだ。

 さて、昨日はちょっとした撮影を依頼されたのだが、それがなかなか撮影できなかった。
 問題は、被写体に写り込む照明の反射だった。
 たとえば、醤油が入ったガラス瓶などを撮影すると、醤油の黒い部分に照明器具の反射が写る。
 その反射が映らないようにするためには、どうしたらいいのだろう・・・大まかなことは分かっているのだが、具体的なことはあまり経験がない。
 昨日は結局一日がかりで方法を考え、1シーンの写真を撮った。
 今日は、昨日考えた手法をより確かなものにするために、前日の復習として、たまたま見つけた黒いテントウムシの写真を撮ってみることにした。
 照明を工夫してその反射が写らないようにすると、その代償として、写真の色が鈍くなってしまう。
 だから、色なのか、反射がないことなのか、そのどちらかを選ぶ二者択一になるが、テントウムシの写真の場合は、幼児向けの本の中などで模様を見せるようなケースが多いだろうし、そこに照明の反射が写ると、それを幼児が模様だと間違えてしまう危険性がある。
 だから、色を犠牲にしても、反射がない写真を撮る価値があるケースになるだろう。
 技術的には、反射を消すと、撮影が少々大がかりになる。
 そして、テントウムシを殺して標本にすれば、その大がかりな撮影も簡単だと思うのだが、僕のこだわりは動きにあるので、生きたままのテントウムシが、足を1、2、1、2と動かしている間に撮影しなければならない。
 ともあれ、被写体に写る反射を消すとか、そうした面倒で細かな技術を覚えることは、水中の生き物では大変に難しいのである。

 

2009.4.28(火) お知らせ

 今月の水辺を更新しました。

 

2009.4.25~27(土~月) 検査

 ちょっと前に検査で発覚した膵臓炎は、どうにもならないようなひどい状況ではないが、その後も、なかなか完全には治まってくれない。そこで、ふと、他にも病気があるんじゃないか?と思い、今日は胃のレントゲン検査をしてもらうことにした。
 検査の前に、
「胃の透視をしたいのなら診ておくけど、胃の検査は必要ないと思うよ。」
 と言われてはいたが、検査の結果はその通りで、全く問題なし。
 僕の場合は、膵臓に持病があるのと、腸が敏感過ぎる傾向にあるようだ。
 胃のレントゲン検査をする際にはバリウムを飲むことになるが、通常そのバリウムは翌日や翌々日に、白いうんことして出てくる人が多いようだ。
 ところが僕の場合は、バリウムを飲んで40分後には、もうそれが出てきてしまった。
 口から入った物がわずか40分でうんことして出てくるなんて、自分の体ながら信じられないのだが、そんな状態が、腸が敏感な状態になるのだそうだ。
 
 検査と言えば、小学校時代の同級生の滝村君が、癌で病死していたことを知った。
 滝村君とは、同じクラスになったことはないのだが、一度喧嘩をしたことがある。
 何がきっかけだったのかは覚えていないのだが、
「お前なんか、カッターでちょん切ってやる。」
「おう、切れるものなら切ってみろ。」
「本当に切るぞ~。」
「おう早く切れよ。」
 とみんなの前でやりあってしまったのだ。
 僕も滝村も、みんながいたので引っ込みがつかなくなっていた。
 仕方がないから、僕が、カッターの歯で軽~く滝村君の腕をなぞったら、滝村がポロリと涙を落した。
 滝村は、かなりのやんちゃ者だった。
 中学に進んでも、悪どもの中でも一目置かれる存在だった。
 そのやんちゃな滝村が、カッターの刃で極々軽くなぞっただけで涙を流したのだから、それを思うと、近頃の子供が子供を刺すというような事件は、何と凄い事件なんだろうと思う。
 それはともあれ、そんなことがあっても、滝村君の両親がうちに怒鳴り込んでくるようなことはなかったし、むしろ、
「うちの子も悪いことばかりしとるのは、よう分かっとりますから、気にせんどいてください。」
 とお父さんは言ってくださったのだそうだ。
 その後は、滝村とは仲良くしたし、特別な思いがある同級生の一人だった。
 滝村君は、奥さんと子供を残して死んでしまったのだそうだ。
 何だか、とても悲しい気持ちになった。
 生まれてきた者全員が、天寿をまっとうできる訳ではないことくらい、よく分かっているつもりなのだが、理屈抜きにさみしいのである。

 

