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2005.3.31(木) 珍しい鳥

鳥好きの中には珍しい鳥をひたすらに追いかけるタイプの人がいるが、僕は全く興味がない
が、初対面の鳥があそこにいるよ!と耳にすれば、時間が許す限りできれば見てみたいと思う。
それが世間一般的に言って珍しいかどうかではなく、今までに自分が見たことがない生き物の色や形には、やはり胸がときめくのだ。
ただ、珍しくない鳥とは、だいたいどこかで対面を済ましているのだから、僕が、初対面だ!と胸をときめかす鳥は、世間一般的に言う珍しい鳥である確率が高い。
珍しい鳥を見て喜んでいる人は、僕のようなタイプと、珍しいものを見た!と珍しさを喜んでいるタイプに大きく二分できるに違いない。
珍しい鳥を見た!と喜んでいる人に対して、
「そんなものに何の意味があるのか?」
と否定する人がいるが、僕はそうした人を、了見の狭いだと感じる。滅多に見ることができない生き物の色や形に、理屈抜きにひかれてもいいじゃないか!と反発の気持ちが湧き起ってくる。
子供の頃に学校で、
「人は外見ではありません。」
と教わったことがある。確かに見かけがすべてではないが、見かけが好きかどうかという理屈抜きの部分も間違いなく大切な要素の1つだと僕は感じる。理屈の部分も必要だし、理屈抜きの部分も必要であり、どちらかに偏っているものは、いずれも同じ片手落ちなのだと感じる。
さて、今日は初対面の鳥にあえるかもしれない!と希望を持って北九州の曽根干潟に出かけてみたが、残念ながら対面を果たすことはできなかった。
代わりに新しいカメラをテストして帰ることにして、田んぼのカルガモにレンズを向けてみた。
(撮影機材の話)
ニコンのD2Xは、ファインダーが見やすいのでありがたい。APSサイズのセンサーを持つカメラの小さなファインダーでもD2X程度の性能があれば、特に苦労することもなくピント合わせが可能である。
ただ、超望遠レンズを取り付けるのであれば、これ以上は落として欲しくないなぁと思う。D2Xのファインダーが許容範囲の下限だと感じる。
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2005.3.30(水) パソコンの限界

僕はウインドウズのパソコンを使用しているが、以前はマックを愛用していた。ウインドウズの方が気に入った訳ではなく、その方が安く上がるので仕方なく変えることにした。
が、初めてウインドウズのパソコンを立ち上げた時、そのあまりのセンスのなさにズ〜ンと寂しい気持ちになり、それから1〜2ヶ月はパソコンを扱わなかった時期がある。
もう10年近く前の話だ。
ただ最近になってウインドウズで良かったかなと考えることもある。特にOSがXPになってからは以前のようにフリーズするようなことがなくなった。
また、以前はマックの方が色を正確に見ることができるといわれていた。ウンドウズのパソコンでは、モニターに映し出された画像の色と、プリンターでプリントした際の画像の色に大きな開きがあり、色が合わないことに苦心させられたが、最近はそんなこともなく、思うような色合いにプリントできるようになった。
また、デジタルカメラの画像をあつかうソフトの多くはウインドウズ用に設計されているので、ウインドウズのパソコンの方が画像の処理速度が速いと言われている。これは非常に大きなメリットであり、最近は、そのためにマックからウインドウズに変える人がいるのだと聞いたことがある。
また、今でもマックよりも価格が安いので、買い替えも気楽でいい。
今年は、一台新しいパソコンを買おうと検討中である。
さて、新しく購入したニコンのD2Xを試している。今日は、スタジオでイモリを撮影してみたが、カメラの性能の前に、パソコンの方がついて行けない問題がある。
1200万画素の画像はやはり非常に大きい。今僕が使用している2GのCPU、756メガのメモリーのパソコンでは、画像処理をするためには他のすべてのソフトを終了させなければならない。他のソフトを動かしていると、一枚の画像の処理にとんでもない時間がかかるのだ。
他のソフトをすべて終了させ、それでかろうじて僕の許容範囲だが、それではやはり使い勝手が悪いので、新しい物を・・・とそんな気になっている。
いつもは買い替えるのだが、今回は買い増そうと思う。事務的な仕事には今のパソコンで十分であり、新しいパソコンに色々とソフトをインストールする面倒はごめんだ。今回は画像処理専用のパソコンを加えて持とうと考えている。
今僕が使用している2Gのパソコンは、10万円以下で買えるものを選んだが、今回は多少お金をかけようと思う。来年なのか再来年なのか分からないが、ペンタックスの645判のレンズを使用できる1800万画素のカメラが発売されるだろうから、そこまで考えたものを購入する予定だ。
僕は、生き物の撮影には、1200万画素どころか、800万画素くらいがいいのではないか?と感じているが、風景の撮影になると1600万画素は最低欲しいと思う。
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2005.3.29(火) 照明器具
倉庫の整理中に大きな木が植わった鉢植えが出てきた。亡くなった祖父のものであろうか。
「ああかわいそうに、こんな暗い部屋に閉じ込められてしまって。」
と、その鉢を屋外に出してみて初めて、それが作り物であることに気付いた。
よく考えれば当たり前のことである。
水がない場所で植物が育つはずがないし、倉庫の中は薄暗く光もろくに当たらないのだ。植物にとって、水だけでなく光も必須の条件である。もしも水槽で水草を育てたいのであれば、照明を準備しなければならないし、これは、生き物を飼育する多くの人が知っていることである。
では、動物はどうだろう?魚は?ザリガニは?
