撮影日記 2008年11月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2008.11.29〜30(土〜日) お知らせ

 今月の水辺を更新しました。 
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.11.27〜28(木〜金) 個性

 自分が撮りたい写真だけを撮り、それで生きていけるのならそれに越したことはないが、写真の天才でもない限り、それは不可能なことだ。
 そこで、写真を志す大部分の人は、何か自分が得意なことと自分が撮りたい写真とを組み合わせることで生きていこうとする。

 僕の場合は、まず性格的に技術者型の人間なので、技術を磨き、技術屋として生きていく中で、何とかして自分が撮りたい写真も撮り、それを発表する場を得ようとしている。
 たとえば、
「アマガエルのこんなシーンの写真が欲しいのですが・・・・。」
 と求められたなら、僕は恥も外聞もなく、まずそのニーズにこたえられる写真を撮ろうと努力をするし、図り間違えてもその時、
「俺の作風は・・・・、俺の哲学は。」
 などと主張することはない。
 僕が提供しようとしているのは、相手の依頼にこたえることができる技術なのだ。
 そして、そうして仕事をこなす過程で築かれた土台を使って、いずれ自分が表現したいものを表してみたい。
 自分が撮りたい写真を撮る人を写真家。そうではない人をカメラマンと呼ぶのなら、僕には、純粋に写真家として生きていけるだけの才能はないような気がするので、カメラマンという仕事を組み合わせたわけだ。

 自分が得意なものが何なのかは、人によって異なるだろう。
 僕の場合はコツコツと研究をして技術を磨くことだが、ある人はライターとしての才能を持っているかもしれないし、またある人は教え上手で、写真教室の先生としての性能を持っているのかもしれない。
 僕は、写真を志す人が、純粋に写真家としてはやっていくことができない、と思った時に、何を組み合わせるかもまた、とても重要なその人の個性だと思う。 
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.11.26(水) 教わる

 ある先輩が、ある本を作った際にそれをどうやって出版社に売り込んだのかを、事細かく語ってくださったのだが、
「ああ、売り込みって、そんな風にやるものなのか。」
 と教えられた。
 僕は、基本的に技術者型の人間であり、交渉事は元々あまり得意ではないわけだが、先輩の話を聞いて、自分がいかに熱意のない売り込みをしているのかを思い知らされた。
 いかんなぁ。

 フリーの写真家の世界はとても孤独な世界だから、同業者から何かを教えてもらえるような機会はあまりないし、写真の技術だって、基本的に自分で編み出すものだ。
 人様がどんな方法で写真を撮っているのかは、その人の写真を見ればだいたい想像ができるが、一方でそれは、自分もその技術を習得できた時に、
「ああ、なるほどね。こうやって撮影しているのか・・・。」
 と分かるのであり、自分で分かる前にそれを先に教えてもらえるような機会は滅多にない。
 教えてもらえる、と言うのは、本当にありがたい。

 僕は、その数少ない教えを、何度も何度も考える。よく考えてみれば、もう15年くらい前に、
「プロの写真家になりたい。」
 と昆虫写真家の海野先生の門を叩いた際に教わったことを、いまだに考え続けているのだし、しかも、今頃になってようやく理解できることさえある。
 
(開催中のイベント)
・ 生き物写真展 北九州市山田緑地公園(詳しくはイベント情報をご覧ください)

 

2008.11.24〜25(月〜火) 写真を分析する

 「写真には、その写真を撮影した人の人柄が雰囲気として現れる。」
 という人がおられるが、僕はそれをあまり信用していない。
 たとえば、ある一枚の写真の雰囲気がやさしいものだったとすると、それを撮影した人もやさしい人だ、などというのは、あまり当てにならないものだと思う。
 
 だがその一方で、ある一枚の写真の雰囲気を見るのではなくて、その写真がどうやって撮影されたかを理論的に解析しながら読み取れば、それを撮影した人の性格がある程度分かるのも事実。
 たとえば、技術面で訓練されたプロの写真家なら、他人が撮影した写真を見ると、それがどのような条件下で、どんな感じで撮影されたのかが、かなりの程度分かる。
 すると、
「ああ、この写真は技術的には思いっきりが悪いな!この人はちょっと控え目な性格の人だろうな。」
 などと伝わってくるものもある。
 写真を雰囲気で眺めるのではなく、きっちり分析すれば、そこにはその人の性格が現れているものだと思う。
 ただし、自分よりも明らかに技術的に上手い人の写真はなかなか分析できないし、分からないことが多い。それが分析できるくらいなら、自分にも同じ写真が撮れるということなるだろう。

