撮影日記 2008年12月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

2008.12.28〜31(日〜水) 更新 

 今月の水辺を更新しました。

 

2008.12.26〜27(金〜土) 新しい分野 

 生き物の写真の世界には、景気の影響をほとんど受けない分野があり、僕はその分野に参入してみようと考えている。
 今の不景気が、今後の僕の仕事にどれくらいの悪影響を与えるのかはまだ分からないし、もしかしたら、何の問題もなくすんなりと不景気を乗り越えられるのかもしれないが、何事も、研究をしておくことは悪くないだろうと思う。
 不景気以外にも、出版の中心である東京が震災などでダメージを受けた場合に大半の仕事がストップしてしまう可能性だってあるし、そんな時に備える意味でも、絶対に飯が食えるように、備えだけはしっかりしておこう、と急に思い立ったのだ。
 先日上京した際に、それを海野先生に話してみたら、
「武田君は心配性なんだなぁ。」
 と呆れられたのだが、同時に、
「その分野は、やってみると面白いことがたくさんあるだろうと思うよ。」
 という感想が返ってきた。
 そこで、さっそく東京滞在中に仕事をもらってきたのだが、手堅い仕事は、その手堅さに伴う苦痛も多い。昨日〜今日は、その撮影のための段取りや実際の撮影で、大変に慌ただしかった。
 今回の仕事は、当初はあっと言う間に終わってしまうであろう、簡単で、おいしい仕事の予定だったのだが、
「写真を撮ってもらえるのなら、ついでに別のシーンの撮影もお願いします。」
 と後から追加で依頼された6枚の写真の撮影難易度がそれなりに高く、僕はその絵柄を示したファックスを見た瞬間に痺れてしまった。
 昨日は、そのうちの3枚の撮影で一日が終わり。
 今日は、早朝から残りの3枚を撮影の準備をし、撮影は午前中の間に無事に終わったのだが、準備が大変に大がかりだったことと、人に迷惑がかけないようにとにかく気を配らなければならないシーンだったため、まだ昼食前だというのに、今日の僕はもうクタクタだ。

 

2008.12.25(木) 親子とは、愛情とは 

 犬は人に愛情を示すが、カブトムシや金魚は人に愛情を示すことはない。金魚は、長く飼っていると餌をねだって寄ってくるようになるけれども、それは愛情とか友情などというものではなくて、単に人が近づくと餌が落ちてくることを覚えたのに過ぎない。
 人になつく生き物とそうでない生き物とを比べると、犬のように人になつく生き物には親子関係があり、なつかない生き物には親子関係がない。カブトムシや金魚のメスは、卵を産みっぱなしで、子供を育てることはない。

 つまり、動物が人になつく場合、まずその動物には、親が子供を育てたり子供が親を頼ったりする能力が備わっており、その能力を人間に対して発揮しているのだと考えるのが素直だろう。
 人間の世界には友情などという概念があるが、友情だって、恐らく親子関係の応用であり、自然界を見渡してみても、親子関係がない生き物の世界には、仲間とか友情と言えるような関係は存在しないように思う。
 雄雌の間の愛情は、性欲なので、ちょっと質が違うのかな?
 僕は写真を撮りながら生き物の世界を眺めてきた結果、人間の世界に存在する他人を思う気持ちの原点は、動物の親子関係にあると感じるようになってきた。
 下等な生き物には親子関係はないので、大昔の地球には、親子というような概念はなかったわけだが、そんな地球にやがて親子関係を持つ生き物が登場する。
 その生き物はいったいどんな風にして、親子というようなシステムを編み出したのだろうか?

 さて、アメリカザリガニは、親が自分の体に卵を抱えて保護をし、子供が生まれてからも、子を守るような行動を見せる。つまりそこには、まだまだ原始的ではあるが、親子関係のような何かができかかっている。
 昨年、一昨年と、僕はそのアメリカザリガニの親子の写真を撮った。
 そして、それはすでに本の体裁になり、つい先日、ある出版社のパーティーで御披露目されたばかりだ。
 僕はその場で挨拶をし、生き物の親子関係と友情や愛情の関連について話をし、アメリカザリガニの親子にカメラを向けつつ、自分が何を考えていたのかを語った。
 
