撮影日記 2003年12月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 

 2003.12.30〜31(火〜水) 不謹慎かな? 

  僕は子供の撮影が不得意だが、ずっと以前に、その不得意な子供を撮影しなければならない機会があり、撮影前からあまりに緊張が高まるので、
「人の子供ではなくて、子猿を撮影するつもりで撮ろう」
 と書いたことがある。すると、
「人の子供を子猿だと思って撮影するなんて、不謹慎ではないか?」
 というメールをもらった。
 メールの日付は、僕がその記事を書いたときに送信されたようだが、なぜか今日届いた。
 僕は正直に書くと、それがなぜ不謹慎なのか理解が出来なかった。何度も何度もメールを読み直してみたのだが、それでも分からなかったので、代りに、なぜ僕が「子猿」と例えたのか、その思いを返信することにした。

 人は人間を相手にする時に最も緊張をする。
 例えば、講演をする時に、一人で練習をする際には楽に言葉が出てくるのに、たくさんの聴衆を目前にすると緊張が高まる。
 野球などスポーツの選手でも、練習の時はいい玉を投げるピッチャーが、生身のバッターを相手にすると、なかなか力を発揮できなくなると聞いたことがある。
「講演の時には、緊張しないように聴衆をマネキンだと思って話すといいよ」
 という人もいたし、また、プロ野球のピッチャーが、
「バッターをただの壁だと思って、無心で投げます」
 と話すのを聞いたこともある。
 講演の話し手が聴衆をマネキンだと思うことやピッチャーがバッターを壁だと思うことが、人を物扱いしていることになるのだろうか?
 僕にはどうしても、そうは思えないのだ。

 そう思いつつ、僕は、もう一度、相手の側に立って考えてみた。
 人前で講演をする時に聴衆をマネキンだと思う例をあげれば、大半の人は、
「分かるな〜その気持ち」
 と納得してくださるのではないだろうか?
 大勢の前で話しをすることは、誰にとっても緊張を余儀なくされるイベントだ。
 だが多くの人にとって、子供の写真を撮る行為は、むしろ緊張とは程遠い楽しい行為であり、写真を撮ることと、子供をサルだと思わなければならないような極度の緊張とは、なかなか結びつかないのかもしれない。
 少なくともその方にとっては、子供の写真を撮る行為は、自由な、とても楽しい時間であるに違いない。
 仕事としての写真は、時に辛いなと思う。
 例えば、子供の一連の撮影の中に、しゃがみこんだ子供が、岩をめくってダンゴムシを探しているシーンがあった。僕が撮らなければならないのは、その子の足と手と岩のアップで、子供の顔が写らない写真だった。
 だが僕は、子供の顔をカットしてしまうことが、どうしても苦しかった。
 その子は、その写真を見たらがっかりするだろう。顔を写さないのは、その子の人格を消すことで、シンイチ君ではなくて、ある男の子として撮影するところにある。
 大人なら、顔が写らないことを理解してくださる人もたくさんいるだろうが、幼稚園児には、その意味を理解することはできないだろう。そこに仕事としての撮影の辛さがある。
 僕は結局、その子の全身を写して、デザインの段階で、トリミングしてもらおうと思ったが、全身が写った写真は没になり、別のカットで埋め合わせをすることになった。
 僕は、昆虫写真の海野先生と話しをすると、大変な刺激を受けると同時に、どこか受け止めてもらえる安らぎを感じる。その安らぎは、同じ苦しさを知っている人だけが与えることが出来る温もりなのだと思う。
 
  
 

 2003.12.29(月) 車の故障 

 車が故障をした。
 撮影を終え、次の撮影地に移動しようとエンジンをかけると、警告灯が3つも点灯した。1つは電気系統の不具合を示すランプ、2つ目は燃料フィルターの温度を警告するランプ、3つ目はオートマチックの不具合を警告するランプだ。
 日頃利用している整備工場に電話をかけ問い合わせたら、恐らく原因は1つで、バッテリーの充電が出来なくなっているのだろうという診断だ。
 この不具合は、応急処置は不可能で、このまま走行すれば、エンジンがかかっているのにバッテリーへの充電が出来ず、走りながらバッテリーが上がってしまうと宣告された。

「どうしたらいいですかね?」
「どこかお近くの整備工場に預けるしかないでしょう。でも、ディーラーが休みに入っているので部品がないでしょうし、整備が出来るのは1月の5日くらいになるでしょう」