 さて、11月20日から始まった北九州市山田緑地公園での合同写真展だが、僕以外の二人の出品者のうち、今日は野鳥写真の野村芳宏さんを紹介しておこう。
 野村さんは、大変に慎重で頑固な性格。だから、野村さんは、たとえ人に意見を求める時でも、必ず自分の意見、しかもそれなりに固い決意をもった上で、人にたずねているのではないかと思う。
 少なくとも、何もかも他人に丸投げということは、ない人だと思う。
 僕は過去に何度も野村さんにアドバイスを求められ、自分なりの意見を伝えたことがあるが、野村さんが僕の意見を採用したことは、覚えている範囲ではない。
 もう随分前のことだが、
「野鳥撮影用にニコンの望遠レンズを買いたいのだけど、どれがいいと思いますか?」
 と尋ねられ、僕は、野村さんが候補に挙げたレンズの中で、
「600ミリのf5.6というMFのレンズだけは、買ってはならないと思います。」
 と答えたのだが、野村さんが選んだのは、まさに600ミリのf5.6というレンズであり、
「ああ、これが野村さんなんだ!」
 と妙に感心させられた思い出がある。

 当時、ニコンにはF5という大変にすぐれたカメラがあったのだが、600ミリのf5.6というレンズは、F5に取り付けると重大な不具合があり、使いづらかった。
 そこで僕は、
「F5はとてもイイカメラですよ。どこがいいかというとオートフォーカスとスポット測光で・・・・・」
 、と詳細に伝えた上で、
「ところが、600ミリのf5.6は、そのF5との相性が非常に悪いから、将来F5を買うかもしれない時に備えてやめた方がいい。」
 と説明していたのだが、野村さんの決意は、僕にたずねる前に恐らくすでに固まっていたと思う。
 その後しばらくして、野村さんはF5購入して大変に気に入られたようなのだが、600ミリのf5.6を取り付けた際の不具合には、それなりに苦心されたようだ。
 
 写真にも、そんな野村さんの性格が多分に表れているように感じる。技術的な部分を見ると、とにかく石橋を叩きつつ、頑固に頑固に写真を撮っていることが良く分かる。
 僕と西本さんと野村さんの合同写真展は今後も続ける予定だが、最終的には、そんな人間模様までが伝わるような写真展にしていきたい。
 また、せっかく合同で写真展を開催しているのだから、みんなで額を買い揃え、写団・自然配達という団体の名前を僕が勝手につけた。
 自然配達とは、自然をありのままに伝えたいという意味で、そうしたコンセプトに共感する仲間が増えたらいいなぁと思う。

 写団・自然配達に入団希望の方は、団長の野村さんのホームページからメールで連絡してください。会費は要りませんが、額とマット(十枚)を揃えるために合計で3万円強のお金が、最初だけ必要になります。
 写真の腕に覚えがある必要は一切ありませんが、自然の中の何かにテーマを絞って撮影していたり、そんな撮り方をしてみたいと思っていること。それから、お互いに顔を合わせられる距離に住んでいることが肝心です。

(開催中のイベント)
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2008.11.22〜23(土〜日) 自分探し

 僕の身の回りの自然写真家には、テレビをほとんど見ない人が多いのだが、僕はテレビが大好きだ。
 ただし、ドラマなどに夢中になることはほとんどなく、僕が見るのはひたすらに、報道、ワイドショー、討論番組の類。それから、ドキュメントにスポーツ。
 要するに、ノンフィクションの世界が好きだ。
 
 写真も同様で、誰かの空想の世界を表現しようとしたものよりも、現実を表そうとしたものが好みに合う。
 ただし、現実を伝えるための表現のテクニックとして、空想や物語を使うのは嫌いではないし、むしろ好きなのかもしれない。
 例えば生き物のことを伝える本を作る場合なら、一番現実的な伝え方は、図鑑のような本を作ることだろうが、僕はそれよりも、ある生き物の暮らしぶりを、1つの物語としてあらわしたような本を作るのが楽しい。

  僕がプロの写真家になりたいと考えるようになったのは、大学の4年生の頃からだが、今まで自分は何をしていたのだろう?と振り返ってみれば、1つは写真撮影のための技術の習得で、あとの1つは、自分は何をしたいのかをひたすらに手探りしていたのだと思う。
 そして後者の答えは、生き物を材料にしたノンフィクションの世界だったようだ。

 もちろん、写真撮影の際にノンフィクションの世界が好きだと言っても、フィクションに全く興味がないわけではないし、むしろ、自分の身の回りの自然写真家のみなさんと自分を比べてみると、より興味を持っていのかもしれないなぁと感じることがある。
 だから、これまでには芸術的な写真を撮ろうと試みた時期もあるし、デザイン性に優れた写真を撮ろうとした時期もある。
 だが、それらに対する興味は所詮中途半端なものであり、僕が本当にやりたいことではなかったし、その結果、いろいろなことを試みた僕は、随分遠回りをしたように思う。
 その点、トンボマニアのみなさんと一緒に撮影に出かけてみたりすると、みなさんはトンボの暮らしぶりを写し止めることに一直線で、全く迷いがない。
 その迷いのなさには、ただただ感心させられる。
 時々、人と一緒に撮影をしてみると、人と自分との違いに気付かされるが、同時に、それによって自分が何をしたいのかにも気づくことが多い。
 仲間っていいなぁ。

