撮影日記 2008年7月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2008.7.30(水) ようやく 

 野生の生き物こそが美しい、と固く信じ、品種改良された金魚なんておぞましいとさえ思っていた僕が、小さな仕事で写真を撮ったことがきっかけで、金魚に興味を持つようになった。
 そして、ならば金魚の本を作ろう、と金魚を繁殖させ、稚魚の飼育を始めたのはいいが、数千〜万単位の稚魚たちの飼育で大忙し。
 飼育器具もたくさん必要になり、あっと言う間にデジカメが1〜2台買えそうなお金が飛んでいった。
 こうなると、もう引き下がることはできない。やる、と決めたことをやり遂げ、何冊かの本を作り、ギャラをもらい、元を取らなければ、すべてが無駄になる。
 写真家というよりは、養殖業と言った方がいいような毎日を送ることになった。

 が、稚魚が小さくて特に世話に時間がかかる時期は、もう終わろうとしている。6月23日に紹介した稚魚は、上の画像の通り、かなり大きくなった。
 そろそろ、一泊くらいの取材なら、野外に出かけることができるようになる。
 飼育がこれほどに大変だとは思わなかったので、金魚と並行して進める予定だった他のほぼすべての撮影を取りやめることになるなど、それなりにダメージを受けたが、それはそれで面白いし、まあいいだろう。
 
 さて、僕はまだ学生だったころに、昆虫写真家の海野先生に教えを乞い、プロの道へと進んだが、もしも僕が、魚のカメラマンに教えを乞うたなら、おそらく全く違った人生が待っていただろうと思う。
 同じ生き物の写真家、と言えども、何を被写体にするかによって、写真がどこに使われるかが違ってくるし、それによって、当然、商売の仕方も変わってくる。
 例えば、昆虫の写真は児童書の中でよく使われるが、魚の写真は、児童書の中ではあまり見かけることがない。
 が、ペットショップの本棚に並んでいるような本に目を通してみると、それらの出版物には、魚の写真が大量に使われているし、魚のカメラマンには、ペットとして輸入されてくる爬虫類や両生類の写真も撮る人が多い。
 つまり、どこで誰に写真を見せるのかが全く違うのだから、当然、本の作り方も違うし、考え方も、写真の撮り方だって変わってくるし、生活スタイルだって違ったものになるだろう。
 
 魚のカメラマンには、助手経験者が多い。
 そして、魚は魚でも、海のカメラマンならその理由がよく理解できる。何といっても、海は一人で潜るにはあまりにも危険だし、チームで潜らなければならない事情がそこにはある。
 だが、いったいなぜ、淡水魚のカメラマンにも助手経験者が多いのだろう?と僕は疑問に思っていたのだが、自分で金魚にカメラを向けてみると、それがよく理解できた。
 誰か、世話をしてくれる人が欲しいのである。
 極端なことを言えば、今回の金魚の撮影などは、誰か金魚マニアの人と仲が良ければ、その人のところで写真だけ撮らせてもらえば、お金も、時間もほとんどかからないだろうし、とても割がいい仕事になるだろう。
 また、淡水魚の場合、野外の川の中よりも、水槽の中で写真を撮るケースが多いことも忘れてはならない。その場合も、目的とする魚を次々と採集してきてくれる人がいれば、実に効率的に仕事ができるだろう。
 なるほどなぁ。

(お知らせ1 )
直方谷尾美術館で写真展を開催します。
http://www.nogata-navi.com/tanio/index.php
展覧会・イベントへと進み、筑豊アートシーンの詳細をご覧ください。

(お知らせ 2)
平尾台自然観察センターでも、写真展を開催しています。
http://www.hiraodai.jp/hnoc/
イベント〜展示イベントへと進み、生き物写真展をご覧ください。

 

2008.7.28〜29(月〜火) ダンゴムシの館 

 うちの事務所の建物は大変に古く、外壁と屋根だけはやり替えているのでそこまで古くは見えないのだが、それ以前の状態を知っている人の中は、あそこにほんとうに人が住めるの?と疑問に感じた方もおられたようだ。
 だから内部には無数の隙間があるし、そこからヤモリだとか、ムカデだとか、アリだとか、ダンゴムシなどが次々と入ってくる。

 僕は、それらの侵入者をさほど気にはしていない。
 そもそも僕はダンゴムシの本を作ったことがあるくらいだから、その程度のことでガタガタ言うようではお話にならない。
 ところがここ2週間くらいは、ダンゴムシの数が半端ではない。片づけても片づけても、毎日30〜40匹ほどが廊下の片隅に死んでいるのだから、さすがの僕も対策を施すことにした。

 さて、まずは最初に、すぐに目につく壁の隙間を、シリコーンで埋めてみた。
 すると今度は、家具で隠れている部分の隙間も埋めてみたくなった。
 僕のいいところでも、悪いところでもあるのだろうが、一度何かをやりだすと徹底してやってみたくなる。
 そこで棚の上のものを取り出し、家具を動かしてみると、そこにも無数のダンゴムシの死骸と糞が・・・。
 死骸の数があまりに多いものだから、床をふくだけでも、結構な時間がかかる。
 これはやっぱり、本格的にやる必要があるな!と覚悟を決めたのだが、結局一日がかりの大仕事になった。

 特に、大変だったのが、洗面台の裏。
 洗面台は、壁から突き出した水道管と金属のパイプでつながっているので、他の家具のように力ずくでは動かないし、まずは洗面台と水道管とを切り離さなければならない。
 ところが、どこにも工具を突っ込めるような隙間がない。
 そこで、洗面台を隅から隅まで見つめてみると、どうも上半分の鏡台部分が取り外せる構造になっているように思える。
 ところが、どうやったらその鏡台がはずれるのかが分からない。
 実は、鏡台は壁にねじ止めしてあったのだが、そのネジが実に上手に隠れるような構造になって、僕はネジの存在になかなか気付くことができなかったのだ。

 何とか、鏡台を外した。
 水道管と洗面台とを切り離し、洗面台を動かし、あたりの壁に生じた隙間をシリコーンで埋めてみた。
 ところが、その途中でシリコーンが足りなくなった。
 最近は、金魚の世話をするために毎日まだ薄暗い時間帯から作業をしているものだから、朝起きてから髪を整える時間もないし、今日は特に寝ぐせがひどくてボサボサ。冷静に鏡を見つめてみれば、笑いがでそうになるほどにひどい頭になっている。
 さて、髪をまず整えるべきか、それても恥も外聞も捨て、ぼさぼさ頭でシリコーンを買いにいくべきか。
 昆虫写真家の海野先生からは、
「写真家はかっこよくなければならない。」
 と言われているのだが、僕はせっかちだから、一刻も早くシリコーンが欲しい。
 結局、ボサボサ頭で買い物へ出た。ただ、なるべく若くてきれいなお姉さんがレジにいそうもない、さびれた店をあえて選んだ。