 ということは、どこかに車と全撮影機材をあずけて、新幹線か何かで帰宅をして、また車を取りにいくのか?僕は途方に暮れた。
 僕は日頃、早め早めの整備を希望しているのだが、僕が利用している整備工場の店主は、壊れてからでいいでしょうという考え方で、
「走行距離から考えて、そろそろこの部品を前もって換えましょう」
 と言ってくださらない。
 整備工場はいつも格安の車検の仕事で満員御礼で、故障でもしない限り、丁寧には見てもらえないのだ。また、部品は一定の走行距離に達すると大体壊れるが、もっと早く壊れることもあるし非常に長持ちすることもあり、今換えればいいとは言いきれないのが、その理由なのだそうだ。
 そもそも店主は、その場でなんとかしましょうというノホホ〜ンとしたタイプの方で、まあ何が起こってもなんとかなるよという趣旨の話が好きな人なのだ。
 その穏やかさは、話しをしていると何だか楽しい気持ちになれるし、そこが店主の魅力で、ずっと同じ整備工場を利用してきたが、今回はさすがの僕も懲りた。整備工場を変えようと思う。
 そう言えば前回北海道に行った時も、前もって点検をしてもらったのに、車が動かなくなった。寒冷地に行くときの点検箇所であるバッテリーやオイルは整備されていたのだが、グロープラグという燃料を暖める装置が故障をした結果だった。
 後で考えてみたら、福岡にいる時から冬になってエンジンのかかりが悪かった。整備の際に、車をうちに取りに来てもらったが、車を持ちかえった整備士の方は、エンジンをかけた瞬間に、かかりが悪い?と気付かなければならないと、求めるレベルが高過ぎるのかもしれないが思った。
 ここ最近も、ほぼ毎月オーバーホール的な整備が必要になり、何度も撮影を中止した。
 足回りを分解する必要があると9月末と11月に2度続けて言われた。それなら、前回分解した時はどうだったの?と思う。
 故障が生じて車を預ける時に、おかしくなりそうな他の場所も見て、前もって指摘をしてくれるのが僕にとっては親切であるように感じられる。
 ノホホ〜ンもいいが、僕はしっかりした丁寧な仕事がやはり好きだ。
 
 さて、今日はどうしようか?
 僕の車はディーゼルなので、一度エンジンをかけると、あとはガソリン車とは違いバッテリーは必要ではない。ということは、今バッテリーに残っている電気をすべて消耗しても、エンジンを止めなければ福岡まで帰れることになる。
 だがバッテリーがなくなると、ヘッドライトもウインカーもブレーキランプも点灯しなくなるし、ワイパーも動かないので、危険であることは間違いない。
 現在地から福岡までは600キロだ。時速100キロで走っても6時間かかる。時間はちょうど正午なので到着は夕方の6時頃になり、ヘッドライトが必要な時間帯だ。
 ということは、夕方ライトがつかなくて、どこかで車内泊をしなければならない可能性もあるので、一定の距離ごとにパーキングエリアがある高速道路を使った方がよさそうだ。高速道路なら、ウインカーやブレーキランプも、あまり必要ではないだろう。
 高速道路でエンジンの回転を4000回転くらいまで上げると、警告灯が消えることがわかった。バッテリーの充電器は弱っていはいるが、完全には壊れてない。燃料は勿体ないが、回転数を上げ、ワンワン音を立てながら車を走らせた。
 そのうちどんないエンジンの回転を上げても警告灯が消えなくなった。間違いなく、完全な故障へと突き進んでいる。
 夕方になってヘッドライトをつけた。
 いつバッテリーが底をついてライトがつかなくなるのか、時間との競争だ。ワゴン車は安定性が悪いので、日頃は100キロ程度で走ることが多いが、今日は120キロで走った。
 なんとか自宅までは持ちこたえた。
 あ〜馬鹿らしい。
 
  
 

 2003.12.27〜28(土〜日) さすが!道路族
 
 今朝は、兵庫県でカモの撮影をした。初めて訪れた場所だったが、天候にも恵まれて、いい写真が撮れたと思う。
 これと言って珍しいカモは見られないのだが、ヒドリガモとマガモの距離がちょうど撮影しやすい距離で、鳥の数も多過ぎず、少な過ぎずいい感じだった。
 ここ数年間はほぼ毎年、カモのオスメスが一枚の中にビシッと写っている写真を狙っているのだが、初めて、「あ〜、今日は狙い通りの撮影が出来たな」と感じられた一日になった。
 カモの夫婦の写真など取留めのないシーンだが、実はとても難しいのだ。

 兵庫県への移動は、高速道路を使うと約一万円かかる。
 その一万円を払って一日早く着き、一日余分に写真を撮るのか、それとも一般道を安上がりに走り、お金の方を取るのかいつも迷うのだが、今回は、高速道路を走って一日早く着き、その一日で一万円分余計に稼げばいいと、時間の方を選んだ。
 一万円は、写真を一枚売ればそれでお釣りが来る程度の額だが、現実には、鳥の写真の場合はニーズがあまりないなくて、たった一枚の写真を売るのが難しい。

