撮影日記 2006年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

 2006.2.28(火) 645デジタル

(撮影機材の話)
 ペンタックスから発売される予定の、645判をベースにしたデジタルカメラの画像がWEBで見られるようになった。そのカメラを仮に645デジタルとしておこう。
 さらに2006年中に、645デジタル専用の55ミリレンズの発売も予定されている。
 元々645判シリーズの標準レンズは75ミリだったが、今回55ミリが真っ先に発表されたということはそれが標準レンズになるのだと思われる。つまり645デジタルのイメージセンサーのサイズは従来より一回り小さく、ちょうど35ミリ判のフィルムとAPSサイズのセンサーを持つデジタルカメラと同じような関係になるのだろう。
 僕は元々、ペンタックスの645判のフィルムカメラでほぼすべての仕事をこなしてきたし、そのデジタル版には大変に興味があり、100万円以下の予定だというアナウンスを信じ、発売後すぐに購入できるように自由に使えるお金を100万円ほど確保しておいた。
 がしかし、意志が弱い僕のことである。そのお金はグングン目減りし、今や通帳の残高を見る勇気もない。
 そのカメラを、たとえ人柱とからかわれても真っ先に買うどころか、自分にとって本当に必要な機材は何かを考え直す必要に迫られている。
 また、ニコンからD3Xなどという35ミリ判フルサイズのセンサーを搭載したカメラが、万が一にも発売されれば、それこそ予約を入れてでも買わなければなならいし、そのためのお金も必要になる。

 そこでまず考えるべきは、645デジタルの画質だ。果たして、645判のフィルムを上回るのだろうか?
 35ミリ判とAPSサイズのセンサーを搭載したデジカメの場合であれば、僕はまだまだ35ミリ判のフィルムに画質面では分があると感じる。とすると、645判のフィルムカメラと645デジタルとでも同じ関係が成立するのだろうか?
 がしかし、センサーが645判のフィルムよりも一回り小さくなるとは言え、画素数が1800万画素程度に抑えられているので、デジタルカメラの弱点であるダイナミックレンジその他が一気に向上し、その一点の効果で、フィルムを越えたか?というような絵をたたき出してくれるかもしれない。
 画質というのはいろいろな要素が組み合わさった結果であるから、何か1つでも大きな弱点があれば、それだけで非常に画質が悪く感じられたり、また、例えば、逆に、何か1つが改善されただけで、非常に画質が向上することもあり得るのだと思う。
 例えば、イオス5Dと、ほぼ同じ画素数のD2Xの画質の解像感を比較すると、5Dの方が比較にならないくらいにシャープである。つまり画素数が大きく影響すると言われている解像感だって、画素数以外の要素も多分に関係するようである。
 ともあれ、仮に645デジタルが発売されたとして、印刷物上でフィルムよりも画質が劣るのであれば、僕はフィルムを使う。
 したがって冷静になってみると、慌てて注文をする代物ではないし、それだけの経済的なゆとりもなくなってしまったが、非常に楽しみに思う。
 ただ1つ心配な点は、ペンタックスのデジタルカメラは、すべて書き込み速度が遅いことだ。
 ぼくは100%RAWで撮影しJPGを使わないので、書き込み速度が遅いカメラは、画質うんぬんの前に、どうも使う気になれない。
 ペンタックスの志向や、叩き出す絵は大好きなだけに、いつもその点を非常に残念に思う。

 

 2006.2.27(月) 更新情報

 今月の水辺を更新しました。

 

 2006.2.26(日) ナカヤママイマイ

 ある自然写真関係者との話の中で、
「北海道で海ガモを撮影してこられたのですね!」
と、海ガモの話題が出たが、僕は、海ガモの面白い形や色が大好きだ。
 海ガモとは、主に海に生息するカモを総称する名前であり、非常にマイナーなジャンルだと言えよう。
 僕の主なテーマは淡水の水辺だが、陸から撮れる被写体は、たとえ海に生息しても淡水扱いにしており、海ガモの撮影は非常に楽しい。
「だけどねぇ、オタクな鳥だから、下手したら僕の一生のうちに一枚も写真が売れない可能性もあるよね!」
「確かにマニアックですからねぇ。滅多に写真は売れません。」
「いやいや、売れない可能性もあるじゃなくて、売れない可能性の方が高いのか?」
「あっ、でも図鑑には必ず必要になるし、みんな一生懸命撮ってないからあまりいい写真もないし、そんな機会さえあれば売れやすいかも・・・」
 人は、あまり写真を見かけないような生き物を撮影すれば、写真が売れやすいのだと勘違いしがちだが、名前をよく知られている生き物は、それだけ多く写真も流通しているからこそ知られているのであり、大抵の場合は逆である。
 その中でも、マイナーなカタツムリのオタク度は、間違いなく最高レベルであろう。
 写真が売れたほうが奇跡に近いような種類が山ほど存在し、それらに関しては、もしも写真の貸し出しの依頼があれば、逆に僕の方が、
「いったい、何の用途に?」
 と唖然としてたずねるだろう。
 
 さて、北九州にはナカヤママイマイという、オタクなカタツムリの中でも究極レベルのオタク度を誇る種類が生息するようだ。
 荒川静香選手のイナバウワーを見ると、僕はどうも知り合いの稲葉君の顔が思い浮かんで仕方がないが、ナカヤママイマイと聞くと、小学校の時の同級生で野球が得意だった中山君を思い出す。
 分布は、まさに北九州のみ。
 僕はまだ見たことがない。が、今日は、比較的多く見られるという場所へと出向き、現地に詳しい方に、大まかな場所を教わってきた。
 と言っても、その方も見たわけではない。事情を書けば、国立公園の中に建物を建てることになり、調査をした際に、たくさん採集されたと記録が残っているに過ぎない。
 付近には、ハッチョウトンボが生息する湿地もある。

 

 2006.2.25(土) まめ

「車に寝泊りして辛くないですか?」
 と、よく訪ねられるが、最近は完全に慣れてしまい、取材中にその手の苦痛を感じることはない。
 正確に言うと最初の2日くらいは恐ろしく体がだるいが、それさえ乗り越えてしまえば、後は10日でも20日でも、同じようなものである。
 だが以前は正直に言うと、特にプロのなろうと決意したばかりの頃には強がりを言った部分もあった。
「いや〜楽しみやなぁ。」
 と出かけつつ、例えばひと月の取材であれば、内心、
「やっと1週間がんばったなぁ。」
「うぉ〜2週間踏ん張れた!」
「まだ3週間しか頑張ってないのか・・・」
「やっと帰れるぞ。」
 という面も無きにしも非ずだった。
 がしかし何事も繰り返すと上手くなる。蓄積ができる。さまざまな要領を掴んだ。
 特にこの冬の長期取材の際は、ただ体調万全で撮影が出来るだけでなく、抜群の集中力を維持できた。
 とにかく、最高の状態が毎日毎日続き、非常に新鮮な気持ちで生き物たちにカメラを向け、一日があっという間に終わる。
 ついに底無しの集中力を身に付けたのと勘違いをし、帰宅をしたら免許皆伝宣言をしようかとももくろんでいた。
 だが、家のふとんで一日眠ると、その後は長旅の疲れが押し寄せてくる。やはり、多少は疲れてもいるようであり、免許皆伝などとんでもない。

 さて、帰宅をして丸一日くらいゆっくりしたいと思っていたが、あらかじめ待っていた仕事に加え、さらに新しい撮影も入り込んでくる。
 今日は、ひと月放っておいたカタツムリたちの世話をしつつ、「植木鉢にとまったカタツムリ」を撮影することになった。
 今日は、2パターンの写真を撮った。
 いずれまた同じような注文がくるだろう。それにあらかじめ備えたわけだが、そうしてまめに備えることで、また自由な時間を得ることができるし、行きたい場所へ行くことが可能になる。
 免許皆伝宣言ではなく、まめ宣言くらいにしておこうと思う。
 現在、屋外の日陰で飼育中の大半のカタツムリは膜をはって冬眠中だが、同じケースの中には、ほんの2〜3匹に過ぎないが、すでに目覚めているものもいて、まだ寒いので非常に動きが鈍く、実に撮影しやすい。

 