 さて、壁の隙間を埋めた後は、洗面台を元に戻さなければならない。
 ところが、水道管を接続し、水の大元を緩めてみると、少しずつ水が漏れることが分かった。
 どうも、ネジに噛ませるゴムのパッキンが古くなっていて、一度ネジを緩めた後は新しいものへと交換しなければならないようだ。
 仕方なく、もう一度ボサボサ頭で買い物へ。
 絶対に知り合いには出会いたくないので、コソコソとまるで何か後ろめたいことでも抱えているかのように、帰宅した。

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2008.7.27(日) 古いアクセサリー 

 フィルムを使用していた頃に、僕が唯一、興味を感じなかったカメラメーカーが、ミノルタだった。
 理由は、カメラや製品が悪いというよりは、僕との性格の不一致。
 ミノルタのカメラは、ファインダーをのぞいたら自動的に電源が入ったり、逆に電源を切ると、レンズが無限遠にピントが合うような位置に自動的に収納されるなど、僕にとっては余計な御世話が多かった。
 僕はだいたい、あまり世話をやかれるのが好きではない。
 ただ、撮影用のアクセサリーなどには、オヨヨと興味をひかれるものがあり、今日の画像の内蔵ストロボを使用する際のアクセサリーもその1つ。
 これを取り付けることで光が柔らかくなったり、またカメラの内蔵ストロボの光がレンズに遮られて被写体に当たらなくなることを防ぐことができる。
 ニコンのD700にはストロボが内蔵されているから、またこのアクセサリーに活躍してもらおうと思う。

 ニコンのカメラにこのアクセサリーを取り付ける場合は、少しだけややこしい。
 このアクセサリーはストロボのホットシューに取り付けることになっているが、ミノルタのカメラのホットシューの形状は、ニコンやキヤノンやオリンパスやペンタックスとは異なるので、まずホットシューの形状をミノルタの形に変換するアダプターを取り付けなければならない。
 
 次に、D700の内蔵ストロボを、カメラに収納されている状態から飛び出させた時に、その変換アダプターの一部が内蔵ストロボに少しだけ接触し、内蔵ストロボが完全には飛び出さなくなり、その結果、発光しなくなる。
 それを防ぐためには変換アダプターの一部を削るか、または変換アダプターを分解し、接触する部品を取り外す(この場合、機能上まったく問題なし)必要がある。
 僕は、余分な部品を取り外している。

 さらに、ミノルタは、ストロボの光をやわらかくする乳白色の板を、ある角度で固定するように設計しており、その他の角度ではブラブラして固定されないようなっているのだが、その他の角度でも乳白板が固定された方が使いやすいので、その部分にもそれなりの改造を施してある。

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2008.7.25〜26(金〜土) 更新のお知らせ 

「ニコンのD700の発売が発表されましたけど、どうします?」
 とカメラ屋さんに勤める仲間からの連絡。
「あっ、もう武田さんの名前で予約してますけど。」
 と。
 もしも僕がそのカメラを買わなくても、D700の場合、どうせ発売直後には品薄になり誰かがしばらく入荷待ちをしなければならない可能性が高く、他の誰かの手に渡ることになるのだそうだ。

 昨日、そのD700を受け取りに行った。
 僕の場合、カメラが気に入るかどうかは購入して自宅でさわり、さらに一晩寝て翌日にならなければ分からないところがあるのだが、D700はとても気に入った。
 気に入るとは、いつも机の上に置いておきたいと思うかどうか。
 そして、それがあるから写真を撮りに行きたい、と感じるかどうか。

 これはアマチュアの人たちにはなかなか分からないことかもしれないが、スタジオで金魚の写真を撮るようなケースでは、カメラが気に入るのと気に入らないのとでは、結果が大違いになることがある。
 もちろん、カメラが気に入った方が、結果もいいことは言うまでもない。
 スタジオの場合、野外での撮影と違い、被写体から受けるワクワクがほとんどなく、代わりに何か、ワクワクを与えてくれるものがとても大切。
 手触りのいいカメラは、時にその役割を果たすし、カメラの手触りがいいから、とたくさんの写真を撮ってしまった結果、その中に質のいい写真が混ざっているケースが多々ある。
 野外での撮影の場合は、自然そのものが面白いし、たとえカメラがなくてもワクワクするくらいだから、カメラは何でもいい。
 もちろん、それは僕の場合の話。
 人によっては、物の質感に興味があり、それを表現するスタジオでワクワクし、逆に自然なんて大嫌いという人もおられるだろう。 
 
 キヤノンをもう使わない、というわけではない。当り前のことなのだが、一長一短なのだから、都合よく使い分けることになる。
 たとえば、キヤノンにあってニコンにはないレンズが存在するし、ニコンにもキヤノンにもあっても、キヤノンの方が性能がいいレンズだってある。また、その逆もある。
 さらに、ニコンのD3とキヤノンのEOS5Dを撮り比べてみると、ある条件ではニコンの画質が良く、またある条件ではキヤノンの画質がいいこともある。
 ニコンのD3は高感度での画質がいいとされているが、低感度で撮り比べた場合でも、ニコンが合うシーンもあれば、キヤノンが合うシーンだってある。

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2008.7.23〜24(水〜木) 更新のお知らせ 

 先月はとても忙しかったので、「7月10日ころまでメールの返信が滞るかもしれません」、と告知しておいたら、それが明けた7月10日に仲間からの電話があり、一時間ほど、自然や写真の話。
 自然の話は、帰化生物や田んぼについて。
 仲間との話を終えると、なんだか急に帰化生物にカメラを向けてみたくなり、数日後、僕は雷魚の写真を撮りに出かけた。

 もしも、人の意志が関わらないものを自然と呼ぶのなら、田んぼやビオトープはまさに人の意思であり自然ではないし、逆に、駐車場の片隅に勝手に根を下ろした帰化生物のセイヨウタンポポなどは、むしろ自然だと言える。
 僕は、自然って面白いなぁと思う。
 外来種であるブラックバスがしばしば問題視されるが、ブラックバスは、釣り師が繁殖することを狙って放しているのであり、つまり、人の意志が大きくかかわっていることこそが問題。
 他の、ほとんどすべての外来種が引き起こす問題とは質が違う。 
 