照明がなくてもすぐに影響が出ることはないが、やはりあった方が健康に育つことが多い。光が植物性のプランクトンを育て、それを食べる動物性のプランクトンが発生し、魚やザリガニの餌になるのだと思う。
さて、先日撮影用のザリガニを飼育する準備を整えていると書いたが、たくさんの水槽を準備する場合にはたくさんの照明器具が必要になり、また電気代も多くがかかる。
水槽の配置をよく考え、なるべく1つの器具で複数の水槽を照明し、うまくやりくりしなければ、新たに照明を買い足すことになったりと、余分に金がかかってしまう。先日から水槽を色々に並べ替え、苦心していたのだが、今日はようやく水槽や器具の最終的な設置場所が決まった。
何とか、新しいものを買わずに手持ちの照明器具で間に合わすことができたが、物を買わずにすむと、ホッとする。
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2005.3.27(日) ザリガニの飼育

僕の事務所の建物の隣には、1〜2畳ほどの広さの飼育室がある。
今シーズンはザリガニを本格的に撮影すると以前に書いたが、先日から、飼育室の中に、その準備を整えている。
今回はザリガニを合計で16匹飼育する予定で、オスの親が3匹、メスの親が3匹、子供10匹がその内訳だ。
その数は、多過ぎると世話が大変で一匹一匹に目が届かなくなり死なせてしまうことが多いが、少な過ぎると、途中で死んでしまった場合に撮影を中止しなければならないので困る。
16匹という数は、僕なりに良く考えた上での匹数なのだ。
ザリガニは水の汚れや高水温に強い生き物なので、短期間飼育するのであれば、小さな容器にいれて、屋外に放っておいても滅多に死なせてしまうことはない。ところが、長期間飼い続けるのは意外に難しい生き物である。
理由は良く分からないのだが、コロリと突然死することが多い。恐らく脱皮の時に何かアクシデントが起きているのではないかと思うが、十分に広くて水草をたっぷり植えた水槽では滅多に死なないので、何か飼育の際に抑えるべきツボがあるのだろう。
撮影用に1年以上継続して飼う場合は、それなりの設備が必要だ。
今日の画像の棚の一番上にある道具は、本来は浄化槽に空気を送るための大型のエアーポンプだが、空気の噴出し口を自作の部品によって16に分岐し、16個の水槽に1つのエアーポンプで空気を送る仕組みになっている。
水槽の数が多い場合は、市販のペット用のエアーポンプでは高くついてしまうので、浄化槽用の大きなものを流用することにした。またペット用の物は寿命が短いが、恐らく浄化槽用の物はかなり長持ちするに違いない。
僕が購入したものは1万円弱である。ペット用のものをそれに匹敵するだけ買うと2万円以上するだろうから安上がりだが、音が非常に大きいので、僕のように飼育用の建物があればいいが、一般家庭にたくさん水槽を置きたい人にはお勧めできない。
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2005.3.26(土) カタツムリの本

2日連続で本の紹介である。こちらはカタツムリだ。
最近の僕は子供向けの本の仕事が多く、なるべくわかり易い写真を撮ろうとすることが多い。だが、昨日紹介したセミの撮影では、今までの自分にこだわらず、面白い写真を撮ろうと考えた。
それに対してこの本は、いつも通り、なるべく破綻のないわかり易い本を作ろうと考えつつ、シャッターを押した。
他の仕事と重なり、その結果スタミナ切れを起こしかけ、一部詰めの甘い写真があるが、まあ、ご愛嬌であろう。
こちらはフィルムで撮影した写真が中心であり、数えたわけではないが、フィルム:デジタルが7:3〜6:4くらいではないだろうか?
昨日デジタルカメラの画像処理に関して僕は書いたが、その処理の方法は、その人が何を目指すかによって違ってくる。僕の場合は、フィルムで撮影した画像とデジカメ画像とが入り混じった時に、全く両者の区別がつかないというような画像処理を目標にしているが、この本では、それができているように思う。
(撮影機材の話)
早くデジタルへ移行させよう!と僕が考えるようになったきっかけは幾つかあるが、その中の2つを書いてみようと思う。
1つは、僕が好きなフィルムの製造中止である。フジのRVPが、時期はいつだったか忘れてしまったが、なくなるのだそうだ。
僕は雨の中での撮影が好きだと何度か日記に書いたことがある。今回のカタツムリの本の中でも、そんな雨の日の写真を数枚使用したが、雨の日のRVPの発色は、まさに僕が見ているシーンそのものなのである。また、雨の日の濡れた被写体の質感は、フィルムの方がよく写る。
自分が見ているものがそのまま写る喜びがそこにはある。
そのRVPがなくなるのなら、この時代にフィルムにこだわる理由はない。
その後発売されたRVP100はRVPと発色が近く、スタジオの安定した色温の光源のもとで使用すればほぼ同じ発色が得られる。そこで、僕はスタジオでの撮影に関してはすべてRVP100に切り替えた。
が、野外では、両者はかなり違った発色をするフィルムであり、特に雨の日はRVPが圧倒的にいい。一方で、晴れた日の青空などはRVP100の方が自然な色合いに写るので、どちらが優れている訳でもないが、僕が好きなシーンにはRVPが適することが多い。
それとあと1つ、あと1年以内くらいには、ペンタックスの645判のレンズが使えるデジタルカメラが形を現すのではないか?と思われるからだ。
虫のくらし写真館(24) カタツムリ 2450円 ポプラ社
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2005.3.25(金) 画像処理

首を長くして待っていた都会のセミの本が届いた。 書く順番がおかしいかも知れないが、この本に関しては後悔が1つある。 この本のクマゼミの写真は、ほとんどすべてデジタルカメラで撮影したが、出版社に提出する僕の画像の処理が若干甘く、今の僕が見て、あとちょっとやな〜と感じられる甘い点があるのだ。 この本の撮影をきっかけにして、昨年僕は、デジタルカメラで撮影したデータを数多く貸し出したが、それらはちょうど今、出版物として、続々と僕の手元に届きつつある。 昨年一年の経験で、出版社に提出するデジカメ画像の画像処理の要領がだいたい把握できたように思うし、また自信もついた。 その先陣をきったこの本の場合、多少の甘さがあるのは仕方がないことなのかもしれない。 むしろその経験こそが、僕の財産であるとも言えるのかもしれない。 つい先日、本格的にデジタルカメラに切り替えると書いたばかりだが、それはデジタルカメラの潜在的な力がフィルムに比べて勝るとも劣らぬという話ではなく、それを自然写真の出版業界の中で、使いこなせる!という自信が得られたからである。 この本は昆虫写真家の海野和男先生と共著だが、もしも海野先生と共著でなかったら、やはり一人では不安で、ここまで徹底してデジタルを使うことはできなかったように思う。例えるなら、保護者として海野先生が後ろで見守ってくださり、そうした安心できる条件の下で徹底してデジタルを使う機会に恵まれたからこそ、今の自信があるのだ。
さてその画像処理だが、本によっては、 「写真家が画像をあれこれ扱うのは100害あって1利くらいしかない。写真家は元のデータを渡し、あとは印刷のプロの任せるべきだ!」 と書かれている。が、それは、恐らく商品撮影などのケースではないだろうか?商品撮影の場合、時にはその商品を写真と一緒に印刷所に持ち込み、同じ色にしてくれ!と印刷のプロの任せるのだと聞いたことがある。 もしもビールの宣伝用の写真を撮影するのであれば、その一枚の写真のクオリティーに商品の売れ行きの命運の一部をかけるわけだから、時間もお金もたっぷりと費やすことができる。 それに対して自然写真の場合は、一枚の写真にそこまでお金をかけるわけではない。そうした自然写真の出版の環境下で、いかにベストの画質を引き出すのかが重要なのである。撮影者がどこまで画像処理をするのがベストなのかを、僕は昨年一年間探ってきた。
都会にすみついたセミたち 2000円 偕成社(共著)
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2005.3.24(木) 強風の日
僕は、雨の中での撮影が好きだ。他にも淡水の水辺に潜ってみたり、夜の滝の風景を撮影してみたりと、比較的特殊な条件下での撮影に、僕はのめり込む傾向がある。
が、唯一どうしても楽しくないのが、強風の日の撮影だ。
小さな生き物を撮影するものにとって、風はもっとも厄介な自然現象の1つである。被写体がゆらーりゆらーりと揺れ、大変に撮影が難しくなる。そうした風=悪のイメージが仕事柄こびり付いてしまったのだろうか?