 2006.2.24(金) 故障

 北日本取材から帰宅して、一気に画像処理やら何やら片付けてしまおうと思ったら、なんと画像処理用のパソコンが故障して入院することになった。
 故障の箇所はDVDドライブで、ディスクへの書き込みが出来ない。
 車に寝泊りする生活の緊張感がまだ残っているうちに、面倒な仕事を気合いで終えたかったのだが、肩透かしにあった。
 出発の直前には、プリンターがおかしくなった。
 取材に出かける前日に、デジタルデータに添付する見本のプリントを作ろうとしたら、どうしても一箇所だけ筋が入る。
 結局、その筋が入ったままのお粗末なプリントを添付するしかなく、それに甘んじたのだが、プリンターも入院中である。
 ここのところ、本当によく物が壊れる。
 北日本取材中にカーナビを買い換え、レンズが一本故障したことを書いたが、他にもおよそ4万円近いタムラック製のカメラバックのジッパーが壊れてしまった。
 カメラバックは、町の技術者さんにお願いして修理をしてもらうかとも思ったが、ジッパーの故障はだいたい癖になり、性質が悪い。
 僕の場合はリックサックタイプのカメラバックを背負い、渓流や山道を長距離歩くことが多いのだから、そんな場所でジッパーが締まらなくなり、手でバックの開閉部を押さえて歩く自分の姿は想像したくないし、先日同じものの新品をまた1つ注文した。
 タムラックの752は僕が最も気に入っているカメラバックで、今回注文したもので4つ目になる。
 カメラバックは別にして、近頃は新製品が次から次へと登場するご時世ではあり、技術革新の後にはそんな時代が必要なのだとは思うが、そろそろ、寿命の長い、作りが確かな製品を安心して所有したいと最近感じる。 
 帰宅後は、疲れが多少出ていることもあるが、物の故障がそれに輪をかけている。
 新しい物がドンドン発売されるのも面白いが、僕は、やはり確実で確かな仕事が好きだ。

 さて、日記を更新しようとしたら、エプソンから電話があり、故障箇所は、故障というよりはその機種特有の機械的な欠陥であることが分った。

 

 2006.2.22(水) 新製品

(撮影機材の話)
 ニコンから新しいマクロレンズが発表された。超音波モーター内蔵、手ブレ補正機構付で、デザインもいい。
 レンズのボケ味は別にして、性能のうちの数値で表現できる部分に関しては、恐らく極めつけであろうことが予測される。今すぐにでも予約を入れたくなる。
 だが、今の僕はそれどころではない。
 近々、キヤノンのイオス5D用の水中ハウジングがアンティス社から発売されることが分り、何よりも先に、それを手に入れる必要に迫られているのだ。
 水中ハウジングとは、水中撮影の際に、一般的に発売されているカメラを収める専用の防水ケースのことである。

 僕は、アンティスという、主にニコン用の水中ハウジングを販売するメーカーの製品を使用してきたが、そのアンティスが、とうとうキヤノン用の製品も作ることになった。
 イオス5D用の水中ハウジング自体は他社からも発売されているが、今回アンティスから発売される製品は、それまで僕が使用してきたニコン用のアンティスのアクセサリーがすべてそのまま使用できる。
 特に一眼レフカメラの場合、レンズを交換することができるが、当然、水中ハウジングもポートと呼ばれるレンズ部分を交換する必要が生じ、つまり、マクロレンズ用、魚眼レンズ用、広角レンズ用と、使用するレンズの種類の数だけポートが必要になる。
 そしてポートは決して安くない。
 僕は、一度は特注の水中ハウジングを作ることを考えた。
 カメラはもちろんイオス5Dであり、ポート部分は手持ちのアンティスのものを持ち込み、それが使えるようにしてもらおうと。
 それが、まさにそんな製品がこのタイミングで発表されたのだから、僕にとって極めて経済的で、都合がいい製品だと言える。
 それでも本体だけで25万円前後だと言われているので、他のものを買っているゆとりはないのだ。

 ならば、キヤノンのイオス5Dではなくて、ニコンのデジタルカメラを使えば良かったのでは?と考える人もおられるだろう。
 ニコンのデジタルカメラ用の水中ハウジングであれば、すでにアンティス社から発売されているし、当然、今まで使用してきたアンティスのアクセサリーも使用できる。
 だが水中ハウジングは非常に高価で、デジタルカメラがモデルチェンジをして画質が良くなったからといって、新しいデジカメ用の水中ハウジングをホイホイと買うわけにはいかない。つまり、画質の面で寿命が長いデジタルカメラを選ばなければならない。
 かといって水漏れの可能性が否定できない撮影でもあり、あまりに高価なカメラは使いたくない。
 さらに淡水の水中撮影は大変な労力を要する撮影であり、写真が気に入らない場合にでも、ちょっと撮り直しということが出来にくい。一度の撮影で、確実に納得できる写真を撮りたいし、それが出来る機材が求められる。
 それが可能なデジタルカメラは、フルサイズのイメージセンサーを搭載して、しかも比較的低価格のイオス5D以外にはない。

 

 2006.2.21(火) 帰宅

 無事に帰宅することが出来た。
 唯一の心の残りと言えば、西日本ではもう冬が終わりつつあることだろうか。今年は、いつものように凍りついた冬の渓谷を歩くことができなかった。
 ひと月の取材と言っても、僕の場合、取材のそのものの準備には大して時間を必要としない。靴や、画像を記憶させるためのハードディスクが普段より大げさなだけで、基本的にはいつも通りであり、せいぜい1時間もあれば出発の準備は整う。
 長い間の積み重ねで、日頃の僕の九州〜山陰・山陽あたりでの装備は、ひと月の取材でも、冬の北海道でも、十分過ぎるくらい通用するところまで熟成している。
 ただ写真の貸し出しに関することや事務的な仕事を終わらせておくことには、今回大変な労力を要した。
 こんなに大変なら一層のこと取材を取りやめにしようか?と、いったい何度考えたことだろう。
 それでも予定通りに決行できたのは、多分、
「北日本取材の予定を組んでいる。」
 と前もって日記に書いてしまい、ある部分、引っ込みがつかなくなったからだろうと思う。
 昨年末に上京した際に、ある方から、
「これをやるぞ!と先に日記に書いてしまえば?」
 とアドバイスをしてもらったのだ。

 ならば、次も書いておこうと思う。
 僕は日頃、まず出版業界の需要に応え一枚でも多く商品価値のある写真を撮り、そうして得たお金で今度は好きな場所へ出かけ、思いっきり自然を堪能することを当面の目標にしてきた。
 それが僕なりに思い描いた理想の生活であった。
 作家であることよりも先に、まず需要に応えることができるすぐれた技術者になることを目指してきた。
 技術の面ではまだまだ修行が必要だと思う。が、多少の自由を手にし好きな場所に出かけることに関しては、ようやく出来るようになりつつある。
 今度はただ写真を売るのではなくて、メッセージ性を持った本作りに取り組む。
 もちろん、文章も自分で書く。
 当面のテーマは2つあり、それぞれ2年ずつ、合計4年以内に主な撮影を終えたい。
 1つは、このホームページのギャラリーの中の「湧き水の池にて」で紹介している池である。
 この池は、車で15分も走ればビルが建っているような町の中にあるが、ご覧の通りの透明度であり、この環境は脅威という他はない。
 この池のあり様、不思議、そしてこんな澄んだ水が未来永劫残って欲しいという僕の思いを、全身全霊をかけてぶつけたいと思う。
 水中と言えば人工の照明であるストロボを使用するのが一般的だが、すべて自然光で撮影したい。
 2つ目は、12月分の今月の水辺の中で紹介した、ある山上の水辺だ。
 東京ドームほどの大きさのこの湿地は、季節によって湿原〜沼〜草原と変化し、訪れるたびに景色が異なる。
 生き物たちはその変化を巧みに利用する。が、実に際どいバランスの上に成り立っている生態系である。
 周辺には、ツキノワグマも生息するようであり、もしもツキノワグマがこの湿地を訪れるのであれば、写真におさめたい。
 そして、その場所にたどり着くまでにはかなり苦しい道のりが待っているとあって、ほとんど誰も訪れる人がない。まさに手付かずの場所だと言える。
 もちろん今まで通り、出版業界の需要に応える努力をすることは言うまでもないし、両立させたい。
 それらの計画自体は、ずっと以前から思い描いてきたし、だからこそ、時々カメラを向けてきたが、メッセージ性を持った本を作るのであれば、費やす時間、労力、僕の技術・・・あらゆる面で半端なことはしたくないし、半端なものは意味がないように思う。
 時には、機が熟するのを待たなければならないこともあるが、まさに今が、そこに踏み込むタイミングではないかと思うのだ。
 決定的なきっかけは、『都会にすみついたセミたち』(武田晋一・海野和男/偕成社)を読んだお子さんが感想文を書き、それが賞を取ったことだ。その時にも、2年に一度くらいはまた感想文を書いてもらえるような本を作りたいと書いた。
 上手く言葉にはならないが、僕なりに何かがつかめたような気がしたのだ。
 
 

