撮影日記 2007年8月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 

2007.8.31(金) 自作水槽 

 丸い容器の中に四角い容器を入れて何をしているのか?といえば、水槽の水漏れのテストである。中の四角い容器が自作の水槽。そして、自作ゆえに水漏れの可能性があるから、それに備えてさらに別の容器に入れてある。
 水槽は一昨日作った。それを丸一日乾燥させて昨日同様にテストしたら水漏れが発覚した。
 すぐに防水をやり直したら、今日は、どうも大丈夫のようだ。

 今回の水槽は、1ミリ以下くらいの微細な生き物を撮影するために使う。だから、水槽のカメラを向ける面に関しては特殊な材料を使用し、水槽越しの撮影でも中の小さな生き物がシャープに写るように工夫してある。
 陸上の生き物なら、何の工夫もなくただレンズを近づけて撮影できるものが、水中の生き物となると、一々何かの工夫が必要になる。でもだからこそ面白いし、プロが必要であるとも言える。

 しばらく放置しても水槽の水漏れはないようだし、今日は先日採卵しておいたシオカラトンボの卵を撮影してみた。

(撮影テクニックの話) なぜ、自作水槽を作ったのか?
 水中の生き物の場合、極小の被写体なら顕微鏡的に撮影するのが一般的だろうと思う。顕微鏡的とは、生き物を容器に入れ、上から、つまり水面から覗き込むように撮影する方法である。
 だが、照明の当て方の自由度の大きさに関しては、顕微鏡的な撮影方法よりも、普通の水槽のような容器に生き物を入れ、水槽越しに撮影した方が断然上。
 一般的にストロボを使用する場合は光源が大きい方がいいとされているが、極小の生き物の場合は相手が相対的に小さいだけに、逆にストロボの光源を小さくしなければならないことがある。
 ストロボ撮影の際に光源を大きくすることは、色を犠牲にして階調性を良くすることだから、ストロボの光源が大き過ぎると色が弱くなってしまうのである。
 色が弱くなってしまった写真を、画像処理で救うのも悪くはないが、僕は出来れば最初から完成された写真を撮りたい。そのためには、照明がやりやすい方法がベストだし、そこで今回は自作水槽を作ってみた。

 以前にもお知らせしましたサンケイ・エクスプレスでの連載、合計4人の自然写真家が登場して新聞の一面いっぱいに写真および記事が掲載されるのですが、次回は明日9月1日(土)が僕の順番です。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、特に関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。

 

2007.8.30(木) バタバタ 

 以前にもお知らせしましたサンケイ・エクスプレスでの連載、合計4人の自然写真家が登場して新聞の一面いっぱいに写真および記事が掲載されるのですが、次回は明後日9月1日(土)が僕の順番です。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、特に関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。

 僕の順番が近くなると、紙面の見本をデジタル化したものがメールで送られてくる。そして、「もしも訂正があるのなら、いついつまでなら間に合います」と、そこには書き添えられている。
 その期限は、記事が掲載される日の前日。つまりギリギリまで修正が可能になっているのだが、さすが新聞だなぁと思う。
 時々、いろいろな縁で新聞社の方とご一緒することがあり、みないつもバタバタしている印象を受けるのだが、なるほどなるほど。
 もっとも、新聞のようにニュースを扱うわけではない自然写真でさえ、「明日までに写真が・・・」などというリクエストは結構多い。自然写真ごときでなんでそんなに急いでいるんだ?と、いつも不思議に思うのだが、出版業界がそもそもそんな世界なのかもしれない。

 

2007.8.28〜29(火〜水) 更新 

今月の水辺を更新しました。

 

2007.8.27(月) 撮影機材の話 

(撮影機材の話)
 僕は現在は主にキヤノンの機材を使用している。
 キヤノンを使う理由は幾つかあるが、レンズに関して言うと、明るさを欲張らず、高性能でありながら、安くてコンパクトでなシリーズが存在することが大きい。
 今日はその中でも70〜200のf4に1.5倍のテレコンバーターを取り付けてトンボの撮影に使用してみたが、これが実によく写ることには驚かされた。
 僕は以前は、画質が悪いに違いない!とズームレンズは使わなかったし、テレコンバーターだってどうしても必要な時以外は取り付けなかったのだが、それはどうも僕の思い込みだったようだ。その悪いと思っていたものを同時に2つ使用したにも関わらず、非常にシャープな写真が撮れるし、そのテレコンバーターも、キヤノンの純正のものではなく、ずっと安いケンコー製である。
 現在僕が所有している70〜200のf4は比較的最近モデルチェンジをして、新しく手振れ補正が取り付けられたが、その新しいレンズを手に入れれば、手振れからも相当に開放されるだろうし、トンボのくらいの大きさの昆虫などを遠くから撮影するには、軽くて扱いやすくてよく写る最適の機材になるに違いない。
 
 

