撮影日記 2007年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

2007.2.27〜28(火〜水) 役に立った道具-3 

 確か北海道の旭川あたりだったと思う。燃料を入れるために立寄ったガソリンスタンドで、僕の後ろから付いてきていたはずの知人の車が見えなくなった。
 はて、確か彼も燃料を入れなければならないタイミングのはずだけど・・・いったいどこに行ったのだろう?と、キョロキョロしていると、やがて携帯電話が鳴り、
「その先のM石油という店でガソリンを入れています。」
 と、その知人から連絡があった。
 知人は、値段が安いガソリンスタンドを選んだのである。
 僕はだいたいルーズだし、あまり細かいお金の計算が得意ではないし、日頃、ちょっとしたものを買う時に、どこが安いかなどを検討をするようなことも滅多にないし、石油の値段を考えながら車に燃料を入れたことなど実は過去に一度もなかったのだが、それ以降、僕も店頭に表示されている石油の値段を注視するようになった。
 すると当たり前のことではあるが、特にセルフのガソリンスタンドは価格が安い。帰宅後につらつら領収書を眺めてみると、スタンドによって石油(軽油)の値段は1リッターあたり極端な場合は20円弱違うし、つまり50リッター給油したならば1000円弱の差が出るのだから、これは無視できない額である。
 僕の場合で仮に月に5回給油したとすると、もっとも高いガソリンスタンドと、もっとも安いガソリンスタンドとでは、最大で5000円もの差になる。
 今回の北日本取材で役に立った『道具』というと差し障りがあるのだろうが、セルフのガソリンスタンドを利用しない手はないだろうと、今頃になってはじめて気付かされた。
 
 

2007.2.26(月) 役に立った道具-2 

 僕はパソコンや携帯電話などの道具があまり好きではないが、それはあくまでも僕の好みであり、現実にはそうした道具が存在するのだから、それを便利に使いこなさざるを得ないだろうと思う。
 デジタルカメラだって、好みか?とたずねられれば、フィルムを使用するカメラの方が好きだと答えたい。
 だが好き嫌いとは別に、やっぱり時代の流れがあり、それに逆らうことは愚だと僕は思う。そんなエネルギーがあるのなら、もっと別のところでそのエネルギーを使いたい。
 ただ、その好きではない携帯電話を、自分が3つも所有することになろうとは!
 1つは長く使用しているドコモの携帯電話であり、2つ目はパソコン通信用に購入したAUの端末であり、3つ目は、今回の北日本取材の途中で契約したソフトバンクの携帯電話だ。
 ついに大手3社をすべて制覇することになった。

 ソフトバンクの携帯電話は、ホワイトプランという月980のプランを選ぶと、1時〜21時までは、相手もソフトバンクの携帯電話の場合に限り、通話料が無料になる。
 だから仕事やその他、特定の人と長い時間話をする場合、相手にもソフトバンクの電話を持って持ってもらうことで、相手と自分の合計の電話代を2000円以下に抑えることができる。
 僕は今回電話機を購入するのではなくて、レンタルする方法を選んだ。レンタルの場合は1500円弱のレンタル料がかかるが、2年以上使用するという条件で、そのレンタル料は基本使用料の中に含めてもらうことができる。
 つまり僕の場合は980円のコースを契約したので、1500円弱の電話機のレンタル料のうちの980円分は基本使用料に含められ無料になり、残りの約500円を実質的な電話のレンタル料として支払う。
 そして基本使用980円プラス500円弱の電話機の使用料で、合計1500円弱のお金がかかる。仕事の打ち合わせ等に普通に携帯電話を使用すれば、通話料はあっという間にその程度の金額を越えてしまうから、これは相当に安上がりだと言えるだろう。
 実は旅の途中で、携帯電話の通話料がかかり過ぎていることに気が付き、慌ててソフトバンクのお店に駆け込んだのだが、もっと早く、そのことに気付くべきだった。
 ソフトバンクの携帯電話は、そのうち僕と同じような使い方をする人が増え、仕事用の電話として普及するようになるのかもれない。

 

2007.2.24〜25(土〜日) 役に立った道具-1 

 たった一度の撮影のためだけにカメラを買えるほど、僕は裕福ではないが、新しいカメラを買うときには、大抵の場合、そのカメラを使いたいたった一度の具体的な撮影があって、それをイメージして、それがきっかけになり新しいカメラを手にすることになる。
 例えばキヤノンのEOS30Dは、もちろん他にもたくさんの使い道があるのだが、今回の北日本取材を具体的に想定した購入したカメラであり、結論から言えば、このカメラを買っておいて本当に良かったと思う。望遠レンズと組み合わせると、僕の想像以上にEOS30Dがよく写ることには、とにかく驚かされた。
 なるほどなぁ!と、キヤノンの製品が売れている理由がよく分かる。
 キヤノンのカメラは、ニコンのカメラに比べるとファインダーや液晶が見にくいから、シャッターを押した際に、撮れた!という手ごたえが感じられないことが多い。
 例えば、今回の野鳥の撮影なら、飛翔中の野鳥にさっとカメラを向け、あとは深く考えずにすべてカメラ任せで撮ってみる。すると、ファインダーの質が悪いものだからカメラの中に写しだされた鳥の像が見にくくて、鳥にしっかりとピントが合っているのかどうかもよく分からないような状態で何となくシャッターを押すことになるし、シャッターを押した後も、撮れた!という感激が湧いてこない。
 ところがあとでパソコン上で画像を見てみると、予想以上に質の高い写真が撮れているケースが多くて唸らされることになる。
 写真の楽しみはいい写真を撮ることだけではないし、機械としてのカメラを楽しんだり、シャッターを押した際の手ごたえを楽しむことだってあるのだが、いい写真を撮るという結果にこだわるのなら、キヤノンのカメラは文句なしに良く出来ていると思う。
 それを痛感させられた一ヶ月であった。
 もちろん、ニコンのカメラの方が良かった局面もあるから、それはそれでいずれ書いてみたい。今日から数回に分けて、今回の北日本取材でとくに役に立った道具を紹介してみようと思う。

