撮影日記 2008年10月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2008.10.31(金) 更新 

(お知らせ)
今月の水辺を更新しました。

 

2008.10.29〜31(水〜木) 雲 

 風景の写真を撮る人には、晴れの日には青空が画面の中に入るように構図を決め、曇りの日には、曇空を画面から排除する人が多いようだ。
 曇りの日の白っぽい空が画面に入ると、全体の雰囲気がしらけてしまうからだろう。
 淡水の水の中は、ほとんど空のようなもので、その日の天候によって水の色が随分変化するし、晴れの日には水が真っ青に濃く、曇りの日にはその色が薄くなる。
 さて、晴れの日の水中を撮影したかったのだが雲が多く、水の色が出ないので水中撮影を諦めた。

 

2008.10.28(火) 感無量 

 湧き水の池を取材し、本にするからには、
「ほら、ここから水が湧いているよ。」
 と水が湧いて出るその場所を見せたいと思う。
 だが現実には、水が湧き出る様子を写真で分かりやすく表現できるような場所は少ない。なぜなら、湧水は崖のような場所、水中なら池や川の土手から湧いて出ることが多く、その場合は、そこから水が湧きだしていることが、肉眼でも確認出来にくいのである。
 肉眼で見えないものは、写真にはなかなか写ってくれない。
 時々テレビなどで紹介される、池の底の砂の中から水が滾々と湧き出すような場所は、実は珍しいパターンの湧水だ。池の底の砂の中から水が湧けば、砂が舞うので、その結果、湧水の存在が分かりやすいし、そんな場所ばかりが紹介されているのだろう。

 さて、僕が数年にわたって取材している湧水の池も、水が湧き出る様子を写真で表現できる場所ではない。
 そこで少々作戦を変更し、昨年からは一か所の池を取材するのではなく、辺りの他の湧水も含めて湧水群という形で湧き水を紹介しようとしてきた。そしてその過程で、何とかして写真で表現できる湧き水を探そうとしてきた。
 だが見つかるのは、崖から水が湧いている場所ばかり。よく考えてみれば、池の底から水が湧くような場所はだいたい有名な観光地だし、そんなにいい場所が都合よく見つかるわけないか・・・と僕はほぼ諦めつつあった。
 ところが先週、ふとした拍子に、ついにそんな場所を見つけたのだ。実に感無量だった。
 
 そこで、さっそく水中カメラを持って、水に潜ってみたのだが、先週撮影した写真はすべてイマイチ。そして、撮影がまだ半ばだったのに途中で空気のボンベが空っぽになり、帰宅をせざるを得なくなった。
 今日は新しい空気のボンベを持って、道具も変えて再度挑戦。
 その場所は撮影が難しい位置にあり、今日の写真も、一枚の写真としては決して満足できるものではない。が、本の中の一枚なら、編集や見せ方によってそれなりに使えるに違いない。

 先週から一週間の間、この場所を何度も頭に思い浮かべ、道具の選択から撮影までの過程を幾度となくイメージしてきたのだが、やはり潜ってみると撮影が難しい場所であることには違いなく、今日はたった一か所を撮影するのに3時間もの時間を要した。
 陸上なら3時間なんて大したことがないが、水中で3時間はそれなりに辛い。特に、この場所は水温が10度台だから、水に潜ると、ドライスーツという完全防水の服を着ていてもかなり寒いし、トイレが近くなったり、思考が鈍ったりと、実に泥臭い撮影になった。

 

2008.10.25〜27(土〜月) 車の改造 

 休日は仕事の電話が滅多にかかってこないから、作業をするのに適する。今回は、大量の水中撮影用の機材をすんなりと積み込めるように、車を改良し、中に棚を設けることにした。
 今日の上の画像は、これまでの状態。そして下の画像は、新しく作成した収納だ。

 水中撮影の場合、あまりに機材が多いから、まずは車を現場の近くに止め、すべての機材を下ろした上で、車を邪魔にならない場所に移動させる。
 だがトヨタのハイエースは大きいので、車を路肩に止めておいたりすると、その荷物の積み下ろしの間でも、人の邪魔になるのではないか、と気がせいて良くない。
「ああ、あんな邪魔になるところにカメラマンが車を止めて・・・」
 などと思われてしまうと、写真を撮る人みんなが迷惑をしてしまう。
 そこで今回は車に新たな棚をもうけ、水中撮影用の機材を一か所にまとめて収納できるようにし、荷物の積み下ろしをごく短時間で完了できるようにした。


 工作をする際の僕のこだわりは、工作後、なるべく簡単に、元の状態に戻せること。たとえば車の中に棚を作るのなら、それが簡単に分解でき、すぐに車の中を空っぽにできるように。
 僕の車の中にはベッドもあるが、それは市販のパイプベッドであり、簡単に分解して小さくできるようになっている。
 撮影機材に改造をする際も同じで、なるべく、元に戻らないような改良は施さない。
 棚を設ける作業は半日くらいで終わるかと思ったら、意外に時間がかかり、夕方になりようやく作業を終わった。

