撮影日記 2005年6月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
  

 2005.6.29(水) 飼育室の温度

 飼育室が高温になり過ぎてザリガニを死なせてしまったことを昨日書いたが、今日は、扇風機を回してみたり、窓を少しすかしてみたりといろいろに条件を変えながら、朝から飼育室の室温のチェックをしてみた。
 僕が事務所にいる日には窓を大きく開けておけばいいので問題はないが、問題は取材に出かけている時だ。いろいろなケースを想定して出した結論は、どんなに手を施しても、やはり温度が高くなり過ぎる不安は拭い去れないというもので、飼育室内の水槽を、事務所の建物の中の一番涼しい場所に移すことにした。
 これは、丸一日かかりの作業である。
 スタジオでの撮影の場合、そうして試行錯誤している時間の方が、写真を撮っている時間よりも断然に長い。

 

 2005.6.28(火) 悪い巡り合わせ

 先日取材中に、車に積んでおいたバッテリーが倒れ車内にバッテリー液が漏れたことを書いたが、それからどうも巡り合わせが悪い。
 帰宅後に、車の中に設置してあるベッドや布団を下ろし、車の床に敷いてあるマットを剥がし、マットの下に漏れてしまったバッテリー液をホースで洗い流したのだが、マットの裏側に貼り付けてある断熱材にしみ込んだ水がなかなか乾かず、仕方なく、ベッドや布団を一晩屋外に放置しておいたら、その日に限って今年は滅多に降らない雨が降りった。
 布団はずぶ濡れになってしまった。
 翌日、布団を乾かして、車の底にマットを敷きなおし、ベッドを積み込みいつもの取材の態勢を整えたら、今度は車の中でカエルを逃がしてしまい、どこを探しても見つからない。仕方なく、もう一度ベッドを下ろし、隅から隅までカエルを探す羽目になった。
 今日は、あまりの暑さに飼育室の温度が上がりすぎ、飼育中のザリガニが半分死んでしまった。ザリガニの場合、一度弱るとまず回復しないので、残りの生き延びたものも心配である。
 せっかく、手足が完全に揃っていて、ヒゲが見事に長いザリガニを集めておいたのに・・・
 明日は飼育室の温度が上がり過ぎないように、何か工夫を施さなければならない。

 

 2005.6.27(月) 更新

 今月の水辺を更新しました。

 

 2005.6.26(日) ようやく

 今日は久しぶりに少し雨が降った。
 連日の晴れで殻に篭ったままになっていたカタツムリたちが、多分、今日は久しぶりの雨で動き出し、ウジャウジャ湧いているかのように集っている場所があったはずだが、片付けなければならない仕事があり、出かけることができなかった。
 ただ、ようやくどうにも忙しい時期を脱することができたようだ。
 僕は、写真家などという存在は、そこそこに暇でなければならないと日頃思うし、それを目指しているのだが、なかなか思うようには事が進まない。
「あいつ暇そうだけど、どうやって暮らしているの?」
 と言われるように、なれればなりたいのだが。

 

 2005.6.24(金) 帰宅をすると・・・

 取材に出かける前日は忙しいと、先日日記に書いたが、帰宅をした直後も、これまた忙しいことが多い。
 まずは、取材に出かけていた間放っておいた飼育中の生き物たちの世話であり、さすがに5日間も放っておくと、かなり念入りな手入れが必要であり、時間がかかる。
 それに加えて、ちょうど今は植物や蝶を定期的に撮影する仕事を抱えていて、それがいずれも揃いも揃ってすべて撮り頃になっているのだから、右から左に流れ作業のように次々と撮影しなければならない。
 数日間野山を歩き、いろいろな空想をして、その間に見てきた夢から一気に醒める思いがする。

【お知らせ】
 あまりに仕事が重なってしまい、メールの返信や郵便物の発送に1〜2日時間がかかってしまうかもしれませんがお許しください。

 

 2005.6.22(水) 独り占め




 初めて東北に野鳥の撮影に出かけた際に、僕は、東北には高価な機材を持ったカメラマンが大変に多いことに驚かされた。九州では見たこともないような特殊な望遠レンズを持ったカメラマンが一人や二人ならともかく、列をなしてカメラを構えている様子を目の当たりにして我が目を疑った。
 彼らはみんな関東から撮影にやっていた都会派のカメラマンたちであった。九州に住んでいると、東北地方は九州と同じく関東からはるか遠く離れた地であるような気がしてしまうのだが、地図をよく見てみると、関東と東北は意外に近い。
 都会に近い場所では、自然に対して圧倒的にカメラマンの数が多く、一匹の鳥をぐるりと取り囲んで撮影会さながらに野鳥の写真を撮るようなケースもあるようだ。
 一方で首都圏から遠く離れた九州はやはり田舎であり、一部の人気スポットを除いて、カメラマンが殺到するような場所はあまりない。その分、生き物やいいカメラポジションに関する情報が少なくて、自分で探さなければならないが、一人で落ち着いて撮影できる良さがある。
 今日の画像の場所は見ての通り見事な湿原であるが、全くの手付かずである。2度ほどここで撮影したことがあるが、人に出会ったこともなければ、ゴミや足跡などの人の痕跡も一切ない。麓に小さな看板があるが、駐車場もないし、地元の人がたまにハイキングに訪れる程度のようだ。
 こんな場所を独占できるのも、地方ならばでのことだろう。この場所には今シーズン中に何度か出かけ、じっくり撮影してみたいと考えている。
 難は、この湿原は山上にあり、1時間以上も登山をしなければならないことだ。道もなかなか険しい。
 