 今月の水辺を更新しました。今月は、事務所の近所で撮影した雷魚の家族です。
 
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2008.7.21〜22(月〜火) 日本と中国の違い 

 金魚の本場と言えば中国だが、中国産と日本産の金魚との間には趣の違いがあり、一般に中国産は極端な、奇抜な形、日本産は、バランスのとれた形であることが多い。
 今日の画像の頂天眼は、中国で作られた金魚。
 よくこんな形のものを作るよなぁ〜、と僕はその好みの違いを思う。出目金に似ているが、目は上を向いており、さらに背びれがない。
 
 今僕が写真を出品している直方谷尾美術館で開催中の「筑豊アートシーン」という企画に、やはり参加しておられる佐土嶋洋佳さんは、北九州の工業地帯のすすけた雰囲気が、胸がキュンとするほど大好きなのだそうだ。
 だから、もしも、その佐土嶋さんと僕とがそれぞれ町を作り、結果を比較したなら、それらはおそらくかなり違ったものになるだろう。
 何を美しいと感じるかは、実は美術の問題にとどまらず、社会全体を左右する大きなことなのかもしれないなぁと思う。
 
 それは時として、何が正義かにさえもかかわってくる。
 たとえば、池の中からフナを次々と掬いあげ、それを殺せば殺戮。
 でも、アメリカザリガニなら許される。
 そう思っている人は多いように思う。
 そこには、日本人がどんな自然を美しいと感じるかが大きくかかわっている。この場合の美しいとはもちろん、ただきれいという意味ではない。

 もっとも、中にはすすけた町が美しいと感じる人もおられるのだから、日本人全員が同じイメージの自然を美しいと感じるわけではないし、日本人がというよりも、社会の風潮がと言った方がいいのかもしれない。
 僕は、時々、帰化生物を嬉々として殺す人たちを見ていると、恐ろしいなぁと感じる。
 今、日本の社会の風潮は帰化生物を殺すことを許しているわけだが、そうした社会の風潮が許すことに対して、疑いを持たない人たちである。
 例えば、野犬を捕まえ殺す立場の人が、
「今日は何匹捕まえて殺しました!明日もまたやります。」
 とインターネットで発信したなら、
「殺戮鬼なんじゃないか?」
 と空恐ろしさを感じる人は少なくないだろう。
 なぜなら、本来野犬と言えどもそれを殺すことは悲しいことであり、それを悲しいと感じる人は、殺すことをそんな風に軽々しくは発信したりしないはずだから。
 つまり、殺すことが問題なのではなく、人の心の問題。

 帰化生物だって同様。
 いつだったか、ある研究者が日本の離島にわたり、そこに帰化しつつあるイグアナを駆除するテレビ番組を見たことがあるが、僕はその活動に大変に説得力を感じた。
 まず、離島の特殊な自然という人類にとっての財産があり、その財産・公の場所を守るために、本当に悲しいけど帰化生物を殺す。
 その様子を報道するが、それは熟慮に熟慮を重ねた上でのことであり、決して軽々しく報道しているわけではない。

 また、僕は以前、野鳥の調査の是非に関する問題を日記の中で書いたことがある。
 それらの話題の中では、野鳥の調査に携わる人が、捕まえた鳥の写真を撮り、それについて嬉々としてインターネットで発信していることについて、怒りを感じている人が多かったように思う。
 つまり、野鳥は網にかかったり、人の手でつかまれてストレスを受けているわけだが、それについてちゃんと心配し、案じる心の持ち主が、果たして、その様子をネットで嬉々として発信したりするだろうか?という多くの人の直観の現れだったと僕は理解している。

 僕は、個人的には、野犬にしても、帰化生物にしても、野鳥にしても、必要なら、殺したり、調査で痛めつけることを否定する気はないが、その際の、人の心の有り様こそが大切であるような気がする。
 
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2008.7.19〜20(土〜日) 構え直す 

 僕は今年を、" 来年のための準備の年 " だと位置づけていることは、すでに何度か書いたことがある。来年からは、野外での撮影の時間を増やす。
 ところが、時間を作ることはやはり容易ではない。だから、自分がやっていることを一から全部見直し、能率を上げられそうなところを重箱の隅をつつくようにして見つけ出し、ひたすらに改善し続けている。

 僕が撮影を担当し、今、注文すれば購入できる単行本は合計で10冊ある。
 そして、それらの本の中で僕が果たした役割は、写真の技術者であり、
「こういう風に撮って欲しい」
 と望まれたものを、その通りに撮影し、本作りに貢献をしてきた。
 だが、ここ3〜4年僕が志し、もがいている本は、自分自身が目にし、感じ、どうしても伝えたいと切望しているものを形にしようとしたもの。
 テーマは環境。
 ただし、多くの人がイメージする環境とは違うものかもしれない。
 今、日本の社会の中で環境という言葉が使われる時、それは、極めて人間中心の環境であるように思う。
 まず、人間がイメージする理想の環境像があり、それに照らし合わせて、現状の自然を、いいとか、悪いとか、正しいとか、間違えているなどと判断する。
 つまり、目の前で起きていることを評価し、その評価に基づいて人が動くことが、環境について考えることになってしまっている。
 たとえば、アメリカザリガニは本来は日本にいないはず、という日本人にとっての理想の環境像あり、それに現実の自然を近づけるために駆除をする。
 だが僕は、環境を考えるって、そんなことじゃないと思う。環境を考えるとは、自然ってどんなものだろう?と見ようとすること。
 そんな僕の思いを、本の中で提案してみたい。

 環境が語られる時に、それが人間中心であることを批判したいのではない。僕は、人間中心でいいのだと思うし、人はそれ以外に生きられないような気がする。
 だが、それは人間中心なんだ、ということをちゃんと知っておくことが大切なんだと伝えたい。
 まさに人間中心の話が繰り広げられているにもかかわらず、多くの人が、それを、自然を思いやっているのだと思い込んでいるケースが多いような気がする。
 トンボ池やメダカ池を意図して作り、その中に外来種が侵入すると駆除し、それで環境を守っていると思いこんでおられる方は少なくない。
 だが、トンボ池にしても、メダカ池にしても、まさに庭の一種の人工物であり、そこに自分が気に入らないものが侵入したから、駆除をしているに過ぎない。
 外来の生き物が次々と侵入してくるのは人のエゴかもしれないが、そうした駆除も、自分が見たいものだけを見たいという人のエゴであり、結局、自然について考えるのではなく、何が人間にとっての正義なのかを競い合っているに過ぎないような気がする。

 僕は、生き物のマニアックな話をしようとは思わないし、即物的な目で自然を見る図鑑や、自然を HOW TO という目でとらえるガイドブックにもあまり興味はない。
 僕が興味を持っているのは、言論としての写真。今、産経エクスプレスに連載をさせてもらっているが、回を重ねるごとに、言論としての写真に、益々面白さを感じるようになってきた。
 だから、今後そんな世界に特化できればなぁと思うのである。

