撮影日記 2004年2月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

 2004.2.29(日) カタツムリの膜

 先日、テレビのニュースで、現役の弁護士が、オレオレ詐欺の被害者になったと、報道された。
 辛辣かもしれないが、頼りない先生だなと、思った。
 そのオレオレ詐欺だが、武田家では、なかなか通用しないだろうと思う。
 なぜなら、うちは基本的に自己責任を重視し、闇雲に人様を信じるのではなく、自分の目で1つ1つ確認することが求められる家庭だからだ。
 他の家庭では美徳とされる、人を信じることも、武田家では
「甘い!」
 と、一刀のもとに切り捨てられる可能性がある。釣りが好きな知人が遊びに来て、大物を釣ったと自慢しても、うちの父は、
「ほ〜」
 と驚きの声をあげつつ、その目は、
「釣り氏の話は大げさだな〜」
 と、どこかニヤけていて、決して信じていない。
 第一、本物の武田晋一自体が、完全には信じられていない。
「あ、俺だけど・・・、知り合いにお金を取りに行かせるので、30万円渡してよ。」
 などと、電話口で話しかけるのは勿論、僕が面と向かって、
「ちょっと訳ありで、30万円貸して欲しい」
 と言ったとしても、僕がごまかして着服しようとしていることが疑われるのが、関の山だ。
 僕は、そんな環境で育ってきたので、何事も自分の目で見なければ、信じられないところがある。生き物の本に書いてあることも、必ずしも当てにならないと感じる方だ。

 カタツムリは、本によっては、4月の下旬から5月上旬に越冬から目覚め活動を始めると、書かれているが、屋外で飼育をして、まめに観察してみると、もっと寒くても十分に活動をすることが分かった。
 福岡では、昨晩から雨が降り続いたが、その雨の影響だろうか、今朝カタツムリの飼育ケースをのぞいてみると、すべてのカタツムリが殻から胴体をだし、活動を始めていた。
 カタツムリは、越冬の際に、殻の入り口に膜を張る。寒くなると、体をどんどん奥に引っ込めながら、新しい膜を次々と張っていき、真冬には、膜が幾重にもなる。
 そして、暖かくなり活動を始める時には、幾重にもなった膜を一気に剥がして出てくるが、今日は、そのまとめて剥がされた膜が、飼育ケースの中に落ちていた。
 
 
 

 2004.2.28(土) デジカメのノイズ

 先日も画像を掲載したアリアケギバチを、新しいデジカメ・ペンタックス * istD で撮影した。
 今朝、水槽を覗いてみたら、前回撮影した時よりも、ちょっといい場所で休んでいたので、また撮ってみたくなったのだ。
 これがフィルムなら、
「まあ、この前も撮ったし・・・」
 と、遠慮してしまうところだが、デジカメでは、コストを考える必要はない。撮りたいものを、撮りたいだけ撮影できるのは、嬉しい。

  岩陰に隠れているこの魚を撮影をするためには、まず、ピント合わせをするために光をあて、魚の姿を明るく照らし出す。すると、光が嫌いなこの魚は、やがて、別の場所に隠れ込んでしまう。だが、今日は、かなり長い時間、同じ場所で休んでいたので、フィルムでも全く同じシーンを撮ってみた。
 僕が主に使用しているフィルムカメラ・ペンタックス645Nと、今回買ったデジカメは、同じペンタックスの製品でも、仕上がってくる写真の明るさに、違いがある可能性が高い。だから、その違いの傾向を知りたいのだ。
 違いさえ分かれば、フィルムで撮る前にデジカメで試し撮りをすることで、フィルムでの仕上がりの明るさも予測できる。今まで使用していたデジカメは、キャノンの製品だったので、ペンタックス用の照明システムとは合わない部分があり、仕上がりを厳密に試すことが出来なかった。
 そして、デジカメでの試し撮りを済ませたら、デジカメをフィルムカメラに付け替え、一番いいシーンはフィルムで撮る。
 これまでは、フィルムで撮影する時には、明るさの調整の失敗に備えて、同じシーンを、明るさを変えながらわざと何枚も撮ることもあったが、デジカメで前もってテストをすれば、そんな無駄を打つ必要もない。フィルムの無駄を出さずに、一発必写で撮れる。
 フィルムでの撮影後に、最後にまたデジカメに付け替え、その他諸々の、あまり売れそうもないシーンは、デジカメでガンガン撮る。

 さて、僕はまだフィルムの方が、画質がいいと考えているので、フィルムで一番いいシーンを撮るわけだが、その例を挙げてみたいと思う。

 今日の画像をクリックすると、背びれの部分の拡大画像が表示される。拡大画像を良く見ると、背びれから背中の辺りの輪郭の部分に、赤や青っぽい色が見えるが、これはデジカメ独特のノイズだ。
 フィルムの方が、そうしたノイズがなく、輪郭部分の移り変わりや、微妙な色の濃淡の移り変わりが優しい感じがする。
 ただ、撮影自体は、デジカメの方が易しい。どんなにフィルムが高画質でも、そのフィルムを使いこなせないなら、デジカメで確実に完成度の高い写真を撮った方がいい。生き物を撮る場合(特に野鳥など)、大半のアマチュアの人は、デジカメで撮った方が、トータルとしてみると、いい写真が撮れるだろう。
 と、思う。
 
 
 

 2004.2.27(金) PENTAX * istD

 ニコンやキャノンやコニカミノルタから、一眼レフタイプのデジカメの新製品が、続々と発表されている。 そうした新製品ラッシュの中で、キャノンの製品などは、いつも、話題を集める。
 一方で、ペンタックスのカメラは、これといって人気がある訳でもなく、蚊帳の外に置かれている感がある。
 が、その人気のないペンタックスのデジカメ、istDを今回購入し、昨日それが届いた。

 istDの心臓部であるイメージセンサーは、ニコンのD100と同じものだと言われている。先にD100が発売され、それと同じセンサーを使用したカメラをあとからペンタックスが出したので目新しさがなかったし、また、ニコンの方がレンズの種類が多く、いろいろなレンズを取り付けられるのだから、ペンタックスに話題が集まらないのは、当然のことだと言える。
 大体僕は、人気があり過ぎるものは嫌いだ。女性でもアイドルタイプは好きではない。昔から好きになるのは、クラスの中で一番目立つ
「私を見て!」
 というタイプや、夢見る乙女のようなタイプではなく、一ヶ月くらいして、
「あ、こんな人いたんだ!」
 と気付くような素朴な人が好みだが、ペンタックスのカメラは、人気がないから買ったわけではない。
 今回購入した機種は、僕が仕事用のカメラとして最も多用しているフィルムカメラ・ペンタックス645Nとストロボ(照明)システムが共通になっている。645判のフィルムで撮影し、まったくそのままのシステムで、何の切り替えもなしにデジカメで撮影し・・・と、同じ道具を共用できる点が都合が良かった。
 つまり、645判のフィルムカメラは、まだまだたくさん使おうと考えていて、それを支える位置づけのデジタルカメラが欲しかったのだ。

