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2006.1.31(火) フェリー

僕は船が嫌いなので、なるべく船には乗らないようにしているが、車で北海道に渡るためにはフェリーに乗るしかない。
船に乗る時間が最も短いのは、青森県の大間から北海道の函館への航路だ。
その場合の乗船時間は、2時間を少し切る程度であり、それなら船嫌いの僕も、特に苦痛もなく我慢できる。
今回は、初めてその航路を選んでみたが、フェリーに乗船する車はわずか9台と少なく、車を持ち込まない乗客もほんの数人で客室はガラガラだ。実にこじんまりしていて、なかなかいい!
船だけでなく飛行機も好きではない。船にしても飛行機にしても、束縛される感じがどうも苦手なのだ。
疲労の度合いから言うと、秋田や新潟あたりから北海道の苫小牧行きのフェリーに乗るのが、陸路を走るよりも楽だが、僕はたとえ運転がきつくても束縛されたくない。
今日は移動日で撮影の予定はなかったのだが、フェリーの待ち時間に、港の付近で鳥を探してみた。
(ニコンD2X・70−200ミリ・トリミング)
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2006.1.30(月) コクガン

コクガンは、海辺に飛来する、その名の通り黒っぽいガンである。
黒い被写体を写真に撮る場合は、光が十分に当たらなければ、黒がベタッと潰れがちであり、つまり天候を選ぶ。
今日は、太平洋側で好天が予報されていたので、裏日本から、青森県〜岩手県あたりの海辺へと移動し、コクガンにカメラを向けてみた。
海辺の鳥であるコクガンの場合、天候に加えて潮の満ち干の影響も受けるため、なかなか手ごわいのではないか?と想像していたが、実に呆気なく撮影することができた。
以前にも何度かコクガンを撮影したことがあるが、まともに写る条件に恵まれたのは、今日がはじめてだ。
今回の取材は、カーナビの具合が悪くなり新しいものへと買い換えたこと以外は、実に快調であり、本来の予定よりも2日早く、北海道へと渡れそうだ。
唯一ケチが付いたカーナビの故障も、新しいものを取り付けてみると、数年の間にずっと使い勝手が良くなっているし、また、より細かい道まで表示されるようになった。
特に海辺で撮影するようなときは、海沿いを車で走りながら、海のすぐ側まで行けそうな、一般的な地図にはない小さな道に一つずつ入ってみるのだが、細かい地図のカーナビは、そんな時に大変にありがたい。
今日、コクガンを撮影した海沿いの道は、多分、ナビがなければ気付かなかっただろうと思う。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン)
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2006.1.29(日) モテモテ

数百羽のオナガガモの群れの中にも、なぜかもてるメスとそうでないメスとが存在する。
僕の印象では、モテモテのメスは100匹に1匹くらいの割合だと思うが、実に不公平にも見える。
そのメスが歩くと5〜6匹のオスが付いて回り、オスどうしは喧嘩もするし、また時には、思い通りになれ!ということだろうか、オスがメスに襲い掛かることもある。
仲間たちの大半はじっと休んでいるのだから、そうしたメスの周辺だけが騒がしい。
不公平あり、嫉妬あり、ドメステック・バイオレンスに類する現象までが見られるのだから、オナガガモの世界も甘くはない。
今日は、そのメスを注視し、その周辺でおきる出来事を主にフィルムで撮影してみた。デジタルカメラは一般的にフィルムよりも簡単に撮影できるが、条件さえ整えば、フィルムの方が扱い易い面もある。
今日の狙いは、現象を撮影するだけでなく、雪の中で、絵としても完成された写真を撮ることである。
昨日ヒシクイを撮影する際に、鳥までの距離がもっと近いポジションがあったのだが、車を止めるための適当な場所がなくて諦めた。
雪道では、たとえ短時間であっても、道端に車を止めると、僕の車を避けるために人様が事故を起す危険性がある。
さすがに雪国ではそうした面のマナーはよく守られていて、関西あたりの棒弱無人さとは対照的だが、マナーと言うより必要に迫られていると表現した方がいいのかもしれない。
車で雪道を走ると窓ガラスがひどく汚れるが、雪国のガソリンスタンドでは、その汚れを丁寧に落としてくれる。九州でも窓を拭くサービスはあるが、おまじない程度に窓をさするような拭き方が多く、明らかに汚れが落ちていないことの方が多い。
窓をきれいにするというよりは形式化されている。
もっとも、雪国では本当に必要に迫られているからそうするのであり、九州では真剣に窓ガラスを拭く必要がないとも言えるが、僕は形式化された振る舞いが好きではない。拭いたふりをするのなら拭かなくていいと日頃感じる。
自然写真の世界にも形式化された振る舞いはある。
例えば、生き物の写真の世界にも、写真がよく売れるシーンとそうでないシーンとがあるが、売れるシーンをただ撮ればいいのか?と言えば、そうではない。
最低限の質が求められるのはもちろん、同じような写真をたくさん撮り、写真の量もなければ、たとえ売れるシーンの写真といえども、箸にも棒にもかからないだろう。
僕でも、買い物をするのなら品揃えが豊富な店で買いたいし、逆に、うちには写真を選べるだけのバリエーションがありますよと、そこを見せなければならない。
ところが売れるシーンを数枚撮影して、それで何かを事を成し遂げたと勘違いする人も意外に少なくない。そして、
「いや〜売れるって聞いたけど、売れないよ。」
と言うのだが、それではただ形式を整えただけで、まだスタート地点にもつくことが出来ていないのである。
写真の場合、才能もあるとは思うが、最後は、形だけ整えるのではなく本当の意味でやり遂げる執念と情熱と泥臭さが求められているような気がする。
(ニコンD2X・70−200ミリ)
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2006.1.28(土) ヒシクイ

いつも、鳥に近づくことが出来なくて撮影に苦心するのが、マガンとヒシクイである。
だがマガンの方は、先日30メーター以内の距離にまで近づくことができた。比較的天気にも恵まれ、それなりの撮影ができた。
あとはヒシクイだが、こちらはやはり手強い。
かなり注意深く鳥との距離をつめてみたが、今日、一番大きく写ったのが上の画像だ。
ガンの仲間は稀に九州にも迷って飛来するが、本場は北国である。したがって九州に住む僕にとって、名前をよく知っているにも関わらず、日頃滅多に見かける機会がない鳥だ。
マガンの方は島根県と鳥取県の県境付近に比較的大きな群れが飛来し、まだ馴染みがあるが、このヒシクイは、日頃全く馴染みがない上に警戒心が強いときているから、特に憧れを感じる鳥なのである。
今回の取材でも、ヒシクイの写真を撮れそうな場所は、何箇所かリストアップした。
ガンの仲間が多く飛来することで最も有名なのは、恐らく宮城県の伊豆沼だが、伊豆沼は表日本であり滅多に雪が積もらないため面白くない。できれば、北国の雰囲気があふれ出してくるような、雪の中のヒシクイの写真を裏日本で撮りたい。
ただ、裏日本はどんよりと曇りやすい。鳥の姿がきれいに写るような天候にはなかなか恵まれない。
ヒシクイにカメラを向ける前日は、撮りたい!という憧れと、でもどうせ思うような写真が撮れないだろうなという諦めに近い複雑な心境になる。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン)
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2006.1.27(金) ナビ