強風の日は、そうした小さな生き物ではなく別の被写体に目を向け、風を生かした作品作りも面白いに違いないのだが、風が強い日だけは、よほどに特別な事情がない限り、部屋の中にこもって過ごすことにしている。
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2005.3.23(水) 青木繁記念大賞公募展

「何がきっかけで写真の世界へ?」
と、今まで何度質問をされたことだろう。よく思い出してみれば、僕はそのたびに違った答えを返してきたような気がする。
適当に応えているわけではない。理由が1つであるはずがないのだ。
まず憧れの写真家が存在したこと。その前に、父がカメラ好きでカメラという道具に馴染みがあったこと。さらにその前に生き物が好きだったこと・・・。また、大学時代の時間の過ごし方も、僕を自然写真の世界へと向かわせた大きなきっかけの1つだったように思う。
特に大学4年の時に僕が師事した千葉喜彦先生の影響は、少なからず受けた。
千葉先生は、大学の中では、研究一筋というタイプの研究者だった。生き物の体内時計(サーカディアンリズム)の研究の第一人者であり、動物学会の大きな賞を受賞されたこともある。
が、一旦そこを離れると絵画や音楽を愛し、誰よりも自由を愛した人でもあった。先生の高く評価された研究も、その自由の延長線上にあったのだと僕は感じる。
学生に対してわざわざ就職のめんどうを見ないことで知られていたが、決して学生の進路を心配していないのではなく、それは自分で決めるものなのだという先生の考えだったのだと思う。その代わりに、考える時間をたくさん与えてくださった。
理科系の学生の中には、大学時代に機械のように研究に携わったという人も少なくないだろう。が、千葉先生の研究室には人間らしく考える時間がたっぷりとあり、その時間を体験した者は、反面その自由というヤツが非常に厳しいものであることを知っているのではないだろうか?
さて、千葉先生から展覧会の招待券をもらい、今日は絵画を見に出かけた。青木繁記念大賞公募展に先生の作品が入賞したのだ。
僕は絵画のことは分からぬが、レベルが高い賞であることは、入賞作品の数々を見てすぐにわかった。作品の傾向は多岐に渡り、抽象的なものから写実的なものまで、写真を貼り付けたような作品から立体の模型のようなものまであった。
「叫び」という作品は、何やら人の影らしき抽象的な物体の上に口が描かれている。せっかく抽象化しているのに、なぜ半端にリアルな口を描いたのだろう?デザイン的には好きな作品だったが、そこに中途半端さを感じた。
中には点描でひたすらに模様を描いた作品があり、解説を読んで、なるほど!と楽しくなった。その作品は、筆やインクや紙のための作品なのだそうだ。写真家なら、カメラやフィルムやレンズのための写真というのもあっていいのかもしれない。例えば、虫が好きだからカメラを向けるのではなくて、魚眼レンズを使うのが目的でカメラを向けるのもありだと思う。
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2005.3.22(火) あいにくの
月が満ちてきたので夜景の撮影に出かけたいが、あいにく、ここ数日は天気が悪い。今回は夜の滝にかかる虹を撮影したいのだが、今月は、昨日〜今日あたりの月が一番撮影に適しているはずだった。
残念だが天候だけはどうにもならない。
僕は、何かにカメラを向ける時に、気合で撮影するというのは、あまり好みではない。僕にはそうした涙なくしては語れないというような撮影スタイルが、かっこ悪く感じられるのだ。
写真は、できればさらりと、
「あの人遊んでばかりで苦労してないよね。」
と傍から見ている人に言われる程度に簡単に撮りたいものだ。
が、生き物の撮影の場合、時には気合をいれ、頑張らなければならないこともある。
それに対して夜景の撮影のように天候がすべてというケースでは、流れに身を任せ、思うような天候にならなくてもカッカしないことが大切である。
気象条件に大きく左右される撮影は、そもそも時間がかかるものなのである。例えば、たかが紅葉の撮影でも、文句なし!と言えるような好条件な紅葉は10年に1度くらいしかないのではなかろうか?
それを求めると10年かかる訳だが、10年は極端であったとしても、熱くなりすぎると情熱を長続きさせることが難しくなってしまう。
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2005.3.21(月) D2X
 (撮影機材の話)
昨シーズン、僕の仕事は、645判のフィルムとデジタルカメラがほぼ半々であった。
今年はデジタルの守備範囲がさらに広がるであろうことは先日も書いたし、画像のコピーを簡単に作成できるデジタルは、そのコピーを複数の場所に分散さえしておけば、災害の際にも失われにくく安心感の上でも勝る。
フィルムが有利なシーンはフィルムで撮ればいい。が、デジタルが有利な被写体や、デジタルでも十分に行ける撮影は、少しでも早く完全にデジタルに移行させた方が良さそうだ!と、昨日書いたばかりである。
善は急げということで、今日は早速ニコンの最新のカメラ・D2Xを買いに出かけた。
というのはあまりにセッカチ過ぎる冗談であるが、ちょっと前に注文していたD2Xが到着したので、うちの犬を撮影してみた。
D2Xは、スタジオでの撮影と野鳥の撮影用である。
スタジオの場合、機材の重さや大きさ、画像のファイルサイズの大きさはほとんど苦にならない。それなら1200万画素で大きく撮っておいた方が有利なのではないか?と考えた。
また野鳥の場合は超望遠レンズを使用することになるが、超望遠レンズを取り付けると、ファインダーの良し悪しの差が一般的なレンズを使用する際よりも顕著に感じられる。具体的には、もともと小さなデジカメのファインダーが、益々小さく見える。
これまで僕が使用してきたD70のファインダーはただでさえ小さいが、超望遠レンズに取り付けるとそれが一層強調され、よほどに神経を使わなければピントが合わないので、いいファインダーのカメラが欲しいと望んでいたのだ。
僕はそれだけの理由で、フルサイズのキヤノンEOS1Dsを買おうかとかなり真剣に検討してみたが、いろいろとマイナス面もあり、D2Xに落ち着いた。
D2Xを使用してみて、改めてD70の完成度が、非常に、いや恐ろしいほどに高いことを感じた。歴史に残る名機ではないか?と。
D2Xは素晴らしいカメラである。ニコンとキヤノンを比較した時、僕は正直に言うとトータルとしては今やキヤノンの方が追随不可能なくらいに上ではないか?と感じていたが、D2Xを使用してみて、またニコンが盛り返すのは間違いないと確信した。
これはキヤノンには作れないカメラである。
それほどに完成度が高いと感じたD2Xだが、一方で、何か原因不明の物足りなさがあり、何だろう?と考えてみた結果、それはD70の完成度の高さではないか?という結論に達した。もしもD70が存在せずいきなり僕がD2Xに触れたのなら、あるいは僕は感激で涙を流してしまったかもしれない。が、D70は、お金こそかけられてないが、どこをどうしたらストレスを感じずに撮影ができるのか実に良く練られているカメラなのだ。
あとはD100の後継機が発売されれば、これも買おうと予算を組んでいる。いずれも最低3年は使おうと思うが、問題なくそれが出来るのではないだろうか?
