撮影日記 2006年12月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

2006.12.30〜31(土〜日) 勇気

「九州まで旅行してさ、武田さんが日記で紹介しているあの場所に、私も一度行ってみたなぁ。」
 と、先日上京した際にある方が言われ、その一言が思いがけず、僕に勇気を与えてくれた。
 思いがけずと書いたのは、おそらく、そうおっしゃった本人は、僕を勇気付けるつもりでそう切り出した訳ではなかっただろうと想像するからだ。
 うん、そうか!そうだよね!あそこはやっぱり魅力的な場所だよねと、僕は心の中で何度も繰り返した。
 長く編集者をつとめ、おそらくその間に山ほどいい写真を見て、それらの写真に写った素敵な場所をたくさん知っておられるであろう方が、
「行ってみたい。」
 とおっしゃるのだから、僕が目を付けたその場所が間違いなくいい場所であり、何の迷いもなく無心でカメラを向けるべきであって、まるでお墨付きをもらえたかのような自信と安心感が僕の胸に込み上げ、勇気が湧いてきた。
 その勢いで、それらの写真をパソコンの上で一冊の本に仕立て上げてみると、思ったよりもいいところまで自分が撮り進めていることに、はじめて気がついた。
 
 勇気って大切だぁと、僕は今年一年間撮影してみて、何度が感じる機会があった。
 勇気は、実行力と言い換えてもいいのかもしれない。
 何かをつかみ、些細なことであったとしても、新境地に達した!と感じた時に、改めて過去の自分を振り返ると、それ以前の自分に足りなかったのは技術でも知識でも経済力でも体力でもなく、未知なことに取り組んでみる勇気だったなぁと思い知らさせる機会があった。
 技術や知識や経済力や体力に関して言うと、ない袖は振れないものだが、勇気などというものは出せば出るような気がする。
 だが、よくよく自分を振り返ってみれば、失敗を恐れてみたり、自分が通用せずに傷つく事を恐れてみたりと、意味もなく縮こまっている時間は思っていたよりも長い。
 ただ、今年は、少し勇気の出し方が分かったような気がする。

 

2006.12.28〜29(木〜金) 新しいもの

 日本国内の洞窟の写真に関して言うと、日頃見かけるのは研究者のような立場の人が撮影したものが多く、大抵は見る人を魅了する写真というよりも、記録写真だ。
 記録写真は記録写真で価値がある。だが、僕は、見る人を魅了するような写真が撮りたい。
 そうした気持ちで洞窟の写真を撮ろうとすると、まず洞窟内は非常に特殊な環境だからさまざまな工夫が求められるが、にも関わらず、お手本にできるような先人の写真がないため、それをすべて自分で編み出すことになる。
 その過程が実に面白いと思う。
 以前にも書いたことがあるが、洞窟は出られなくなる危険がある場所だから、必ず詳しい人に同行をお願いするようにしているので、あらかじめ約束しなければならないし、行きたい時にいつでもというわけにはいかず、なかなか存分に撮影を満喫することが出来にくいのだが、もっともっとカメラを向けてみたいなぁと感じる。
 今回は自作の照明器具を試してみたのだが、僕の好みよりもややなまめかし過ぎる感じに写真が撮れることが分かった。多少改良を加える必要がある。
 画面の右上には、洞窟の入り口がある。
 そこから奥に入ると、人が一人かろうじて通れるくらいの穴があり、この穴をくぐると広い空間がある。同じような構造を奥へ奥へと進むと、地下を流れる水脈があり、僕がテーマにしている水辺に結びつく。
 
 人がまだ取り組んでいない新しいことに取り組むことは、写真家にとっては、とても大切なことだと思う。
 だが、ただ新しければ何でもいいのか?と言えば、そうではないから、そこが難しい。
 たとえば、ツクシマイマイというカタツムリの一生にカメラを向けたとする。そして、今度はセトウチマイマイというカタツムリにカメラを向ける。果たしてセトウチマイマイにカメラを向けることが新しいことなのかどうか?と言われれば、何か新しいものが多少は見つかるに違いないが、基本的には、ツクシマイマイの写真の二番煎じのようなものだ。
 多くの写真家が求める、本当に新しいとは、もっと違ったことなのだろうと思う。
 僕はこの洞窟の写真を新しいものに仕立て上げたいと思うが、十分にその可能性がある素材だと感じはじめている。
(EOS5D 17〜40mm)

 

2006.12.26〜27(火〜水) 自然が好きな人

 ある生き物のすみかに案内をしてもらった。
 案内してくださった方が、とても素敵であまりに話が楽しい人なので、どのようなきっかけで生き物が好きになったのかを聞いてみると、まずお母さんが生き物好きで、今でも海の生き物を飼っていて、そのために海水をわざわざ海へ汲みにいくような、ちょっと変わった方なのだそうだ。
 それから、お母さんとは姉妹の関係にあるおばさんが、やはりお母さんに輪を掛けた生き物好きで、さらにお母さんのお母さん、つまりおばあさんがザリガニ釣りの名人だったというから驚いた。
 そして、最もオタク度が凄いのはお兄さんだというから、これはいずれ会ってみなければならないだろうと胸が高まる。

 さて、生き物や自然が好きな人と楽しい話ができるのは、幸せなことだなぁと思う。
 ただ、生き物が好きな人にもいろいろなタイプの人がいて、全く噛みあわない相手も少なくない。
 たとえば、僕は生き物が大好きだし、生き物を無心でみつめるうちに、人が自然に対していかに接するべきか、つまり人の在り方について自分の思いが込み上げてくるのだが、中には、先に人が人としてどうあるべきか、自分の思想があり、その思想を語るための材料として自然に興味を持っておられる方も少なからず存在する。
 どちらが正しいと言うようなものではないが、僕は飛びっきり精神力が弱いから、そのタイプの人にいきなり自然保護の話や哲学的な話を切り出されると、正直に言うとその場を逃げ出したくなる。
 意外にも、理屈抜きに楽しく話ができる自然好きにはなかなか出会うことができず、たまにそうした人に出会えると、いとも簡単に心がとらえられてしまい、離れたくないような、放したくないような思いにとりつかれる。
 凄い!と思う自然観察者にはポツリポツリと出会えるものだが、この人が傍にいたらいいなと思える相手には、とにかくなかなか出会えない。
 今年、自分が何の撮影にどれくらいの時間をかけたのかを今チェックしてみると、楽しくて深くのめりこみ、多くの時間を費やした撮影は、大抵の場合、接していて楽しいなぁと感じる誰かに導いてもらったケースだ。
 僕をそうして導いてくださった方は、何かの義務で生き物について僕に語ったわけではないし、自然のことを知ってもらわなければならないと思ったわけでもないだろうし、ただ、
「一緒に行きませんか?楽しいよ。」
 と誘ってくださった方ばかりである。
 ふと考えてみれば、本を作ることも同じではないだろうか?
 写真家としてまとめなければならないなどとか、伝えなければならないといった発想ではなくて、楽しいから一緒に行ってみないというのを、本の上で、全国の人に向かってやればいいのではないだろうか?

