撮影日記 2003年09月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ 
 

 2003.9.30(火) ヤマメの産卵

 今回の取材には、オオサンショウウオを水中から取材するために、水中撮影の道具を準備したが今日も使う機会がなかった。オオサンショウウオの撮影に関しては、根本的に作戦を練り直す必要がありそうだ。
 僕が使用している水中撮影の道具は、最初に1セットを買ったきりで、その後ほとんど買い足していない。機材に対する不満はたくさんあるが、水中写真はほとんどお金になっていないので、不採算な所に新たな資金をつぎ込むことができないのだ。
 ただ、次に何かを買うときには、こんな道具にしようという案だけはある。次回は、ヤマメの産卵行動を撮影するための道具を準備しようと考えている。具体的には、ヤマメの産卵床の近くの水中にカメラをセットして、リモコンで遠くから観察しながらシャッターを押せるシステムだ。陸上であれば実に容易いが、水中では道具から特注しなければならない。

 ヤマメは代表的な日本の渓流魚だが、サケの仲間なので、地域によっては川と海とを行き来して、サケのように海からのぼってくる個体もいる。また川の途中にダムがあると、ダムを海にみたてて生活して巨大になり、秋になるとダムから渓流にのぼってくることもある。
 そんな現象があるのだと、僕は子供の頃に釣りの師匠に教わったが、
「渓流の浅いところを、何十センチもある大物がバシャバシャと水飛沫を上げながらのぼるのを、何度も見たことがあるよ」
 という師匠の話しを聞いて、僕の心の中は想像でいっぱいになった。
 そして、僕が大学4年のとき、ダムから川へのぼる巨大なヤマメの集団を自分で見つけた。一番大きなものは70センチクラスで、それが何十匹も細い流れにのぼっていた。
 僕は師匠に報告してその場所を案内したが、なんと師匠は、
「捕まえて2〜3匹持って帰ろう」
 と言う。ヤマメの産卵の時期は禁漁期になっていて、禁漁期は絶対に守るようにと僕に教えた師匠だったが、目の前に巨大な魚が横たわっているのをみて押さえられなくなったようだ。
「いや〜こんな現象があると聞いたことがあるが、実は私ははじめてみた!」
 と師匠が思わず漏らした。
 子供の頃に僕が胸をときめかした師匠の話しは、師匠が本当に見たものではなくて、本を読んで想像した師匠の空想の世界の物語だったようだ。
 その物語があまりに強烈過ぎたのだろうか?ヤマメの産卵の写真は是非撮ってみたいシーンの1つなのだ。
 ダムから何十センチもあるようなヤマメが次々と川へのぼる現象は、いろいろな条件があり滅多に見られないが、ごく普通に生息している並のサイズのヤマメの産卵であれば、道具を揃え、苦心すれば写真に撮れると思う。

 師匠が禁漁を犯したのには、師匠なりの考えがあった。捕って帰った巨大なヤマメはすでに産卵を終え、あとは死ぬだけだから・・・という理屈だ。だが、もしもみんなが捕って帰ったら、誰もそんなすばらしいシーンを見ることができなくなる
 最近の僕は、やはりルールはルールであり、自分なりの理屈をつけて捕ってはいけないと思うようになった。
 今朝は、寒さで目が覚めたが、島根の山間部の朝は9度だった。まだ刈り取られていない稲もほとんどなくなった。

今月の水辺を更新しました。今月は、湧き水の水源の写真を選びました。
 
 

 2003.9.29(月) オオサンショウウオ

 オオサンショウウオの写真で、これはいい!という写真を僕はまだ見たことがないが、自分が撮ろうとしてみると、なぜみんなにいい写真が撮れないのかがよく分かる。
 オオサンショウウオは、昼間は大抵水中のくぼみに隠れているので写真に撮れないし、かといって、夜の川で、単独で水中撮影をするこは難しい。
 仮に夜間に水中撮影をしたとしても、真っ暗な川の中で、ストロボの光で浮かび上がったオオサンショウウオの姿は、どこかの施設の飼育水槽で撮影されたものと大差がない。また、オオサンショウウオがすむような渓流よりもちょっと下流の川の水は、源流部ほどきれいではないので、水中撮影の際の透明度の問題もある。
 今回僕は、はじめてオオサンショウウオを撮ろうとしているわけだが、手も足も出ないというのが正直なところだ。