 さて、今日の画像は、数日前に掲載したアカガエルの卵が孵化をしたものだ。
 オタマジャクシはオタマジャクシでも、生まれた直後で、全くそれらしくないし、そんな写真は特殊なシーンであり、滅多に売れない。カエルの中では、アガエルが最もよく知られているので、アガエルのオタマジャクシなら、それでも、売れる可能性が高くなるが、このオタマジャクシは、一文字違いのアガエルだ。
 デジカメなら、フィルムと違い、たくさん撮ってもお金がかからない。
 そこで、まず645判のカメラで、最もいい位置に横たわっている孵化直後のオタマジャクシを数枚撮影し、あとは、撮れそうな位置にいるものを、次々とデジカメで撮る。
 まずは、そんな使い方をしていこうと思う。
 そして、一生に一度くらい、孵化直後のアカガエルのオタマジャクシの写真はありませんか?などと、依頼がくるはずだ・・・なんちゃって。
 本当は、そんな抜け目のない商魂ではなく、売れないものでも目にした驚きを撮りたいのだ。
 
   
 

 2004.2.26(木) ばんぺいゆ
 
 ちょうど昨年の今頃、
ばんぺいゆの写真を撮ってくれない?」
 と、子供の本の編集部の方から、依頼を受けた。
 ぱんべいゆっていったい何だ?と、調べてみたら、僕がよく知っている晩白柚という単語が出てきた。晩白柚とは、熊本や鹿児島で冬の間によく売られている特大のみかんの仲間だが、僕は長いこと、ばんぺいゆではなく、ばんぱくゆずだと思い込んでいたのだ。
 あ〜恥ずかしい。
 鹿児島のツルの飛来地・出水に撮影に行くと、そのばんぺいゆがよくお土産ものとして売られているが、
「すいません。ばんぱくゆずを1つください」
 などと、もしも言ってしまったら・・・
 恥をかく前に気付く機会があって、良かった。
 撮影は、必ずしも今の自分が十分に詳しくて、自信がある仕事を依頼されるとは限らない。僕の場合は、被害妄想かもしれないが、むしろ自信がない撮影の依頼が多いような気がする。自信がないと、大変にプレッシャーがかかり、苦しい。
 今日は、
「メダカの頭部側線が写っている写真がありませんか?」
 という電話があったが、恥ずかしながら、僕には、それが何だかさっぱり分からなかった。
「頭部側線っていったいなんだ?」
 と調べてみたら、魚には体側に、人でいう耳のような役割をする側線という感覚器官があるのだが、メダカの場合はそれが体側ではなく頭部にあり、それを頭部側線というらしいのだ。
 そこで、メダカの顔の部分が大きく写っている写真をスキャナーで取り込み、メールで送ってみたら、その写真を使ってもらえることになった。
 メダカはたくさん撮影したこともあるし、ほぼ一年中飼育をしているのだが、それでも知らないことがたくさんある。

 先日、熊本での撮影の際に、うどん屋さんで食事をしたら、そこでばんぺいゆが売られていて、むしょうに嬉しくなった。どうしても1つ欲しくなり、買って帰ることにした。
 もしも、その仕事の依頼がなく、ばんぺいゆってなんだろう?と調べる機会がなかったなら、きっと、その売られているばんぺいゆをみても、嬉しく思うことはなかっただろう。
 知らないことがあり、自信がないと不安になるが、ふと、
「知らないことがたくさんあって、自信がなくてもいいじゃないか!」
 と思った。その機会に知ることができれば、今までの自分なら、何も気付かずにさらっと見過ごしてしまう何かが面白くなる。それで十分じゃないか!と。
 
   
 

 2004.2.24〜25(火〜水) アリアケギバチ
 
 魚の分類には曖昧なところがあり、ある2匹の魚が同じ種類なのか、或いは別の種類なのか、はっきりしていないことがある。
 例えば、カワムツという魚には、A型とB型の2つのタイプがあり、それを別の種類の魚だと考える人もいれば、同じカワムツの中の変異だという人もいる。
 また、こんな例もあった。
 数年前、イシドンコという新種の魚が見つかったと新聞で知ったのだが、それは新種の発見というよりも、それまでドンコとして扱われていた魚の中のあるタイプのものを、ドンコとは別の、イシドンコという種類に分類することになったという話だった。
 要するに、ドンコとイシドンコは、同じ種類なのか別の種類なのかが際どくて、以前は同じだと解釈されていたものが、そうではない解釈に変わったのだった。
 なぜ、魚には、そんな曖昧が多いのか?
 魚は、陸の生き物と違い、すぐ近くの川でも、つながっていない川には移動をすることができない。遠賀川に生まれた魚は、人の手で放流でもされない限り、永遠に遠賀川の中で世代交代を繰り返すことになる。
 その点、陸の生き物の場合は、移動をして他の土地の仲間と交じり合うことができる。
 つまり魚の場合、川ごとに、人の世界でいうなら地域性のようなものが出来やすく、同じ種類の魚でも川ごとに外見が異なることがあるので、なかなか判断がつかないのだ。また、その地域性が発展して、同じ魚だったものが、やがて別の魚へと分化していくこともあるだろう。
 今日の画像の魚、アリアケギバチも、元はギバチという魚だったが、最近では、キバチの中の九州産のものを、アリアケギバチという別の魚として分類することになっている。

 山陰の島根県、特に山の方に行くと、その土地独特の顔立ちの人がいるように感じられることがある。よくよく考えてみると、たとえ陸続きでも、人間の場合、仕事がなければ生きていくことが出来ない。そして、特にこれと言った産業がない山陰の田舎に、よそから新しい人が来て住みつくことは稀だろう。僕の気のせいではなく、きっと、血が混ざらずに維持されているに違いない。
 
   
 

 2004.2.23(月) きれいな水と写真のリアリティー

 今年は、オタマジャクシの写真の貸し出しが、びっくりするほど多かった。
 手持ちの未使用の写真がなくなってしまうほどで、今シーズンは、新しい写真をまた撮らなければならない。
「オタマジャクシの生息環境を考えると仕方がないと思うのですが・・・」
 と前置きした上で、
「きれいな水の中で写っているオタマジャクシの写真がなかなか見つからなくて、探しています。そんな写真はありませんか?」
 と、僕に声がかかった理由を説明してくださった方もおられた。
 オタマジャクシの水中での様子は、水槽の中で撮影することになるが、たとえ水槽でも、土を敷き詰めると水に浮遊物が多くなり、汚れた感じになる。では、土ではなく砂利を敷けば水はきれいになるが、正しい生息環境 (渓流に住むカエルの場合は、それでいい) を説明できなくなる。
 そこで、土を敷いたうえで、水をきれいに撮る工夫が必要になるが、僕が7〜8年前に夢中になっていた熱帯魚の飼育器具が大変に役に立っている。
 さて、今年は、オタマジャクシの写真を撮り直しするのだから、もう準備をしておこうと、土を敷いた水槽を設置した。土は、しばらく放置した置いた方が、自然な色になるからだ。
 ついでに、昨日、アカガエルの撮影の際に採集した卵を撮影することにした。

 以前は、水が汚れている方が写真にリアリティーがあると考え、いろいろと試したこともある。水が、そこそこ汚れている方が、写真が自然に見えるのだ。
 だが、水槽で撮影した写真が、どんな局面で使われているのだろう?と、いろいろと本のページをめくってみたら、水の中に住む生き物を、陸上からではなく、水中からはっきりと見せたい時に、水槽写真が多く使われていると、感じた。
 それなら、やはり、被写体をはっきりと見せる必要があるし、水はきれいに撮った方がいいと、思い直した。
 また、わざと汚れた水を使用して、それがどんなに自然に見えても、水槽の中で、人工的に再現した環境で撮影した写真には違いない。
 水槽で撮影した写真を、まるで自然の水中で撮ったかのように見せる、つまり、ある意味で見る人をあざむく努力をするよりも、”水中の被写体をはっきりと見せたい”という、写真を借りる側の人のニーズに応えることの方が、より誠実ではないだろうか?と、考えたのだ。
 本当に自然な写真を撮りたいのであれば、水中カメラを持って、フィールドの水の中で撮る努力をするのが筋だろう。
 