2007.8.26(日) トンボ図鑑 

 自然写真の世界では、「プロはアマチュアには勝てない。」とよく言われるが、僕は以前はそれがあまりよく理解できなかった。
 だが最近は、「なるほどなぁ〜、確かにプロはアマチュアには勝てない!」と思う。
 アマチュアの場合は、写真が売れるとか売れないなどと考える必要もないし、自分が興味を持った部分をひたすらに追求できる。もしも自然科学的に自然を見つめたい人なら、気が済むまで自然を分析し、細かく細かく見ることができる。
 自然を分析して細かく分けていくと、あるところでマニアックな世界に突入する。マニアックとは何か?と聞かれると少々困るが、例えば、トンボについて仮に一般の人に説明するとして、ヤマサナエとキイロサナエの違いを語ったところで、多くの人はそれを面白いとは感じないだろう。それがマニアックな世界だとしておく。
 当然、マニアックなのだから、仮にそんな写真を撮影したところでほとんど需要がないし、プロはそこに時間をかけることができない。
 だが、アマチュアならできる。

 さて、八王子市・長池公園のトンボ図鑑を、その制作に携わった方からいただいた。
 この図鑑の何がいいか?と言えば、そこにはいないトンボが掲載されていないこと。
 だから長池公園で誰かがトンボを見つけて、「これって何トンボかな?」とこの図鑑のページを開けば、非常に高い確率で名前が分かるに違いない。
 地方の出版物は数多く存在し、九州でも野鳥や植物図鑑がある。だがその中には、実際にはよその地域で撮影された写真が掲載されていることに、僕はしばしば疑問を感じる。写真さえあればいいという感じで、本の制作に携わる人が、自分が紹介しようとするまさにその場所をあまりよく歩いていない印象を受ける。
 なぜそうなるか?と言うと、プロの猿真似をするから。
 プロの場合は高いクオリティーの写真が求められるから、何か生き物を撮影する際に、しばしばその生き物がもっとも撮影しやすい場所で写真を撮る。だから、僕だって北海道にまで撮影に行くことがある。
 だが地域の図鑑としては、その写真を流用するようでは失格だと思う。

 アマチュアにしか出来ないことがあるし、アマチュアで、「すごいなぁ〜この人は・・・」と僕が感じるのは、それを貫いている人だ。
 逆に、プロで恐ろしいなぁ〜と感じる相手は、プロならばでの世界を知っている人。ただやたらに写真が上手い人や生き物に詳しいだけの人は、あまり恐ろしくない。
 では、プロならばでの世界とは、いったいどんな世界なのだろう?
 それは何か1つではなく幾つものスタイルがあるに違いないが、僕は今それを、自然を分析してより細かく見ることとは逆に、細かさはほどほどにしておき、自然を大きく捉えようとすることに求めている。

  さて、今日は久しぶりに、事務所の近所の水路に行ってみた。
 夏になると、この水路ではフナが多くなり、それは何かフナのライフサイクルと関係があるのだと思うが、そういう見方はほどほどにしておく。

 昨年の夏からこの場所で撮影を開始して以来、今日ははじめてブラックバスを見た。しかも数匹。
 釣りができるような場所ではないから、誰かが放流したとは思えないし、ブラックバスが自力でどこかから侵入したものだろうと思う。
 この春に、この場所で初めてアカミミガメの大人を見つけたのだが、今日はその姿が見られなかった代わりに、アカミミガメの子供を一匹見た。
 つまり、ブラックバスにしてもアカミミガメにしても、今まさに外来種がこの水路に住み着こうとしているわけだが、その結果がどうなるかはしっかりと観察を続けたい。小さな水路だから、絶えてしまう可能性だってあるだろうし、そうして侵入して絶えてを繰り返すうちに定着するのかもしれない。

 

2007.8.23〜24(木〜金) 泥浴び? 

 梅雨が明けると、北九州市内のサンショウウオが卵を産みにやってくる水溜りの水量は次第に少なくなる。そして、あたりにはイノシシが生息し、ぬかるみになった水溜りの中にも、ところどころに蹄のような足跡がある。
 今日の画像の中央の部分には、泥が掘り返されたような痕跡があるのだが、果たしてこれはイノシシが泥浴びをした痕なのだろうか?人間の子供なども含めて、他にこんな場所を掘る生き物は思い当たらないのだが・・・
 もしもイノシシなら、泥浴びの様子は是非撮影したい。

 イノシシがやってくる時間は、少なくとも真昼間はあり得ないだろうから、夜からせいぜい早朝になるだろう。
 その間に自動撮影カメラを設置するのが一番確実な方法に思えるのだが、問題は、ここはたくさんの人が散歩にやってくる場所だということ。辺りにはベンチもあるし、一晩の間にカメラを持ち去られてしまう危険性もある。
 それをどうやってクリアーすべきか?夜間にカメラをセットし、まだ薄暗いうちに回収に行けば10中8、9は大丈夫だと思うのだが・・・

 サンショウウオの水辺を一通りみたあとは、そのまま島根県まで行ってみた。ずっと晴れだったのに、前の晩に突然に雨が降ったため、カタツムリたちがまるで湧いてでたかのよう。こんなにいたの?という程の数だ。
 そこで今回は、いつもならあまりカメラを向けないシーンを撮影してみた。これは、何となく葉っぱの裏側で休んでいるところ。