 福岡を出て、山口県から先は、2本の高速道路が平行して走っている。瀬戸内側が山陽自動車道路、山側が中国自動車道路だ。
 僕がよく使うのは中国自動車道路だが、この道路は車が少なくて、時には200キロくらい運転し、僕が追い抜いた車や僕を追い抜いた車の合計が20台にも満たない日があるほどだ。
 ほとんど車が走らない高速道路を別の高速道路に並行して作るとは、さずが道路族!やることがでかい!
 中国地方には、昔から有力な政治家が多い。
 僕が学生の頃は、中曽根さんの次に誰が総理になるのか?という時代だったが、その候補だった竹下さん、宮沢さん、安倍晋太郎さんは、いずれも島根、広島、山口という中国地方のお互いに接している3県の代議士だ。
 竹下さんと宮沢さんは実際に総理になられ、安倍さんはその前に亡くなられたが、確か、山口県はこれまでに6〜7人の総理大臣を輩出しているはずだ。
 また、その後総理になった橋本さんは岡山県だし、次に総理になる可能性があると言われている平沼さんも岡山県で、そのうち総理になりそうだと言われている安倍晋三さんは山口県だ。
 さらに総理になれなかったが、前回総裁選に立候補した亀井さんは広島県で、高村さんは山口県の出身だ。
 とにかく有力な政治家だらけで、だから高速道路が2本も・・・というのは意地悪い見方だろうが、中国自動車道路を利用するたびに、何となくそんな気になる。
 ただ、平均するととても不経済で不要な道路なのだろうが、その道路に用事がある者にとっては便利な道路だ。僕にとっても、中国自動車道路は極めて便利な道路で、そこが道路行政の難しいところなのだろう。
 
  
 

 2003.12.26(金) 準備

 明日からカモの撮影に出かけるので、今日は、その準備をしている。
 鳥の撮影の場合は道具が大きいけれどもシンプルなので、水中撮影や小動物の撮影のようにストロボ用の電池を充電したり、その他の小道具を確認したりする煩わしさがないので、準備は楽だ。
  
 

 2003.12.24〜25(水〜木) うっかり

 
来月上京するための準備を整えている。
 九州から上京をするのには結構なお金がかかるので、なるべく一度の上京でたくさんの人と会う事ができれば都合がいいような気がするのだが、人と会う時間は雑にしたくないので、逆に、たくさんの計画を一度の上京に詰め込まないようにしている。
 今回は、実質3日東京に滞在する時間があれば、それくらいが適当だろうと考えスケジュールを組んだのだが、飛行機や宿の予約をした後で、その中の一日が祭日であることが判明した。
出版社に電話をかけ、
「1月12日の午前中に・・・」
 などと約束しようとしたら、
「あ、祭日ですね」
 と指摘をされ、ようやく気が付いた。僕は、
「え、本当に祭日ですか?」
 などと慌てすぎて取り乱してしまったのだが、そう言えば祭日が日曜日の翌日に移動されるようになっていたのだった。日頃、曜日や祝祭日をあまり気にすることなく過ごしているので、注意深く考えていなかったのだが、その適当な生活をさらけ出してしまったようで、無性に恥ずかしかった。
 僕が準備をしたのは激安チケットで、予約の変更等には制約が多く、なんだかややこしそうだったので、実質2日で、今回の上京を済ますことにした。

 その分、僕のアイディアの中身や持って行くフィルムをよく整理して、充実した時間にしなければならない。
  
  
 

 2003.12.23(火) カタツムリの殻

 今日はカタツムリの殻を撮影した。
 カタツムリの殻は季節に関係なくいつでも撮影ができるが、冬に越冬している時の方が、殻の中に胴体を引っ込めてじっとしていてくれるので都合がいい。カタツムリが活発に活動する季節に撮影しようとすると、撮影中に殻の中からビヨ〜ンと胴体を伸ばして歩き出してしまうのだ。

 例えば、大きさの違うカタツムリの殻を5つ並べて写真に撮るとする。何でもない撮影だが、何でもないだけに、オッ!と気を引くような写真を撮るためには、細かいところにまで気を配らなければならない。
 例えば、僕は今日撮影する時に、小から大までの5匹のカタツムリの選び方に気を配った。
 まず、殻がきれいであること。そして小から大まで5匹を並べた時に、その殻の大きくなるようすがリズムよく見えるような5匹を選ぶことだ。
 5匹を選び、5匹を仮に並べてみて、もう少しこの真ん中のカタツムリが大きい方がきれいに並ぶかな・・・などとカタツムリをメンバーチェンジすることもある。
 それから、それをくきれいに整列さえて並べることも大切だ。一匹だけ、ちょっと引っ込んで並べてしまったりすると、写真を見たときになんだか雑な印象を与えてしまう。
 5つの殻を並べるだけでも、微調整をしながら何度も並べ直すので、カタツムリが動かない冬の季節の撮影がいいのだ。