 

2006.12.25(月) データ通信

 子供の頃のように、何かが楽しみなことがあり、ひと月くらい前から本当に眠れなくなってしまうようなワクワクは、今となってはすっかりなくなってしまった。
 だが、長い取材に出かける前は、何かの拍子に時々胸がギッとせつなくなり、頭の中がカ〜と熱くて、興奮が抑えられなくなりそうなことがある。
 前回の冬と同様に、この冬も、北日本での水鳥の撮影を予定しているが、ここ数日、少しずつ、気分が盛り上がりつつある。
 ただ唯一、考えると憂鬱になるのが、携帯電話でのホームページの更新である。
 僕が使用しているドコモの電話では、たかだた小さな画像一枚が、なかなかサーバーへと送れないのである。サーバーに繋がっているはずなのに、突然送信ができなくなったり、いったん接続を切り再度やり直すと今度は順調に送信できたり・・・・、とにかく訳が分からなくて、扱いづらい。
 フォーマを使用すれば早いのだろうが、エリアが限定されているため、古いタイプの電話も併用しなければならない。
 そこで、AUのデータ通信カードを購入してみた。AUの場合は、いわゆる第三世代と呼ばれている高速通信ができる端末で、従来の方式でも通信可能なため、2台の端末を使い分ける必要がない。
 僕がホームページにUPしている程度のサイズの画像であれば、通常は月2500円くらいの契約を結んでおけば、無料通信分に収まってしまいそうだし、一ヶ月の取材でも約5000円のコースに入っておけば、それについてくる無料通信分で何とかなりそうだ。
 ただ、仮に月2500円でも、お金がかかることには違いがないので、別の部分を削ろうと、事務所の電話を光電話に変えることにして、工事の予約を入れた。NTTの人の計算によると、光電話にすることで僕の場合、月に1000円くらい安くなるようだ。
 がしかし、工事代金が12000円くらいになりそうだから、実質的に安くなるのはまだまだ先の話になる。
 さっそく、そのAUの端末でちょっと接続してみたが、非常にいい感じがする。

 

2006.12.24(日) 更新

今月の水辺を更新しました。

 

2006.12.23(土) 留守をしている間

(撮影機材の話)
 数日留守をしている間に、先日注文しておいた機材が届いていた。
 バッテリータイプの大型ストロボである。
 一般的に市販のストロボは実測してみると公称値よりも光量が小さいのが普通だが、このストロボは実測でGNが45くらいだという話だが、市販のストボロで言うならGN56くらいに相当するのではないか?と思う。
 ちょっと試しに光らせてみた感じでは、もっと光量があるようにも感じられる。
 一度の充電で100発くらいは発光できるらしい。
 発光部は、持ちやすい握りつきで、重さは600グラム台だから、一般的なグリップストロボなどよりも軽いのではないだろうか?これで、現在所有しているサンパンク製の大型グリップストロボの出番はなくなる可能性が高い。
 発光部の直径は15センチ弱とかなり大きく、モデリングライトも内蔵されているので、野外で使用するストロボとしては、そうとうにきれいなライティングができるに違いない。
 アンブレラも取り付けられるようになっているからスタジオでも使えるし、スタジオ用の照明器具が故障した場合の予備もかねて、これを購入することに決めた。
 また、特殊な機材はメインテナンスなどを考えると買いにくいが、このストロボを取り扱っている会社は非常に安心して取引できる優良な会社であることも、購入に踏み切れた理由の1つである。

 

2006.12.21〜22(木〜金) 感覚の違い

 先日、
「来年の絵本用のチラシを作るので、イメージ写真をちょっと送ってもらえませんか?」
 と依頼され、本の中で使用する予定の写真の中から2〜3点選び、送ったら、
「かわいい写真ですね!うちの子に見せてもかわいいと言っていますから、これはいい!」
 と喜んでもらった。
「なるほどなぁ。子供に聞いてみるんだ!」
 児童書の中で求められるかわいい写真の、かわいいと言う感覚は、男性にはなかなか理解できない部分があるし、まして、子供がいない僕には、なおさら難しいように思う。
 もちろん、人の性別に関係なく共感できる部分もあり、その共通の部分を徹底して模索するのだが、女性にだけよく分かる面もあって、そこまで自分の守備範囲を広げておかなければ、狭い部分でお金を稼ごうとすると、難しいのである。
 以前は、
「表紙はこの写真で行きたいなぁ。」
 などと思い入れのある写真を編集者に向かって押してみたりもしたけど、最近は完全にお任せして、それは無関心というのではなくて、むしろ、子育ての経験がある女性がどのような写真を選ぶのか、より一層の関心を持って、見守るようになった。
 来年の仕事用の写真を収め、簡単な説明をしたあとは、編集部の方々と夕食に出かける。
「この子の元彼がとんでもない奴なんですよ。」
「そうそう、ひどいんです。」
「これ以上振り回されないように気をつけなさいよ。」
「もう大丈夫です。」
「えっ、どんな風にひどいの?」
「不誠実なんですよ。」
 がしかし、話をよく聞いてみると、耳が痛い部分がないわけではない。やはり、男女の感覚の違いは、間違いなく存在するから、
「それは、男の人には悪気はないかもしれないよ・・・」
 などと、男の気持ちを一応代弁して、説明してみたりもするが、
「そういうことは、ちゃんと女性に伝えてあげないと。」
 などと指導を受けたり、
「じゃあ、こういうケースは?」
 などと例をあげて質問し、
「それは相手がひどいね。」
 などと、判定を下してもらうこともある。男性がいかに振舞うべきか、しっかり叩き込まれてホテルへと帰ることになった。

 