 

2007.2.21〜23(水〜金) 旅の終わりに 

「何でわざわざ九州から、北日本まで出かけるのですか?」
 とたずねられることがある。
 確かに今回の取材でも、僕がカメラを向けた水鳥たちの大半は西日本でも十分に撮影できる種類なのだから、その疑問はもっともだろう。
 そこで旅の終わりに、その質問に答えておこうと思う。

 水辺の撮影の難しさは、時に水が鏡のような役割をして、周囲にあるものを映してしまうことにある。例えば上の画像の場合、対岸にある建物が水に映っていることがわかるだろう。
 そして、もしもその建物が映った水面にカモがたたずんでいたとして、僕がそのカモにカメラを向けてシャッターを押すと、その写真には、カモと、カモの周辺の水と、その水に映った対岸の建物が写ることになる。
 自然の写真だからといって人工物が画面に入ってはならないわけではないが、もしも人工物を画面の中に入れるのであれば、僕は、ちゃんとした意図をもってそうするべきだと考える。撮影の際の自分の意図に反して、そこに人工物が写ってしまうのは不愉快だと感じる。
 つまり、水辺の撮影の場合、時にはたった一匹のカモを撮影するのに、対岸にまで障害になるものがないような、そんな自然度の高い場所が求められる。
 北日本取材から西日本へと帰ってくると、西日本は活気があるなぁ!と感じる。気候が穏やかだから山の中まで比較的多くの人が生活をしているし、北日本に比べると、あらゆる場所で人工物が多くて、それが水辺での撮影を難しくするのである。
 2月13日の2枚目の画像を見てもらいたい。
 右側に脚をすべらせたオスのカモがいて、左側にはメスのカモがいるのだが、メスの腹部の下のあたりにはごくわずかではあるが赤っぽい色がついている。その色は、対岸にある家屋の色が、水面の氷に写ったものだ。
 流水の場合は、また対岸のものが映る具合が違ってくるのだが、止水の場合、僕のように水の表現にこだわろるのなら、水に何が映っているのか、その一点にいつも注意を払っておかなければならない。
 もしも真っ青で爽やかな水を表現したいのであれば、青空が特に濃く写っているような水面を選ばなければならないし、カモだけを見ていればいいわけではないのである。上の画像の中で、青空がきれいに映っている場所は?と探してみると、実に狭い範囲に限定されることがわかるだろう。
 仮にこの場所にたくさんのカモがいたとしても、僕はこの場所での撮影はパスするに違いない。

 さて、ようやく帰宅して片付けに入っているのだが、やや放心状態でヤル気が出ない。明日からは本格的な片付けと、取材の間に舞い込んだ仕事に全力で取り組まなければならない。ちょっと慌しくなりそうだ。 

 

2007.2.19〜20(月〜火) 600キロ 

 僕が撮影の際に最も熱中するカモは2月8日に撮影したマガモである。マガモは光の当たり具合によって顔の緑色の具合が大きく変化するから、その日の天候、カメラポジション、鳥の顔の向きの3点を常に意識しながら、その緑色を少しでも強く発色させようとしてカメラを持つ手に力が入る。
 行動が面白いのは2月14日他のオナガガモだ。
 例えば、カモはよく水浴びをするけれども種類によってその様子には違いがあり、オナガガモの水浴びは特に激しくバシャバシャと水を跳ね上げるから、被写体として面白い。飛び立ったり、喧嘩をしたりと、動きも多い。
 だが、一番好きなカモは?と言われれば、上のコガモだ。声がいいし、写真には写しようがないのだが、ピクリ、ピクリと愛嬌がある動きを見せてくれる。
 ただ、そのコガモは最近めっきり少なくなった。ここ3日ほど滞在した新潟県の瓢湖でも、以前はごく普通にたくさん見かけたのが、年々数を減らして、今年は撮影可能な位置には一匹も見当たらなかった。
 今回は、瓢湖を離れ、あたりの水辺をうろうろして何とか一箇所コガモを撮影できる場所を見つけたが、瓢湖でコガモが撮影できなくなった今、開けた気持ちのいい止水で、どこかコガモをゆっくりと撮影できる場所はないものか?と思う。

 昨日新潟県内で撮影した後は、延々と600キロを運転をして、今日は兵庫県内で写真を撮った。
 よく考えてみれば、昨日新潟県で撮影したのち移動をして、今日は兵庫県で撮影をしたわけだから、新潟から兵庫までの距離であれば、十分に一泊二日での撮影が成立することになる。日本は狭いなぁ。
 
 兵庫県の伊丹での目的は、キンクロハジロの撮影だ。このカモは、どこか動きがオヤジ臭くて、愛嬌が感じられる。
 兵庫県でなくてもこのカモは撮影できるが、山陽は晴れの日が多いから、この場所は撮影向きだ。