 
今月の水辺を更新しました。今月は、学生時代の思い出を書いてみました。
  
  
 

 2003.12.22(月) カタツムリの越冬
 昨日は、アメリカザリガニの交尾を撮影したが、水槽の場合、ヒーターを使えば簡単に温度管理ができるので、季節に関係なく生き物を活動させることができるし、撮影ができる。
 むしろ、真夏は自然の水辺よりも水槽内の水温の方が断然に高くなり、コケが異常発生したり水草が枯れてしまったりして、生き物が死んでしまったり・・・
 冬の方が水槽に関しては管理が楽な面も多い。 
 ただ、やはり生き物の撮影は、本来夏に見られる現象は夏に、冬に見られる現象は冬に撮影した方が自然で楽しいと思う。

 生き物の活動の中には、冬にしか撮れないシーンもある。今日は、カタツムリが越冬している様子を撮影したが、今年は秋から暖かい日が続いたので、なかなかカタツムリが越冬に入らなかった。ここ3〜4日の低温でようやく越冬態勢になったようだ。
 カタツムリは、殻の入り口に膜を張り、外の冷たい空気が殻の中に入らないようにして越冬をする。膜は、殻の入り口の辺りに一枚、さらにその奥に一枚と、幾重かに張られることが多い。一枚一枚の膜には、ご丁寧に、呼吸のための小さな空気穴が作られる。
 膜を幾重にも張るのだから、越冬中は食べ物を食べないし、殻の成長が止まる。
 そうしたカタツムリの殻の成長の様子は、年輪のように殻に刻まれて残るので、殻をじっくりと手に取って観察すると、そのカタツムリが何度越冬しているのか?つまり何歳なのかが分かる。
 殻に生じる年輪の読み方は、いずれ紹介したいと思うが、それを紹介するためには、ここが越冬の跡ですよ!と年輪がはっきりしたカタツムリを見つけ、それを写真に撮らなければならない。
 そのために、今年は何度かカタツムリの採集に出かけたのだが、探しても探しても、誰にでも分かるくらい年輪がはっきりとしたカタツムリが捕まらない。
 きっと暖冬で、カタツムリが越冬する期間が短くなっているのだと思う。そう言えば、一昨年だったか、11月の末に活動中のカタツムリを捕まえたことがある。

 カタツムリの殻は、化石としても残りやすいだろうし、古い地層からカタツムリの殻の化石が見つかった時に上手く殻を分析すれば、そのカタツムリが生きていた時の年間の寒暖の変化が読み取れるかもしれない。
 
今月の水辺を更新しました。今月は、学生時代の思い出を書いてみました。
  
  
 

 2003.12.20〜21(土〜日) ザリガニの交尾
 20日の雪は大はずれで、積雪どころか、朝のうちはみごとな青空が広がった。
 僕は撮影現場のすぐそばに車をとめ、車内で一夜を明かしたが、夜明け前のまだ暗い時間帯に目を覚ましてみたところ、すぐそばを走る高速道路から車が順調に流れる音が聞こえてきたので、窓の外を確認する間でもなく、積雪していないことが分かった。
 残念。でも、外で眠るのはいい気分転換になった。
 
 今日は、アメリカザリガニの交尾を撮影した。
 撮ろう撮ろうと思いつつ、他の仕事との兼ね合いで先延ばしにしてきた撮影だが、一晩外で寝たことで気分転換が出来たからだろう。今日は気力十分だったし、交尾行動も撮影に取り掛かってから5分程度の時間で上手く誘発することができ、短時間で撮影を終えることができた。
 交尾を受け入れる準備があるメスは、オスの体が触れると、ハサミをバンザイして、ゴロ〜ンと横になる。オスが、その上に乗っかり交尾が行われるが、交尾中に間違いがおき喧嘩にならないように、メスのハサミを押さえつけてから交尾にいたる。

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 2003.12.18〜19(木〜金) 雪の日には 
 
 
 明日は積雪があるかもしれないので、今晩から出かけておこうと思う。
 九州の場合、どこへいっても雪があるような状態には滅多にならないし、積雪がある時でも局地的になる場合が多い。だから、本当は雪の積もり具合をみて、その日の朝早くにでも移動ができればいいのだが、大抵の人が雪に慣れていない結果、雪の日には車が渋滞をしてどうにもならない。
 山越えなどは論外だ。あらゆる峠が、普通タイヤで上ろうとして動けなくなった車によって道を塞がれてしまう。 
 備えもない人が雪の日に車で走るべきではないし、そうして無謀な運転をする人が引き起こした渋滞に巻き込まれて、無駄な時間が流れていくことはとても腹立たしい。

