撮影日記 2009年1月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2009.1.31(土) 薬を飲む

 病院で診察を受け、一晩がたった。
 一晩経ったら、ケロリと治っているのでは?とも思っていたが、現実は甘くはなかった。
 喉の痛みは治まり熱はかなり下がったが、今度はひどく頭痛がし、目の焦点が合いにくく、困ったことに食欲が全く出ない。

 処方された抗生物質だが、抗生物質は有害な細菌だけでなく、腸内などに生息する有益な細菌にもダメージを与え、その結果下痢をしやすくなるなどの副作用もある。
 そして、幾重にも重ね着をしている冬の北海道での撮影中に下痢で急にトイレに行きたくなる、というのはとにかく避けたいことから、僕は当初、処方された薬を飲まないつもりでいたのだが、これ以上長引かせたくないし、仕方なく服用することにした。
 実は、2月7日に囲炉裏を囲んで炭火焼を食べる楽しみな時間が設定されており、その日までに、少なくとも食欲だけは完全に取り戻しておかなければならないのだ。
 さあ、まずはお風呂にでもつかり、気分をリフレッシュするか!

【お知らせ】
1月分の今月の水辺は、長期取材のため、更新しません。

【お知らせ】
1月19日〜2月20日まで、長期取材のため、写真の貸出し等の仕事ができなくなります。

 

2009.1.30(金) ついに病院へ 

 取材中は通信料の関係で、インターネットを見ることができにくくなるのだが、昨晩、
「海野さんもインフルエンザになったみたいだよ。」
 と海野先生のホームページを見ている人からから教えてもらった。
「で、なんて書いてあった?」
「高熱が出て、病院に行って、寝てるって。」
 病院嫌いの海野先生が病院に行くくらいだから、僕も行かねばなるまい。やはり病院嫌いの僕も、ついに観念することにした。

 いや、実は僕の病院嫌いは生半可のものではないので、そんなに簡単に観念したわけではなく、いろいろと周辺の事情を考えた。
 まず、明日〜明後日は土日になり医療機関が休みになるから、もしもその間に具合がさらにひどくなったら、非常にややこしいことになる。
 また、本来は明日を北海道への上陸予定日にしていたのだが、明日は天候が荒れるというから、この体調不具合の状態で船には乗りたくないし、できれば海が荒れる前の今日の間に、北海道に渡っておきたい。
 ならば、今日はまず青森に行こう。そして、午前中の間に病院で診察を受け、午後一番の便で函館に渡ることに決めた。

 さて、馴染みのない土地で、どこの病院に行こうか?
 体調が悪い時は、車を運転しながら目的地を探すのは非常に辛いから、あらかじめ青森の人に聞いてみるのが良さそうだ。
 そして青森と言えば、まだ学生ながら驚異的な写真の腕前を持つ工藤誠也君だろう。
 そこでさっそく工藤君にたずねてみらたら、工藤君のお父さんが詳しいということなので、お父さんに電話をして尋ねてみた。
 電話で教わった通りに僕は病院に向かい、診察を受けた。
「熱が高いですね。インフルエンザの検査をしましょう。ちょっと鼻がむずむずしますよ。」
 と鼻に綿棒を突っ込まれたのだが、これが実に気持ちが悪く、トラウマになってしまいそうだ。
 いや、すでにトラウマになったのかもしれない。こうして書いているうちにも、勝手に涙が出てくる。病院での検査というやつは、なんでこんなに拷問めいているのだろう?
 それはともあれ、診察の結果僕の病は意外にもインフルエンザではなく、抗生物質を処方された。
 インフルエンザの場合は、人と接する時にはわずかな時間でもマスクをつけなければならないし、食堂に入って食事をしたり、お風呂に入ることが出来にくくなる。だから、その点は随分楽になった。

 さて、午後2時30分の船に乗り、函館へ向かう。

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2009.1.28〜29(水〜木) 下降線 


NikonD3X TAMRON28-75mm
夕暮れが迫る

NikonD3X 600mm
お月さまが顔を出す

NikonD700 70-200mm
ガンの群れ

NikonD700 70-200mm
塒入り

NikonD3X 70-200mm
夜明け

NikonD700 70-200mm
ねぐらを飛び立つ

 不具合が生じていた体調はひたすらに下降線をたどり、昨日はついに39度に近い高熱がでた。
 この体温の上がり方は、インフルエンザなのかなぁ。
 鼻の奥がやたらに熱く、フンと鼻息を吐き出しただけで高熱が出ていることが分かるほど熱をもった空気が噴き出してくる。
 そして何よりも辛いのが喉の痛みだ。ゴクンと唾を飲み込んだだけで、急所を針で突かれたかのような神経質な痛みが走る。
 唯一そこから逃れられるのが、写真を撮っている時間だ。カメラのファインダーをのぞき込み、集中することを20年近く繰り返しているうちに、僕はいつの間にか、写真を撮っている時には、悲しいこと、つらいこと、痛いことなど、大概のことを忘れられるようになった。
 ゾクゾクしてどうにも収まらない寒気も、ガンの大群を見た瞬間に吹き飛んだ。

 一方で、辛いのは夜だ。 
 とにかく体がきつくて、自分が生きていることがイヤになりそうになる。
 僕は病院が大嫌いなので、放っておいても治る病気は原則として自然治癒を待つのだが、今回に限っては長距離を運転しなければならないし、明日になっても回復の兆しがみられなければ、治療をうけなければなるまい。
 それにしても、発病してからは一日が長い。昨日〜今日は、10日くらいの時間が経過したような気がする。