2009.4.24(金) 湧水

 ある方が、ある本の中で、僕の写真について書いてくださった。
 僕のホームページを見たら、生き物の写真家のホームページにありがちな珍しい生き物のオンパレードではなくて、ありふれた身近な生き物のことがとても細かく紹介されていたと。
 人に改めてそう書かれると、初心が思い出されて、ハッとさせられた。確かに僕は、そんなことを強く意識しながら写真を撮ってきた。
 アマガエルにしても、カタツムリにしても、日本で一番細かく写真を撮るつもりでカメラを向けてきたし、それを他の生き物の撮影に応用してもみた。
 ただ、それは先輩方が切り開いた世界を真似たものなので、今度は、自分のものの見方を表し、それで同じように何かを感じてもらえるように頑張ろうと思う。
 僕はここ数年、生物学に地質学的な要素を加えた世界を表してみたいと試行錯誤している。それが僕が考える環境である。
 環境に注目した場合、どうしても欠かせないのが、そこに暮らす人たちの姿だ。
 僕は、時々仕事で人物の写真を撮るが、それらは大抵モデルを選び、その人にこちらが指示をして写真に写ってもらったもの。例えば、僕が決めた場所で子供に生き物の世話をしてもらい、その写真を撮る。
 つまりそれは一種のやらせであり、何かを再現したものであり、事実というよりは、イメージになる。
 だが、環境に注目して写真を撮る場合は、そこで表現すべきはありのままの人の暮らしであり、あくまでも事実を写さなければならないから、同じ人物の撮影でも随分内容が違ってくる。
 しかも人物の場合、相手に気付かれないように盗み撮りをした写真を発表するわけにはいかないから、相手に同意を得た上で、自然に写真を撮らなければならないのが難しいところ。

 さて、僕が数年にわたって取材を続けている湧水池の周辺には、小さな湧き水が多い。この場所では石垣の隙間から水が出てきて、そこが川の始まりになっている。


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

 この日は、学校が家庭訪問のため早く終わったらしくて、湧水がある場所には、決まって子供たちの姿があった。
 カメラを構えてあたりの景色を撮影していたら、
「すいませ~ん。」
 とその子供たちに呼ばれた。
 何事かと思って行ってみたら、
「写真を撮ってください。」
 と。
 辺りの子供たちは、朝通学の途中などは、当り前のように、
「おはようございます。」
 と挨拶してくるし、当り前のように話しかけてくる。だから、以前にも何度か子供たちの写真を撮ったことがある。
 そんなことも考慮に入れて、僕はこの場所を写真のテーマに選んだのだ。
 もっとも、子供たちが、「撮って」とせがむ写真は、並んでピースをして写る記念写真なので、とにかくみんなが満足するまでは、それに付き合わなければならない。
 その後、子供たちが水遊びをする様子を撮影させてもらった。


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

 夕方5時を過ぎたら、みんな帰宅しなければならない。
「さようなら~。」

 

2009.4.23(木) 鮎


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM

NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

 水辺の生き物は、淡水であっても潮の満ち引きの影響を受ける種類が多い。特に、大潮の日にはいろいろな出来事が起きるから、水辺の写真家としては、大潮は重要な日になる。
 メダカは通常オスメスがそろっていなければ卵を産まないのだが、以前、飼育中のメダカが、メスだけで卵を産んだことがある。余程に卵を産みたくなったのだろうと思うが、それも大潮の日だった。
 
 大潮と言えば、5月は8、9、10、11日と23、24、25日あたり。6月なら、6、7、8、9日と21、22、23、24日あたりになる。
 こうして書くと、潮を考慮に入れてもたくさんの撮影のチャンスがあるように思えるが、実際には、写真の場合は太陽の光の位置が重要なので、その2つの兼ね合いを考えると、本当に撮影に適した日は月に1~2日。
 さらに、天候の具合もあるから、撮影チャンスはもっと少なくなる。
 
 さて、アユは、大潮の日の満潮を少し過ぎた頃、潮が引き始めるタイミングで川を上るようだ。
 だからまず、アユが遡上する季節の大潮の日をリストアップし、さらに満潮の時間を考慮に入れ、さらにさらに、その満潮の時間が撮影に適した太陽の位置になるような日を選び出す。
 最後に、その前日に翌日の天気予報を見て、それが晴れならば撮影に出かけることになる。

 

2009.4.22(水) 草むら


CanonEOS5D SIGMA15mm F2.8 EX DG DIAGONAL FISHEYE

 事務所の裏にある駐車場は、管理者がほとんど何の見回りもせず、いつも草がぼうぼうに生えている。だから、そこから雑草がぐんぐん広まり、辺りの路地のうちの一部は、夏になると人が通れないほど。
 このあたりは区画整備にひっかかっているからだろうか、この駐車場は、アスファルトで舗装する予定はなさそうだ。
 草むらには、カラスノエンドウが生えており、そこにはアブラムシがくっついていて、僕が現在飼育中のテントウムシに与えるアブラムシは、この草むらで採集したものだ。
 そしてもちろん、草むらには点々とテントウムシの姿がある。

 協調性に欠ける僕は、地域の人たちが集まって、みんなで草刈りをするなどというのは御免だから言い訳っぽくもあるが、草むらも、少しくらい残しておいてもいいじゃなか、と思う。
 ヨモギなどは、路地のアスファルトに根を張り、しかも大きくなるから、それを引っこ抜くとアスファルトが剝がれてしまうし抜かざるを得ないと思うが、カラスノエンドウとかカタバミなどの植物は生やしておいて欲しいのだ。
 
 

2009.4.21(火) 交尾


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 交尾と言えば、いつだったか、どこだったかも忘れてしまったのだが、僕が、
「○△の交尾」
 と口にしたら、その場におられたおばさま(だったと思う)が、
「私は交尾という言葉が恥ずかしくて、口にできません。」
 とおっしゃった。
 僕は、むしろ、そのおばさまがおっしゃったことの方が恥ずかしかった。いったい何を想像しておられるのだろう?スケベなおばさまだなぁ、と僕は感じた。