 水深が浅くて水がきれいな湿原といえば日本一小さなトンボ・ハッチョウトンボである。この湿原はまさにそんな条件に当てはまるので、ハッチョウトンボが見つかるのではないか?と探してみたら、たった一匹だが見つけることができた。

 

 2005.6.21(火) 食う食われる

 僕が撮影をする場所には携帯電話の電波が届かない場所が多い。
 したがって車にトラブルがおきると、JAFを呼ぶにも、まず携帯電話が通じる場所まで歩かなければならず、非常に面倒な事態に陥ってしまう。
 それを避けるために、さまざまな備えをしているのだが、例えば、車には予備のバッテリーを積み込み、そのバッテリーを常にフルに充電した状態で待機させるように配線を施している。
 万が一バッテリー上がりやバッテリーは壊れてしまった場合でも、予備のバッテリーを繋げば、エンジンをかけることができるのだ。
 ところが、今日は、急ブレーキをかけた拍子にその予備のバッテリーが車内で倒れてしまい、液が漏れてしまった。気がつけば、液が化学反応をして、カメラバッグが1つ、ドロドロに解けてしまった。
 液は、車の床面に敷いてある敷物の下にまで入り込んでいて、今日は数時間かけて、まず荷物を全部車外に出し、さらに車の敷物をはがして液をふき取る掃除である。かなり丁寧に掃除をしたが、まだバッテリー液のにおいがする。帰宅をしたら、再度大掃除である。
 そんな面倒なアクシデントに見舞われたが、撮影は非常に楽しくて、ハッチョウトンボやサラサヤンマを存分に撮影することができた。とても楽しかったり、アクシデントがおきたり、出入りの激しい一日であった。

 さて、今日の画像のサラサヤンマの飛翔を撮影した直後、僕が撮影していたサラサヤンマはコオニヤンマに食べられてしまった。
 なんとすごいシーンであろう!
 昨年はちょうど同じ場所で、サラサヤンマどうしが空中で取っ組み合いをする写真を、不完全ではあるが撮影することができた。今日は、そうしたサラサヤンマどうしが取っ組み合いをする様子も観察することができた。
 飛翔中のサラサヤンマがコオニヤンマに捕まる瞬間が撮影できれば良かったのだが、きっとまたチャンスがめぐってくるに違いない。

 

 2005.6.19〜20(日〜月) アマガエルの大群

 僕は撮影用のモデルとして数種類の生き物を飼育しているが、取材に出かける前日には、十分に生き物たちの面倒を見ておかなければならない。
 仮に5日間事務所を空けるのなら、3日くらい餌が持つようにして、残りの2日はかわいそうだが空腹を我慢してもらう。
 最悪なのは、餌を与えすぎて餌が腐り、その結果、生き物がダメージを受けるパターンなのだ。
 そうした取材に出かける前日の準備にはとても時間がかかるし、非常に神経を使う。また、どんなに注意深く世話をしても、決して安心できることはない。
 時には、あまりに気疲れするので、取材に出かけることを取りやめにした方が自分にとって幸せなのではないか?とさえ思えることもある。

 出かけた翌日は、そうした気疲れからか調子が上がらないことが多いので、これといった目的地を決めずに車を走らせることが多い。そして、いつもならなかなか撮影する機会がない被写体に、気持ちを楽にしてカメラを向ける。
 昨日は、山口県の山間で稲の手入れをしておられる方を見かけたので、作業の様子を撮影させてもらうことにした。
 カメラを持って田んぼに近づくと、ちょうどアマガエルのオタマジャクシがカエルの姿へと変化して上陸をするタイミングであり、周辺の草むらを歩くと、1平方メートルあたりおよそ40〜50匹もの小さなカエルが、ピョンピョンと飛び出してくる。
 飛び出してきた子ガエルたちは田んぼへと飛び込み、ス〜イス〜イと泳いで稲に登り避難をしたつもりなのであろう。1本の稲に10匹くらいのカエルが鈴なりになるのだ。
 そうしたタイミングに今までも何度か行き当たったことがあるが、今回はカエルの数が非常に多くて、信じられない!といったレベルなのである。なんとなく農作業を撮らせてもらおうと思いついたことが、幸運を呼び込んでくれたようだ。