カーナビの調子がおかしいことは、以前にも書いたことがあるが、この肝心な時に、その症状が悪化しつつある。
衛星からの電波が時々届かなくなるのだが、割合的には正常に動いている時間帯の方が長く、修理に出しても、
「症状が出ませんでした。」
とそのまま付き返されてしまうため修繕ができない。
修理に送るとしばらくナビを使えなくなるだけでなく、ショップでナビを外してもらう必要があり、直りもしないのに、取り外すための代金だけを支払う羽目になる。
カーナビにはマッピング機能という働きがあり、衛星からの電波が届かなくても、ほぼ地図に沿って正しく走ることができる。
だが一旦何かの拍子に地図からはずれてしまうと、衛星からの電波がなければ、あとは暴走するのみであり、ナビの機能を果たすことができない。ところが異常が現れているときでも、車を停止したり一旦エンジンを切ると、また正常に動き出すことが多く、どうにもならないわけでもない。
いったいどうしたものかとほとほと困り果てていた訳だが、今日は取材の途中ではあるが、全国チェーンのお店で新しいカーナビを購入することにした。
その新しいナビもいずれ故障する可能性はあるし、その時は、今日取り外した古い分を取り付ければ、故障はあるものの、しばらくはしのぐことができる。予備も含めて2台持っていてもいいだろうと考えることにした。
前回ナビを購入した当時は、まだカーナビが製品として熟しておらず、買った直後にでも不満を感じる面もあったが、さすがに今回購入したものは出来がいい。超気持ちがいい!
ナビの威力は絶大であり、道に迷うことなく最短の時間で目的地に到着できるため、実に効率よく撮影ができ、その結果、ナビの代金くらいはいずれ元が取れてしまうし、他にもたくさんの恩恵がある。
とは言え、やはり出費はないに越したことはない。
実は、今回の取材のための準備の段階から、ニコンのフィルムカメラF6が欲しいなぁと感じはじめていた。そして数日野鳥を撮影してみて、その思いをさらに強くしていたのだが、この出費でF6購入の夢は消え失せてしまった。F6はナビよりもさらに高価なので、しばらくは手が出そうもない。
さて、いつナビを買おうか?と考えた。
ナビの取り付けには数時間かかる。したがって、天気が悪くてどっち道撮影ができない日にしたい。
今日の新潟は、裏日本独特の鉛色の空とみぞれ混じりの雨で、さすがに野鳥の撮影は難しく、今日がその日である。
(ニコンCOOLPIX5400)
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2006.1.26(木) 常識

「これだから素人は困るよなぁ。」
と、野鳥マニアからは馬鹿にされてしまいそうだが、僕は、マガモという鳥が好きだ。
九州から北海道まで、山地から海辺までほとんどどこででも見られる普通の鳥だが、顔の緑色は光の当たり具合によってさまざまに変化し、特に強い光が当たった時のまるで金属のような光沢はいい!
今日は曇りでその色合いを写すことが出来なかったが、代わりに行動に的を絞り、カメラを向けてみた。
また、今回北海道に行く目的の1つにもマガモの撮影がある。
マガモに限らずカモの仲間は水の上に浮いていることが多く、その写真の背景は大抵水になる。その結果、カモは誰が写しても同じような写真になりがちであり、単調である。
そこで、大好きなこの鳥の見事な顔の緑色を、北海道の凍りついた大地の上で撮影してみたいのだ。

僕は車に寝泊りする取材に慣れているので、そうしたスタイルの生活に負担を感じることはほとんどないが、北日本の冬の朝の寒さはやはり堪える。
朝目を覚まし、布団から出て、体が外の温度に慣れるまでは、辛いと感じたことが何度もある。
だがある時、僕にすばらしいアイディアが思い浮かんだ。
それは、夜寝る際にジャケットを着込んで寝ることだった。そのままマイナス20度の屋外でしばらく撮影しても寒くない格好で布団に入り、眠るである。
以前の僕は常識にとらわれていて、布団に入る際には寝間着代わりの服に着替え、薄着になっていたのだが、そんな常識を捨ててしまうことで、冬の撮影も文句なしに楽しくなった。
その他、車に寝泊りする生活の不満としては、以前は、風呂の問題があった。
僕は日本全国の日帰り温泉を網羅したガイドブックを車に積んでいる。
その本を見て、温泉にほぼ毎日入るが、中には比較的早い時間帯に閉店する温泉もある。特に日が長い夏場は、できれば夕刻は7時半くらいまでは撮影時間を確保したいのだが、温泉の閉店時間に間に合わせると、撮影を早く切り上げなければならないことが以前は何度もあった。
だがある時から、早朝〜朝に撮影した後、昼間に温泉に入ることにした。
早朝から朝は写真に物が最もきれいに写る時間帯である。そして昼間は、被写体に醜い影が付きやすい撮影には不向きな時間帯であり、また夕方に撮影向きの光線状態になる。
そうしたカメラマンならばでの事情に、生活の方を合わせてしまったわけだが、風呂は寝る前に入るものだと思い込んでいたので、そんな簡単なことになかなか気付くことができなかった。
僕の中では、大変に大きな発見だった。
ついでに、昼間はどこの温泉でも人が少なくて快適この上ない。
野鳥の撮影を趣味にするアマチュアは多いが、マガモに一生懸命カメラを向けるアマチュアに、僕はまだ出会ったことがない。
マガモだけでなく、スズメやカラスなども、アマチュアカメラマンからは、ほとんど無視されているに近い存在であろうし、それも一種の常識みたいなものかもしれない。
だが行動に着目するなど、その日の小さなテーマを決め、カメラを向けてみるとなかなか面白い。自然写真の一番の基本は、一秒でも長くフィールドに出て、とにかく写真を撮ってみることだと僕は思う。
(ニコンD2X・600ミリ・トリミング)
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2006.1.25(水) 近づく