 すると、編集者の一人が、
「じゃあ、うちのイモリは、私がどんなに愛情を注いでも、それが理解できないのですね・・・。」
 とがっかりしておられたのだが、それが大変に面白くて、可愛らしく、よかった。
「ああ、本作りの原点がここにある!」
 と僕は打ちのめされる思いがした。
 本を作る際には、何が正しい知識かよりも、その知識に至るまでに人が考えたり、感じたことの方がしばしば大切なのだ。
「イモリは人にはなつかない。」
 は面白くないが、
「イモリは人になつくの?なつかないの?え〜なつかないんだ。がっかり。」
 はとても面白い。
 そう言えば昔、夏休みのラジオの番組で、小学生が有名な先生に、自然や生き物について質問をするというコーナーがあったのだが、大人になってそれを聞いてみると、先生が答える正解よりも、子供たちの妄想とも言える質問の方がおもしろかったことを思い出した。

 

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3月1日の日記の登場した林倉一郎くんの写真展が開催されています。場所は、東京都世田谷区宮坂3の21の13 ギャラリー・カタカタ です。

 林君は、おっとり・ほんわかしたタイプですが、話してみると視野が広く、植物を見ながら人間社会のことまでもを考えているようなふしがある若者です。風刺が効いた社会派というよりは、クスッと人を楽しくさせるような何か持っています。
 自然写真の貸し出し業務を行っているているネイチャープロダクションで林君がアルバイトをしていたいのがきっかけで、家に一度遊びにきたこあとがあります。
興味がある方は、是非「雑草庭園T」を見に行ってください。 

 

2008.12.23〜24(火〜水) 帰宅 

 海野先生の事務所に立ち寄ることになっていた21日の朝に、
「今日は何時ころ来るんだ?」
 と先生から電話があった。
 立場を考えると、僕の方から
「何時に行きます。」
 と連絡しなければならないわけだから、僕は目上の人に対してかなりの無法者なのだが、一方でパーティーなどにゲストとして呼ばれて、みなさんに立ててもらうと、今度は自分が堂々と立ててもらえばいい立場だと言うのに、ムズムズしてその場から逃げだしたくなる。
 過去には、本当に逃げ出してしまったこともある。
 僕は、人を立てるのも、人から立てられるのも苦手。だから放っておかれると、きっと引きこもってしまうだろうと思う。
 だが、人と顔を合わせたり、直に話をしたり、接することはとても大切なことなのだから、僕を引きずり出してくださるみなさんには、実は大変に感謝している。

 北九州から東京までは、飛行機で1時間ちょい。上京の際には、駐車場の料金が安い(400円/一日)北九州空港を利用する。
 
 飛行機の中では、写真の教科書を読んで時間をつぶした。
 教科書の類は、一般にどれも理解をするのにエネルギーが必要で読みにくいものなので、暇で他にすることがなく、逃げ道がない状況で読むことにしている。
 今回は、醤油の瓶の撮影方法のページを熟読。黒い被写体には周囲の明るいものは写ってしまうのだが、写真を撮影する場合には照明が写り込んでしまう。それをいかに自然に、上手に見せるかの説明が書いてあった。

 今回の上京では、みなさんに案内されて、まるで修学旅行生のように東京見物を楽しんだ。
 知人のお子さんにお土産を、と思い秋葉原に行ってみたら、これが思いの他楽しくて、オタクのみなさんの気持ちが多少理解できた。テレビで見て、
「くだらん、実にくだらん・・・」
 と思っていたメイド喫茶のメイドさんは、
「萌え〜」
 とまではいかないが、なかなか可愛らしくて、
「あっ、これは商売になるな〜」
 と妙に納得。案内をしてくださった写真家の黒柳さんが、
「あそこにメイドさんがいますよ。」
 と見つけては教えてくださった。
 
 23日の朝、モノレールで羽田に向かう。10時25分の飛行機を予約しているのに、僕はなんと9時3分に飛行場に到着。
 僕は人付き合いが悪いのだが、本当はマイペースなのではなくてその逆で、約束や待ち合わせなどが気になって気になって仕方がなく疲れ果ててしまうので、つい引きこもってしまう。
 出版社に行く場合も、約束の時間の1時間くらい前に到着し、辺りでブラブラして過ごしたりする。
 乗物に乗る時も同様。
 だから乗り物が苦手だ。
  
 ところが、僕が予約していた10時25分の便が欠航し、そのあおりを受け、それ以降の2便が満席で次の空席は14時台だ。東京滞在中に体験した人ゴミの疲れで限界に近かった僕は、電光掲示板を見て、ショックで倒れそうになってしまった。
 が、よく見れば9時10分の便に空席あり。
「まだ間に合いますか?」
 と聞いてみると、
「大丈夫ですよ。」
 と返事が返ってきた。
 めでたしめでたし。
 どこでもドアがあったらなぁ。