 そして、同じ池にはハシビロガモが多くて、至近距離で撮影可能。ハシビロガモを撮影するには、日本で一番適した場所の一箇所だと思う。

 地味なカルガモだって、光が当たれば、金属光沢を持ったブルーの部位があり、ドキッとさせられる。とにかく、大半のカモの撮影の場合、晴れなければ全くお話にならないのである。

 

2007.2.18(日) 天候の影響 

 水辺の写真の仕上がりは、天候の影響を受けやすい。特に、水辺は水辺でも止水を撮影した場合、その写真の出来不出来は、8割以上、その日の天候とその天候を生かすための撮影技術で決まると言い切っても、決して言い過ぎではないだろう。
 今回の水鳥の取材の場合、例えば1月30日の3枚目のスズガモの写真などは、あたりの水が大変にきれいに感じられるかもしれないが、実はそうではない。この写真の水の美しさは水そのものの美しさではなくて、水に映った青空の美しさなのである。
 もしも全く同じ場所で曇りの日に撮影すれば、水の水面には曇り空の重たい色が映ることになるから、写真に写る水の色も実に重たい、きらめきが一切感じられないものになってしまう。
 止水を撮影する場合、頭に入れておかなければならないのはほとんどその一点だけであり、目の前の水辺の水面に何が映っているのかさえ見ておけばいい。
 だが、その一点が意外に難しく、北海道にはプロアマ問わず多くの写真家が訪れるが、わずかその一点がちゃんと理解できている人には、滅多に出会うことが出来ない。多くの人は、そのカメラポジションから判断すると、生き物だけを見ているように思う。
 同じ生き物の撮影でも昆虫や小動物の場合は、ストロボと呼ばれる人工の照明を使うことが多いからまた事情が多少は異なるが、野鳥の場合は、大抵は自然光のみで撮影するのだから、なおさら天候が重要になる。
 
 さて、今日は天候が悪い。その場合、カモのように開けた止水で生活する生き物の撮影は、上に書いたような理由で難しくなる。
 そこで今日は水辺を離れて、ごく短い時間の10分程度ではあったが、辺りの農耕地をうろうろして、ノスリにカメラを向けてみた。
 昨日を除いてここ数日は天候がひどく荒れたから、その結果、車の運転には大変に気を使わされたし、ホトホト疲れ果ててしまった。特に一昨日の福島県内の山中はひどくて、何でこの穏やかな直線道路で?と不思議に思えてしまうような箇所で、何台かの車がコースアウトして壊れているのを見かけた。
 そこで今日はゆっくりと昼寝をして過ごすことにした。ただ、もうこの先は、気を使わなければならないほど気象条件が厳しい場所はない。

 

2007.2.17(土) 桟橋の周囲 

 新潟県の瓢湖へと戻ってきた。行きがけにカモの餌付けのシーンを撮影した際には、何だかイマイチ精彩を欠いたのだが、今回は、いろいろと面白いシーンを撮影することが出来た。
 今日は、カモの餌付けの際に係員の人が通る、池の中へと伸びる木製の桟橋の周囲での出来事に的を絞って撮影してみた。
 桟橋に的を絞ったのには訳があり、毎日決まった時間に餌がまかれるこの場所では、人馴れしたカモが多い瓢湖の中でも、特に人によく馴れたユーモラスなカモが多いことに気がついたのである。

 餌がまかれる前に、餌が入ったバケツに顔を突っ込んで食べるもの。

 桟橋の手すりの上から、人の目線で食べ物をねだるもの。

 目の前で繰り広げられている現象の中から、自分なりの物語をサッと抜き出すことが出来た日には撮影がはかどるし、そのためには、時には、冷静な分析よりも、ひらめきや気付きが必要になることもある。
 そしてひらめきは、大抵の場合、真面目さからはなかなか生まれてこないし、むしろ人間的に多少崩れているところがある人の方が、素晴らしいひらめきを見せてくれることが多いように思う。
 時々、自然や生き物を語るのに真面目さ一辺倒の方がおられる。例えば、自然写真について語るのに、まずカメラマンのマナーや礼儀の話からはじまり、それに終わるような話し方をする人がおられる。
 確かにマナーは大切なものではある。だが、そんなことばかりを考えていても、むしろ自然や生き物は見えてこないような気がするのである。人の心の中には、多少の遊びも不可欠だと思う。

 

2007.2.16(金) 休む 

 十分に速度を落として徐行をしているにもかかわらず、今日は二度ほど追突しそうになった。いろいろな条件が重なったのだろう。目的地まで、延々と圧雪アイスバーンで、全く気が抜けない。
 そのうちの一度は、放っておくと100%追突するケースだったので、わざと道路から若干コースアウトをして、路肩に溜まっている雪の中に乗り込むことで車を停止させた。
 今日は青空も顔をのぞかせたのだが、一昨日の夜に急に強まった風はまだ完全におさまっていない。
 カモたちは一箇所にかたまって、強風に耐えるかのように、比較的静かに休んでいた。

 そこで今日は、カモが休む姿にカメラを向けてみた。
 カモが休む姿と言っても、いろいろな姿勢がある。
 まず、立ったまま目を閉じて休むもの。

 立ったまま、顔を隠して休むもの。

 座ったまま、目を閉じて休むもの。

 座って、顔を隠した上で休むもの。
 漠然と写真を撮影するのではなくて、まずタイプ分けをした上でカメラを向けてみた。

 

2007.2.15(木) 大荒れ 

 昨晩〜今日にかけての福島県の山沿いは大荒れ。強風で、本当に車がひっくり返るのでは?と心配になり、夜中に車を風除けになるような建物の付近へと移動させた。
 当然、撮影どころではない。
 