 それはともあれ、そんな本をまずは一冊作ればいいのなら、遠くないうちに実現できる自信はあるが、僕は一発屋さんにはなりたくないし、立て続けに何冊か本を作り、それを1つの世界として確立し、それで飯が食えるというのが、僕にとって大切なこと。
  ところが、それはやってみれば自分が思っていたよりも一段〜二段難しく、結局3〜4年ハードルを越えられないまま足踏みしている次第。
 どうも、仕事のスタイルそのものを変えなければ、それは実現できないと思えてきたので、まず今年準備をし、来年は新しい構えに構えなおそうと考えるようになった。
 
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2008.7.18(金) 金魚いろいろ 

 ずっと以前にも書いたことがある。
 初めて水の中にカメラを沈め、カワセミが水中で魚を捕らえる瞬間の写真を撮ったときのことだが、水中は僕が思っていたよりもずっと明るくて、そして広がりのある世界だったから驚いた。
 僕がイメージしていたのは、カワセミで有名な嶋田忠さんの写真。真っ暗な水中に、青いカワセミがまるで閃光のように突き刺さっているシーンだった。
 ところが、自分の目で見た水中は、それとは随分違うものだったから、昆虫写真の海野先生に話してみたら、
「うん、それが大切なんだよ。そう思ったのなら、そんな風に写真を撮ればいいんだ。」
 と先生が教えてくださった。
 人の真似をするのではなく、あっと思ったことを素直に写真に撮る。僕は今でも、その海野先生の言葉を時々思い出すことがある。

 さて、僕が今飼育〜撮影している金魚は琉金という種類だが、一匹ごとに随分形が異なり、それは僕にとってそれなりに大切で、そして面白いことだ。
 まず、卵を産ませる時には、どれとどれとを親にするのかを考えるし、毎日一匹一匹をちゃんと区別し、性格の違いなども把握した上で飼育をする。
 中でも一番のお気に入りは、16日の日記で紹介した魚で、この魚に関しては山ほど撮影し、いろいろな角度からの写真を残すことにした。
 そして今日は、その他の金魚にもカメラを向けた。
 当初は、一番気に入った魚だけを撮影するつもりだったのだが、僕は一匹一匹の違いを面白いと毎日眺めているのだから、それを素直に撮影すべきだと思い直したのである。

 さて、この魚は、僕が生まれて初めて手に入れた、本格的な金魚だ。
 種類は琉金。琉金は最も一般的な品種の1つで、九州では金魚掬いに使われているくらいだが、上の魚は背中の盛り上がりが大変に大きくて、一般のペットショップには、滅多に売られていないレベルの魚だろう。
 が、16日に紹介した魚に比べると平凡。16日の魚は、木村豊さんという大変に有名なブリーダーが生産したブランド魚で、別格だと言える。

 そして、この魚もやはり琉金。
 だが、最初に紹介した魚に比べると、背中の盛り上がりはかなり小さい。
 一般的に、背中の盛り上がりは大きな方がいいとされているので、これはあまり良くない魚かもしれないが、顔が尖った感じなど、それはそれなりにきれいな形にまとまっているような気がする。
 背中が盛り上がった琉金は最近の流行りのようで、昔は、この魚のようにレモンのような形をしているのが普通だったようだから、昔なら、いい魚だったのかもしれない。

 こちらは、熊本県の養魚場で購入したもの。
 真ん中の魚は、尾びれが扇を広げたかのように横に広がっているが、この魚は、尾びれが立っているのが特徴。
 同じ養魚場からは他に2匹の魚を買ったことがあるが、いずれも尾が立っていて、それが生産者の好みなのかもしれない。
 一般的には尾は開いている方がいいとされているが、それはおそらく、金魚は品評会の際などに、上から観賞するからだろうと思う。
 だが、魚を水槽に入れ横から見ると、立っている尾もまた美しい。
 3番目の魚は、どこか目つきが悪い感じがして、全体にワイルドな印象を受ける。
 今日は、そうした僕が日頃から受けている印象を徹底して追い求めるように、何度も何度もシャッターを押した。
 

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2008.7.17(木) 雷魚 

(撮影機材の話)
 ニコンのデジタルカメラ・D3やD300が発売されて以降、
「どうしても思うような色が出ないのだけど、武田さんはどうしてますか?」
 と何人かの人からたずねられた。
 僕も、全く同感。
 最近のニコンのカメラの場合、ピクチャーコントロールといって、カメラの発色の傾向を撮影者が選ぶことができ、 『ビビッド』 だとか 『スタンダード』 だとか 『ニュートラル』 などという選択の項目があるが、そのどれにしても、好みの色が見当たらないのである。
 ビビッドにすると、恐ろしく派手。
 そこで、ビビッドの彩度を落とすと、だいたいいい感じにはなるが、でも色が濁っていたり、偏っている感じがする。
 また、スタンダードでもまだ派手。
 でも、ニュートラルにすると地味。
 ニュートラルの彩度を少し高くすると、ほぼいい雰囲気にはなるが、緑の発色などはイマイチで、どこか違うよね?という感じが残る。
 その点に関しては、キヤノンのカメラの方が扱いやすい感じがする。
 ニコンのD3とキヤノンのイオスを比較した場合、JPGではイオスの方がいいという人が多いが、多分、同じ理由なのだろう。
 
 が、ふと試しに、D2Xモードの3を選択してみたら、これが実にいいことが分かった。
 D2Xモードというのは、D2Xに近い発色をするモードのことで、ニコンのホームページからダウンロードして、カメラの中に読み込めば、D3やD300で使用することができる。
 D3に読み込むと、色の傾向はD2Xだが、D2Xよりも白とびしにくくて画像が粘るなど、本家のD2Xを一段グレードアップしたような画像が得られる。

 さて、先日水路の魚たちにカメラを向けた際に、雷魚の稚魚を見つけたことはすでに書いたが、今日は、その稚魚が気になって気になって仕方がないので、もう一度写真を撮ることにした。
 実は、今日は事務的な仕事があり、本当はそれどころではなかったのだが、事務的な仕事は睡眠時間を削ることなどで対応できるが、稚魚の撮影のチャンスはあと何日もないはずなので、ちょっと無理をしてみることにした。

 雷魚の親には稚魚を守る性質があり、今日僕が撮影した稚魚の付近にも、常に親が待機している。
 しかも親は2匹。
 稚魚たちの様子を注意深く観察してみると、時々稚魚の集団が二手に分かれるので、もしかしたらメス親が2匹という可能性も捨てきれないのだが、常識的に考えれば、多分、オスメスの組み合わせなのだろうと思う。
 僕は、雷魚が巣を作ったり子供を守ることは知っていたのだが、親が複数匹で過ごすことは知らなかったので、そうした様子を見ているだけでとても楽しい。