 

2008.12.22(月) 東京6日目 

 東京6日目。今日は、ある出版社で雑誌の4月号を担当した人が集まるパーティーに招待された。
 雑誌の4月号というのは特別な号で、他の月の本と比べると随分早く作られる。僕が担当した本は、来年の4月に配られる本だというのに、今年の夏の間に作られた。

 なぜそんなに早く作るのか?と言うと、営業の方々がそれを持って色々な場所を回り、売込みをするため。
 子供向けの月刊誌は一年間の定期購読という形で販売されるので、その4月号の出来不出来によって、その雑誌が一年間にどれだけ売れるのかが決まってしまう。
 つまり、そうした本を作っている出版社にとって、4月号は非常に重要な、そして特別な存在であり、当然4月号では冒険が出来にくいし、手堅く作りたくなるのが担当者の心情だろう。
 それは、各社の4月号を見れば、大体想像ができる。
 
 さて、僕は極めつけの恥ずかしがり屋で、パーティーの類には本来は出たくない性質なのだが、今回は参加をして本当に良かったと思う。
 実は、僕はこれまで、内心、
「4月号だって、時には冒険しろよ!」
 と思わないでもなかったが、パーティに参加し、社長さんの挨拶などを聞いていると、
「エイ、エイ、オー。」
 と言わんばかりの大変な、僕の予想を遥かに超える意気込みが伝わってきたし、4月号を作る際の担当者の立場や気持ちがよく分かった。あの状況の中で、もしも自分が担当した本の評判が悪かったなら、それは相当に心苦しいに違いない。
 もちろん、写真家と編集者は立場が違うのだから、相手の気持ちが分かったからと言って、何でも編集者に合わせればいいとは思わないが、相手の立場を知っておくことはやっぱり大切なことだと、僕は思う。
 例えば、写真撮影や本作りの際に、
「なんでそんな風にしなければならないの?つまんない!」
 と感じるよりも、
「なるほどね。」
 と納得し、自分の気持ちを切り替え、相手の要求にこたえながら、同時に自分の思いも可能な限りたくさん一枚の写真に込めた方が、どう考えても前向きであるように思う。

 

2008.12.21(日) 東京5日目 

 東京5日目。昆虫写真家・海野和男先生の事務所へ。
 海野先生の事務所を僕がはじめてたずねたのは23〜4歳のころだから、もう15年くらい前のことになる。
 そして、その時最初に話してもらったことを、自分の心の中でまずそれなりに消化するのに、僕は数年の月日を要した。その日の出来事は、それくらい僕にとって新しくて、かけ離れていて、難しくて、簡単には理解できないことだったし、その日は、僕の人生や価値観の何か変わった境目の日になった。
 ちょうど終戦の頃、子供〜若者だった人はしばしば、
「終戦を境にガラリと価値観が変わり、頭が混乱した。」
 というが、僕にとっては、終戦は大げさにしても、それと似たような出来事になった。
 さすがに、今ではそこまで劇的ではないが、それでも海野先生に会うと、何か自分が知らないものや、新しいものが脳の中に侵入してくる。
 そして、その新しいものを日記に書こうとすると、書きたいという強い衝動があるにもかかわらず、意外にもそれが何だかわからず、どんなに頑張っても言葉にならない。
 さて今回は、いったいいつ、それが言葉になって出てくるのだろうか?
 写真を撮るって、いったいどんな行為なのだろうか?
  
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.20(土) 東京4日目 


 自然と言えば、癒しという言葉を思い浮かべる人は、多いのではないだろうか?だが僕は、自然にはもっといろいろな見方があるし、何でそこまで、
「癒し、癒し」
 と言わなければならないのかがよく分からなかった。ところが都内の公園でのんびりと過ごしてみると、生まれて初めて、なるほどなぁと痛感。
 今日は東京4日目。八重山の写真家・黒柳昌樹さんと東京ドームで待ち合わせをし、近くの公園で語り合った。
 東京の街の中だけを歩いている時は、のんびりできる公園のような空間が欲しいなどと感じたことはなかったのだが、街を歩き、そしてそのあと静かな公園でのんびりしてみると、植物や鳥の姿や声が大変に心地いいことを痛感させられたのだ。
 普段の僕にとって自然=癒しではないのは、自然が仕事の場であるのも理由の1つだろうが、それ以上に、きっと満たされているんだろうなぁ。
 