 2006.2.19(日) 気持ちのいい自然

 久しぶりにまとまった量、野鳥を撮影してみたが、野鳥の撮影と、一般的な小動物の撮影とで、今回僕が最も違うと感じたのは、光に関することだった。
 小動物の撮影の場合、ストロボと呼ばれる照明を使用することができるが、野鳥の場合、大抵はそれが難しい。
 写真は光によって写るわけだから、つまり野鳥の場合、光に関して写真を作ることが出来にくい。
 ごちゃごちゃした撮影用のアクセサリーは一切なしで、自然の光とレンズとカメラと三脚だけで、生き物とシンプルに向かいあうケースが多くなる。
 もしも逆光で鳥の羽を光に透かして撮りたいのなら、それが出来る時間帯に、野鳥が飛んでくれる場所を探し、そこに自分の方が出向かなければならない。
 小動物の撮影ならストロボを被写体の後ろからあてればいい。
 物を光に透かして撮影すると、大変に美しく写真に写ることが多いが、たったそれだけのテクニックで、例えば虫の羽を光に透かして美しく撮影できる。
 だがその写真を見た誰かが、
「わ〜きれいな羽。」
 と感嘆の声をあげたとしても、実はそれが照明器具の明かりだとすると、何だか嘘っぽい気もする。特に、苦心をして自然の光で野鳥を撮影してみると、その嘘っぽさとちゃちさにハッとさせられることがある。
 が、小動物ばかりを日頃撮影していると、その事実が分からなくなりがちであり、そうしたテクニックを何の疑いもなく受け入れてしまう嫌いがある。
 今回僕は、自分自身を含め、小動物の写真家ってなんてたくさん作っているのだろう!と感じ、反省させられる点が大いにあった。
 作ることができると、どうしても見る人を驚かせてやろうだとか、喜んでもらおうといったサービス精神が働きすぎたり、それによって生き物の特殊な生態を見せたくなる。
 もちろん、それはそれで意味があることだと思うし、僕は、今後も今まで通り小動物の撮影を続けていくつもりだが、もっとシンプルな感動が自然写真の基本にあるべきではないか?と今回感じた。
 野鳥であれば、飛んでいる姿は理屈抜きに魅力に溢れているし、気持ちがいい。僕は、理屈抜きに気持ちのいい自然が、やっぱり自然写真の基本であるような気がしてきた。

  さて、カモやカモメなどの大半は、自然写真の対象としては、はっきり言うと全く人気がない。
  自然愛好家ではなく、一部写真マニアはハクチョウなどを好んで撮影する人がいるが、自然好きが撮る野鳥としては、それらを誰かが本当に一生懸命撮影し、誰かがカモをテーマにしているなどという話を、僕はまだ聞いたことがない。
 野鳥観察の対象としても人気がない。
 スズメやカラスに続いて、何となくそこらにいる鳥という位置づけであることが多い。
 そこで僕はそれをシンプルにストレートに撮影して、何とかして人気者に持ち上げる努力をしてみようと思う。これから数年は冬場は水辺の鳥の撮影に力を入れるつもりだ。
 (ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン/ニコンD2X・600ミリ)

 

 2006.2.18(土) 裏日本

 復路では山陽を取材しながら移動する予定を組んでいたが、山陽にはとにかくゴミゴミした場所が多い。
 人ごみや車の渋滞を不得手とする僕は、恥ずかしながらあっという間にギブアップ。
 今日は、兵庫県、岡山県と一箇所ずつ撮影したところで急遽予定を変更し、山陰側の島根県へと退避をすることにした。
 裏日本、表日本という言葉があるが、僕は裏日本が断然に好きだ。
 もしも引越しをするのなら、大阪〜広島の海沿い、つまり山陽には絶対に住みたくない。逆に、引っ越してもいいかなと思うのは、1に山陰、2に東北だ。

 山陽を苦手としている僕だが、人ごみや車の渋滞に耐えられないだけで、水辺の自然自体は、本来はなかなか面白い場所ではないか?と思う。
 ため池が多く、中にはヨシガモが多く見られる場所があり、海沿いでは数百匹のトモエガモの群れを見たこともある。
 またヒドリガモの群れの中には、稀に日本に紛れ込んでくるアメリカヒドリやアメリカヒドリとの雑種と思われるカモがしばしば紛れ込んでいる。僕は、珍しいということ自体には全く価値を感じないが、生き物の形態には大変に興味を感じるし、日頃あまり見かけない生き物の姿を見るのはやはり楽しい。
 今はどうだか分からないが、僕が生物学の学生だったころには、シーズンになると、ポツリ、ポツリと希少な昆虫であるタガメが見つかるような場所もあった。
 天候も、山陰側に比べると断然に晴れの日が多く、撮影もやりやすい。
 ただやはり、生き物の撮影は、自分にとって気持ちがいい場所で取り組みたい。
 (ニコンD2X・300ミリ)

 

 2006.2.17(金) 西日本

 関西弁は不思議な言葉である。
 大塚愛ちゃんが使えばなんととも可愛く響くが、厚かましそうなおばさんがしゃべれば、それが一転して極めて耳障りになる。
 どうも話し手によって、ニュアンスが変幻自在に変化するように思える。
 大塚愛ちゃんをひいきしているつもりはない。 
 僕は多少憂いがある人が好みであり、一点の曇りもない大塚愛ちゃんのようなタイプはそもそも好みとは異なるのだが、言葉をしゃべる様子をテレビで目にすると、なんて可愛い言葉なのだろうと、ついつい長く見てしまうのだ。
 今日は復路で初めて関西弁を耳にした。
 残念ながら、それはまさに絵に描いた様な関西のおばさんであり、食堂で携帯電話で大声で通話をし、耳が遠いのか、時々
「えぇ?えぇ?」
 と相手に聞き返し、実にうるさい。
 これは絶対に九州にはいないな!と確信を持って言えるようなタイプのおばさまが、そこらにゴロゴロいるのだから、九州で生まれ育った僕は呆気にとられるのみだ。

 西日本に帰ってきて違うなぁと感じるのは、雪が写真に写りやすい点だ。
 辺り一面が凍きそして白い北海道あたりとは異なり、西日本には色があるので、白い雪が目立ちやすい。
 雪の質感も違う。北海道の雪は粉雪であり、雪の日は写真全体が粉っぽく白くなり、意外にも様にならない。
 それから北日本では氷や雪の上で見られるハクチョウが、西日本では茶色い田んぼの上で見られる。 
 中には、顔を泥だらけにして盗人顔で食べる、食事のマナーがなっていないものいるようだ。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン・トリミング)

 

 2006.2.16(木) ロケハン

 曇り空の日は、なるべく空を入れないように写真を撮るのがセオリーである。
 なぜか?
 肉眼で空を見上げると曇り空にも微妙な質感があるが、写真に撮るとそれが写らないのが普通であり、曇りの日の空はただの白い空間として写る。
 それが締まらない写真を生み出す原因になるからである。
 ただ、全く打つ手がないわけではない。いろいろな工夫があり、特に欧米の写真家の作品には、そうした工夫が発揮されたものをよく見かける。が、日本の写真家がそれらを試みた作品はほとんど見たことがない。
 日本人の心情として、自然写真は小細工をせずに写したいのだろうと思う。
 ただ僕はそうしたテクニックに興味を持っていたので、今日は思い付きで、初めてそれを試してみたが、使える!と感じた。
 本来であれば、今日の画像の曇り空は、このような微妙な濃淡を持った状態には写らないはずだ。

 さて、見事なくらいに一日雨に見舞われた。およそ300キロの距離を運転してその間ずっと雨なのだから、撮影は早々と諦めた。
 雨の日にはロケハンをしておくに限る。過去に一度も訪れたことがない場所を、今日は新たに数箇所見て回った。
 生き物の撮影の場合、撮影に適する場所と観察に適する場所とは一致しないことがあるが、特に水辺ではその傾向が顕著になり、完全に手付かずの場所では、植物に阻まれ、しばしば水際に近づくことさえ出来ない。
 今日の画像の植物の奥には、水鳥が多く生息する水辺が存在するが、手も足も出しようがない。。そうした場所を、自分の頭の中の撮影候補地から除外しておくのだ。
 