 さて長期取材の楽しみの1つに食事があるが、最も煩わしいのも食事である。さすがに毎日毎日外食では、もううんざりという感じ。
 うちの粗食が食べたい。
 僕の場合、それ以外に関しては、車で生活をしながら撮影をすることにそれほど大きな苦痛は感じないし、ひと月どころか、もっと長くても恐らく全く平気だろうと思う。
 天候が荒れるようなことがあっても、それはそれでどこか楽しい。もちろん、災害にあわないようにするために万全の注意を払うことは言うまでもないが。
 今晩は、山沿いでの大雪を警戒して、福島市の付近までくだり、夜を過ごすことにした。福島県は、場所によって極端に天候が変わる県である。
 
 

2007.2.14(水) 雨 

 せっかく冬の東北で撮影をするのに、に降られるのは面白くない。やっぱり、冬の撮影は思いっきり冷え込んだ方が面白いし、気合も入る。
 ただ、雨なら雨で撮影すべきものはあり、例えば、カモの羽が水をはじく様子などは、こんな機会に撮影しておくべきだろう。
 野鳥の場合は、どんなに人馴れしている場所でも、昆虫や多くの小動物とは異なり狙いをつけた個体に接写ができるほど近づくのは難しいから、こうした部分を切り取る撮影は非常に難しい。

 やっぱり東北だなぁと思うのは、たった一晩で、沼の広範囲に氷が張ったり、そんなに降ってないように思えても、一晩で雪化粧になってしまうこと。
 思いがけない車のトラブルで数日余分に滞在することになった宮城県で、思いがけず雪の上のカモの写真を撮影することになった。
 
 水鳥の特徴は、まるで人のような感じで歩くこと。僕は、水鳥が歩くシーンの撮影が大好きなのである。
 今日はこの撮影のあと、福島県へと移動した。
 車がひっくりかえるのではないか?と心配になるほど、風が強い。

 

2007.2.13(火) ステップアップ 

「あなたがたのような若い写真家はうちの児童書でたくさん仕事をしてくださいよ。そして、次の段階へとステップアップしてください。」
 と、昔ある出版社で、児童書作りに携わっておられる方から声を掛けてもらったことがあるのだが、その言葉の意味が、最近少しずつ分かるようになってきた。
 今、大人や写真ファンの間で名前をよく知られている自然写真家には、元々子供向けの生き物の本を作る仕事をしていた写真家たちが、そうこうするうちに児童書の世界のみならず、広く一般に名前が知られるようになったケースも多い。
 そしてここ数年、僕も子供向けの本に提供するための写真撮影に力を入れているのだが、子供向けの本では、生物のごく一般的な性質を極めて丁寧に説明することが多い。その需要にこたえようとすることで、自然を丁寧に見て丁寧に撮影をする習慣が身に付いてくるのである。
 今日は、カモはどうやって眠るのか?を説明する写真を撮影するために、宮城県のある沼のほとりで日が暮れるのを待ったが、そのような視点にしても、大人向けの本の中ではほとんど要求されないような自然の見方ではないだろうか?

 辺りは、カモよりもマガンの飛来地としてよく知られているのだが、日が傾くと、次々とマガンの編隊が通り過ぎる。
 地元の人にとっては何でもない風景なのだろうが、九州に住む僕にとっては、上空から聞こえてくるマガンの鳴き声が非常に新鮮で、耳に残る。
 
 午前中〜昼間は、車のトラブルの結果、昨日と同じ場所でまた撮影することになった。本来の予定では福島県の猪苗代で撮影したかったのだから、不本意と言えば不本意なのだが、過去の僕の経験では、そうして何かのトラブルに見舞われて予定変更を余儀なくされた場合に、それが意外に好結果に結びついたことが多い。
 今日もその部類に入るのではないだろうか?
 朝の冷え込みで、一晩のうちに沼の一部が凍り、その氷の上でのカモたちのユーモラスな姿を撮影することができた。きのうは全く氷が張っていなかったのだから、たった一日で、昨日とは全く違う写真が撮影できるのである。
 カモと言えどもさすがに氷の上は歩きにくいようで、時々ツルンと足をすべらせてずっこける。子供向けの本の世界では、そんな写真も面白いと思う。カモは歩くのが上手だけど、氷の上は少し苦手と。
 まだツキがあるようだ。

 それから、昨日なかなか納得できる写真が撮れなかった飛び立ちのシーンも、今日は新たに何パターンか撮影することができた。

 

2007.2.12(月) 地震 

 グラグラと2〜3度車が激しく揺れるのを感じ、真夜中に目が覚めた。僕は震度3〜4くらいの地震なら経験したことがあるが、今回はそれ以上の揺れに感じられた。
 今どこにいるんだっけ?北海道の海辺なら津波が怖いな・・・
 そうだそうだ、先日東北へとフェリーで渡り宮城県の内陸部だから大丈夫と、そのまままた眠りについたら、しばらくすると今度は、コンコンコンと車をノックする音が聞こえる。
 警察の職務質問かな?と目を覚ましたのだが、ワゴン車のカーテンの先に、パトカーの赤色等が回っているような気配はない。
 こういう時は強盗の可能性だってあるし、気をつけなければならない。そこで、そっとカーテンの隙間から外を見ると、可愛らしい女性が一人ポツンと立っていて何か言いたげ。
 何かトラブルに巻き込まれたのか、或いは新手の詐欺か何かかなと警戒をしつつ、話を聞いてみると、車をぶつけてしまい、ライトのガラスが割れてしまったのだという。
 地震ではなかったのである。
 これは修理をしておかなければ、雪の日の夜間の走行にさしさわりそうなので、宮城県に2〜3日滞在することを強いられそうだ。
 今日は祭日なので自動車屋さんで部品の調達を予約して、温泉に入り、夕食を食べたのちに天気予報を見ると、明日は、山の方まで晴れだというから、福島県の猪苗代まで一気に移動をして撮影をしたいところだが仕方がない。