   
 

 2004.2.22(日) 予感が的中

 昨日からの予定通り、アカガエルの撮影に出かけた。今日は、明るい間中ずっと雨が降り、日が暮れてから、その雨が上がった。カエルの産卵は、雨の日の夜に多く、昼間雨が降り、撮影をする夜間にだけ雨が上がってくれるのが都合がいいが、その理想通りの天候になった。
 確率は高いとは思ってはいたが、予想は的中した。幅1メーターくらいの水路の中から、アカガエルの鳴き声が、たくさん聞こえてきた。
 アカガエルが見られる水路の区間は短くて、せいぜい20メーターくらいだったと思うが、その中に推測だが、100匹以上のカエルがいたと思う。
 
 アカガエルの生息地の周辺は、先日下見をしに行ったら、とても気味が悪く、夜に一人で行くような場所ではないと感じた。そこで、誰か一緒に・・・と日記の中に書いたら、トンボの写真家である西本晋也さんが、
「お付き合いしますよ。」
 と言ってくださったので、一緒に出かけることにした。
 2人で歩いてみても、なかなか気味が悪く、
「あ〜一人ではなくて良かった」
 と痛感したのだが、一旦カエルの姿を見たら、気味が悪いなどという気持ちは吹っ飛び、ひたすらにワクワクしてきた。
 僕は、よく、
「一人で撮影に行くことは怖くないですか?」 
 とたずねられるが、生き物が目の前にいて撮影に取り掛かれば、全く怖さを感じないし、生き物が姿をなかなか見せてくれず待っている間は、場所によっては、気持ちが悪いと感じる。
 僕の場合、むしろ民家に近い里の森や林が怖くて、いよいよ山の中で人の気配が全くない場所は、怖いとは思わない。
 今日、アカガエルを撮影した場所には、点々と人が捨てたゴミが落ちていたが、そんな人の痕跡が一番気味が悪く感じられる。自然の中で暮らした時間が長くなればなるほど、人が一番不気味で、時に危ないと感じるようになってきた。
 
   
 

 2004.2.21(土) つまらない予感
 ヨシガモを撮りに、広島県へ行こうと思ったら、天気が崩れそうだ。そうなりそうな悪い予感がすると、つい先日書いたばかりだが、僕の、つまらない予感は、不思議とよく当たるのだ。
 ただ、明日は中途半端な曇りではなく、雨の予報なので、それならそれで、都合がいい。予報通り雨なら、アカガエルの産卵を見に行こうと思う。ワクワクしてきた。

 さて、今日は広島行きが中止になり、ポッカリ、スケジュールにゆとりが出来たので、撮影用の照明器具に改良を加えた。
 撮影用の照明はストロボというが、一般的に市販のストロボで撮影すると、被写体に強い影が出て、見苦しい写真になる。そこで、そんな見苦しい影が出ないように、まんべんなく光が当たるように、カメラマンは工夫をする。
 そうして汚い影が出ないように照明することを、光を回すというが、光を回し過ぎると、今度は色飽和という現象が置き、被写体の色が弱くなってしまう。つまり、やたらに光を回すのではなく、影と色とのバランスを取らなければならない。
 これまでの僕の照明システムは、やや光を回し過ぎ、色が弱くなる傾向にあった。そこで今日は、その点を修正し、さっそくカタツムリを試し撮りした。
 うちには、数十匹のカタツムリがいる。昨日の春のような陽気で、ほとんどすべてが越冬から目を覚ましたが、一匹だけ、まだ寝ているねぼすけがいたので、モデルになってもらった。殻の入り口に膜を張り、中に冷たい空気が入らないようにして、さらに、そこに葉っぱを貼り付け蓋をする念入りさだ。

 写真の本には、よく、”光を回しましょう”と書いてある。だから、勉強熱心な人の写真は、光が良く回った写真が多い。だが、光を回しすぎると、色が弱くなってしまうことは、本には、あまり触れていない。その結果、勉強熱心な人の写真には、光が回り過ぎ、色が鮮烈さを失ってしまった写真が、意外に多い。
 
   
 

 2004.2.20(金) 苦手な撮影

 今月の水辺を更新した。今回は、僕が苦手としている撮影をあえて選んでみた。
 
   
 

 2004.2.19(木) 危うい自信

 写真の世界は一生懸命やって当たり前の世界であり、熱心な人がたくさんいて、よく驚かされる。一方で、張ったりや根拠のない自慢もまた凄くて、大変に大きな話を聞かせれ、実際にその人から写真を見せてもらうと、
「え?こんなものか・・・」
 と、がっかりすることや、たくさん話をしてみると、
「あ、この人の話は何かの受け売りで、実際に自分で試してないな!」
 と、簡単にめっきが剥がれてしまうことも多い。
 その手の大きな話は、大抵は悪意があるのではなく、あまりに写真に夢中になり過ぎ、心の中の想像の世界が勝手に突っ走ってしまった結果であり、響きがいい言葉でいうなら、その人のロマンだと言ってもいいだろう。
 そんなロマンも、毎日の生活の中では大切なものだ。
 ただ、プロの世界は、実際に結果を出して何ぼの世界であり、それでは通用しない。
「あなたは今まで何を努力してきましたか?」
 と問われたなら、僕は、
「想像の世界で写真を撮るのではなく、実際に自分の手を動かす習慣を身に付ける努力をしています。」
 と答えなければならないほど、そこに注がなければならないエネルギーが大きい。
 
 さらに、自分で試し、そして結果を出し自信を持っていたとしても、その自信がまた危ういもので、ほんの些細なことで、大きなはずの自信が、実に簡単に揺らいでしまう。
 今日は、昨日に引き続き、メダカの産卵の瞬間を撮影したが、数年前に嫌というほど撮影し、どうしたらメダカが目の前で卵を産んでくれるのか熟知しているはずなのに、久しぶりに撮ってみると、
「このメダカに限って、何かの異常で卵を産まないのでは?」
 と心配になってみたりする。今日は、およそ3時間を費やして産卵の瞬間を撮影したが、わずか3時間が長かったこと。自信がないと、時間が長く感じられる。

 メスのお尻の辺りから、卵がプリプリプリプリと出てくる瞬間は、数年前に山ほど産卵を撮った時にも、一度も経験したことがないほど、今日はよく見えた。途端に、それまでの自信のなさが嘘のように、心が晴れた。
「やっぱり産んだじゃないか!そうだろう、産むと思ったよ。僕の考えた通りだ・・・」
 どうも僕の自信は、崩れ落ちるのも早ければ、築きなおすのもまた早い代物のようだ。
 
   
 