(撮影機材の話)
 今やカメラと言えば真っ先にキヤノンの名前が出てくるようになったが、僕が写真を始めた当時はニコンだった。
 当時のニコンのカタログは今でも事務所を探せば出てくるだろう。300ミリレンズだけでも、f2ED、f2.8ED、f4.5ED、f4.5と4種類発売されていたし、400ミリレンズでも、f2.8ED、f3.5ED、f5.6EDと3種類ラインアップされていたのだから、絶頂とも言える最近のキヤノンよりも当時のニコンは充実していたことになる。
 それが最近はやたらにキヤノンのユーザーを見かけるようになった。
 実は僕もこの取材の準備を整えつつ、すべて機材をキヤノンに統一した方が効率がいいのかな?とも考えたが、実際にフィールドに出て、どこへ行ってもキヤノンばかりを目にすると、やっぱりニコンにしておこう!とへそを曲げつつ考えを改めた。
 キヤノンの道具は確かによく写るが、これだけみんなが一点に集まる様は異様とも言え、その一員にはなりたくない。
 それから20日以上連日撮影してみて、ニコンの良さを再認識したこともある。D2Xは、やはりすばらしいカメラである。
 例えば、液晶の見え方などがそうだ。
「液晶では、画像の露出やその他、厳密なことは分からないよ。あれは一応の確認用だよ!」
 としたり顔で主張する人がいるが、多分D2Xのユーザーではないと思う。D2Xの液晶は、相当程度使えると言い切れる。
 実際の画像よりも暗部が潰れる傾向にあるが、それさえ把握しておけば、撮影した画像を、かなりのところまでカメラの裏側の液晶で把握できる。
 それがなぜいいのか?と言えば、いい写真が撮れ、それがいいままに液晶に表示されると気分が高まり、もっと撮るぞぉと勇気100倍になれる。
 そんなその気にさせてくれるカメラは、やはりニコンだ。
 35ミリ判フルサイズのセンサーを搭載したカメラが、果たしてニコンから登場するのか?という問題もあるが、僕は、いずれラインアップされるだろうと思う。
(ニコンD2X・12-24)

 

 2006.2.15(水) オナガガモ

 オナガガモのメスの中に、人気者とそうでないものとがいると書いたところで、多くの人にとっては取留めのない話だろうと思う。
 だがカメラを向けてみると、これがなかなか面白く、ついつい長時間撮影してしまう。
 まるで今回の取材はオナガガモのための取材であるかのような気がしてくる。
 九州にもオナガガモは多く飛来するが、九州では池が全面的に凍るような場所がないため、水辺に、存分に撮影ができるような開けたスペースが存在せず、こうしたオナガガモの行動を思うようには撮影することができない。
 北日本の凍りついた池の表面は、カメラを持った僕にとって、撮影のための最高のステージである。

 僕は、多くのファンを抱えたヒロインになれるようなゴージャスな女性はあまり好みではないし、美人を連れてまわりたいなどと思ったこともない。
 美人をめぐって争ったり、競争するようなことも、まったく馬鹿げているように感じる。
 美人は嫌いではないが、そばにいてもらうのならもっと素朴な人がいいし、二人で静かに過ごしたい。
「外見はどうでもいい。」
 と言いたいのではない。
「人は外見ではない。」
 と主張する人も中にはいるが、僕は見かけの好みも大切だと思う。どんなに人柄がよくても、自分が嫌いなタイプの顔の人とは、なかなかお付き合いできるものではない。
 だが好みにさえ合えば、その人が一般的に言って美人ではなくても全く構わないと思うし、むしろ、人はその方が幸せなのではないか?と思う。
「君は好みがマニアックだな!」
 などと言われるくらいが、もしかしたら、最高の幸せを掴むコツではないだろうか?とひそかに疑っているところである。

 さて、多くのオスを引き連れたメスを見て、
「私とキャラがかぶるんだけど・・・」
 などと厚かましくも感じた女性がもしも読者の中に含まれていたら、是非気をつけた方がいい。
 多くの異性をもてあそぶような非人道的な、いや非鳥道的な振る舞いをするメスは、やがて切れたオスに攻撃される運命にある。
(ニコンD2X・600ミリ・トリミング)

 

 2006.2.14(火) ミコアイサ

 結局、昨晩のうちに青森を発った。
 あらかじめ天気が悪いことが分かっている今日は、今回リストアップしてきた場所の中で、まだ一度も訪れたことがない撮影地を一つでも多く見て回ることにした。
 次回の北日本取材ための準備である。
 カルガモは九州でも多く見かけるが、ふと考えてみれば、確かまだデジタルカメラでまともに撮影したことがない。
 ちょうどカルガモを多く見かける池を見つけ、ちょっとカメラを向けてみることにした。

 同じ池にはオナガガモも多く、例によって、人気者のメスを5〜6匹のオスが追い回し、時に喧嘩が始まる。
 ちょうど昼食時で、撮影は試し撮り程度に早く切り上げるつもりでいたが、なかなか面白くて、結局食事抜きで撮影を続けることに決めた。
 
 池の中の氷が張らない場所では、白と黒のパンダ模様のようなミコアイサが見られる。
 ミコアイサはいつも池の中央付近にいて撮影の際の距離が遠く、警戒心が強いイメージがあるが、今日は全く人を恐れる様子がない。
 そういえば以前にも新潟県の瓢湖で同じような体験をしたことがある。その時も、池の中央付近が凍り、周辺部にのみ凍らない場所が残り、そこにミコアイサが取り残されるように見られた。そして、僕のすぐ近くまで近づいてきてくれた。
 デジタルカメラに600ミリレンズを取り付けると、画面からはみ出すような大きさに撮影することができた。
 せっかくなのでオスメスがそろった写真を撮りたかったのだが、今日はオスが3匹のみで、メスの姿を見つけることができなかった。
 一日を通して小雨がぱらつくような天気ではあったが、僕がカメラを取り出した2時間くらいの間はやや雲が薄くて、ギリギリ被写体の色を出すことが出来た。

 取材と言えども、たまに休みもいいかなと思う。だが今回の取材では、結局ほとんど休むことなく写真を撮り続けている。
 体調は日によって多少良かったり、悪い日もあるが、これは当たり前のことであろう。全体としてはグングン上り調子で過ごしてきたし、日にちが経過すればするほど益々快調。
 朝は特に努力することなしに、シャキッと4時に目が覚める。
 ただ、今日は初めて多少の疲れを感じた。
 疲れといっても差し障るような程度ではないが、朝は6時まで目が覚めず、目覚め自体もシャキッという感じではなかった。
(ニコンD2X・600ミリ)

 

 2006.2.13(月) 曇りの日

 開けた水辺の水面には、周囲にあるものが写り込む。
 例えば対岸に建物があれば、水面にその建物が写り、時には水鳥の背景の水に建物の色がついてしまうことがある。
 また水面には空も写るが、曇りの日は水面に白っぽい雲が写り、それを写真に撮ると水は白くなり質感を失う。
 その結果しらけた写真になってしまい、そのような状況で撮影した水鳥の写真からは水のきらめきが感じられず、写真は滅多に売れることはないだろう。
 したがって開けた水辺での撮影は、天気が悪いとほとんど打つ手がない。
 一昨日画像を掲載したカワアイサの写真の場合は、それを防ぐために、水面を氷が隠している場所を撮影ポイントに選んだ。
 また海の場合は、波があれば、波のうねりが水面に質感を生み出すため、曇りの日にも多少は抵抗をすることができる。曇っていても、風が強いような日は波のうねりが生じやすく、一応撮影ができる。
 とは言え、やはり写真の色が出にくく、
「あぁ、光があればなぁ。」
 と、満たされない気持ちになりがちだ。
 今日は、午前中にお日様が顔を覗かせてくれたのだが、初めての場所での撮影であり、その時間帯の間に最適な撮影ポイントを定めることができなかった。ようやく午後になってから要領を得た時にはすでに天気は崩れ、好条件を撮り逃した。
 なかなかいい場所なだけに中途半端な写真では悔しい思いが残る。
 この場所に数日滞在しようか?とも思う。が、明日はさらに天気が悪いという。
 明後日からも、予報の上ではあまり好天は望めそうもないし、2月の末には片付けなければならない仕事が待っているのと、車の車検も近い。
 だが、いい条件の下で、この歌舞伎役者のような顔をしたシノリガモを撮りたい。
 さて、どうしようか?