 さて、 テントウムシに関する主なシーンをリストアップして、それを1つずつ撮影してきたが、だいたい主な撮影が終わった。
 テントウムシの撮影に関しては来年も続ける予定だが、今年は主に飼育をしながら撮影し、来年は、野外で自然状態のものを中心に撮影する予定だ。
 カタツムリやアマガエルの撮影の時もそうだった。
 最初は飼育をしながら、そして主なシーンの写真がそろった後は、今度は自然状態で撮影を進めた。
  楽しいのは、言うまでもなく野外での撮影だが、最初の一年間はとにかく我慢をすることにしている。
 飼育をしながら写真を撮ると、飼育は実験のようなものだから、その過程でいろいろな疑問がわいてくる。そして、それを野外で観察によって解明するのは、なかなか楽しい時間になる。
 今日は、まだ撮影ができていなかったシーン、テントウムシの交尾にカメラを向けた。
 それにしても、数日テントウムシにカメラを向けたら、テントウムシが生息するそこらあたりの草むらが、いままでとは違って見えるようになった。
 大量に群れたアブラムシが妙に愛おしくなるし、そのアブラムシがつきやすいカラスノエンドウが、より一層美しく見える。
 些細なことではあるが、日々の暮らしが随分豊かになるような気がする。
 写真って面白いなぁ。
 

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 ナナホシテントウムシの写真には結構なニーズがあるようだが、その人気には、成虫のデザインが可愛らしいと理由があるだろうと思う。
 だがその実は、ナナホシテントウはかなり獰猛なハンターであり、成虫も幼虫も、アブラムシにかぶりついて次々と食べてしまう。
 うちで飼育していたテントウムシの卵が孵化をし、小さな幼虫が出てきた際に、僕は、その口に入るくらいの極小のアブラムシが必要なのではないか?と考えたのだが、とんでもない。
 幼虫は自分のサイズとあまり違わないような相手にかぶりつき、食べてしまった。
 考えてみれば、水辺の肉食の生き物には、巨大な相手にかぶりついて食べてしまうようなものは少ないような気がする。
 例えば魚なら、孵化をしたばかりの小さな稚魚を育てるためには、その口に入るサイズの餌を確保してあげなければならないし、稚魚のサイズが小さくて、口に入る大きさの餌が確保できにくい種類は、飼育の難易度が高いとされている。
 
 

2009.4.20(月) 撮影機材の話(2)


2月の屈斜路湖にて
NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF) 

 ここのところ、大変に気に入って使用しているニコンのデジタルカメラ・D3X。
 高価な道具なので、当初は買うかどうかを随分迷ったが、僕はこのカメラを5年間使用するつもりで手に入れた。
 すると、うわさ通りに大変に高性能なデジタルカメラであり、描写にこだわるのなら、買って損はない道具だと感じている。
 僕は、フィルムを使用していた頃は645判のカメラで大半の仕事をこなしていたので、ペンタックスから645判のデジタルカメラが発売されたなら、発売日に手に入れるつもりでいた。ペンタックスは、それを100万円以下で発売したい、とアナウンスしていたし、100万円はいつでも使えるように準備していた。
 ところが、その645判のデジタルカメラがなかなか発売されないので、そのお金でD3Xを購入したのだ。
 ただ、その性能をフルに引き出すためには、さらなる投資が求められることが分かってきた。このカメラを使いこなすためには最新のレンズが必要だと感じている。
 デジタルカメラが高性能になるにつれて、レンズも最新の高性能なものが必要だと言われるようになったが、僕はそれを、つい最近まで、少々大袈裟すぎると感じていた。
 が、D3Xに関しては、本当に最新のレンズが必要だと思う。いろいろとテストをしてみたのだが、D3Xに下手なレンズを取り付けると、今や中古なら10万円台前半で買えるキヤノンのEOS5Dよりも画質が悪い場合がある。

 問題は、その最新のレンズが、AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G ED にしても AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED にしても、非常に高価なこと。
 このところは、ふと気がつけばニコンのレンズのカタログを見つめ、
「最新のレンズを買おうか・・・」
「いや、ちょっとお金を使い過ぎているので、まだ止めておこう・・・」
「いや、円高の間に韓国のお店あたりで買っておいた方が得ではないか・・・」
「いやいや、韓国から通販で買うのは、ちょっと怖い気がする・・・」
 と慌ててカタログを閉じる日々が続いている。

 

2009.4.19(日) 撮影機材の話(1)