いつもはなかなか近づくことが出来ないマガンに、今日は30メーター以内にまで近づくことができた。
マガンくらいの大きな鳥で30メーター以内というと600ミリレンズ(35ミリ判のフィルム換算)があれば、存分に撮影できる。
せっかく近づけたのだから、そんな時にしか撮れないものに目を向けようと、食べ物を食べるシーンをなるべく大きく撮影してみた。
田んぼに舞い降りたマガンは写真に撮ると家畜っぽく、まるで牧場で撮影したガチョウの群れのような雰囲気になりやすい。そこで今日はマガンの群れにしばらくついてまわり、草丈の高い田んぼに降りたところで、野生の生き物である雰囲気を出せるように気をつけて撮影してみた。
今日と同じ場所で僕は過去に何度かマガンを撮影したことがあるが、いずれもマガンはとても神経質で、まともな写真が撮れたことがない。
鳥は一般に車をあまり恐れないので車の中から撮影するのだが、それでもやっぱりいやなのだろう。車で少しずつ時間をかけて近づいても、撮影をしているうちに、徐々にマガンは遠ざかってしまう。
だが今回は、車を止めっ放しにしておくと警戒心を解き、どんどん近づいてくる。
とても警戒心が強かった以前との違いがいったい何なのかはよく分からないが、鳥の写真は、そんな近づくことができる時にたくさん撮影しておくに限る。
僕は、一般的に言うと、生き物好きの中では、生き物の調査に携わる人とあまり気が合わないことが多い。
もちろん調査をする人の中にも大好きな人はいるのだが、例えば、一枚のマガンの写真を調査に携わる人に見せても、
「ああ、マガンですね。」
と、それはマガン以上でもないし、マガン以下でもないことが多い。
そのマガンが何をしているのか?その写真が、どれくらいよくマガンの生態を写し撮っているのか?などという感じ方を持たない人が、調査に携わる人には少なくないように感じる。
生き物の話をしても、まるで0か1かのコンピュータのように、マガンがいるか、いないかの2つに一つであり、味気ないと感じることが多い。
僕は、生き物を定量的にばかり見たくない。定量的に見ること自体は否定するつもりはないが、それがだけになってしまうのは好きではない。
したがって日頃あまり生き物の数を数えることはないのだが、今年は、今日の場所で見られるマガンの数が例年よりも圧倒的に多いように感じた。
一般に生き物は密度が高くなると警戒心が弱くなる。もしかしたら、その結果、今日は存分に撮影できたのかもしれない。
マガンの数が多い原因として大雪の影響が考えられる。大雪が降った結果、マガンが例年よりも南下し、今日の場所での密度が高くなったのではないだろうか?
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン・トリミング)
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2006.1.24(火) 撮影向きの場所

昆虫や小動物の場合、観察に適した場所は、撮影に適した場所とほぼ一致する。
ところが野鳥はそこが大きく異なり、いい写真を撮りたいと思えば、撮影向きの場所を探さなければならない。
例えば、鳥に近づいて撮影できる場所は、撮影向きのいい場所である。
野鳥の撮影で何が難しいか?と言えば鳥に近づくことだが、ヨシゴイの撮影なら新潟県の瓢湖、カッコウの仲間なら北海道のどこそこといった風に、不思議と、そこに行けば鳥があまり人を恐れないという場所がある。
大きな望遠レンズを使えば、鳥をいとも簡単に撮影できると思い込んでおられる方も少なくないが、あの実に大げさなレンズを使用しても、大抵の場合、鳥は満足できる大きさには写らない。
僕が、いつもなかなか近づくことが出来ないのが、今日の画像のマガンだ。マガンだけでなく、同じガンの仲間のヒシクイというやつも、何でここまで神経質なの?と、頭をひねりたくなるくらいに警戒心が強い。
ところが今日であったマガンの群れは実に穏やかで、農家の方の車がそばを走ると、警戒して頭を上げるが、飛び立つ様子はない。
そこで僕も真似をしてスッと車で近くを通り過ぎたが、農家の方の車をマガンが覚えているわけではないようで、僕の車でも同様の反応を示す。
今度はUターンをして、スッと近づきマガンの近くで車を止めてみたが、やはり逃げる気配がないので、試し撮り程度に数枚撮影してみた。
明日、再度同じ群れを、今度はじっくりと撮影してみようと思う。
北海道にたどり着くまでに、野鳥の観察ポイントとしてよく知られた場所をなるべくたくさん見て回ろうと思うが、昨日出発してから今日までに、合計4箇所を見て回った。
そのうちの3箇所は外れだった。鳥の種類は多く観察には向くが、鳥との距離があり、撮影には不向きな場所だ。
そうして外ればかりが続くと、人は往々にして自信を失い、疑心暗鬼になり、根気を失い、最後はツキを失い自滅する傾向にある。そこで僕は、未知の新しい場所と、多少は状況を知っている結果を残せそうな場所とをほどほどに組み合わせて計画をたてることにしている。
僕は、野鳥の撮影を趣味にしている人から撮影に関してアドバイスを求められた時には、大抵の場合、有名な撮影ポイントに行くことを勧める。例えば、北海道に行けば、アカゲラというキツツキの仲間を簡単にたくさん撮影できる場所があるが、九州からでも飛行機を使えば2泊3日で結果を出せるだろう。
それは、学校の勉強でいうなら、まず例題を解くようなものだと僕は考える。
九州にはオオアカゲラという鳥が棲むが、九州でオオアカゲラのしっかりとした写真を撮ろうと思えば、下手をしたら一年以上かかってしまうことだろう。人は、なかなか一年以上も結果が出ないことを続けることはできないし、そのうち写真が面白くなくなってしまうに違いない。
(ニコンD2X・600ミリ+1.4テレコン)
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2006.1.23(月) 6000キロ

『都会にすみついたセミたち』(武田晋一・海野和男/偕成社)を読み、その感想文が受賞した少年に、僕と海野先生のサイン入りの本を贈ることになった。
昨日、まっさらな本が偕成社から一冊届き、今朝は、その本にサインを書き込んだ。
海野先生が初めて読書感想文の授賞式に出席したのが、もう25年も前のことなのだそうだ。その時、海野先生の本を読んで感想文を書いた少年は、テレビでお馴染みのある方のお子さんだったことを、先日、海野先生から教えてもらった。
本来の予定では、昨日のうちにサインを終え、取材に立つつもりだったが、字の練習をしたかったので出発を一日遅らすことにした。
帰宅したら、ペン習字でも練習しようと思う。
さて、今日からひと月で恐らく6000キロくらい運転するのではないかと思う。年に直せば72000キロになるので、プロのドライバーをも越えるような結構な距離になる。
運転中は撮影の構想を練ることが多いが、ここのところよく考えるのは、
「写真って色々なスタイルがあるんだけど、僕は、社会に対して何かを提言できる若い自然写真家が出てきて欲しいんだよなぁ。」
と、海野先生がいつだったおっしゃった言葉だ。
海野先生の世代の人には、確かにそんな仕事をした自然写真家が多い。宮崎学さんしかり、水中写真の中村征夫さんも、きれいな海の写真だけでなく、東京湾に潜っておられる。
もちろん、最近でもそうした撮影を試みておられる若い方は存在するが、所詮、先輩方の亜流であり、僕はそれらの仕事に全く新鮮味を感じない。
亜流なら、社会派の写真よりも、ただのきれいな写真の方が普遍性があっていいような気がする。優れた仕事をした先輩に心酔し、被写体だけを変えて、同じ切り口で写真を撮り、先輩の主張を繰り返すのは、何よりもつまらないような気がする。
僕は、こんな日本の自然であって欲しい!と、将来の日本の自然のイメージを提言できるような写真家になりたいと、最近考える。
今回、ある少年が読書感想文を書いてくれたことで、本気でそれに取り組んでみよう!という固い決意が込み上げてきた。2年に一冊くらいでいいから、その思いを、また誰かが読書感想文を書いてくれるような本にまとめたいと思う。
6000キロも運転するのだから、その間にイメージを固めて帰ろうと思う。
撮影の構想を練ることとあと1つ、僕は、鳥取県あたりまではかなり土地勘がある。好きな場所も、食べたいものもあり、それに合わせたスケジュールで移動をすることにしている。
今日の画像は、岩魚のから揚げ定食だ。
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2006.1.22(日) 撮り直し