 今日は、広島県の湿原を歩いてみた。
 
(撮影機材の話)
 今年は、本格的にデジタルカメラを導入するためにたくさんの機材を購入した。事の始まりは、ニコンのD2Xが大変にいいカメラであり、これはじっくり使いこなしたい!とその気にさせられたからだが、D2Xの性能をフルに引き出すために、デジタル専用の17〜55ミリ、最新の70〜200ズームなど、高価なレンズを大枚をはたいてそろえた。
 僕は、デジタルカメラをメインにするのは、まだ先のつもりでいたのに、今や9割以上の撮影でデジタルカメラを使うようになった。特に望遠レンズを使用して、被写体を画面の中にある程度大きく撮影するケースに関しては、デジタルカメラの画質ってすごいな!としみじみ感じる。それからストロボを使用する場合は、ライティングの具合をその場で確認できるデジタルカメラに圧倒的にアドバンテージがある。
 ところが先日、645判のフィルムカメラを使用する機会があり、その画質の良さにハッとさせられることがあった。特に、ワイドレンズを使用して被写体を小さめに撮影した上で、それを本の中で大きく伸ばして使用するようなケースでは、645判のフィルムカメラの方が一枚も二枚も上だと感じる。 
 もうしばらくは、新しい機材と古い機材とを併用する撮影が続きそうだ。 

 

 2005.6.18(土) オオケマイマイ

 このホームページの中には情報募集のページがあり、現在ぼくは、カタツムリに関する情報を募集している。
 すると時々日本各地からカタツムリが郵送されてくるが、今日は、実に面白いヤツが送られてきたので早速撮影してみた。
  オオケマイマイである。
  送ってくださった方は愛知県在住で、熱帯魚に詳しく、熱帯魚に関してアドバイスをしたり記事を書いたり、時には、自ら写真もお撮りになるようだ。熱帯魚の仕事以外にも、鳥や昆虫にも興味を持っておられ、好きな生き物の種類が僕と良く似ているように思う。
 ホームページを見せてもらうと、なかなか手堅く撮影された画像が多数掲載されている。
 僕はカタツムリを提供してくださった方には、今日の画像のようにスタジオで撮影した画像を提供することにしているが、目が肥えてた人に画像を提供するわけだから、撮影には自ずと力が入る。
 今回、この奇天烈な形の殻を持つオオケマイマイを3匹提供してもらうことができたので、上手く行けば飼育下で繁殖をさせることができるに違いない。
 それを丁寧に育て、殻の周りの毛がどのように生えてくるのか、それを撮影して、どこかで紹介してみたいように思う。

 さて、どなたか出版に携わっておられる方で、カタツムリの図鑑を作ってくださる方はおられないだろうか?
 きっとそんな図鑑を作ってもあまり売れないだろうし、写真家が受け取るギャラは安くなるに違いないが、カタツムリ図鑑の写真を撮ってみたいのだ。
 身近な種類を100〜200種類くらい。今日の画像のように生きているものをスタジオで撮影し、カタツムリの面白いネタを付け加えた本が作りたい。

 

 2005.6.16(木) 門外漢

 今年は、小さな仕事がちょこちょこちょこちょこと入ってくる。
 しかもなぜか水辺ではない被写体が多く、今日は予定していた蛍の撮影を中止して、急きょアゲハチョウの卵や幼虫を撮影することになった。
 アゲハの幼虫をまじまじと見たのは、子供の頃以来のことである。
 今回求められたアゲハに関する撮影は飼育シーンであり、今日のところの撮影は比較的短時間で終わったのだが、ついでに幼虫や卵など一般的なアゲハに関する写真を撮影しておくことにした。意外に、そうしてついでに撮っておいた写真はよく売れるのである。
 つい先日は、これまた門外漢の植物を撮影したばかりであるが、植物の撮影に使用した機材をそのままにして放っておいたら、それがアゲハの撮影にピッタリとはまり、照明の位置やその他を設定するなど特別な準備をすることなしに、そこに虫を置くだけで撮影が終わってしまった。
 いつもは、どうしても最低限こなさなければならない仕事だけで一日が終わってしまうことが多いが、今日のように、ついでに他のシーンが撮影できてしまう日もたまにはある。

 

 2005.6.15(水) 疲れ

 昨晩は長崎県で蛍の撮影を予定していたのだが、前日までの上京の際の疲労があまりに激しく、計画を取り止めにすることにした。
 高速道路に乗り、途中まで車を走らせたが、フラフラ、クラクラして事故でも起こしては元も子もない。パーキングエリアで仮眠を取り、それから引き返すはめになった。
 日頃僕は、病気をしても撮影に出かけるし、むしろ撮影をして自然の空気を吸ったた方が早く体調が回復するのだが、東京で人ごみの中で揉まれた際の疲労だけは別で、体の具合がおかしくなるだけでなく、非常に無気力になる。
 どうにもならないとしか言いようがないほど、僕は東京で疲れてしまう。
 しかし、悲しいことに自然写真の出版の仕事は、しばしば東京でしか成り立たないので、年に何度か上京をしなければならない。今回は、日本自然科学写真協会の集まりや懇親会であったが、この夏には、今度は仕事で数日間東京に滞在する予定である。
 それを考えると、ハ〜と今からため息が出てしまう。
  