2月の屈斜路湖にて
NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

 1~2月にかけての水鳥の取材の行きがけに、山口県でいったん高速道路を下り、仲間が働いているカメラ屋さんに立ち寄った。
 購入したのはニコンのレンズで、VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)。
 するとそのレンズは大変に便利で役に立った。恐らく僕が過去に購入したものの中で、最短の時間で元を撮ったレンズになった。
 価格は、確か新品で5万円強だったから高級品ではないし、むしろ安物の部類に入る。材質などもとても安っぽい。
 だから、購入前は愛着を感じるようなレンズではない、と僕は決めつけていた。 
 ところが使ってみると、材質が安っぽい分軽くて持ち運びが苦にならないし、使う機会が多くなる。そして使う機会が多くなると、当然いい写真がたくさん撮れる。
 その結果、安っぽいこのレンズが、いつの間にか僕のお気に入りに道具になった。
 つい先日も、このレンズで仕事をしてきたばかり。
 風景や人物の撮影をしている人には、お勧めできるレンズだと思う。

  

2009.4.17~18(金~土) 続・取材にて

 写真家だとか、カメラマンだとか、写真を職業にする人の呼び名は幾つかあるが、一般に、写真家と言えば、自分の哲学を表現しようとする人のことを指し、カメラマンと言うと、技術を切り売りしてお金に換えている人のことを指すように思う。
 当然、写真家が格上で、カメラマンは格下。
 だが実際のところは、一人の人間の中に写真家の部分もあれば、カメラマンの部分もある。
 例えば僕の場合、幼児向けの本の中で使用する写真の撮影を依頼されることがよくあるが、そうした場合、僕は、相手がこんな風に撮ってくださいと求める絵柄を撮影するわけだから、僕の役割はカメラマンになるだろう。
 少なくとも、僕にお任せという状態で撮影ができる訳ではない。もっとこうしてとか、もっとああして、などといろいろな指示を受ける。
 だが、ここ数年制作中の水辺の本に関しては、誰かに求められて写真を撮っているわけではないし、自分が自分の目で見て感じ、そして人に伝えたいと望むものを表そうとしているのだから、僕の役割は写真家になるに違いない。
 カメラマンの部分もあれば、写真家の部分もある。それは、何も僕に限ったことではなくて、恐らくほとんどすべての写真を職業にする人に当てはまることだと思う。
 だから僕は、誰かを、写真家だとかカメラマンなどと分けてしまうことを実にナンセンスなことだと感じるし、そんな風に分けられると思い込んでいる人は、むしろ、仕事としての写真について無知な人ではないかとさえ思う。

 さて、取材に同行するカメラマンとして出かけたことは書いたばかりだが、その手の仕事は非常に疲れる。自分がミスをすると、人に迷惑がかかる。
 歯車の一枚になる、というのは、なんと大変なことなのだろう。
 写真家と言えば尊敬され、カメラマンと言うと格が下がってしまうのは、今の日本の社会が、歯車の一枚となって働くことをどこか小馬鹿にしているからではないか?と僕は感じるのだが、とんでもない。
 僕は会社員になったことがないのだが、会社で、歯車の一枚として長期間に渡ってきちんと働ける人は、間違いなく尊敬に値すると思う。
 今回の取材では、2日間の間に約10枚の写真を撮影した。つまり、一日あたり5カットくらいの写真を撮ればいいのだが、5カットというのは実は結構な量であり、普段マイペースで撮影している僕は、ややスタミナ切れを起こしてしまった。

 

2009.4.16(木) 取材にて


NikonD3X AF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G(IF)

 僕は過去に何度か雑誌等のインタビューを受けたことがあるが、その時には、雑誌の編集者と一緒に撮影担当の方がついてきて、僕にカメラを向けた。
 僕の記憶が抜け落ちていなければ、取材に同行したカメラマンが使用していたカメラは、すべてニコンだった。
 今日は立場が変わり、僕が取材に同行するカメラマンとして、とある場所へとでかけたが、僕も今回の取材にはニコンのカメラを持っていくことにした。

 自分一人で出かける撮影の場合、もしもカメラにトラブルが発生して写真が撮れていなかったとしても、その時は運が悪かったと諦めるか、撮影のやり直しをすればいい。
 第一、今時のカメラは、滅多に故障するものではない。
 だが、自分が撮影に同行するカメラマンの場合、失敗は人に大きな迷惑をかけることになるから、カメラはトラブルが少ないことが大切。
 今回の撮影の場合、編集者は東京からお越しになり、しかも二泊三日。その交通費や宿泊費や労力を考えると、滅多にないとはいえ、
「ごめん、カメラが壊れてた・・・」
 とは言えないものだ。
 僕は今、ニコンとキヤノンのカメラとを主に使い分けているが、描写の繊細さに関してはキヤノンが一枚上。でも、あらゆる状況でちゃんと動くことに関してはニコンが上。
 だから、責任が大きい時にはニコンを手にしたくなる。
 それにしても、責任というのは、何と大変なことなのだろう!
 カメラからデータを記録したカードを取り出して、画像をパソコンにコピーし、それを最初に確認する瞬間の、まさかカメラが壊れてないよな・・・というあの緊張。
 そしてその後、また新たな撮影をするためにカードを初期化するのだが、その時一瞬心によぎる、本当にもうデータを消してしまって大丈夫か?という不安。パソコンの側に間違いなくデータがコピーされているかどうかを何度も何度も確認しなければ、どうにも心が落ち着かない。
 