 こちらは、糞を殻の入り口のあたりに置いたまま、休んでいるカタツムリ。

 さらにこちらは、枯葉を食べているところ。
 カタツムリの写真は圧倒的に幼児向けの本の中で使用されることが多いが、それらはいずれもカタツムリのイメージであって、実際に野外で見かける姿とはしばしば異なる。
 そこで、たまには見たままの様子を撮影してみようと思いついたのである。

 

2007.8.22(水) 努力 

 自然写真には、「自然」という要素と「写真」という要素がある。だから、もしも自然写真を上手くなりたいのなら、自然について詳しくなり、写真の技術を磨かなければならないが、両方を満たす人は多くないように思う。
 「自然」と「写真」とは全く別なものだから、自分にはなぜかいい写真が撮れないなぁ〜と感じておられる方は、まずは自分に自然に関する知識が不足しているのか、写真の技術が拙いのかを把握することが上達への第一歩だろう。
 もしも野鳥を撮影している人でバンバン野鳥を見つけられるのに写真が拙いと思うのなら、写真の勉強をすればいいし、逆に、なかなか野鳥が見つからない人は、写真は一旦置いておき、可能な限り野外に出て野鳥を見るのが自然写真上達の近道ではないか?と思う。

 さて、昨日の夕刻から、スタジオでのアマガエルのジャンプの撮影にトライしているのだが、技術的には昨年よりも数段アップしているはずなのに、なかなか思うような写真が撮れない。
 その原因は、昨年同じシーンを撮影した際のアマガエルは比較的思い通りにジャンプしてくれたのに、今年のアマガエルは、いいコースを飛んでくれないのだ。
 写真術が向上すれば、いい写真が撮れるとは限らないのである。
 もちろん、写真術がどうでもいいと言いたいのではない。技術は磨くしかない。
 そこのところは、技術は、努力に似ているように思う。
 何かに取り組む時、努力すれば必ずいい結果が得られるわけではないが、じゃあ努力以外に何ができるか?と言えば何もない。だから、仕方がないから努力でもしておくか・・・と努力する。
 ところが、そこで努力を絶対視して、努力さえすれば何でも思いがかなうと思い込んでしまった人、つまり努力に夢が叶うという見返りを求めている人は、しばしば、その後道をあやまるように僕には感じられるのだが、技術にも似た側面があるように思う。
 例えば、仮に、絶望的な病にかかってしまったとする。そして、手術を受けたら治る可能性はあるものの絶対に治るとは言えない場合でも、おそらく大半の人は手術を受けるに違いない。
 治らない可能性があるから手術は受けないとは、なかなか言わないはずだし、そうしてダメかもしれなくても頑張ること、つまり見返りを求めずに最大限の努力をすることが、必死ということではないだろうか?
 そこそこ努力をする人は決して少なくないが、必死に努力する人には、なかなかお目にかかることができない。

 

2007.8.21(火) 新型 

 昨日、キヤノンのデジタル一眼レフの新製品が2種類発表されたが、そのうちの1つはシリーズの最高級機であり、値段も100万円に近くなるのではないか?とささやかれている。
 そう遠くないうちにニコンの最高級機・D3も発表されると言われているが、できればキヤノンに負けないような価格にしてもらいたい。僕は120万円くらいでも構わないと思う。
 最高級機が安いようでは話にならないし、第一、仮にせっかく大枚を叩いてそれを買ったとしても、価格が安かった結果みんなが持っていたなら、おもしろくないではないか!
 最高級機などというものは成金趣味も合わせて満足させてくれるものでなければならないし、滅多に人が持っていないからこそ優越感に浸れることができるのである。

 というのは全くの冗談であり、もしも100万円に近い値段なら、僕の仕事の場合は間違いなくペイしないから、買おうか・・・という気がおこらずにすむ。
 その結果、あ〜欲しいなぁと迷わずにすむ。
 先日、ある道具を特注で製作してもらったことを書いたが、それを手にして、僕はしみじみ思った。
 あ〜お金は、こんなところにかけるべきだと。
 特注で道具を作る場合、ただ単にたくさんのお金を払えばいいわけではない。
 まず最初に、「こんな風に作って欲しい」と依頼をするわけだが、その中味こそが重要であり、そこに撮影者の経験やアイディアが盛り込まれるのである。
 だから、そのアイディアを持たない他の誰かが同じお金を払っても買えないものが、そこにはあるように思う。
 その前に、それを作れる人が存在しなければ、話にならない。
 最近は、そうして特注をしたり、自分で何かを作ることにお金がかかるようになってきた。もちろん、最高級のデジタル一眼レフも悪くはないが、それよりも、お金をかけるべきところがあると少しずつ分かりはじめてきた。

 

2007.8.20(月) 練習 

 自然写真家で、撮影のために本格的な練習をしたことがある人は少ないのではないか?と思う。
 例えば、スポーツ選手がトレーニングをするのと同じような感覚で、どこかに瞬時にピントを合わせる練習やその他、何か自分で練習メニューを考え、それを実践している人はほとんどいないに違いない。
 僕は、直感的には、練習などというものをしない適当さや厚かましさが、自然写真の面白さの1つではないかな?と感じている。
 なぜなら、自然写真は、難しく考えるよりもまずやってみることが非常に大切な世界だからである。