 さて、そんな日は、スタジオで撮影するのがよろしい。
 今日は、先日採集しておいたトノサマガエルを撮影してみた。

 

 2005.6.14(火) 上京

 僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の集まりに出席し、昨晩、福岡に戻った。
 集まりは、SSPの活動に関して委員がその他の会員に報告をする総会〜デジタルカメラの主に技術的なことに関する発表会〜懇親会と続き、その後、僕は、数人の方と一緒に昆虫写真家の海野和男先生の事務所にお邪魔することになった。
 昨年も同じ時期に上京し楽しかったが、今年は、特に楽しかったように思う。
 新しい出会いもあった。
 書きたいこともたくさんあるのだが、あまりに疲れがひどいので、またの機会にしようと思う。僕は上京すると、不思議なくらいに疲れるのだ。
 東京のビジネスマンは、ほんとうにすごいとしじじみ思う。
 僕は日頃贅沢をしたいとはあまり思わないが、上京するときだけはあまりに疲れるので、車と運転手と高級ホテルの一室が欲しい。

 

 2005.6.11(金) ツチガエルとヌマガエル

ツチガエルとヌマガエル

 東京の知人と話をすると当たり前に東京の地名が出てくるが、九州に住んでいると、それがどこなのかさっぱり分からないことが多い。東京の人は、自分をスタンダードだと考えているふしがあるように思う。
 出版もしばしば東京中心であり、例えば、カタツムリといえば東京に生息するミスジマイマイの画像が求められる。九州には、ツクシマイマイが生息し、ミスジマイマイとの100%確実な区別には解剖が必要であるほどよく似ているのだが、それでもミスジマイマイの画像を・・・と求められることが多い。
 ケシカラン!と思う。
 そんなに東京中心に本を作らなくてもいいのでは?と、僕は感じるのである。

 カエルの場合であれば、ツチガエルは、ポピュラーなカエルとして時に本の中で写真を見かけるが、良く似たヌマガエルは、滅多に目にすることがない。
 ヌマガエルは西日本のカエルであり、関東には生息しないのである。
 ヌマガエルとツチガエルは上の画像のようによく似ており、ツチガエルにはいぼがあり、ヌマガエルにはいぼがないと解説している本もあるが、ヌマガエルにも若干のいぼがある。体色は、カエルの場合は周囲の色に合わせて多少の変化をし、九州の場合はヌマガエルもツチガエルも生息するので、この2種を、野外で瞬時に見分けるのは難しい。
 さらに区別をややこしくするのが、図鑑の東京中心の記述である。
 「ツチガエルは田んぼに多い。」
 と、しばしば解説がなされているのだが、九州〜山口の場合、ヌマガエルが圧倒的に多く、ツチガエルは実に少数派なのである。
 図鑑を鵜呑みにしていた僕は、長い間、田んぼで目にする茶色のカエルに対して、この中にツチガエルがたくさん含まれているはずだ!と、両者を区別しようと試みていた。
 が、実は、僕は、ほとんどヌマガエルだけを見ていたに過ぎなかった。ヌマガエルの中のツチガエル似の個体を見つけ出しては、お!これはツチガエルか!といった具合である。
 写真家は日本各地にすんでいるのだから、もっと各地の生き物を、いろいろな生き物がいるという事実を紹介してもいいのではないだろうか?

 生物学の学生時代にカエルを解剖したことがあった。
 担当のI先生は、学生が捕まえてきたカエルの名前をツチガエルと教えたが、今思えば、大半は、ヌマガエルだったはずである。
 I先生の場合は、両生類の研究者といっても、カエルの卵が成長するメカニズムの研究であったから、カエルの名前に詳しくないのはうなずける。また、I先生は北海道大学出身であり、西日本の自然に馴染みがないことも間違いの原因であったに違いない。が、それでも大半の人よりもずっとカエルに興味がある人なのである。
 田んぼで見かける茶色のカエル=ツチガエルという関東中心の知識が、西日本には西日本のカエルがいるという面白い現象に気付かせないようにしてしまったのではないだろうか?
 
 さて、今日はツチガエルをスタジオを撮影したのだが、ヌマガエルとの違いに驚かされた。
 野外では、ツチガエルにしても、ヌマガエルにしても、驚くとジャンプをして逃げるので気付かなかったのだが、両者は、歩き方が全然違っていたのである。

 

 2005.6.10(金) 飽きるほど

 僕は、カタツムリやアマガエルを撮影する機会が多いが、カタツムリにしてもアマガエルにしても、アジサイとの組み合わせが定番である。
 カタツムリとアジサイ、アマガエルとアジサイは、これまでに飽きるほど撮影してきた。
 したがって、アジサイが咲きはじめると、とうとうこの時期が来てしまったかと。
 時には、ちょっと待ってよ!といった気持ちにもなる。
 先程、飽きるほどと書いたが、もしかしたら、もう飽きているのかもしれない。