残るは水中撮影のデジタル化だ。水中撮影はデジタル化のメリットが一番大きなジャンルである。が、にもかかわらず、こちらはまだまだ待たなければならない。
まず水中撮影では機材の水没の可能性があり、高級機は使用したくない。そして高価な専用ハウジングを購入しなければならず、間違いなく数年は使えると言えるような普及価格帯のカメラが発売されるのを待たなければならない。恐らくD100の後継機がそれに当たるのではないだろうか?
そこからさらに、水中では操作性の問題がありズームレンズを使いたくないのだが、そうするとDXフォーマットの短焦点ワイドレンズが充実するのを待たなければならない。
ズーム全盛のこの時代に、そもそもそんなレンズが発売されるのかどうかも、今の時点では疑問である。
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2005.3.20(日) 地震
「命の次に大切な物は?」
と問われれば、自然写真家なら十中八九、自らが撮影した撮影済みのフィルムではなかろうか?
同じ写真家でも、カタログなどに掲載するような商品撮影を仕事にする人であれば、大抵の場合、写真はその場だけの一度きりの使用であり、撮影料をもらい、写真が何かに掲載されすれば、もうその写真にはほとんど用がないと思われる。
それに対して、自然写真の場合は、撮影した写真を手元に貯めておき、依頼がある時にそれを貸し出すのだから、撮影済みの写真はまさに財産その物だ。たくさんの写真を品揃えしている人のところには、当然たくさんの仕事の依頼がくる。
また逆に、テレビに出る、ラジオに出る、写真展を開催するなど、どんなに上手く自分を売り込んで出版関係者に注目されたとしても、
「こんな写真がお手元にあれば貸してもらえませんか?」
という依頼にそれなりに応えるだけの品揃えがなければ、上手な宣伝もほとんど意味をなさないに違いない。
もちろん、
「撮影済みの写真を貸してください。」
ではなく、
「今からこんな写真を撮ってもらえませんか?」
という新たな撮影の依頼もあるが、大抵の場合、出版は何かと期限に追われるせっかちな作業であり、そんな悠長な依頼は少数派である。また、そうした撮影の依頼は、すでに十分な実績があるなど、その人が信頼されている場合の話であろう。
さて、命の次に大切な撮影済みのフィルムを守るために僕は様々に気を配るが、火災や地震には、ほとんど打つ手がないのが現状である。
以前は複写といって、フィルムをまた写真に撮りコピーを作成し、それを別の場所に保管していたが、たくさん写真を売るためにはたくさんの写真を撮影しなければならず、とてもとても複写ですべての写真のコピーを作るなど考えられなくなった。
僕はこれまで福岡県を離れることをほとんど考えたことがなかったが、それは故郷であるからだけでなく、福岡県が、地震やその他の災害が非常に少ない土地だからだ。何かの災害でフィルムを失ったら・・・という懸念が、いつも僕の頭の中にあったのだ。
その福岡県で、今日は珍しく大きな地震があった。僕の事務所は全く問題がなく、僕は、水槽がどの程度揺れるのかこの際だから確認しておこう!と水槽の揺れを眺めていたのだった。
事務所がある北九州は震度4であるが、その程度の揺れなら、同じことを10回繰り返してもまずトラブルは起こらないと思えた。が、車で30分程度走った直方市の自宅はひどく揺れ、犬も大変におびえたようである。こちらは震度5弱だ。
震度5弱と4の間でそれほどに違いがあるのか、或いは、建物の構造その他に原因があるのか分からぬが、すべての撮影をデジタルカメラに切り替えれば、撮影した画像のコピーを作成し、複数の場所に保管しておくことなど実に容易いことだし安心できる。
そういう意味でも、早く完全にデジタル化してしまった方が手堅いと感じた一日になった。
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2005.3.19(土) アメリカザリガニ
生き物の写真にはよく売れるシーンとそうでないシーンとがあるが、理想を言うなら、そうした世間のニーズを無視して好きなものを撮り、気付いたら、それがお金に化けていたというのが何よりであることは言うまでもない。
が、なかなかそうは問屋が卸さないものである。大半のプロは、どこかで世間のニーズを意識しつつカメラを向けていると断言してもいいだろう。
好きなものを撮ってお金を得ることは、僕がプロの写真家を志した当時の予測よりも、およそ100倍難しく、これくらい撮れば100万円稼げるかなと考えていたエネルギーで実際には1万円しか稼ぐことができなかったが、逆に、売れるものを撮ってお金を稼ぐことは僕の予測よりも5倍くらい易しく、これくらい撮れば20万円くらい稼げるのかな?と予測していた努力で、100万円売り上げることができた。
ただ、どんなに売れやすいシーンを撮っても、すでに同じ写真を撮影している人が先行していたら、なかなか売り上げは上がりにくい。
最近の僕は、売れにくくても好きなものにカメラを向ける時間を徐々に増やしていて、必ずしも売れるだけが能であるとは思わぬが、もしも売れ筋のシーンにカメラを向けるのであれば、その時は、絶対に売れて欲しいと望む。
さて、今シーズンは、アメリカザリガニを徹底して撮影する予定を組んでいる。
アメリカザリガニの写真には多くの需要があるが、比較的まとまった量の写真をすでに撮影している数人のプロがいて、僕がこれまでやや後回しにしてきた被写体である。先行している写真よりもいい物が撮れるという自信がなければ、そこに割り込むことは難しいからである。
僕はこれまで、アメリカザリガニの写真が使用されている様々な本を見て、どこに入り込む隙があるのかを伺っていたわけだけだが、自分なりに目処がたち、撮影に入ることを決意したのだ。
また、現在出回っているアメリカザリガニの写真を、必ずしもみんなが納得して使っている訳ではないことも分かった。その満ち足りなさを解消できるような写真が撮れれば、僕の出番が来るだろう。
自信はある。写真の腕ではない。被写体に対する思い入れである。
例えば、僕ほどカタツムリが好きなプロの自然写真家は恐らく日本には存在しないだろうから、人が僕よりもいいカタツムリの写真を大量に撮れる確率は低い。最後の最後は、そんなものなのである。
今日はアメリカザリガニを飼育するための小道具を注文し、水槽の設置場所を検討するなど、最初の準備に取り掛かった。これまでは、一般のペットショップに売られている飼育セットを使用していたが、今回は、錦鯉の飼育のプロが使う道具を購入してみることにした。
たくさんの生き物を飼う場合は、業務用の道具の方がずっと安上がりになるのだ。
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2005.3.17(木) ネット銀行