 一方で、取材への同行には楽しみもある。
 まずは、本作りについて、編集者とじっくりと話ができること。
 それから、普段車に寝泊まりしている僕だが、宿に泊まることができること。
 宿には電源があるから、パソコンを何の不自由もなく動かしたり、明るい部屋の中でカメラの手入れをしたりできる。
 宿のこと以外にも、撮影以外の大半のことを人に任せられるのは、普段一人で仕事をしている者にとっては、大変な楽なことだ。

 

2009.4.15(水) 昆虫写真は忙しい


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 

CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 テントウムシの幼虫が蛹になるシーンを撮影し、一息つこうと思ったら、大きくなるための脱皮を間近に控えた幼虫がいることに気がついた。さっそく幼虫にカメラを向け、脱皮をするまで待ってみることにした。
 ここのところ、1つ撮影を終えると、すぐに次の写真を撮らなければならないケースが続いており、忙しくて、我を失いそうな感じだ。
 昆虫の写真家の気持ちが少々分かるような気がする。
「昆虫の写真を撮るのに忙しい。」
 、などといっても、恐らくほとんどすべての人には、その忙しさは理解できないに違いない。
 撮影しなければならない幾つかのシーンが、これから数日以内に繰り広げられることだけは分かっているのだが、それがいつだか分からないので、いつでも撮影できるようにしておかなければならず、人との約束ができにくい。
「付き合いが悪いなぁ。いいじゃないか、たった2~3時間くらい。」
 といった感じの方もおられるが、決して大げさではなく、時として本当にその程度のお付き合いができないのである。
 昨日は、夕食をどうしても買いに行くことができなかったので、人にお願いして届けてもらった。
 また時には、トイレに行くために席を外すかどうかで迷わなければならないのだ。
 

1. CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

2. CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 脱皮を控えたテントウムシの幼虫にカメラを向ける。
 照明の当て方で、写真の印象が変わってくる。
 1の画像は、幼虫を目立たせるために、幼虫の後ろの茎の輪郭に、照明で明るい部分を作りだした。2の画像は、その明るい部分をやや弱めたもの。
 茎にひかりの輪郭を作らなければ、幼虫と茎とが同化してしまい、幼虫が目立たなくなってしまう。 
 僕の好みを言えば、1は光がうるさすぎるように思う。
 が、2は、1の画像の状態から照明器具をわずか1~2センチ程度ずらしただけ。時には、照明器具の位置が1センチ違っただけで、写真が違ってくる。

 

2009.4.13~14(月~火) 営業とは


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 

 先日膵臓炎を発症し、その後体調がやや悪かったので、遠出の予定を取りやめにして、代わりに、あとで取り組む予定にしていたテントウムシの撮影を、先に片づけておくことにした。
 膵臓炎を発症すると、ひどい下痢をする。
 そして普通の下痢との違いは、お腹を下し便意を感じてから、それが我慢できなくなるまでの時間がとても短いこと。あっ、やばいんじゃないか?と感じてから2~3分後には、もう我慢の限界という時もある。
 つい先日も、とある水辺での撮影中に、腹具合がやばくなった。
 そしてトイレまで徒歩で3~4分の距離であったにも関わらず、それが間に合いそうもないので、野グソをせざるを得なかった。
 野グソが大好きという方もおられるようだが、僕は可能な限りトイレでゆっくりとことを済ませたいし、当然、そんな不安を抱えていては、撮影に集中が出来にくくなってしまうし、遠出を避けたくなる。

 一方テントウムシに関しては、ちょっと前に、
「水辺以外の生き物の写真も撮るのですね。」
 と言われたので、テントウムシの撮影は僕にとって仕事であり、営業であることは先日も書いた。
 営業というと、経済効率を重視することや、楽をしてお金を儲けるイメージを持つ人が多いようだが、そうではない。
 では、何が営業なのか?と言うと、それは人のニーズにこたえようとすることである。
 例えば、出版社で本作りを担当している編集者の方々が、こんな写真を使いたいよね!と望んでいるような写真を撮ること。
 また、僕のテントウムシの写真の場合は、恐らく幼児向けの本の中で使用されれることになると思うが、園の先生や保護者の方が、楽しく見せられるような写真を撮ること。
 自分はこんなスタイルで写真を撮りたいとか、こんな絵柄の写真を撮りたい、というような気持ちをすべて捨て去り、人の気持ちに応えることを自分の喜びにすることである。
 写真が売れたか売れなかったかは、僕にとってどれだけ儲かったかではなくて、どれだけニーズにこたえらたかの問題なのだ。

 

2009.4.11~12(土~日) 続・待ち時間


CanonEOS5D MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF) 