 

2008.10.24(金) 帰化生物の問題とは 

 先日水中写真を撮った湧水の池の近くで、見慣れない魚を見た。たぶん、ナイルティラピアだと思う。
 しかもびっくりするくらいの数で、池中と言っても言い過ぎではない量だった。
 僕がこれまで見落としていた可能性も否定できないが、おそらくそんなにたくさんに増えたのは、ここ数年ではないだろうか?
 おぞましいなぁと思う。

 これまでにも何度か書いたことがあるが、僕は、日本に完全に帰化した生き物を今頃になって駆除するのはナンセンスだと思う。
 例えば、アメリカザリガニの写真を水槽の中で撮影する際に水草の中に紛れ込んでこんでしまったザリガニの子供たちを、撮影が終わった後で取り除くのは大変に難しい。
 水槽のサイズは、底面の奥行きが45センチで幅が60センチ。たったそれだけの閉ざされた空間の中からでさえ、水草を完全に取り除き、水を抜かない限り、ザリガニはなかなか取り除くことができない。
 まして野外で、アメリカザリガニを手作業で駆除をするなど、焼け石に水以下。
 仮に体長1センチのザリガニの子供を見落としたとすると、その子供は野外では、ひと月後には5センチになっているだろう。
 ザリガニを飼育してみると、皆が必死に駆除をしている赤くて大きなザリガニは、あまり多くの量を食べないことが分かる。むしろ大量に物を食べるのは、成長期の茶色で小さなやつらであり、もしもアメリカザリガニを取り除くのなら、それを駆除しない限り、あまり意味がないような気がする。
 がそれは、どう考えても不可能だろう。

 先日ある施設で、
「ブラックバスやブルーギルなどを捕まえた時には、殺しましょう!」
 と教えられた子供たちが、大変に腑に落ちない顔をしていた、とある方が話してくださったのだが、
「みんなで殺しましょう。」
 ということの恐ろしさの方が、アメリカザリガニが日本に居続けることの恐ろしさよりもずっと上であるように僕には思える。
 駆除が間に合う可能性があるのなら、話は別。沖縄や奄美大島のマングースなどは、死に物狂いで駆除すべきだと思うのだが、そうではないものは、馬鹿の一つ覚えのように、「外来種=駆除」では、何も変わらないのではないだろうか?

 それよりも、外来種を最初から日本に入れないようにできないのだろうか?
 近頃、ペットショップに行ってみれば、もう珍獣動物園と言ってもいいくらいに、さまざまな生き物が売られており、それは100歩譲って外来種の帰化の問題を除外したとしても、ただそこで売られているだけで明らかに限度を超えているような気がする。
 そして、それに対してみなが割りと寛容なのが、僕にはどうしても理解できない。
 例えば、日本の野鳥の保護に関しては、何かと口うるさく抗議する方がたくさんおられるのに、そうした方々が外国産のフクロウや鷹などがお店で売られていることには全く何も言わなかったり、時には温かい目で見ている節があったするのである。

 

2008.10.21〜23(火〜木) 初めてのデジタル 

 僕がフィルムからデジタルカメラへと切り替える際に、一番最後までフィルムのままで残ったのが水中撮影の機材だった。
 別にフィルムを水中で使いたかったわけではない。
 水中撮影の場合、カメラ以外にそのカメラを収める水中ケースを準備しなければならず、大変にお金がかかる。ところが、デジタルカメラは日進月歩。あるカメラ用の水中ケースを作ったものの、あっという間にそのカメラが古くなった、などというケースを避けたかったので、しばらく様子見をするしかなかったのである。
 だがその後、キヤノンからEOS5Dという大変にすぐれたカメラが発売され、EOS5Dならそう簡単には古くならないだろうと思えたので、EOS5D用の水中ケースを作った。
 そしてそれは、大正解だったと思う。

 さて、この場所にデジタルカメラを持って潜ったのは、今回が初めてだが、水中はデジタルがいい。
 フィルムならたった36枚しか撮影できず、何度も陸にあがってフィルム交換をしなければならなかったところが、デジタルなら、一度も陸に上がることなく撮影を続けられる。
 僕の機材は浅い水辺用に作ったものなので、多少の深さがあるこの場所の撮影では、機材に改良を加える必要があることが分かった。が、とにかく一応写真が撮れた。

 この場所は水の青が大変に印象的な場所だが、それゆえに、すべての写真が似通ってしまう難しさがある。
 そこで今回は、本を作る際に変化をつけるために、ウグイやオイカワのアップ気味の写真を撮ってみた。

 さて、僕はスタジオで、人工の照明で写真を撮るときには、滅多に逆光の光を使わない。
 逆光の光とは、撮影の際に被写体の後ろ側からあてる光であり、たとえば昆虫なら、撮影用の照明(ストロボ)を昆虫の後ろ側から光らせると、羽や体の薄い部分が光に透けて大変に美しい写真が撮れる。
 がスタジオでは、僕の場合は、物をおしゃれに美しく撮影するよりも、分かりやすく見やすく撮影したい気持ちが強い。
 一方野外で自然の光で撮影する際には、僕は、全体の撮影のうちの4割くらいは、光が逆光になるようにカメラを構える。
 逆光の光で写真を撮りたい場合は、原則として自然の光を使う、というのが僕のこだわりの1つだ。