 取材中にひどい病気をしたのは、たぶんこれが2度目だと思う。
 1度目は熊本県の山中で、ある晩、食中毒なのかひどい下痢にみまわれた。
 しかたがないので車を公衆便所の近くの広場に止め、いつでもトイレに駆け込めるようにしておいて車内泊することにしたのだが、トイレまでの10メートルが間に合わないほど強烈な下痢。
 幸い、あたりは夜になるとまず車も通らない場所だったため、僕は車のすぐ横の道路で、一晩のうちに何度も何度も用を達した。
 そんな自分の姿を想像すると、何とかっこ悪いのだろうと思うのだが、その時は、それどころではなかったのである。

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2009.1.27(火) 表日本 


NikonD3X TAMRON28-75mm

NikonD3X 70-300mm
夕刻、お日さまが沈む頃。


NikonD700 70-200mm
餌場に出かけていたガンの群れが列をなしてねぐらの沼へと帰宅する。


NikonD700 70-200mm
群れは沼の上でしばらく乱舞し、やがてストンと急降下。外敵に襲われにくい水の上で夜を明かす。

 気合が入っているからだろうと思う。取材先では滅多に風邪をひかないのだが、今回に限っては昨晩から喉がひどく痛くて、少々熱も出た。
 多分風邪だと思うのだが、インフルエンザだったならやっかいなので、あらかじめ処方しておいてもらったインフルエンザの特効薬を服用することにした。
 具合が悪い時に曇りがちな裏日本にいては、気分が滅入るので、今朝は新潟から約300キロほど車を走らせ表日本に移動。
 そしてはじめての場所で、明日からの撮影のための下見。
 今日の画像は、その際に試し撮りをした時のものだ。
 
 取材中に風邪をひいた、というよりは、実は出発前から体調が少々悪かった。
 だから、ここ数日は微妙に寒気がしたり頭痛がし、食欲もなく、なかなかエンジン全開の状態にならず、午前中は調子が良くても、午後からストンと調子が落ちてしまうことが多かった。
 一番困ったのは腹具合が悪いこと。撮影中の肝心な時にトイレに行きたくなり、
「クソ〜、クソ〜。」
 と捨て台詞を残しつつ、撮影現場から離れなければならないケースが何度もあった。
 さあ、今日は早めに寝よう!
  
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2009.1.26(月) コハクチョウ 


NikonD3X 70-300mm
 今朝の新潟は見事な雪景色。積雪が多かったからだろうか、いつもハクチョウやガンの仲間を多く見かける田んぼに彼らの姿が見当たらない。
 そこで鳥の姿を探しながら車を走らせると、遠くにハクチョウの大群を見つけた。
 その数数百。とても大きな群れだ。恐らく、雪でえさ場が多くが埋もれてしまい、条件がいい1つの田んぼに集まってきたのだと思う。


NikonD3X 600mm
 田んぼの周辺の細い道はすべて雪に埋もれていて、どこが道で、どこが田んぼで、どこに水路があるのかがとてもわかりにくい。
 車を田んぼや水路に落としてしまわないように目を凝らしながら、ソロリソロリとハクチョウの群れに前進。
 そして群れの近くに車を止め、ハクチョウを脅かさないようにするために車の中からカメラを構える。



NikonD3X 600mm
 この場所はよほどに条件がいいのか、次々とハクチョウが舞い降りてきて、大きな群れがさらに大きく膨れ上がっていく。


NikonD3X 600mm
 ハクチョウやガンやカモの群れの写真は、ただ撮影することはやさしいが、雰囲気のある写真に仕上げることは難しく、いつも仕上がりを見て、
「こんな感じではなかったんだけどなぁ。」
 とガッカリさせられる。
 田んぼで撮影したハクチョウやガンの写真のうち、気に入った写真とは、僕がうまく撮影した写真ではなく、偶然が重なりいい条件が整った時に撮られた写真であり、その場合、ただひたすらに時間をかけ、数を撮影することが肝心だ。
 
 24日に豊岡での撮影を終えたのち、富山に向かおうとしたら、車の流れが止まり、なかなか前に進まなくなった。
 前日の夜に雪が降り、その後昼の間にお日さまがでて雪が解け、それが夕方の冷え込みで凍り、とにかく道路がツルツルで、徐行をしていても滑り出すほどだった。
 結局、目的地までたどり着くことができず、本来の予定よりも150キロも手前で車を止め、眠ることになった。
 今朝は積雪で、撮影現場に到着するまでの間に、10ヶ所以上で交通事故を目撃した。
 が一方で、雪の中での撮影は楽しいし、僕は撮影の際には特に気象条件に注意を払う。
 僕の場合しばしば、何を撮影するかが先にあるのではなく、その時の気象条件によって何を撮影するかを決める。 
 ある写真家は、
「写真は瞬間だ。」
 といい、またある写真家は、
「写真は構図だ。」
 といい、さらにある写真家は、
「写真は色だ。」
 と語ったらしいが、僕にとって野外で撮影する写真は、気象条件だ。
 
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2009.1.24〜25(土〜日) 裏日本 


RICOH CAPLIO GX100
 前日に引き続き、兵庫県の豊岡に行ってみた。


NikonD3X 600mm
 水気の多い重たい雪がどさどさと降ってきたかと思えば、今度は突然に青空が顔をのぞかせるめまぐるしい天気。
 小鳥が木の枝から飛び立つと、雪の粉が舞う。