2006.12.20(水) 穴

 型にはまらない、定番ではない本を作りたいと思う。だが、それを目指して写真を撮影し、いざ売り込んでみようと検討に入ると突然に自信がなくなり、まだ話ができる段階に達していないのではないか?と、逃げ腰になる。
 がしかし、完全に自信が持てるようになるのを待っていると、恐らく永遠に新しいものなんて出来ないに違いないと思う。
 そこで、過去に一緒に仕事をしたことがある安心できる人に、売り込むのではなくて、話を聞いてもらおうと、昨日はある出版社をたずねた。
 一生懸命僕は話をして、とても丁寧に話を聞いてもらい、面白いから具体的に進めてみようよと、かなり前向きに次の一手を指示してもらうことができた。
 いつまでも同じパターンの写真ばかり撮影していてもダメだと、ここ1〜2年強く感じていた。
 だが、型にはまった定番の写真は仕事として成立しやすいし、定番のものを抜きにして生活をすることは難しいし、写真である程度お金を稼ぎながら新しい世界を切り開くことは、思っていたよりも難しいことを思い知らされた。
 月並みな言葉で言えば、どうしても殻が破れない状態に陥っていたのが、ようやく殻に小さなが開いたのではないか?と思えた。
 少なくとも、来シーズン撮影すべきものは見えてきた。

 

2006.12.19(火) 代理人

 松坂大輔選手の代理人が辣腕だと話題になったが、プロ野球の世界のみならず、写真の世界にも代理人制度がある。
 写真家が撮影した写真を、写真家本人に代わって売り込むことを職業にする方がおられるわけだが、写真を撮影することと、売ることは全く違った作業だから、その感覚は、写真家とはかなり異なる。
 ずっと以前の話になるが、
「最近、昆虫の写真を撮る若くていい人がいないんですけど、武田さん誰か知りません?」
 と、長く僕の代理人を勤めてくださっている方からたずねられたことがある。
「僕の同世代の人で、フリーで虫を専門に撮っている人は心当たりないですね・・・・」
「この前ね、Kさんっていう若い方が、昆虫の写真を売って欲しいと持ってこられたんですよ。でも技術的に通用しないレベルの写真だったからさ、海野さんのところにいって写真を習ってきてよって海野さんを紹介してあげたんだけど、残念ながら、その後、お越しにならなかったんですよ。」
 
 写真家の立場から言うと、それは驚くべき発言であり、写真は習ってきてよと言われて習えるものではないような気がするし、Kさんが二度と現れなかった理由が分かるような気がする。
 だが、よくよく考えてみればそれは僕の思い込みであり、学べないのは作家性の話であって、写真で仕事をしてお金を稼ぐレベルであれば、知識で解決できる部分だってあるし、習えることもたくさんあるに違いない。
 現に、僕の写真だって、拙くてお粗末な写真をたくさん売ってもらったし、そうこうしてでも経験をつむうちに、たまにはまぐれでいい写真が撮れることもある。
 ある時、ある出版社へ写真を持っていったら、
「これ、あなたの写真ですよね?」
 と僕の代理人が売り込んでくださった写真が本になったものを見せられ、
「これを撮った人と会ってみたいねと、みんなで話をしたんですよ。」
 と教えてもらい、それは大変な自信になり、僕にとって後につながる極めて大きな出来事になった。
 その重要な出来事だって、「下手糞でも出来る仕事があるし、仕事をする方法もあるし、それを教えてあげるからまずやってみなよ」と、代理人の立場から言ってもらえなければ、なかったはずだ。
 写真売ることのプロの目から見れば、
「こうすれば仕事が出来るじゃない!道が開けるはずだよ。」
 と、写真家には見えにくい道筋もあるに違いない。それがすべてではないが、僕は1年に1〜2度、写真を売ることのプロの話を聞きに行くことにしている。
 今回は、僕と同世代の出版関係者との出会いの場をセッティングしてもらった。年配の方からはたくさん教わることがある。ただ、年配の方は大抵は僕よりも先に引退してしまう。
 それに対して、同世代の人とは長く付き合うことができるし、同世代の人との出会いは非常にありがたい。

 

2006.12.18(月) 道に迷う

 自宅から事務所までの通い慣れた道のりで、自分でも信じられないのだが、時々道に迷うことがある。
 僕は大抵生き物や自然や写真撮影のことを考えているから、考え事が過ぎて、うっかり曲がり角をやり過ごし、しまった!と適当に見ず知らずの道を曲がってみると、そこが団地だったりして方向感覚を失い、訳が分からなくなってしまうのである。
 だいたいそんな風だから、人と待ち合わせをする時には、その分の時間を見越して、十分ゆとりをもって出かける。
 12時に約束ならまず11時に着くように出発の時間を決めるし、その出発の時間が近づくと、さらに1時間早く出たくなる。

 今日は、北九州空港から飛行機に乗った。北九州空港は駐車料金が激安だから、車で空港に乗り付け、車を駐車場において飛行機に乗るような使い方ができる。
 福岡空港の場合は、車一泊が確か2000円くらいだからあまりに高いし、数日の旅行の場合は、JRと地下鉄で空港まで向かうが、旅行から帰宅してクタクタになったところで、博多の人ごみにまみれて1時間近く電車にのるのは辛いし、北九州空港の開港は非常にありがたい。
 ともあれ、11時50分の飛行機に乗るために、僕の自宅からは10時に出ても余裕があるだろうと思ったが、例によって9時に自宅を出たにも関わらず、何と!道に迷い、かろうじて予約を入れていた便に乗ったという有様。
 飛行機のチケットはホテル代込みの激安のものだが、その分、便やその他の細かな変更が一切できず、予約の便に乗りそこなうと、行きの便だけ別個に航空券を買わなければならなくなる。
 僕は日頃仕事の際には、何か失敗しても、「失敗は付き物!だから何?僕は何度でもチャレンジするよ。」と開き直っているし、その分の余分な労力は一切惜しまないつもりでいるし、少なくとも失敗や思い通りに出来ないことでイライラすることは滅多にないし、自信をもって、いい精神状態で撮影に望むことを心がけているのだが、今回は労力だけでなく、多額な勉強料を支払わなければならなくなるから、いや〜焦った。
 そんなことに使うお金があるなら、たくさん試してみたい撮影機材がある。
 久しぶりにイライラしながら、車を走らせることになった。

 

2006.12.16〜17(土〜日) 留守

 明日から数日事務所をあける。
 アメリカザリガニの撮影とその留守が重なるのではないか?と心配していたのだが、ちょうど、すべての子供が親の元を離れた。

 出かける前にあらかじめ連絡を取っておきたかった方がおられるのだが、うっかりしていて昨日〜今日は土曜・日曜日だから、どこも会社はお休みで電話が通じない。
 日頃あまり曜日を気にすることなく暮らしているから、僕はよくそんな失敗をやらかす。しまったなぁ。
(EOS5D 100mm) 

 