 

2008.10.21(火) 煩わしい撮影 

 今日は久々の水中撮影。淡水の水中撮影は非常に面白いが、同時に極めて煩わしい撮影でもある。
 淡水の水中撮影を自分でやってみて、心の底から、
「楽しい!」
 と叫ぶことができる人は、恐らくごく少数だろうと思う。
 まず何といっても、道具が多過ぎる。そして、それらの道具は基本的に海で使うように作られているから、淡水では使いにくい面が多い。
 その使いにくい部分を1つずつ改良してはいるのだが、撮影するたびに次の課題が浮き彫りになる。
 今日はそれに加えて機材の小さな不具合やその他、小さなトラブルのオンパレードで頭の中がゴチャゴチャ。改良したり手当てしなければならないことをノートに書き留めていくと、あっという間に1ページが埋まってしまった。

 

2008.10.19〜20(日〜月) 続けること 

「来年からは、これまでとは仕事や撮影のスタイルを変える。」
 と今年になってから、何度か書いた。
 そんなことをする理由は幾つかあり、何か1つを決定的な動機として語るのは難しい。が、その理由の1つに、これまで時間と労力をかけて撮影してきたにも関わらず、お蔵入りになりかけているテーマが幾つかあり、それを何とかしてまとめ上げたいという思いがある。
 お蔵入りになってしまうようなテーマの場合、やはりどこかに難しいところがあり、それをクリアーするためには、これまでの自分のスタイルや発想では対処できないことが多いように思う。
 何か1つのことを続けるためには、時に自分が変わらなければならないことがあるように思う。
 
「大切なのは続けること。」
 というのは、もう15年くらい前に、僕が初めて昆虫写真家の海野先生の事務所を訪ねた時に先生から言われたことだ。
 そしてその続けるとは、恐らく、ただ継続することではなく、ワクワクしながら続けること。
 ただ続けるだけなら、誰にでもできるとまでは言わないが、比較的易しい。それに対して、ワクワクしながら続けるのは、天才でもない限り、自分を上手にマネージメントしなければ難しいように思う。

 頑張り過ぎると燃え尽きてしまうし、頑張らないと、何時までたっても一か所に停滞してしまう。
 僕は、何か1つのことに我武者羅に取組み、もうあとちょっとで燃え尽きてしまうという直前で止める。そしてほとぼりが冷めたら、改めてもう一度取り組むようなやり方をすることが多い。
 僕はだいたい、ベタな発想が大嫌いなので、
「夢をあきらめるな!」
 というようなセリフが好きではないし、僕にとってはそんな言葉はほとんど何の支えにもならないことが多い。僕の場合、どうしたらワクワクしながら、長期間に渡って夢を追い続けられるのか、その考え方の方が大切なのだ。

 

2008.10.18(土) ホテイアオイ 

 ふと考えてみれば、僕は趣味をもったことがないような気がする。僕の場合、何かに夢中になる=プロを目指すことであり、要するに何でも職業にしたがるタイプなのだ。
 子供の頃は魚釣りに夢中になった。
 が、それは趣味というような次元ではなく、どう考えても仕事。もしもプロの釣り師というような仕事が成立したのなら、間違いなくプロになっただろうと思う。

 逆に、僕は趣味的な発想があまり好きではない。
 趣味を否定したいのではない。ただ、僕の好みに合わないというだけの話。
 だから僕は、何か面白い活動をやっている人とか、自然について訴えている人とか、アーティストとしてではなく、プロとして社会から認められたい気持ちが強い。
 この夏は、母校の直方北小学校のみなさんと接する機会があったが、もしもそんな活動をするのなら、自分がプロとして社会から認められた上で、とずっと以前から決めていた。
 お金を取るという意味ではない。
 例えるなら、売れない歌手が売れるまでの間、まずはどこかへ慰問に行くというような活動だけは、絶対にしたくないのである。

 さて、先日小学校の授業の参観を終えてからは、朝の目覚めがとてもよく、また、写真を撮りたいという強い意欲が湧いてくる。
 今日は事務所の近所の水路へ、町の水辺の生き物たちを撮影するために出かけた。
 実はここ一か月以上、全く写真を撮る気が起きず、多少不安な気持ちに取りつかれていたのだが、小学校でのイベントがストレスになっていなのかな・・・
 僕にとって、学校で何かをするというような活動は頭を使う作業であり、写真撮影は体を使く作業になるのだが、僕は普段からその2種類の作業がスムーズに切り替わらないことが多く、どちらかを取れば、どちらかがひどく疎かになる傾向が強い。