 公園の次は、黒柳さんの案内でバスに乗り、のんびりと移動。
 夜は、オリンパスのプロサービスを担当しておられる田中博さんをたずね、オリンパスのカメラについて教えてもらい、そのあとは食事へ。
 今日は何だかリラックスできて、とても楽しかった。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.19(金) 東京3日目 

 東京3日目。今日は、僕にとってはお姉さんのような存在の編集者と約束の日。
 自然写真の世界で生きていこうとすると、難しいのは、意外に写真撮影を含めた仕事ではなくて、それらの仕事とごく普通の日常生活とをどのように両立させるかだ。
 自然写真家などという人種は、自然や写真のことには詳しくても、その他の一般的な感覚は欠けている嫌いがあるし、時々、写真や出版のことをよく知っていて、同時にごく普通の生活についても分かっている人と色々と話をし、
「それは武田さんの方が変よ。」
 などと指導を受けなければならないのだ。
 もっとも写真家は変でなければならないこともあるし、僕も指摘を受けて変を必ずしも修正するわけではないが、人と折り合いをつけるときには自分が変だと分かっていた方がいい。
 だいたい性質の悪いもめ事というやつは、お互いに自分の方が正しいと信じている人間どうしの間におきやすいように思う。
 そして、その手のもめ事の際の腹立ちは、怒りは怒りでも非常に後味が悪く、精神衛生上良くない。
 だが、自分の方が非常識だと分かっていれば、そうした状況には陥りにくい。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.18(木) 東京2日目 

 以前ある場所で、小学校時代の先生から、
「クラス替えの時に、誰が武田君の担任になるのかについて、先生方の間で話し合いをしなければならなかったんだよ。」
 と教えてもらったことがある。僕は子供の頃(今でも?)は、大変な問題児だったようだ。

 確かに思い出してみれば、道徳の時間などは、
「武田君がこんなに悪いことをするので、止めてほしいと思いま〜す。」
 という訴えのオンパレードだった記憶がある。今の若者には、もしかしたら道徳の授業が理解できないかもしれないから簡単に説明すると、昔は、人のマナーのようなものを教わる時間が、学校の授業の中にあったのだ。
 僕は同級生にいたずらをするばかりでなく、授業中にじっとしていられなかったり、忘れ物がひどかったりもした。担任の先生からは、忘れ物の神様とか忘れ物の帝王というあだ名をもらっていた。
 僕にはそんな傾向が備わっているのか、忘れ物は今でもひどい。今回の上京も、デジカメ用のカードリーダーを忘れてしまったので、東京行きの飛行機の中から撮影したスナップ写真を日記に載せることができなかった。
 
 さて、先月だったか、ニコンのデジタルカメラの使い方を紹介する本の仕事で水辺の鳥のページを担当したことを書いたが、僕はその仕事の過程で、
「カメラ関係の本の仕事って、面白いじゃない!」
 と感じたことを書いた。
 実は僕は、子供の本の仕事をするうちに、
「カメラはあくまでも手段であり道具で、目的ではない」
 とカメラや写真文化には、ほとんど何の興味も感じなくなりつつあった。

 だが写真の本の執筆をしたことで、まだ趣味で写真を撮っていた頃のカメラに対する強烈な憧れなどが、僕の心の中に突然に蘇ってきた。
 毎日毎日、同じニコンのレンズのカタログを穴が開くほど眺め、
「あ〜これが欲しい。」
 とため息を付く日々。
 使いもしない撮影アクセサリーも、いろいろと買い漁ったりもした。カメラ屋さんでカメラを見ているだけで、あっと間に時間が過ぎ去っていった。
 あれが欲しい、これが欲しいでせつないといえばせつなかったけど、とても楽しくもあった。
 僕はふと、子供の本ばかりではなく写真雑誌にも売り込みをしてみようかな、と思いついた。
 そして昨日(18日)は、とある雑誌をたずねてみたのだが、写真のオタクな話をしても許されるどころか、笑顔で聞いてもらえることが、とても愉快だった。
 やっぱり、カメラっていいな〜。