 さて、11月20日から始まった北九州市山田緑地公園での合同写真展だが、僕以外の二人の出品者を、今回と次回の日記で少々紹介しておこうと思う。
 まずはトンボ写真の西本晋也さんだが、西本さんの写真は、例えるならカメラをもったハンティングであり、写真を撮る人がしばしばこだわる、光だどうだとか、機材がどうだなどというような物事は、西本さんの撮影の中では、二の次、三の次。
 まるで、ライフルの代わりに、カメラでトンボを撃ち落としているように、僕の目には映る。

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2008.11.20〜21(木〜金) 報道

 おや?風邪をひいたかな・・・、というような症状があらわれたので、仕事を取りやめにしてゴロゴロしてみたら、今日は随分回復してきた。
 良かった、良かった。
 部屋を暖かくしてテレビを眺めみたのだが、麻生総理大臣がまた失言を・・・という内容と、厚生省の元お役人さんが殺害された事件に関する番組が多い。
 殺害された方は随分有能な方だったという報道もあった。
 問題を起こして退任した前任者の代わりにその方がリーダーの立場に就任し、役所のみなの前で挨拶をする映像も見たのだが、不祥事が起きたことを涙を流しながら悔しがっておられた。また、その話を聞いている役所の方の中にも、涙を流している人がおられた。

 僕は、厚生省の人も真剣にやっている、という内容の報道を初めて見た。それ以前は、厚生省というのはとにかく腐りきった組織で、どうしようもない、という報道ばかりだったのだから、ちょっと驚かされた。
 総理大臣に関する報道にしてもそうだが、マスコミには権力を監視する役割があるとは思うが、どうも、人を引きづり下ろすことばかりをやっているように思える。
 厳しい指摘をするならするで、指摘された人がやる気になるような指摘をするべきではないのだろうか。
 報道をする側は、もっと国のことを考えて欲しい、と感じる。

 自然保護に関する活動に対しても、僕は同じように感じることがある。
 自然保護活動をしておられる方が、役所に陳情し、その役所が思うように動いてくれなかった時に、
「くそ役人。」
 という言葉を投げかけているのを見たことがあるのだが、もしも僕が役人の立場なら、くそ役人などという人の意見は意地でも聞かないだろう。すると、誰かの
「くそ役人。」
 などと言う言葉の影響で、自然が大切にされる機会が損なわれてしまう可能性があるし、そんな言葉の影響で事態が硬直してしまう危険性がある。
「くそ役人。」
 などという言葉を投げかける人は、結局自分の怒りを発散することが一番の目的になっており、自然のことは二の次でしかないように、僕はその時感じた。

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2008.11.18〜19(火〜水) 写真展のお知らせ



 僕は、プロの写真家を目指して活動を始めた直後は、主に地方に根付いた仕事をしようと考えた。
 だがその後、その方針を撤回し、アマガエルやカタツムリやアメリカザリガニなど、比較的どこの地域でも見られる生き物の写真を撮り、本を作り、中央で仕事をするように改めた。
 北海道のように自然が売り物になっている地域ならともなく、そうではない地域で、自然や生き物の写真だけを撮り、仕事を成立させることは、ほぼ不可能だと判断したのだった。

 だが最近は、もう一度、地域に根付いた撮影をやってみよう、と考えるようになった。
 一番最初にそれにチャレンジした時には、地方で写真を撮り、それを地方で売ろうとしたのだが、今度は地方で写真を撮り、それを中央で売ることを目指してみようと思う。
 ただ単に地方のものが写っているのではなく、全国の人が見るに値する写真、それだけの哲学がある写真を撮ればいいのではないか、と感じるようになったのだ。
 そして地方の被写体にカメラを向けると、それを中央で売るつもりの僕でも、やはり地域の人に見てもらいたいなぁという気持ちがこみ上げてくるようになった。

 僕は時々、新聞やテレビや雑誌のインタビューを受けることがあるが、インタビューを受けた後には疲労を感じることが多い。
 インタビューをする側には、しばしば、こう答えさせたい、という思惑のようなものがあり、それに導こうとする嫌いがあって、それに抵抗することに疲れるのだ。
 インタビューを受ける際に、僕は、聞き手の意図をよく汲み取ることが大切だと思う。
「あなたはなぜ写真家になったのですか?」
 と聞かれた時に、相手が僕の家庭環境について知りたがっているのなら、家庭環境について答えたいし、子供が頃に遊んだ僕の故郷の自然について知りたがっているのなら、いつも遊んだ近所の自然について話したい。
 だが、相手にただ誘導され、相手が準備した言葉を、相手の代わりに自分がしゃべるのは絶対にイヤだし、それには最後まで抵抗したい。
 言いたいことがあるのなら、自分の口でしゃべるべきだと思うから。

 例えば、
「自然の大切さを伝えたい。」
 などという相手の結論が先に準備されており、それを自分が代弁するようなことはしたくない。
 だが、その手の意図をもった人に誘導されるのではなく、自分が自然とそう思った時には、自分から、
「自然の大切さを伝えたい。」
 と言いたい。
 身近な故郷の自然にカメラを向けていると、「自然を大切にしなければならない」などという倫理とか道徳とか正義とか、そんなものとは無関係に、
「ああ、この素敵な場所を大切にしてほしい。」
 という思いが込み上げてくることがある。そんな思いだけを発したい。