 ここ数年取材を続けている町の水路は、元々は田んぼに水を引くための水路だった。
 だが、今では田んぼが残っている場所はごく一部。大半は住宅や工場になっているので、そこだけを見ると、
「この水路はいったい何のためにあるんだ?」
 と疑問を感じる。
 僕は、基本的にはそれらの水路のうち、ある200メートルくらいの区間を中心にカメラを向けているのだが、今日はそこからちょっと足を伸ばし、別の区間で写真を撮ってみた。
 町の水路の中にも、いろいろな環境があり、生き物たちの分布にも偏りがある。今日カメラを向けた場所では、帰化植物のホテイアオイが多く見られた。
 ホテイアオイはどちらかというと、町の水路の中でも比較的自然度が高い場所に多いような気がする。

 ホテイアオイの別名は、ウォーターヒヤシンス。
 ヒヤシンスによく似た花が咲く。

 水路で撮影中に、赤トンボにカメラを向けてみた。
 レンズは、オリンパスのズイコー21ミリf2。随分古いレンズだが僕のお気に入りの一本で、小さな生き物の撮影では大変によく写るし、なんとも言えない空気感が表現できるレンズだ。
 ネット上の掲示板などを見ていると、
「デジタルカメラでは、最新のレンズしか使いものにならない。」
 というような書き込みをよく目にするが大ウソ。
 ただし、風景などの撮影で遠景を撮る場合は、確かに新しいレンズの方がいいと感じる。

 

2008.10.17(金) 続・緊張 

 大抵のことは、やり遂げてみると楽しい。
 今回は、まずは小学生たちを美術館に招待し、そこに展示されていた僕の写真について話をし、その後今度は僕が学校へと出向き、写真撮影と本作りの授業をした。そして一ヶ月後、最後に子供たちの授業を参観して僕の意見を述べた。
 僕は毎年、その手の写真撮影以外のことは、すべて止めてしまおうか・・・と考える。やはり、撮影に集中するのがプロの写真家ではないか?と検討をする。
 だが、そう思いながらもいろいろなことに参加し、結局いつも、やってみて良かったな!という結論に至る。
 上の写真の手前に写っている女の子のお父さんは、僕の同級生なのだそうだが、それを聞いた時には何とも言えない感動があった。そんなことが分かっただけで、やっぱり行ってみて良かったなと思う。
 
(撮影機材の話)
 写真を撮る人なら誰しも、自分が好きな撮影スタイルがあるだろうと思う。
 僕の場合もしも人物を撮るなら、そこに写っている人が全員個性的で、、しかもそれなりにいい表情をした瞬間を撮りたいと思う。
 みんながこちらを向いて笑っている、などというのは好みではない。むしろ一人くらいよそ見をしている人がいたりして、しかもそれがその人らしいというような写真が好きだ。
 だから僕は、カメラを持って人物を目の前にすると、何とかして全員を同時に見ようとする。そして、今!と思った瞬間にシャッターを押すのだが、コンパクトカメラの場合、シャッターを押してから実際にシャッターが切れるまでに間があり、なかなか思った瞬間をおさえることができない。
 コンパクトカメラをもう少し高級にしたような、気軽に持ち歩けて、しかもそれなりに機械としての完成度が高いカメラが欲しいなぁ。

 また僕は構図を決める際に、画面の中の明暗によって構図を作ることが多い。具体的には、何を画面に入れるかを考える際に、一番明るい場所から順に決めていくことが多い。
 今日の画像の場合なら、まずは画面の中の一番明るい場所をカーテンのあたりにしようと最初に決定し、そこが画面に入るように自分が座る場所を決めた。
 だが、コンパクトカメラの場合は、一般に明るい場所の描写があまり良くないので、僕のように明るい場所をまず画面に入れ、それによって構図の作っていくようなやり方は、あまり向かないのかな・・・と思うケースが多い。
 僕は水深10センチ程度の浅い水辺の撮影にいつもコンパクトカメラを使うのだが、もうちょっと写ってくれよ!といつも悔しい思いをする。
 コンパクトでも明るい部分の描写にすぐれたカメラがあったらなぁ。

 

2008.10.15〜16(水〜木) 緊張 

 先月、写真の撮り方と本作りの授業をした直方北小学校・4年生のクラスに招待され、授業を参観することになった。
 授業の内容は、遠賀川について調べ、それを全員が発表するというもの。この日は4年生だけでなく、学校をあげて各学年でいろいろな発表があり、父兄やたくさんのお客さんが学校にやってきた。
 僕は、授業の最後に感想を述べる係りだったのだが、この日はここ数年にない緊張で、しゃべりながら声と足が震える感じがした。

 さて、僕は人物の写真を撮るのが嫌いだ。人物は人物でも盗み撮り系は下手糞という程はひどくはないと思うのだが、こちらが指示を出して、ちゃんと構えて写真に写ってもらうのは苦手。
 中でも、ニコパチと呼ばれる、ニコッと笑ってもらい、パチッと写真を撮るのが一番良くない。
 相手の緊張が、自分に乗り移ってしまうのだ。
 僕はシャッターを押しながら相手の立場に立ってしまい、あたかも自分が写真に撮られるかのような緊張に取りつかれる。相手が恥ずかしそうな顔をすればするほど、僕も恥ずかしくなる。
 変な例えではあるが、鍵がかかっていないトイレのドアを開けてみたら、誰か知らない人が大便をしていた時のような恥ずかしさ。
 本当は、見られた人が恥ずかしいはずなのに、見た人も恥ずかしくなるのにどこか似ているような気がする。