 夜は、今度は子供の本の方に、今年撮影した金魚の写真を見てもらった。
 その本は、過去に何度も仕事をしたことがある本なのだが、担当の編集者が昨年だったか代わり、新しい担当の方とたくさん話をしたのは、今回がはじめて。
 そして、
「何だから話が通じやすいなぁ。」
 と思っていたら、僕と年齢が同じ。これから長い付き合いになりそうな予感がする。
 
 子供向けの自然や生き物の本は、昔ほどは売れなくなっている。だから、将来はもっと先細りになっていく可能性がある。
 その点、ベテランの人はそれよりも先に定年がくるだろうから、本が売れなくなったり、雑誌が廃刊になったり、先細りになることをあまり心配しなくてもいいのかもしれないが、僕のように先が長い者にとっては、それは由々しき重大な事態だ。
 その思いを共感でき、何か知恵を出し合って一緒に立ち向かっていけるのは、やはり年が近い人になるのだろう。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.14〜17(日〜水) 上京準備〜東京初日 

 一昨年から売り込みをしている企画を見てもらうための準備で、ここ数日は非常に慌しかった。事務的な作業で、ここのところ数日よりも追い詰められた気持ちになったことは、確か過去にはなかったように思う。
 一昨年は、
「かなり乗る気ですよ。」
 と編集の方に言ってもらえたのだが、越えなければならない壁があることを教えられた。
 昨年は、一昨年指摘されたことを自分なりに考えた上で同じ企画を見てもらったのだが、それでもまだ何かが足りない、と自分でも感じていたし、やはり企画が先へと進むことはなかった。
 
 そこで僕は色々と考えた結果、日頃いっしょに仕事をしている友人に相談をして、企画に参加してもらうことにした。
 友人は、日頃は編集の仕事をしているのだが、編集の能力もさることながら、アーティストとしても並外れた力を持っているし、それを何とか発揮したいと考えていることを僕は知っていたのだ。
 そして今年。
 昨日僕は新しい資料を持って出版社の門をくぐったのだが、担当の編集の方も僕と同様に、友人の才能にほれ込んでくれたようで、
「これは参りした!これは凄い。」
 と言ってもらえた。
 
 僕は、友人の才能を初めて肌で感じた時にピンとくるものがあったし、この人は通用するどころか一流になる、と思ったのだが、同じように感じる人がいたことがとにかく嬉しかった。
「やっぱりそうだよね!」
 という思いで感激の雄たけびをあげたくなったのだが、ぐっと堪えた。
 間違いなく今年一番の感激だった。
 
 夜は、僕にとって自然写真の世界でのお父さんというような存在の方に招待されて、食事に出かけた。
 お父さんというのはちょっと変かなとも思うのだが、先生という感じではないし、他に上手い言葉が見当たらない。
 僕の他には大先輩が二人。二人とも名前や写真は何度も見たことがある有名な方だし、日頃から知りたいと思っていたことを、幾つかたずねることができた。
 自然写真の世界で長い間生き抜いてきた先輩方にお会いして、いつも感じるのは、月並みな言葉ではあるが、純粋な目をしている、ということ。
 もしも、その人が写真家だということを知らなかったとしても、
「この人、いったい何の仕事している人だろう・・・」
 と知りたくなるような何かがある。
 僕も、そんな風にいつかなれるのだろうか。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.13(土) 貧乏 

 数年前にニコンのD70を買った時には、
「ああ、これでもう現像料の心配をしなくてもいい。」
 と大変に安心させれたことを、今でもよく覚えている。
 その当時は、フィルムの現像代だけで最低でも年間数十万円は必要だったし、時には、写真を撮ったもののお金がなくて 撮影済みのフィルムを現像できないこともあった。
 僕らは写真を貸し出してお金を得るのだから、フィルムを現像できなくなってしまうと、悪循環に陥ってしまう。
 が、ニコンのD70を手にした瞬間に、僕は、その恐怖から解放されたのだった。

 キヤノンからは、EOS1Dsという、それまでのデジタルカメラよりも1ランク上の規格のカメラが登場し、その画質は凄まじいとの噂を耳にした。
 だが、そのEOS1Dsは100万円に近かったので気軽に買える代物ではなかったし、
「畜生・・・、あれが欲しいなぁ。」
 と一体何度感じたことか。
 いつの間にか僕は、新たな恐怖に取りつかれるようになった。
 それは、EOS1Dsを買えるようなお金持ちが高画質な写真を撮り、それによって評価され、益々仕事がそこに集中し、一方で貧乏人は、仕事が得られなくなのではないか?と。
 資本主義と言うやつは、なんて残酷なんだ・・・・と妄想と戦う毎日が始まった。