 食べる、寝る、飛ぶ、着水する、飛び立つ・・・とにかく何かをしている所と、今回の取材では、水鳥の行動に的を絞って撮影しているが、身近な水鳥と言えども、行動の撮影はやはり難しい。
 なかなか気に入った写真を撮ることができない。
 今日は、オナガガモが水面から飛び立つシーンを狙ったのだが、思うような写真が撮れない。一応使える写真を撮影したものの、これでは連写をした中の一枚という感じがするので、もうちょっと躍動感が感じられる、一瞬を切り取った写真が撮りたい。
 車のトラブルの結果、明日もまた今日と同じ場所で撮影することになったので、もう一度チャレンジしてみようと思う。

 

2007.2.11(日) 激論 

 水越武さんという山の写真家がおられる。いや、山岳以外にも多くの被写体にカメラを向けておられるから、山の写真家というとご本人は不愉快にお感じになるのかもしれないが、僕の中ではやっぱり山の写真家である。
 その水越さんの『山の輪舞』という写真集があって、その出版の際に贈る言葉として、水越さんの師匠である田淵行男さんが文章を書いておられるのだが、水越さんが、写真に対する考え方の違いから、山小屋で他のカメラマンと喧嘩になって困ると書いておられた。確か、他人を認めることは自分を認めることでもあるはずだと結んでおられたような気がする。
 水越さんに限らず、僕から見て二世代以上年上の自然写真業界を作り上げた先輩方と、僕らの世代との違いの1つが、そこにあるように感じることがある。
 先輩方の噂話の中には、写真に対する考え方の違いから、誰々は誰々を徹底して嫌っているだとか、喧嘩になっただとか、中には、「あいつの首をへし折って殺してやりたい!」と発言しただとか、目の前で殴りあいの喧嘩が始まったなどという物騒なものもあるのだが、僕らの世代の間では、あまりそうした激論や喧嘩の話を聞いたことがない。
 良くも悪くも、大抵はみんな穏やかだが、もしかすると、それが僕らの世代が先輩方を超えられない理由の1つであるのかもしれない。僕は、たかが自然写真だから穏やかでいいじゃないか!と思う反面、でも、自然写真家などという職業につくものは、多少くだらなかったり、下世話なくらいが相応しくて、いい写真を撮るために、そのたかがで喧嘩になる程度の大人さ具合でもいいような気もする。
 特に写真に関しては、誰が相手でも意地をはって絶対に譲らない面があったり、時には大先輩を相手に噛み付いてみたりするくらいに、あくが強くてもいいとも思う。
 ただ、写真を離れると、やっぱり同じ世界を知る先輩方の言葉は文句なしに重たいと感じることが多いし、先輩に指摘をされたり、注意を促されたり、言われたことは、しばしば他の人たちの言葉よりも、すんなりと、素直に僕の心の中に入ってくる。
 今日は、天候があまりよくなかったこともあって、青森県〜宮城県まで一気に南下したのだが、車の運転や事故には、やっぱり十分すぎるくらいに注意をしなければならないだろう。

 雪があまりに少ないため、岩手県で思い描いていたシーンを撮影することができなかった。
 代わりそれを福島県の猪苗代で狙ってみようかと思うのだが、猪苗代は天候が難しいから、天気予報を見て俊敏に動きたい。その点、宮城県で撮影をすると、状況によっては一気に猪苗代まで移動をすることも可能になるので、ちょうどいい。

 

2007.2.10(土) 本州へ 

 今日、本州へと渡った。北海道への行きがけは、青森県の八戸〜北海道の苫小牧への船を利用して、確か7時間くらい波に揺られたのだが、船が嫌いな僕にはその7時間はあまりに辛かった。
 僕は、よほどに体調が悪くない限り、気をつけてさえいればひどく船酔いするようなことはないが、微妙に気分がすぐれなくなるのと、退屈のあまりに気分が沈みこんでくるのがよくない。 
 退屈なら本でも読んで過ごせばいいじゃないかと言う方もおられるのだが、退屈をしのごうと文字を追ってみたり、パソコンを扱おうとすると、今度は突然にひどく船酔いしそうになるから船内ではただひたすら目線を遠くにやり、ぼうっとして過ごさなければならない。
 たかが7時間でしょう?と笑われてしまいそうだが、ただじっとしていることが耐えられない僕としては、下船時には、「体力、気力の限界・・・」と、まるで大相撲の大横綱・千代の富士の引退会見の時のように涙ぐみたい気持ちになる。

 そこで帰りは、北海道のほぼ南端の函館から本州の最北端の大間までの最短距離の船に乗ることにした。函館〜大間の便ならば約1時間半波に揺られるだけですむから、海っていいなぁと思う気持ちが残っているうちに下船できる。
 ただし車の運転距離はその分伸び、恐らく八戸〜苫小牧の船を利用するよりも400キロ以上は余分に運転しなければならないのではないかと思う。400キロと言えば、時速50キロで8時間の距離だから、それはそれでしんどいには違いはないが、僕の場合は運転をしている方がいい。