 多くのアマチュアの写真を見ていると、同じ場所に通い続けている人の写真は、ある時を境に質が落ち始めることが多い。きっと飽きているのだと思う。
 アマチュアの場合は、それで生活をする訳ではないし、そうなると、飽きても撮影を続ける動機がなくなり、そこから立て直して、さらに完成度の高い写真が撮れるケースは滅多にないように僕には感じられる。

 プロの場合は、生活がかかっているので、飽きたでは済ますことができない。生活がかかっているということが動機になり、カメラを向け続けることになる。
 一方で、飽きるほど、いや飽きるまで撮ったからこその思い入れがあることに、時として気づかされることがある。
 今年は、アジサイのつぼみが花を開かせる様子を連続写真で撮影中だ。見慣れた被写体であり新鮮な感動は全くない。が、飽きるまで見てきた被写体だからこその、言葉には表現しにくい何とも言えない思い入れがある。
 僕が死ぬ日がきたら、大好きな渓流を歩いた時間よりも、意外に、アジサイとカタツムリやアマガエルを撮影する時間が思いだされるのかもしれない。
 
 

 2005.6.9(木) カエルの撮影

 生き物たちが最も活発に活動する季節に突入しているというのに、あと一歩調子に乗り切れない感じがする。遅々として前に進まないなぁと、自分に対して不満を感じる。
 昨年はもっとガンガン仕事ができていたように思え、今頃いったい何をしてたっけ?と、撮影記録に目を通してみると、去年は、セミの幼虫の撮影に苦心中であった。
 それを読むと、去年もスイスイ仕事ができていた訳ではなく、右往左往しながら、それでも少しずつ前へと進んだに過ぎない。
 去年、たくさんの時間を費やしたのは、セミの卵から幼虫が孵化をするシーンである。
 セミは木の中に卵を産みつけるが、木を切り裂いて卵をむき出しにすると、卵が乾燥して死にやすい。
 仕方がないので湿気を与えると、今度は木の切断面や卵にカビが生えてしまう。
 かといって木を切り裂かなければ、卵を見ることができないので撮影が不可能にある。
 結局、卵が産みつけられた痕跡がある木の枝を、切り裂かずに、そのまま放っておくのがいい方法であった。すると、やがて卵が孵化をして幼虫が木の中から這い出してくるので、幼虫の姿を確認してから木を切り裂けばいい。
 すると、木の内部に生みつけられた他の卵は、だいたいタイミング的に孵化寸前であり、1〜2日の間に孵化をする状況にまで育っているし、卵が乾燥したり、カビが生える前に孵化を撮影することができる。
 それに気付けば簡単な撮影であるが、気づくことができなくてたくさんの時間を費やしてしまったのだ。

 さて、大分県の本耶馬溪という町へ、カエルの撮影にでかけた。
 おととしのことであるが、ちょうど道すがらに本耶馬溪でアマガエルのオタマジャクシを採集したら、その中にたくさんのトノサマガエルのオタマジャクシが含まれていて、その場所がトノサマガエルの宝庫ではないか?と、思えたのだ。
 一晩探してみたら、宝庫とまでは言えないが、それなりの数を見つけ出すことができた。
 自然の音の中で何が一番好きか?と問われれば、僕はトノサマガエルの鳴き声である。
 トノサマガエルの写真の方はイマイチであったが、鳴き声を聞くだけで十分である。かわりにアマガエルの写真を掲載してみた。

 

 2005.6.7(火) アンシャープマスク

 

 デジタルカメラで撮影された画像は、フォトショップなどのソフトによって若干の画像処理がなされた上で印刷されることが多い。例えば、アンシャープマスク(一般的にはシャープと呼ばれている)によって、画像をよりシャープに見せるのが一般的である。
 そのアンシャープマスクは、半径閾値の3つの数値を変化させる操作だが、それらの数字の意味がよく分からないと過去に何度か知人から質問が寄せられたことがある。
 そこで今日は、アンシャープマスクについて触れてみようと思う。

 今日の画像は、左が元画像であり、右は、アンシャープマスクによってシャープに見せる処理を施したものである。この場合、量を500%、半径を4.6ピクセル、閾値を0に設定した。
 処理の前後で、何がどう変化しているだろうか?
 まずソフトは画面の中の輪郭を検出し、その輪郭の明るい部分はより明るく、暗い部分はより暗くすることで輪郭に縁取りを作り、強調する。
 それが、画像をよりシャープに見せることにつながる。
 その結果、アンシャープマスクの処理を施した右の画像には、白い縁取りと黒い縁取りが見られるが、この縁取りの太さが半径である。
 さらに、白い縁取りと黒い縁取りの明暗差の大きさを決めるのがである。僕は今回500%という大きな数字を打ち込んだが、数字を200%くらいに小さくすれば、縁取りの明暗差が小さくなる。
 また僕は最初に、ソフトが輪郭を検出すると書いた。
 輪郭を検出する際には、ソフトは画像の中の明暗差がある部分を探し出しているのだと思われるが、どの程度の明暗差があれば、そこを輪郭と判断するのか、その程度を決めるのが閾値である。閾値の数字を大きくすると、明暗差が激しい部分だけを輪郭とみなし、逆に閾値を小さくすると、ちょっとでも明暗差があれば、そこを輪郭と見なすことになる。
 具体的にどんな数値を打ち込めばいいかは、最初は雑誌などに目を通して、そこにしばしば掲載されている例題と同じ数字を打ち込んでおけばいいだろう。例えば、半径を1、閾値を0に設定しておき、画像を大きく拡大して画面を見ながら量を変化させ、好みのところに落ち着かせる。
 そして数をこなすうちに、もしも、
「もう少し輪郭の縁取りを細くしたいなぁ」
 などと感じるようになれば、例えば半径の数字を小さくするなど、自分なりの数字を打ち込んでみればいいのではないだろうか?
 ただ、仕組みをよく知っておくことは、上達への近道である。
 