RICOH CAPLIO GX100
 今日は野鳥雑誌でもお馴染みの、中田一真さんと一緒。


NikonD3X 600mm
 主役はコウノトリではなくて、コウノトリに与えられる魚を横取りしようと待ち構えているアオサギだ。


NikonD3X 600mm
 僕は、アオサギを撮影しながら、子供の頃に見たテレビ番組を思い出していた。その番組とは、多分NHKの番組だったのだろうと思うのだが、野生の王国。
 野生の王国を見て、子供ながらに、そんな番組を作る仕事があるのだろうと思った。が、それはさておき、番組に登場する生き物で僕が好きだったのは肉食の動物たちだった。
 鳥であろうが、獣であろうが、肉食の動物はとてもカッコいいと思う。


NikonD3X 600mm
 やがて夕暮れが近づき、中田さんとの楽しい時間もおしまい。中田さんは自宅へ。僕は取材を続ける。


NikonD3X 70-300mm
 豊岡から日本海側の海沿いを通り、富山に向かった。
 
 僕は昔、野鳥専門のカメラマンになろうとしていたことは、以前にも何度か書いたことがある。
 だから、その当時野鳥雑誌などにちょくちょく顔を出していて、しかも年齢が近い人は、将来ライバルになる可能性があると、大変に気になったものだ。
 転勤族で九州を転々としているUさん。また、博多湾に行けば、わずか一日に100種類の鳥を見つけ出すことができると言われていた鳥博士のOさん。
 そうしたみなさんがいい写真を撮ろうものなら、僕は、冷静な気持ちではいられなかった。
「うわ〜すごいなぁ。」
 と思いつつ、内心、
「怪しからん、実に怪しからん!」
 と嘆いた。
 そして中でも中田さんは、僕にとって大変に怪しからん人だった。何といっても、とにかく素敵な写真を撮るのだから。
 
 さて、23日の夜は中田さんのお宅にお邪魔した。
 とても可愛い二人のお子さんに大歓迎され、奥様が作ってくださった食事を食べさせてもらい、奥さんや娘さんによる、中田一真の真実が語られた。
 豊岡では、隣に並んで写真を撮った。一番離れている時でも、20メートルは離れていないはずだが、僕の隣で、中田さんはいったいどんな写真を撮ったのだろう?
 やはり、気になるものなのだ。
 
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2009.1.23(金) コウノトリ 


NikonD3X 70-300mm
兵庫県豊岡市に行ってみた。


NikonD3X 70-300mm
今日は濃い霧


NikonD3X 600mm
豊岡市ではコウノトリを見ることができる。


NikonD3X 600mm
 と言ってもコウノトリは日本ではいったん姿を消した鳥であり、豊岡のコウノトリは、施設の中で人の手で増やし、野に放とうとしている段階だ。


NikonD3X 600mm
 が、いずれこの場所で増やされ、野に放たれたコウノトリの姿を点々と見ることができる日がくるに違いない。
 数キロほど施設の周辺を車で走ってみると、おそらくコウノトリの餌になる小動物を増やすためだと思うが、冬場でも田んぼに水が張ってある。しかも、そうした田んぼの面積が半端ではないくらいに広い。
 そうした田んぼは、冬水田んぼと呼ぶのだったかな?
 人工的に生き物を増やして放すことには是非があることは分かるが、その生き物のために環境ごと整えるようなやり方を僕は応援したくなった。

(撮影機材の話)
 今回の取材に合わせて、ニコンの最新のデジタルカメラ・D3Xを購入した。
 とても高価なカメラなので購入すべきかどうかかなり迷ったが、取材に間に合うように買って本当に良かったと思う。
 僕はカメラがデジタル化して以来、ほぼすべての面で気に入ったデジタルカメラはなかったのだが、D3Xがその第一号になった。
 完全に気に入ったデジタルカメラがなかった、というのは、僕が風景から水中から野鳥までさまざまなシーンにカメラを向けるからという側面もあるだろうと思う。何を撮るかによって適したカメラは異なるし、一方に良くても他方には良くないというようなことがよくある。
 たとえば野鳥を撮影する場合は、35ミリ判フルサイズセンサーのカメラよりは、APS-Cと呼ばれる小さなセンサーのカメラの方が適する。
 そしてもちろんD3Xにも向かない被写体はある。が、それを軽く吹っ飛ばしてしまうくらいによくできたカメラなのだ。
 シャープで落ち着いた色合いの画像が、僕は大変に気に入った。
 最初にも書いたようにとても高価なカメラなので、このカメラは6年間は使わなければなるまい。
 
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2009.1.22(木) 打ち合わせ 

 以前、
「武田君は本を出しても送ってこないから、どんな本を作ったのかがわからないじゃないか。」
 と海野先生に言われたことがあるのだが、送らないのではなくて、まだ送れるものを作れていないというのが現状だ。
 海野先生は常に先を見ている人であり、滅多に満足しない人だから僕にとって一番厳しい人でもあり、僕は先生に見てもらうのなら、「これが僕の世界です。」と言える何かを見せたいと思う。
 
 その見せるに値する本とは、まずは定番のものではなくて、何か新しい世界を切り開けている本。
 そして、僕にしか思い描けない世界が表現されているもの。
 だが僕にしか思い描けない世界であると同時に、決してオタクな世界ではなく、広く一般の人に受け入れてもらえる要素があるもの。それは言い換えると、その本が売れ、ビジネスとしても成功するような要素を持っている本だ。
 そして、そんな本を作ろうという試みは数年前から続けており、それはあと一歩と言うところまで漕ぎつけているような気がしている。