 それはともあれ、小学校で発表をするみんなはとても恥ずかしそうだった。
 そして、それを見ていた僕は発表をするみんなの立場に立ってしまい、大変な緊張がこみ上げてきて、最後に自分が感想を述べる頃にはもう爆発寸前で前後不覚。
 普段の僕は、人前でも比較的よくしゃべれるタイプなので、そんな様子を見たことがある人は、僕が
「人前が嫌いだ。」
 というと、
「何が!散々しゃべってるじゃない。」
 というのだが、元々は極度に緊張をするタイプだったし、子供の頃は発表が嫌いだった。
 それがいつの間にか、むしろ人前でも平気でしゃべれるようになった。なぜ、そんな風に変わったのかは自分でも理解不能なのだが、簡単に言えば、厚かましくなったのだろう。
 今回は久々に緊張を味わい、緊張をする人の気持ちを多少思い出した。
 ちょっとばかり、厚かましくなり過ぎていたかな・・・


 

2008.10.14(火) 続・金魚の子供たち 

 金魚を繁殖させ、その様子にカメラを向けてみて一番予想外で時間を取られたことは、撮影自体がとても難しいということだった。
 金魚は、僕が過去にスタジオで撮影したどの生き物よりも難しい。
 特に小さな子供の金魚の透明なひれを、白の背景の中で描写するのが極めつけに難しい。今日の最初の画像の中央に写っている魚も、背びれがなかなか写らず、苦心させられた。
 もっとも、この魚の背びれは肉眼で見てもなかなか見えなかったので、それが写真に写らないのは当たり前なのことなのだが・・・。
 陸上の物体なら、ライティングを工夫したり、被写体の周りを黒い紙などで取り囲めば、透明な物体でもそこそこ写るのだが、金魚は水中で、しかも泳ぎ回るのだからどうしようもない。
 上の画像の場合、多分、後ろに写った別の金魚の影響で、偶然にも中央の金魚のひれが写真に写りやすい状況ができたのだと思う。
 ひれが透明の魚専用の撮影セットを作れば、もう少しひれを描写することは可能なのだろうが、そうしたセットは逆に、ひれに色がついた魚の撮影には適さなかったするのが困る。
 僕は、写真が使用された時に統一感が出るように、すべての魚をなるべく同じ調子に撮りたいのだ。

 ひれが透明な魚とは逆に、黒い魚は実に簡単に写る。水槽に魚を入れ、魚が水槽になれ、1分間も泳いでくれれば十分。

 昨日、体高が低い金魚を紹介したが、この魚も体高が低い。が、この魚の場合、ただの発育不良で、魚の質的にはイマイチな魚ということになるだろう。だいたいペットショップに売られている魚は、このレベルの魚が多い。つまり、ブリダーが不要だと捨ててしまうような魚がお店で流通しているのだ。
 
 中には、全身が赤い魚もいるのだが、全身が赤い魚は、赤の濃さが薄い傾向がある。逆に、部分的に赤が入っている魚の赤の部分は、大変に濃い。
 なぜなのだろう?

 そして、白っぽい魚も出てくる。この魚の場合、やや体が大きくてひれが分厚く、その結果ひれに多少色がついているので、白は白でも、比較的撮影は簡単だった。
 金魚は、体に色がつく時期の温度が高いと、白が多くくなると言われている。そして今年は各地で白い魚の割合が高かったらしいのだが、僕のところにも大量の白い魚が出た。
 金魚の色や体形は、遺伝以外に環境の影響を大きく受けるようだ。昨日〜今日の魚は、すべて兄弟だ。

 魚の色が決まってくると、飼育が楽しくなってくる。金魚の飼育が撮影ではなくて、趣味だったなら、大変に面白いだろうと思う。
 もしも僕が自営業でお店か何かを営んでいるのなら、今ならきっと金魚を趣味にするだろう。
 サラリーマンの場合は、稚魚の段階でのまめな餌やりができないので、金魚には手を出さない方が無難。

 

2008.10.13(月) 金魚の子供たち 

 金魚の白バック写真の撮影は、簡単そうに見えて、実は大変に時間がかかる作業だ。今日は合計で10匹ほど撮影したかったのだが、結局その半分しか目標を達成できなかった。
 明日は野外に出掛ける予定だったけれども、予定を変更し、今日の続きを撮影しなければならない。

 さて、今僕が育てている金魚の子供たちを産んだ親魚は、ビッダーズのオークションで購入したものだ。両親共にブランド金魚でなかなか立派なものだし、それなりに高価だったこともあり、飼育室の中で大切に育てている。
 だが、我が家で生まれた魚たちは、明らかにそれ以上に特別な存在であり、僕は強い思い入れを感じる。

 それにしても、一つがいの親から、いろいろな体形の魚ができる。
 体高が高いもの。逆に体高が低いもの。
 白いもの。黒いもの。赤いもの。
 中には、なかなか出来がいい魚もいて、上の画像の金魚は体高が高く、見事な体形をしており、今年うちで生まれたものの中ではNO1だろう。
 まだまだ成長するにつれて体高が高くなり、尾が長くなるはずだし、生まれて初めて金魚を繁殖させたにしては、相当の出来栄えではないだろうか?
 