 だがそんな僕が、昨日水滴を撮影した際には、「ちょっとばかり練習をしてみようかな・・・」と思った。
 たくさんシャッターを押せば勝手に写ってくれるに違いないと思い込んでいた落下中の水滴が、なかなか写真に写らなかったからである。
 水滴がぽとりと落ちるようすを自分の目で見ながらタイミングをはかりシャッターを押すのだが、それが早すぎたり遅すぎたりして、とにかく難しい。
 恐らくコンマ何秒という世界だろうから、その撮影が難しいのは当然かもしれないが、それでもやっぱり、何か1つくらい、神業レベルに到達してみたいではないか!

 

2007.8.18〜19(土〜日) 花壇 

 僕がスタジオでのカタツムリやアマガエルの撮影の際によく使用するアジサイは、事務所の駐車場の片隅に植えてあるものだ。それを、目的に応じて切って使う。
 小さな花壇ではあるけれども、それがなかったなら、撮影の度にどこかに取りに行かなければならないことを考えると、大変にありがたい花壇である。

 そして、スタジオでの撮影では、しなやかなアジサイの葉っぱや枝の方がごつくて立派なものよりも見栄えがいいから、アジサイの隣にはより大きな木を植え、なるべくアジサイが影になるようにして、枝を細くしなやかに育てる。
 だが、その隣の木はあまりに生長が早い。
 だから、剪定しても剪定してもどんどん枝が伸びるし、剪定した枝の処理にはいつも苦労させられる。
 今日は、そうして剪定した枝を山積みにしておいたものを片付けた。一本ずつ、シュレッダーにかけて、片っ端から砕いた。
 画面右側のコンクリートの地面の部分には、ついさっきまでは、それらの枝が山積みになっていたのである。

 剪定した枝をこの場所に放っておくと、オオクビキレガイやチャコウラナメクジやダンゴムシなどの帰化生物たちが大発生する。そして、それらの生き物に食べられることによって、枯れ枝は少しずつではあるが減っていく。
 その様子は、ちょうど町の生ゴミをカラスたちがあさるのに似ているように思う。
 町の花壇や庭の中には、生き物たちの餌になりうるものがたくさん存在するにもかかわらず、それを食べる生き物はあまり多くないため、町の中に適応することができた何か限られた種類の生き物が大発生する。

 それから、花壇には、過去に撮影に使用したアクリル製の水槽を埋め込んだ水場もある。
 ずっと以前の話だが、その水場にトノサマガエルのオタマジャクシを放しておいたら、やがてそれがカエルになって上陸し、水場の周辺に数ヶ月の間すみついたことがある。
 少なくとも、トノサマガエル一匹が生きていける程度の生き物が、この花壇の中にすんでいることになる。
 だがその水場にもヘドロのような泥が堆積し、ただの蚊の発生源になってしまったため、今日は中の泥をさらい、水をすべて入れ替えた。

 

2007.8.16〜17(木〜金) 水滴 

 どうせ何かをやってみるのなら、どっしりと構えて本格的に取り組むのが、僕には楽しい。
 だがその逆に、一見難しそうに思えることを、よ〜く頭を使って簡単にやってのけるのも、痛快でいいと思う。
 例えば、僕は水中撮影用の機材を持って水の中に潜り水中風景の写真を撮るが、ある時、友人が小さなプラスチックの水槽にカメラを入れ、その水槽の中に水が入らないようにケースを途中まで水に沈めて撮影した水中写真がなかなかキレイだったことには、驚かされた。
 負けた・・・と思った。

 僕は、できれば、お金をかけたくないと思う。
 それは単にコストの問題ではなく、お金をかければいいものができるのなら、仮にいい写真が撮れたとしても、その写真は僕が撮影したものではなく、お金が撮影したものになってしまうような気がするからだ。
 僕の身の回りには写真を撮る人や生き物の研究者が必然的に多いが、中には、自分にいい結果がでないことを、お金がないことのせいにしたがる方もおられる。
 違うだろう!と思うのである。

 ややこしい撮影や難しい撮影をなるべく簡単にやってのける。
 それは一見横着な考えのようでいて、実は、上達することの本質ではないか?と、僕は最近感じるようになった。何か難しい撮影に取り組み、それがクリアーできるようになった時は大抵、それをやってのけるための簡単な方法が閃いたときだからである。
 さて、今日は、葉っぱから滴り落ちる水滴を撮影してみた。
 水滴の写真が目的はないのだが、近々、同じ撮影機材を使ってアマガエルがジャンプする様子を撮影する予定を組んでいるので、機材を試しておきたかったのである。
 アマガエルのジャンプには昨年もカメラを向けたが、それらの写真はあっという間に使用され、もう別のパターンの写真が求められるようになった。そこで、今年も同じシーンを撮影することになった。
 本来は、それは複雑な機材を使いこなすややこしい撮影であり、やっかいな撮影だが、一年間いろいろと考えをめぐらせた結果、よりシンプルな方法を思いついた。そこで、それらの新しい撮影方法を、本番のカエルの撮影の前に水滴で試しておきたかったのである。
 結果は上々。
 水滴の写真も、それなりによく売れるのではないか?と思うから、アマガエルの撮影が終ったら、あと何パターンか撮影しておきたい。