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 2003.12.17(水) 感性と技術 
 
 
 体に悪いもの(例えばあぶらもの)ほど美味いとよく言われるが、僕の場合は体が無理できないようになっていて、あぶらものを食べ過ぎるとすぐに気分が悪くなり、食べ放題で暴飲暴食してやろう!と意気込んでも、腹八分になると突然に食欲が失せる。
 また温泉で長湯をして思いっきりゆっくりしようと思っても、そこそこ温まるとすぐに耐えられなくなり、お風呂を後にすることになる。長湯は逆に体に良くないと言われているが、食事にせよお風呂にせよ、僕の体の危険を感知するセンサーは、大抵の人よりも敏感に設定されているようだ。 
「それはいい事じゃないですか!」
 という人もいるかもしれないが、いいことばかりではない。
 子供の頃、机について勉強しようとしても、徹夜などもっての他。無理をすることを体が許してくれないのだから僕の成績は悪かった。努力が出来にくいのだ。
 中学〜高校と年齢が進むにつれて、学校の成績に関しては諦めるようになったが、小学生の頃は、クラスの優等生たちを羨ましく思ったこともある。
「あいつになりたい!」
 といつも考えていた。

 クラスの友達の中でも、特になりたかったのが成績トップのK君だ。仮面ライダーになりたいのと同じくらい強く、僕はK君になりたかった。
 K君は、中学から超有名私立に進学し寮に入った。しかも特待生で合格したのだから、よほどに学力があったのだろう。K君のご両親は、二人とも有名な教育大の出身で、熱心にK君を教育した結果だった。
 だがK君は、高校になってからグレた。恐らくご両親とも、たくさんの確執があったのではないかと想像する。そして、最近になってK君のお母さんが、
「子供を手元から放すのが早すぎました。私の間違えでした」
 とおっしゃっていると、僕は伝え聞きで耳にした。
 13歳で親元を離れるのは確かに早いと思うが、僕はK君がグレたのは、それだけではないと思う。K君のうちに遊びにいくと、K君のお母さんの言葉の端々からは、
「武田君も、こうすればもっと伸びるのに・・・」
 という武田家の方針に対する意見が感じられた。
 教育者が好む、こうすれば伸びるという発想は確かにその通りだろうし、だから有名私立に特待で合格できたのだろうが、そうしたHOW TO の発想で子供を伸ばそうとしても、そこには限界があると僕は思うのだ。

 ところで、今の僕は写真の世界でそのHOW TOを一生懸命に勉強している。こうすればこう写るというスタジオ撮影の技術を身に付けようとしている。
 写真のHOW TOを勉強してみると、目から鱗が落ちるような驚きが何度もあった。
「こうしたら色がきれいに出る。立体感が出る。質感が出るんだ!」
 でも、目から鱗が落ちたのは、それまでそれを知らずに写真を撮っていたからだ。もしも僕が写真学校に入り、こうすればいい写真が撮れるというHOW TO路線で、最初から写真術を勉強したら、
「ふ〜ん。難しいね」
 で終わったことだろう。下手糞でもいいから、まず自分が撮りたいように撮り、もっとうまく撮りたいと我慢ができなくなった時に、HOW TOをしっかり勉強すればいいのではないか?と思う。
「好きなことができていいですね。羨ましい」
 と僕は言われることがあるが、好きなことをするよりも、その前に、本当に好きなことを心の中に持っていることが難しい。こうすれば伸びるという発想からは、なかなかそれが生まれてこないような気がする。
 きっとK君には、その学力を使ってこれがやりたい!というものが心の中に生まれなかったのだと思う。

今月の水辺を更新しました。今月は、学生時代の思い出を書いてみました。
  
  
 

 2003.12.15〜16(月〜火) 続・計画
 
 
「計画を立てて撮影にのぞむと、いい面もあるけど、それで失われるものもある」
 と昨日書いたら、昆虫写真の海野先生からメールをいただいた。
 メールには先生が日頃考えておられることが書かれていたのだが、その中身は、同じ体験を共有する者にしか本当の意味では伝わらないので、具体的には書かずにおこうと思う。無心になって取り組むことと、その一方で、自分の身の回りにおきていることを考え、理解しようとすること(悩むこと)の大切さが先生からのメールには綴られていた。
 無心であることと悩むことは、ある意味矛盾することなのだが、本当に気持ちよく(正しく)集中している時には、そうなれるのだと思う。
「ただ集中するのではなく、いい集中というのがあるから、何かの機会に、それに気付くことができたらいいね!」
 と書かれていたのだと、僕は感じた。
 この続きをもう少し書き続けたら、もっとうまくそれを文章と言う形にして表現することができるような気がするのだが、もう少し考えたいような気もするので、今日は、これ以上は書かずにおこうと思う。
 