  一方こちらはとても体高が低く、一般的な評価は低い魚なのだろうが、横から見た時の雰囲気が何だか好きで、気に入ってしまった。
 
 

2008.10.10〜12(金〜日) 見本 

 来年4月に出る本の見本が届いた。
 見本は合計2冊。一冊目は印刷所から編集者の手元に最初に届いた印刷物で、二冊目はそれに編集者が注文をつけ、その注文にこたえる形で新たに刷り直したもの。
 そうして本が刷り上がるまでの過程を見せてもらえるのは、いろいろと参考になることがあってありがたい。
 編集者もカメラマンも一緒になって勉強しなければならないし、そうして共に勉強できる相手がいることは、とても幸せなことだと思う。

 実は僕の場合、刷り上がってきた物に対して、ああしろ、こうしろと注文をつけることは滅多にない。僕は、自分の写真がどんな風に刷られようが、使われようが、基本的には一切文句は言わない主義だ。
 文句は言わない、というよりは、文句がない、と書いた方が正確なのかもしれない。僕の場合、その場でゴチャゴチャ言うよりも、結果を冷静に見つめ、受け止め、知識と経験を蓄積し、その後の仕事に有効に活かすことを重視している。
 
 さて、今回の本の撮影に使用したカメラは、ニコンD3、キヤノンEOS5D、ニコンD70、ペンタックスのistDあたりになるが、印刷物になると、そのどれで撮影したのかは全く分からなくなってしまう。
 カメラによる画質の違いよりも、印刷の際の特徴や癖の方がずっと大きいのである。
 時々、インターネット上の掲示板などを見ていると、アマチュア写真家の
「それぞれのカメラに特徴があり良さがある。」
 というような書き込みに対して、プロを名乗る人が、
「あなたは全然分かってない。プロの世界は全く違います。印刷は、とてもデリケートなもので、カメラの良し悪しが如実に現れるものなのです。」
 といった書き込みをしておられるのを目にするが、僕は、その人は本当にプロなのか怪しいものだなぁと思う。
 もちろん印刷にもいろいろ種類があり、中には、大変にこだわった印刷をするケースもあり、時にはインクの色の数からして違うのだが、大半の印刷は、そんなにお金も時間もかけられないのであり、カメラの画質の違いが現れるほどデリケートなものではないように僕はいつも感じる。

 ネット上の書き込みには、
「この人、本当に知ってるのかな?」
 と疑いたくなるようなものがかなりある。
 だから僕はいつの間にか、ネットは、情報を求めたり、そこでやり取りをしてコミュニケーションを楽しむよりも、一方的に発せられた誰かの哲学を知るのが楽しいと感じるようになった。

 

2008.10.9(木) どこでもドア 

 うちの事務所から自宅までは、片道約20キロ。毎日夕刻になると、帰宅すべきかどうかを迷う。

 自宅には、郵便物や宅配便が届く。
 だから、それに早めに目を通しておきたい気持ちがあるが、往復40キロは、疲れている時には運転したくない。
 僕は、だいたい乗り物があまり好きではないことも、帰宅したくない理由の1つにあるだろう。今年の冬は、北海道まで水鳥の撮影に出かける予定だが、凍りついた北海道の景色を思うとワクワクする反面、
「ああ、またあの距離を車で走るのか・・・」
 と想像すると、それだけで疲れてしまったような気分になる。
 だが、車はまだいい。僕は船が大嫌いで、まともな精神状態でいられるのは、せいぜい3時間くらい。
 以前、京都の舞鶴から北海度の小樽まで、たしか36時間くらい船に乗ったことがあるのだが、もう一生船には乗りたくないと感じた。
 そして、その時のコリゴリした思いは、今でもまだ続いている。
 
 それはともあれ、郵便などの荷物が事務所に着くようにする手もあるが、事務所の場合、長期取材の間に誰も受取人がいないのが困る。通販で機材などを注文する際にも、いちいち事務所でのスケジュールを確認し、受け取り可能な日を徹底するのも結構面倒だ。

 また自宅に帰れば、食事ができる点もいい。
 お金の問題ではない。お金なら、燃料が高い今は明らかに往復の燃料代の方が高くつくから、帰宅しない方がいいのだが、自宅の食事は外食よりも明らかに体に優しい点がいい。