 よく、人の写真を「上手い」だの「下手」だのと言う人がいるが、そんなことは自分が撮ってみなければ分からない。オオサンショウウオのような撮りにくい生き物を撮れば、誰が撮っても下手な写真になるし、その逆もある。
「上手いな〜」
 と誉められても、
「上手いのではなくて、ただ撮りやすいだけなのに・・・」
 と思うこともある。上手い下手と、写真がいい悪いは、必ずしも一致しないのだ。

 オオサンショウウオの写真で僕がこれまで見た比較的いいものは、大抵はオオサンショウウオを狙って撮ったものではなく、アユの撮影の際などに偶然出てきているところを撮ったものだ。
 ところが、そんな撮りにくいオオサンショウウオでも、この場所で、この個体なら簡単に写真に撮れるという例外があり、今日は、その場所をたずねてみた。
 不思議なもので、どんな種類の生き物にも、そうして簡単に撮れる変わり者が存在することが多い。以前に鹿児島の奄美大島でルリカケスを撮影した際も、なかなか思うようにルリカケスの姿が捉えられなかったのだが、1つがいだけ観光地のど真ん中で繁殖している有名なつがいがいて、それは簡単に撮れた。
 だが、そのルリカケスも、今では見られなくなったと聞いたし、このオオサンショウウオもいつまで見られるか分からないので、とにかく記念撮影をしようとシャッターを押した。
 ここは川幅が2Mないが、そんな場所にもう何年も1Mを越えるオオサンショウウオが住んでいる。日頃は、この個体も目にすることができないのだが、地元の人達が使うテクニックを駆使すると、隠れ家から出てくる。

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 2003.9.28(日) まだともう
 
 僕はテレビが好きなので、よく、カーテレビの音を聞きながら運転する。でも、画面を見なければならない番組は運転に差し障るので、音だけで分かる番組がいい。
 今朝は、政治番組を聞きながら島根県まで運転したが、番組に自民党の安倍晋三さんが出演されていた。安倍さんは、今回自民党の幹事長になられたが、
「私のような若輩ものでいいのですか?」
 と、小泉総理に聞き返したという。安倍さんは49歳なのでもういい大人だという気がするが、政治の世界ではまだ49歳の若輩者になるのだろう。もう49歳なのか、まだ49歳なのかは、その人が置かれている立場によって違ってくるようだ。
 僕はまだ35歳だから・・・と先日日記に書いたら、大学時代の知人が、
「こっちはもう35歳だという感覚だよ。まだなんて思えるのが羨ましい!」
 と言った。知人には、僕のまだ35歳という感覚がとても強気に感じられたようだ。
 だが、僕は強気で書いたわけではないし、むしろ弱気になってそう書いているのかもしれない。
 なんと言っても、僕よりも一世代どころかニ世代も年上になる先輩方が自然写真の世界ではまだ活躍されている。写真家は年功序列の会社と違って、すべて自分の努力で、そんな先輩方を乗り越えて前に進まなければならない。
まだまだ先は長いな〜」
 と不安に思う気持ちが、まだと僕に書かせた。

 今日は、高速道路のパーキングエリア(山口県湯田)から学生時代の下宿を撮影してみた。下宿の建物は画像の中央あたりに写っているが、ゴチャゴチャしていて分かりにくい。
 僕が学生の頃は同じポジションからよく建物が見えたが、周辺に建物が増えたので見にくくなった。歩いて、はっきりと見える所から撮ろうかと思ったが、僕にとっての時間の経過を写すために、あえてゴチャゴチャした構図で撮った。
 僕が学生の頃は、安倍晋三のお父さんの安倍晋太郎さんが総理になれるかどうかという頃だったし、安倍さんは山口選出の議員なので、選挙の時には安倍晋太郎さんのポスターをたくさん目にした。
 下宿の周辺の変化にしても、政治家の世代交代にしても、そう考えたら、僕ももう35歳なのかもしれないが、僕の一番の心配事はやはり写真のことだから、僕はまだ35歳の写真の初心者なのだ。

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 2003.9.26〜27(金〜土) オイオイ!
 