 さて、今日は、これから田んぼに出かける予定だ。夕方から夜の田んぼで、カエルの仲間を撮影したい。昨日も早朝に田んぼに出かけ、アメリカザリガニを撮影してみたが、虫にまぶたを刺されて、見るも無残に腫れあがってしまった。お陰で、人に会うことがはばかられる。
 今日は、虫除けを塗っておこうではないか。
 その撮影の気分を盛り上げるために、昼間は最低限の仕事以外カメラを持たないようにしていたのだが、手持ち無沙汰なので画像処理について書いてみた。
 
 

 2005.6.6(月) 影と陰

「かげ」と言う言葉には、「影」と「陰」の2種類の字が当てはまる。
 今日の画像は模型の鳥の右側から照明を当てて撮影したものだが、そうすると左側の地面に影が落ち、また、模型の照明が当たりにくい面に陰ができる。

 陰の出来具合は、一般的に照明と被写体との角度の問題であるから、照明器具を被写体から遠ざければ遠ざけるほど弱くなる。
 逆に影は、照明器具を遠ざければ遠ざけるほど強くなる。
 影の強さは、照明器具の大きさによって変化し、照明が小さければ小さいほど影は強くなり、スポットライトのような小さな照明器具で物を照らすと強い影ができるのは、多くの人が経験的に知っていることである。
 もしも照明器具を被写体から遠ざければ、それは、照明器具が相対的に小さくなることを意味する。例えば、実際は大きな太陽も遠くからみれば小さく見えるのと同じしくみである。つまり、照明器具を遠ざけることで照明が小さくなり、照明が小さくなると、影が強くなるのだ。
 上の画像の場合、陰は強めで、影は非常に柔らかで弱いが、これは、照明が模型のすぐ近くにあることを意味する。
 写真の場合は、ストロボと呼ばれる照明器具がしばしば使用されるが、特別な意図がない場合は、なるべくかげが弱くなるように照明を使うのが基本である。スタジオ撮影の場合は、照明と被写体との距離に関して、ある程度の決まりごとのようなものがある。

 スタジオで使用するストロボは、電気スタンドのような形状をしていて、カメラマンが好みの位置に置くことができるが、野外で使用するストロボは、一般的に、カメラ本体に取り付けるように作られている。
 つまり、野外でストロボを使う場合、カメラと被写体との距離=照明と被写体との距離である。
 僕はこれまでペンタックス645Nシステムに120ミリのレンズを使用して、アマガエルくらいの大きさのものを撮影することが多かったので、その際のカメラと被写体との距離で、最も物がきれいに写るように照明を工夫してきた。
 それが、デジタルカメラを使用するようになり道具が変わり、カメラと被写体との距離も変化した。それに伴って、照明器具にも若干の手を加えてきた。5月27日に、『ストロボのテストをした』と書いたが、テストとは、そうしたことを試していたのである。
 
 写真雑誌を読んでいると時々照明の使い方に関してアドバイスがなされているが、多くは、陰が強く出すぎた写真に対して、
「照明を離しましょう。」
 と書かれている。それを読んだ大半の人は、恐らく、照明を離せば写真がきれいに写ると思い込んでいるに違いない。
 が、照明を離せば、今度は影が強くなり、見苦しくなる。
 小さな生き物を撮影する人の場合、それを知識としては知らなくても、経験的に知っている人は、決して少なくないのではなかろうか?
 例えば、いつもは100ミリのレンズで撮影している人が、稀により望遠の200ミリのレンズを使用して、遠くから照明を光らせる。当の本人は、照明を遠くからあてたので写真がきれいに写ると思い込んでいるのだが、実際は、何だかいつもの写真よりも影が見苦しいと感じる。
 スタジオ撮影を多少勉強するまでは、僕もその一人であった。
 雑誌のコンテストに投稿された小動物の画像の撮影データを見ると、小動物を撮影する人の場合、ニコンのD70やキヤノンの20Dといったデジタルカメラに100ミリクラスのマクロレンズを使用している人が多いが、僕は、60ミリを好んで使っている。
 これは、60ミリで近づいて撮影した方が、ストロボを使う際の影と陰のバランスが取りやすいからである。