(撮影機材の話)
 長期取材に出かける場合、もちろん、ある程度は様々な状況を想定して持ち物を準備する。
 だが想像と現実とはやはり異なる。
 事務所にいながらにして完璧な準備などあり得ないし、考えすぎるよりも、不満な部分については、取材先のどこかで物を購入する柔軟さを持った方がいい。
 今回は途中で、データのバックアップ用に、80Gのハードディスクを1つ買った。
 当初は、毎日CDに画像を焼き付けようか?とも思っていたが、やはりそれはスマートではないし、筋が悪い。
 30日の取材のうち、実質20日満足な撮影ができたとして、80Gのハードディスクがあれば、1日平均4G撮影することができる。
 それから出発前に購入したのが、デジタルカメラ専用のハードディスク・飛鳥のトリッパーミニ(40G)だ。以前から使用していたトリッパー(20G)と合わせると60Gの容量があり、それにノートパソコンのハードディスクを加えると80Gになる。
 従来のトリッパーはバッテリーの持ちが悪く、電源がない場所ではほぼ使い物にならない、なにやら矛盾した製品だったが、トリッパーミニではその点がずっと改善されており、さらにサイズが半分になったこともあり、なかなか優れたいい製品になったと思う。
 買っておいて良かった。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン・トリミング)

 

 2006.2.12(日) 大間へ

 朝日の風景の写真を撮りに行こうと、先日早起きしてある山の山頂を目指したが、出発の直前にトイレへ行きたくなった。
 ほんの10分程度だが出発が遅くなった。
 日の出の撮影は太陽が出てしまったら元も子もないから、遅くなった分は、急がなければならない。
 撮影ポイントを目の前にして、走る、走る。
 走りながら折畳んだ三脚の脚を広げつつ伸ばし、同時に、状況を読み、使用するレンズを決め、カメラの設定を考える。
 到着と同時に三脚を立てて、カメラを取り出してレンズを取り付ける。
 撮影を確実にするためのちょっとしたカメラアクセサリーなどを取り付ける暇はない。三脚にカメラを固定すると同時に、とりあえずシャッターを数枚押した。
 が、ほんの15秒くらい遅れた。
 お日様はすでに完全に姿を現し、一番撮りたかった瞬間を撮り逃した。
 一緒に同行した知人は、カメラを三脚にセットしたのち、
「腹が痛くなってきました!トイレに行ってきます。」
 と、公衆便所に向かって走り出したが、当然、日の出を写真に収めることはできない。
 日常生活の中で、
「そんなに急いでどうする!」
 という台詞を耳にすることがあるが、自然を相手にすると、ほんの数秒が勝負を決まることもある。
 その数秒を取り戻そうとしたら、翌日また新たに時間を費やさなければならないし、天候の具合によっては、数秒の遅れを取り戻すために数日要することもある。
 時には大急ぎをしてでもけりをつけておくことが、結果的にのんびりできることもある。
 
 さて、今日は北海道から青森の大間へと渡るフェリーに乗り込み、さらに下北半島の付け根の辺りまで移動した。
 本来の予定では小樽の周辺で撮影をして、明日、函館の港に到着したのちフェリーニに乗るつもりでいたが、小樽での撮影ポイントの状況が悪くて、撮影を午前中に切り上げ、函館へと向かった。
 小樽〜函館間はなかなか距離があり、カーナビが算出した距離を想定できる車の時速で割ると、フェリーの出航時間までにはあまりゆとりがない。
 しかも途中で暴風雪に巻き込まれ、さらに嫌がらせをしているのではないか?と疑いたくなるようなノロノロ運転に阻まれ、それ以上急ぐと危ないと判断し、今日の便に乗ることを一度は諦めたのだが、なんと出航の5分前に到着することができた。
 今度は、ギリギリセーフだ。
 今日は結局、一日でおよそ500キロを走行したことになる。
 冬の北海道で取材すると、車はまるで鼻水を垂らしたかのようでり、白い車は、ごらんの通りだ。
(ニコンCOOLPIX5400)

 

 2006.2.11(土) 不気味カッコいい

 嬉しいことがあると、僕は、その感激を誰かにも味わってもらいたいと思う。
 例えば、昨日のように美味しいものを食べた時。
 それは僕だけの心境ではなく、多くの人が、同じような経験を持っておられるだろう。
 人は、困っている誰かを見かけると咄嗟に助けたくなる性質を持つという。我ままで残忍な犯罪を犯すような人でも、ついついそんな心境になるのだという。
 分かるような気がする。
「私を助けてくださいよ!」
 と半ば強引に厚かましく求められたり、そうは口に出さずとも助けてもらえることが当たり前だと内心思っているような、まだ誰かのせいにする余裕がある人に対しては、多くの人がその求めを拒絶したくなるだろう。だが、困難を受け入れ、黙々と自分の力でそれに立ち向かう誰かの姿を目にすると、今度は進んで手を差し伸べたくなるのが心情だ。
 人には、そんなほとんど本能と言ってもいいような性質があるのだと僕は信じる。
 同じように、心の底から楽しい時は、それを誰かと共有したくなるのが人間であり、写真を撮る動機もまた同じではないだろうか。
 すばらしい自然を目にして感激した時には、他の誰かにもそれを見てもらい喜んでもらいたいし、いい写真が撮れて心が満たされた時には、写真好きの仲間たちにも、やはりいい写真を撮って喜んでもらいと、ごく自然にそんな気持ちが湧いてくる。
 先日、僕の撮影に4日ほど知人が同行したが、最初に多少の手ほどきをして、それが実を結び、知人が喜ぶ姿を見ると、自分自身がいい写真を撮った時とはまた質の異なる満足感があった。

 学生時代に、僕が籍を置いた理学部の環境生物学教室の当時助手であった富岡憲治先生が、
「君たちは、自分が研究したことを発表するのに、なぜ練習が必要なんだ?」
 とおっしゃったことがあった。
「だって、日常生活の中で何か楽しいことがあって、それを友達や家族と話をする時に練習なんて必要ないでしょう?」
 と。
「研究をして、何かを発見をしてそれに感激したら、その気持ちを普段身近な人に話す時のように自然に表に出せばいいんだよ。」
 と教わったことがある。
 写真も同じではないか?と、最近僕は考える。
 これが俺のテーマだ!と、テーマという理屈に自分を当てはめるのではなく、テーマは、その人の感動を素直に写真に写しとめた時に、結果として滲み出てくるものではないだろうか?
 少なくとも、ああしよう!こうしよう!と、考えてひねり出すものではないような気がする。
 写真を職業にする場合は、商売であるから、その部分については多少の戦術も必要になるに違いない。その点に関しては、よく考える必要もあると思う。
 だがその前に、自然写真自体は、無心で撮るものではないかと思う。
 テーマとは、そうして無心になって撮れた時に、後付けて解釈したり、理屈をつけたもののような気がする。
  
 今日は、ようやくカワアイサの姿が、多少写真に写った。
 その色合いがそもそも写しにくい鳥ではあるが、今回の取材では、行く先々でカメラを向けたにも関わらず、最後まで写ってくれなかった鳥だ。
 何とかして撮ってやろうとむきになっていた面もあるが、今日は無心になれた。
 カワアイサは水に潜り魚を捕らえて食べるが、魚の移動の具合の関係か、その位置は定まらない。20〜30分間ある場所で見られると、また位置を変えてしまうことが多いように思う。
 むきになったり、無理にテーマを設定すると、ついそれを深追いしてしまうが、今日は、ここしかない!という場所を定め、そこに小さな群れがやってきた時に、心の底から集中して向かい合うことができた。
 少しピンクがかった白い羽毛。鳥というよりは爬虫類のような表情。今風に言うなら、不気味カッコいい鳥が、ようやく不気味カッコ良く写った。
 あ〜来て良かった。 
(ニコンD2X・600ミリ)

 

 2006.2.10(金) サクラマスの一夜干し

 冬の北海道というと、知床や釧路周辺の、道東と呼ばれる地域の人気が高い。
 それらの場所に関しては情報が多く、設備も整い、取材しやすく、確かに道東は面白い。
 だがよく知られている場所ばかりに出かけるのも怪しからんと思う。今回は、北海道の中でも北部を何箇所か回ってみた。
 北部は天候が荒れ気味であり、設備は乏しく、取材をするのにはなかなか困難な場所であるように感じた。最北の地である稚内にも足を伸ばしてみたが、暴風雪に巻き込まれたことは昨日書いた。
 だが、そうして少しずつでも手の内を広げていきたいと思う。
 その稚内で、今回予定していた場所を一通り巡ったことになるから、あとはロスタイムのようなものだ。明日からは、およそ10日間をかけて少しずつ帰宅する。
 ロスタイムだから、往路とは違った心持でカメラを向けたい。今日は一転して観光気分で、僕のテーマである水辺などという縛りを忘れ、まるで趣味の写真のように、気楽にエゾシカを撮影してみた。

 写真家はテーマを持ち、テーマに沿って撮影することが大切だ。
 だが、自分のテーマに当てはまるものしか撮らないようになると、その人は、だいたい先が見えてしまう傾向があるような気がする。その手の人は、自分が日頃からよく知っている類の被写体にしかカメラを向けられない、保守的な小天狗であることが多い。
 そして小天狗は、やがてウンチクは人一倍たれるものの写真を撮らなくなる。人一倍のこだわりを主張しつつ、同時に情熱を失っていくことが多い。
 獣を撮り慣れない僕が獣にカメラを向けると、やはり勝手が違うが、そこに勉強すべきものもたくさんあるように思う。
 撮りなれた被写体を計算通りに写しとめ、自信を持つことは不可欠だが、撮り慣れない被写体にカメラを向け、
「思い通りに撮れないなぁ。やっぱり俺って下手糞だなぁ。」
 と現実を思い知らせれることも、たまにはいい。