2006.12.15(金) 新しい照明器具

 日本の自然写真家には細工を好まない人が多いが、欧米の写真家の作品を見ると、さまざまな細工が施してあり、そこには自然観や発想の違いがあることに気付かされる。
 たとえば、暗い場所での撮影の際にはストロボと呼ばれる照明器具がしばしば使用されるが、ナショナルジオグラフィックなどの海外の雑誌に目を通すと、そのストロボの表面に色付きのフィルターを取り付けるなどして、光の色をわざと赤っぽく変え、その結果、夕方のような雰囲気を演出するようなテクニックを見かけることがある。
 ところが日本の自然写真家は、自然の光で写真に色が付くことは好んでも、そうしたフィルターワークで色を付けることを非常に嫌うし、僕もその例外ではない。
 ただ、あまりに頑なな日本人を見かけると、あまのじゃくな僕は、「心を柔らかくして、学べるものは身に付ければいいのではないか?」と反発を感じることもある。
 たとえば、洞窟の中で撮影をする際に物の色を忠実に表してしまうと、洞窟の雰囲気がすべて消し飛んでしまい、実に味気ない。時には、写真に色を付け、洞窟の雰囲気を演出することだって、あっていいと思う。
 その点に関して言うと、日本の自然写真家が、欧米の写真家よりも明らかに想像力に欠け、劣っている部分があると感じる。自分のスタイルに執着するあまり、結果的にただの勉強不足に終わっているケースが多いように思う。
 デジタルカメラの場合は、撮影の際の光に色をつけなくても画像処理で色を付けることが出来るが、色を付けると不自然になりことの方が多く、思ったよりも難しい。
 通常僕は、撮影したその日のうちに画像処理を終えることが多いが、先日洞窟内で撮影したコウモリの写真に関しては、なかなかイメージ通りに作業を進めることが出来ず、そこで、毎日4〜5枚ずつ、丁寧に画像処理を施している。

 これまで、何度か洞窟の中でテスト撮影を重ねてきたが、自然の光が一切入らない洞窟の中では、照明の使い方がほぼ100%写真を決める。これを本格的に撮影しようと考えるのなら、技術と言うよりも照明器具の良し悪しが物を言うだろう。

 そこで、今日は新しい照明器具を1つ注文することにした。
 およそ10万円だから決して安くはないが、それを常に持ち歩いておくと、コウモリの撮影以外にも野鳥や小動物の撮影で、思わぬところで大活躍しそうな予感がするので買ってみることにした。
 本当はそのお金で、遊びのカメラとしてオリンパスのデジタルカメラを買う予定だったのだが、どうしても実用品が先になる。遊びの道具を持てる身分になりたいものだ。
(EOS5D 100mm) 

 

2006.12.14(木) 人柱

(撮影機材の話)
「EOS5Dを水の中で使用するための専用ケースを特注しよう!」
 と、先日日記に書いたら、
「私はここの製品を気に入って使用していますよ!」
 と、見ず知らずの方からあるメーカーを推薦をしてもらったのだが、それは、まさに僕が受注をしたいと考えていた小さな工房だった。
「う〜ん、良さそうだな。」
 と思っていたメーカーを、実際にそこの製品を使用しておられる方から、
「いい工房ですよ!」
 と勧められたのだから、一刻も早く発注をしたい気持ちになる。
 ただ問題は、水中ケースを作るためには、型を取るためにカメラやレンズを送らなければならないことで、手持ちのカメラを送ると、今度は当面の仕事に使用するカメラがなくなる。
 そこで、今僕が気に入って使用しているキヤノンのEOS5Dの後継機、それはEOS7Dという名前で25万円前後であり来春の発売と噂されているが、それが発売されたら一刻も早く入手し、カメラを2台体制にした上でどちらか一台を工房に送ろうかと思う。
 がしかし、僕は、こう!と思ったらすぐに取り掛かりたいタイプだから、待ち遠しくて仕方がない。あまりに待ち遠しくてどうにもならないので、一層のこと今使用しているEOS5Dをあと一台買ってしまうか!とそんな気持ちになる。
 だが、EOS5Dには、気に入らない部分も幾つかあり、その中の1つが僕をどうしても躊躇させる。
 それは、9月4日の日記にも書いたが、イメージセンサーとセンサーの手前にあるローパスフィルターの間にゴミが入り込んでしまう欠陥があり、そうなるとメーカー送りの修理になるが、僕自身が体験しただけでなく、同様のトラブルをたまに耳にする。福岡のサービスセンターの方によると、10%くらいのカメラで見られる現象だというから、かなり高い確率に僕には思える。
 だから、やっぱり新製品の登場を待とうか、と思い直すのである。

 さて、センサーとフィルターの間に入り込むゴミは論外だが、通常の使用でセンサーに付着するゴミ程度であれば、僕はそれほどには気にはなっていない。
 フィルムをスキャンしてみればよく分かるが、その際に付着するゴミの量はデジタルカメラの比ではなく、フィルムを掃除しても掃除してもどうにもならないことが多い。それでもちゃんと印刷できてきたわけだから、デジタルカメラはフィルムよりもマシだと、僕は考える。
 ただ、日頃のメインテナンスはまめにするし、今回は新しいゴミ取り器具を買ってみた。
 ちょっと試してみたのだが、この製品は、正直に言うと、イマイチだと思う。ブラシでセンサーに触れるため、静電気の状態によっては、掃除前よりも汚れてしまうこともある。
 それでも、たまには人柱になるのもいいだろう。
(EOS5D 50mm ストロボ) 

 

2006.12.13(水) 脱皮の研究

 アメリカザリガニは脱皮の研究の材料としてよく知られているが、僕が高校時代には生物の教科書の中にも必ず登場し、X器官だとか、Y器官だとか、サイナス腺などといった言葉を憶えたものだ。
 そこでは、アメリカザリガニの脱皮のメカニズムについて学んだ。
 昆虫の脱皮にしても、アメリカザリガニの脱皮にしても、それはホルモンと呼ばれている物質の支配下にある。そしてホルモンは人の体の中にも存在する大変に重要な物質だが、ホルモンの基本的な性質については、昆虫やザリガニから調べられたことも多いと聞く。