 さて、今日は合同写真展の準備をした。
 メンバーは、僕と西本晋也さん野村芳宏さんの3人。詳しくは、下記をご覧ください。

(開催中のイベント)
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2008.11.17(月) 飼育の際の工夫とは

 子供向けの中でも、比較的幼児向けの本の仕事が多い僕の場合、幼児にとって身近な生き物の写真を撮る機会は多い。
 中でも、アメリカザリガニに関しては随分たくさんカメラを向けたし、ここ数年は、いつでも撮影や観察ができるように、常にザリガニを飼育している。

 ところがそのアメリカザリガニは、実は意外に飼育が難しく、生かしておくことはやさしいが、本当の意味でいいコンディションで長期間飼えたことが、実はまだない。
 カタツムリにもそれが言えるのだが、僕の経験の範囲では、比較的何でも食べる生き物に、そのような傾向があるように感じる。
 何でも食べるということは、飼育の本の中では=飼い易いになるのだが、逆に言うと、さまざまな栄養を要求しているということでもあり、人が与える偏った餌ではやはり何かが足りないのだろう、と僕は漠然と感じている。

 そしてあと1つ。アメリカザリガニは、汚い水にでも住める生き物というイメージがあるが、水槽で飼育する場合は、やはり水質に気をつけなければならないようだ。
 水辺の生き物を水槽の中で飼育すると、循環する自然の水と、閉ざされた水槽の水との違いを感じることが多い。
 僕は飼育をすればするほど、自然の水の循環という部分に興味を感じるようになっていった。

 さて、水槽用の水を浄化するろ過装置には、数百円のもの〜数万円のものまでさまざまなものがあるが、僕は今主に、ホームセンターなどで売られている数百円のものを使用している。
 このろ過の仕組みは、装置の中の綿の部分に微生物が住みつき、それらの目に見えない生き物たちが、魚やザリガニの糞や尿を分解し、無害化するというもの。
 ただし、微生物が住みつくまでには2〜3週間の時間がかかり、それまでの間は全く水を浄化する力がないので、綿の中には少々の活性炭 (いろいろな物質を吸着する働きを持っている) が封じ込められており、微生物の代わりに有害な物質を吸い取る働きをする。
 活性炭はやがて効果を無くすが、そのころには、微生物が住みついているという仕組みだ。

 ところが、その微生物が住みついた綿の部分も、やがて劣化してしまい、あまり効果がなくなってくる。
 そこで僕は、綿の代わりに、より多くの微生物が住み着くことができて、もっと長持ちする材料を入れて使用している。
 その材料とは、やはり水槽のろ過装置用で、500〜2000円くらいで販売されているもの。セラミックでできていて、細かな穴がたくさんあいており、その穴の中に微生物が住みつくと言われている。
 つまり、微生物用の隠れ家だ。

 僕が使っている微生物用の隠れ家は、ドーナツのような形状をしているが、ドーナツの穴の中には釣り糸が通されていて、すべての粒がひとつながりになっている。
 それを、綿の代わりに、ろ過装置の中に巻きつけるように収める。

 そして、最後に蓋をすれば出来上がり。
 このシステムが糞や尿を分解する能力は大変に高く、これをを導入して以来、随分水替えの頻度を少なくすることができた。
 しかも、安上がりなのもいい。うちには、数十個の水槽があるのだから、そのすべてに高価な数千円クラスのろ過装置を使うことはできないのだ。

 ただし、綿と違って細かい粒子を取り除くことはできないから、水は濁る。が、魚にとってきれいな水とは、必ずしも澄んだ水ではなくて、糞や尿がよく分解された水だ。
 水はとてもよく澄んでいるのに、飼育している魚がコロコロ死んでしまうと言う人は、ろ過のシステムが悪いことを疑った方がいいだろう。
 
 今日紹介したろ過装置にも、はじめは全く微生物が住みついていないので、ろ過装置を入れてから3週間くらいの間は頻繁に水替えをしなければならないが、その時期を過ぎると、あとは楽ができる。
 今年は飼育やその他のやり方の改良に、お金や時間を随分使ったことを昨日書いたが、こうした工夫や研究に没頭していたのだ。
 合言葉は、「安くていいものを。」

 

2008.11.13〜16(木〜日) フォームを変える

 来年からは、仕事のスタイルを大きく変えようとしていることは、以前何度か書いたことがある。僕にとっての来年は、厳密に言うと1月1日ではなくて、来年冬眠していた生き物が動き始める頃なので、来春と書いた方が正しいのかもしれない。
 この冬は、一か月ほどの水鳥の取材を予定しているので、その取材から帰宅をしてからの話になるだろう。
 