 車の修理が出来上がり撮影に出かけようとしたら、オイル漏れがあることに気付いた。整備のやり直しをお願いする羽目になり、一日が潰れてしまった。
 オイオイ!どうなってるの?

 ほんの何日か前に、ドラえもんのどこでもドアがあったらな・・・と書こうと思った。
 どこでもドア
は、その扉を開けばどこでも自分が好きな場所に出ることができる漫画の中のアイテムだ。あまりに俗っぽい発想なので結局書くのを止めたのだが、今日もどこでもドアがあったら車なんて要らないのにな〜と思った。
 そう思いつつ、修理が終わるのを待つ時間に週刊誌を読んでいたら、どこでもドアの記事があった。将棋の先崎学さんのコラムだが、プロの将棋指しに、一番欲しいものは?とアンケートをしたら、若手の強い棋士たちがこぞってどこでもドアを挙げ、ベテランは、もっとロマンチックで、タイムマシーンが欲しいと書いている人が多かったという記事だった。
 確かに若手棋士たちの「どこでもドアが欲しい」は、ベテランの「タイムマシーンが欲しい」に比べて効率重視の発想で面白くない。「どこかに向かう列車の中の風景もまたいいんだ!」と先崎さんは反発したくなったが、その先崎さん自身も、欲しい物についついどこでもドアを挙げてしまった。
 僕は中学生の頃に将棋に夢中になったことがあるが、当時活躍していた棋士(今はベテラン)たちには、将棋が強くなるためには、小説を読んだり映画を見たり、遊び心も必要だという雰囲気があった。
 ところが、ある時突然にコンピューターを使って徹底的に将棋を分析した若手のグループが強くなり、ベテランをなぎ倒しあらゆるタイトルを独占した。その中でも最強の羽生さんが、
「将棋が強くなりたければ将棋だけをやればいいんです!」
 と書いておられるのを読んだことがある。
 ただ、そうおっしゃる羽生さんの話が将棋馬鹿で面白くないかと言えば、決してそうではないのだから、羽生さんは、単に将棋だけを効率良く研究できればいいのではなく、将棋だけに打ち込むことで、将棋を通してもっともっと広い世界を見ておられるのだろう。

 写真の世界でも、「若いうちは写真を撮るよりも小説を読め」などという意見を聞いたことがあるが、僕はどちらでもいいと思う。写真ばかり撮って、そうして打ち込んだ結果、たくさんの人に通用する面白い話ができればいいし、いろいろな面白いことを体験して、その結果、面白い写真が撮れてもいい。
 だが、本当に写真を撮るのを止めて小説を読むのは、ただの馬鹿だと思う。そうして型にはめて小説を読めば写真が上手くかも・・・という発想はせこい。小説は、本当にそれを読みたい人が読むものだと思う。よく、
「読書は大切ですよ!」
 と読書、読書と言う人がいるが、僕はそんな人は、本当の意味で本が好きな人ではないような気がする。本は大切だから読むのではなくて、それが好きだから読むものだと思うからだ。

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 2003.9.25(木) 糞をするカタツムリ
 
 カタツムリが糞をする様子を撮影した。昨年も撮ったが、納得できる写真が撮れなかったので再挑戦することにした。
 糞をする様子は、撮影そのものは難しくないが、もしもカタツムリがなかなか糞をしなかったなら延々と待たなければならないので、いかに短時間で糞をさせるかが撮影のポイントになる。長い間カタツムリを飼育した結果、すぐに糞をするカタツムリを判別する方法がわかったので、それを試してみたかったのもある。
 今日は、今にも糞をしそうなカタツムリが飼育ケースの中に2匹いたので、そのうちの一匹を撮影しようと思ったら、僕が考えていたよりももっと早く糞を始めてしまい、最初の一匹は撮り逃したが、2匹目は理想通り撮れた。

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 2003.9.24(水) 卒業
 
 今朝、車を整備に出した。整備は3日間かかる。整備された車は明後日返ってくる予定だ。ここ二ヶ月くらい、ずっと異常を感じながら運転していたので、その気苦労からようやく開放される。