アメリカザリガニは喧嘩をするので、出来れば一匹ずつ飼育をすることが望ましい。
だが、それを写真に撮るとなると、一匹は寂しくて様にならない。
今回僕は飼育シーンを撮影する際に、その理想通りに一匹飼いのシーンを準備するのか、或いは賑やかな感じを出すために、イメージ優先で複数匹の飼育シーンにカメラを向けるのか、そのどちらにするのかでかなり迷った。
そして結局、昨年末に一匹の飼育シーンを撮影して、画像を出版社に届けておいた。
だがその写真にクレームがついた。
クレームの内容は、ザリガニの数の問題ではなく、カメラのアングルにあった。僕は、ザリガニの飼育には不可欠な水槽の蓋がよく見えるように、水槽を斜め上から見下ろすように撮影しておいたが、そのアングルが分りにくいという指摘だ。
上から撮るというアングルの選び方には、僕なりのこだわりがあった。
アメリカザリガニを飼育する際には、水を浅くして陸があったほうがいいという意見と、水を深くして陸がない方がいいという意見とがある。僕の結論は、水を深くして、しかも陸を作るというもので、僕は、水槽にレンガを沈め、その先端が少し水面に飛び出すようにしている。
アメリカザリガニは夜になるとそのレンガにのぼり殻を乾かすが、本当に長い期間ザリガニを飼い続けるのなら、甲羅干しは、健康には不可欠だと僕は感じている。
ただ、そうして水面付近に陸を作る場合、アメリカザリガニは脱走の名手であるから、逃げられないように蓋が大切だったのだ。
さて、今日は撮り直しをすることになった。
水槽を真横から撮る場合は蓋が見難い。その結果、蓋の重要性を感じない子供もいるだろうと思う。そして蓋をしなかった水槽のザリガニが脱走し、どこかで命尽き、やがてエビ・カニ独特の悪臭を放つ。
お母さんは腹を立て、
「もう生き物を飼っていけません!」
と宣告する。
そんな結末にならないように、水槽を横から撮影する今回は、いっそうこと陸地をなくすことにした。
前回は、こだわった結果撮り直しになったので、今日は逆にこだわりを捨て、イメージ優先で撮ろう!と路線を変更し、ザリガニを2匹水槽に入れた。
そうして撮ってみると、やはり児童書には、この写真の方がいいかなと納得。
今日の画像は、体に対してハサミが大きい左側がオス、ハサミが小さな右がメスである。この2匹は、あと1時間も放って置けば交尾を始めるだろうと思う。
その場合、オスは、実に穏やかにメスの体に触れる。体に触れられた際にハサミを振り上げ反撃するのがオス、相手に体を任せるのがメスだと何かの本の中で読んだことがある。
オスメスが交尾に至る場合は確かにその通りだが、メスが年中、そうして相手に身を任せるのかどうかは、折をみて確かめてみようと思う。
子供がアメリカザリガニを飼育する際には、はさみが大きなオスが好まれるだろう。その結果、オスばかりが詰め込まれた喧嘩が絶えない水槽になってしまうのである。
(キヤノンEOS5D・タムロン90ミリマクロ)
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2006.1.21(土) 努力
僕は、仕事の上では、勤勉さと努力を惜しまないことにしている。
努力が正しいと思っているわけではない。ぐうたらな生活も素晴らしいに違いないと強く憧れるが、それで生きていける人は、才能に恵まれた一部の人たちだろう。
僕の場合、自然写真界で生きていくためには努力をすることが最も簡単であり、逆説的ではあるが、楽だから努力する。
ただ僕にも、好きなタイプの努力や勤勉さと、嫌いなタイプの勤勉さとがある。
例えば、先日撮影でダム湖にでかけたが、ダムの周りを早足でウォーキングする人が大変に多いことに驚かされた。とにかく次から次へと僕の脇を通り過ぎてゆく。
人はいろいろと便利なものを発明して生活を楽にしようとするが、その結果運動不足になり、今度はそれを補うためにわざわざ運動の時間を作るのだから、妙な生き物だなぁと思う。
僕はそこに矛盾と違和感を感じ、その手の努力や勤勉さが、あまり好きではない。
だが、スポーツの選手がスポーツで相手に勝つためにトレーニングをするような努力は大好きだ。
日本人で恐らく最も有名なある自然写真家が、テレビの番組で、
「アフリカに撮影に行く時は、やはり体を鍛えたりするのですか?」
と問われ、
「とんでもありません!だってライオンを見てくださいよ。ライオンがトレーニングしますか?彼らは用事がない時はいつも寝ていますよ。」
とお答えになったが、僕もそのタイプである。
さて、今日は、北日本取材のための下調べで一日が終わった。
僕は本来、その手の情報収集があまり得意ではないし、出来れば、適当に出かけたいタイプだが、やはり前もって調べておいた方が、後で断然楽になる。
以前なら、そんな時は必死にガイドブック等を読み漁ったが、今は、パソコンに向かうことになる。
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2006.1.20(金) 改めて
『都会にすみついたセミたち』(武田晋一・海野和男/偕成社)を読んだお子さんが書いた感想文が受賞したことを昨日書いた。僕は、「上位の賞ではないが・・・」などと書いてしまったが、実は、サントリー賞という結構上位の賞なのだそうだ。
もちろん、めでたいことは言うまでもないが、これほどに嬉しいことだとは思ってもいなかった。朝起きて、
「あ〜嬉しいなぁ」
と改めて感激するような出来事は、一体何年ぶりだろう?
さて、ここ数日大変に忙しかったが、ようやく今、その山を乗り越えたところだ。
今日は、北日本取材に向けて、車を整備してもらった。
寒冷地用の柔らかいオイルをいれ、雪用のワイパーと取り付けた。寒冷地用のオイルがなかなか高価で、ワイパーや整備と合わせておよそ2万5千円もかかったが、雪の中で往生してからでは遅い。
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2006.1.19(木) 選ばれた一人
僕の場合、小動物の写真の貸し出しの依頼は、ちょうど今頃の時期に集中する。今貸し出される写真は、だいたい6月頃に本に掲載されることになる。
依頼されたものの、それに相当する写真を持たない場合、今の時期にでも撮影可能なシーンなら、例えば先日のアマガエルの吸盤や越冬中のアメリカザリガニのように、急遽撮影する。
したがって、写真の選別、発送、撮影・・・と、大変に忙しくなる。
今年はそれに加えて長期の北日本取材を控えている。出かける前に貸し出しの仕事を終えなければならないから、さらに仕事が短期に集中し、ここ数日は半端ではなく慌しい。
写真の需要が多いシーンの場合、手持ちの自信のある写真がすべてが貸し出し中になってしまう場合もある。武田晋一写真事務所は品切れ状態になる。
それでもさらに注文が集まる人気のシーンがあり、仕方がないから、あまり自信のない写真の中から使えそうなものを探し出すことになる。だが、所詮元々自信がない写真であるから、それを探し出すのには時間がかかるし、楽しい作業ではない。
毎年、そうして売り切れになるシーンに関しては新しい写真を撮影し強化しているが、無限に時間があるわけではないし、手が回らない部分もある。
ただそれでも少しずつ穴はなくなりつつあり、あれも撮らなければ!これも撮らなければ!と焦りまくっていた頃に比べると、冷静な気持ちで、来年何の生き物の、どんなシーンの写真を撮ればいいのか、それが判断できるようになりつつある。
大まかなところはかなり以前から分っているつもりだが、それは単に、写真を借りる側の需要の問題だけでなく、僕以外の写真家がどんなシーンの写真を撮っているかの供給の問題でもある。
どんな写真に需要があるかは、既存の出版物を眺めてみればすぐに把握できるが、供給は他人様がどんな写真を撮っているかであり、なかなか細かい部分までは分りにくい。
だが今年は、それが非常に細かいところまで把握できたように思う。
来年は、まさにそこを徹底強化したい。
さて、商売じみたことを書いたが、今日は、商売とは無縁の嬉しい知らせがあった。
昨年出版した『都会にすみついたセミたち』(武田晋一・海野和男/偕成社)を読んだお子さんが感想文を書き、それが上位の賞ではないが、とにかく受賞したのだそうだ。2月3日に、盛大な表彰式が催される。
課題図書でも何でもない『都会にすみついたセミたち』を選び、何かを感じ、感想文を書いてくれたのだから、ただただ嬉しい。
セミの本と言えばアブラゼミが定番だが、
「定番のアブラゼミはもういいじゃない。今回は定番ではない別のセミをやろうよ!」
と、この本のテーマは昆虫写真の海野和男先生が設定してくださったものだが、海野先生の着眼の確かさが証明されたことになる。
テーマ設定の重要さは多くの写真家が主張するが、それを主張するだけでなく、何でもいいから形のある結果を残し、テーマの大切さを肌で感じさせてもらえたことは、多分僕の一生の財産になるだろうと思う。
たくさんの人が気持ちよく楽しめる定番は定番で存在価値があると思うし、僕は定番の本もたくさん作りたい。
だが生き物の本には、それ以外の役割もあると思う。
僕が所属する日本自然科学写真協会の掲示板に投稿された蝶の写真の中に興味をそそるものがあり、ホームページをのぞいてみると、大変にレベルが高い。
そして、その作者は何と高校2年生の少年であり、理屈ではないセンスと、それ以上に直向さを感じる。
その彼が今後どんな職業に就くのか、それは分らないが、恐らく生き物に関わる仕事に就き、世間の自然好きに影響を与えていくのではないだろうか?
例えば、もしも海野先生が世の中に存在しなかったら、昆虫を取り巻く状況は今とはかなり違っているのではないだろうか?
そんな選ばれた一人も大切であり、それは、定番からは生まれにくいように思うのである。
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2006.1.17(火) ついでに