 このところどうも撮影が雑になっているので、今日は、仕事を1つだけ、でも確実に!と決めて、残りの時間に、照明と被写体との距離について書いてみた。

 

 2005.6.5(日) 不得手なシーン

(撮影機材の話)
 生き物を風景の中に小さく撮影した上で、それを大きく伸ばして使用するようなケースでは、デジタルカメラは、まだまだ弱いなぁと感じる。
 今日は、そんな撮影にニコンのD2Xで挑んでみたが、明らかに画像の質感と色が薄っぺらで、どうしても納得ができない。1200万画素のニコンD2Xを使えば、これまでの600万画素のカメラに比べると大伸ばしには強くなっているのでは?と期待していたのだが・・・。
 明日、同じシーンを、645判のフィルムカメラで撮り直すことにした。
 昨年は、同じようなケースで、なぜだ?なぜだ?とデジタルカメラを片手に右往左往することが何度かあった。散々もがいた挙句、結局、フィルムで撮影してみると、実に簡単にいい結果が得られた。
 現在僕は、ほぼすべての撮影でデジタルカメラを使用しているが、まだ、完全にフィルムカメラを引退させることはできないようだ。
 ペンタックスの645シリーズの流れを汲むデジタルカメラの登場が待ち遠しい。

 

 2005.6.4(土) 月刊誌-2

 本作りの際に全体を指揮する役割の人を、編集者という。
 例えば、記事をどんな内容にするのか、写真を使うのであれば、どの写真をどういう風に使うのかなどを決める立場にあり、編集者は強〜い強〜い権限を持っている。
 写真家は、しばしば、
「編集者という人種は、全く写真が分かっていない!」
 と憤る。写真家が写真家の立場で、これ!と考えている写真を、編集者が必ずしも選ぶとは限らないのだ。
 だが僕は、そんなに憤る必要はないのではないか?と、日頃感じる。
 なぜなら、自分が、いい!と思った写真を選んでもらえないこともあるが、逆に、自分でなんとも思っていなかった写真を、これいい〜と絶賛して選んでもらえることもあるからだ。
 自分の思い描いた写真が選ばれないという面を見て腹を立るよりも、自分で何とも思っていなかった写真を絶賛してもらえるという面を見た方が、より幸せであることは言うまでもあるまい。

 僕の周囲には女性の編集者が圧倒的に多いが、本作りの過程で、男女の感覚の違いをひしひしと感じることがある。
 僕が捨ててしまおうか?と思っていたような写真をこの写真可愛い〜と、女性の編集者が大変に気に入って使ってくださったことが過去に何度かある。
 どうも、女性にとっての可愛いという感覚を、男性はすべて理解できるわけではないようである。世の中のおよそ半分は女性であり、男性が逆立ちしても理解できないこともあり、自分の殻に閉じこもり、自分だけの価値観で、この写真はいいとか良くないと決めてしまう必要はないのではないか?と、僕は考えている。
 また、話はちょっとそれるが、山口百恵さんが歌った『いい日旅立ち』という曲は、谷村新司さんの作曲であるが、谷村さんは、当初、あまりいいできばえの曲だとは思わなかったのだそうだ。
 ところが、期限の関係で気に入らない曲を山口百恵さんに聞かせなければならなくなる。そして、恐る恐る
「どう?」
 と尋ねると、
「うん、いいじゃない!」
 と返ってくる。
 途端に谷村さんの中に、名曲を書いた!という自信が湧きおこってきたのだと、何かのインタビューで谷村さんが語るのを聞いたことがある。
 写真も、似たようなものではないか?と、僕は日頃感じている。

 一方で、男性の編集者と仕事をしてみたいな〜と、僕は長い間切望していた。
 大阪の出版社・ひかりのくにから発売されている本「がくしゅうひかりのくに」の6月号で、僕はカタツムリのページを8ページに渡って担当したが、この本の編集者・釋(しゃく)さんは男性である。
 釋さんは、自らを、「私は何を隠そう印刷オタクです。」とおっしゃったが、カメラマンも含めて、男性は、印刷がどうだとか、カメラの画素数がどうだとか・・・、しばしばそんなことが気になる存在なのである。
 実は、僕もデジタルカメラを使いこなすために、印刷に詳しくなりたいと思っているのだが、まさに、今の僕にピッタリの編集者と出会うことができた訳である。
 僕は、さっそく、印刷に関して、釋さんに質問をぶつけてみることにした。これはやはり、男同士の世界なのだ。 
(がくしゅうひかりのくに 全8ページの撮影を担当)

 

 2005.6.3(金) 月刊誌

 僕は、ここ2〜3年、子供向けの本の中でも、特に月刊誌の仕事に力を入れている。理由は、仕事の内容そのものよりも、月刊誌の担当者に、一緒に仕事をして楽しいと感じられる人が多いからだ。
 毎月毎月定期的に出版される月刊誌は、単行本と比較をすると、たとえページ数が同じでも格が低く扱われるケースが多いが、僕は、本の格式よりも、とにかく楽しく仕事をしたいと思う気持ちが強い。