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2008.7.15〜16(火〜水) 忘れ物の神様 

(撮影機材の話)
 ニコンとキヤノンをどういう風に使い分けているのですか?と時々たずねられることがある。
 別に、何かを決めている訳ではない。
 が、機材をザックに入れて持ち歩く時はキヤノン。バッグに入れて持ち歩く時はニコンを使うことが多い。
 僕の場合、撮影機材は一年中ザックやバッグに入れっ放し。
 だから、本来忘れ物が多く、小学校の頃などは忘れ物の神様と先生から呼ばれていた僕だが、撮影に関しては滅多に忘れ物はない。
 ただ、機材をザックやバッグに入れっ放しにすると、カビが生える危険性が高くなる。だから、除湿器を常に連続運転し、一部屋を丸ごと、防湿庫のような状態にしている。
 除湿器を動かすと水が排出されるが、事務所の壁には穴をあけ、その水を、除湿器に接続したホースを通して屋外へ捨てる仕組みになっている。
 なぜ、キヤノンはザックなのか?と言うと、キヤノンの方が道具が若干軽い傾向があり、長距離を歩く撮影に向くし、その場合はザックの方が適するから。 

 (15日)

 さて、近所の水路で魚たちにカメラを向けた。
 ここでは、ちょっと歩いては撮影し、またちょっと歩いては撮影しを繰り返す。
 そうした撮影の場合は、いちいち背中にからう必要がないバッグの方が使いやすい。したがって、この日のカメラはニコンだ。

 僕がいつもカメラを向けるのはわずか200メートル足らずの範囲だが、ここで撮影をすれば、毎回何か初めてのシーンに出くわす。
 この日は初めて目にする魚に出会った。最初はヒメダカかと思ったのだが、よく見ると、雷魚の稚魚だった。

(16日)
 屋外で撮影した日の翌日は、スタジオ。
 屋外とスタジオとでは疲れの質が違うし、それを交互にすれば、気分が変わっていい。

 先日、僕の金魚を見た人が、
「これはかわいい。ひれをパタパタさせてるよ!」
 と言う。
 金魚はどれも胸のひれを動かすものなのだが、確かに良く見ると、その魚は、特に胸のひれがパタパタしている感じがする。
 いったいなぜだろう?と考えてみたら、理由が分かった。
 それは、ひれが赤いから。ひれが赤いと白っぽいひれよりも目立つので、それを動かした際には、パタパタという感じがして、確かにかわいい。
 背びれだって、赤いと大きく見え、優雅な印象を与える。 
 と言うことは、胸のひれが赤いオスとメスとを選んで子供を取り、その中から、親と同様に赤い胸ひれの魚を選ぶ。
 逆に、顔は白い方が目がくっきりと見え、可愛い感じがする。
 なるほどなぁ〜。そうやって自分好みの魚を作っていくものかもしれないな。


 人が何かを始める動機は1つであるはずがなく、たとえば、僕が写真を撮るようになったきっかけだって、実はたくさんある。
 海野先生の写真を見て感激したから?
 もちろんそれもあるが、その前に、海野先生の写真を見て感激する下地ができていたはずだ。

 昨年の冬、僕がいま連載を持っている産経エクスプレスの副編集長の佐野さんと食事をした際に、
「武田さんは自然物が一番きれいだと思っているでしょうが、建築家は人工物こそが美しいと考えているのですよ。」
 と言われ、ハッとさせられた。
 人が手を加えない野生の生き物こそが美しいと硬く信じていた僕が、今金魚にカメラを向けている動機の1つには、もしかしたら、その日の出来事が影響しているのかもしれない。
 もっとも、金魚は人工物ではない。品種改良と言っても、元々金魚に備わっていた遺伝子の中から、人が気に入ったものを選び出しているに過ぎない。

(お知らせ1 )
直方谷尾美術館で写真展を開催します。
http://www.nogata-navi.com/tanio/index.php
展覧会・イベントへと進み、筑豊アートシーンの詳細をご覧ください。

(お知らせ 2)
平尾台自然観察センターでも、写真展を開催しています。
http://www.hiraodai.jp/hnoc/
イベント〜展示イベントへと進み、生き物写真展をご覧ください。

 

2008.7.14(月) 直方谷尾美術館にて 

 ちょうど今、直方谷尾美術館で開催中の企画 『筑豊アートシーン』 では、筑豊地区に何らかの関係がある6人の作家の作品が展示されている。
 僕にとって写真は生活の糧だが、多くの人にとって、写真や美術はしょせんお遊びであり、そうしたイベントが開催される場合、必ずしも、主催者側が熱心に取り組んでくれるわけではなく、時には、どう考えても単にイベントの枠を埋めたいだけ?と言うような相手の態度を見せつけられることもある。
 が、 『筑豊アートシーン』 に関しては、美術館の学芸員の方が何度もうちの事務所に足を運んでくださり、打ち合わせを重ねてきた。いい物にしたい、という主催者の気持ちがよく伝わってきた。
 自分(達)で言うのもなんだけど、かなりいい展示になっているような気がする。
 昨日はその企画に関連して、トーク&パフォーマンスが開催され、僕も参加して話をしてきた。

 出品者の一人である佐土嶋洋佳さんは、過去の自分と現在の自分とがつながっていないような感覚を持っておられるのだそうだ。
 でも、自分の持ち物を通して、自分を過去に向かって振り返っていくと、間違いなく、それはつながっていることを認識させられる。
 そんな思いを形にした作品を展示しておられる。

 日賀野兼一さんは、テンペラ画という手法を用いて絵を描いておられる。
 谷尾美術館とは、元々直方市のある企業の社長さんが個人的に設立した美術館で、その後、谷尾さんが亡くなられた後に、直方市に寄付された。
 谷尾さんがお元気だった頃には、筑豊地区の若い作家を育ているために、谷尾美術館大賞展を設け、日賀野さんはその賞を受賞された。
 賞金は谷尾さんのポケットマネーで300万円。これは美術の賞金としては大層な額なのらしいが、当初谷尾さんは1000万円くらいでなければ意味がない、と主張されたのだそうだ。
 が、いろいろと事情があり、300万円に落ち着くことになる。
 賞以外の部分でも、パトロンとして、多くの作家を支援されたのだという。

 画家の田代勝大さんは、筋ジストロフィーというハンデを背負いながら、精力的に絵を描いておられる。当然、制作には膨大な時間がかかるのだという。
 僕がもしも田代さんの立場だったなら、はたして同じようなエネルギーを出すことができるだろうか?
 僕には、全く自信がないし、凄いというしかない。

 石原稔久さんは陶芸。
 今回が器ではなくて、置物を配置した作品。
 僕と似たところがあり、理屈っぽくて、話がとても合う。

 重松希さんは、鉄の彫刻。
 重松さんの解説文を読むと、人間にはドロドロした部分があり、それを隠さずに表現することにこだわっておられるようなのだが、僕にはむしろ、温もりとか、優しさのような何かが感じられたのはなぜだろう?
 少なくとも、ドロドロは感じ取ることができなかった。
 重松さんと会話を交わしても、やはりとても素直な人だな、という印象。
 今回のトークのイベントにはご両親も来ておられ、6人の作家の話を一番前で一生懸命聞いておられた。
 その様子を見るだけで、ある程度重松さんの家庭環境をうかがい知ることができるが、だから、なのかな?