僕は一枚の写真を撮るのに全力を費やすタイプだから、そのついでに、構図やアングルを変え、他の写真も撮っておくことができにくい。
ある一つの被写体を目にした時、それに対して一枚の気に入った写真が撮れれば、それ以外の写真は不要と感じるタイプだ。
そんな一球入魂型の僕の写真を見て、
「あなたは、あらかじめ絵コンテを作り、そのイメージ通りに計算して撮るタイプなのですね!」
という方もおられる。
その指摘は外れではないが、正確に書くと、実際には、意外に撮影前にイメージを固めることは少ない。僕の場合は、撮影前というよりも、写真を撮りながら、その試行錯誤の過程の中でイメージを固めていくことが多い。
何枚も写真を撮るうちに、これしかない!と思えるイメージが出来上がり、あとは、そのイメージ通りの写真を1枚完成させるために、ただただ時間を費やす。
ただ、仕事は必ずしも僕のイメージ通りの写真が好まれるわけではないから、それでは困る。
例えば、アマガエルの手の吸盤を見せたいときに、画面にカエルの顔が写っていた方がいい場合もあれば、写っていない方が望ましい場合もある。
児童書の場合は、恐らく、顔が写らない写真が好まれることが多いだろうと思う。本の中で顔が大きく引き伸ばされると、やっぱりカエルはグロイ。
だが、図鑑の場合は、顔が写ることで、それが前足なのか後ろ足なのかが分るから、顔が写った方がいい。
ガラスにとまったカエルの手にごく普通にカメラを向ければ、大抵は顔も画面に写り込む。顔が写らない写真は、カエルを何度も何度もガラスにとまらせることを繰り返すうちに、ようやくカエルの姿勢によって撮影可能になる。
つまり、そんな写真を撮ることを意識してカメラを向けなければ、それは写りにくいし、写りにくいということは僕だけでなく他の写真家にも平等に当てはまることなので、それを撮れば、
「意外にこの写真がないのですよ!」
と、よく売れるに違いない。
そこまで分った上で、手だけが写っている写真を目指しながら、その過程で、顔もいい具合に写っている写真が撮れれば、2つのタイプの写真をわざわざ撮るというよりは、一連の流れとして2つのタイプの写真が撮れてしまうので実に都合がいい。
生き物の写真は市場に山ほどあり、ダブついているのかもしれない。
「今更自分が撮ってもなぁ。」
という声を聞くこともある。
だが、使いやすい写真は、多くの写真家が考えているよりもずっと少ないのではないか?と、最近僕は感じる。
(キヤノンEOS5D・65ミリマクロ)
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2006.1.16(月) 地中

一昨年、地中で過ごすセミの幼虫を撮影したことがある。
土の中に棲む生き物である。それを見つけ出し撮影を終えるまで一日がかりの作業になるのか、或いはほどほどの時間でセミを発見し、2〜3時間程度で撮影が終わるのか、そういった見通しが全くたたないまま、スコップで地面を掘ることになった。
まず最初に適当にスコップをザクッと突き刺すと、ポコリと一円玉くらいの陥没ができた。つまり、その下に何か空間があるようだ。
そこを丁寧に探ると、地中を木の根っこに沿って横に伸びる坑道が見つかり、その先に一匹の幼虫が隠れていた。
僕がスコップを一刺した場所は、偶然にもセミの幼虫の坑道の真上だった。
そこまでものの5分も経過しておらず、これは簡単や!と意気込むと、その後は掘っても掘っても、ただの一匹も見つけることができない。
というよりは正確に書くと、掘るどころか、地中は木の根っこだらけでスコップが入らず、掘ってセミの幼虫を探す段階まで到達できない。
つまり、僕が撮影することができた最初の一匹は、大変な幸運だったのだ。
今考えるなら、次回もしも地中のセミの幼虫を撮影することになったら、その時は、ザクッとスコップが入りそうな柔らかい地面の場所を、まず探そうではないか。
一昨年の僕は、セミの抜け殻がとにかく多い場所を掘ってみたが、どんなにセミがいても、掘れなければお話にならない。
地面の中の生き物の撮影のように、その難易度が全く想像できない撮影は、仕事をやり遂げることができるのかどうか大変に緊張し、またプレッシャーを感じる。 (キヤノンEOS5D・タムロン90ミリマクロ)
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2006.1.15(日) 大掃除
僕は事務作業が大嫌いである。事務的な作業に携わると自分の精神力の弱さを痛感する。いや、精神力が弱いというよりも、ほとんどないといった方がいい。
だが掃除をしたり、生き物の世話をしたり、上手く生き物を飼育するためにち工作をするなどの労働は大好きだ。多分、農作業なども、やれば、はまるのではないかと思う。
生き物の世話はほとんど毎日の日課であるからさすがに飽きているし、開放されたい思いもあるが、しかしながら毎日そうして労働をすることで、日々のリズムができあがってくる。
何となく気だるくて、恐らく放っておけばそのままだらけてしまいそうな時、生き物の世話をした時間がきっかけになり、精神がシャキツと立ち直ることがよくある。
さて、今日は一日がかりで、飼育中のアメリカザリガニの水槽16個をすべて大掃除した。
水槽から水を抜き、砂利の中にたまった汚れを取り除き、また水槽のガラス面の苔をけずり落とす。
本来は、ザリガニの活性が低い冬場の大掃除は避けた方がいいのではないか?と思うが、数日後に出発するおよそ一ヶ月の北日本取材のために、やむを得ず手を入れることにした。
さすがに一ヶ月も放っておくとなると、出発の直前にまっさらの状態にしておきたくなる。
2人のアルバイトの方が世話をしてくださる予定にはなっているが、頼めるのは、餌を与えることと、蒸発した分の水を足してもらうくらいのことで、まさか水換えをお願いするわけにはいかない。
水槽の大掃除で最も時間を食うのが、ガラス面の苔落としである。苔は、あっても問題にはならないし、放っておいてもいいのだが、今回は、ガラスがきれいな方がアルバイトの人も気持ちがいいだろうと思い、ピカピカになるまで苔を削り落とした。
ここ2〜3日は大変に暖かいが、野外での丸一日の水仕事になるため、そんな日を待っていたのである。
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2006.1.14(土) 更新
今月の水辺を更新しました。
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2006.1.13(金) 『物』