 僕がフェリーに乗船した最長時間は京都〜北海道の36時間だが、たかが7時間が耐えられない僕は、これには発狂しそうになった。
 特に、船の中での食事が辛かった。36時間の乗船だから、外から好きな食べ物を持ち込むわけにはいかず、船のレストランを利用する他ないのだが、一日中ひたすらに寝転んでいて腹がすかないのに、比較的短い決められた時間帯食事を食べなければならないし、しかも料理はあまり美味しくないにもかかわらず高い。
 だからその帰りには、行きよりも距離が短い北海道〜新潟のフェリーを選んだら、今度は海が荒れて港で2日間足止めを食らった。
 3日目に、「もういい加減に船を出してくれ」と思ったら、ようやく船が出ることになりホッと胸を撫で下ろした。ところが、まだ海の荒れは完全におさまっておらず、出港してから1時間もしないうちにひどく船酔いして、船が出たことを恨みたくなった。
 それらはいずれも間違いなく、僕の人生の中でも最も辛かった思い出のベスト5に入る。
 とにかく、僕は船が嫌いなのである。

 

2007.2.9(金) 熟睡 

「この車だったら、自宅と全く同じように熟睡できますね!」
 と、昨日ガソリンスタンドで店員さんに声をかけられた。僕は車の中に市販のパイプベッドを積んでいるから、シートを倒してフルフラットにしたような中途半端なベッドとは、確かに眠りの質は違う。
 そう話しかけてきた店員さんの様子が実に嬉しそうだったし、あまりに楽しげに見送られたので、本当は給油後に向かいのセブンイレブンでちょっと食べ物を買いたかったのだが、そこに入ることができなくなった。
「いってらっしゃい!」
 と見送られたその車が失速して、すぐに向かいのお店に入ったのでは何だかしらけてしまうではないか!そんな時はビューンと車を加速させ、みるみる小さくなってあげなければならない。
 そのお陰で、昨日は結局昼食を食べそこねた。
 昨日は急遽長距離の移動をすることになり、下手をすると、移動をしたものの太陽が傾いてしまい撮影時間が確保できない可能性があったし、昼食はせいぜいコンビニのおにぎりを運転しながらかじるしかなかったのだが、目的地までの最後のコンビニをそうして逃してしまった。
 そしてその甲斐あって、望み通りに晴れの状況の中で求めていた写真が撮れた。
 昨日の時点では今日も晴れの予報だったから、一時は無理をせずに、また明日にでもと思ったが、北海道の天候は変わりやすいので前日の天気予報はほとんど信用できないと思っていいし、案の定、今日は朝から曇りで、昨日頑張ってでも写真を撮っていなければ、間違いなく昨日の移動は無駄になり後悔するところだった。
 今日は曇ったから、逆に時間が出来た。
 そこで、溜め込んでいたメールの返信やその他、車の中で事務作業に取り組むことにした。
 撮影をして、食事をして、風呂に入り、次の目的地へと移動をすると、時間的にはかなり窮屈な日々を送ることになる。一日の平均の運転距離は200キロ以上になるから、車を運転している時間は相当なものになる。
 もしも九州を出発して、時間的に窮屈な思いをほとんどせずに本州〜北海道まで撮影するのなら、ひと月どころか二ヶ月程度の時間が必要になるだろう。

 

2007.2.8(木) 発色 

 飛んできたカモが着水し、水かきで水しぶきを上げながら水面を滑走する様子が撮影したいのだが、なかなか上手く撮影できない。
 上の画像は、「これはいけるのでは!」と、今日唯一感じた瞬間だったが、このあとカモはグングン僕の方へと近づき、着水した時には、近づき過ぎて画面からカモの姿があふれ出してしまった。
 着水の写真は、被写体が、自分が狙った位置にたまたま下りてくれなければ撮影できないから、難しい。
 
 こちらは、水浴びを終えたカモがバタバタと羽を動かし、水しぶきを振り落とすシーンである。
 僕の狙いは、マガモの鮮やかな顔のメタリックグリーンと、翼の洒落たメタリックブルーがきらめいている写真だが、やっとある程度納得できる写真が撮影できた。
 これらの羽の色は光の当たり具合によって色合いが変化し、写真に撮影してみると、特に顔の緑色がうまく発色しないことが多い。
 このシーンの撮影自体は決して難しくはないが、カモの羽の色の発色にこだわると、太陽の光の位置や、鳥の微妙な向きが鍵をにぎる意外に難しい撮影だと言えるだろう。

 ここ数日、僕が撮影を希望していた地域の天候が悪く、ついに時間切れで、一旦北海道東部を離れ、昨晩は復路の旭川の町まで移動をした。
 だが今朝になって未練がましく天気予報を見てみると、今日は天気が回復していることが分かった。そこで、往復で450キロ余分に走らなければならないが、急遽引き返して水辺でカモの撮影をすることにした。朝の間に旭川の町をたち、日が傾きすぎる直前に目的地へと引き返すことができ、ギリギリ撮影時間を確保できた。
 その結果、帰りの移動がかなり厳しくなる。また、今日は水辺へと向かう途中で吹雪に巻き込まれ運転が非常にしんどいものになり、昼食は抜きになったが、目的地へと到着後は、実質一時間程度のごくごく短時間で、他にも必要な写真を撮影できた。
 自然を相手にすると、そうした経験をすることは珍しくない。自然写真は、時間があれば結果がでるというものではないし、狙った写真が撮れる時は、案外短時間で撮影できることが多いように思う。
 5時間運転して1時間しか撮影できなくても、構わないのである。時間がたっぷりある時に出かけようなどとすぐに考える人は、恐らく、自然写真はあまり上達しないだろう。
 それは、頑張ればいい写真が撮れるということではなくて、たとえ1時間でも自然の中で過ごしたい、そこで生き物を見たいと思うその気持ちが写真を撮らせてくれるのだと思う。
 そこのところは恋愛にもどこか似ているような気がする。5時間運転してたとえ1時間しか一緒に過ごすことができなくても、やっぱり会いに行きたいと思うことにどこか似ているような気がする。