 2004.2.18(水) 写真の貸し出し

 今日も福岡は快晴で、連日、いい天気の日が続いている。が、それがずっと続くはずもないだろうから、そろそろ崩れる時期ではないだろうか?。そんなタイミングで、来週は、是非晴れて欲しいヨシガモの撮影を予定しているが、悪天候にぶち当たりそうな、嫌な予感がする。
 それなら、今すぐにでもヨシガモを撮りに行けばいい訳だが、そうは問屋が卸さない。ちょうど今の時期は、僕の写真の貸し出しの量が、年間で最も多い時期であり、依頼された写真を選び、出版社に送らなければならない。
 先月あたりから、そんな貸し出し作業が増えているが、ここ最近で貸し出した写真は、来年の6月あたりに印刷物になり、その後お金が振り込まれることになる。
 僕の写真の売り上げの半分以上は、主に6月に集中する。
 つまり、今、写真を貸し出さなければ、他の時期にはまとまったお金は期待できないのだから、これも大切な仕事なのだ。時には、写真を発送するために取材を切り上げて帰ることも、撮影の予定を中止にすることもある。
 今日は、以前に本の中で使用したカットを、再度貸し出そうとしたら、どうしても見つからない。紛失したのだろうか?どこに行ったのだろう?
 せっかく声をかけてもらったのに、
「ごめんなさい。写真が見つかりません。」
 と謝るはめになった。
 
 写真の整理や貸し出しは、その方法を凝り過ぎると無駄に時間がかかるし、逆に、適当にやり過ぎると写真を紛失したり、探したい写真が出てこなくなる。僕は、以前はかなり凝った整理をしていたが、年々写真を貸し出す枚数が増え、たくさんの写真を扱う必要に迫られ、凝った方法から、より効率がいい方法に、何度か手順を改めてきた。
 その結果、10年くらい前に撮影した写真と最近撮影した写真とでは、全く違う整理の仕方をしているし、また、2年前と5年前とでも整理の方法が違う。自分でも混乱するような状況になっていて、それが、今日の写真紛失のアクシデントにつながってしまった。
 そろそろ、うちの事務所の流儀をちゃんと決めなければならないだろう。
 
 事務的な仕事がある日でも、スタジオでの撮影なら可能だ。今日は、メダカの産卵の様子を撮影した他、先日も撮影したアカザをもう一度撮り直した。
 全身の様子が見えるように、でも、アカザの物陰に隠れたがる性質も、なるべくわかるように撮ってみた。2つの照明を使い、岩の上部と下部に明暗をつけつつ、魚には少しだけ光が当たるように撮ってみたがどうだろう?
 
   
 

 2004.2.17(火) 魚の雑種
 

 日曜日に宮崎で採取してきた砂利を水槽に敷き詰めた。水槽のサイズは、幅90センチ、奥行き45センチ、高さ45センチの、かなり大きなもので、今はそのなかにニッポンバラタナゴとメダカを飼育している。
 水槽に、最初に2種類の魚を放したあと、僕はふとあることに気が付いた。比較的、水面に近い場所を泳ぐはずのメダカと、底の方を泳ぐタナゴが、なんと同じ群れを作り、ごちゃ混ぜになって生活を始めたのだ。
 その後、ひと月くらいたち、たまたま別の水槽から間引きした水草を、そこに植え、より自然の川に近い水槽のレイアウトにすると、今度は、メダカが水面付近で、タナゴが底の方で別々の群れを作った。
 つまり、自然の状態に近づけると、魚は本来の暮らしぶりをみせ、単に雑に水槽の中に魚を放り込むと、その魚の本来の暮らしぶりとは違う姿が観察できたのだ。 ”メダカは水面付近に群れを作って生活する”などと、魚の世界で知られている生き物たちの性質は絶対的なものではなく、どうも自然な環境の中で発揮されるもののようだ。

 魚の世界では、他の動物に比べ比較的よく雑種が見られる。と言っても、それはそんなに高い頻度ではないが、例えば、イワナとヤマメという違う種類の魚の間に子供が生まれることがある。ヤマメもイワナも共にサケの仲間で、近い種類どうしではあるが、本来は、ちょっとした生活スタイルの違いから、なかなか雑種が生まれないように自然の摂理が働いている。
 ところが最近、と言ってもここ4〜5年は釣りをしていないのだが、僕は雑種の魚を高い頻度で釣った。
 恐らくこういうことではないだろうか?
 河川の工事などで川の環境が悪化する。その際に、ちょうど僕の水槽で起きたことと同じ現象がおき、本来は、別々に、ちょっとすれ違って暮らすはずの2種類の魚が本来の性質を失い、同じ群れを作って暮らすようになる。その結果、雑種が生まれ、それを僕が釣った。
 何気に水槽に魚をいれ、後で水草を植えたことで、面白い現象を見ることができた。
 
   
 

 2004.2.16(月) へんぴな場所
 

 生き物の世界には、人の感覚で測ろうとすると、
「なぜ?」
 と不思議になるような現象がある。最近僕が不思議に思うのは、真冬に活動をする昆虫が意外にたくさん存在することで、昆虫写真の海野先生や、新開孝さんのホームページの中の、毎日更新される日記で、そんな虫たちの存在を知った。
 僕のテーマである水辺にも、真冬に活発になる生き物が存在する。アカガエルやヤマアカガエルやカスミサンショウウオなどは、なんと真冬に卵を産むのだ。今日は、北九州にある、アカガエルやカスミサンショウウオが毎年産卵をする池を歩いてみた。

 池は、事務所から車で10分くらいの場所にある。が、そんな近くなのに、実は、その池に行くのは今日が初めてだ。地図を見ながら池を探してみたが、なかなか見つからず、およそ1時間くらいは歩いたと思う。とてもへんぴな所に、池はあった。
 だが、そんな場所だからこそ、北九州のど真ん中に、数が少なくなってきた両生類の産卵場所が残っているのだろう。すぐそばには大通りが走っているのだが、大きな通りと通りの間の小さな森の中に、隠れるようにして池があった。
 カエルが卵を産むのは、雨の日の夜が多い。したがって、今度雨が降ったら、その日の夜は、撮影日よりなのだが、ちょっと気持ち悪い場所だし、森の中を7〜8分歩かなければならないので、誰かカエルの産卵に興味がある人はいないだろうか?
 池の付近でカエルの声でも聞こえようものなら、その時は、熱くなって何もかも忘れてしまうのだろうが、池にたどり着くまでが・・・
 
   
 

 2004.2.15(日) 水槽撮影
 

 田んぼの定点撮影をした後、昨日は、宮崎県まで移動をして、今日は、ある川で砂利を少々採取して帰宅をした。採取した砂利は、撮影用の水槽の中に敷き詰めるためのものだ。
 水槽で撮影する場合、砂利の色が悪いと、全体に写真が変に色かぶりをすることがある。そこで、今まで僕が水中撮影をしたことがある川で、特に、水の中が綺麗に見えた川で砂利を採取して、水槽撮影の際に使用している。

 陸上の生き物の場合、例えばカエルを飼育しても、カタツムリを飼育しても、彼らに無理を強いているという思いが残る。そこで、野外で自然状態で撮影できるものは、可能な限りそうして撮影し、なるべくスタジオ撮影を減らそうと思う。
 が、魚の場合、水質を整え、水槽のサイズさえ十分に大きければ、魚は水槽に馴染み、生き生きとした姿を見せてくれる種類も多い。むしろ、魚は、自然の状況下で水の上から眺めている姿や、仮に水に潜っても、空気のボンベを背負い制限された状況下で見る魚の姿よりも、水槽の中の方が細かい部分まで観察ができ、面白い生態が見られる面もある。
 そこで、魚の水槽撮影には、もう少し力を入れてみようと考えている。
 動物の生態を撮影する場合、技術的な理由でスタジオに生き物を持ち込んで撮影せざるを得ない面もあるが、何をスタジオで撮るのか、よくよく吟味をして、スタジオで撮る場合は、スタジオならばでの、生き物の面白い生態が見られる写真を目指そうと考えている。
 野外では、絶対に野外でしか撮れない写真。スタジオでは、絶対にスタジオでしか撮れない写真と、ちゃんとした使い分けをすることが大切ではないか?と思うのだ。
 