 ヤマメ釣りの予定を中止したと昨日書いたが、ヤマメは秋に卵を産むのでそれを保護する目的で禁漁期があり、九州では9月いっぱいしか釣りをすることができない。明後日車がかえってきて、その翌日から島根県にオオサンショウウオの撮影に出かけ、取材から帰ってくるのはヤマメの禁漁期である10月なので、昨日釣りをしなかったということは今シーズンはもう釣りをする機会がないということになる。
 僕は、子供の頃から生き物が好きだったが、それを決定的にしたのはヤマメ釣りに夢中になったことだった。大学を選ぶときもヤマメ釣りが出来る場所にある大学を選んだ。
 だが、今の僕には、釣りではなくて写真という自然に接する手段があり、釣りをする必要がない。ここ数年はほとんどヤマメ釣りをしていないが、今シーズンも、一度もヤマメ釣る機会がなかった。
 ヤマメ釣りを卒業したのかもしれない。
 ヤマメ釣りに夢中になっていた頃は、9月の末が近づくと寂しい気持ちになった。シーズンの最後に・・・と釣り納めにでかけ、ちょっと寒くなった渓谷を歩き秋の気配を感じた。
 僕は、あまり社会の行事に関わりなく暮らしているので、年末や年始にも特別な思いに浸ることなくいつもと同じように暮らすが、よく考えてみたらヤマメが禁漁になる9月の末が僕にとっては年末のようなものなのかもしれない。
 釣りをしなくなった今でも9月末が近づくと、特別な思いがこみ上げてくる。
 
 
  

 2003.9.23(火) 車の整備
 
 明日から3日間をかけて、車を整備する。オイルが漏れているので何事かと思えば、パワーステアリングのポンプが壊れかかっているようで、そのポンプとギアーボックスという部品を換えなければならないようだ。どうりで、ハンドルを大きく切るとギコギコと変な音がする。
 新品の部品をつければ、工賃込みで20万円を越えるような大きな整備だが、僕の車は約20万キロを走行しているのでいまさら新品の部品をつけるのも馬鹿らしいし、中古の部品を調達してもらうことにした。

 今日は、熊本県でヤマメ釣りをして遊ぶ予定だったが、よく考えたら休日なので、釣りを取り止めにした。僕は平日に動ける身なのだから、休日は、お勤めをしている人たちの休みの妨げにならないように、なるべく人と重ならない場所で過ごすことにしている。
 
 

 2003.9.22(月) やはり水漏れ
 
 昨日水没させてしまったストロボ(照明)の明るさを測定するためのメーターを再度水に沈めてみたが、やはり水が漏れる。メーターを防水する防水ケースに決定的な問題があるようだ。
 防水ケースの中にメーターを入れずに水に沈めたら水漏れは起こらないが、中にメーターを入れると水漏れすることから微妙なところなのだろう。メーターを入れないとメーターのかわりに空気が入りケース内部の圧力が高くなる。空気が邪魔をして水がケースに入り込むことが出来なくなるのだが、メーターを入れるとその分空気が少なくなり水が漏れている可能性が高い。
 今日は、わずかな水漏れが生じた直後に水から引き上げたので、メーターは大丈夫だったが、メーターを使用したテスト撮影はできないので、別の方法を試すことにした。
 たかだかテスト撮影がうまくいかなかった訳だが、唯一の救いは、昨日浸水させて壊れたと思っていたメーターが完全に復帰したと思われることだ。
 僕は、同じメーターを2つ持っていて、1つはスタジオで1つは野外で使用している。帰宅をすればスタジオ用の同じものがあるので、同じ条件で測定値を比較すれば、本当に故障がないか厳密なテストも出来るし、確認をしなければならない。

 故障やトラブルはつき物だが、それに伴う出費はやはり勿体無いと思うし、特に最近はなるべく無駄な出費をしないように努めている。無駄な出費をなくて、野鳥撮影用の望遠レンズを最新の物に買い換えようとお金を貯めているのだが、なにしろ定価が100万円に近いので、なかなかお金がたまらない。
 僕はニコンの古いレンズを使用しているが、最新のオートフォーカスの600ミリに買い替え、オートフォーカス(カメラがピントあわせをしてくれる)を使った野鳥撮影を試してみたいのだ。オートフォーカスなんていらないという人もいるが、僕は、デジカメも含めて最新のテクノロジーを上手く使いこなすことも大切だと思う。
 