 さて、今僕が撮影しているアメリカザリガニは、過去の僕の経験から言うと、あと数日うちに恐らく脱皮をするだろう。
 卵を産み、子供が孵化をすると、アメリカザリガニの親はしばらく子供を抱えて過ごすが、子供が独立を始めると、やがて親が脱皮する。
 つまり、アメリカザリガニの脱皮はホルモンによって制御されているわけだが、子供の有無はそのホルモンの分泌に何らかの影響を与えるのだろう。恐らく、子供の存在が脱皮を抑制するようになっているのだと思う。
 では、メスの親の体は、子供の存在をどのようにして感じ取っているのだろうか?
 もしかしたら、子供たちが親の背中に登るこの行動も、親の側から見れば、その重要な刺激の1つになっているのかもしれない。

 子供を抱えている間は、アメリカザリガニのメス親は実に穏やかであり、子供たちにたかられても、じっと堪えていることが多い。すべての動きがスローモーションのようであり、子供を不用意に傷付けないようになっている。
 僕は生き物を擬人化することはあまり好きではないが、そんな僕でも、 『愛情』という言葉がつい頭に浮かぶ。
 そうした性格の変化も、間違いなくメス親の体内に存在する何らかの化学物質によって制御されているのだろうが、それもホルモンの働きではなかろうか?と、僕はひそかに思う。
 もしも今、僕が学生に戻り、実験生物学に携わるのなら、そんな研究をしてみたいなぁと思う。

 あまりにひどく子供たちが親の体にたかると、母親と言えどもさすがに堪えきれなくなり、脚を使って子供たちを追い払うことがあるが、その動きも実に穏やかで優しい。
(EOS5D 90mm ストロボ) 

 

2006.12.11〜12(月〜火) 穴ポコの奥

「風景の専門家が撮影する風景写真よりも、生き物の写真家の中で、風景も熱心に撮影する人が撮影した風景写真の方が好きなんですよね。」
 と、もう10年以上前のことになるが、昆虫写真家の海野和男先生に話してみたことがある。すると、
「それは何でもない身近な自然風景にカメラを向けた写真ということだよな。」
 と、先生から返事が帰ってきた。

 そう言われてみれば、一般に風景の写真家が、富士や有名な滝や広大なお花畑など、誰の目にも風光明媚に映る場所にカメラを向けるのに対して、生き物の写真家が撮影する風景写真は、日頃自分が観察をして歩いている身近な景色にカメラを向けたものが多い。
 先生に言われてみれば確かにその通りであり、僕は自分が何を欲しているのかを教わった。
 プロとして写真を撮るのであれば、自分の思いが言葉にできるくらいによく整理されていなければならないのではないか?と、その時に感じたことは、今、このホームページの日記として実践されている。何となく考えていたり感じているのではなくて、書いてみる。
 残念ながら僕の場合、パソコンに向かい文章を書いている時にはある程度それができても、写真を撮っている時にはそれが出来にくい。ただただ生き物や自然と接していられることが幸せで、作家として自分の気持ちをよく整理することがおろそかになるが、来シーズンはそれを意識して訓練したい。
 ちょうどその当時、僕は沖縄の写真家・湊和雄さんの『山原の自然』という写真集を見て、日頃主に昆虫を撮影している写真家が撮影した風景写真に心を打たれ、同じように大きなもの〜小さな生き物までしっかりとした写真が撮れるようになりたいと望み、海野先生にそう話してみたのだが、
「それを一番最初に徹底してやったのが、今森君だよな。」
 と先生がおっしゃった。今森君というのは、里山という言葉を広く知らしめた写真家である有名な今森光彦さんのことだ。
 今森さんの里山以降、今自然を考える時に世間の目は『里山』というところに集まっているような感があるが、僕には僕なりに提案できるものがあるから、チャレンジしてみたい。

 さて、この4月にムカシトンボという清流にすむ希少なトンボの羽化のシーンを紹介したことがある。
 その場所では、崖の中の穴ポコから川が突然に始まるのだが、あたりは平尾台と呼ばれ石灰岩で出来ていて、幾つかの鍾乳洞があって、中に地下水が流れている。
 その地下水が最初に地表に姿を現すまさにその場所で、ムカシトンボが見られる。
 そして、その穴ポコの奥には、場所によってはコウモリが棲みついている。 
 
 洞窟の規模は山口県秋吉台の秋芳洞のような観光資源になるようなスケールではないし、風景写真家が題材にするほど一般受けする景色ではないから、風景の写真家に任せておいても、永遠にその場所を認知してもらうことはできないだろう。
 それを生き物の視点、ムカシトンボが生息する水質というような視点で何とか表現してみたい。 

(EOS5D 17〜40mm) 
(EOS5D 70〜200mm) 
(EOS5D 100mm) 

 

2006.12.10(日) 町に出かける

 北九州のある高校に魚部(ぎょぶ)というユニークな部活動が存在することは、以前にも一度書いたことがある。魚の調査を主な活動にしているようだが、そのレベルは非常に高い。
 魚以外にも水棲昆虫あたりも調べているようで、福岡県では初記録になるような種類を見つけ出したり、ゲンゴロウの仲間だけで県内で35種類もを記録しているそうだ。果たして昆虫写真家でもゲンゴロウの名前を35種類も言えるものだろうか?
 確か動物奇想天外のようなテレビ番組でも取り上げられたし、先日は、魚部のホームページを見ていると、ビーパルの取材を受けたとあった。
 自然に携わる活動をしている人の中には、何かに取り上げられたくて取り上げられたくてたまらない人も多くおられるようだが、魚部は何にも媚びることなく、面白い!と思うことに無心で取り組んで、その結果テレビや雑誌に注目されるのだから、そこには教えられることも多い。
 僕はだいたい目立つことが好きではないし、日頃自分を宣伝することは滅多にないが、誰かが積極的に宣伝をする様子を目にしたりすると、同じように宣伝しなければならないのではないか?と考えることはある。
 中には、日頃はほとんど何の活動もしていないのに、何かことがあればすっ飛んで行き、専門家としてマスコミに取り上げられようとする方もおられるし、生き物を相手に何か活動をすることよりもミーティングに参加することの方に熱心な方もがおられる。
 それがプロのなのかな?と思うことがある。でも、やっぱり違うと思い直す。
 一生懸命生き物を見つめ、写真を撮り、その結果、あなたの意見を聞かせてくださいと、世間の方から求められるようになりたいと思う。仮に自分を積極的に売り込むにしても、その前に自分が無心になって出した結果が大切なのだと思う。
 その魚部のどじょうの展示会が、北九州市の小倉にある水環境館で開催されていることを知り、今日はその展示会を見に行ってみた。