   
 

 2004.2.14(土) 定点撮影

 昨年の5月から撮影を続けている田んぼに出かけた。あとは、3月と4月に撮影すれば、一年分の写真が揃うことになる。
 幾分、納得できない写真もあったので、その月だけ撮り直しをしようと思うが、それは、田植えの月と、稲がたわわに実った月の撮影で、いずれも最も田んぼらしい時期の撮影だった。
 ちょうどその時期に、他の仕事との兼ね合いで、いいタイミングで撮影に出られなかったのが、写真の質を落とした一番の原因だが、今思い返してみると、他にも僕の気持ちの面にも、その一因があると気付いた。
 これまでの撮影を振り返り、何月が楽しかったか?と思い返すと、稲の季節よりも、稲が植えられていない季節の撮影が楽しくて、その僕の心の状態が、正直に写真に現れたような気がするのだ。
 当たり前のことだが、楽しいと積極的になり、そうでない時には消極的になる。消極的になると、その撮影が後回しになりがちで、その結果、いい天候の日を逃がし、いざ撮ろうと思うと、今度はなかなか天候が思うようにいかず、写真の質が落ちる。
 では、なぜ、稲がない時期の方が楽しいかというと、稲の季節は、どの田んぼも比較的画一的で変化がないのに対して、そうでない季節には、田んぼごとに個性があり、今月はどうなっているかな?というワクワクがあった。
 僕が撮影している田んぼの持ち主は、この1月に、すでに田んぼを一度耕しておられるが、田植えの季節まで耕すことなく、田んぼを放っておられる農家の方もいるし、そうした田んぼごとの手入れの方法の違いによって、稲以外の脇役の生き物たちの様相が違ってくる。
 どうも、それが、僕には面白かったのだ。
 さて、今月の田んぼの風景は、耕されたばかりの先月とそう大きく違わなかった。が、来月は、一気に緑の草が生えてくるだろう。些細なことだが、毎月同じ場所に来てみると、それが楽しい。
 
   
 

 2004.2.13(金) 帰化動物

 12月の中旬にザリガニの交尾の画像を掲載したが、その時に宿ったベイビーたちが、ちょうど今、可愛い盛りを迎えている。ザリガニは、メスが尾っぽを丸め、その中に子供を抱いて保護するが、小エビたちは、ようやくメスの保護を離れ、水槽の中をうろうろするようになった。
 普段多くの人が目にするザリガニは、正しくはアメリカザリガニという。その名の通り、元々日本の生き物ではなく、訳あって、外国から日本にやってきて棲み付いた帰化動物だ。
 最近は、そうした帰化動物が、日本固有の生き物を駆逐する傾向にあり、ブラックバスやアカミミガメ(ミドリガメ)他、数種類の動物の被害が特に大きいと言われている。環境に興味を持つ多くの人が、帰化動物に対して神経質になり、そしてもちろん、僕も、その一人だ。
 ところが、アメリカザリガニは、ある部分、市民権を得たような面もある。なんといっても、子供の本に登場する生き物の中でも人気があり、定番の生き物1つだ。
 人気があるのだから、撮影をすれば、写真はよく売れる。自分の目で見て、そして写真を撮ってみると、やはりアメリカザリガニは面白い。その人気に納得させられるし、そこに帰化動物に関する問題の難しさを思う。動物には罪がないと思わざるを得ないからだ。

 子供の本の中で紹介されるアメリカザリガニは、日本の自然に溶け込んでいる姿が多い。が、僕は、いつか、帰化動物としての姿を撮影してみたい。
 なぜ、アメリカの生き物が、日本の自然に帰化できたのか?帰化できた理由は、実は、子供の本の中でアメリカザリガニの人気がある理由と、無縁ではないと僕は感じる。
 アメリカザリガニは、とても飼いやすい。本に書いてあることを忠実に守れば、簡単に繁殖の様子を観察できる。飼いやすいのだから、子供向けの自然雑誌の題材としては、もってこいだ。そして、野外では、その室内での買いやすさは、たくましさにつながる。
 つまり、子供の本の中で紹介されるアメリカザリガニの飼いやすくて面白い生態は、すべてアメリカザリガニがうまく帰化できた理由でもある。そんな視点で、ザリガニを紹介してみたいのだ。
 アメリカザリガニでなくても、ブラックバスが主人公でもいいような気がする。が、ブラックバスは、今や悪役なので、ブラックバスを主人公にすると、説教じみた本になってしまうだろう。もっと淡々と、生き物の性質と環境の関係を紹介する本が作ってみたいのだ。
 
   
 

 2004.2.11(水) やっぱり難しい

 やっぱり鳥の撮影は難しい。昨日は、あと太陽さえ顔を出してくれれば!という所まで行きついていたのに、今日は、鳥が近づいてきてくれない。
 せっかくの晴天が台無しだ。
 僕が今観察している池には、数つがいのヨシガモが飛来しているが、その中に1つがいだけ、よく泳ぎまわるものがいて、昨日近づいてきてくれたのが、まさにそのつがいだった。
 他のつがいは、比較的狭い範囲内だけですごしているようで、時々泳ぎまわることもあるが、すぐに定位置にもどってしまう。
 その定位置に僕が近づくか、或いは泳ぎまわるつがいを、僕の方に近づける工夫をするかの選択で、僕は後者を選び、策を施した結果、昨日は天気が悪かったこと以外は、成功したかのように見えた。
 ただ、その成功には、僕の工夫以外に偶然が重なっていたのかもしれない。例えば、池の周囲を散歩する人の存在で、散歩をする人をカモが嫌がり、人がいない方向に移動をした結果、僕の目の前に近づいてきてくれた可能性がある。
 そこで、今日は、いつも定位置にいるカモの方に、僕が近づく工夫を検討している。

 さて、今日の画像だが、ヨシガモが住む池の水際を、遠くから撮影したもので、ちょうどS字型に見える水際を、ずっと奥の方にたどり、画面の左奥あたりに、ヨシガモの定位置がある。そして、画面の中央の日陰になっている部分あたりまでは、カモが出てくる。
 画面右側には、木が迫っているが、この木に紛れこませるような形で撮影用のテントを設置し、画面中央あたりで撮影すれば、カモがテントを嫌がることはないだろう。また、他の場所には何も障害物がなく、仮にテントを設営して身を隠しても、テントが目立ち、カモは警戒して近くには来ないだろう。
 では、そこにテントを張ればいいじゃない!という結論になるが、そうは問屋がおろさない。今日の画像は、午前9時頃に撮影したものだが、物がもっともきれいに写る9〜10時頃の時間帯に、そのシャッターを押したい場所は日陰なのだ。
 そこで、今度は、陰になっている場所から、画面手前の日があたっているところまで、カモを移動させる工夫が必要になる。ほんの10〜20メーターくらいの距離なのだが・・・
 他の、ヨシガモが多い池を検討してみたほうがいいかな?
 ただ、大体様子は分かったし、試したいことを一通り試した。今から、帰宅をして改めて作戦を練り、必要なものを作ったり準備をして、来週〜再来週に出直すことにした。
 