 さて、昨晩、北海道在住の写真家・門間君と、オホーツク海沿いの紋別という町で合流した。
 2人揃えばすることは1つ。美味しいものを食べる他にはない。
 今日は、炭火焼の店に入ってみたが大ヒット。安くて美味い!
 実は、豪華な夕食を食べるために、昼食はおにぎり1つと野菜サラダで我慢したのだが、我慢した甲斐があった。
 中でも、サクラマスの一夜干しは極めつけである。
 ヤマメという渓流魚は味がいいことでよく知られているが、ヤマメはサケの仲間だ。そしてヤマメには降海型と陸封型の2つのタイプがあり、降海型はサケのように海と川とを行き来し、海に下ったヤマメをサクラマスという。陸封型は一生を川で過ごし、これがヤマメである。
 サケの仲間の中でもヤマメは特に味がいいのだから、サクラマスが不味かろうはずがない。そう思い注文したのだが、予想以上の美味しさ!
 サケの中の特級品も、サクラマスの前ではかすんで見えるだろう。
 どちらからともなく、
「次回からは、このお店にくることを中心に計画立てようよ。」
「誰かにこの感動を分けてあげたいよね!」
「うん、この美味しさを体験させてやりたいね。」
 と語り合った。
(ニコンD2X・600ミリ/ニコンCOOLPIX5400)

 

 2006.2.9(木) 暴風雪

 冬の北海道が取材し易いことは先日も書いたが、車に寝泊りする取材は夏よりも冬の方が断然に楽だと僕は感じる。
 今回僕が訪れた場所は、平均すると朝がマイナス15〜16度くらい、昼間がマイナス6〜7度くらいではないだろうか。
 冷蔵庫よりも寒く、食べ物の管理は楽チンだ。
 車内はエアコンを効かすと20度以上になる。
 だが僕の車は商用車であり、後部座席には暖房がない。ドアからの隙間風もあり、後部座席の足元に置いた水を入れたポリタンクにはほぼ一日中、氷が張ったままだ。
 飲み物は、朝起きるとちょうどいいくらいにシャーベット状になっていて実に美味い。
 それから長期取材の場合、どうしてもビタミン類が不足しがちであるから僕はみかんを買うが、これまた一番美味しいくらいの温度に冷える。
 あまりに美味しいので運転をしながらむしゃむしゃと食べると、10個入りくらいの袋が1時間ほどで空になり、爪は黄色くなる。
 ただし、北日本ではみかんが高い。10個入りくらいの袋を買うと400円くらいにもなる。
 九州では、露店のようなお店で買えば100円台で同じくらいの量が買え、ほとんどただのような感覚で食べているので、お金を払う時には一瞬ためらいを感じることもある。

 さて、今日は暴風雪に見舞われたが、暴風雪はやはり油断ならない。
 北海道の雪は粉雪なので、風が強いと粉が舞い、ごらんのような状況になる。車の運転は危険極まりない。
 今日はこのような状態で、およそ60キロほど運転すると、ようやく暴風雪を抜け出すことができたが、時間にして2時間弱、この際どい状況の中で耐え忍ぶことになる。
 途中さらに程度がひどくなり、もう運転をしながら写真を撮っている場合ではない。
 止まると間違いなく後ろから追突されるだろう。そうなると、ただひたすらにハンドルを握り締め、前の車に付いて行くのみだ。 

 今日は北海道の最北端の町、稚内にまで足を伸ばしてみた。
 港では、当たり前のようにアザラシが見られる。
(ニコンCOOLPIX5400/ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコンバーター)

 

 2006.2.8(水) 大きさや小ささ

 この取材に出かける直前に、アメリカザリガニとカタツムリの本を一冊ずつ作りたいという依頼があった。
 その中で、アメリカザリガニと一緒にニホンザリガニも紹介することになったが、ニホンザリガニは主に北海道に生息する生き物であり、僕は写真を持っていない。
 だが一緒に営業用のホームページを作っている北海道在住の仲間が、そのホームページの中でニホンザリガニの写真を準備しており、その結果、それを使ってもらえることになった。
 ただ、仲間は、僕がアメリカザリガニを撮影するように本格的にニホンザリガニの写真を撮ったのではない。写真の品揃えが豊富とは言えない。
 そこで、どこかからニホンザリガニを購入して、スタジオで僕が追加撮影をしようかとも考えたが、北海道に住む水辺の生き物が、しかも真冬に手に入るとも思えず、諦めることにした。
 ところが数日後、生き物の飼育容器を買うために立ち寄った北九州のペットショップで、なんと!ニホンザリガニが売られているのを見つけた。
 ただ残念なことに、産地が不明だ。
 ニホンザリガニは渓流に生息する低水温を好む生き物であり、特殊な機械を使わない限り、九州の夏はおろか、飼育下では北海道の夏も越すことは出来ないようである。したがって撮影が終わり春になったら元の河川に放さなければならないが、産地が分からなければ放すことができない。
 僕は購入を見送ることにした。
 ニホンザリガニの現物を見たのは初めてだったが、小さくて、どこか古めかしい形をしていて、思った以上に魅力溢れる生き物であり、僕は一瞬にしてファンになった。
 写真は何度も見たことがある。その中には、写真としてみた時に大変に質の高いものも含まれていたが、あの小ささや、アメリカザリガニとは全く違う形を表現できている写真はまだ見たことがない。
 特に、写真で生き物の大きさや小ささを表現することは難しいと感じる。
 野鳥の写真でもオオワシやオジロワシの写真はよく見かけるが、あの大きさは全く表現されていないように思う。
 今日は、カモの撮影中に、上空をオジロワシの若鳥が通りかかったが、まあ、なんと大きいこと!それから翼の幅の広いこと!
 数枚シャッターを押し、その中で、たまたま雲が背景に写り込んでいる写真のオジロワシが、雲がないものに比べて大きく見えることに気付いた。
 月もやはり近くに物がある時に大きく感じられ、例えば、真上の月よりも、山の稜線などに出たばかりの月の方が人の目に大きく見えるが、同じような効果なのだろう。
 
(ニコンD2X・70〜200ミリ・600ミリ)

 

 2006.2.7(火) 自然命

 先日、
「武田さんですか?」
 と声をかけられたことを書いたが、その際に、
「是非、家にお越しくださいよ。家には温泉も引いていありますよ。」
 と申し出てくださった。
 いくら厚かましい僕と言えども、初めは、社交辞令かな?と思ったのだが、話をするうちにそうではないことが分かった。
 次回北海道に来る時には、必ずお邪魔させてもらうと思う。
 今日は、北見という町にすむエゾリスの写真家・金田さんをたずねた。金田さんもやはり僕のホームページを見て、数年前から時々メールをくださり、また僕の活動を見守ってくださっている。
 今日まで知人が僕の取材に同行していたのだが、その知人もエゾリスの大ファンであり、エゾリスをきっかけに写真を始めた。そこで今日は、金田さんの案内でエゾリスを見て回った。
 数日うちに、北海道在住の写真家・門間敬行君とも会うつもりでいるのだが、門間君もやはり僕のホームページを見てメールを送ってもらったのが付き合いのきっかけだった。
 今僕がどこで何をしているのかまで伝わるWEBの力の威力は凄いが、それだけではない。北海道には自然命という人が多く、自然好きの聖地であることも忘れてはならないと思う。
 もちろん自然は北海道だけではない。だが、そうして聖地とも言える場所があり、自然好きが集まり、集まった結果、何かを発信出来やすい環境が整い、それが大きな力になるのではないか?と僕は信じる。
 夏の北海道は人が多く、他県ナンバーの車も多く見かける。だが冬の北海道は、ドライバーが休んだり、トイレを利用できる施設である『道の駅』も、夜間はほとんど利用者もなくゆっくりできる。
 冬の北海道に来ると、僕も移住してみようかな?とついつい考えてしまうこともあるし、一流と言われる自然写真家が、北海道には何人か移り住んでいる。
 だが、やっぱり僕はひねくれ者だから、有名な写真家が移住したからこそ止めておこうと思う。その人たちには敵わないからではない。恐らく、それなりに太刀打ちできるに違いないと思うが、写真の被写体としては、知られ過ぎたものは面白くないと思うからである。
 写真には、そういう側面もある。

 さて、先日、立小便は控えようと書いたが、さっそく車の中にトイレを作った。
「ほ〜、取材中にそんな工作ができるの?」
 と驚きを感じる方もおられるだろう。が、何のことはない。口が大きめの2リッターのポリタンクを積んだだけだ。
 そのうち四角い箱のようなケースにビニール袋を入れ、これで大便も可能なトイレが完成したなどと書く日が来るのだろうか?
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコンバーター)