  

 2003.9.21(日) 水没事故

 ナショナルジオグラフィック誌に掲載されている生き物の写真はすばらしいが、それらの撮影には、莫大なお金がかけられていて、個人が太刀打ちできるものではない。
 ナショナルジオグラフィック社には、カメラを改造する専門の部署があり、たった一枚の写真のために必要があれば、市販品のような見事な機材を作り上げてしまう。
 自然写真を本格的に志す者なら誰しも一度は、「あんな写真撮ってみたいな〜」と思い、そして、どれだけお金と時間がかけられているかを知り、「そうだよね、じゃないと無理だよね・・・」と諦めた経験があるのではないだろうか?
 だが、お金がかけられているだけでなく、何でもない1シーンでもとても丁寧に写真が撮られていることも見落としてはならないと思う。
 特に違うのはストロボ(写真用の照明)の使い方で、自然の光だけでも十分に撮影ができる状況でも、よりパンチ力のある写真を撮るために、うまくストロボが使われていることが多い。よく、
「ストロボを使った写真は嫌いだ」
 という人がいて、それはそれで正しいと思う。ストロボがない方がいいケースも多いが、ストロボが嫌いだという人で、本当にストロボを使いこなせている人を、僕はまだ見たことがない。大抵は、ストロボで撮った写真が嫌いなのではなくて、自分がへたくそで上手くストロボが使えていないだけなのだ。
 ストロボは使いこなしが難しくて、上手く使えば効果があるが、下手をすればない方がマシという側面があるきむずかしい道具だ。ストロボを使いこなすためには、光の性質をよ〜く理解している必要がある。

 今日は、来週のオオサンショウウオの水中撮影に備えてストロボのテストをしているが、なんとストロボの光の強さを測定するメーターに浸水して故障してしまった。メーターは、画像右側の透明なケースに入れ水に沈めるが、ケースが水漏れをした。
 メーターは精密機器なので水漏れに気付いた瞬間に諦めたが、画像左のように分解して水分をふき取り乾燥させたら回復してきた。

 ところで、最近の機械はあまりにきれいに出来すぎていて、分解しようと思ってもどこにネジがあるのかさえ分からなかったり、簡単には分解できないものが多いが、僕は、多少見た目が悪くても、簡単に分解できる道具が安心できて好きだ。僕が持っているミノルタのメーターは幸い簡単に分解できた。
 
 

 2003.9.20(土) ヒガンバナ

 定点撮影中の田んぼに出かけてみた。田んぼの写真に関しては、定点撮影植物動物農作業の4点を当面撮影するつもりでいる。
 僕のテーマは水辺なので、一番力を入れるのは、当然田んぼを利用して暮らす動物の撮影だが、これは一番得意とするジャンルなので最後にまわすことにして、苦手な人物の撮影である農作業と、時間がかかり以外にむずかしい定点撮影から今年の春に手をつけた。

 農作業は、何枚か気に入った写真が撮れた。あとは、農作業を1つの物語として考えて、その気に入った写真の前後になるシーンを頭の中にイメージして狙って撮っていけばいい。
 定点撮影は、いつも感じることだが難しい。例えば、植えられたばかりの稲の写真を撮りたいと思っても、ちょうどその頃に天候が思わしくないこともある。定点撮影でなければ、天候の回復を待ち、どこか稲が植えられたばかりの適当な場所を探せばいいが、定点撮影の場合、自分が「ここ」と決めた場所にこだわらなければならないので、時に天候が悪くても撮らなければならない。仮に月に一度撮影するとして年間に12枚の写真を撮り、すべて納得という訳には滅多にいかないのだ。
 そんなとき大切なことは、定点撮影の途中でイマイチかな〜と弱気になっても、最後まで貫き通すことだ。
 趣味で写真を撮っていた頃、プロの写真家が撮った定点撮影の中の1枚を見て、
「これなら僕の方がきれいな写真が撮れるし、上手いんじゃない?」
 などと思ったこともあるが、大きな勘違いだったと今は恥ずかしく思う。