 

2007.2.6〜7(火〜水) ワシ 

 何事も続けることって大切だなぁと最近感じる。
 だが、ただ形だけ続けていてもそれは続けたことにはならないし、いつも新鮮なワクワクした気持ちで取り組むことができて、初めて何かを続けたと言えるのではないだろうか。
 そして人は同じことを続けているとやがて飽きてしまうから、やや逆説的ではあるが、続けるためには変わらなければならないし、新しい体験を求めなければならないように思う。
 冬の北海道には、学生時代から知っている撮影スポットが幾つもあり、それを回ればある程度の結果がでるし、新しい撮影スポットを探すよりも、むしろ既知の場所で徹底して撮影した方が恐らくいい結果が得られるのだろう。だが僕は、取材のたびに必ず2日程度は新しい場所を探すために費やすことにしている。
 昨日は過去にあまり詳しく見たことがない北海道東部の海辺を探索し、今日は、日頃あまり撮影する機会がない水鳥以外の野鳥、ワシの仲間にカメラを向けてみた。
 上の画像はオオワシ。下は、オジロワシである。


 

2007.2.5(月) 行動 

 生き物の撮影の中でも、その行動に的を絞った撮影は、やはり面白いなぁと思う。
 もちろん行動の撮影以外でも、例えば、デザイン性や美を追求するような撮影だって面白のだが、美の追求の場合は、最終的には撮影者や見る人の好みに写真の評価が大きく左右され、結局ああ撮ってもいいし、こう撮ってもいいし、最後は、その人が好きなように撮影するのが一番いいというような面があって、あまりに自由すぎて、自分が何をしているのかが時に分からなくなる。
 その点、行動の撮影の場合は、これから自分が何を表現しようとしているのかが非常に明確であり、その目的に向かって一直線に向かう面白さがある。今日は、マガモが求愛をする様子を観察できた。
 マガモの求愛は、まずオスとメスとが向かい合い、お互いに顔を見合わせて、顔を上下に同調させて動かす。

 そして、メスが身を低くすると、オスが横へと回り込む。
 順調に行けば、この後で交尾行動が見られるのだが、今日のこの場面では交尾にいたらず、しばらく時間がたった後、遠くて撮影ができない場所で交尾が見られた。

 生き物の行動の中には、ただ見ていても、その意味が分からないものもある。
 ホオジロガモは、頻繁に体をベタッと水面にくっつけ、身を低くするような行動を見せるが、この行動はいったい何をしているのだろう?
 ホオジロガモは水中に潜って餌を食べるが、こうした行動の直後に水に潜ることが多いように思う。と言うことは、水の中を覗き見る行為なのだろうか?

 

2007.2.4(日) 食事 

 2日の午後に、福岡県出身で、現在は北海道の千歳で勤めている自然好きの知人が、僕の撮影現場へとやってきて合流した。一週間も仕事の休みを取ったのだという。
 実は、今回の取材ではずっと体調がやや思わしくなく、風邪を引きかかっている状態でギリギリ踏みとどまっている感じがして体がだるいのだが、同行する人がいて、その人が元気に溢れていると、僕にも自然と気力が湧いてくる。
 昔は、僕が面倒を見る立場だったのだが、今では、自分よりもずっと年下の人に、いつの間にか励まされるようにもなった。
 今日はエゾシカを撮影したのだが、知人が大喜びをする様子を見ていると、何だか僕も楽しくなる。
 他にも、北海道在住のアマチュア写真家・金田さん、北海道在住の写真家・門間君、それから、出版社に勤めていて児童書の編集をしている、でも仕事を一日休んできたので名前を出せないSさんが今日は一緒だ。

 食事は、長期取材の際の楽しみの1つでもある。しかも仲間がいれば、一人で食べるよりも、食べ物がずっと美味しい。
 昼食は知床で海鮮料理のお店に入り、イクラとウニとカニがのっかった三色丼を注文したら、
「サービスです。」
 と、山盛りのカニが出てきたことには驚かされた。
「これって、サービスですか???」
 注文した丼よりも、サービスのカニの方が値段が高いのでは・・・と、不思議に思えるような量だったのだが、とにかく嬉しい。

 夕食は炭火焼である。実は、昨晩も同じ店で炭火焼を食べたので、二日連続になる。
 サクラマスの一夜干しとキンキの一夜干しは、いずれも絶品。


 

2007.2.3(土) 着水 

 北海道の東部にある屈斜路湖は、厳冬期にはほぼ全面が凍結する。そして、その氷の上に乗っかったハクチョウたちの姿はなかなか絵になるし、冬の北海道を訪れるカメラマンたちの人気も高い。
 だが今年に限って言うと、今までが暖かかったからか湖面にほとんど氷はなく、今朝は、それを目にした一人のカメラマンが、まだ早朝だと言うのに大慌てで機材をしまいこみ、どこか別の場所へと移動するのを見た。
 状況が悪いと諦めたのだろう。