 先日紹介したテントウムシの幼虫は、翌日にさなぎになった。当初僕は、幼虫の雰囲気からして、1~2時間で撮影が終わると思っていたので、随分待たされてしまった。
 待ち時間の間は、ノートを片手に新たな撮影の構想を練ったり、テントウムシの卵を撮影してみたりして、退屈をしのいだ。
 何といっても待ち時間が長かったから、テントウムシの卵は、ただ撮影するのではなく、照明の具合を変えながら、いろいろなバリエーションを撮影した。
 照明の改良は、次からの撮影につながるような大変に有意義な時間になったように思う。
 また、照明以外にもカメラを変え、レンズを変え、三脚を変え、自分が持っている道具の中で本当に使いやすいのはどれかを、普段なら絶対にここまでは試さない部分まで、散々に試すことができた。
 ある自然写真家が、山小屋に長期間こもっている際に、通販のカタログを何度も何度も、さらにそこから何度も眺めた、とどこかに書いておられたのだが、退屈なときでなければ、できないこともある。
 退屈も悪くないなぁ。

 

2009.4.10(金) 待ち時間


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 このテントウムシの幼虫は、これからいったい何をしようとしているのだろうか?
 脱皮をしてもっと大きな幼虫になるのか、それとも蛹になるのか。
 僕は、テントウムシについてはほとんど何も知らないのだが、幼虫の脱皮の写真でよく見かけるのは、葉っぱの裏側にぶらさがっているもの。
 ところが、この幼虫は葉っぱの裏にぶら下がっているものの、これから脱皮をする幼虫にしては、大きいように思う
 ならば、これから蛹になるのか?と考えてみると、本の中などでよく見かけるテントウムシのさなぎの写真は、大概、葉っぱの上にとまっているような気がする。
 
 この幼虫は体を時々もじもじさせて、今にも脱皮を始めそうだと思っていたら、あっとう間に数時間が経過してしまった。
 待ち時間がもったいないので、ビデオカメラをセットし、パソコンの画面上にさなぎの様子をアップで映し出して観察しながら、隣のパソコンで画像処理やその他、事務的な仕事に取り組む。 
 それはともあれ、撮影はすぐに終わると思い込んでいたから、食料の準備をしていない。
 昨日、膵臓炎を起こしたことを書いたが、食事に気を配らなければならないし、宅配ピザを注文する気にもなれない。
 誰か、うどんか何かを配達してくれないだろう?
 今日の夕食はいったい何時になるのだろう?
 頼むから、早く事を起こしてください・・・
 いや、仕切り直した方がいいのか?
 コンパクトタイプのデジタルカメラには、人の顔を認識する機能が備わっているものがあるが、動きを認識するようなデジタルカメラがあったらなぁ。
 僕はカメラをテントウムシの前にセットし、動き認識機能をオンにする。
 幼虫が脱皮をするために動きだしたら、カメラが動きを感知し、シャッターを切り始める。
 それでは取り損ねてしまう部分もあるだろうが、何もしないよりはいいだろう。
 
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2009.4.9(木) 持病

 お腹をひどく下してトイレに駆け込んだ。便座に座りホッっとしたのもつかの間、激痛がこみ上げてきて耐えられなくなった。
 体験したことがない規模の痛み。放っておこうと思っても、どうしても放置できない痛み。
 高校生の時のことだった。
 検査を受けたら膵臓(すいぞう)炎と診断され、場合によってはとても面倒なことになるというので、それからしばらく、ひと月だったか、2週間だったか、連日点滴を受けた。点滴に入れられたのは大変に高価な薬だったと聞いている。確か1日の使用分で万に近いような額だった。
 
 ここのところちょっと体調が悪かったので、一昨日検査をしてもらったら、その膵臓炎が起きていることがわかった。
 程度はまだ軽くて、薬を飲めばいい程度。
 大学時代などは、発病して痛い目にあってそんなに時間がたっていなかったこともあり、再発させないように、随分気を付けて暮らしていたものだ。
 最近は、あまり気にせずに暮らしているが、おそらく僕は膵臓が弱くて、ストレスがかかっているような時に、ちょくちょく炎症を起こしているのだと思う。
 膵臓という臓器は、どうも検査がしにくいらしい。
 一番簡単な検査方法は、血液中のリパーゼという消化酵素の量を調べる方法だが、そのリパーゼの検査は、すればするほど病院が赤字になってしまう仕組みになっていて、多くの病院では、リパーゼを調べていないのだそうだ。
 だから、実は膵臓が弱くて時々炎症を起こしている人はたくさんいて、その多くは、原因不明の腹痛とか下痢などとして処理されているのだそうだ。

 昨日の夕刻から、数日取材に出かける予定にしていたのだが、薬の飲み方や食生活の指導を受けたりしていたら、少々時間が遅くなり、出かけられなくなってしまった。
 今日は、パソコンの画面上の計画表とにらめっこ。本来今朝から数日間予定していた撮影を、別の日に組み込まなければならない。
 代わりに、別の日に撮影する予定だったテントウムシの写真を先に撮影することにしたら、実に簡単に産卵のシーンが撮影できた。

 素直に考えると、テントウムシのようにコソコソ隠れて暮らしている生き物は、もっと目立たない場所に卵を産むだろうと思う。
 具体的には、地面近くの枯れ葉や岩などに産卵するのではないだろうか。
 だがテントウムシは春のイメージの生き物であり、その写真を売ろうと思うのなら、スカッと抜けた、爽やかな緑色の印象を求められるし、そんな本来卵をあまり産まないような爽やかな場所に卵を産んでもらわなければならないのだから、テントウムシの産卵意欲が高まらず、撮影にはそれなりの時間がかかることを予測していた。
 ところが、それがごく短時間で撮影できたのだから、今日は、災い転じて福となった感がある。