 時々、プロのスポーツ選手が、「フォームを変える」などと言うが、なるほどなぁと今感じる。
 フォームを変えて逆に成績が悪くなる選手もいるのだが、フォームを変えなければ、今まで通りのことをしていたのではじり貧になり、次第に先細りになってしまう危険性が高い。
 そこで、今年はそのための準備を整えているのだが、仕事のスタイルを変えるというのは、それなりに勇気がいることだと実感している。

 僕は、すべての撮影を、仕事と趣味の2つに分けており、仕事の部分では稼ぐ代わりに、趣味の部分では、全く売れなくてもいいと考えてきた。
 だが来年からは、今まで趣味として撮影してきた写真も、ちゃんと発表できる場を獲得できるように努力することを心に決めた。
 好きなことができていいですね!とよく言われるが、実際には、自然写真にも需要と供給の関係があり、需要には従わなければならないことが多い。
 いや、むしろ一般の職業よりも、そうした面については厳しいのかもしれない。
 そもそも自然の市場はとても小さいので、需要を無視して飯を食うことは、恐らく写真の天才でもない限り、不可能だろうと思う。
 だから、需要を知ることはとても大切なことなのだが、それを知ることによって、決まったもの以外は売れない、と自分で決めつけてしまっているなぁと近頃感じるようになってきたのだ。
 
 そのためには、ただ新しいことに取り組むだけでなく、これまで仕事として撮影してきた部分を、もっと効率化しなければならないのだが、ひとつひとつを見直していくと随分時間がかかるし、お金もかかる。
 生き物の飼育方法の変更などは、今年いったい幾らお金を注ぎ込んだことか!そして、生き物の飼育のやり方を改良するために、朝から夕方まで、丸一日作業した日が随分あった。
 その間、撮影が進まないのだから、大変に不安な気持ちに陥ることが何度もあった。
 途中で、
「やっぱり、変えるのをやめようか・・・」
 と考えたことも何度もあったが、そのたびに思いとどまり、後少しで、新しいやり方に移り変わることができる準備が整いそうだ。
 
 

2008.11.12(水) カメラの話

 もう15年くらい前の、僕がまだ学生だった頃の話だが、昆虫写真家・海野和男先生のスタジオでカメラを見せてもらったことがある。スタジオには、カメラを湿気から守るための防湿庫がずらりと並んでりおり、中には、びっしりと撮影機材が詰まっていた。
 その中にニコンのFE2が一台あり、そのカメラについて先生が、
「このFE2はね、江川君が持っていたFM2と交換したんだ!」
 と説明をしてくださった。
 江川君とは、青森在住の自然写真家の江川正幸さんのこと。
 僕は、江川さんが書いた『野生動物の撮影法』(培風館)という本を持っていたし、熟読していたし、その中にはニコンFM2が紹介されているのをよく覚えていたのだが、そのカメラが、恐らく海野先生と交換したものなのだろう。
 江川さんがFE2よりもFM2を欲した理由は、確かバッテリーがなくても動くカメラだったから。
 海野先生がFM2よりもFE2を欲した理由は、その時に教えてもらったのだが、忘れてしまった。が、恐らくは、自動露出が搭載されているだろう。
 それはともあれ、僕はその当時、プロの写真家になろうと決意をした直後であり、誰も仲間がいなかったので、そうして機材を交換したりできる仲間がいることに、大変な憧れを感じた。
 
 さて、ある先輩から、カメラを恵んでもらえることになった。
 カメラは明日届く予定なのだが、僕はふと、海野先生のスタジオで見たFE2を思い出した。カメラ云々の前に、自然写真業界に先輩がいることが、僕にとっては大変に嬉しいことだ。

 江川さんの、『野生動物の撮影法』(培風館)も引っ張り出してみた。
 1985年の本なので、当然内容的には古い面もあるが、僕の思い出や憧れを差し引いても、とてもいい本だ。
 中には、センサーを使用した撮影方法やコウモリの撮影方法など、随分特殊な撮影方法も紹介されている。近頃は、簡単なハウツー本は多く出版されるが、野生動物の撮影のみにターゲットを絞ったような専門的なハウツー本はほとんど出ていないように思う。
 受けないのかな?
 僕も企画を立て、売り込みをしてチャレンジしてみようかな?

 

2008.11.11(火) インク

 写真展の準備やその他で、今日はひたすらにプリンターを動かしたのだが、プリンターの調子が悪く、写真に筋が入ってしまう。
 インクのノズルが詰まっているのだろう、とノズルのクリーニングをするのだが、何度やってもなかなか改善されず、本当に腹立たしい。
 さらに、ノズルのクリーニングをすると、その際に随分インクが消費されるようで、恐ろしいほどの勢いでインクの残量が減っていく。
 そしてついに、ノズルのクリーニングごときで黒のインクが無くなってしまった。
 ノズルのクリーニングを終え、プリント作業に取り掛かろうとすると、パソコンのモニターに、
「黒のインクが不足しています。」
 という警告が表示された。
 仕方がないので、新しい黒のインクを取り付けた。
 そして、
「さあ、今度こそ印刷だ!」
 と取りかかろうとすると、次は、
「青のインクが不足しています。」
 とまたも警告が出る。
 どうも、新しいインクを取り付けると、取り付け後にプリンターを調整するためだろうと思うのだが、多少のインクが消費されてしまうようだ。