 編集の仕事をしている友人にも力を借りることになった。
 自然写真業界には何人が名の知れたベテランのデザイナーや編集者がおられるので、そうした人を頼り、相談してみようかと一瞬考えたことがあるが、権威に頼るようなやり方は面白くないと思い直した。
 やっぱり、同世代の人と一緒に、一から全く新しい世界を切り開いていかなければならないと。
 そして、友人が作ってくれた見本を見て、なんと凄い人が身近にいたものか!と僕の想像以上のその実力に僕は驚かされたのだが、その中身は遅くとも数年以内に見せれるのではないだろか?
 今日はその友人宅を訪ね、本作りのための打ち合わせだ。

 人さまの家にお邪魔するのだから、幾らなんでも、ここ数日着続けている汚れた服ではまずいだろう、と新しいものに着替えることにした。
 が、服は全部で2着しかないので、その一着をこんなに早く使ってしまうと、後で着るものがなくなってしまう。
 洗濯をすればいいじゃないか?と考える方もおられるだろうが、洗濯は結構時間がかかるので、移動距離が短い日など、時間的にゆとりがある時にしか出来にくい。
 そこで、友人宅を出た後で、わざわざ汚れた服を引っ張り出して着替えることにした。
 僕は別に汚れた服を好んで着ているわけではないので、あえて汚い服を着るというのも、実に妙な感覚だ。

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2009.1.21(水) オシドリ 


NikonD700 SIGMA20mm
オシドリ観察小屋に行ってみた。


NikonD700 SIGMA20mm
中は狭くて、隠れ家という感じ。


NikonD700 600mm
遠くにオシドリの大群。


NikonD3X 600mm
オシドリたちが一匹、また一匹と観察小屋の方に近づいてくる。


NikonD3X 600mm
観察小屋の付近の岸辺〜水の中にはどんぐりがまかれていて、オシドリたちはそれを食べにやってくる。


NikonD3X 600mm
オシドリには澄んだ清流の水がよく似合う。


NikonD3X 600mm
日が完全に上ると、オシドリたちは観察小屋から離れていく。

 僕は立ち上がりが悪いというのか、取材に出ると最初の1〜2日の調子が非常に悪く、4〜5日たった頃からやっと力が出てくる場合が多いが、今回もその例外ではなく、まだ調子があがっていない。
 昨日などは、山陰でマガンの撮影中にお腹が痛くなる有様。
 しかも辺りにはトイレがなく、一番近いトイレまで車を10分程度走らせなければならなかった。
「糞〜、この一番いい時に・・・・」
 せめてもの救いは、天気が悪かったことだ。
 もしも好天で、いい具合にお日さまでもさしていようものなら、お漏らしをしてでも写真を撮るのか、あるいは車の中にビニルでも敷いてうんこを出すのか、それともごく普通にトイレに行くのか、究極の選択をしなければならないところだった。

 夜は夜で、悪い夢を見た。
 夢の中ではどこかの学校の校長先生という設定なのだが、あるばあさんが僕に襲いかかってきたのだ。
 だが、僕は夢の中でピンときた。ここで、反撃をするために手を触れようものなら、
「きゃ〜おかされる.。」
 とばあさんは叫ぶだろうと。
 さて、どうしたものか・・・と考えた挙句、僕は、
「ギャ〜」
 と大声をあげたのだが、それは夢の中の話で、僕は自分の叫び声で目が覚めた。早朝3時半だった。
 
 その日は、5時に起きてオシドリの撮影に向かう予定だっただが、3時半は中途半端過ぎた。
 そのまま目を覚ますにはあまりに早かったので2度寝をしたら、今度はオシドリの撮影に遅れそうになった。
 
 オシドリの撮影に遅れそうになった結果、朝食が抜きになった。
 当然、撮影が終わった後は腹べこであり、僕は車に一箱積んであるみかんをむしゃむしゃ食べた。
 が、恐らく食べ過ぎたのだろう。
 その後、車での移動中に前日にも増して腹が痛くなり、途中、コンビニやら道の駅のトイレに何度も駆け込んだ。
 しかたがないので、大嫌いな薬を飲んだ。
 さて、これからどうなることやら・・・そろそろ調子が上がってくるころだと思うのだが。

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2009.1.20(火) 山陰にて 


NikonD3X TAMRON28-75o

NikonD3X TAMRON28-75o

NikonD3X 600o+1.4X

NikonD3X 600o+1.4X

NikonD700 70-300o

NikonD3X 600o

 僕は、まだ学生だった頃に、昆虫写真家の海野和男先生のもとを訪ねたことがきっかけで、プロの自然写真家の世界へと足を踏み入れた。
 それ以来、海野先生から教わった一番大きなことは、自然写真業界での飯の食い方だと思っていたのだが、最近になって、実はそれ以上に大きなことを教わっていたことに気付かされた。
 それは、「本を作れ」という教えだ。
 ただ絵ハガキのように絵画的に写真を撮るのではなく、何か自分で物語を描きながら写真を撮る。
 たった一日の撮影でも、朝から夕方までを1つの物語として表せるようにテーマを選びながらシャッターを押していくと、写真がより一層面白くなる。
 