 今日は、結局帰宅せず。どこでもドアがあったらなぁ・・・
 昔、ある方が連載中の記事の中で、
「どこでもドアが欲しいというのは、結局ただの便利さなのだからロマンがなさ過ぎる。ドラえもんのアイテムをどうせ欲しがるのなら、タイムマシーンだ。」
 と言った感じのことを書いておられるのを読み、
「うん、そうだ!そうだ!」
 と思ったのだが、僕はやっぱり、どこでもドアにしよう。

 

2008.10.7〜8(火〜水) 三脚のテスト 

 野鳥撮影用に新しい三脚を買うかどうか、昨日から随分迷っている。今僕が主に使用している三脚はもう15年くらい前に購入したものだが、当時の判断の悪さゆえに、重過ぎて使いにくいのである。
 野鳥撮影について書かれた本を開いてみれば、
「三脚はなるべく重たいものを」
 と書いてあったので、それを真に受けた僕は約6キロのものを買ったのだが、過ぎたるは及ばざるがごとし。4キロくらいのものを買っておけば良かった、と思う。

 ならば、新しい三脚を買おうか?
 だがいい三脚は高いし、僕には今後、それなりに大きな出費の予定がある。
 その予定とは、オリンパスが発売することになっているマイクロフォーサーズという新しい規格のカメラで、それが出たら一台購入し、さらにそれ専用の水中ケースを作成し、田んぼくらいの浅い水辺の撮影に使いたい。
 だから十分な現金を持っておかねばならないので、三脚はよほどによく検討して買わなければならないし、今日は、うちにある幾つかの三脚が野鳥撮影に流用できないかどうかを試すために、近所の海岸へと行ってみた。

 すると、ここ数年使用していなかった約3キロの三脚が、ちょっと不安もあるが、ギリギリ使えることが分かった。
 不安とは、野鳥撮影用の大きなレンズを三脚に取り付けたまま鳥の出没を待っている時間に、もしも突風などにあおられたら、高価なレンズごと倒れてしまうのではないか?というもの。
 そうならないように、まめにレンズを三脚から取り外しておくなど、気をつけなければならないだろう。
 今日の写真は、その三脚のテストの時に撮影したクロサギ。
 3キロという重さはちょっと軽過ぎるわけだが、逆に身軽であるといういい面もあって、少しずつ歩いて移動するクロサギについて回るような撮影は、むしろやり易かった。
 昨晩の段階では、約6万円の三脚を買おうかと検討に入っており、それが不要になったのだから、今日は6万稼いだ気分になった。
 実に晴々して気持ちがいい。
 
 

2008.10.6(月) 感想文を書く 

 先月、直方北小学校で本作りをした際に子供たちが作った本が、僕の手元に届いたことは、先日も書いた。
 そして今日はちょっと時間を作り、それに対して感想文を書いて学校に届けることにした。
 僕の予定は、早朝の間に感想を書き終え、その後いくつか仕事をして、昼ごろ直方市の自宅にちょっと帰宅するついでに学校にも立ち寄るというもの。
 ところが感想文を書くことに大変な時間がかかってしまい、結局それが終わったのは、何と早朝どころか、夕刻の7時だった。
 当然、その日の仕事はすべてキャンセル。学校はもうしまっているだろうから、送ってもらった本を返却したり、感想文を届けるのは宅配便にお願いするしかない。

 さて、僕は日ごろ、なるべく中学生くらいが読める程度の文章を書くように心がけている。
 具体的には、なるべく漢字を使わないようにし、ひらがなの言葉を選ぶ。
 カタカナは、小学生〜中学生くらいの子供でも知っている言葉のみ。
 さらに、自然写真関係の日記と言えども、自然の用語も、写真の専門用語もなるべく使わないことにしているし、写真を撮る人にとっては当り前の知識も、時間が許す限り、毎回一から説明をするように心がけている。
 だが、小学校の4先生を相手にすることは、さすがに勝手が違った。
 4年生を相手に、自分の言いたいことを伝えるのは、とても難しいと感じた。
 今回は全部で12冊の本が届いたのだが、たかが12冊が、実は大変な分量であることを思い知らされた。1冊につき仮に30分で感想文を書いたとしても、全部で6時間もかかってしまう。
 12冊というのは、48人の子供を4人ずつの班に分けた結果だが、もしも一人1冊本を作ったとしたら・・・・
 先生方は大変だ!先生方の苦労を思い知らされた一日になった。

 

2008.10.4〜5(土〜日) 熊に備える 

 ちょっと前に、ある冒険家がツキノワグマに襲われたというニュースを耳にした。襲われた、と言っても冒険の最中ではない。日本で、確かジョギングか何かの最中だったように記憶している。
 冒険というと危険というイメージが付きまとうが、それ以上の自然の恐怖が、人がごく当たり前に歩く場所に潜んでいるのだから、僕も気をつけなければならないだろう。
 今日も、新潟県で相次いで、人とツキノワグマとの事故があったという。
 今年の秋は、山陰で渓流魚の産卵を撮影したいのだが、僕が目を付けている場所にはツキノワグマが住む。僕がまだ学生時代のことだが、ある年その場所に合計10回出かけ、そのうちの5回、ツキノワグマに遭遇した年がある。
 
 さて、渓流で長時間魚の産卵を待つ間、どうやってクマとの遭遇を防ごうか?今僕が考えているのは、音を機械で流しておくことだ。
 付近では、ラジオを試してみたことがあるのだが、そのあたりは谷になっているためか、雑音がひどくて、使いものにならなかった。
 そこで音楽でも聞きながら、と思うのだが、電池で動かすことができるなるべく小さな機器で、なるべく大きな音を出したい場合には、どのような道具を選んだらいいのだろう?
 また、オーディオの最大音量の大きさは、機器の性能の中のどの部分を調べたらいいのだろう?
 どなたか、ご存じの方がおられるなら、教えてもらえないだろうか?