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2008.7.12〜13(土〜日) 何がそんなに忙しいのか? 

 僕はここのところ、インターネットのすごさを痛感している。インターネットは便利なものだとはずっと以前から感じているが、こいつは凄い!としみじみ感じたのは、実は今回が初めて。
 今回とは、金魚の飼育〜撮影のこと。
 金魚のブリダーの方々のブログに毎日目を通すと、それ以前なら数年の経験を積まなければわからなかったようなことが、ほんの数か月で身に付いてしまうのである。
 
 一方で、教科書で勉強する基礎知識の大切さも、改めて教えられる気がする。
 金魚に関して言うと、ブリダーが書くことは基本的には経験則であり、理屈ではなくそうなんだ、という事実が多く、それゆえに役に立つのだが、それを理解して短時間で自分に応用するためには、やはりちゃんとした科学の基礎知識が必要。
 水槽の中でおきていることが化学式のレベルで分かった方がいいし、でなければ、とても表面的なことしか理解できないに違いない。
 経験則を重視する人の中には、科学は不要と言う人が少なくないが、それは恐らく、その人がただ科学を知らないだけだろうと思う。そうしたことは、科学をちゃんと勉強した上で言うべきなのだろう。
 
 さて、ブログから伺い知る範囲では、、金魚のブリダーの方々は、早朝から夕刻までひたすらに飼育作業に取り組んでおられるようだ。休み、というやつは、どうもないみたい。
 たかが魚を買うのに、何でそんなに忙しいのだろう?と僕は最初は不思議に感じたのだが、最近になり、少しずつそれが分かってきたので、1つ例を書いてみたい。
 
 屋外で金魚を飼育していると、水が緑色になってくるが、そうした水を青水という。
 青水は、適度な濃さにとどまっている場合、金魚にとってとてもいい。
 が、あまりに濃くなり過ぎると、逆に害がある。
 そして日によっては、朝にはごく薄かった青水が、昼過ぎには一気に濃くなり、金魚たちの動きが悪くなっているケースがある。
 飼育者は、それに早く気がついて、水を変えなければならない。つまり、何度も何度も魚の様子を見回り、小さなサインにもちゃんと気付き、手を入れなければならないのである。
 僕が容器に近付くと魚たちは餌をねだって浮き上がってくるが、青水が濃すぎる時は、浮き上がってくるまでの時間が若干遅くなるなど、魚の体調は泳ぎにちゃんと反映されるようだ。

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2008.7.10〜11(木〜金) バージョンアップ 

 キヤノンのEOS5Dは、作りはちゃちだが、1つ1つの基本性能は大変に素晴らしいカメラだと思う。
 唯一、画像を再生する液晶の見難さだけは、どうしても使いにくいと感じるのだが、その他については、画質はいいし、オートフォーカスの性能だって実にいい。
 ニコンの最新で最高級のカメラであるD3と併用してみても、ちょこまか動く小さな生き物の撮影に関しては、EOS5Dの方がオートフォーカスが賢い、と感じられる。
 5Dのオートフォーカスは、まるで撮影者の気持ちを知っているかのような挙動する。
  
 さて、ニコンD3のファームウェアがバージョンアップした。
 さっそく試してみたのだが、なんと、オートフォーカスが格段に良くなっている。これでやっと、EOS5Dよりも、ほぼすべての面で扱いやすくなった感じがする。
 D3のオートフォーカスは、コントラストが低い被写体の場合、動かなくなってしまう傾向があった。僕の場合、コントラストが低い被写体とは、たとえば水の中の被写体がそうで、水槽の中の金魚をD3で撮影しようとすると、とても高い確率で、オートフォーカスが動かなくなり、最初は壊れているのかと思ったほど。
 ネット上では、そうした現象が「フリーズする」と表現されているようだが、今回のバージョンアップで、その傾向は完全になくなった。
 ちょこまかちょこまか動く金魚の群れにカメラを向けてみたのだが、実に見事に狙った被写体にピントを合わせ続けてくれる。
 おそらくD300でも同じことが言えるのだろうと思うから、D3やD300を使っている人は、バージョンアップを試してみるのがいいだろう。今回のバージョンアップはとてもいい。

 さて、今シーズンの一番忙しいであろう時期を乗り越えた。忙しいことは、暇であるよりもいいとは思うが、今シーズンの忙しさに関しては、やや辛かった。
 だが、それらの仕事をこなしながら、同時に自分の仕事のスタイルに随分改良を加えたし、来シーズンからは、同程度の仕事なら、楽々こなせるはず。
 ちょうど今、従来から貫いてきたスタイルを変えなければならないタイミングに差し掛かっているのだろう。
 僕はこれまで、写真を撮ってまず生活費を稼ぐことを重視してきたのだが、これからは、やってみたいことを1つずつ実現したい。

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2008.7.8〜9(火〜水) 科学とは 

 1センチにも満たない金魚の稚魚は小さ過ぎ、肉眼では、今、その形にどんな変化が生じているのかがよくわからないので、とにかく定期的にカメラを向ける。つまり、カメラや写真は、その場合、撮影の道具と言うよりは、観察の道具だ。
 先週は背びれが見えなかった金魚の稚魚に、今週は背びれがあった。

 僕が現在育てている稚魚は、琉金という種類だが、生まれてしばらくは稚魚に背びれがないことに気付いた時には、ちょっと嬉しかった。
 なぜなら、金魚の中にはランチュウという背びれがない品種が存在するのだから。
 なるほどなぁ〜。ランチュウには生まれ付きに背びれがない、というよりは、金魚の稚魚には元々背びれはなく、背びれは後で作れれるものなんだ・・・。
 それが、その段階で作られなかったのが、きっとランチュウなのかな?