 だがやがてキヤノンから、そのEOS1Dsと同じ規格で随分安いEOS5Dが発売され、僕は予約をして発売日に手に入れた。
 確か30万円台だったと思うのだが、30万円なら十分に元が取れる値段だし、買えない価格ではないし、
「ああ、これで金持ちに差をつけられてしまう心配がなくなった。きっと、もうしばらくは、写真の世界で仕事を続けることができるだろう。」
 と胸をなでおろしたものだ。
 
 僕は当時、全財産を機材の購入に使っていたので、着るものやその他をほとんど持たなかったし、上京するような時には、大変に不便だった。
 上京用のトランクケースに着替え用の衣服を入れて前もってホテルに送ってしまうと、明日着るものがなくなってしまい、ズボンは、ファッションでもないのにお尻が破れたものを履かなければならなかった。
 最近は、さすがにそんなことはないし、事務所にも、自宅にもたくさん着るものがある。
 少々洗濯をさぼっても、全く何の不自由もない。
 だが、上京の準備で衣服をトランクケースの中に詰め込むと、いよいよお金がなくて不便だった時の記憶がよみがえってくる。
 
 その後、デジタルカメラは更なる進歩を遂げ、今や、お母さん用として売られているデジタルカメラでさえ、十分にプロの仕事に使えるだけの性能がある。
 僕の、お金持ちしか仕事ができなくなるのでは?という心配は、まさに妄想で終わった。
 だがその時の不安な思いは、今でも完全に抜けきっているわけではないし、僕は、今でもEOS1Dsと同じ高画質な規格のカメラを使用している。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.12(金) 集中 

 今日も上京の準備。
 だが、なんだか心が集中できない。
 他のことをしたいわけでもないし、のんびりしたいわけでもない。
 僕はだいたい、夜は横になるとすぐに眠ってしまうのだが、年に何度かは寝つきが悪くて布団の中でゴロゴロすることがある。
 そんな時、
「あ〜不眠症の人って辛いんだろうなぁ。」
 と実感させられるのだが、今日の気分は、起きているのに、そんな時の気だるい感じに近い。
 多分何かを悩んでいるのだろうと思うが、何に悩んでいるのかが自分でも分からないのだ。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.11(木) 不景気 

 出版社に企画を持ち込んだ際に、
「今はちょっと株価が下がり気味だから、利潤が出にくい自然関係の本を出すことは難しい状況にあります・・・。」
 と断られたことが、過去に数回ある。
 僕は株取引には全く興味がないのだが、それ以降、株価が上がるとか下がると言った現象が、それなりに気になるようになった。政治や経済って、大切なんだぁと思い知らされた。

 さて、「不況だ不況だ」と叫ばれているが、僕の暮らしは、今後いったいどうなっていくのだろう?
 僕がプロの写真家を目指して本格的に写真を撮り始めた時、すでにバブルがはじけていたし、僕は写真世界で、儲かると感じたことは過去に一度もない。
 だが、僕よりも古い人の話を聞いてみると、
「ウソでしょう?」
 と疑いたくなるくらいに景気のいい話を耳にすることがある。
 写真一枚の使用料が○○○万円だったとか、雑誌に数ページ分の企画を売り込んだら、ギャラが○○○万円だったなど、今ではあり得ないような話の数々だ。
 僕は、だいたいだらしない人間だし、子供の頃などは、日本に住んでいる人たちが1人1円ずつ僕に寄付してくれたら全部で一億円以上になるのだし、そんなことが実現しないかなぁなどと結構真面目に検討をすることがあったくらいだから、「バブルの時代を体験してみたかったなぁ」などと今でもたまに考えることがある。
 だが、そんな時代を知らなかったからこそ、今こうして写真を撮っていられるのかもしれない。バブルの頃に名前をちょくちょく見かけていた自然写真家で、今では全く名前を見なくなった人は何人もいるし、仕事は一番厳しい時代を基準に考えておいた方がいいのかもしれない。

 一番厳しい時代を基準に考えると、景気に左右されない仕事をある程度の数抱えておかなければならないと感じるのだが、僕の頭の中にはいくつかの候補があるので、12月の中旬に上京した際に、いろいろと人に相談してみたい。 
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.9〜10(火〜水) 続・画像の整理 