   
 

 2004.2.10(火) 軍事オタク

 自衛隊に勤める知人、仮にT君としておくが、そのT君から、ヨシガモを撮影するためのアイディアが綴られたメールが届いた。
 T君は、まだ学生の頃から、大変な軍事オタクで、自衛隊が出版している雑誌を定期購読し、航空ショーに出かけ、誰が見てもオタクだという域に到達していた。ただ、T君には、きつい運動が嫌いであったり、だらしない面も多々見られ、
「あれは、自衛隊に入っても、すぐに辞めてしまうよ」
 というのが、大方の見方だった。
 ところが、である。好きというのは恐ろしいもので、とうとう数人の部下を持つ小隊長として、今でも立派に勤めつづけている。
 そのT君のアイディアの中味だが、あまりに幼稚で、日本の自衛隊の実力を疑われてはならない。時期が時期だけに、書かずにおこうと思う。
 
 さて、昨日の日記の中に、僕が工夫をしてヨシガモに近づくか、カモが僕の方に近づくように仕向けるか、2つに1つだと書いたが、今日は、カモを僕に近づける試みを試した。
 作戦の中味は、自衛隊の小隊長が興味を持つほどの軍事機密なので、ここには書けないが、ある程度の目処は立った。今回は、800ミリと500ミリの2本の望遠レンズを持ってきているが、望遠の効果が小さい500ミリでも撮影可能な距離にまで、カモの方から近づいてきてくれたのだ。
 ただ、天気が悪く、撮影にまでは至っていない。また同じ事を、後日同じように再現できるかどうか100%の自信はないが、撮影が不可能ではないと分かった。

 T君は軍事オタクだけあって、カメラにも興味を示す。ニコンの最高級一眼レフカメラと、最新のズームレンズを所有しているし、レンズの方は、僕も欲しくてたまらない高性能なやつだ。何と言ってもニコンは、日本工学といって、戦艦などに装備される光学機器を作っていたメーカーだったのだから、軍事オタクの心を刺激しないはずがない。
 そして、なぜかT君が撮影する写真には、彼が大好きな戦闘機ではなく、彼の基地がある北海道にすむエゾリスであったり、野鳥であったり、風景であったり、自然が多い。そう言えば、T君はまだ10代の頃から、生き物も好きだった。
 軍事オタクらしく、メカには大変なこだわりがあるようで、買ったばかりのレンズの中に小さな埃が見えると、大枚をはたいてレンズを分解掃除に出してしまったこともある。埃がある程度入るのは、当たり前のことで写りには全く影響がないのだが・・・。
 自らエゾリス撮影のホームページも作成し、日々更新を続けていたのだが、今は更新が止まっている。パソコンへの外部からの不正進入を防止するファイヤーウォールソフトを厳しく設定しすぎて、自分がサーバーへと接続して、ホームページを更新をすることさえも不可能にしてしまったようだ。
 それがオタク道なのだろう。が、エゾリスの撮影とホームページの更新は是非続けて欲しいと思う。きっと写真は上手くなるだろう。
 
   
 

 2004.2.9(月) ほんのわずかな距離

 ”鉄は熱いうちに打て”という言葉があるが、撮影にもよく当てはまると思う。生き物の撮影では、しばしば、生き物に近づいたり、生き物の性質を理解するための時間が必要になるが、その時間があまりに長過ぎると、大抵、撮影はうまく行かない。
 写真を撮る前に、情熱の方が尽きてしまうのだ。
 インターネットが発達して、それまで知り得なかった多くの自然写真愛好家の活動に触れることが可能になったが、”どこどこに通い続けて何年・・・”と、一箇所に場所を絞り、そこで徹底して写真を撮ろうとしている人が、思いの他たくさん存在すること知った。
 が、その大部分がマンネリズムに陥り、実質的には情熱の泉が嗄れているとも感じる。特に鳥を撮影する人に、その傾向が強いと思うが、野鳥の撮影の場合、鳥に近づくことが難しく、待っている時間が長いからだと思う。
 ただ、デジタルカメラの登場で、やや状況が変わってきた面もある。デジカメを使用して撮っている人の中に、”この人アマチュアか?”と、驚かされるほどエネルギッシュに野鳥を撮っている人が目立つようになってきた。
 大部分の一眼レフタイプのデジタルカメラは、それまでのフィルムカメラよりも、ちょっと物が大きく写る。デジカメがあれば、それまで20メーターの距離にまで近づかなければ撮れなかった鳥を、およそ30メーターの距離から同じ大きさに撮れる。
 野外で野鳥を撮ろうとするとき、そのたった10メーターの違いは、わずかなようでいて、なかなかつまらない大きな距離だ。野鳥の撮影は、いかに鳥との距離をつめるのかが、一番のポイントなのだ。

 さて、今日は、昨日に引続きヨシガモを観察し、ここで撮りたいという場所を設定した。ただ、その場所は、本来ヨシガモが居ついている場所から、20メーターくらい離れている。
 それに対して、僕が打てる手は2つあり、1つは、自分がヨシガモの方に近づくことで、あとの1つは、ヨシガモが僕に近づくように仕向けることだ。
 ちょうど池に倒れ掛かった木があり、その木のかげに撮影用のテントを設置すれば、テントと木が一体化してカモはテントを恐れないだろうが、それでは鳥までの距離が長過ぎる。かといって、ずっと前にでてテントを張れば、何も障害物がない池のほとりに、いきなりテントが張られることになり、間違いなくカモは警戒する。
 どうしたものか・・・。
 明日は、幾つかの案を試してみよう。
 
   
 

 2004.2.8(日) ヨシガモ

 ヨシガモを撮影するために広島県に来ている。今回は、写真を撮って帰るというよりも下見で、どうしたら狙っているシーンが撮影できるのか、その当たりをつけに来たといった方が正確だろう。ここ数日で撮影の目処をたて、一旦帰宅をして必要なものを準備してから、再度、来週〜再来週あたりに本番の撮影を予定している。
 鳥の撮影は、なかなか一筋縄ではいかないのだ。

 今日は、さっそくそのヨシガモを見に行ったら、20匹くらいだろうか、水がひいて小さくなった池に姿を確認できた。
 まずは、池のなかのどの辺りを好むのかを観察し、幅20センチくらいの小さな小さな支流が注ぎ込むあたりに滞在する時間が長いとわかった。そして、群れで陸にあがり、さかんに土の中をほじくっている。小さいとはいえ支流が流れ込む辺りは餌が多いのだろう。
 
 さて、そのカモが集まる場所の付近に、ブラインドと呼ばれる小さな撮影用のテントを設置して、その中にカメラを持ち込んで隠れ、最終的な撮影にのぞむことになる。ところが人馴れしていないカモの場合、とても警戒心が強くて、そのブラインドをも嫌うので、撮影はやっかいだ。策もなくブラインドを設置すると、まずその付近には近づいて来ない。
 それを何とかしてクリアーする工夫を、この数日で編み出さなければならない。
 例えば、今回僕が撮影する予定の池は周囲が砂地なので、地面を掘り、その中にブラインドの大半を隠すことでブラインドの背の高さを低くし、カモの警戒心を解くことができるかもしれない。池の周辺の陸には、多少の起伏があるので、それを利用する手もある。
 或いは、木の板か何かでブラインドを作り、数日間放置してみるという手もあるだろう。
 それを1つずつ、明日、明後日、明々後日と試してみるのだ。
  