 仕方がないので、今度は青のインクを取り付けたのだが、取り付け後に再度印刷を試みようとすると、何と今度は、
「赤のインクが不足しています。」
 と警告がでてしまった。
 面倒はなおも続いた。
 赤のインクの次は、シアンが。シアンの次はマゼンタが。マゼンタの次は・・・・
 結局、それを繰り返すこと8回。僕のプリンターには8色のインクが使用されているのだが、一枚も写真をプリントすることなしに、8色すべてのインクを取り替えることになってしまった。
 その間も、時間がどんどん過ぎ去っていく。

 あまりに腹立たしいから、一層のこと、今から新しいプリンターを一台買い足しに行くか・・・というような考えが一瞬頭をよぎるのだが、僕の場合、プリントの販売をしているわけではないし、プリンターを使用してギャラをもらえるような仕事を抱えている訳ではない。
 プリンターは雑用や写真展などに使用する道具に過ぎないので、あまり多くのお金をかけることができないし、ぐっと堪えた。
 写真をプリントする作業は、道具さえ順調に動けばそれなりに楽しい作業なのだが、プリンターはトラブルが多くていつもハラハラさせられる。

 

2008.11.9〜10(日〜月) 臨場感

 ここ数年、毎年夏になると、僕と西本晋也さん(トンボ)と野村芳宏さん(野鳥)の3人で、小さな写真展を開催している。場所は、北九州市の平尾台自然観察センター
 先日、そのメンバーの一人である野村さんから、
「せっかくプリントを作るのだから、会場を何箇所か確保して、写真展を巡回できないだろうか?」
 と提案があった。
 そこで、平尾台自然観察センターの梶屋さんに相談をしてみたところ、そうしたイベントができそうな公の施設に連絡を取ってくださり、その結果、何ヵ所かの会場を確保できた。
 
 写真展を巡回させるのなら、どうせなら、もっと凝ったものにしたい、と3人で額を買い揃えるにした。また、額に入れる写真の大きさをサイズを統一し、マットの色については、僕が灰色、西本さんが黒、野村さんが白と、一目で作者の違いが分かるようにした。
 次の展示会場は、北九州市の山田緑地公園だ。
 展示作業は11月19日なので、その日に新調した額を持って行けるように、額のサイズに合わせたプリントを作成するなど、そろそろ準備を整えなければならない。

 その前に、写真展の会場確保に尽力してくださった梶屋さんにお礼を言うために、先日平尾台の自然観察センターに行ってきた。
 平尾台自然観察センターでは、ちょうど今、カルスト文化祭という展示が開催されている。



 さて、今日の写真は、そのカルスト文化祭の展示を撮影したもの。
 ただしこれらの写真は、カメラをストラップで胸にぶら下げておき、カメラを覗き込むことなしに、
「この位置からなら、だいたいこんな感じの写真が撮れるだろう・・・」
 と目検討でシャッターを押したものだ。
  
 なぜ、そんな妙な撮り方を試みたのか、と言うと、ある一冊の本に触発されたから。
 その本とは、「横木安良夫流スナップショット」なのだが、この本の中に掲載されている、同様の手法で撮影された数枚の通りすがりの女性の写真が、大変に色っぽいことに驚かされたのだ。
 写真に写っている女性は、みんな普通に服を着ているのだし、ただの通行人なのだが、それらは、ヌード写真以上の色気に満ち溢れているように僕の目には映った。
 とにかく、凄い臨場感なのだ。

 盗み撮りという手法については、賛否両論の意見があるだろうし、僕は、見ず知らずの人物をそうして撮影し、公の出版物の中で発表しようとは少しも思わない。
 だが、カメラを覗き込むことなしに、目検討で写真を撮ることで得られる効果に関しては、少しずつ、自分の写真の中に取り入れていきたいと思う。
 これから写そうとする像を自分の目で確認し、考え、計算した上でシャッターを押す方法では逆に写らないものがある。撮影した本人でされ、現像したフィルムやデジタルカメラのモニターを撮影後に見て、
「あっ、こんなものが写っている!」
 とか、
「こんな写真が撮れちゃった!」
 というような方法でしか表せないものもある。
 撮影者が計算をすればするほど、写真は絵画に近づいていくように僕は感じるのだが、僕にとっての写真の魅力はリアリティーであり、写真はやっぱり写真であって欲しい、と思うのだ。



 