今月の水辺を更新しました。今月は、学生時代の思い出を書いてみました。
  
  
  

 2003.12.13〜14(土〜日) 計画
 
 
 12月の末にカモの撮影を予定しているのだが、昨日〜今日はそのための計画をたてている。昔は、撮影の際に綿密な計画をたてることなど滅多になかったのだが、最近は、ほぼ100%、どこで何を撮るかを決めてから撮影にのぞむ。
 以前は、仕事としての撮影よりも、仕事を抜きにしての作品作りの時間が長くて、気の向くままに写真を撮っていたし、計画はあまり必要ではなかったが、最近は、仕事として請け負った写真を撮る時間が長くなってきたので、さすがにルーズな僕も計画をたてるようになった。
 一度計画をたてる癖がついたら、今度は、請け負った仕事ではなくて、自分が好きで写真を撮っている時間にも計画をたてるようになった。今回のカモの取材も、何か依頼があって撮りに行くのではなく、ただ鳥の写真が撮りたいから撮影に行くのだが、こうして計画をたてる時間を取っている。

 そうした変化は、学校の先生タイプの人からはきっと褒めてもらえるに違いないのだが、どこか面白くないな〜と思う気持ちも、僕の心の中にはある。
 計画を立てれば、計画を立てたなりの写真が撮れるが、それで失われるものもある。ずっと昔に撮影した鳥の写真などを今引っ張り出してみると、昔の僕には撮れても今の僕には撮れないような写真が出てきてドキッとする。
 例えば、何でもないそこらの土手に、特に目的もなくフラッと出て行った時に撮った写真で、とてもいい写真が、古い写真の中から見つかるのだ。
  
  
 

 2003.12.11〜12(木〜金) メカに対する憧れ
 
 昨日、写真家の中野耕志君が、うちに遊びに来てくれた。中野君は、幅広く自然を撮影するが、自然だけでなく、飛行機やモータースポーツなどの写真も撮る。宮崎にある自衛隊の基地で戦闘機の航空祭を撮影して、その後、鹿児島県の出水でツルなど野鳥を撮影した帰りに、うちに寄ってくれたようだ。
 自然ファンの中には、「自衛隊」「戦闘機」などという言葉を口にすると、それだけで顔をしかめる人が多い。特に女性にその傾向が強くて、僕も以前に
「写真の被写体にはいろいろあって、飛行機や戦闘機の写真を撮る世界もある」
 と話をしたら、
「とんでもないことだ!」
 と、あるおばさまに怒られたことがある。
「写真の被写体として戦闘機に魅力があるのと、戦争を肯定することは全く別のことですよ」
 と説明をしたのだが、その方にはどうしてもそれが理解できないようだった。
 女の人にはなかなか理解されにくいが、男性はメカに対する憧れの気持ちを心のどこかに持っていることが多い。
 車が好き、バイクが好きというのも、圧倒的に男性に多い。もちろん女性にもバイクのファンはいるが、メカが好きというよりは、風を切って走るのが気持ちいいというタイプが多いような気がする。
 カメラが好きというのも、メカが好きの一種だし、僕も、カメラに対してカッコイイな〜と思う気持ちをやはり持っている。僕とカメラとの出会いは、父から譲ってもらったニコンFAというカメラだったが、それで写真が撮れることよりも、カッコイイメカを手にしたことが嬉しかった。
 「虫が好きというのは、メカが好きと根が同じだよね。虫の面白さには、プラモデルなどの面白さに通じるものがある」
 と昆虫写真の海野先生が昔おっしゃっていたことがあるが、そう言えば、昆虫のカメラマンにはメカが好きで、メカに強い人が多い。
 またある写真家は、ダンゴムシの本の中で、
「ダンゴムシの体の作りをロボットの設計者が見たら、うなりをあげるだろうな・・・」
と書いておられたが、やはり、虫を究極のメカとして見ておられることになる。

 女性はどちらかというと、自然に対して面白さよりも、真面目さ誠実さを求める人が多いような気がする。自然を好きであること=真面目で誠実であるという構図が、多くの女性の心の中にあるような気がする。
 
  
 