 来シーズンは、花の撮影にも手をつけたい。今年も多少花を撮ってみたが、フィルムを整理してみると僕の写真には欠けているものがあった。
 田んぼの植物の多くは田んぼ以外でも見られるので、ただ植物を撮るだけでは、田んぼがテーマなのにそこが田んぼであることが分からない。今年は、花を美しく撮ることにこだわりすぎていて、田んぼを説明することが出来ていなかった。花と一緒に写り込む背景にもっと気を配らなければ、鑑賞用の絵画的なの写真は撮れても、本を作るための内容のある写真は撮れないことに気付いた。
 今日は、所々でヒガンバナが花を咲かせ始めていた。
 
 

 2003.9.19(金) 練習
 
 明日から熊本で撮影をする。定点撮影中の田んぼに出かけ、それから湧き水の池に潜る。湧き水の池では、オオサンショウウオの撮影に備えて、いろいろなテストをする。
 ちょうど1週間後にオオサンショウウオの撮影をする予定を組んでいるが、50センチを越えるような大きな生き物の生態を僕は水中で撮ったことがないので、多少の練習をしておいた方がいいだろうと考えた。
 特に照明(ストロボ)の当て方をよく考えておかなければ、日頃僕が撮っているような小さな生き物を撮る場合と、大きな物を撮るときとでは、要領が違うだろうと思う。
 単に、「オオサンショウウオが写っていますよ。使える写真がありますよ」というレベルの写真を撮るのであれば容易いことだろう。だが、「これぞオオサンショウウオ」というようないい写真を撮ろうと思えば、照明の使い方が何よりも重要になる。
 だが、照明を工夫していい写真を撮ろうと思えば思うほど、機材が大がかりになる。そこのところの兼ね合いは、実際にやってみなければ、頭の中で考えても分かるものではないのだ。
 
 

 2003.9.18(木) いつでも分かりやすく

 今日は、小倉に出かけて、幾つかまとめて仕事を片付けてきた。水中撮影用のボンベに空気を入れにいったら、潜水機材を扱うお店の受付のお姉さんが、
「時々、ホームページ見てますよ」
 と声をかけてくださったが、ホームページを見てくださる人の中には、自然には興味があっても、カメラや写真術には全く興味がないであろう方もおられるようだ。つい昨日、写真を本格的に撮る人にしかわからない機材の話を書いたが、やはり、どんな人にもわかる内容を書くべきかな?と今日は思い直した。
 誰にでも分かりやすいということは、とても大切なことだ。

 よく、一枚の写真を見て、
「さすがプロだね」
 と言ってもらえることがあるが、その写真を撮った人がプロなのかどうか、たった一枚の写真からわかるものではない。
 だが、たくさんの写真を見ると、その人がプロなのかアマチュアなのかは大体分かる。プロの写真の方が断然にわかり易い。言い換えれば、見る人の立場に立って写真が撮られていて、まるで、誠実で気配りがある人と話している時のような印象を写真から受けることが多い(実際の人柄はまた別問題)。
 見る人の立場に立つと口で言うのは易いが、実際にそうすることはとても難しい。それは才能というよりも、いつもそう心がける習慣ではないかと僕は思う。
 ある子供の本の編集者が、
「写真家には文章が上手い人が多いですね」
 とおっしゃったことがあるが、それは「相手に間違いなく伝わるように、いつでも分かりやすく・・・」という習慣が身に付いていて、文章を書くときにも滲み出るのだと思う

 
海野先生が書く文章は、先生の専門である昆虫写真以外について書かれた文でも分かりやすいし、宮崎学さんがそのホームページの中で書く文章も極めて分かりやすい。
 そんな有名な写真家でなくても、宮崎県で、絶滅したとされているツキノワグマ写真に写しとめる活動をしている栗原智昭氏(僕の同級生)が、日々の活動を記した日記からは、やはり「見る人に分かりやすく」という配慮がひしひしと伝わってくる。
 
それだけ切実で真剣であることの表れなのだ。

 
 