今僕が貸し出している写真の使用料の支払いに関する連絡が、ここのところ幾つか続いた。出版社に限ったことではないだろうが、組織というやつは不思議なくらいに同調をして、同じ時期に同じことをする。時に銀行に出かけると、信じられないほど人が多い日があるが、支払日や給料日など、大体それが何日になるのか世間ではある程度決まりがあるのだろう。
僕はそうしたことに疎いので、銀行に行ってみたら人ごみで、結局用を達することなく引き上げることがある。そこで、銀行に行かずにすむように、先日ネット銀行に申し込んだ。あと数日でカードが届くはずだ。
(撮影機材の話)
さて、そのお金で何を買うか、カタログとにらめっこをして検討中である。今シーズンはキャノンのデジタルカメラを一台購入する予定にしているが、20Dにするべきか、Kissデジタルにすべきか・・・
ニコンのカメラに関しては、僕はD70が発売されるまで待った。D1XやD100をすぐに欲しいとは思わなかったので、安いカメラが出るまで待とうと考えたし、僕は基本的には、そうしてある程度価格が下がるのを待って買い物をすることが多い。
が、もしもペンタックスから645判のレンズを使うデジタルカメラが発売されれば、その時は、それをすぐに買いたいと思う。そんなカメラが開発されつつあることは発表されているのだが、発売はいつになるのだろうか?
100万円あれば買えるだろうから、今シーズンは節制をして100万円をためておかなければならない。
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2005.3.16(水) 更新
今月の水辺を更新しました。
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2005.3.14(月) 憧れの機材
僕が写真を始めた当時、カメラのフィルムは自分の指で巻き上げるのが当たり前だった。カシャと一枚写真を撮り、巻き上げレバーでフィルムを巻き、また一枚写真を撮れば巻き上げた。
オプションとしてモータードライブというアクセサリーがあって、それを取り付ければ、自動的にカメラがフィルムを巻きあげることができた。
最近のカメラは、ほぼすべてモータードライブ内蔵であり、シャッターのボタンを押し続ければ、カシャーン、カシャーン、カシャーン・・・と連続して数枚の写真が撮れるようになっているが、当時は、その感触はモータードライブを購入した人だけの特権であり、普及品のモータードライブでおよそ1秒間に3枚程度、プロ用で5枚くらいの写真が撮れた。
また憧れの道具と言えるものがあった。プロでも、そうそう手にできない機材がメーカーには準備されていた。上記のモータードライブなら、プロ用で秒間に5枚くらいの写真が撮れる時代に、およそ10枚の写真が撮れるスペシャルな機材があった。
もちろん、値段もスペシャルであったことは言うまでもないし、カタログには載せられていないし、プロでも、それがどこで買えるかを知らない人がたくさんいたに違いない。
今はそういう時代ではない。高級品は存在するが無理をすれば買えない値段ではないし、お店で買うことができる。普及品でさえも、プロが使用するに十分な性能である。
便利な時代になったと思う。が、ちょっと味気ないと感じることもある。もう一度、あんな羨望の目でカメラを見つめてみたいような気がする。
(撮影機材の話)
さて、新しいレンズを一本買い足した。今回購入した AF-S NIKKOR 18-70f3.5-4.5は、ニコンのデジタルカメラ・D70とセットで販売されているものである。D70は、本来は初心者や一般家庭向けのカメラであり、それとセットで売られるレンズであるから、これはプロ向けの高級品ではない。
僕は AF-S NIKKOR 12-24 f4 を所有しているので、昨年は風景の撮影に散々に使ってみたが、望遠側が物足りず、あと一本余分にレンズが欲しくなる。
ところが、今でも645判のフィルムカメラを持ち歩く僕は、なるべく荷物を増やしたくない。そこで、それを一本のレンズで済ますために18-70ミリを選んでみた。
風景の撮影に関して言えば、デジタルカメラは、今の時点ではフィルムに比べると明らかに画質にゆとりがない。
「いや、デジカメの画質は風景撮影にも十分だ!」
という人もいるが、そう主張する人の画像を見ると、風景写真の中でも割とシンプルなシーンを好んで撮る人が多い。僕がよく撮影するような、渓谷があり、そして周囲の森が広く写り、そこに細々と木々が写りこむような複雑なシーンは、まだまだデジカメの画質では物足りない。
そこで、デジカメで風景を撮る場合には、撮り方をデジカメ向けに変えることになる。具体的には、645判のフィルムで撮る時よりもやや狭い範囲を撮る。したがって、より望遠気味のレンズの出番が多くなる。
これは、多くの人が無意識のうちにやっていることである。
例えば、4の5のカメラでビシッと決まった精密な写真を、同じ構図で35ミリ判で撮ろうとするのは無謀であることを知る人は多いが、同じことが、デジカメとフィルムとでも言えるのだ。
したがって僕は、フィルムカメラで好きだった画角のレンズを、デジカメでも必ずしも同じように選ぶわけではない。
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2005.3.12(土) デジタル?フィルム?
近く出版される本の見本が、また一つ、僕の手元に届いた。およそ30ページ弱、すべて僕の写真で構成されている。
印刷の色が悪いので僕には見せたくなかったという内容の編集者からメモが挿まれているが、そうした点を修正しながら、最終的に発売される本ができるのだ。
その本の色に関しては、僕は全く心配をしていない。編集者が情熱の持ち主であり、その力量が信頼できる場合、元の写真さえ悪くなければ、間違いなく問題ないレベルに仕上がってくるものである。途中が悪いからといって、あたふたする必要は全くない。
編集者の本作りにかける情熱は、人によってまさにピンからキリまであるが、自ら写真家との出会いを求め、写真家を発掘する努力を欠かさぬ編集者は、間違いなく優れた仕事をするように思う。そうしたたゆまぬ努力をする人には、任せておけばいい。
それよりも、その本の中で使用したデジカメ画像が、僕の予測よりもずっといいレベルに印刷されていることに驚いた。645判のフィルムとデジカメ画像とが入り混じった本だが、どれがフィルムでどれがデジタルなのか、比較的厳しい目で見る僕にも区別が付かないレベルである。
もちろん、フィルムとの使い分けも、時には必要になる。今回見本が届いた本よりもひと月早く発売される同じシリーズの本の撮影も、一部僕が担当したが、その際には、デジタルでどんなに撮っても描写できなかった被写体が、645判のフィルムには見事に写し出されていたこともあった。
要はその特性を知り、フィルムなりデジタルを使いこなすことであるが、今シーズンはデジタルの守備範囲がさらに広くなりそうだ。
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2005.3.11(金) 節制?