 2003.12.10(水) 上手い下手
 
  今日はホームページ用にメダカの写真をスキャナーで取り込んだ。メダカの写真は主に水槽で撮影しているのだが、ほんの数年前に撮った写真が、今では恥ずかしいくらいにお粗末に感じられる。スタジオ撮影やメダカなどの水槽撮影は、ほぼ100%技術の世界なので、上手い下手が如実に現れる。
 お粗末だな・・・と感じたメダカの写真は、この春でもすべて撮り直しをしよう。
 それに対して、野外で撮影した写真の場合は、新しいものが必ずしもいい訳ではない。特に水辺の気持ちよさを表現しようとした清流と鳥の写真などは、今撮れと言われてもむずかしいような写真もある。
 その当時は鳥の撮影に夢中になっていて、すべてのエネルギーをそこにぶつけていたからと言えば確かにその通りなのだが、それだけでなく、写真に写る気持ち良さは技術で撮るものではなく、心で撮るものなのかもしれない。写真が上手いや下手は二の次のような気がする。
 
  
 

 2003.12.8〜9(月〜火) いつ主張すべきか?
 
 「自然写真は、すばらしい仕事ですね。あなたが写した生き物たちの写真が、たくさんの人の心を癒している。そういう仕事を私は不可欠だと思いますよ!」
 と時々言われることがある。
 だが、その一言には逆に、自然写真なんて多くの人にとっては遊びであり、不可欠なものではありませんよという側面もある。
 例えば、お医者さんに向かって、
「あなたは、たくさんの人の命を救っている。医者はすばらしい不可欠な仕事ですね」
 となど言う人は滅多にいないだろう。そんなことは口にしなくても分かりきっている。
「不可欠な仕事ですね」
 とわざわざ言わなければならないことがすでに、自然写真は一般的にはどうでもいい仕事だと見られていることを意味している。
 そうした、「ごくつぶしだ!」という世間の認識に対して多くの写真家は頑張っている。自然写真家の活動の大切さを分かってもらうと努力をする。
 でも僕は、自然写真が多くの人にとってごくつぶしであってもいいのではないか?と思う。むしろ大半の人にとって、それが遊びであるということを、一度ちゃんと受け入れなければならないような気がする。
 仕事として写真を撮ることは時に辛いが、辛くて厳しいかどうかとは別に、やっぱり贅沢な時間だと思うのだ。そんなことでお金がもらえること自体、とてもありがたいと思う。
 だから僕は、普段写真を使ってもらう時には、1つのアイディアとして自分の意見を提案することはあるが、「俺の写真をこう使え!あなた達は自然写真を分かっていない・・・」などと難しいことは言わないことにしている。その写真を使う人が、気に入るように使えばいいと思う。
 だが、このホームページは何か商売をする場ではないので、僕はいつも本音を書く。気に入らない写真は使わない。自分の思い入れも大切にする。
 もちろん仕事の関係でこのホームページを見てくれる人はいるが、職業人としてではなく、一個人として楽しんで見てもらえれば嬉しいし、そういうつもりでホームページを作っている。

 そうした僕の作品としてのホームページとは別に、写真を一枚でもたくさん使ってもらうための営業用のホームページを、数人の仲間と今準備している。ホームページのテーマは水辺の写真で、こちらには自分で気に入らない写真でも出版物の中で使えそうなものは載せたい。
 自分が気に入らない写真でも売れるなら提供する。そうした態度を妥協だと受け止める人もいるが、僕は違うと思う。
 もしも武田晋一の写真集を作るのであれば、僕の経済的な損得を抜きにして武田晋一の作品として本を作るのだから、自分が気に入った写真を使いたい。でも、子供の本や一般向けの自然の記事に写真が使われるのであれば、相手が気に入ってくれることが最優先だ
 いつでも自分の主張をすればいい訳ではないし、時に自分が相手に合わせることも大切だし、主張はそれがふさわしい場ですればいい。
 営業用のホームページを作ろうとしてみると、いつ自分が相手に合わせるべきか、それが多少分かってきた。逆に言うと、いつ主張をしなければならないのかも浮き彫りになってくる。ホームページを作るのには面倒な面もあるが、やっぱりやってみて良かった。
 
  
 

 2003.12.6〜7(土〜日) 画像のデジタル化
 
 取材に出かける予定を変更してパソコンに向かっている。営業用のホームページの作成中で、大まかな外形はすでに出来上がり、あとはページを増やしていくだけなのだが、画像をデジタル化するのに時間がかかっている。
 画像をスキャナーで取り込む際は、高画質に取り込めばそれだけ長い時間がかかる。またパソコンの方の能力も画像が大きいと目一杯になり、平行してインターネットでホームページを見たり、別のソフトを動かしたりが出来なくなる。
 ただ、高画質に画像を取り込んでおいた方が、その画像を後でいろいろに使えるので長い目で見れば時間の短縮になる。今回は画像を最高の解像度で取り込み、それをちょっと小さくした画像と、ぐっと小さくした画像の3タイプを作り、目的によって自由に使い分けられるようにしているので、なおさら時間がかかっている。
 特に645版のフィルムを4000pixels/inchで取り込むと、一つの画像が150M前後になるので、画像を一枚ハードディスクに保存するだけでも結構な時間がかかる。
 あと2〜3日、集中して作業に取り組む予定だ。