2008.11.7〜8(金〜土) 立場が変われば

 女の子の方が男の子よりも、精神的に先に大人になるとよく言われるが、今になって自分が子供のころを思い出してみると、確かにそうだなぁと思う。
 僕が高校生の頃好きだった人は、オフコースというバンドが大好きで、
「小田さん、小田さん。」
 と何かと歌手の小田和正さんのことを口にしていたのだが、
「いったいどんなにかっこいいい人なんだろう?」
 と写真を見せてもらったら、僕にはどうしてもただのおじさんにしか見えず、大変に驚かされたことがある。
 また、彼女の取り巻きには生徒会の先輩方に夢中になる者が多く、生徒会の役員はほどんどアイドルのような存在だった。が、僕の目にはどう見ても、ただの出たがりのダサい奴らにしか見えなかった。
 きっと彼女たちの方が、一足先に脱皮していたのだろう。

 大学時代に好きだった女性も、僕から見れば、おっさんっぽい歌手やアーティスについて詳しかった。渡辺美里さんのCDを一緒に聞いていた時に、
「このCDの中でどの曲が好き?」
 と聞かれたので、数曲挙げてみたら、
「ああ、小室さんの曲が好きなんだね!今あげたの、全部小室さんの曲!」
 と言われたことがある。
 小室さんとは、先日逮捕された小室哲哉さんのことで、彼女は小室さんのファンだったのだろう。小室さんがどの曲を作ったのか、すべて把握していたのだろうが、僕は、
「なんで、こんなおっさんのことを、ここまで詳しく知れるのだろう?」
 と大変に不思議に思った。
 
 さて、フリーの立場で何か1つのことをやり続け、ずっと結果を出し続けることは大変に難しいし、誰だって無気力や不景気になることがあるだろうし、山あり、谷ありだろうと思う。
 その中には、資金繰りが苦しくなり、ついに犯罪に手を染めるというパターンだってあり得るのである。
 それは、写真も例外ではない。
 僕は時々、将来のことが無性に心配になることがある。例えば先日、小学館の幼児向けの雑誌が廃刊になる、というニュースを耳にしたのだが、そうして次々と子供向けの雑誌が廃刊になってしまったら・・・・。
 そして、児童書の世界で仕事をするという今の僕のスタイルは、いったいいつまで通用するのだろう?
 少なくとも、僕が写真を引退する時までは通用しそうもないし、仮にずっと児童書の世界で仕事ができたとしても、中身は随分変わらなければならないだろう。
 貯金でもするか! 
 それはともあれ、どこかで今のスタイルを変え、上手に脱皮していかなければならない。
 そうしたことを真面目に考えると、僕だって不安になるし、眠れなくなってしまうことだってある。

 そんな時、自分の支えになるのは、やはり先輩の姿だ。
 僕の場合は、昆虫写真家の海野さんの門を学生時代にたたいて以来、海野さんのスタイルをよく観察し、分析し、学ぶことが多い。
 だから、僕が子供向けの本の中で仕事をする際のスタイルは、ほどんど海野さんのやり方のコピーのようなものだ。
 その海野さんは、最近は、子供向けの昆虫の本だけでなく、写真雑誌で活躍したり、講演など、写真や昆虫の普及活動に力を入れておられるように見える。
 先日、Nikon Digitalで迫る ネイチャーフォト入門という本を紹介したが、いつもは子供向けの本の仕事をしている僕が、はじめて真剣に写真の本の仕事をしてみると、子供向けの本とは違った発想で写真を撮らなければならないことが良く分かった。
 立場が変われば、撮り方も変わる。
 
 

2008.11.6(木) 連載のお知らせ 



(画像は見本です)

 (お知らせ1 )
 4人の自然写真家(武田晋一・伊藤健次・田中達也・吉野雄輔)によるサンケイ・エクスプレスでの連載ですが、次回は11月8日(土)が僕の順番です。新聞の一面いっぱいに、写真と文章が掲載されます。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。
 4月1日から、首都圏でもサンケイ・エクスプレスの駅売りが始まりました。一部100円です。銀座線を除く東京メトロ、都営地下鉄の全売店と、JRの主な売店、東武、西部の売店のほか、東急の一部売店で購入可能です。

 

2008.11.5(水) 関サバ 

 ここ3日間ほどは、早朝から夕方まで、ひたすらに金魚の世話に打ち込んだ。今年の冬は一か月ほどの取材を予定しているが、その間金魚を放っておかなければならないから、そのための準備だ。
 冬場の金魚の飼い方には2つの方法があり、1つは完全に越冬させてしまい、一切世話をしない方法。そして2つ目は、越冬させずに世話を続ける方法だ。
 僕が選択したのは、前者であることは言うまでもない。

 金魚を越冬させる場合、11月くらいからそれに適した水を作らなければならない。そして水を作るためには、容器の置場やその他、条件を整えなければならないのである。
 理想を言うなら、そこから逆算していき、稚魚の飼育を始めるべきだった。
 つまり、初夏に生まれた稚魚の飼育容器を設置する際に、越冬までを見越しておき、冬になっても特に容器を並べ替えたりすることなく、そのまま越冬させられるように飼うべきだった。
 ところが僕が無知だったため、何かと容器の置場を変えたり、飼育のシステムを変更しなければならず、随分手間を取られた。
 