「税金について詳しくならんといかんなぁ。」
と考えさせられる機会があり、パソコン用の会計ソフトを購入してお金の出入りをきっちり管理しようと思い立った。
僕は、割と何をしても楽しめるタイプである。これだけは、自分で恵まれているなぁと思う。
ソフトをパソコンにインストールして、当面財布の中に入っていた領収書の金額を入力し、さらに、通帳を開き今年になって振り込まれたお金を打ち込むと満足感がある。
うんうん、これを明日からも続けようではないか。
会計用のソフトには僕の知らない言葉が多く使われていて最初は戸惑ったが、適当に数字を入力し、色々と試すと次第にその操作が分かってきた。当たり前ではあるが、エクセルとは比較にならない程に便利であり、自分の使い方さえ決まれば簡単である。
お金を出し渋ろうというのではない。無駄を省くことで買いたいものを1つでも多く買おうと考えているのだ。
先日新しいレンズが到着した。トキナー社製の17ミリレンズである。
トキナーの製品らしく、実にクソ真面目で面白くなさそうなレンズであるが、写りは、そつがないと非常に評判がいい。
このレンズは、半分水中、半分陸上という半水半陸の写真を撮るために購入したものであり、どうしてもこのレンズでなければならない理由があった。
すでに販売(製造?)中止の製品だったように記憶しているが、オークションで、一般的な中古の価格よりも多少安く手に入れた。この多少安くというのを、今シーズンは重視しようというのである。
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2005.3.10(木) 収差

写真クラブの会長を務める知人を訪ねると、壁に数枚の作品が飾ってあるが、ある時、
「レンズは何だか分かる?」
とたずねられた。
会長さんは、高価なメーカー品と、安いディスカウント品との間に、描写の差がないと感じておられるようであり、
「これは安いT社のレンズ、こっちは高価なN社のレンズだけど全然違いがないよね!」
とおっしゃった。
レンズの性能の良し悪しはアマチュアカメラマンの間でよく交わされる類の会話であり、時には自分の愛用するレンズをけなされたとかで、ののしりあいになることさえある。趣味でののしりあいとは、くだらんなぁと思うが、そんな意地のはり合いも大きな目で見ると、アマチュアの楽しみの1つであるのかもしれない。
そのレンズの性能の違いであるが、プロレベルの撮影では、やはり歴然とした違いがあるので、触れてみようと思う。
昨年撮影したダンゴムシの写真が単行本化されることになり、昨日、発売されたばかりの本が届いた。今日は、ある原稿を書く作業の合間に、本を紹介するための写真を撮ったが、実は、これは大変に難しい撮影である。
本は長方形だが、それを写真に撮ると、なかなか長方形には写らないのだ。
例えば、長方形が膨らんで写り、樽のように見えるケース。またはへこんで写り、長方形が女性の腰のようにくびれて写るケースなどがあるが、四角形は完璧に正しい形には写らないと思った方がいい。もちろん、若干である。
その原因はレンズにあり、その若干の膨らみやへこみを収差というのだが、色々なレンズを試してみると、収差の程度にはかなりの差がある。一般的に言うと、同格のレンズなら高級品は収差が少なくて、やはり高性能である。
今日の画像は、その歪んだ四角を画像処理ソフトで無理やりに長方形に切り抜いたものだが、スキャナーを持っているのであれば、カメラで撮影するよりもスキャンした方がいい結果が得られるだろう。
レンズの性能の差は、どんな場合にも露呈するのではない。
例えば、四角が正しい四角形に写るかどうかは、四角のものを撮ってみなければ、まずわからない。例えば窓枠などを撮影すると
「あ、四角が歪んでる!」
と分かるが、自然界には厳密な四角の物体など存在しないのだから、一般的な自然写真を何枚撮ってみても、レンズの歪みを写真から感じることはない。
レンズの歪み以外にも、レンズには数種類の収差が存在する。また他にも、性能を示す幾つかのチェックポイントがあり、それらを総合的に判断したものがレンズの性能である。
多くの人は、高性能なレンズを使えばきれいな写真が撮れると考えるが、実際はきれいな写真が撮れるレンズではなくて、理論的に正しい像を結ぶレンズが高性能なレンズなのである。
会長さんが見せてくださった数枚の写真は、高性能なレンズでなくても問題なく撮れる被写体ばかりであった。つまり、レンズの性能をチェックできるような被写体が写った写真は一枚もなかった。
つまり、レンズの性能とは何なのか、会長さんはご存じなかったことになる。
アマチュアの人たちがよく撮影機材のことで言い争いになるのは、みんな何かの受け売りを語っているだけで、よく知っている人が少ないからだと思う。
ふしぎだな?ブック(1) ダンゴムシのかぞく 1000円 世界文化社
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2005.3.9(水) 犯人?