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

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2009.4.7~8(火~水) 仕事としての写真


NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

NikonD3X AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 ちょうど一年くらい前の話だが、花の本を数冊出しておられる方と話をする機会があった。
 ところがその方のイメージは、僕にとっては花の写真家というよりは、別の生き物写真家だったので、
「花の写真って、いったい何で撮っているんですか?」
 とたずねてみたら、
「営業です。」
 という答えが返ってきた。
 その方は、ニヤリとして、
「営業って言うとつまらなそうでしょう?そんな風に受け取る人が多いのですが、全然そんなことはないし、それはそれで面白いんですよ。」
 と話は続くのだが、僕は、大変に強い共感を覚えた。
 僕も、自分が単純にカメラを向けたいというよりは、市場のニーズにこたえるための写真を撮影する機会が結構多い。いわゆる仕事としての写真である。
 そしてそれは、好きなことをするというような行為とは随分趣が異なるが、それはそれで一生懸命やってみるに値するように思う。
 もちろん、仕事しかしないというのでは、写真家としては大切なものが欠けているように思う。だから今年からは、その仕事としての写真の割合をグッと少なくして、代わりに自分がどうしても表現したい世界の撮影に打ち込んでいるのだが、いろいろな縁あって、仕事の写真をゼロにすることはできない。
 
 さて、今日はテントウムシにカメラを向けた。この撮影は、まさに仕事としての撮影である。
 こんな写真の撮影は、そんなに難しくはなさそうに見えるでしょう?
 ところが、この手の写真は実は非常に難しくて、僕が思うに、それらを自在に撮りこなしている写真家は日本中にただ一人、久保秀一さんだけだと思う。
 久保秀一さんは知る人ぞ知る写真職人なのだが、その卓越した技術には、どうしても解明できない部分や、真似ができない部分がある。
 ところが今日は、その解明できかった部分の中でも一番肝心なところが、パッと閃くかのように理解出来た。
 今日の撮影は仕事としての撮影とは言え、大変な感激があった。

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2009.4.6(月) 惨敗


CanonEOS5D EF70-200mm F4L USM

 僕は、桜には特別な思い入れはないのだが、本を作る際には季節を象徴する写真が必要になることがあり、今年は少しだけ桜の写真を撮っている。
 僕はだいたいベタな物事が大嫌いだし、世間が、
「桜だ桜だ。」
 と大騒ぎすればするほど、桜にカメラを向けたくなくなり、どんどん遠ざかっていくのだが、何かちゃんとした目的があって撮影するのなら、桜の撮影でもそれなりにやりがいがある。
 今日は桜吹雪にカメラを向けてみた。

 今日の撮影はまさに惨敗といった感じ。桜吹雪は写真には写りにくそうだと予測していたので、随分たくさん撮影したが、イメージ通りに写っている写真は一枚もなかった。
 こんなもんじゃなかったんだけどなぁ。実に見事な桜吹雪だったのだが・・・
 それとも、僕が見たシーンは妄想だったのだろうか?
 写真って難しい!
 どっと疲れが押し寄せてきた。

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2009.4.4~5(土~日) 画像整理


NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)

NikonD3X Ai AF-S Nikkor ED 600mm F4DII(IF)

 写真の整理は、本来シャッターを押した時の感動が残っているその日のうちに終わらせるのがいいと思うが、車に寝泊まりしながらの長期取材となると、車内でできることには限界があるし、どうしても帰宅後にまとめて、という形になってしまう。
 ちょうど今は、暇をみては1~2月の水鳥取材の際の写真を整理しているのだが、1月末にひどい風邪をひいて以降の写真は、被写体が変に重なり合っていたりして、やはり質が悪い。
 そして写真の精度が悪いと、その写真を捨ててしまうべきかどうか、悩まなければならないから、整理に大変に時間がかかってしまう。
 そう言えば、2月に東北から九州まで南下をする時は、体力的にきつかった!
 結局、その際の体調不良が完全に良くなったのは、取材から帰宅後の3月に入ってからという有様であり、車に寝泊まりする生活では、一度体調を崩すとなかなか取り戻すことができない、と今改めて思い知らされている。
 
 カメラがデジタルになってからは、車に寝泊まりする取材の夜が忙しくなった。
 画像をハードディスクにコピーし、多少整理したり、ホームページを更新すると、深夜になってしまうケースが増えた。
 ニコンのD3Xのように約2400万画素もあるカメラを使用すると、データをハードディスクに移動させるだけでも、30分以上の時間がかかる日もある。
 さらに、そのバックアップを作成すると1時間。
 その間に、日記を更新したりしようとすると、パソコンは一方で画像のコピーの作業をしているので、動きが悪くて、何だか楽しくない。
 フィルムカメラを使用していた頃は、使用済みのフィルムに日付と番号をペンで書き込み、現像の際に注意すべき諸々のことをメモするだけ。
 あとは、延々と眠ることができたのだから、取材の様子が随分と変わってしまった。 