 今日は、今回スキャナーで取り込んだ画像を使って、このホームページの「淡水記」の中のカワセミのページをリニューアルした。内容は全く変わっていないのだが、画像がきれいになった。
 
  
 

 2003.12.4〜5(木〜金) 失敗?いや大丈夫。

 僕はこの日記には、その日のことを報告するというよりは、その日感じたことを書くようにしている。だから、その日の活動をすべて書いているわけではないし、ここに書かなかった撮影もたくさんある。
 つい先日も日記には全く書かなかった撮影に出かけたのだが、帰ってきたらカメラの設定が変になっていることに気付いた。Aという場所にダイヤルが設定されているはずが、Xに設定されていたのだ。
 これは致命的なミスで、撮影のやり直しを覚悟した。撮影には、ちょっとセコイが約4000円の交通費を使っていたので、ズ〜ンと虚しい気持ちになった。
 でも、本当に失敗したのかどうか現像したわけではない。カメラバックの中でダイヤルが動いてしまったのかもしれないのだが、「あぁ、4000円が・・・」と思うと冷静ではいられなくなり、現像してみるよりも先に、翌日にでも出直して撮り直しをして、すぐにでも安心したくなった。
 ところが、その翌日は天気予報を調べてみると天候が思わしくなかったので、現像をすることにした。そしてその現像が昨日が仕上がってきたら、なんとちゃんと撮れているではないか。
 冷静に考えてみたら、あやしいのだから現像してみる以外に手はないのだが、すぐにでも撮り直しに行こうとするなんて、まだまだ人生の修行が足りないなぁと思う。
 そうした時に、すぐにでも撮り直しに行こう!というエネルギーやせっかちさ・・・そうしたものが僕の仕事を支えているとも言えるのだから、気の短さを残したまま、同時に冷静でもいられるようになりたいと思う。
 結果的に失敗ではなかったし、いい勉強にもなった。
 
  
 

 2003.12.3(水) 来年度の仕事

 スタジオの改造やストロボの改造や営業用のホームページの作成に夢中になっていたら、とうとう12月になった。今年は秋に上京をして、仕事の話をする予定にしていたのだが、それが延び延びになっているので、ちょっと先のことだが1月の中旬に日程を決め、早めに飛行機のチケットを予約することにした。
 そう考えていたら、来年度の仕事のための電話がなった。本の編集の方が福岡まで来てくださるつもりで電話をくださったのだが、
「1月の中旬にこちらから出向きます」
と伝えた。来年はカタツムリをたくさん撮影する。

 今年はダンゴムシを撮影したが、ダンゴムシのように地面を這い回るタイプの生き物をまとまった量撮影したのは初めてだったし、またダンゴムシムシのような球に近い形の生き物の撮影も初めてだったので、今シーズンは、いろいろと試行錯誤する時間が長かった。
 写真を撮る時には、被写体の形、被写体と背景との距離などによって照明の当て方が違ってくるのだが、ダンゴムシはそうした点で初めて撮るパターンだったので、仕事といっても勉強をする機会を与えてもらったと思いつつ撮影した。
 その点、カタツムリはこれまでもたくさん撮影をしているので、気持ちの持ち方が違ってくる。今度はそこで勉強するのではなくて、今僕が持っている物をすべて発揮するつもりで撮る。
 編集のTさんの希望によっては、僕が今すでに持っている写真を多少使ってもらうこともあるかもしれないが、基本的にはすべて新しく撮り下ろした写真を提供したいと考えている。
 不思議と僕の場合は、自分が苦手としている撮影の依頼を受けることが多くて、「苦手なんだけどな〜、まあ、いい機会だから勉強しよう!」と、チャレンジする気持ちで撮っているケースが多いのだが、今回のカタツムリは自信がある。
 仕事の内容は1冊分の子供の本だが、究極のものにしたいと思う。
 
  
 

 2003.12.1〜2(月〜火) ほぼ完了

 11月の中旬からずっと試行錯誤をしてきたストロボ(照明)の改良がほぼ終わった。あとは、新しい方法で多少の試し撮りをすれば作業がすべて完了する。来シーズンは、その新しいシステムで小さな生き物たちをたくさん撮影する予定だ。
 機材を改造したり改良する作業は頭を使うし、とにかく疲れる。今回はデジカメでいろいろなケースを想定したテスト撮影をしながら、こうしよう!ああしよう!と機材に手を加えているのだが、ここ2〜3日で、フィルムに置き換えるなら10本分以上のテストをした。
 
  
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年12月分


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