 さて、今日は金魚を飼育している容器を撮影してみた。こんな感じで、棚を作り、2段重ねで容器を並べているのだが、左の容器の方にいい魚ができやすい傾向がある。たぶん、日当たりがいいからだろうと思うのだが、わずか1Mも違わないのに、随分結果が異なることには驚かされた。
 大分県に関サバというサバのブランドがあるが、
「対岸の愛媛県側でも同じ豊後水道の魚が取れるし、それは関サバと全く変わらないはず。」
 、と言った話を耳にすることがあり、僕も無条件にそれを正しいと思っていたのだが、金魚を飼ってみてからは、それにやや疑いを感じるようになってきた。
 おそらく、同じ豊後水道で漁をするにしても、愛媛県側の漁師さんは愛媛に近い場所で、大分県側の人が大分に近い側で漁をするのではなかろうか?
 そのわずかな違いで、魚が多少は違ってくる可能性は、十分にあるような気がしてきたのだ。
 
 そうした生き物の能力を適応という。つまり、生き物は自分の体を環境に合わせる。
 人間はその逆をすることが多く、環境の方を自分に合わせさせる。寒ければ暖房を、暑ければ冷房を使う。

 

2008.11.3〜4(月〜火) 続・本の紹介 

 僕は、人からどう思われようがあまり気にならないタイプだ。大抵の物事には賛否両論があるのだから、それを気にし過ぎても仕方がないと固く信じているのだろう。
 褒められても特別に舞い上がることはないし、逆にけなされても、落ち込むようなこともない。
 ただし他人が気にならない分、何かをする前には自分でよく考えることが多く、昼食に弁当を1つ選ぶのでも、何となくその1つを選ぶことは滅多にない。
 何をするにしても、
「なぜ、そうしたの?」
 と聞かれれば、大抵は自分なりに答えがあり、決意がある。だから、将来何か犯罪を犯すとするならば、僕は確信犯タイプの犯罪者になることだろう。
 もちろん、犯罪を犯すつもりはないのだが・・・

 だから、たとえば、
「武田は写真を売ることばかりに気を取られている、くだらない写真家だ!」
 と言われても、別に傷つくことはないし、逆に、売ることがどれだけ重要なのか、楽しく話をすることができる。
 ただ唯一、僕が長年恐れていたのは、作例作家とみなされることだ。
 作例作家とは、アマチュアの人たちに見せる作例的な写真を撮り、写真の撮り方のノーハウを教育することでお金を稼ぐ存在だ。
 よくゴルフに例えられるのだが、ゴルフのプロには、大会に出てお金を稼ぐトーナメントプロと、アマチュアの人にレッスンを付けて、レッスンでお金を稼ぐレッスンプロがいるのだという。そして僕が恐れていた作例作家になることとは、ゴルフで言うなら、レッスンプロのような存在になること。
 僕は、写真雑誌を仕事のターゲットからは外してきた、と前回書いたが、写真雑誌にはたくさんの作例が掲載されており、アマチュアの人が写真のハウツーを勉強するための本であって、それゆえに、写真雑誌を自分の仕事の対象とは考えてこなかった。
 さて、その写真の本の仕事をやってみたら、思いのほか面白かったことは前回書いた通りだ。
 何がおもしろかったのかは、また別の機会に書いてみようと思う。
 
 ところで、僕は、写真教室の先生がつまらない、と言いたいのではない。逆に、先生は特別な存在であって欲しい。例えばもしもゴルフの青木功さんがレッスンをするのなら、ゴルフに全く興味がない僕も、ちょっとのぞいてみたいなぁと思う。
 実績をあげてその世界を生き抜いてきた憧れの存在が、自分の先生であって欲しいし、もしも自分が写真の普及に携わるのなら、十分な実績を上げた後だとずっと考えてきた。
 もちろん、これは僕の好みを書いているに過ぎず、実績のあるプロよりも、教え上手な人に教わりたいという人がいるのもよく理解できる。
 そして僕の場合は、技術は教わるものではなく、自分で研究をしたり盗むものだと考えているので、教え上手な人から技術を教わるよりも、力の世界で生き抜いてきた人から物の考え方を教わったり、その哲学を聞いてみたい気持ちが強い。

 

2008.11.1〜2(土〜日) 本の紹介 

 Nikon Digitalで迫る ネイチャーフォト入門という本が発売された。
 僕が担当をしたのは、この中の野鳥撮影のページの中の水辺の鳥の部分。陸の鳥は、野鳥写真の世界ではアマチュアNO1の中田一真さんが担当だ。

 一般の人はあまり意識していないだろうと思うが、プロの自然写真家の場合、自然の専門家として飯を食っている人と、写真の専門家として飯を食っている人がいて、僕は典型的な前者だ。
 だから、日ごろ仕事をする際には、写真関係の本というのは、ほとんど念頭に置いていなかったのだが、今回この本の仕事をしてみて、写真関係の本も面白い!と感じた。
 食わず嫌いはいけませんね・・・。
 なぜ、今まで写真関係の本を仕事のターゲットから外してきたのかについては、あとでまた書いてみようと思う。
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2008年11月分



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