 生き物の体が作られる過程を『発生』というが、僕は、学生時代の恩師の
「生物学の中で一番興味深いジャンルは発生です。」
 という言葉を思い出す。
「昆虫採集に夢中になる人には、あまり生物学のセンスはありません。もしも生物学を志すのなら、いろいろな形の生き物の存在よりも、同じ生き物の形が同じになることの方に不思議を感じなければなりません。人間の子供が必ず人間の形になるのは、いろいろな形の生き物が存在することよりも、ずっと驚異なんです。」
 そんなことを語る恩師が発生生物学の研究者だったか?と言えば、そうではなく、先生は昆虫の体内時計の研究の第一人者で、その研究で日本動物学会の賞を受賞したほどの人だったのだから、なぜ一番面白いのは発生なんだろう?と僕はいつも不思議に思った。

 それはともあれ、その恩師は、学生が野外で生き物を研究することを嫌っておられた。僕も、それを申請したのだが、却下されてしまった。
「昔は、たくさん野外でも研究したんです。だから、いろいろ試して上で君に話をしているんだよ。野外での過去の研究は、結局全部作文レベルなんだ。そんなものは大学の研究ではありません。大学には使命があるからな。」
 科学とは、ただ現象をありのままに記録することではない。その中から、何か法則性を抜き出すことこそが科学である。
 そして大切なのは、その法則が、ただの法則ではなくて面白い法則でなければならないこと。科学とは、もしかしたら、その面白さを競うものなのかもしれない。

 先生は、ただの事実の羅列や、仮にそこに法則があったとしても、その法則が面白くない研究を、作文と表現しておられた。
 日本人は、もともと「ありのまま」を好む人種であり、それゆえに、自分が見たものの中から法則を抜き出すのが不得意で、日本人には科学的な考え方が出来にくいと言われているが、確かに、山ほどある自然関係のブログを眺めてみても、9割以上の確率でそれらは作文であり、恩師が主張されたことが、今なら多少わかるような気がする。

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2008.7.7(月) 続々・お知らせ 

 今晩は天気もいいようだし、七夕なので、熊本あたりまで天の川の撮影に出かけたいのだが、金魚の稚魚の世話をしなければならないので、出かけることができない。
 夜空に浮かぶ水辺。考えただけでわくわくするのだが、今年はとにかく辛抱。
 来年は撮影スタイルを変えることは、以前にも何度か書いた。そして、天の川も思う存分に撮影しようと思う。

 さて、今年の春に出版された、旺文社の 『僕たち親子だよ』 シリーズで、僕のカタツムリとアマガエルの写真に文章を付けてくださった西沢杏子さんの詩集(花神社)が届いた。
 西沢さんは賞を受賞するなど、とても実績がある人。
 僕は、その西沢さんの文章を読んで思った。やっぱり、僕は理科系的な世界にこだわらなければならないと。
 僕には、西沢さんのような物語は思いつかないし、その僕が物語を作ろうとすると、結局ちゃちな物語になってしまう。
 やはり、人には向き不向きがある。
 一緒に仕事をすることで、自分が何をすべきかを教わったような気がする。 

 『僕たち親子だよ』 シリーズで、僕のザリガニの写真に文章をつけてくださった深山さくらさんからも、本(教育画劇)が届いた。
 僕はだいたい、やりたいことがたくさんあって困る方だし、日頃、人のエネルギーに驚かされることはほとんどない。
 唯一、僕がいつも驚異を感じるのが、昆虫写真の海野先生なのだが、最近は、深山さんも、たくさん仕事しているな!なかなか馬力がスゴイぞ!と思う。

 小学館の小学3年生に、僕の写真が掲載された。
 内容はカブトガニ。干潟で、読者モデルの男の子にカメラを向けた。合計5ページ。

(撮影機材の話)
 ニコンのD700を買おうと思う。
 そう遠くないうちに発売されるであろう、キヤノンのEOS5Dの後継機とどちらを買うか随分悩んだし、EOSの方が発売されてから考える予定だったのだが、やっぱりニコンに決めた。
 こう書くと、それほどD700に魅力を感じているのか!、と受け止める方がおられるだろう。
 それは全くその通りなのだが、あと1つ、逆にEOS5Dがとても凄いカメラなので、いまだに十分過ぎるくらいの性能を持っているということもある。
 もちろん、ネット上の記事を探せばいろいろな意見があるが、EOS5Dの低感度での画質のすごさが分からない人の眼は、節穴だと言っても言い過ぎではないかも。
 フルサイズセンサーの画質の迫力と言うことに関しては、後から発売されたD3よりもEOS5Dが上。
 それから、僕は今EOS5Dは2台持っているので、そのどちらかが壊れたときに新製品を買えばいい。
 
 D700があればD3はいらないかな・・・とも思ったし、D3を発売後すぐに買うべきではなく、D700台を2台買った方が便利がよく、そしてコスト的にも随分安上がりになると一瞬後悔した。
 が、いや、やっぱりD3は必要だと気付いた。
 ポイントは、記録メディアが2枚入ること。僕はその2枚目を、一枚目のバックアップをするように設定しているのだが、これは非常に安心感がある。
 たとえば、上で紹介した小学3年生の取材。
 東京から編集者がお越しになり、読者モデルの方が家族でやってきて、さらにカブトガニを見つけてくださる地元の専門家がサポートしてくださるのだから、絶対に失敗が許されない。
 そうしたケースで一番可能性が高いトラブルは、おそらく記録メディアが壊れること。
 だから、そうした取材の仕事に備えるためにも、メディアが2枚入るカメラを1台でいいから、持っておきたい。
 今回の干潟の取材では、途中でうっかりしてカメラを落としてしまい、D3とレンズが1/4くらい泥に埋もれてしまったのだが、僕はとにかく心配になった。
 早く帰宅したい。そして、画像を確認して安心したい。
 カメラは壊れていてもいいから、画像は・・・・
 キヤノンにも、カードが2枚入るカメラはあるわけだが、ギリギリのところの信頼性は、やはりニコンが上。

 NHKの俳句の本に、写真が掲載された。
 こちらは先月発売の6月号。合計2ページ。忙しくて紹介できなかったのだが、カタツムリの写真。

 こちらは、今月発売の7月号。
 金魚の写真が掲載されている。

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2008.7.4〜6(金〜日) 続・お知らせ 

 あなたの仕事は?と聞かれ、
「生き物の写真を撮っています。」
 と答えると、たいてい興味を持ってもらえるが、一方で、
「ごくつぶしだな。」
 とか、
「遊んで暮せていいな。」
 といった反応もある。
 だが、そんな人でも、
「これが僕の仕事です。」
 、と自分の著作を手渡すと、大抵の人はとても驚き、納得してくれる。
 僕はそんな時、本が出るということは社会が認めたということであり、本はやっぱり権威なんだなと思い知らされる。
 つまり、僕にとって本を作るということは、そうした本に対する社会の信頼を後ろ盾にしながら、自然について伝えること。
 また、社会の信頼を後ろ盾にする、と言うことは、わかる人が分かればいいというのではなく、基本的にみんなに分かってもらおうとすること。
 みんなに分かってもらうとは、自分に同意してもらうことではなくて、自分が何を言っているのか、相手にちゃんと伝えること。
 大衆を相手にすることを、一般受けするテーマを選び、一般受けすることだと勘違いしている人は多いように思う。が、それは大間違いだと思う。