 随分前のことだが、
「武田さんは写真を初めて何年ですか?」
 とある写真業界に詳しい人から問われ、当時ちょうど10年目くらいだったから、
「10年です。」
 と答えたら、
「ちょうど一番楽しい時期ですね。みなんさん、10年目くらいが一番楽しかったとおっしゃいます。」
 という返事が返ってきた。
 だが、僕の写真は今でも年々楽しくなり続けているし、年々充実しているという確かな感触がある。
 それは恐らく、僕が本を作ろうとして写真を撮っているからだろうと思う。

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2009.1.16〜19(土〜月) 出発 


NikonD3X TAMRON28-75

 今日は島根県まで移動。
 午前中の間に福岡を立つ予定だったのだが、準備に思いの他時間がかかり、出発は昼ごろまでずれ込んでしまった。
 一ヶ月間留守をするのだから冷蔵庫の中身を空っぽにしたり、洗濯をしたり、生き物の世話をしたり・・・ その手の作業にはいつも思いの他、時間がかかってしまう。
 昨晩までの予定では、9時には出発できるかな?と思っていたところが、10時になり、11時になり、結局は昼食を食べた後自宅をでた。
 もしも当初の予定通りに出発できたなら、石見銀山を観光してみたかったのだが、その前に夕暮れが迫り、今日はただひたすらに車を走らせるだけで終わってしまった。

 昨年は、金魚の本作りのための撮影に取り組んだ結果、金魚の世話で大変に忙しく、5月以降は長期間の取材にでることができなかったのだが、その間に、車の中に自作している幾つかの小道具が壊れてしまい、今日は目的地に到着したところでホームセンターに駆け込み、それらの小道具を修理したり、作り直したりの作業だ。
 なんだか出鼻をくじかれたようで気分が悪いが、そのうち調子が上がってくるだろう。

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2009.1.16(金) 芸術家 

 昨年の夏、僕は美術館での展示会に参加をしたのだが、その際に、巨大なオブジェのような物体を作って出品しておられた方に、
「この作品って、展示会が終わったらどうするのですか?」
 と尋ねてみたら、
「壊しますよ。」
 という返事が返ってきた。
「悲しくないの?」
「特にそんな感情はないですよ。」

 僕は、できれば、写真は何かあとに残る形で発表したい気持ちが強い。だから例えば、もしも、
「お金を出してあげてもいいのだけど、写真展をしますか?それとも本を作りますか?」
 とたずねられたなら、迷わず、
「本です。」
 と答えるし、大半の写真家が同じように答えるのではないだろうか?
 すると、やはり参加者の一人で、芸術大出身の方が、
「そんな時って、悲しいっていうよりも、みんな結構すっきりしてるというか、サバサバしてるよね。」
 と芸術を志す人たちの心境を話してくださった。

 なるほどなぁ・・・。そこが芸術家と写真家の違いだなぁ、と僕は感じた。
 刹那的と言ったらいいのだろうか。芸術を志す人は、しばしば、後に残したいではなくて、その空間、その一瞬にしか表現できない何かを追い求めているんだと。
 それは例えるなら、今しかおいしくない、その一瞬を食べさせる料理と日持ちがするように作られた食べ物のような違い。
 そう言えば、僕は音楽だってコンサートに行くよりもCDを買って手元にその音を残しておきたいし、映画だって、もしも見るのなら、映画館で見るよりもDVDを買いたいし、どうも芸術家体質ではないようだ。
 その日は、自分とは違う人に出会うことで、自分が何をしたいのかを気付かされた気がする。
 



 さて、その美術館での展示会に参加しておられた陶芸家の石原稔久さんに、ある物の制作をお願いしていたのだが、今日はその経過を見せてもらった。
 美術館での展示には、他にも鉄のオブジェを作っている方も参加しておられたので、いつか金属加工をお願いしてみたいと思う。

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2009.1.15(木) 不安 

 昨日、日記を更新しようかと思ったら、
「夢を実現する。」
 と言って、数年前に東京へと旅立った知人からの
「不安だ。」
 というメール。
 僕は、夢を追いかけることは、基本的には、安定を捨て、その代わりに何か自分が好きなことを取る選択だと思う。
 だから不安なのは当たり前であり、不安はつらいことではあるが決して悪いことではなく、むしろいいことではないのか、と思う。
 もちろん不安にもいろいろと種類があり、それは質のいい不安の場合の話で、例えば戦争に行かされて、いつ殺されるか分からない、というような質の悪い不安は絶対に御免だが。
 人は不安だから頑張るのだし、成功したわけでもないのに不安を感じなくなった時は、むしろ終わりが近いやばい状態なのかもしれないなぁと思う。
 いや、それはもしかしたら僕がだらしない人間だから、追いつめられないと頑張れないだけの話なのかもしれないが・・・

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2009.1.13〜14(火〜水) 準備 

 僕は撮影用のモデルになる生き物を多数飼育しているし、今は金魚の本を作ろうとしているので数百匹の金魚を飼育しているのだが、冬の間はあまり世話をしなくてもいいから、長期取材に出かけることが可能になる。
 とは言え、それでもそれなりに準備をしなければならないし、時にはそれが煩わしくて、一層のこと取材を取りやめにするか?と考えることもないわけではない。
 だが最終的に長期取材に出かけてみると、やっぱり出かけて良かったと感じるし、そんな時間が必要だな、といつも思う。
 安定した暮らし、安心できる暮らし、安らげる暮らしにどっぷり浸かってしまうと、きっといい写真なんて撮れないだろうなぁと。
 たまには不便をしたり、きつい目にあったりするのがいい。