「写真学校を出たのですか?」
と、たまに問われることがあるが、僕の場合、写真は独学である。
僕だけでなく、自然写真家の大部分がそうだと言っていい。
自然写真のような自分の思いを伝える写真は、そもそも人から習えるものではない。いやいや、自分の思いを人から教わることができるはずがない。
ただそれを仕事にすると、例えば生き物の飼育シーンを撮影する機会があったり、生き物にかかわる『物』を撮影しなければならないこともあり、そこには、スタジオ撮影の技術が要求される。
そして、スタジオ撮影のようなテクニックや道具の使い方が非常に大きなウエイトを占める撮影の場合には、人から習える部分も多くあると思う。
僕も、スタジオ撮影に関しては、多少、スタジオのプロに相談をすることがあるし、照明器具を買う際には、カメラマン兼スタジオを経営する知人に、どんな道具を買ったらいいのかたずねたこともある。
「あまり大きな物は撮りません。幅60センチくらいのものまでを撮影できれば十分です。」
と知人に相談すると、
「幅60センチって、スタジオで撮る物としては相当に大きいよ!」
という答えが返ってきたことがあるが、スタジオでは、手のひらに乗るような小さな物体の撮影でも、照明に必要なスペースなどを考ればそれなりの広さの場所の確保が必要であり、今考えると、確かに幅60センチの物体というのは、かなり大きい。
さて、今日は、その幅60センチよりも大きな、網や釣竿を撮影することになった。
もちろん、そうしたケースも想定してある程度は準備を整えているのだが、日頃、生き物を撮影しているテーブルなどを取り除き、そこに大きな紙を敷いてみた。
それでも、網の柄がどうしても長すぎたので、柄は、ノコギリで少し短く切り詰めることにした。
(撮影機材の話)
スタジオで使うカメラとしては、キヤノン・イオス5Dは最高のデジタル一眼レフだと思う。このカメラを一度使ってしまうと、もう、他のカメラでは撮る気になれない。
野外では、手に馴染む感触の良さを求めたくなり、その点に関しては、イオス5Dに満たされない思いも残るが、スタジオでは、そんなことはどうでもいい。
とにかくよく写るカメラがいい。
(キヤノンEOS5D・17−40ミリ)
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2006.1.12(木) ペース
仕事は、必ずしも自分がのぞむペースで取り組めるわけではない。
「もっと、じっくり時間をかけたいなぁ。」
と望んでも、現実的には慌しいペースで撮影しなければならないことの方が多い。
だが、仮に自分が望むペースを手に入れたとしても、それが必ずしも好結果に結びつくのではなく、意外にも、自分が思う理想というやつは、実際には理想でも何でもなく、単なる思い込みのつまらないものだなぁと感じることがある。
僕は、自分が手に入れたいものを思い描き、憧れ、そうでなければならないと思い込むよりも、目の前にある現実の世界を我武者羅に生きたい。
「丁寧ないい仕事をしよう!」
と、昨年から、仕事をあまり詰め込みすぎないようにしていたのだが、すると、何となく気持ちが緩み、結果があまり良くない。
そこで今日は、あえて山ほどスタジオ撮影を詰め込んでみたら、なかなかいい感じの写真が仕上がってきた。
どうも、今の僕は、
「じっくり時間をかけたい!」
という願望とは裏腹に、急かされている方がいい結果を出せるようだ。
今日は、生き物の飼育のシーンを撮影したが、通常2日で撮る量を何とかして一日で撮ってやろう!と試みた。
野外での撮影に関しては、特に最近は楽しくて、出かければいつでもすんなりと撮影に入り込むことができるし、気付けば、一日が終わりかけているという日が多い。
昔、ある写真関係者から、
「一般的に写真家は、写真を始めて10年くらいのタイミングが一番楽しいと言いますね。」
と聞かされたことがあるが、僕の場合、野外での撮影に関しては、今でも少しずつ楽しさが増している。
だがスタジオ撮影に関しては、昨年はどうしても本当の意味での集中ができず、一体どうしたものか?未来の僕は大丈夫だろうか?と多少不安にもなったが、今日は、久しぶりに集中し、撮影にのめり込むことができた。
ゆとりはゆとりでいい物なのだろうが、やはり、余裕で写真が撮れるなどというのは面白くない。僕は、そんなタイプのようだ。
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2006.1.10〜11(火〜水) 通勤割引