殺人事件に関わっていると思われる男性が、僕の自宅がある直方市で逮捕された。
事件は、福岡空港の付近で、空港の従業員の女性が殺害されたというものだが、問題は、逮捕されたその男性の名前等が、恐らくまだ発表されていないことである。テレビのニュース等では、直方市の30代の男性という風に語られている。
殺害された女性が持っていた携帯電話や所持品をその男性が持っていたのが逮捕の理由であり、まだ犯人と確定されたわけではないので、名前が明らかにされないのだろう。
それのどこが問題か?と言えば、武田じゃないか?と心配する人がいるかもしれないことだ。
言っておくが、僕ではない。
逮捕された男性の隣人は、男性はいい人だったとテレビのインタビューに答えたが、いい人である理由は、近所同士の寄り合いにちゃんと参加していたからだそうだ。
困ったことだと思う。それでは、僕のような付き合いの悪い者は、悪い人間になってしまうではないか。
さて、今日はお客様が一人。川上信也さんとおっしゃる写真家である。
僕は近所付き合いなどは得意ではないが、相手が写真家であったり、生き物が好きな人であるならば全く問題はない。
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2005.3.8(火) 修正力

プロの写真家と言えども撮りなれないものを撮ると、もうボロボロというケースは珍しくない。
では、プロとアマとで何が違うのかと言えば、その後の修正力に大きな差があると、僕は日頃感じる。
プロは、ある時一度うまく撮れないことがあっても、その経験を生かして、次の機会にはグッと修正してくることが多い。
写真に限ったことではない。例えばプロ野球の世界でも、プロ入り直後のつい最近まで高校生だった投手に対して、プロの一流の打者が揃いも揃って手こずることがあるが、その新人投手が、一年を通して活躍できるかと言えば、それはなかなか難しい。
思うような結果が出ない時に、その原因を分析して、それを次の機会に反映させる力こそがプロのプロたる部分なのだ。
アマチュアの写真コンテストを見ると上手いアマチュアが存在して、しばしば唸らされる。コンテストのような一発勝負の場では、プロとアマとはさほどに違わないと言ってもいいだろう。
だが、ある一定の期間を与えられ、その中で本を一冊作るとなると、そこには歴然とした差があるものだ。
今朝は海辺に出かけてみたが、僕は生まれて初めて波をまともに撮った。
まさに、もうボロボロという結果ではあったが、デジカメならその場である程度の修正を加えることができるので、一応見れる程度の写真は撮った。
ただ、デジカメのモニターは小さくて見難いし、やはり大きなパソコンの画面に写して見なければ細かいところまでは分からない。今日の写真に波の形は写っているが、静かな砂浜の波の音までは聞こえてこない。
次回は、もっと感動のある写真に仕上げたい。
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2005.3.7(月) いや〜恐ろしい

ふとんから出て撮影に出かけようか?それとももう少し夢の中に居続けようか?
と、今朝の僕は迷っていた。
中学時代の同級生が夢に出てきたのだが、自分で「これは夢だ!」と分かっているのに、ウツラウツラすると続きを見ることが出来るのだ。
どうせなら、最後まで夢を見てみたいではないか。
それでちょっとばかり出遅れたが、今朝は海辺での撮影である。
海辺はとにかく潮の具合が物を言う。一般的に言うと、満潮でなければ野鳥は遥か遠くにいて撮影することができないし、波打ち際は海の風景の撮影においてもっとも絵になる場所であるが、それも潮が引くと遠くに退いていしまう。
今朝は、物が一番きれいに写る朝の時間帯にその満潮が重なり、月に数日しかない海辺の撮影日よりであった。
波を撮るつもりであったが、イマイチ雲が多くてきらめきが感じられない。そこで野鳥の撮影に切り替えたのだが、画像の鳥はツクシガモといって、九州の干潟で主に見られるカモである。
かつては珍しい部類であったが、最近、福岡県ではよく目につくようになった。デジカメに600ミリのレンズを取り付けて撮影するとこの程度の大きさに写るが、以前は米粒のような大きさにしか、なかなか撮れない鳥だった。
どちらかというと砂浜に近い干潟よりも泥炭質の干潟を好むように思うが、九州北部の干潟が砂浜から泥炭質へと変化しているのだろうか?或いは、もともと長崎県の諫早湾に多く見られた鳥であり、悪名高き潮受け堤防の工事に伴って、鳥たちが福岡県へと移動してきたのだろうか?
僕の他には、望遠レンズを野鳥に向けている先客が一人。
すると一台の車がやってきて、奥さまと思われるその車の運転手が怒っているように、僕には見えた。カメラを持った旦那さんは、慌てて道具を撤収して、車に乗り込んだ。
「いつまで撮ってるの。あんた!」
といったところだろうか。
かなりの剣幕であるように感じられたが、いや〜恐ろしい・・・・
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2005.3.6(日) 情熱

何事も長続きさせるのは難しい。
はじめどんなに楽しいと感じることもいずれは必ず飽きるし、時間が経てば経つほど好きという思いだけでは足りなくなり、情熱を維持するための何らかの心構えが必要になる。
例えば、絵画を志し美大に進むような人には、
「いや〜絵は今でも本当に好きなんだけど、どうしても教授がいけ好かなくてね。それで仕方なく退学したんだよ。」
などと言う者が少なくないが、恐らく、その前に絵画に対する情熱を失いかけているのである。絵を志し学校に合格した時の喜びや、自分が受け入れられたことに対する感謝の気持ちなどすっかり忘れ、すべてを、ただ誰かになすりつけているケースが大半であると、僕は感じる。
僕自身、これから先、自然写真に対する思いを今までよりも高いレベルに維持できるかどうかの確証はないが、最近は、やっていけるのではないか?とふとした瞬間に感じられる機会が多くなってきた。
雪の予報にも関わらず出かける気になれないと書いたのは、つい昨日のことである。
ところが、今朝は、まだ薄暗いうちに勝手に目が覚めた。無意識ではあるが、やはり積雪の具合が気になり、何か写真を撮りたかったのである。
理屈ではなく自然現象が楽しいのだ。
以前は、むしろ、そんな特別な日には目覚ましをかけ、努力をして目を覚まさせていたが、最近は撮りたいと思う気持ちが勝手に写真を撮らせてくれるようになってきた。僕の自然写真に対する情熱は、少なくとも今の時点では、右肩上がりであるようだ。
さて、
「落ち葉の中で冬眠中のカタツムリの写真はありませんか?」
というリクエストはよくある依頼であるし、そんな写真を撮ることは技術さえあれば容易い。
しかしカタツムリは夏眠といって夏にも眠るので、夏眠と区別ができる冬眠の写真を撮ろうと思えば、雪の日がベストだ。
ところが、実は僕は、雪の中のカタツムリのまともな写真を、今日はじめて撮った。
例年雪が降ると予報されれば迷わず渓谷に出かけていたし、年間の計画表の中に「雪の中のカタツムリ」と書きこんでから実際にそれを撮るまでに、実に数年間の時間を要した。
自然写真家としては軟弱であるが、昨日、今日と見たいテレビの番組があり、事務所を離れたくない事情があった。だからこそ撮れるものを今日撮っておこうと考え、それがカタツムリの冬眠だったのだが、次回、 「落ち葉の中で冬眠中のカタツムリの写真はありませんか?」
とリクエストされれば、
「いい写真がありますよ!」
と胸を張れるし、依頼者も、
「うわっ、いいですね。」
と喜んでくださるだろう。
それがまた、次の撮影に進むための支えになるのだ。
しかし今日は悔しい思いもした。
自宅から事務所へと向かう途中、河川敷に咲き始めている菜の花に雪が積もり、なごり雪の風景であった。菜の花の季節にそれなりの積雪があるのは、日本国中を探しても恐らく数年に一度の機会であり、朝日がでて、ほんの15分程度の撮影チャンスである。
僕は、車にカメラを積んでいなかったのだ。
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2005.3.5(土) 春?