 その前に、準備が面倒だとか不便だとかきついと言っても、今の時代の不便などというのは、実は不便でも何でもないのかもしれない。
 戦争に行くわけではないし、帰りたければいつだって自分の一存で引き返すことができるのだし、その程度のことを大げさにしないことも、また大切なのかもしれないなぁと。
 昔、こんなこと出来る訳ないと思っていたことが、やってみると実際には大したことではなかったケースは多いのだが、それを大げさに捉えている間は、きっと何か常識に縛られているのに違いない。
 だが写真を撮るいう行為は、物事を自分の目で見る行為であり、それはいったん常識を捨ててみることであり、常識にしがみつくのなら、写真を発表することなんてやめてしまった方がいいのかもしれない。

 もちろん、死んでしまっては話にならないし、死んでしまったら、それは戦争に行ったのと同じようなことなので、死なない範囲でやってみることが大切で、それに尽きるように思う。

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2009.1.10〜12(土〜月) 車の整備 

 1月19日から、水鳥の取材で北日本に出かけるが、今日はそのための車の整備。タイヤを新品のスタッドレスに付け替え、オイルを寒冷地用に交換し、車の走行距離からして、そろそろトラブルを起こしてもおかしくない部品をあらかじめ取り替えてもらった。
「一ヶ月は長いでしょう。」
 とよく言われるが、九州から北海道まで車で移動する場合、一ヶ月は短くて、まさにギリギリの時間だと言ってもいい過ぎではないだろう。可能なら、二ヶ月くらいの時間をかけたいところだ。
 が、二ヶ月は、他の仕事も考えると現実的ではない。
 もしも関東に住んでいるのなら、関東から北海道までを一ヶ月くらいの時間で撮影するのが適当ではないかと思う。
 2年前に北海道まで行った際には、確か一日平均300キロ以上運転した。
 300キロというと、仮に渋滞などがなく時速60キロで快調に車を走らせたとしても、一日あたり5時間運転しなけれらならないわけだが、これはさすがにきつい。

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2009.1.9(金) ほめられた 

 生まれて初めて人物の写真をほめられた。しかも、写真を取り扱うことの専門家に、
「さすがプロだ。」
 と。
 人物は人物でも、人が何かをしているところを横から勝手に撮影するような盗み撮り系は、決して下手くそではないと自分で思っているのだが、スタジオなどでカメラを意識している相手を、撮影のために撮影することに関しては、どうしても上手くいかなかったのが、ついにほめられたのだから少々気分がいい。
 1つ、コツのような何かが分かった気がする。
 プロのモデルさんを撮影する場合は、恐らくまた違うのだろうが、素人にモデルになってもらう場合は、相手がカメラを意識する前に撮影を終えなければならないことが分かったのだ。
 相手が思うよりも早くカメラを構える動作に入り、カメラが静止するとほとんど同時にシャッターを押す。
 実は以前から、スタジオで人物を撮影する際には、本番の撮影前のテスト撮影の結果が、むしろ本番よりもいいと感じていたので、今回はそのリズムで本番の撮影を試してみたのだった。

 以前から、
「子供が生き物の飼育をしているシーンを撮影してほしい。」
 などと依頼されると、それが苦痛で、とにかく撮影を終えるまでは何をやっても楽しくないような気分に陥りがちだった。
 せめてもの喜びは、子供の写真が本に掲載されると、その子の両親や親族のみなさんが異様なほどに大喜びしてくださること。そして、モデルをお願いした友人のお子さんなどの顔を見ると、やはりとても楽しい気持ちになるし、また来てねといった気分になれることなのだが、撮影そのものに関してはただひたすらに辛かった。
 ところが要領が分かると、たとえ苦手なことでも、苦痛と同時に、やってみたいとか、試してみたいというような前向きな気持ちも湧いてくるようになる。
 それはともあれ、やっぱり写真って瞬間なんだなぁ。

 

2009.1.8(木) 島の生き物の話から 
 
 今日は、若者と話をする機会があり、その際に、
「ガラパゴス島でピンクのイグアナの新種が発見されたんでしょう?」
 と話題を提供されたのがきっかけで、島の生き物の話になった。
 そして、
「島の生き物を調べると、生き物の進化の様子が分かることがあるんです。」
 と話をしたら、
「なぜですか?」
 と質問をされたのだが、こんな場合は、何か分かりやすい例をあげた方が有効な場合が多いから、僕は、人間の人種について話をしてみることにした。

「日本は島国でしょう。だから海に囲まれていて、外から人が入ってきにくいよね。鎖国って知ってる?」
「江戸時代の?」
「島国のように他の世界から隔離されている場所では、鎖国がしやすいですよね。でも、大きな大陸ではそうはいかないし、いろいろな人種の人が入り乱れてくるし、いつかは白人だとか黒人だとかアジア人などという区別だって分からなくなってしまう時代がくるかもしれないね。いろいろな人種の人の血が入り混じってくると、その土地独特の人の特徴ってなくなるよね?でも日本のような国の場合は、大きな大陸に比べると、その土地の人の特徴が残りやすいのと同じようなことです。」
 と。
「人種って、いつかは混ざってなくなのですか?
「僕はさっきは、人種が混ざると言ったけど、実際にはアメリカのようにたくさんの人種が住んでいる国だって、人種は意外に混ざらないのかもしれません。だって人種差別があるから。でも一度混じったものが元に戻ることはないのだから、今後はどんどん混ざる方向に向かうことだけは確かなんじゃないかな。」
「そう言えば、アメリカでも黒人が大統領になりました。」
「オバマさんは、黒人と言っても確かお父さんかお母さんかどちらかは白人なので、半分白人でしょう?でも半分黒人の血が混ざっているだけで黒人扱いになるのだから、黒人への差別って根深いんでしょうね。差別って、人種が混ざらないようにするための、一種の本能なのかもしれませんね。」
 