物がきれいに写真に写るのは、太陽の位置の関係で、晴れの日の場合は朝か夕方である。したがって僕は、晴れの日には早起きをして、朝の一番いい光の中でなるべく写真を撮る。今の時期なら、日の出直後と、午前9時頃の光が僕の好みに合う。
海辺の鳥の場合はそれに加えて潮の干満がある。
一般的には満潮の頃が鳥の写真は撮りやすく、したがって、光がベストな午前9時頃に潮がベストな満潮が重なる日の海辺は、野鳥の撮影日和なのである。
昨日、今日は、ちょうどそんなタイミングにあたり、僕は博多湾で野鳥にカメラを向けた。
今日の画像は、主にヨシガモの群れだが、潮が満ちると、こうして群れで岸辺に押しよせ、海草などを食べているようだ。
博多湾は、僕の事務所がある北九州市と同じ福岡県内だが、博多湾沿岸〜北九州をつなぐ道路は車が多くて、どうもあまり出かける気になれない場所だった。
それが車にETCを取り付けた結果、高速道路の料金が早朝と夕方には半額になる通勤割引のサービスが適用されるようになり、気軽に有料道路を使えるようになった。
早朝と言えども博多周辺は車が多い。一般道を走ると町に近づくにつれ渋滞し、車の流れが悪くなる。
渋滞に巻き込まれると精神力が弱い僕としては、もう野鳥を撮影する気力など残っていないし、また、高速道路を使わなければ、距離的には大したことがない場所であっても、相当に早起きをしなければならなかった。
それが、半額なら・・・と有料道路を使ってみると、これが実に快適!
朝は日の出に間に合うように自宅をたち、帰りは、夕方の通勤割引を受けることができる時間帯にまた高速道路を利用して帰宅する。
(ニコンD2X・600ミリ・トリミング)
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2006.1.9(月) 物欲地獄
昨年末に、知人が、ニコンの新製品を貸してくださった。それが実に工夫に満ち溢れた面白い製品であり、購買欲をそそる。
借りて触るうちに、
「欲しいな〜」
と、グングン物欲がこみ上げてくる。
だが、その新製品を生かすためには、それに適した新型のデジタルカメラがあった方が良く、新型のデジタルカメラをもしも買えば、同時発売のレンズが欲しくなる。
たった1つの新製品に触れることが、まるで物欲地獄の入り口に足を踏み込んでしまったかのようであった。
自分だけ物欲地獄にはまるのも悔しいので、先日宮崎県の博物館に出かけ、野鳥の観察ポイントを案内してもらった際に、野鳥の写真を趣味にしている学芸員の方に、
「僕のレンズを使ってみませんか?」
と、高性能なレンズを貸して差し上げたら、帰宅後に、
「あの時貸してもらったレンズには痺れました。他人を物欲地獄に巻き込むあなたの術中にはまってしまったではありませんか!機材のことで相談があります。」
とメールが届いた。
今日は、北海道から写真家の門間敬行君が遊びにきた。
ならば門間君も道連れに・・・と、昨年購入したキヤノンのイオス5Dを使ってスタジオで撮影し、他のカメラの画像と比較して見せると、門間君が目を見張った。
キヤノンの機材を全く所有しないニコン派の門間君であるが、イオス5Dの画質は、それくらいに優れているのである。ほとんど興味を持っていなかった彼が、本当に買おうか?とそんな気持ちになりかかっているようである。
もちろん、僕が、5Dの良さが引き立つシーンを撮影したことは言う間でもない。
(撮影機材の話)
フルサイズセンサーを搭載したイオス5Dと、僕がそれ以前に使用してきたカメラとを比較すると、中間調ではあまり差が感じられないが、ハイライトやシャドーに近い部分の先鋭度にはかなりの差がある。
その差は、5Dを使用して比較テストをしたことがある人であれば、誰でも驚きを感じるのではないか?と思えてしまうくらいに大きいように感じられる。
ただ超望遠レンズを使用する野鳥の撮影の場合は、一概には言えないかな?とも思う。
例えば、APSサイズのセンサーを持つカメラに600ミリを取り付けるのと、5Dのようなフルサイズセンサーを搭載したカメラに600ミリ+1.4倍のテレコンバーターを使用するのとはほぼ同じ画角になるが、1.4倍のテレコンバーターを使用するとやはり画質が悪くなり、5Dの画質の良さが相殺されてしまう可能性もある。
僕は、フルサイズセンサーのデジタルカメラとAPSサイズのセンサーのデジタルカメラとの画質の差は、1.4倍のテレコンバーターを使用するかしないかくらいの差ではないか?と今のところ感じている。
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2006.1.8(日) 電話

休日は、滅多に仕事の電話が鳴らないのがいい。
特に今の時期は、小動物の写真の貸し出しの依頼の電話が多い。
仕事の依頼は拝みたくなるほどにありがたいものだが、たまにはそんなことを一切気にせずに写真を撮る時間もやはり欲しい。
今日は、望んでいた撮影が事情により出来なくなり、その代わりに、また別に声をかけてもらった仕事のために、珍しく空にカメラを向けることになった。 (キヤノンEOS5D・タムロン90ミリマクロ)
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2006.1.7(土) 天気

僕は割りと現実主義者で、考えても仕方がないことでは、あまり悩まずに済むタイプである。
どうにもならない類の悩みを抱えた人様に向かって、
「そんなこと考えても仕方がないじゃん!」
などと言ってしまい、
「でも、それでも気になるから悩みなんじゃなの!」
と、時たま怒られることがある。
だがそんな僕でも、ふと気付けば、考えても全く意味がないようなことに思いをめぐらせている瞬間もある。
例えば、昨日僕は朝から野鳥を撮影するつもりで準備を整えていたが、それをあざ笑うかのように、昨日は天気が悪くなった。
すると、張り切っている時に限って、なぜか天気が悪くなるような気がしてくる。張り切り過ぎると良くないのだろうか?と、そんな気にさえなってくる。
本当は僕の気持ちが天候に反映されるはずもないのだが、何となくそんな気がしてしまうのである。
無理やりに解釈をつけるのであれば、張り切っていた分、天気が悪くなったことにがっかりし、それが印象に残るのであろうか?
今日は縁起を担ぎ、朝から撮影に出かえる準備など一切整えずに、午後から海辺へぶらりとでかけてみた。だが今日も、やっぱり天気は悪い。

開けた水辺の撮影では、天気が悪いとどうにもならないことが多い。
水面が鏡の役割をし、水面に曇り空が写ってしまうため、水が白っぽくなり水に表情がなくなり、また写真がどうしても重苦しくなる。
そこで、曇りの日には、絵柄をよく考えるようにする。
複数の鳥を写すのであれば、その並びや重なり具合に気をつけ、なるべく写真にリズムが生まれるようにする。
また、動いているものにカメラを向ける場合は、そのポーズが美しく写るように心掛ける。 (ニコンD2X・600ミリ・トリミング)
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2006.1.6(金) プレゼンテーション
朝から野鳥を撮影する予定で待ち構えていたのだが、天候が悪くてどうにもならない。すると携帯電話が鳴り、ある本の中に使用する写真の候補として、僕の写真をプレゼンテーションしたいという。
ありがたい話である。
「今日は10時から出版社の方と打ち合わせがあり、その時に武田さんのアマガエルとカタツムリの写真を見せたいのですが可能ですか?」
「どんなイメージでしょう?」
「・・・・・・(丸秘)・・・・・」
「分りました。ならば、これから事務所に向かい、イメージに合う写真を選んで、画像をメールで送ります。でも、これからの移動なので、10時にはもしかしたら間に合わないかもしれません。」
と、結局撮影ではなく、急ぎ事務所へと向かうことになった。
今回依頼されたイメージの写真は、デジタルカメラで写したものの中に該当するものがなく、フィルムを引っ張り出し、スキャナーを使い、デジタル画像を作成しなければならない。以前にも、全く同じ写真をデジタル化したことがあったが、その際には、スキャナーの使いこなしがイマイチで、作成した画像はあまり質が良くない。
そこで、改めてデジタル画像の作り直しを試みたが、これが結構な時間を食う作業だ。
プロの写真家の中には、ある程度以上画質にこだわっても仕方がないと考える人も決して少なくはないが、僕は、写真の画質にこだわる方だ。
画質にこだわろうとするならば、現状ではデジタルカメラよりもフィルムの方にやや分があり、日頃からフィルムで撮影する方が適当だが、今日のようなパターンで仕事をする場合は、デジタルカメラで撮影しておいた方が断然に都合がいい。
メールで画像を送るのであれば、出版社が集中する東京に住んでいても、九州に住んでいても同じことであり、地方に住むデメリットはない。つまり、地方に住む僕の場合、その手のスタイルの仕事を大切にせざるを得ない。
他にも、フィルムの場合は、フィルム代や現像料などコストがかさむことや、環境破壊の問題もある。結局、画質にこだわる僕も、フィルムとデジタルカメラとを使い分けることになる。
今朝は、この冬に予定している野鳥の撮影のための機材を選定するつもりだったが、また別の機会を設けようと思う。
ニコンを使うか、或いはキヤノンを使うか、どんな局面で、どの程度フィルムを使うかなど・・・・、そろそろ決めて準備を始めたい。
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2006.1.5(木) パーツ