 本当は誘いたい人がいたのだが、平日が定休日になっているようなので誘うことができず、僕一人で出かけ、そのついでに小倉の町を歩いてから帰宅した。僕は人ごみが大嫌いなので町に出かけるときは大抵平日の人が少ない時間帯を選ぶが、今日はあえて、日曜日のもっとも人が多い時間帯に行ってみたい場所があったのだ。
 ここのところ、子供向けの本が並んでいる棚の付近に椅子が置いてある書店を時々見かけるのだが、日曜日の親子連れが多い時間帯に書店をうろうろして、子供たちがその椅子に座ってどんな本を手に取っているのかを見てみたかったのだ。
 本が売れなくなりつつあると言われているが、それを打開するには一体どうしたらいいのだろうか?
 ところが、そこには不思議なくらいに真剣な顔をして本を読む、たくさんの子供たちの姿があった。
(NikonD70 28〜75mm) 
 
 さて、アメリカザリガニの親子の撮影は、やり直しをした甲斐があった。
 過去に注文が寄せられたにも関わらず、使える写真がなくてリクエストに答えることができなかったシーンを、幾つか撮影することができた。
 親のひげの上で遊んでいる子供の写真もそんなシーンの1つだ。
「それは遊んでいるのではない。」
 と言いたい方もおられるだろうと思うが、僕には遊んでいるように見える。
(EOS5D 90mm ストロボ) 

 

2006.12.08〜9(金〜土) フリーになる

 昆虫写真家の海野和男先生が先日ペルーに出かけた際に撮影した蝶や蛾の写真を、ちょうど今、先生のホームページの中で見ることが出来るが、それらの写真を見ていると、学生時代のことが次々と頭の中をよぎる。
 僕は海野先生の本を見て、写真家になりたい!と決意したことは、以前にも何度か書いたことがある。
 当時、先生は、年間100日日本で取材、100日東京の事務所で仕事をして、100日海外取材に出かけるのだと話をしてくださったが、先生が熱帯で撮影した蝶の写真をみているうちに、僕はついに抑えられなくなり、
「自然写真の仕事がしたい!」
 と、具体的に動き始めた。
 すべてのきっかけだったのだから、それらの蝶の写真は、僕にとって学生時代の思い出のるつぼでもある。
 当時暮らしていた部屋、当時の生活、大学の研究室の空気、当時好きだった人・・・。そして、すっかり忘れてしまっていたのだが、それらの思い出の中に、自然写真家などという自分の腕一本で生きていく仕事を選ぶ不安があったことが思い出された。

 もちろん不安は今でもあるけれども、僕の手を止め、足が動かなくしてすくませてしまうような質の悪い不安は、もうここ数年経験していない。
 安定を求めるのなら自然写真家などという職業はあり得ないだろう。
 一生懸命自然写真に取り組んでみて、僕が分かったことはたった1つ。フリーの自然写真家の世界は、どうしてもやりたいからやるのか、それともそれ以外なのか、選択肢は2つに1つしかない、とても単純な世界だということだ。
 どうしてもやりたいのなら、不安定であることを心配することに何の意味もないし、そんな心配をする時間があるのなら、一生懸命写真を撮った方がいい。
 ただ、自分も不安だったことがふと思い出されると、これから何かをやろうとする人が不安になる気持ちも理解できる人間になりたいと思う。

 さて、手作りの冊子が時々送られてくる。
 ある出版社に勤めておられる凹工房氏がこしらえたものだ。
 僕は凹工房氏の編集を絶対的に信用しているし、氏の編集は僕の心にピタリと気持ちよく収まる。
 そうでなければならないと思っている訳ではない。たとえば、女性の編集者が編集を担当すると、そこには男性には出せない味や理解できな感覚があり、またいいと思う。
 中には、それを、
「生き物のことをよく知らないお姉ちゃんが本を作っているから・・・」
 と嫌う写真家もおられるが、僕はそんな風に感じたことはない。
 ただ、感覚がピタリと合う編集者と仕事ができる時間は、写真家には必要だと思う。その時間があれば、今度は、自分とは異質なものを持っている人との時間を楽しむゆとりが生まれる。
 その凹工房氏は、フリーになり、新しいことにチャレンジする決意を固めつつあるようだ。
 考えても仕方がないことを考えるのは愚。でも、やる!という大前提の上で前向きによく考えたり、準備や勉強すべきこともあるに違いない。
 
 

2006.12.07(木) 親の背中

 親の背中にたくさん乗っかったアメリカザリガニの子供たち。
 先日、そんなシーンが今度は上手く撮影できそうだ!などと書いたが、昨日〜今日は、子供たちが親の尾っぽの裏側に隠れ込んでしまい、ほとんど出てこない。
 一体どんな条件の時に、子供たちは親の背中にたくさん登って来るのだろう?
 ある時は、そんな行動が見られ、またある時は見られないということは、何か規則性があるはずだし、親の背中に登る行動には何か意味があるのだと思う。
 その意味を知りたいなぁ。

 もう数年前のことになるが、親の背中にアメリカザリガニの子供がたくさん乗っかっている僕の写真を見た、淡水魚の調査に携わっておられるある方が、
「またまた、カメラマンがこんなヤラセをやっちゃって・・・」
 とからかい半分におっしゃったことがある。
 その方は、どうも僕がザリガニの子供を親の背中に乗っけて撮影したのだと勘違いされたようだが、ユーモアがあるシーンは、生き物通からは、しばしばそんな目で見られる。
「作り物だ。」
 だとか、
「自然を美化している。」
 などという批判の気持ちがそこには込められている。
 ところが、自分で撮影してみると、その批判は意外に当たらないことの方が多いことに気付かされる。アメリカザリガニの親の背中に乗っかった子供たちのシーンもそうだが、通が作り物だと思い込んでしまうようなユーモラスな現象が自然界には実際にある。
 むしろ、通は、しばしばそうしてユーモアを排除することで、自分が通であることを主張したがる嫌いがあるように思う。
「こんなヤラセだめだよ。」
 などと誰かが発言すれば、その人が真面目で、本物志向のこだわりのある人間のように思えてくるのだが、実は、その人がただ知らないだけ、そんなケースも多々あるように思う。
 もちろん、生き物の定番のシーンの中には完全にカメラマンが作っている写真もあるが、それでも、その原型は必ずと言っていいくらい自然界にある。
(EOS5D 90mm ストロボ) 

 

2006.12.06(水) E−mail

 E−mailが返ってくるよと、何人かの方から連絡があった。
 そう言えば、「Warning!! (The number of messages in your mailbox exceeded the local limit.)」
という件名のメールを、ここ数日で何通か受け取っている。
 だが、毎日メールを受信しているのに、「メールボックスがいっぱい」なんてあり得ないと思ったし、放っておいたら、やっぱり不具合が生じていた。
 原因は、迷惑メールを防止するためのフィルターである。
 僕は、迷惑メールを自動的に振り分けるシステムを利用しているのだが、その迷惑メールを振り分けたフォルダーの中に1000通ほどのメールが貯まっていて、それがメールボックスを満タンにしていたと判明した。
 振り分けられた迷惑メールは、数日で自動的に削除されるのだが、削除される前に1000通貯まってしまったようだ。つまり、送られてくる迷惑メールの数が増えて、自動的に削除されるペースを上回ったことになる。
 しかし、迷惑メールをただ振り分けるだけでなく、何か反撃するシステムがないものだろうか?
  