 人間には、人種と呼ばれるいろいろなタイプが存在するが、特にインテリは、国際化などと言って、それらが混ざることを良しとする雰囲気があるように思う。
 ところが、生き物にも同じようにタイプがあり、たとえばイワナだって、ゴギだとか、ニッコウイワナだとか、ヤマトイワナなどとタイプがみられるが、多くの自然愛好家は、それらのタイプが放流などによって混ざってしまうことを悪だとみなしているように思う。
 人間にみられるタイプは混ざっていいのに、他の生き物では、それが混ざってはならないのは、いったいなぜなのだろう?
 僕は、生き物の世界に存在するタイプが混ざっていいとは思わないのだが、それは、自分にはそれを判断するだけの見識がないから現状維持しておくのが手堅い、という理由であり、混ざらないことが正しくて、混ざることが悪だという考えには、違和感を感じる。

 これは、外来種の問題でも同じで、外来種を駆除しておられる方々は、外来種=悪あるいは大問題という大前提の上でそうした駆除をしておられるのだろうが、ではなぜ外来種=問題なの?とたずねてみると、大抵は、それが正しいとどこかで教えられ、それを素直に受け入れた結果であるように感じる。
 だが、生き物の移動がそんなに問題になるのなら、人間も、少なくとも乗物などの文明の利器に乗って移動することをやめなければならなくなってしまう。
 それとも、人間だけは別枠だというのだろうか?
 
 

2009.1.5〜7(月〜水) プリンター 
 
 先日の身内の法事の際に撮影した記録写真を全員分プリントしてほしい、と叔父から頼まれた。
「これで足りるか?これを君にあげるから」
 と一万円札をポンと渡されたのだが、足りるどころか、お釣りの方が断然多い。が、もらえるものはありがたくもらっておくことにした。
 だが、帰宅をして画像をプリントしようとすると、プリンターにトラブルが発生。正月が明けるのを待ち、一昨日はそのプリンターを福岡市の修理工場へ持っていった。

 修理ができない正月の間にいろいろと考えた。
 今月は、中旬からおよそ一か月の北日本取材を控えているので、どう考えても、その前にプリントを渡さなければなるまい。
 だが、プリンターの修理にどれほどの時間がかかるのかは不明だし、一層のこと、あと1台プリンターを買うか?と。
 プリンターをあと一台購入して2台体制にすれば、今後写真展を開催するような時にも、
「プリンターが突然に故障して、写真が間に合わなくなるのでは?」 
 などというような不安からは解放されるだろう。
 だが、写真展のプリントを作れるようなプリンターを買うと、最低でも5万円くらいは必要になりそうだ。僕の場合はプリントを販売するわけではないし、その程度の趣味に近い作業に5万円もつぎ込むのはやや無駄遣い気味ではあるし、どうせならもっと別な、直接稼ぎに影響してくるような箇所にお金を使いたい。

 ところが、一度買いたい、と考え始めてしまうと、もうどうにも止まらないのが僕の性格。そこで、あたりの量販店を回り、一番安かったお店でエプソンのPX-G5300を47000円で買うことを決意し、店員さんに注文をしたら、なんと品切れ中だった。
「注文しますか?」
「どれくらいで物が来ますか?」
「一週間くらいでしょう。」
「買うのやめます。」
「いや〜申し訳ありません。」
 結局、正月が明けるのを待ち、一昨日に修理工場へと持ち込んだプリンターはその日のうちに修理完了。昨日は、再度福岡へと出向き、出来上がったプリンターを受け取ってきた。
 お金は使わずに済んだ。

 お金は有効に使わなければならない。
 が、一方で、写真のような作業をする場合、時には無茶苦茶をした方がいいのだから、僕の心の中はしばしば、
「買おうか、買うまいか。」
 と乱れる。
 お金にしても時間の使い方にしても、、ド〜ンと大枚を使って何かを買ってみたり、後先のことを考えず、エイッと一歩踏み出すことが大切になるケースが多い。規則正しい安定した生活にどっぷり浸かっていては、当たり前以下の写真しか撮れなくなりがちだ。
 当然、無茶をすれば、無駄がたくさん出る。
 僕の場合は、最近でこそ、想像力が多少は働くようになり、買ったものの、見当違いで機能しなかった道具は少なくなったが、昔購入したものにはなんと無駄が多いことか。
 が、その無駄の中から面白いアイディアが生まれることが多々あるのだから、要注意だ。
 時々、テレビの番組などで、節約をして無駄を省くことを嬉々として語る節約の名人みたいな人を見ると、僕は、
「つまらん。実につまらん。こんな人とは絶対に一緒に暮らしたくない。いや、暮らせない。」
 と思うのである。

 もっとも、これは、サラリーマンと自由業の違いなのかもしれない。サラリーマンの場合は、収入の総額が先に決まっているので、倹約をするしかないわけだし、時には安売りの行列に並ぶことになるのだが、自由業の者は、そんなことを考えるよりも、もっと仕事をして稼ぐことを考えた方が前向きで楽しい。
 日本人の大半はサラリーマンなわけだが、よく考えてみれば、僕の身の回りには、子供の頃からサラリーマンがほとんどいなかったし、今でも、サラリーマンの暮らしは僕にはイメージ出来にくいし、そうした生まれ育った環境の影響もあるのかもしれない。
 僕が自然写真家という職業を選んだ一番の理由は、生き物と接しながら暮らしたい、というものだが、ただ単に生き物と接したいのなら何も自由業である必要はないし、博物館や動物園や水族館などいろいろな仕事があるし、そこには、サラリーマンの暮らしが想像できなかったという理由があったのかもしれない。