 僕は、今後はもっとそんな本に特化していきたい。
 だから僕が目指す本は自費出版であってはならないし、仮に自費出版ではなくても、それに近いものやマニアックなものであってはならない。また、出版社だってどこでもいい訳ではなく、普通に知られている出版社でなければならない。

 分かったようで分からないな、と思う人は、新聞を思い浮かべてもらえばいいと思う。
 新聞は、基本的にみんなに伝えようとしていることが分かるのではないだろうか?
 だが、新聞は、僕にとっては即物的過ぎるし、現実的過ぎる。
 僕が目指すのは、あくまでも真を伝えながら、決して即物的ではない世界。以前も書いたことがあるが、僕が知っている言葉の中では、ノンフィクションという言葉が最もよく当てはまるような気がする。

 さて、もっともっと本に集中するために、しばらくは本以外の見せ方を封印する予定だったのだが、写真展を開催することになった。まさか、今シーズンはここまで仕事が忙しくなるとは思っていなかったので、イベント開催の依頼を受け、
「やります。」
 と言ってしまったのだが・・・。
 今日は、そのための展示作業。

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(お知らせ 3)
多忙のため、7月10日前後まで、メールの返信が極端に滞る可能性があります。


 

2008.7.3(木) お知らせ 

「駅売りを買いたいので、産経エクスプレスでの連載が掲載される時には、あらかじめ教えてくださいね。」
 と以前ある関西在住の方から言われた時には、とても嬉しかった。
 その後、関西だけでなく、関東でも駅売りが始まり、
「それを買おうと思います。」
 と複数の人から連絡があった。
 次回は、僕が一番やりたいことを表現する。つまり、それはもしかしたら仕事というよりは趣味なのかもしれないが、本当にやりたいことを表現できる場は極めて少ない。だから、そうした場を与えてもらえることには、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
 僕の趣味は、僕がこれまで作ってきた子供の本とはずいぶん違う内容なので、人によっては意外に感じる方もおられるだろう。
 それは自分でもよく自覚していて、以前は、趣味で撮影する写真と仕事で撮影する写真の差を小さくし、一体感を持たせようと努力したこともある。
 が最近は、ちょっと思うところあって、その試みをしばらく封印することにした。

 思う所とは、先輩方の写真が、マンネリになっているように感じること。たとえば、次々と写真集を出しておられる先輩の本を開いてみると、その中身がほとんど同じだったりする。
 それが、元々ワンパターンな写真を撮る人の本ならともかく、実に表現力豊かな超一流の人の本だったりするのだから、先は長いことを思い知らされる。
 だから今は、
「これが同じ人の写真か?」
 と人から言われる程度がいいのかもしれないな、と思い直したのである。
 一点に収束させるのは、もっと後でいい。
 僕は、息が長い仕事をする人が好きだ。スポーツの選手でも、ボロボロになるまでやる人が好き。サッカーの三浦カズ選手などは、衰えて、落ち目になってから大好きになった。
 
(お知らせ1 )
 4人の自然写真家(武田晋一・伊藤健次・田中達也・吉野雄輔)によるサンケイ・エクスプレスでの連載ですが、次回は7月5日(土)が僕の順番です。新聞の一面いっぱいに、写真と文章が掲載されます。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。
 4月1日から、首都圏でもサンケイ・エクスプレスの駅売りが始まりました。一部100円です。銀座線を除く東京メトロ、都営地下鉄の全売店と、JRの主な売店、東武、西部の売店のほか、東急の一部売店で購入可能です。


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(お知らせ 3)
6月分の今月の水辺は、文章を書く作業が重なり多忙のため、更新できません。

 

2008.7.1(火) 撮影機材の話 

 僕の場合、仮に生き物を撮影するのでも、生き物よりも先に、まず気に入った雰囲気の場所を探すことが多い。
 そして、そこで生き物が写っていない写真を最初に撮ってみて、それが気に入れば、それから目的とする生き物を探し始める。
 今日は、貴重な梅雨の晴れ間。青空を入れて撮影しなければならないシーンがあり、ちょっと田んぼに出かけてきた。

 地面の上に置いたミニカーを20メートル離れた場所から立って見ると、主に、ミニカーの横の部分が見える。
 だが、50センチしか離れていない場所に立つと、今度はミニカーの屋根の部分が見える。つまり自分の背の高さは変わらないのに、立つ位置によって見え方は変化し、地面の上のものを見下ろす場合、相手に近づけば近付くほど、目線は高くなる。
 小さな生き物を撮影する場合、写真家は相手に近付かなければならないから、その生き物が地面の上を歩いている場合、目線はどうしても高くなりがちだ。
 そこで、カメラの位置を何とかして低くしようと試みる。僕の場合、泥の中にカメラの下部が潜り込んだ状態で撮影することも珍しくはない。
 僕のカメラは、いつも泥だらけになるし、野外で使うカメラは、なるべくレンズよりも下の部分が出っ張っていない方がいい。
 僕はニコンのD3をとても気に入って使っているが、その点に関しては、D3はあまりいいカメラではない。
 さて、D3の背を低くしたようなカメラ、D700が発表された。どうしようかな・・・。
 
 カメラの背の低さの他に、あと1つ、大切なことがあり、それは、レンズの最短撮影距離が短いこと。
 なぜなら、小さな被写体を大きく写すためには、被写体に近付かなければならないのに、レンズがそこまで近づけない設計になっていたら、話にならない。
 レンズの最短撮影距離は、20ミリならどんなに長くても20センチ。24ミリなら24センチ。それが満たされているレンズ以外は、小さな生き物の撮影では、ほぼ使い物にならない。
 ところが現実には、そんなレンズは実に少ない。今僕がよく使うのは、古いオリンパスの21ミリとコシナが販売しているカールツァイスのディスタゴンの25ミリだ。
 特に、カールツァイスのディスタゴンの25ミリは描写がすばらしいので、撫ぜ撫ぜしたいくらい大好きだし、25ミリよりもさらにワイドなレンズが発売されるのを楽しみにしていたのだが、先日発表された18ミリの最短撮影距離は30センチだったからガッカリ。
 僕にとっては、全く使いものにならない。

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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2008年7月分


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