 ここ数日で、メールを送信したのに返信がないと言う方は、お手数ですが、再度送ってください。大変失礼しました。

 

2006.12.05(火) 今度は

 来シーズンは、ガラリと撮影のリズムを変えようかと考えている。
 定番の、お決まりのシーンにカメラを向ける時間をずっと短くして、その代わりに、自分が自然の中を歩き、自然を見つめ、
「ああ、面白いなぁ。」
 と感じたことを伝えられる写真を撮るための時間を増やす予定だ。
 ここ2〜3年くらいで、面白いなぁと感じることが心の中に貯まってきて、その思いが抑えられなくなりつつあるので、今年も多少試してみたのだが、もっと踏み込んで試してみようと思うのである。
 僕はこれまで、とにかく何事もやってみなければ分からないし、何も言えないと、興味を感じることも、逆にあまり興味を感じないことも、好き嫌いを言わずに試してきたのだが、今度は、
「これが自分の見方だ。やり方だ。」
 と、1つ形を決めて、徹底して写真を撮ってみたい。
 具体的には、生き物を通して環境について語る。
 昆虫写真家の海野先生と一緒に作った 『都会にすみついたセミたち』 という本は、先生がテーマを設定してくださり、まさにそんな視点の本だったわけだが、今度は、自分の視点でテーマを設定し、自分なりにやってみる。
 最近、先生が何をしたかったのか、ほんの少しではあるが、分かるような気がする。だから、それをもっと発展させて、生き物の本作りの世界に定着させたい。
 そのためには、例えば今撮影しているアメリカザリガニの撮影などは、スパッと一度で終わらせなければならない。

 アメリカザリガニの親の背中に子供たちが乗っかっているシーンがなかなか撮れなくて、先日モデルを変えてみたら、今度は上手く撮影できそうな感じがする。
 数匹の子供が、積極的に親の背中に乗ってくる。
 明日〜明後日くらいが、撮影には最善の日になるのではないか?と予測している。
 前のモデルの時は、親の頭のあたりにいつも子供が一匹。そして尾っぽの上にあと一匹。親の背中の上に登ってくる子供は、待っても待っても、いつも合計二匹だった。
 だから思い描いたシーンを撮影することが出来なかったのだが、雑然と親にくっついているように見える子供たちにも、ちゃんと決まった居場所があり、その二匹はいつも同一個体だったのではないか?とそんな疑問が湧いてきた。
 そんな目で、アメリカザリガニの親子を見つめてみると、今回もやっぱり同じ傾向がある。
 つまり、アメリカザリガニの子供が身の回りの景色をある程度覚えているわけだが、ザリガニは、同じ節足である昆虫よりもずっと頭がいいような印象を受ける。

(EOS5D 90mm ストロボ) 

 

2006.12.04(月) 人間

 先日、ある場所で貝の名前をたずねられ、
「スクミリンゴガイだよ。」
 と答えたら、
「おぉ、すげぇ。よく知っとるなぁ。」
 と歓声があがった。ついでに、
「一番好きな生き物は何ですか?」
 と聞かれたので、
「人間だね。」
 と答えておくことにした。

『いじめられている君へ』 というテーマで、朝日新聞に色々な著名人が文章を書いていて、僕はいじめ問題に特別な思いがあるわけではないけれども、誰がどんな意見をもっているかには興味を感じる。
 昨日は、アルピニストの野口健さんの文章だったが、大変にひき付けられるものがあった。
 生き物は生きることに精一杯。
 そして、危険な山に登り仲間を失い、自分自身も死を身近に感じてみると、そこには生きたいと望む自分がいて、人も生き物たちと同じであることが分かり、それまでの悩みがとても小さなことに感じられたのだそうだ。
 山に登れと勧めたいのではなくて、学校だけが人生じゃないと伝えたい。人間は人間を時に傷付けるけれども、人を助けてくれるのもまた人間だと、山に登り気付かされたのだそうだ。
 
 僕は、子供の頃から成績が悪かったし、いつも先行き不透明で、学生時代は進路のことなどまともに考えた記憶がない。いや正確には考えることが怖かったから避けていたのだと思うが、ただ1つ、
「生き物と直に触れ合いながら暮らしたい。」
 という思いだけは、物心ついた頃から常に心の中にあり、やがてその思いが、自然写真家という選択肢に結びついた。
 だから僕の場合は、自然写真を撮って有名になりたいわけではないし、評価されたいわけでもないし、そんなことよりも自分がなるべく生き物の傍にいたい。僕の写真はとても利己的な世界であり、最終的な目的地は自己満足なのかもしれないなぁと思う。
 だが、そんな僕でも、だれも僕の写真を見てくれる人がいなければ、つまらないだろうなぁと思う。
 自然写真に限らず、人が自然に没頭しようとするとき、そこには、人間社会から逃れたいという気持ちがどこかにあるような気がする。
 それでも、やっぱり突き詰めていけば人間が面白いのである。人類滅亡の日がきて、もしも僕が最後の一人になったなら、アホらしくて、自然写真など撮る気にはならないだろう。 
 
 

2006.12.03(日) 口

 先日、サンショウウオを飼い続けているという方に、
「餌は?」
 とたずねてみたら、
「ミミズを入れて眺めていると、すぐに食べにきますよ。」
 と返事が返ってきた。
 その様子を想像してみると、なんだか微笑ましいというか、楽しくなった。
 撮影用のモデルではあるが、僕も生き物をたくさん飼育している。だが、僕は気が付けば、仕事!という感じで、なるべく世話の手間が掛からないようにと効率のことばかりを考えている傾向にある。忙しい時には、餌を入れたものの、食べるところまでは確認しないで、次の作業へと進んでしまうこともある。
 だが、できれば何でも楽しめた方がいいと、内心思う。
「あっ、食べた食べた。」
 とか、どうせ生き物を飼い世話をするのなら、何でもいいから興味を持って観察できれば、日頃見落としている、カメラを向けるべき面白いシーンだってあるに違いないと思う。
 何であるにせよ、楽しそうにできる人、義務にしてしまわない人が僕は好きだ。楽しそうにやれる人からは、教えられることが多いように思う。