 失敗をしても何の対策もせずに、また同じやり方で次の機会に臨もうとする人を見ると、
「そんなことでは進歩がないし、次も同じ失敗することがやる前から分かりきっているじゃない!」
 と思うのだが、よくよく考えてみると、自分にもそれが結構当てはまるケースがある、と僕は近頃気が付いた。
 僕の場合、撮影で失敗したり、仮に成功しても効率が悪くてたくさんの時間がかかってしまったような場合は徹底して原因追究をするし、対策を立てるのだが、事務的な仕事に関しては、毎回毎回同じ失敗ばかりを繰り返しているのだ。
 そしてその結果、画像の整理や画像の貸出などの作業に、いつも自分が思っているよりもたくさんの時間がかかってしまう。
 ここのところは、金魚の画像の整理をしていたことは、つい先日も書いたばかりだが、何にどれくらいの時間がかかったかの記録をちゃんと取り、それを見直してみると、金魚の画像の整理には、まるまる7日間の時間を要していたことが分かった。
 7日間もの時間がかかっているのなら、やはり自分のやり方を一から全部見直して、効率よく作業が進められる自分なりの方法を編み出さなければならないだろう。おそらくそうすることによって、7日間が、3〜4日程度に短縮できるのではないだろうか?
 その場合、パソコンやソフトの使いこなしが非常に重要になってくるし、僕はパソコンには全く興味がないのだが、それなりにうまく使いこなす努力をしなければならないだろう。
 ソフトにしても、今よりももっと効率よく作業ができるソフトはないか?など、知る努力をしてみようと思う。
 結局何をしても、「これが好きだ」とか、「これは嫌い」などとは言っておれないなぁと最近感じることが多い。

(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.6〜8(土〜月) 画像の整理 

 僕は普段は、撮影したその日のうちに画像の整理までを終わらせることにしているのだが、金魚の写真は、使用する画像とそうでない画像とを大雑把に分けただけで、ほぼ未整理のままで放っておいた。
 金魚は、撮影よりも世話がいそがしくて、画像の整理までは手が回らなかったのだ。

 ここ数日は、それらの画像の整理に打ち込んだ。連日、朝から晩まで、ひたすらにパソコンに向かい、ようやくほぼ一通りの整理を終えることができた。
 明日からは、12月の中旬に上京する際に、出版社でそれらの画像を見てもらうための準備に取り掛かる。
 
 僕はパソコンの画面を眺めるのがあまり得意ではないので、画像処理の時間が長くなってくると、大変に辛いし、今回もその例外ではなく、かなり苦心させられた。
 今後は、画像処理は、どんなに忙しくても、絶対にため込まないようにしよう!
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.5(金) お知らせ 

(お知らせ)
 4人の自然写真家(武田晋一・伊藤健次・田中達也・吉野雄輔)によるサンケイ・エクスプレスでの連載ですが、次回は12月6日(土)が僕の順番です。新聞の一面いっぱいに、写真と文章が掲載されます。
 今回は、僕が過去に撮影した風景写真の中でも、最高傑作と自負している一枚を選びました。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。
 4月1日から、首都圏でもサンケイ・エクスプレスの駅売りが始まりました。一部100円です。銀座線を除く東京メトロ、都営地下鉄の全売店と、JRの主な売店、東武、西部の売店のほか、東急の一部売店で購入可能です。
  
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.4(木) 大の苦手 

 ここ数年、毎年年末あたりに上京しているのだが、今年もやはり、12月の中旬に上京することになった。
 僕はとにかく東京が大の苦手なので、上京は、できれば3年に一度くらいにしたいなぁなどという願望がある。 だが、毎年同じ時期に上京するからだろうか、
「そろそろ武田さんが来る季節だけど、今年はどう?」
 などとみなさんが声をかけてくださるし結局、それが誘い水になり、上京することになる。

 人に会うことはとても大切なことだと思うのだが、僕の場合は、もしも放っておかれたら、恐らくどんどん東京からは遠ざかってしまうだろうし、それは=人に会えないことになってしまうから、声をかけてもらえることは、本当にありがたいことだと思う。
 それは例えるなら、朝定刻に起きる自信がない人にとって、モーニングコールが実にありがたいサービスであることに似ているように思う。
 人に会うこと自体は全然嫌いではないし、むしろ、あの人に会いたいなぁなどと頭の中で考えている時間は、恐らく多くの人よりも長いのではないか?と思う。
 ただ、あの人ゴミと騒がしい音に耐えられないのである。