 

2007.8.15(水) 特注 

 この秋に岩魚の一種であるゴギという魚の産卵シーンを撮影するための新しい機材が、今日届いた。特注である。
 ただ、ゴギの撮影だけに使うのに特注ではあまりに費用がかかり過ぎるし、第一、ゴギなどという特殊な生き物の写真がそれなりに売れ、機材に費やした額の元が取れるとは到底思えない。
 そこでいろいろと考えた結果、他にも一般的な水中の生き物〜風景の撮影や、カワセミの水中での捕食シーンの撮影などにも対応できるようにして、その結果、極めて特殊な機材が仕上がってきた。
 さて、それを使って稼がなければならないわけだが、ここ1年くらい、そんな目でいろいろな水中をのぞいてきた結果、意外に稼げるのではないか?と、僕は感じている。
 お金を稼がなければならないことは、生真面目に考えれば時に辛いが、何か目論見があって、それを試すような形で稼ぐことにチャンレジするのは、なかなか楽しいものだ。
 もちろん、目論みは外れることもある。だが、漠然と何かに取り組んで、「売れんなぁ〜」と打ちのめされるよりは、具体的に何か狙いを持った方が、やっぱり楽しい。
 本来辛いことを、いかに楽しくやってのけるかは、フリーの写真家にとって非常に大切なことの1つだと思う。
   
 

2007.8.14(火) 完了 

 昨日からの作業がやっと終った。上の写真の左側から3つ並んでいる水槽のうち、真ん中のものが今回新しく設置した水槽だ。
 一番左は、これまで主に撮影に使用してきたもので、右はアマガエルを飼育中の水槽。

 今年は、秋から冬にかけて水槽を使用した撮影を予定しているのだが、水槽撮影は準備に時間がかかり、秋冬の準備を、今からもうしておかなければならない。
 何にそんなに時間がかかるか?といえば、水槽内やろ過装置にバクテリアを住みつかせること。そのバクテリアがいい状態でちゃんと住みつけば、水が妙に汚れたり、苔が大量に発生するようなことがなく、中に入れる生き物も色艶が違ってきて、生き生きとする。その色艶の変化を見れば、水中の生き物の場合、いかに水質が重要であるかがよく分かる。
 撮影用の水槽の場合、観賞用の水槽と違って中にそんなに大量の生き物を入れることはないが、するといい状態にバクテリアが住みついた水槽なら、1〜2年くらいは蒸発した分の水を足すだけで、ほとんど手入れ不要になるし、そんな水槽があれば、撮影がずっと簡単になることは言うまでもない。
 
 一番右側のカエルの水槽は、別の場所に置いてあったものを、この場所へと移動させ、持ってきた。
 そして、元カエルの水槽が設置してあった場所にはあるものを置こうか・・・と、ここのところずっと迷っている。
 そのあるものとは、冷蔵ショーケースと呼ばれるもので、飲食店などにあり、中に飲み物や寿司のネタのような食品を並べる冷蔵機能付きのガラスケースのことだ。
 その冷蔵ショーケースのセンサーに改良を加え、15〜25度くらいの間に温度に設定できるようにして、その中で生き物を飼育すれば、夏場の暑さで死なせてしまう生き物の数をずっと少なくできるだろうし、餌だって腐りにくくなるから、世話の回数を減らすことができるに違いない。
 特に、その年の初夏に生まれたばかりの子供のカタツムリ(確実に大きく育てるのは、なかなかに難しく、世話に相当に時間を取られる)の死亡率を、大幅に低くできるのではないか?と思う。
 だが、僕が飼育している生き物は、本来日本の夏の暑さに耐えて生きているものばかりだから、それを思うと、そんなことにまで文明の力をかり、電気を使っていいのか・・・と、どこか抵抗もあって、現在考えている真っ最中なのである。
 
 

2007.8.11〜13(土〜月) 改造 

 昨晩、焼肉を食べに行ったら満席でしばらく席が空くのを待たなければならなかった。元々、食事時には待つことが多い人気のお店だから、僕は大抵食事時を避け、人が多くなる少し前に出かけるが、昨日はその時間でさえ30分近く待った。
 いつもなら労働者、仕事帰りの作業着姿の人が多いお店が、昨日はすべて家族連れ。しかも3世代くらいの家族連れや、親戚寄りみたいな2家族以上の集団が大半だったから、あ〜お盆なんだなぁと実感させられる。
 実は僕はその手の集団が大の苦手であり、何とも言い難い圧力を感じてしまい、席が空くのを待っている間にちょっと逃げ出したくなった。