 

2009.1.4(日) 遺伝 




 自然科学とは、自然現象の中から何らかの法則性を見つけ出す学問だ。
 だから、生物学の教科書を見ればさまざまな生き物が登場するが、何よりも肝心なことはそれらの生き物の違いを明らかにすることではなく、違いを明らかにすることによって、多くの生き物に共通する何かを浮き彫りにすることだ。

 例えば、ショウジョウバエは遺伝の研究でよく使われる材料であり、ショウジョウバエには数えきれないくらいたくさんの突然変異が存在する。そしてそれらの突然変異の一部は、薬剤や放射線などを使用して人の手で作られたものであることを、僕は学生時代に教わった。
 だが研究者は、それらの特殊な突然変異について明らかにしたいわけではなく、それらの変わり者(違い)を調べることによって、正常なショウジョウバエの体がどのような仕組みで作られているのかを知ろうとする。具体的には、目が黒いショウジョウバエの黒い眼がどのようにして作られるかを知るためには、目が黒いハエばかりを眺めているよりも、赤い眼のショウジョウバエと比較してみるのがいい方法なのだ。
 さらに、研究者は、ショウジョウバエについて詳しくなるためにショウジョウバエを調べているのではなく、ショウジョウバエを調べることで、すべての生き物に共通するような遺伝の法則を見つけ出そうとしている。

 さて、生物学の難しいところは、なかなかきれいなデータが得られないということ。
 たとえば、人の一重瞼や二重瞼は遺伝すると言われているが、実際に身の回りの人の瞼をよくよく眺めてみると、そもそも一重瞼なのか二重瞼なのかが分からない人が数多く存在し、いったいどうやって一重と二重を判別したらいいのかさえ分からなくなってしまう。
 今日の最初の2枚の画像は、僕の幼馴染の子供の目を撮影したもので、お兄ちゃんのとしちゃんは二重瞼で、弟のたけちゃんは一重瞼だ。
 お父さんは、片目が明らかな二重瞼で、あとの一方の目は一重瞼に見えるのだが、よく見れば奥二重というやつ。
 奥二重ははたして一重瞼なのだろうか?それとも二重瞼なのだろうか?
 僕の目は一重瞼だが、よく見れば奥二重になっている。
 写真を撮る場合は、まずは紛らわしくない被写体を選ぶ必要がある。二重瞼なら、誰が見ても二重瞼に見える目を撮影しなければならない。



 高校レベルの知識であるにも関わらず意外に人に知られていないのが、巻き舌と巻かない舌の遺伝だ。
 僕は上の画像のように舌を巻くことはできない。これは遺伝なので、恐らくどんなに訓練をしても僕にはできないのだと思う。
 今日は、依頼された仕事があり、スタジオで子供たちを撮影したのだが、そのついでに、瞼や舌など、過去に写真が売れたことがあるシーンを撮影しておくことにした。

 

2009.1.1〜3(土) 正月 

 僕の身の回りは、父方も母方も、
「行事をするから○月○日は絶対に出席しなさい。」
 などとは言わないし、親族間のしがらみは全くないと言ってもいい過ぎではない。
 だから僕は心おきなく仕事に打ち込めるし、それは、写真の仕事の中でも自然などという計算が出来にくい被写体を相手にする者にとって、大変に有利に働いていると思う。
 僕はその中でも特に行事に疎いので、気がついた時には弟がいつの間にか結婚をしており、式やその他がすべて終わった後だったことさえある。

「滅多にない行事なのだから、たった一日くらいいいじゃないか。」
 と考える方もおられるだろうし、同じ自然写真でも撮影のスタイルによってはそれも正しいと思うのだが、例えば、生き物の産卵のシーンだとか脱皮のシーンなどを中心に撮影しているものの場合、そのたった一日がすべてを決めるケースが少なくない。
 そしてさらに、水辺の生き物を被写体とする者は、陸のものを主に撮影している人よりも、それがシビアになってくる。
 一番大きいのは、水辺の生き物の場合、淡水であっても潮の満ち引きの影響を受け、特に大潮のタイミングで何かが起きることが多いので、その辺りを空けておかなければならない。
 それに加えて、水辺の生き物は雨の影響を受けるので、それらの条件が一通りそろう日は年にほんとうに数日しかないのだ。

 だが、今年は伯父さんの希望で、年末に法事を行い一族がみな参加することになった。僕の母を含めて、伯父さんの兄弟がみな年をとり先が分からなくなってきたので、最後にみんなで顔を合わせておきたいという伯父さんの希望だった。
 従兄の中でも医学部に進学し、今では准教授として活躍しているマーちゃんと会うのはおよそ20年ぶり。
 同じく従兄のカズちゃんは、僕と同じ年だというのに子供が二人もいて立派なお父さんに。従兄のゆうこちゃんなどは、僕よりも年下だというのに子供を4人も育てている。
 基本的に行事嫌いの僕と言えども、この日はさすがに胸にジンと込み上げてくるものがあった。僕は近頃、日本従来の家族制度のようなものの良さを思い知らされることが多い。
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2009年1月分


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