   
 

 2004.2.7(土) 様子見

 今日からカモの撮影に出かける予定だったが、インフルエンザの様子を見るために、一日計画を遅らせることにした。
 微熱があるが、特効薬の効果だろう、具合は悪くない。明日は、きっと出かけることができるだろう。ここ数日は、倦怠感がひどくて小さな仕事が滞っていたので、遅れた分の仕事を、今日は取り戻した。

 僕は一週ごとに、野外での仕事と、室内でのスタジオ撮影を交互に計画できれば、それが理想的だと感じている。
 先々週は、雪の渓谷を撮影するためにフィールドに出かけ、先週は、スタジオで水槽を使用してアカザを撮影したし、今週は、カモの撮影で野外にでかける計画を組み、また来週は、スタジオでの仕事を予定している。
 ところが、先々週は、雪の渓谷を撮影する際に、服用していた抗生物質の副作用でお腹の具合が悪く、そして今週は、インフルエンザの薬を飲んでいるのだから、野外で撮影をするタイミングと、体調を崩しているタイミングとが、ちょうど一致してしまっている。
 何か行いが悪いのかな・・・?
 
   
 

 2004.2.6(金) 正確さの向上

 今年の春〜夏は、今まで経験をしたことがないような、仕事が多い年になりそうだ。その中で、質を落とさずにコンスタントにいい写真を提供するためには、冷静になり、くだらないミスで写真の撮り直しをするような無駄を、徹底して排除しなければならないだろう。
 仕事の量を少なめに抑えておくという考え方もあるが、いずれ家族を持ち、その家族を確実に養うためには、それなりの量の仕事をこなせる必要があるし、機会があるときに、厳しい状況で仕事をする訓練を積まなければ、先が見えてこないだろう。
 せっかくなので、今シーズンは、正確さを向上させることを1つのテーマにして、それを徹底的に極め、楽しんでやろうと思う。

 また、仕事が幾つも重なるような状況で写真を撮ることを考えると、写真の仕上がりがその場で分かるデジタルカメラが、やっぱり欲しい。今、日記の画像の撮影などに使用しているキャノンのD30は一昔前のカメラであり、仕事をするには心もとないので、何か使えそうなデジカメを手に入れたい。
 キャノンのユーザーであれば、新発売が発表されたばかりのイオス-1DマークUで、文句なしに決まりだろうが、僕はキャノンのレンズをあまりたくさん持っていない。僕がたくさん道具を揃えているのはニコンとペンタックスなので、ニコンのD2H、D100、D70あたり、それからペンタックスのDist あたりの製品を検討している。また、ニコンからは、そろそろD2Xが発売されるのでは?というタイミングだが、D2Xが発売されれば、それが最も欲しいカメラになるだろう。
 そしてもう1つ、アメリカでフジフィルムのS3PROが発表された。フジのデジタルカメラは、ニコンのレンズが取り付けられるようにできているので、もしも今春あたりにS3PROが発売されれば、検討に値する。
 S3PROの前のモデルは、画質の良さには定評がありながら、操作性とファインダーに大きな欠点を抱えていた。それが多少なりとも改善されていれば、僕が次回購入するデジカメの第一候補になる。いっそうのこと、ニコンとフジは、デジタル一眼レフ作りで提携すればいいのに・・・

 参考までに・・・
 2日に”インフルエンザにかかったようだ”と書いたら、インフルエンザの症状はどう?と、メールが幾つか届いた。
 感染して48時間以内に服用すれば、ほぼ確実に症状を抑えられる特効薬を使い、経過を見守っているのだが、特効薬と言えども完璧に症状が抑えられるわけではないようで、やはり多少調子は悪い。
 インフルエンザに感染してから48時間以内というのは、微妙な時間帯で、まだ高熱がでるタイミングではないので、倦怠感や節々の痛さで、病気への感染を判断しなければならないのだが、その診断はなかなかむずかしいと思った。
 ただ、僕が今まで何度か体験したことがあるインフルエンザのように、一気に高熱が出て2〜3日はどうにもならないという状態ではないので、特効薬の効果はあるようだ。おや?っと思ったら、薬を処方してもらった方が、得をすると思う。
 
   
 

 2004.2.5(木) もっと工夫を

 一昨日、アカザの撮影に苦心したことを書いたら、ある方から、
「アカザは物陰が好きな魚なので、物陰を作り、その中に隠れているシーンを撮影したらいいのでは?」
 と、撮影のヒントになるメールをいただいた。
 僕は、全く逆のことを考えていた。物陰に隠れがちで、全身の様子を見にくい魚だからこそ、物陰ではない場所で撮影し、ひれはこんな形、体型はこんな感じと、ズバリ見せようと考えた。
 物陰が好きな魚を、そうでない場所で撮るのだから、魚は落ち着きをなくすし、当然撮影は難しくなる。結局、工夫をして、全身が丸見えの写真を撮ることができ、その写真は、それなりに印刷物の中で使用できると思うが、一方で、僕の頭の中には、いただいたメールがひっかかっていた。
 もっと違う撮り方もあるのではないか?と、気になっていた。
 そう。物陰に隠れていて、しかも同時に、全身の様子もちゃん分かる写真を撮れば、魚の形も、物陰に隠れる性質も同時に伝えられるではないか。それができてこそプロだ!という気がしてきたのだ。
 陸の生き物であれば、照明の角度や当て方を工夫すれば、物陰にも光を当てることができる。物陰に隠れた陸上の虫を、物陰に隠れたままで撮ることもできるだろう。が、水中では、光を当てる角度によっては、水に浮遊したゴミが異常に目立つ。また、水槽内での撮影の場合は、詳しい説明は省くが、水槽のガラスという制約があり、やはり光の当て方が限られる。
 もともと制約が多い水槽での撮影であり、そうした制約に触れないように手堅く撮ることばかりを考えていたが、もっと工夫ができるはずだと、一通のメールが僕に気付かせてくれた。
 人様の写真を見て、
「あとちょっと工夫すればいいのに・・・。」
 と思うことがよくある。
”あと1時間待てばいいのに” 
”あと1時間早く起きればいいのに” 
”あと30分歩けばいいのに”
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、
 せっかく何かに取り組むのなら、あと一歩踏み込んで結果がでるところまで打ち込めばいいのに・・・と、僕はよく思う。
 それが自分のことになると、なかなか気付けないのだが、来週〜再来週になると思うが、アカザをイメージ通りに撮るために、川に石を取りに行こうと思う。再度アカザの撮影にチャレンジしたい。

   
 

 2004.2.4(水) アカザ・顔

 撮影を抜きにして、生き物の中で何が一番好きか?と問われれば、僕は魚だと答える。
 子供の頃から、魚とりをする時間は、楽しくて楽しくてたまらなかったし、今でも、魚の飼育室を持ち、水槽を何十個も並べて色々な魚を繁殖させてみたい・・・と、時に思うことがある。
 かなり先の話だが、僕が年をとり、フィールドで仕事ができなくなった時には、その夢の飼育室を持ち、いろいろな魚の繁殖をさせ撮影し、同時に、その増やした魚を採取した元の川に放しながら、川についてもっと知ってもらえるような活動をしたみたいような気もする。