 なぜ苦手なのか?は正確には自分でもあまりよく分からないが、子供の頃からあまり好きではなかったように思う。
 ちょっと考えてみたところ、かしこい同世代のいとこと比べられたり、僕の場合は子供の頃から成績が振るわなかったり、問題児だったから、
「晋一は大器晩成型だ。」
 などと、慰められているのか褒められているのか分からないような分析をされたりして、子供ながらに「僕の何が分かる?余計なお世話だ。」と感じることが多かったように思う。
 親戚のみなさんが決して嫌いなわけではないが、そこで繰り広げられる型にはまった会話は、僕にとっては苦痛だった。誰か一人でも、昆虫採取や魚釣りに連れて行ってくれる人がいたら、僕の親戚寄りのイメージも、また違ったものになったのかもしれない。
 僕は過去に何度か結婚しようと思ったことがあるが、それでも踏み切れなかったのは、もしかしたら、親戚寄りの一員に組み込まれてしまうのが嫌だったのかもしれないなぁなどと、昨日はふと考えた。

 結婚と言えば、もうずっと前のことになるが、一度は相手のご両親に挨拶に行ったこともある。それが何時だったのかはほとんど記憶にないが、お盆が近かったのだろうか?
 僕が、
「お盆だからと言って、あんなにひどい渋滞や人ごみの中を、わざわざ帰省する人の気持ちが分からないんですよね〜。だって最近は週休二日の仕事も多いのだから、本当に親や一族に会いたければ、お盆じゃなくても、一日くらい有給を加えていつでも帰ればいいでしょう?」
 と発言したら、相手のお父さんの表情が一瞬狼狽するのが分かった。
 きっと、僕と結婚をさせたら、娘がお盆に帰省できなくなると心配をなさったのだろう。
 僕は、あらかじめ分かっているのにわざわざ人ごみにまみれてお盆に一緒に帰省するつもりは毛頭なかったのだが、彼女が一人で、または子供を連れて帰る分には、何度里帰りしようが、何日里帰りしようが全く構わなかった。

 さて、お盆の人ごみにまみれないように、今日は外出を控え、スタジオの大改造である。
 明日、新しい撮影用の水槽が1つ届くので、そのためのスペースを作った。
 以前から設置していた特大の水槽を1つ撤去し、代わりに新しい半分くらいのサイズのものを1つと、現在別の場所でカエルを飼育している大きめのケースをそこに持ってきて置く。
 
 

2007.8.10(金) ナマズの子? 

 日記に何か自分の思いを書くと、大抵、誰かがどこかで何らかの返事を返してくれる。
 例えば、僕は時々、
「子供の本の世界に登場する生き物はいつも同じだ。」
 と書くが、すると、ある編集者が、
「私もそう思って本の中でいろいろな生き物を試したのですが、すると不思議なくらいに反応が悪いのです。」
 と、教えてくださった。
 定番って、やっぱり凄いんだなぁ〜。それなら、生き物を変えるのではなく、その定番の中でまた新しい世界を切り開くしかない。
 そこで今日は、ナマズを撮影してみることにした。
 ナマズは子供の本の定番ではないが、『オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいないな』という歌がある。カエルが、まるで俳句の世界でいう季語のように児童書の中で扱われているのだから、僕は、自分の視野を生き物という枠からはみ出させ、そうした所にまで興味を持って、もうちょっと世界を広げて定番の生き物たちを表現してみようと思うのである。

 

2007.8.9(木) 一期一会 

 確かNHKだったと思うが、数日前に放送された、比較解剖学の遠藤秀紀さんを取り上げた番組がとても面白かった。
 自然科学と言うと、一般的には何を調べたいのかテーマが先にあり、そのテーマを掘り下げていくものだが、遠藤秀紀さんはそうではなくて、目の前にある死体で何が研究できるのかを考えるのだそうだ。
 例えるなら、多くの人が、欲しいものがあって買い物に行くところを、遠藤さんの場合は、お店に行って、ここで何を買おうか?それで何ができるだろう?と考えるようなものだと思う。
 僕はそんな買い物のしかたが好きだから、遠藤さんの話をとても興味深く聞いた。
 
 さて、水中に座り込み、水の中から水際のカエルの子供たちを撮影していると、その横をス〜イス〜イとマムシが泳ぐ。最初は、
「うわ〜」
 と、慌てふためいたのだが、マムシの方もカエルに夢中だから、普段に比べるとあまり僕のことを気にする様子がない。それなら・・・と、カメラを持って水泳中のヘビを追いかけてみる。
 昨日、湿原で撮影して一番楽しかったのは、本来の目的のモリアオガエルの上陸ではなくて、ヘビにカメラを向けた時間だ。
 これが撮りたい!と狙いを定め、それを徹底して追いかける撮影も悪くはないが、今ここで何が撮れるだろう?と考えてみる一期一会の撮影が、僕にとっては何よりも楽しいのである。

 

2007.8.7〜8(火〜水) 湿地へ 

 いつもの山上の湿地へとのぼってきた。今回の目的は、上陸したばかりのモリアオガエルの子供の撮影だ。
 その湿地への道のりはなかなか厳しいから、いつもなら前日から覚悟を決めた上でのぼるところだが、今日は荷物をグッと減らし、カメラが一台にレンズが4本、ストロボが1つと、最低限の機材だけを選んだ。
 僕はほぼ100%、3キロ前後の三脚を持ち歩くが、今回は三脚はなし。
 すると、荷物が軽いから、なんと山歩きの楽しいことか!