 犬は、群れの中で目上の相手に挨拶をする際に、口を舐めるのだと、どこかで聞いたことがある。
 そう言えば、うちの犬も、帰宅をして頭を撫ぜていると、顔を近づけてきて口を舐めようとする。
 だがふと考えてみれば、犬と人とはだいぶ姿勢や形が違うし、なぜ僕の口が、口だと分るのだろう?と不思議に感じることがある。
 人といっしょに暮らすうちに、
「あっ、あそこから食べている。」
 とか、
「あそこから声を出している。」
 などと学習して憶えるのだろうか?それとも、そんなことは、本能的に分るものなのだろうか?
(COOLPIX 5400 ストロボ) 

 

2006.12.02(土) 駆除

 撮影用の水槽の中から、アメリカザリガニの子供たちを取り出して、代わりに、また孵化をして間もない子供を抱いているメス親を入れた。
 昨日も書いたが、撮りたいシーンがまだ撮れないので、モデルを変えて、再度チャレンジすることになった。
 この子供たちを水槽の中に残しておくと、中の水草が食べ尽くされてしまう。特に、成長が著しい時期には、植物質のものをあっと驚くくらいに多量に食べる。
 アメリカザリガニと言えば、魚を襲って食べてしまうイメージが強いが、水槽の中で長期間飼育した範囲では、僕の場合は、そうした例は過去に一例もないことは、以前にも書いた。
 恐らく、野外でも主に死肉と植物質のものを食べているのでは?と推測しているのだが、植物質に関しては、相当な量を食べるので、もしも日本固有の生き物に対するアメリカザリガニの影響を心配するのであれば、植物の方を重点的に考えなければならないだろう。
 ただ、水辺の植物に関しては、一般的に言うと、陸のものに比べるとアマチュア愛好家が少なく、どこに何が生えているのかが、あまりよく調べられていないような印象を受ける。

 一方で、アメリカザリガニを水槽に入れておくと、岩や砂利を覆ってしまうような見苦しい苔が生えにくくなる。 すべてザリガニが食べてしまうのである。
 アメリカザリガニは、非常に水質が悪く、他の生き物が住みにくい町の水路にもしばしば住みつくが、そうした場所のアメリカザリガニをすべて駆除してしまうと、その代わりに、そこが苔だらけになったしまう可能性だって考えられる。
 場所によっては、アメリカザリガニが何らかの形で貢献していることだって十分あり得るように思う。
 都会の汚れた水路にすみついたアメリカザリガニやオオカナダモなどを見つめていると、どんな環境であろうが、そこには何らかの生き物が生息していることが必要であり、人間の目から見れば帰化生物というやっかいな存在も、その環境から必要とされ、何らかの仕事を与えられた上で、そこに住んでいるような気がしてくる。
(EOS5D 17〜40mm ストロボ) 

 

2006.12.01(金) 泥臭い撮影 

 画面中央の黒い布の後ろにはアメリカザリガニの撮影用の水槽がある。
 黒い布は、中のザリガニから僕が見えないようにして、生き物の自然な振る舞いを引き出すためのものだ。
 先日から継続しているアメリカザリガニの撮影が一段落ついた。
 その間、事務所をあけることができなかったので、ザリガニの撮影と、その待ち時間に事務作業とを組み合わせていたのだが、事務的な仕事が長く続くと、僕は具合がおかしくなってくることは、以前にも何度か書いたことがある。
 気分が晴れなくなり、
「僕は一体何のために生きているのだ?」
 とウツ気味になってくる。だから、事務作業は日頃からまめに片付け、その手の作業をなるべく溜め込まないようにはしているが、とにかく、僕には事務職は100%勤まらないだろうと思う。
 この日記の誤字脱字、日付や曜日の間違えを見れば分る通り、僕にはひどくルーズなところがあるし、細かい作業が好きではないし、書類などという奴はそばに置いてあるだけでも気が滅入ってくる。
 学生時代を思い出してみると、たった一枚の履歴書を書くのに何度も何度も間違えて、買ってあった用紙があっという間になくなり、また新しいものを買いに出かけたことが今になってよくうなづける。

 アメリカザリガニの撮りたかったシーンは、まだ撮れていない。だから、モデルを変えて再度挑戦する予定だが、次が3度目の挑戦になる。
 以前に比べると、ここのところは撮影の確実性がずっと高くなっていて、何度も失敗を重ねてやっと写真が撮れるというようなケースが少なくなっているのだが、今回は久々に泥臭い撮影になりそうだ。

(撮影機材の話)
 先日、山口県内の博物館に出かけた際に、知人が勤める山口県内にあるカメラ屋さんに立ち寄り、キヤノンのEOS30Dを買って帰った。
 それに伴って、これまで使用していたEOS20Dを中古カメラの買い取り専門店へと送り、査定をしてもらい、63000円で買い取ってもらった。新しいカメラがおよそ130000円だから差額が67000円になる。
「武田は考え方がセコイ!」
 と思われるかしれないが、このカメラを仮に1年半使用したとすると、月々3700円くらいの換算になり、その程度であれば元が取れるだろう。
 僕は35ミリ判フルサイズセンサーのカメラが好きだから、APSサイズのセンサーを搭載したカメラはもう買わないつもりでいたのだが、最近になって、それはそれなりにいい面もあるという事実を再認識し、また購入することになった。以前はレンズの焦点距離が足りない場合は1.4倍のテレコンバーターを使用したものだが、その代わりに、カメラを35ミリ判フルサイズセンサーのカメラから、APSサイズのセンサーのカメラに取り替えるような使い方があるだろう。
 実は、EOS20Dは、過去に僕が使用したことがあるデジタルカメラの中で唯一全く好きになれなかったカメラだ。どうしても好きになれなかったから、よほどにそれでなければならないケース、具体的にはキヤノンマウントのAPSサイズのセンサーを搭載したカメラが必要な時にしか使わなかったし、僕は、基本的にはニコンのカメラの作りや絵作りが好きだから、APSサイズのセンサーのカメラを使う時は迷わずニコンを手にしてきた。
 だが、その好きになれなかった部分が、30Dではギリギリ許せる程度に改善されている。
 画質そのものは、20Dと30Dとの間に違いはない。
 30Dは、この冬の水鳥の取材の際に使用する予定だ。

   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2006年12月分


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