 チャイルド本社のビッグサイエンスは、本を広げた時の幅が60センチ、高さが26センチと、ページが非常に大きく、しかも横長である。もしも、その横長の大きなページに写真がピシャリとはまれば見応えのあるページに仕上がるが、逆に上手くはまらなければ、間の抜けた本になってしまうに違いない。
 そんな特殊な形をした本の場合、そうした形に慣れていない多くの写真家にとって、撮影した写真がどんな風に仕上がるのか想像ができにくい。そのため、編集者がいかくに上手くページにはまる写真を選び、そしてレイアウトするのか、その腕にかかるウエイトが大きくなる。
 僕の側から見れば、
「え!これでいいの?」
 と感じられる写真が、この本を担当した竹久美紀さんの手にかかると、実にすばらしいページに仕上がっていたというケースが、この仕事では多々あった。
 そうしたケースの場合、カメラを向ける時に、自分の個性を発揮しよう!などと野暮なことは考えずに、まな板の上の鯉になったつもりで編集者の言う通りに撮ってみるのがよろしい。
 そして、やがて本が形になったときに、
「なるほどな〜。色々な写真の使い方があるんだな〜」
 と勉強をするいい機会である。
 写真家は、自分の思いを主張することも大切だが、時に、教わる気持ちで写真を撮ってみることも大切ではないか?と感じる。
 もちろん、僕にも主張があるが、その思いを主張するには、それなりの技術や経験が必要である。今は、安易に主張することよりも、じっくりと足場を固め、身の回りの人から吸収できることは、一つでもたくさん吸収しておこうと、僕は考えているのだ。

 固めなければならない足場は技術だけではない。例えば他には、ある程度のお金を安定して稼げる体制を作ることも大切であろう。経済的な立脚点が危ういと、腰の据わった仕事はできにくくなる。
 それから、世の中の景気の動向も無視することはできまい。景気が悪いと、せっかく本を出しても売れにくいのだから、そんな時は、無理をするより底力を蓄えておいた方がいい。 
(ビッグサイエンス6月号・チャイルド本社 全27ページの撮影を担当)

 

 2005.6.1(水) リベンジ

 プロを目指して写真を始めたばかりの頃、僕は、たくさんの仕事を請け負えば、写真で生活ができるようになると考えていた。
 仕事の依頼の数こそが、すべてを決めると思い込んでいた。
 ところが実際に取り組んでみると、たくさんの仕事を請け負おうにも、それだけの量をこなす能力が僕にはなくて、大体自分にできそうな撮影の量を考えると、請け負える仕事はごく少量になってしまうことがよく分かった。
 当然、そんな少量の仕事では稼ぎの額もしれている。
 仕事をたくさん取る前に、まず多くの仕事をこなせるだけの力をつけなければならないと痛感させられた。
 そんな目で人様の仕事を眺めてみると、一流の人たちが撮影する写真の量はなんて多いんだろう!いつどうやって、あんなにたくさんの写真を撮っているのだろう?
 まさにそこに、プロとアマとの差があるのだ。
 簡単に言ってしまえば、『要領良く撮り、効率よく売る』に尽きるのだろうが、僕には、まだまだ身に付けなければならないことが多いようだ。
  
 さて、僕の事務所には写真の貸し出しの依頼が寄せられるが、僕は、リクエストに応えられることもあれば応えられないこともある。時には、ありがた〜い写真の貸し出しの依頼であるにも関わらず、
「ごめんなさい。お探しのような写真は僕のところにはありません。」
 と断らなければならないケースもある。
 僕は、前年度リクエストがあったにも関わらず、手持ちの写真がなくて断らなければならなかったシーンに関しては、必ず翌年のうちに撮影をすると決めている。
 一度リクエストがあったシーンは、不思議なことに、何度も何度も同じような写真の貸し出しの依頼がくることが経験的に分かっているからだ。
 最初は断らなければならず、仕事がスルリと逃げていったように感じられるかもしれないが、それをちゃんと生かせば、実は、効率よく写真を売るためにのチャンスがそこにあるのだ。
 
 今日は、カタツムリがいっさいにワッと孵化をする様子を撮影した。昨年、そんな写真の貸し出しの依頼があったが、僕は応えることができなかったのだ。
 カタツムリは、一匹が孵化を始めるとその振動が刺激になり、他の卵も孵化をすると言われているが、飼育下では、1匹、2匹と、ポツリポツリと少しずつ孵化をすることが多く、なかなかそうしたシーンを撮影する機会に恵まれなかった。
 今日は、運良く、たくさんのカタツムリが一斉に孵化をする様子を撮影することができた。
 上の画像を見て、僕がたくさんの子供を乗せて撮影したと考える人がいるかもしれないが、これはありのままの姿なのである。カタツムリを乗せてみたこともあるのだが、不思議と人が乗せたカタツムリは、すぐにその場を離れてしまい、撮影にならないのだ。
 たかがカタツムリ。でも、カタツムリの意志が大切なのだ。
 
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2005年6月分


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