 

 2006.2.6(月) 防寒ブーツ

 今回の取材は撮影に関しては順調だが、その他の部分では、物が壊れるアクシデントが多い。
 最初はカーナビが故障し、先日書いたように買い換えた。
 それから携帯電話とパソコンを繋ぐコードの具合が悪い。ホームページを更新するために電話を接続すると、途中で回線が切断しやすい。
 コードを良く見ると、携帯電話に差し込む側の小さな電気接点の1つが無くなっているが、一応使えるので我慢して使用することにした。
 一昨日は300ミリレンズのオートフォーカスが作動しなくなり故障した。300ミリレンズは、ハクチョウの撮影で主に使いたかったレンズなので痛い。
 その300ミリレンズは、今回持ってきたレンズの中で、唯一、前回冬の北海道で撮影した際にも持っていたものだ。デジタルカメラの登場もあり、僕の撮影機材は、ここ数年でほぼ総換えである。
 カメラだけでなく、車も、パソコンも変わり、防寒ブーツも新しいものになった。

  以前使用してた防寒ブーツは、大学院の1年の時に購入したものだ。
 当時僕はすでにプロの写真家を目指すことを決意し、毎朝5時に起きて近所の水辺で野鳥にカメラを向けた。
 西日本とはいえ、冬はあまりに足が冷たくて、奮発して、ソレル社製のブーツを買った。
 それから10年以上も、冬が来るたびにその防寒ブーツを履いた。
 そうした経緯もあり、思い入れが深く気に入っていた靴だが、さすがに古くなったので、今回は新しいものを二足買った。
 一足は町の中でも履けるタイプで、運転の時や、短時間で撮影を終える場合に使用し、あとの一足は長時間の撮影時に使うマイナス100度に耐える究極の長靴だ。
 果たしてどれくらい暖かいのだろうかと楽しみにしていたが、期待に違わぬ暖かさ!今朝の屈斜路湖はマイナス18度まで下がったが、撮影を終え、靴を脱ぐと、なんと汗をかいている。
 僕は足先が冷えやすく、以前使用していた防寒ブーツでは、冬の北海道ではやはり多少は足が冷たいと感じた。とは言え、定評のあるメーカーの定番の商品であったから、足が冷たいのは仕方がないことだと思い込んでいたのだが、そうではないようだ。
 結局今日は7時間ほど撮影したが、長時間集中して撮影できると、やはりたくさんのシャッターチャンスにめぐり合う。オオハクチョウとマガモの撮影を堪能することができた。

 ただ1つだけ、楽しみを失った。
 以前は、撮影を終え、温泉に入ると、冷え切った足先がジ〜ンと温かくなり、やがてポカポカしてきた。
 ところが究極の長靴を履くと、全く足が冷えないので、いつもの風呂となんら変わらぬ感触なのだ。なんだか味気ない気もする。
(ニコンD2X・300ミリ)

 

 2006.2.5(日) 屈斜路湖の湖畔で

 屈斜路湖の湖畔で
「ぶしつけですが、武田さんではありませんか?」
 と声をかけられた。
 このホームページを見てくださっている北海道在住の方だった。
 元々本州に住んでおられた方で、北海道に移住してこられたのだそうだ。
 そのような自然愛好家が、九州に住む僕がやっていることを面白がって見守ってくださっているのだから、大変に嬉しいことだと感激させられた。
 1つ考えさせられることもあった。
 これからは次第に、うかつに立小便など出来にくくなるなぁと。
 僕は横着者なので、ちょっとトイレまで歩くくらいなら、自然の中では立小便が好きだ。自然の中でなくても例えば高速道路のパーキングエリアで眠るような時も、なるべく静かな方がいいので車を駐車場の隅っこの方に止めるが、トイレまでが遠くなるので、そこらの植え込みの影でというパターンが多い。
 しかし、僕が知らない誰かが僕を知っているかもしれないのだから・・・、これからは、なるべく横着はやめようと思う。

 さて、知人が同行中であることは先日書いた。せっかくだから、いい写真を撮らせてやりたい。
 そこで、条件がよく撮影し易い屈斜路湖のオオハクチョウを被写体に選んだ。
 知人は、
「シャープな写真が撮れない。」
 と言うのでノーハウを教えるとすぐに要領を掴んだ。最新のカメラを持っているようなので、その最新の機能に任せて撮影する方法を伝授すると、シャープな写真どころか、飛翔中のハクチョウを見事に写しとめた。
 ついでに短時間ではあるが、タンチョウの撮影にも出かけ、そこでは、僕が油断しているすきに、僕よりもいい飛翔の写真を撮影することに成功した。
 それをとても喜び、暇さえあれば、デジタルカメラのモニターの画面に撮影した画像を再生して眺めているが、そうして喜んでもらえると僕も楽しい。
 デジタルカメラとオートフォーカスが普及して以来、野鳥の撮影は格段に簡単になったと僕は思う。最も技術革新の恩恵を受けたジャンルではないだろうか?
 最近は、写真をはじめて間もない人でも、あっ!と驚くような野鳥の写真を撮る方がおられる。
 一方で、古くから写真を撮っているのに、これだけ便利な道具が登場した今でも、ほとんど進歩しない人もいて、大抵は保守的な人で、新しいものをなかなか信じない人だ。
 もちろん、新しくて便利なものにも使いこなしはある。例えば、自動的にピントを合わせるオートフォーカスの機能を使いこなすためには、それはそれなりの要領がある。

 僕は、屈斜路湖でマガモにカメラを向けた。屈斜路湖でのカモの撮影は、あらかじめ楽しみにしていた撮影なのでフィルムを使用した。
 今回は、フィルムとデジタルカメラをほぼ半々に使い分けているが、なかなかいい!
 フィルムの場合、帰宅後に現像する楽しみがある。
 デジタルの場合は、間違いなく写真が撮れている安心感があり、半分をデジタルカメラで撮影することで、ミスで、すべての写真がボツだったというような失敗を防げる。
 もちろん、失敗してもいい!という方もおられるが、いい写真が撮れた時の感激はやはり最高。なかなか他の何かでは得られないものではないだろうか。
 僕は、便利な道具を使いこなし、小難しいことを言わずに、いい写真を撮ればいいのだと信じる。
(ニコンD2X・70〜200・トリミング)

 

 2006.2.4(土) 

 前回冬の北海道に来た時と今回大きく違うのは、と、デジタル一眼レフを持ったことだ。
 車は、三菱のデリカ・スターワゴンから、トヨタのハイエース・バンになった。
 デリカ・スターワゴンと言えばゴツイ作りのワンボックスカーであり、アウトドア好きの間では定番の車だが、トヨタに乗ってみると、いかにデリカが手間のかかる面倒な車だったのかがよく分かった。
 デリカは頻繁に部品交換が必要になり、また車の構造が複雑で、部品の交換には時間とお金がかかった。ライトの電球一つ交換するのにバンパーを取り外す必要があり、びっくりするような料金が必要だった。
 かといってアウトドアーで俄然有利だったか?と言えば意外にそうでもない。
 例えば、昨日の朝は気温がマイナス20度だったが、マイナス20度まで下がるとデリカではエンジンがかかりにくく、キーをまわした後で、エンジンが止まらないようにアクセルを何度も踏み込み、吹かす必要があった。
 だが、トヨタはキーをひねるだけで余裕で一発始動する。ハイエース・バンは、アウトドアー用でも何でもないただの商用車に過ぎないのにである。
 またディーゼル車には、エンジンを始動する直前に燃料を暖める「グロー」と呼ばれる過程があるが、デリカのグロー用のプラグは一定期間ごとに劣化し交換しなければならず、一度は冬の北海道でそのタイミングが訪れ、朝エンジンがかからずに、救援を呼ばなければならないアクシデントにも見舞われた。
 救援の力を借りて何とかエンジンを始動し、車を80キロ近く離れた三菱に持ち込み、部品を交換をしてもらったが、丸一日が無駄になった。
 三菱で部品を交換してもらう際に詳しく見てもらったところ、3本あるグロー用のプラグのうちの2本のフィラメントが切れてしまっていたようだ。
 今回は同じようなアクシデントを避けるために、出掛けに整備工場に相談をしたら、ハイエースの場合は、燃料を暖める部品に、フィラメントのような切れる素材を使用しておらず、グロープラグを定期的に交換する必要がないのだそうだ。
 アウトドアで使用する車は、まずメインテナンスが楽な方がいい。
 