 だが、湖が凍っていなかったなら凍っていなかったで、また別の面白い写真が撮れるはずだと僕は思う。
 そこで、水の表情にこだわる僕としては、飛んできたハクチョウが着水をして、水しぶきがあがる瞬間を狙ってみた。
 ただ、湖が凍っている場合はハクチョウたちは移動の際に飛翔をするのだが、それが凍っていないものだから悠々と湖の中を泳ぐし、ハクチョウの飛翔するシーン自体をほとんど見ることが出来ない。ということは、着水のシーンを撮影できる機会もほとんどないことになる。
 今日は、太陽の光の具合が撮影に適する時間帯に着水のシーンを撮影できるチャンスは一度しかなかったのだが、その1回のチャンスを物にできた。
 もしもこのハクチョウがあと5M僕の近くに着水したならば、ハクチョウの姿は間違いなくカメラの画面からはみ出してしまうだろうし、思い描いたシーンを撮影できなかったことになる。
 
 さて、たくさんシャッターチャンスがあるように思えるのに上手く撮影できないこともあるが、たった一度のチャンスで撮影できることもある。
 以前は、そんな時には最初から諦めムードになっていたのだが、最近は、何とか数少ないチャンスを物にできることが多くなってきた。
 チャンスがないと嘆くよりも数少ないチャンスを物にする努力をした方がいいし、お金が稼げないと愚痴をこぼすよりも、稼げるように努力をした方がいい。
 フリーで仕事をするって、そんなことなんだなぁと最近しみじみ思うのだが、ちょっとその覚悟が、僕の心の中にできつつある。

 

2007.2.2(金) 妄想 

 もう10年くらい前の話だが、冬の北海道を運転中に、車が止まらなくなったことがある。
 確か、苫小牧辺りの比較的街中だったと思うが、路面がツルツルに凍っていて、ブレーキを踏んだもののこの辺りで止まるだろうという予測の場所を恐らく10M以上も伸びたと思う。
 追突はまずあり得ないと思っていた状況から、結局あと少しで前の車に追突するギリギリのところで踏みとどまった。
 その時は元々徐行をしていたし、仮にぶつかっても大した事故にはならなかっただろうが、十分過ぎるくらいに遥か手前からブレーキを踏んだにも関わらず、人がゆっくりと歩くくらいの速度で車が伸び続けてことには、大変に驚かされた。
 それ以降、僕の脳裏には1つの妄想がある。
 それは、水鳥を撮影するために港の中へと入った際に、やはり車がすべりブレーキが効かなくなり、必死に車を操作しようと試みたにも関わらず、ドボ〜ンと波止場から海の中へと車ごと沈んでしまう妄想だ。
 僕が冬の北海道で最も恐れている悲惨な死に方が、それなのである。
 それでも、僕は冬の北海道へとやってきたら、必ず一日は港でカモの仲間を撮影する時間を作る。聞くところによると、本来は、海の沖の方にいるカモが、何かの具合で港の中に入ってくることがあるらしいから、その中でもビロードキンクロのような不思議な顔かたちをしたものを、是非、至近距離で見てみたいのだ。
 
 さて、今日の根室の港ではそうした滅多に見られないカモの姿はなく、見つかるのはホオジロガモやコオリガモやウミアイサなど、いつもの面々ばかりだった。
 ただ、かなり波が高くて面白そうな状況だったから、それを生かした撮影がしてみたくて、カモが波の先端にまるでサーファーのように乗っかった瞬間を狙ってみた。
 先日も書いたが、水鳥を撮影する際の水の表情は、僕が最もこだわるポイントの1つなのだ。

 

2007.2.1(木) 天候 

 昨年の北日本取材は、久しぶりの野鳥の撮影であったにも関わらず非常に快調で、日頃野鳥以外の生き物を撮影していても、生き物にカメラを向けてさえいれば、野鳥の撮影だって上手くなるものだなぁと思った。
 ただ今考えると、昨年快調だったのは、技術の向上以外にも、天候に恵まれたことが大きかったように思う。とにかく、連日不思議なくらいの晴れだったのである。
「野鳥写真は、一場所、二物、三技術。」
 という人がいて、最も大切なのが野鳥を撮影しやすい場所、次が機材、技術は三番目くらいに重要という意味だが、なかなか鋭い。
 一の場所は状況と言い換えてもいいと思うのだが、広い意味で状況を解釈すれば、その中には天候も含まれるだろう。
 昨晩の時点での今日の天気予報は曇り。そこで今日は、曇りでも十分に撮影が成立するタンチョウの撮影を選んだら、意外にも青空が顔をのぞかせた。

 飛んでいる野鳥の姿も悪くはないが、タンチョウくらいに悠長に飛んでくれる野鳥であれば、今や機材の進歩で、その道具さえあれば、ほとんど誰でも飛翔中の姿を撮影できるようになった。
 そうなると、飛翔の撮影も、もう面白くないので、今日は、それ以外のシーンで、躍動感のある写真を狙ってみた。
 タンチョウが飛び立つ瞬間の撮影も技術的にはそれほど難しいものではないが、その飛び立つ瞬間の中に、瞬間の中の瞬間とも言える、一瞬鳥の全身がしなるように躍動する一瞬がある。
 やっぱり、写真撮影は一瞬が面白いと思う。
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2007年2月分


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