雪が降ると予報が出ているのに、今回は全く出かける気になれない。僕の心の中はもう春になってしまったようだ。
思い浮かぶのは、今シーズンどんな機材を持って撮影に出かけるか、その一点であり、何を買い足すべきかか、カタログを見たり、気になる機材の評判をインターネットで調べたりと、ここ数日は、ひたすらに撮影のための準備に打ち込んでいる。
(撮影機材の話)
トキナー社から100ミリマクロレンズが発売されるとアナウンスがあり、買ってみようかなと考えている。現在使用しているニコンの105ミリマクロレンズは、ボケが悪すぎて時に背景の処理の苦心させられるのだ。
ボケの良し悪しを日頃あまり気にしない人も、ニコンの105マクロレンズに関しては、ボケが汚いのが気にかかるという人が多いが、僕もその口である。
一般にボケが汚いレンズは写りがシャープであることが多いが、タムロン社製の90ミリマクロレンズを使用すると、ボケが美しくてしかもャープであるから驚かされる。ただ、タムロン社製の90ミリマクロレンズは、ピントリングの回転の向きが、僕が多く使うニコンやペンタックスのレンズとは逆になっていて、どうしても慣れることができない。
これまでにも何度かトキナーの製品は使用したことがあるが、描写に関しては、気に入らなかったことは一度もない。トキナーは、最近元気がないメーカーであるが、やや面白味に欠ける製品が多いだけであり、レンズ自体の性能は非常にいいのだ。
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2005.3.4(金) VIP会員
やはり、持つべきものは、顔のきく先輩である。
僕は今日、新しいスタジオ用のストロボを手にしたが、顔のきく先輩のお陰で、普段およそ33000円の商品を、なんと24000円強で手に入れることが出来た。
ある居酒屋で、沖縄在住の先輩写真家のMさんがおもむろに携帯電話を取り出し電話をかけた先は、アネット社という沖縄にある小さな写真用品のメーカーであった。
「今そこの受付のお姉ちゃんと繋がっているから、あなたも話しなさい。」
と言われて一言二言話したら、その瞬間に僕はアネット社のビップ会員として登録されたようである。
今回購入したストロボは、発売されたばかりの新製品であるが、あなただけに・・・とVIP会員向けのDMが送られてきて、特別価格で購入することが出来た。
さらに、僕は今回のVIP会員向けキャンペーンで注文をした第一号であり、ストロボ用のスタンドまでもが一緒に梱包されて送られてくるのだからすばらしい。
アネット社は小さなメーカーなので唯一アフターサービスだけに不安を感じたが、これまた僕の取り越し苦労であり、
「沖縄産のカタツムリが欲しい。」
と注文を出せば、しばらくすると本当に送られてくるのだから申し分ない。そこまでのサービスができるメーカーは、世界広しと言えども他にあるまい。
(撮影機材の話)
アネット社のストロボは、これで2台目になる。前回購入した物に比べると、今回の新製品は約一絞り分光量が増えた。
僕は通常スタジオでは2台の照明を同時に使用するが、1台はコメット社製の400W/Sであり、被写体に対して強い光を当てる役割をする。
2台目に使用するアネットは1台目の影を弱くする役割であり、それほど大きな光量は必要ではない。これまでは、わずか110W/Sの製品で事足りていたのだが、110W/Sの場合、ストロボをフル発光に近い状態で使用せねばならず、その後のストロボの充電時間がちょい長くなるのが欠点であった。
したがって、今回の150W/Sは、うってつけであり、まさに僕のために作られたような製品である。
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2005.3.2(水) 冬眠とは?
6月に出版されるカタツムリの本の見本が届いたが出来がいい。もしも同じ本を、僕以外の誰かが撮影して作ったのなら、
「ほ〜」
と関心させられるに違いないし、今後の参考のために迷わず購入するだろう。
本はとても大きくて、見開き (本を開いた時の2ページ分) の幅が60センチ、高さが25センチである。
その大きな見開きのど真ん中に、カタツムリの殻がド〜ンと1つ載せられていて、拡大された殻の直径は約25センチにもなる。
そうして特大に伸ばした上で、殻には細かく解説が加えられる。ちょうど木の年輪を読む時のように、その時カタツムリに何が起きていたのかを、殻の様子から推測するのである。
ここは一年目の夏。ここは一年目の冬。そして二年目の夏。
おっと、ここでカタツムリも木から落ちるのか?殻に傷を負ってしまい、その後、二年目の冬を迎える。
木から落ち傷を負ったカタツムリの殻は、すぐに修復された痕跡があるが、傷の影響は若干残り、その後新たに作られたはずの部分にも、多少の殻の乱れが見受けられる。要するに、一度殻に大きな傷が入った影響で、その後は正常な殻を作ることが出来なくなったのである。
ところが、そのカタツムリが冬眠して、その間殻が伸びるのが止まり、やがてまた春を迎えて殻が伸び始めた時には、今度は見事に健康な殻が形作られている。
冬眠をしてお休みをすることで、殻が健康を取り戻したのである。
生き物はなぜ眠るのか?という議論がある。眠らずにずっと活動すればいいじゃないか?という疑問である。進化の過程で、何の意味があって睡眠などという現象を獲得したのだろうか?
動物の睡眠と、カタツムリの冬眠とは全く仕組みが異なるが、休むことは、今の流れを断ち、現在体に何か不都合が生じているのなら、それをリセットする意味があるのかもしれない。
ともあれ、僕は、そのカタツムリの殻の痕跡に関して、そこまでわかってカメラを向けたわけではない。なるべく色々な痕跡が見られる殻を、大伸ばしに耐えるクオリティーに丁寧に撮ったのである。
それを、担当の編集者がよく調べてくださったのだから、僕の写真に写っている面白いものを逃さずに引き出してもらったことになる。
子供向けの本なので、実際に上記の事実がすべて解説されるわけではないが、一生懸命撮り、そしてそれを最大限引き出してもらえるのは楽しいことである。
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2005.3.1(火) 帰宅ラッシュ
「ケーキを買ってあるから後で取りにおいでよ。今日は誕生日でしょう!」
と言われて夕刻に受け取りに行こうとしたら、帰宅ラッシュの渋滞にはまり、参ってしまった。
僕は、日頃はなるべくその時間帯に、車でウロウロしないようにしている心掛けているが、たまに何か事情があり、渋滞にはまると、しみじみ疲れることだな〜と思う。
野外で写真を撮るともちろん疲れるが質が違う。
野山を歩いた後の疲れは心地いい。
多少は慣れるのかもしれないが、そんな時間に合わせて暮らさなければならないサラリーマンって凄いな〜と思う。僕がサラリーマンになったなら、週末は疲れを癒すためにひたすらに眠っているような気がする。
趣味の写真どころではないだろう。
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