 先日この沼で撮影した際に、数匹のモリアオガエルのオタマジャクシを採集してかえったが、それらのオタマジャクシの一部が、うちの水槽の中でカエルになった。
 と言うことは、湿地のオタマジャクシも同じような状態だろうと判断したのだが、思った通り。上陸して間もないものが、沼の周囲で次々と見つかる。

 それらのカエルの子供たちを狙って、今日はヘビが多い。
 ヘビと言えば、陸上の生き物のイメージだろうが、時には当たり前のように水の中に入る。そして、ス〜イス〜イと泳ぎながら、水際の獲物を狙う。
 その捕食のシーンを撮影したかったのだが、ヘビは大変に神経質なので望遠レンズが欲しい。だが、最初に書いたように、今日に限っては荷物を減らして山にのぼったので、望遠レンズがない。
 ちょっとせつない。
 仕方がないから、広角レンズと取り付けたカメラを持って僕も水の中に入り、泳いでいるヘビの後ろからついて歩きながら写真を撮ることにした。
 歩きながらシャッターを押したのは、多分、生まれて初めてだろうと思う。 

 

2007.8.4〜6(土〜月) たまには観光 

 フリーの写真家、特に小さな生き物を主な被写体にする人の場合、同業者と言えども、他の人の仕事の進め方を知る機会は多くないと思う。小さな生き物の撮影は基本的に一人での作業であり、他人の部分部分を見る機会はあっても、仕事の全体像を見たと言えるような経験は僕は過去に一度もないし、逆に見せたこともない。
 以前、
「武田さんは、日記の中でよくそんなにたくさん撮影技術を明かすね!いいの?」
 と、いろいろな人から何度も言われたことがある。
 だが、技術などというものは自然写真を仕事として成立させるためには表面的なことであり、その技術そのものよりもそれを生み出す考え方や発想力が肝心なのであって、技術を明かしたからと言って、結局、ほとんど何も見せていないのだと思う。
 
 さて、僕の場合は、仕事がはかどる時とそうでない時とに大変なむらがあるのだが、みんなもそんなものなのだろうか?
 ある1〜2週間くらいは、ほとんど何のヤル気もおきず実際に何もできないし、またある時は、こんなに次々と仕事が片付いていいのか?と、自分でも怖くなるほど、撮影がはかどる。
 その好調気が続けば、僕はすごい写真家になれるのでは?と、厚かましいが思う。
 が、現実には、はかどる時とそうでない時とでどちらの時間が長いか?と言えば、圧倒的にそうではない時なので、
「こんなに無駄な時間が流れていいのか?」
 と時には不安になり、
「俺はダメなんじゃないか?」
 と考え、そこで他人の仕事っぷりが気になるが、これが全然分からないのである。

  そうして仕事が出来る時と出来ない時とで、ひどくむらがある僕だが、好不調にはある程度のパターンがあり、スタジオでの撮影や身近過ぎる場所での撮影が長く続くと不調になりやすい。そして、その不調は、どれだけ休みをとっても、なかなか回復できない。
 だがほんの数日でいいから、そこに車内泊をしながらの野外での撮影が入ると、それまでの不調が嘘のように、いっきに好調に傾くことが多い。
 車内泊をすると、自宅で過ごすよりもずっと疲れるはずなのだが、やっぱり人のすることは、理屈どおりにはいかない。
 さて、観光も兼ねて、いや90%以上観光で、阿蘇〜九重へ遊びに行ってみた。時間的に言うと、本当はそんなゆとりはないのだが、僕の場合は、たまにそんな時間を取った方が、長い目で見ると得をする。

 観光でも、ガソリン代だけは写真で稼ぎたい。だから、このシーンは過去に問い合わせがあったとか、以前に売れたことがあるというようなシーンに出くわすと、写真を撮るし、それは必ずしも生き物の写真でなくてもいい。
 阿蘇や九重に関して言うと、草原の写真は、過去に何度か売れたことがある。
 その手の写真は、恐らく風景写真家の手元にはたくさんあるはず。だから、風景の専門家といえども、たくさんある同じような写真の中から、自分の写真が使われる可能性は低いだろうと思う。
 だが、出版に携わる人たちは必ずしも専門家に写真の貸し出しを依頼するわけではなく、例えば、日頃主に生き物の写真を取り扱っている人たちが、たまに草原の写真が必要になると、まず日頃から付き合いのある生き物の写真家に声をかけるようなところがあって、僕は、そんな需要に応えているのである。

 いい撮影場所を探そうとすると、むきになり過ぎてその探す過程が辛くなることもあるが、観光気分でいろいろな場所を覗いてみるのは、なかなか楽しい。その中で、これいいんじゃない!と閃きがあり、そこから本格的な撮影にのめり込むことができれば、それが僕の理想形の1つだ。

 今回は、過去に一度も水中を覗いたことがない場所にカメラを沈めてみたら、なかなかいい。この場所は、もう一度、今度は本格的に機材を準備して撮影したい。

 