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2009.4.3(金) 広角接写


CanonEOS5D EF70-200mm F4L USM
林の中を歩く

CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM
一面にオタマジャクシ 

 ニホンアカガエルやカスミサンショウウオが卵を産む森の水溜りへと行ってみた。
 水量はかなり少なく、水溜りの面積が狭くなっており、アカガエルのオタマジャクシはかなり過密状態になっている。
 今日は、水溜りで水を飲む野鳥の姿が多かった。
 僕が撮影をしている水溜りは小さな湧き水に由来するものだが、その水が少ないということは、山全体の湧水の出が悪いということでもあるのだろう。次に雨が降り湧水の量が多くなる前に、一度野鳥撮影用のレンズを持って、出かけてみようと思う。
 水中を撮影している最中に、全く違う次のテーマが見つかるのは、僕の理想の形の1つだ。


OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6
 今日も、買って間もないオリンパスのカメラで少し遊んでみた。
 花の写真というと、小さなものを拡大できるマクロレンズを使うことが多いが、マクロレンズを使うと、小さなものを拡大できる代わりに、周囲のものが写らなくなってしまう。
 周囲のものが写らないと、比較的どこで撮影しても、誰が撮影しても、似た感じの写真になり、写真がつまらなくなりがち。
 そこで、通常広い風景を撮影する際に使用するような広角レンズを花の撮影に持ちいると、マクロレンズとは全然違った雰囲気の写真が撮れて面白い。
 広角レンズを用いて小さな被写体にグッと近づいて撮影する方法は、広角接写などと呼ばれている。
 
 広角接写はとても面白い手法だが、下手をすると、策に溺れてしまう結果に終わる。
 たとえば、本作りの際に一枚のページにたくさんの花の写真を並べる場合、広角接写した写真を使用すると、周囲の環境がたくさん写っている分、花の印象が弱くなってしまう傾向がある。
 逆に、本の見開きなどで、広角接写した写真を一枚大きく使用すると、とてもインパクトが強くなるだろう。
 ということは、闇雲に広角接写をすればいいのではなく、見開きのページなどにふさわしい花の種類やシチュエーションを選んでおく必要がある。
 地味な花などを広角接写しても、その写真はなかなか使用されないことだろう。
 本作りの際に見開きで大きく掲載される写真は、華のある花の写真であったり、季節を象徴する花であることが多い。 
 そこが抑えられているかどうかが、アマチュアが遊びとして撮影する写真と、プロが仕事として撮影する写真の違いの1つであるように思う。
 広角接写を編み出したのは昆虫写真の海野先生だが、海野先生の写真を見てみると、さすがにパオニアだけあって、そこのところのツボが見事に抑えられていて本作りの勉強になる。

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2009.3.31~4.2(火~木) 新しいカメラ


OLYMPUS E-620 ED 9-18mm F4.0-5.6

 本当は、書かずにこっそり使おうと思っていたのだが、実はオリンパスのカメラを一台買った。
 E620という新製品に9~18mmのズームレンズ。レンズは改造品で、市販の製品よりも接写ができるようになっている。
 改造はやってみなければ分からないので、そのためにカメラを買うべきかどうか随分迷った。
 そこでメーカーに相談をしてみたら、プロサービス担当の方がその改造に相当する実験をしてくださった。そしてその結果を踏まえて、カメラを購入すべきかどうか検討をしていたら、やはり同様の実験を依頼した人がいると、さらに突っ込んだ実験データが送られてきた。
 それらの結果を見たところ、僕の仕事に使えそうな感じがする。ついに、オリンパスを買うことになった。
 このカメラを何に使うは、そのうち紹介する日がくるだろうと思う。
 この夏以降になりそうだ。
 
  オリンパスのカメラは、同じレンズを取り付けた場合に、他社のデジタル一眼レフカメラよりも、被写体が大きく写るようになっている。
 だから例えば、E620をアダプターを介してニコンの野鳥撮影用のレンズに取り付ければ、ニコンのカメラよりも野鳥の姿が大きく写る。
 もちろん、大きく写る分、失われるものもある。その失われるものと得るものとの差し引きが、果たしてプラスになるのか、マイナスになるのかは、まだ分からない。
 また、僕は野鳥を撮影するためにオリンパスを買ったわけでもない。
 だが持っていれば、そんな使い方をすることもあるだろうと思うし、それも、わずかではあるが、オリンパスを買う1つの動機になった。
 そのうち、テストをしてみたい。

 今日の写真は、仕事に出かけた際に、遊びで撮影したもの。
 オリンパスのデジタル一眼レフカメラを自分で買い、心おきなく野外でそこそこの時間試すのは、この日が初めて。
 オリンパスのカメラを簡単に言うと、撮影していてとても楽しいカメラだと思う。夢が広がるような感じがする。
 全く正反対の性質なのがキヤノン。キヤノンのカメラは面白みがなくて、撮影中にカメラを触っている楽しさはないが、とても画質が良くて、帰宅をしてパソコンの画面で画像を見る時が楽しい。写真がワンランク上手くなったような気にさせてくれる。

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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2009年4月分


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