 西日本で放流される魚は、アユはともかく、錦鯉やサケなど、元々その川にすんでいた魚ではない種類ばかりだ。多くの河川で錦鯉を放し、そして、”鯉をとらないで!魚や自然を大切にしましょう”と、看板がたてられるが、僕はそんな状況を残念に思う。
 放流には賛否両論があるが、それは一旦置いておき、せめて、鯉ではなくて、カワムツやオイカワなどのハヤの仲間、タナゴの仲間など、元々その川に生息している生き物を放して欲しい。
 魚には同じ種類でも地域間に格差があり、例えばメダカにも幾つかの型があるが、その地域の小学校や中学校で、その地域で採集した魚を増やし、放すような試みがなされれば・・・と思う。
 また、もしも将来子供を持ったら、僕は魚捕りの達人に育て上げる予定だ。そして、魚だけなく、川の危険な面についてもしっかりと教え込み、さらに、自分の家族という次元を越え、もっと大きな規模で、人が川とどのように付き合っていったらいいのか?を、一緒に考えてみたい。

 では、なぜ淡水魚の写真家にならないのかと言えば、撮影の対象としての魚は、むずかしいと思うからだが、それは、また別の機会にでも書いてみたい。

   
 

 2004.2.3(火) 発狂寸前

 先日日記の中に書いたアカザという魚を撮影しようと思ったのだが、たかだか水槽の中で撮影するのが、上手くいかない。撮影用の水槽の中にアカザを放すと、撮影できない場所に隠れ込むか、狂ったように泳ぎ回るかのどちらかで、ここで撮りたい!と僕が設定した場所に落ち着いてくれないのだ。
 明らかに水槽だと分かるような写真であれば、実に容易いのだが、川の中で写したかのように自然な感じに撮ろう思えば、水槽撮影はとても難しい撮影の1つだと思う。
 あまりに上手くいかなくて、発狂しそうだ。

 発狂しそうと言えば・・・
 ”写真は楽しく撮ることが大切では?”と、時々人に指摘をされることがある。指摘はその通りだし、それがいい写真を撮るための一番の秘訣だと思う。
 だが大抵の場合、人が指摘する”楽しく撮る”は、僕が考える”楽しく撮る”とは違うような気がする。人が言う”楽しく撮る”には、”そこまで極めようとしなくてもいいんじゃない?もっとノホホ〜ンと・・・”という意味合いが込められているように感じるが、僕は、極めようとして苦しんだ結果、初めて、楽しく撮れる境地に達するような気がするからだ。
 どうしたら楽しく撮れるのか、それを求めて試行錯誤していると言ってもいいような気がする。

   
 

 2004.2.2(月) 特効薬

 今日は倦怠感がひどい。もしかしたら、これはインフルエンザか?という気がする。
 インフルエンザには特効薬があり、発病後、一定時間以内にその薬を飲むと、かなり高い確率で症状が抑えられる。ただ、薬を飲むタイミングが重要で、熱が出てからでは遅い。薬は高価なので、間違って飲んでしまうと勿体ないし、初期症状を確実につかまなければならない。
 その薬を握り締め、今か今かと警戒をしているのだが、来るとすれば、今晩〜明日の朝あたりだろうか?
 おかげで今日は何もやる気がおきない。
 仕事に手をつけては、集中力を欠き、今日はや〜めたと諦め、また、手をつけてみては諦めるの繰り返しで、一日が終わった。

 何かに取り組んだら、それが撮影であろうが、掃除であろうが夢中になって止まらないのが、唯一の僕の武器だが、こんな日は、そのやる気が生まれてこないので辛い。一日が異常に長い。

   
 

 2004.2.1(日) もっともな理由

「あなたが羨ましい。そうやって好きなことがあり、後ろを振り返ることなく打ち込めている」
 と言われることがある。僕は、直線的に写真に打ち込んでいると思われがちだが、その実は、撮影に際して、悩んだり、回り道をしている時間が長いタイプではないか?と思う。
 まず、鳥から水中から小動物まで撮っているのは、いろいろな物に手を出し、腰が据わらなかった名残だし、他にも、自然を報道写真的に撮ろうとしたこともあるし、人物も含めて撮ろうと試みた時期もある。
 僕ほど、見苦しくバタバタしている人間は、他に少ないのではないだろうか?

 すべての始まりは鳥の撮影だったが、鳥は全国を舞台にして撮影をするので、各地に情報網を持たなければ難しい。多くの鳥マニアたちは、鳥を見たり撮影するために、情報を仕入れるための人付き合いをする。
 だが、僕は情報をもらうために、誰かに連絡をとる気には、どうしてもなれなかった。
 生き物の写真の中では、昆虫を撮る人たちは、比較的にいい人間を関係を築いているように見える。お互いに、多少のライバル心はあるのだろうが、見苦しい罵りあいみたいなことを、聞いたことがない。
 一方で鳥の写真の世界では、そんなつまらない争いごとが日常茶飯事で、よく耳にするが、きっと情報をもらうために、下心のある付き合いをするからではないかと思う。
 そんな付き合いが、僕には馬鹿らしく感じられた。

 ある日、沖縄にヤンバルクイナの撮影にでかけたら、林道を、沖縄特有なカメやトカゲなどがたくさん歩いているのを目にして、それを写真に撮ろうと思いついた。
 そして、その写真を、動物写真のコンテストであるアニマ賞に応募したら、賞はもらえなかったが、審査員の一人である動物写真家の宮崎学さんが、
「写真展をやったらどうだい?」
 と電話をかけてきてくださり、僕は上京して『小動物も道を歩く』という写真展を開催した。
 動物はある面でとてもたくましく、人が作った道を利用することもあるのだという狙いは、自然を美しく捉えるのではなく、今こんな現象が起きているという報道写真的な撮り方であり、宮崎さんが切り開いてきた世界だった。
「よし、鳥の撮影を止めて、報道的に自然を撮ってみよう!」
 と僕は考えた。

 ところが、その報道的な内容の写真展の真っ最中に、僕の決意を揺るがす出来事が起きた。すぐ近くの別の会場で、知人が里山をテーマにした写真展を開催していたのだが、その展示を見にいった僕は、 里山の方には、きれいなお姉さんが、ちらほらと見に来ていて、
「わ〜素敵ですね」
 と喜んでいることに愕然とさせられた。
 僕の会場で話かけてくるのは、ウンチクの好きそうな、ちょっと怪しい人ばかりだったからだ。
「これはいかん!」
 と痛感した僕は、その時、美しい水辺を撮ろうと、思いついた。
 ただ、せっかく宮崎さんが、写真展の機会を作ってくださったのに・・・という思いもあった。
「自然を美化するのではなく、報道的に見ることが大切だ!」
 という宮崎さんの主張が、グッと、僕の心に突き刺さっていた。
 が、正当な理由があるなら、きれいな写真を撮ってもいいだろうと、僕は解釈することにした。正当な理由とは、きれいな女の人が喜ぶ写真を撮りたいということだが、これなら宮崎さんも、
「なるほど、それはもっともな理由だ」
 と言ってくださるのではないかと、考えることにした。

 さて、そのきれいな女性というのは、言葉通りのきれいな女性でなくても構わない。
 ごくごく一般の人が見て楽しい写真を、きれいな女性が見て喜ぶ写真と表現したのだが、ある意味、自然と一番不釣合いなのが、町の象徴であるきれいな女性であり、そのきれいな女性が喜ぶのであれば、それは、大半の人が見て楽しめる写真に違いないと考えたのだった。
  
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2004年2月分


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