2007.8.3(金) 車 

 昨日、車のタイヤを前輪だけ2本、新しい物へと交換したのだが、以前乗っていた三菱のデリカ・スターワゴンに比べると、トヨタのハイエースは、驚くほどにタイヤの磨り減りが遅くて、なかなか経済的でいい。
 また、タイヤだけでなく、他にもバッテリーの劣化が、デリカとは比較にならないほどハイエースでは遅い。
 いやいや、バッテリーは関係ないだろう!と感じられる方もおられるだろうが、1BOXタイプの車の場合、エンジンルームの上に運転席があり、熱が逃げにくい構造をしているため、バッテリーの寿命が尽きる前に、熱で壊れてしまうことが多い。
 だから、デリカに乗っていたころは、自宅を出る際には何の問題もなくエンジンがかかっていたのに、出先で突然にバッテリーが故障し、救援を呼ばざるを得ないような状況に何度も陥った。そして、バッテリーのトラブルは圧倒的に夏場だった。
 その点、ハイエースではそのトラブルが一度もないから、恐らく、エンジンルーム内の熱が逃げやすい構造になっているのだろう。
 他にも、とにかくハイエースはトラブルが少ない。

 ただ、僕が取材に使っているハイエースは商用車であり後部座席もないくらいだから、唯一、コンセントの差込口があることを除き、あとは気の効いた小道具がいっさいない。
 そこで、車で寝泊りしながら取材をするためにあった方がいい道具を、自分でいろいろと取り付けることになる。
 今日の画像の赤い物体は水準器であり、これは車をどこかの駐車場にとめて眠る際に、車内に積んであるベッドをなるべく水平にするために使う。
 車の中で眠る場合、ベッドが水平かどうかで、相当に疲れの取れ具合が違ってくるのである。
 それから、その下にあるのは温度計。夏場の場合、下手をすると、夜でも車内の温度は30度を超えてしまうから、僕は、温度計を見ながらとにかく涼しい場所を探す。
 例えば熊本県の場合、菊地渓谷の周辺には涼しい場所が多いのだが、そこから車でほんの30分程度の距離で、温度が10度近く高いこともある。33度ではとても寝られたものではないが、23度なら快適この上ない。 

 以前にもお知らせしましたサンケイ・エクスプレスでの連載、合計4人の自然写真家が登場して新聞の一面いっぱいに写真および記事が掲載されるのですが、次回は明日4日(土)が僕の順番です。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、特に関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。

 

2007.8.2(木) お知らせ 

 以前にもお知らせしましたサンケイ・エクスプレスでの連載、合計4人の自然写真家が登場して新聞の一面いっぱいに写真および記事が掲載されるのですが、次回は明後日4日(土)が僕の順番です。
 新聞が販売されるのは、首都圏(東京・千葉・埼玉・神奈川)と京阪神地区、奈良、和歌山市のみですが、特に関西地区では駅での一部売り・70円もあるようなので、是非ご覧ください。

 サンケイエクスプレスの連載は800字以内だから、毎日のようにこうして日記を更新する僕にとって、その程度の長さの文章を書くこと自体はわけもない。
 だが、ギャラをもらって文章書くことは、好き勝手に書いても構わないホームページの文章を書くことに比べると、比較にならないくらいに神経を使う。
 書くことに費やす時間自体はいつもの日記と変わらなくても、頭の疲れ具合が全然違うのである。
 その点は、文章を書くことのみならず写真撮影でも全く同じで、撮影も、お金をもらうとなると、そうでない場合の数倍疲れる感じがする。

 

2007.8.1(水) 仕事 

 上陸直前から直後のアマガエルの写真が撮りたいのに、今の時期、田んぼの周辺で見つかるアマガエルは、すでに上陸後2〜3週間程度は成長した、カエルらしい子蛙たちばかりだ。
 先週は、大分県までそれを探しにいった。
 だが、完全な空振り。一年に一度しか繁殖しない生き物の場合、極めて身近な生き物だって、タイミングを逃すと撮影は非常に難しい。
 しまったなぁ〜と思う。
 だがクヨクヨしても仕方がないし、大分までの交通費とその時間に相当するお金くらいは稼いでおきたいので、小さな子蛙を数匹持って帰り、今日はその蛙たちのイメージ写真を撮影しておくことにした。

 自然写真家と言えども、好きなものばかりを撮影して暮らしているわけではなく、みな大抵、多少なりとも自分を殺し、何か仕事と言えるような撮影をする。
 例えば、ある人は、アマチュアカメラマンを引き連れてどこか有名な撮影スッポトを歩き、写真教室の先生をする。
 またある人は、写真雑誌に作例写真を提供して、本の中で先生役を務める。
 僕の場合は、子供向けの本の中で使う今日の画像のアマガエルのようなイメージ写真を撮る。
 これは、スタジオで、僕の手でアマガエルの子供を葉っぱに止まらせて撮影したものだが、その撮影が面白いかどうか?と言われれば、野外で自然なままの蛙を撮影した方が遥かに面白いに決まっているし、今日の撮影はあくまでも仕事なのである。
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2007年8月分


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