小動物の体のパーツを写した写真には結構な需要があり、僕も、アメリカザリガニやアマガエルやカタツムリなどの体の部分にはよくカメラを向ける。
ただ、パーツを写すというのはいかにも仕事的な撮影であり、わざわざそのために撮影の機会を作るよりも、他の撮影のついでに、体のパーツも写しておくことが多い。
今日は、アメリカザリガニが餌を食べる様子を撮影するついでに、ハサミのアップを撮影してみた。
(撮影機材の話)
僕のパソコンに接続しているハードディスクには、アメリカザリガニの体のパーツばかりを収めたフォルダーがある。
それらの画像を一同に眺めてみると、パーツであるから絵柄はどれも良く似ているが、撮影に使用したデジタルカメラによって、色合いや画質にはかなりの違いがあることがわかる。
それらの撮影に使用したカメラの中では、僕は、ペンタックスのistDにFA100ミリマクロレンズを取り付けたときの画質が一番好きだ。
ただ、このカメラは古くて、データの書き込み速度が遅い。したがって実用的ではないし、最近は使用していない。だが優しい緑の発色と非常に素直なレンズのボケ味には何とも言えない魅力がある。
全く使わなくなった今でも手放す気にはならないし、僕が最も愛着を感じているデジタル一眼レフカメラだ。
今日の画像は、キヤノンのイオス5Dに、タムロン社製の90ミリマクロレンズを取り付けて撮影したものである。5Dの描写は大変に力強い。タムロン社製の90ミリマクロレンズはとにかく評判がいいレンズだが、スタジオでは、意外に硬い感じを受けることもある。スタジオでの描写では、ペンタックスのFA100マクロの方が上だと感じる。
ペンタックスのistDと同時期に購入したのが、ニコンのD70だ。
このカメラもD2Xを購入して以降は使用していないが、D70は、車に常に積みっ放しにしてある。車に積みっ放しにすると盗難などの恐れがあるが、元々安いカメラであり、仮に下取りに出しても大した額にはならないだろうし、ならばそんな使い方をしてみようと思いついた。
最も愛着が湧かなかったのが、キヤノンのイオス20Dだ。
イオス20Dは、大変に評判のいいカメラだが、僕には、すべてが中途半端に感じられた。キヤノンのカメラはよく写るが、持つ喜びを感じさせてくれるカメラではない。そんなキヤノンの物足りないところをすべて凝集したのが、僕にとってイオス20Dだった。 (キヤノンEOS5D・タムロン90ミリマクロ)
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2006.1.2〜4(水) 天の川
12月分の今月の水辺の中で、昨年最も気に入った水辺の写真を選んだが、水辺というテーマを取り払って考えてみれば、他にも、強く印象に残ったシーンはあった。
中でも7月に大分県の九重高原で見た夜空はあまりにすばらしく、その晩撮影した星の写真を、天の川だからという理由で水辺にしようか?と思ったが、写真が不完全であり納得できず、見送ることにした。
撮影に使用したカメラは、キヤノンのイオス20Dというなかなか高く評価されているデジタルカメラだ。だが、あの晩僕が見た星空と、そこで撮影した画像とを比べると、
「もっともっと写って欲しい!」
とカメラに対する不満が込み上げてきた。
そう言えば、昨年は昆虫の足の裏を撮影する仕事で、やはり現状のデジタルカメラの性能に納得できず、同じような気持ちになったことがある。
その晩撮影した画像には、風景の大まかな輪郭は写っていたが、夜空の質感までは写っていなかった。
「フィルムがあればな・・・」
と、その時は大変に悔しい思いをした。その日は、星を撮影するためのフィルムその他、準備ができていなかったのだ。
カメラの画質はほどほどでいいという人も、写真家の中には決して少なくはない。画質よりも、何が写真に写っているかが大切なのだという意見がある。
だが僕は、僕の目に焼きついた自然を余すところなく写し取る、痺れるくらいに高性能なカメラがやはり欲しい。
その星空を見た同じ場所に、その後何度も出かけたが、まだ、あれほどの星空には再び出会っていない。
ここ数日は、その星空に加えて、月を撮影するためにも待機しているのだが、天候が思うようにならず、昨晩などは、晴れの天気予報にも関わらず雲が厚い。午前中までの晴れの予報に期待し、夜通し撮影して朝になってから帰宅するつもりでいたが、結局昨晩のうちに帰宅の途についた。
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2006.1.1(日) 写真を選ぶ
先日、この4月に発売される本の打ち合わせの話を書いたが、今回は2冊の本を同時に作る予定になっている。ところが先日は途中で時間切れになり、一冊分の打ち合わせも十分にできないまま終わってしまった。あとの一冊分の写真は、まずは僕が適当に選び、東京へと郵送することになった。
そこで今日は、ひたすらに、その写真を選ぶ作業だ。
今回の本のギャラは印税である。本の価格の中から一定のパーセンテージのお金が僕に納められる。
ところが、その本は定価は安い。つまり本が安いということは、僕がもらえる印税も少ない。
担当の方もその点をよく理解しておられ、心苦しそうであった。お金が出せないという理由で、新たに写真を撮影するのではなく、すでに僕が撮影して持っている写真を使い、本を作りたいという。
「すいません。本当はじっくりと本作りをしたいところですが、こんなやり方で・・・」
とすまなそうにおっしゃるのだが、それはそれでいい。たまには気楽な仕事もいい。
生き物の本は、それほど売れるものではない。したがって、自然写真はそう大して儲かる仕事ではない。
仮に、何か生き物の写真を新たに撮影し、その写真で本を作り、幾分かのギャラを得たとしても、撮影に費やした日数や手間や機材をお金に換算すると、純粋にそれだけでは、なかなか生活を成り立たせることは難しい。
夢中になって撮影していると、下手をすると、本を作り仕事をした結果が赤字になることも十分にあり得る。
ところが今回の仕事のように、他の撮影のついでに撮れてしまった写真を流用して、それでギャラをもらう機会に恵まれれば、少しずつ生活が潤ってくる。
確かに仕事の面白味には欠けるが、そうした仕事もとても大切な仕事なのだ。
むしろ、それで初めて自然写真が仕事として成立するといってもいいのかもしれない。
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