 さて、今日は風が強く荒れ気味の天候になった。地吹雪で、時には視界がまさにゼロメートルになる。
 気温がマイマス20度くらいまで下がっても風さえなければ特に辛くはないが、マイマス5度程度でも風が強いと非常に厳しい。
 そんな荒れ気味の日は、いつもなら車の中でゴロゴロして過ごすところだが、今日は、知人が来ているので何か写真を撮らせてあげたい。そこで90キロほど移動して、多少天気が穏やかな場所を探し、ハクチョウにカメラを向けてみた。
(ニコンD2X・70〜200)

 

 2006.2.3(金) シロカモメ

「北海道に来るのなら家に泊まってくださいよ。」
 と、知人が言うので、
「屈斜路湖でハクチョウを撮影するから出ておいでよ。楽しいぞぉ!」
 と返事をしておいた。
 すると、勤めを4日間ほど休むことにしたという。
 どうも、とても楽しみにしているようであり、ならばなるべく楽しい時間になるようにしたい。
 僕は今回予定よりも2日間ほど早く北海道に渡ったが、せっかく知人が休みを取ったのに、例えば海が荒れて船が欠航し、僕が着いていないなどという事態を避けたかったのだ。
 アマチュアカメラマンの場合、写真を撮ってもお金になる訳ではない。
 また、コンテストの常連のような一部の人を除いて、写真を撮ってもそれが名誉になる訳でもない。
 だがそんなとりとめもない時間が幸せで、それが何にも変え難いという人が存在する。
 アマチュアでも写真の世界に深くのめり込み、小難しいことを考えるのも悪くはないのだろうが、僕は、単純にその時間が理屈抜きに楽しいことが一番ではないかと思う。
 そういう意味で、アマチュアの方々に学ぶことも多い。
 また、仲間とはそんな時間を共有したいと思う。
 何か助け合いをする関係が仲間だという人もいる。昔の話だが、ある時、友達になって欲しいと申し出を受け、
「いいよ。」
 と答えたら、
「さっそくで悪いんだけどさぁ。」
 と引越しの手伝いを頼まれたことがあった。
「困った時に助け合わないのだったら、友達である意味がないじゃない。」
 と主張する方で、逆に僕がお願いすれば、きっと喜んで何かを手伝ってくれたのだろうが、僕にはそれが全く理解できない。
 もちろん、日頃親しい人が困っている姿を見れば自然と手伝いたくなるし、自然と手伝いたい時はそうするが、手伝うことを仲間であることの目的にはしたくない。僕は、仲間には労働力ではなく、もっと違ったものを求めたい。
 自分のために働いてくれる人間を必死に求めている人を見るとk、
「いいかげんにしろよ!」
 と言いたくなる。

 さて、シロカモメは、冬の北海道では比較的多く見かける大型のカモメだ。羽をたたんで何かに止まった姿は、同じカモメの仲間で、より数の多いオオセグロカモメを色褪せさせたような印象を受ける。
 薄いねずみ色の体色で、初めて見た時には、どこが白?と感じたのだが、今日、青空をバックに飛ぶ姿を撮影してみて、まさにシロカモメ!と、今更ながら感激してしまった。 
(ニコンD2X・70〜200)

 

 2006.2.2(木) 理由

 生き物の形態って面白いなぁと思う。
 尾っぽがピヨ〜ンと長かったり、頭にとさかのような毛が生えていたりする。
 それがない鳥もたくさん存在するのだから、それらが決定的に役に立っているようには思えないし、僕は自然現象に何でもかんでも意味を求めることには違和感を感じる。
  時には、理由がないこともあるのではなかろうか?
  人は楽しいと脳内にある物質が放出されるという。その物質には人を健康にする力があるという。だから人は楽しんだ方がいい。そんな内容の本が10年くらい前に大ヒットしたが、僕は極めてくだらない本だと感じた。
 そんな物質があろうがなかろうが、人は楽しい方がいいに決まっている。
 何でもかんでも理由を求め、理屈で説明しなければ休まらない人は、病んでいるのではないか?と僕は思う。
 そんな本を読んで、
「ああそうなんだ!それなら楽しもう!」
 と思える人は、そう感じることこそが不幸の始まりではないか?と思う。理屈で説明できないものはたくさん存在するのであり、そんな人は、何か1つ理屈で解決できても、また違う悩みが次々と押し寄せてくるに違いない。
 何の解決にもならないような気がする。

 冬の北海道と言うと、
「寒いでしょう!大変でしょう。」
 とよく言われる。
 だが冬の北海道は、へまさえしなければ過ごしやすい。
 へまとは、例えば車の事故だ。冬の北海道で撮影をするカメラマンの中には、事故で車をおしゃかにした経験を持つ人は少なくないだろう。
 僕も、過去に一度だけ危ない目にあったことがある。何でもない交差点を左折しようとした際に、車が、ミキティーばりの見事な氷上スピンをやってのけた。
 それまでは山間部を四輪駆動で走行していたのだが、市街地に入り雪がないので、運転しやすい二輪駆動に切り替えた途端のアクシデントだった。
 今の車はフルタイム四輪駆動といって、車が自動的に路面にあわせてくれるので、その点はより安全になった。
 幸い後続車がなく、除雪によって積み上げられた雪の壁に激突するだけですんだ。しかも当たり所がよくて、車はほぼ無傷だった。
 冬の北海道の何がいいかと言えば、例えば、公衆トイレが暖房完備である点だ。時にはお湯が出る水道まである。逆に辛いのは、そうした備えが全くない西日本の中の寒い地域であり、例えば冬の島根県や鳥取県は辛い。
 とは言え、北海道は基本的には寒い地域なので、自分の計画を押し通すのではなく、天候に合わせて柔軟でなければならない。
 明日からは、超がつく寒気団が押し寄せてくるという。
 北海道の中でも、特に日本海側は大荒れになりそうだ。寒気が抜けるまでは、東部で撮影するのが手堅いだろう。
 今回は、北海道の先端の稚内あたりで2〜3日撮影してみたいと考えているが、やはり寒くて荒れやすい場所のようなので、この寒気が抜けるのを待とうと思う。数日で、抜けてくれるに違いない。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン)

 

 2006.2.1(水) 暗部の表現

 デジタルカメラとフィルムの画質を比較すると、
「まだフィルムの方が上ではないか?」
 と、僕は過去に何度か書いたことがある。
 ただその場合の画質とは一概に定義できるものではなく、どの部分に着目するかによって、厳密に言えばケースバイケースであろう。
 例えば、デジタルカメラの画質を、散髪したばかりの髪型に例えるなら、フィルムの画質には、散髪して数日たち、髪が自然に馴染んだかのような落ち着きがある。また食べ物の味に例えるなら、味の深みを表現する『こく』という言葉があるが、発色のこくはフィルムがいい。
 つまり、数字には表しにくい部分で、フィルムの画質が上回っているように僕は感じているわけだが、それを重視しない人は、デジタルの画質に特に不満を感じないのではないだろうか?
 またシーン別では、明るい部分の表現に関しては、フィルムが断然にいい。
 だが暗部の表現はデジタルカメラがいい。
 野鳥の撮影の場合、曇りの日に黒っぽい鳥を撮影するケースでは、暗い部分の再現に優れるデジタルカメラが断然に有利であることを、僕は今回の取材でヒシヒシと感じつつある。
 今日の画像のカワアイサも、顔の黒っぽい部分が曇りの日には完全に黒くつぶれる傾向がある。過去にフィルムで山ほど撮影し、そのほとんどすべてボツだったこともあるが、デジタルカメラを使ってみると一応使えそうな画像が得られる。
 先日、雪の中のヒシクイの画像を掲載したが、ヒシクイも同様で、過去に曇りの日に雪の中で撮影した写真は、鳥の体色がすべて黒くつぶれ使用に耐えないものばかりだったが、デジタルカメラでは、それがそうではないのである。
 結局、僕のフィルムとデジタルとの使い分けは、フィルムで撮れる条件の日は、こくを重視してフィルム。だがフィルムが厳しい時は、デジタルカメラを使う。次第にそんな使い方に落ち着きつつある。
 とは言え、黒っぽい鳥は、できればある程度お日様が見える日に撮りたい。
 今日は一日曇りだったため撮影を取りやめにして たまたま見つけたコインランドリーで洗濯をすることにした。
 僕が本格的に写真を撮り始めた12〜3年前に比べ、最近は便利な施設がたくさんできた。車に寝泊りする取材は格段に楽になったが、コインランドリーは意外に見つけにくい。
 今回の取材は天候に恵まれ快調だが、あまりに快調過ぎて、時には時間が惜しくて昼飯抜きで写真を撮り続けた日もある。そしてその分、撮影を終えた後はクタクタで、日記の更新をする時間帯にはほとんど何の気力が残らない日が数日続いたため、今日の曇天はちょうどいい休日になった。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン)
 
  
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