 

2008.10.2〜3(木〜金) 金魚の飼育 

 僕が金魚に興味をもった最初のきっかけは、いつか紹介したNHKの俳句の本だった。その俳句の本では、金魚とは別の号でカタツムリのページも作ってもらったし、この冬はさらに別の生き物の写真も使ってもらう予定だ。
 金魚はその時に合計で15種類くらい写真を撮った。
 そして僕は、金魚には全く興味がなかったし、ほとんど知識がなかったものだからいろいろと調べ事をしたのだが、その過程で突然に興味が湧いてしまったのだった。

 だが、そこで
「もっと写真を追加して撮り、ついでに金魚の本でも作ってみるか!」
 と思い立ってしまったのが運のつき。今シーズンは春から金魚の飼育で忙しく、結局他の仕事はほとんど何もできなかった。
 金魚の飼育は思っていたよりも大変なことで、そこにすべてのエネルギーを取られ、肝心な金魚の撮影も、途中でやや息切れ気味に。
 したがって撮影は来シーズンにも続くのだが、来シーズンに関しては、もう要領が分かっているので、そんなに大事ではないだろう。
 金魚は、今後も趣味として飼い続ける予定だが、 一番忙しいのは、生まれたばかりの稚魚〜3,4センチに成長し色が変わるくらいの間だから、来年魚を繁殖さえて写真撮影にとどめを刺したあとは、2〜3年に一度くらい繁殖さえて楽しむのが、僕にとってはほどほどでいいだろうと、考えている。

 僕は金魚を事務所の周辺のあちこちで育てているが、すると容器を置く場所によって、魚の成長の具合には大きな違いがあることが分かった。
 また、容器の場所によって魚の色の傾向も、体形も随分違う。僕は今、飼育に疲れ果てているが、その点に関しては、世話をして金魚の姿を見るたびに、
「う〜ん、面白い・・・」
 と思う。

 中でも、圧倒的に好成績だったのが、事務所の玄関脇だ。
 そこには棚を作り、3段重ねにした上で、合計3つの容器を設置しておいたが、昨日はその棚を撤去し、新たに別の棚を工作し、容器を4つに増やす改造。
 以前は、3つの容器を3段重ねにしていたが、3段は高過ぎて台風が来た際などにやはり心配。
 そこで、容器は2段に、でも横に2つ並べるように改めた。
 時々、
「金魚の飼育って、何がそんなに大変なの?」
 と今年は何度かたずねられたが、そうして魚のでき具合を見ながら、飼い方にどんどん改良を加えていくことには、結構な時間がかかる。
 昨日も棚の準備には半日を要した。

 

2008.10.1(水) 顔写真 

 自分のプロフィール写真を撮らなければならず、事務所の近所の砂浜へと出かけた。今回は、いろいろと訳あって、野鳥撮影用の望遠レンズを構えているところを撮影。

 今日は平日なので、シャッターを押してくれる人が身近におらず、リモコンで写真を撮ろうと考えて事務所を出たが、そのリモコンのコードに接触不良の不具合があり、たかがプロフィール写真を撮るのに四苦八苦。結構な時間がかかった。
 結局最後はリモコンをあきらめ、セルフタイマーを使い、自分でカメラのシャッターを押したあと、所定の場所へと走り、シャッターが切れるのを待った。
 それを何度も何度も繰り返したのだから、今日は、実にみっともなかったように思う。
 シャッターを押した後で走ると、やはり、そんな顔をして写真に写ってしまうので、ちょっとばかり困った。
 そこで、いろいろと白々しい平然とした表情を作る練習をし、最後は、以前に雑誌の取材を受けた際にカメラマンさんから受けた、
「目線をあのあたりに。」
 という指示を思い出し、その通りにしてみると、多少見られる写真が撮れたので感激。さすが、プロのアドバイスである。 

 プロフィール写真を撮影していると、2匹のシギが近くにいることに気付いた。そこで、ほんの5分程度だったが、写真を撮った。

 時々、波打ち際を歩くその姿は、なんともいい。

 事務所から車で20分程度の距離の場所に、シギがいて、しかもさらさらした砂浜の場所があることは知らなかったので、今日は何だか愉快な気分になった。
 次回、たっぷり時間を作って、またこの場所へ出かけようと思う。
  
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2008年10月分


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