 過去にたった一度だけ、人ゴミをほとんど味わうことなく、上京できたことがある。
 それは、あるテレビの番組の取材を受けた際に、ディレクターが、
「どうしても出版社で打ち合わせをする絵が撮りたいんですけど・・・。」
 とおっしゃり、テレビ局の人たちと一緒に上京した時だ。
 飛行機に乗っている間以外は、すべて車での送り迎え付きだったし、ホテルも、僕が自費で宿泊する際に利用するホテルよりもグレードが高くて快適だった。
 大の苦手のはずの東京に行ったというのに、全く疲れなし。これなら、毎週でも上京してやるぞ!と真面目に思った。
 羽田から都心部まで、タクシーを利用できる身分になれたらなぁ・・・。

 上京することを決めたら、僕はいつも、計画表に10日くらいの日程で『上京』と書き込む。
 ところが、あの人ゴミを思い浮かべると、まだ行ってもないのにだんだん苦痛になり、当初の10日の滞在の予定が、いつの間にか3〜4日程度に短縮されてしまうことが多い。
 今年も例年通り、最初は10日くらいの予定を立てたにもかからず、それがだんだん短くなり、ついには2〜3日の短い滞在で帰宅をすることになった。
 だがその後、色々と考えるところあり、東京嫌いを克服する努力もしてみよう!と、最終的には、例年よりも長く滞在することに決めた。
  
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.2〜3(火〜水) 続・写真の記録性 

 9月に、母校の直方北小学校で授業をする機会があったが、およそ30年ぶりの教室は、とても懐かしかった。
 できれば講師としてではなく、ただの傍観者として、久しぶりの学校を感じたかった。
 小学校の先生もいいなぁと感じた。でも、僕は人前で歌を歌ったり、素人の歌を聴くのだが嫌いなので、音楽の授業もしなければならない小学校の先生には不適かな・・・。
 音楽の授業について、教頭先生にたずねてみたら、
「私も音楽が大の苦手でしてね!歌はすべてテープを聞かせたりしてしのぎました。」
 とのこと。
 それを聞いて、突然に教頭先生に親近感が湧いてきた。

 それはともあれ、その日をきっかけに、時々子供のころのことを思い出して考えるようになった。
 そんな時、写真による記録ってやっぱりいいなぁと思う。
 近頃は、学校行事の際にビデオを撮る人も多いようだが、僕は、仮に自分が写ったビデオがあったとしても、あまり見てみたい気はしないし、多分見ないだろうと思う。
 みなさんは、もしも子供のころを振り返るのなら、どんな記録を見てみたいだろうか?
 また写真なら、どんな写真を見てみたいだろうか?

 僕はその場合、少なくとも、アーティストが撮影したような芸術的な写真にはあまり興味がないし、それよりも、父兄が傍観者の立場で撮影したような写真を見てみたい気がする。
 例えば、授業参観の日にみんなのお父さんやお母さんが授業の風景を撮影した写真の中に、自分を探してみたい。
 記録って面白い!と思う気持ちが、僕は年々強くなっていく。 
 プロである限り、写真の技術にはこだわらなければならないし、もっとうまくなりたい、という気持ちを忘れてはならないだろうと思うのだが、僕は、いい記録を残す技術に磨きをかけたい。
  
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.12.01(月) 写真の記録性 

「締め切りが迫ってますよ。」
 というメールが届いたので、一枚の風景写真を選び、原稿を書いて送ったら、編集に携わっておられる方から、
「私は、風景は心を育てるなぁと思います。」
 という感想のメールが送られてきた。

 そう言えば、随分前に北朝鮮から拉致被害者の方々が帰ってきた際に、家族や仲間たちと空港で再開した際に見せた涙は熱かったけれども、その後故郷に帰り、故郷の景色を久しぶりに眺めた時の涙は、それ以上の熱さだったように僕には感じられた。
 本当のところは拉致被害者の方々に聞かなければ分からないが、少なくとも、涙の質が違っていたように僕の目には映ったし、見慣れた景色がその人のとってどれほど大切なものなのかを思い知らされたような気がした。
 
 僕はもしも風景にカメラを向けるのなら、芸術作品と言われるような厳しい写真や洗練された写真よりも、誰かの心に深く刻まれている景色を思い起こさせるような写真を撮りたい。
 写真にはいろいろな側面があり、その1つに芸術性もあるのだろうが、僕が興味を持っているのは、写真の記録性だ。

(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)
 
   
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