 2003.9.17(水) リングストロボ

 今日は、撮影機材について書いてみようと思う。自然に興味があっても写真術に興味がない人には、全く訳のわからない話だろうが、時にはいいかな・・・と思った。

 僕は、通常はリングストロボを使っていないが、時々、リングストロボがあったらいいな〜と思う機会があり、滅多に使わないリングストロボも準備している。
 日頃は、発光部が大きくなるような改造(その結果、影がやさしくなる)を施したストロボを、被写体の斜め上から一灯だけ当てるライティングが好きだが、中にはリングストロボの方が向く被写体もあるのだ。
 今日は、そのリングストロボを使う機会がもっと増えるように、より使いやすくなるように、若干の改造を加えてみた。
 まずは、円形に光る発光部に手を加えて、上側と下側は光らないようにして、左右だけが光るようにした。
 リングストロボで上下左右の方向から光を当てると、あまりに均一に光が当たり過ぎ写真が平面的になり過ぎる。それを防ぐのが目的だ。
 さらに、右側の発光部には塩ビ板を被せ、右からは弱い光が、左からは強い光が当たるようにした。これで、もっと立体感を出せる。
 そして、ストロボの内部にフィルターを貼り付け、ストロボの色を調整した。
 僕が持っているサンパックのリングストロボは赤っぽい発色をするので、市販のまま写真を撮ると、当然写真の色が全体に赤っぽくなる。ギリギリ許容範囲と言える程度の赤さではあるが、他のストロボで撮った写真と並べてみると、ちょっとばかり赤さが気になり、気持ち良くない。
 また、今回、ストロボの右半分に塩ビ板を被せたが、塩ビ板を通すとやはりストロボの色が赤くなるので、その分もフィルターで補正した。
 発光部の表面にフィルターを貼り付ければいいのだが、水に濡れることもあるだうし、発光部を分解して、内部にフィルターを組み込んだ。
 キャノンから市販されているリングストロボと結局は同じようなものだが、サンパックの方は交換式のシューを買えれば、ニコンでも、ペンタックスでも、キャノンでもTTLオートが使えるのがいい。
 僕はデータを取ってストロボを使うので、TTLに頼ることは滅多にないが、水辺で写真を撮ると、水中の被写体を陸上から撮る機会があり、その場合にはTTLが有効なのだ。
 
写真展で展示に使用したプリントを格安で販売します。詳しくは、「その他」のページの「ショップ」をごらんください。まだ、1枚のプリントしか準備をしていませんが、いずれ種類を増やす予定です

 
 

 2003.9.15〜16(月〜火) あまりにルーズな会長さん

 7月末〜8月上旬にかけて、僕が所属する日本自然科学写真協会(SSP)の写真展が福岡の富士フォトサロンで開催されたが、その時に、何人かの方からSSPの写真集を購入してもらった。
 写真展の会場で用紙に記入してもらう形で申し込みを受けつけ、あとで写真集を郵送して、代金を振込んでもらうことになっていたが、「まだお金が振込まれていない人がいる」と先日会計の方から連絡をもらい、催促の電話をかけさせてもらった。
 その中のお一人に、なんとか写真作家協会理事であり、なんとか写真連盟支部長であり・・・4つの写真クラブで会長をしている方がおられたのだが、催促時には、
「明日にでもお金を振込みます」
 とおっしゃっていたにも関わらず、それから数日たった今日もまだ振込みがない。そこで、今晩再度催促の電話をかける羽目になったが、振込み先が書かれた用紙を紛失したので振込みができなかったらしい。
「本当は、こちらから電話をするべきでした・・・」
 とおっしゃっていたが、あまりのルーズさに呆れ果ててしまった。
 その方は、写真展の際には、会場である富士フォトサロン福岡に電話をして、わざわざ僕の連絡先を調べ、
「○月○日の△時頃に、クラブの会員さんを連れていきますのでその場で解説をして欲しい」
 と積極的に連絡をしてこられたのだから、振込み先が書かれた用紙を紛失したと気付いた時も、同じように積極的にその旨を伝える電話を入れるのが当たり前だと思う。

 ただ、写真展の会場での様子を見ていて、何となくだがお金が振り込まれないような気がした。クラブの方がお越しになった日、会場には僕の知人も同席したが、その知人が、
「なんだか自分の都合ばかり言って、あの人嫌いだな・・・」
 と思わずもらした。嫌〜なオーラが出ているとでも表現したらいいだろうか?
 クラブの会員さんの話しを聞いていても、ハッとさせられることがあった。会員さんの一人が、会場に展示された野鳥の写真を見て、
「私の知人にも野鳥を撮っている人がいますが、餌付けをしたり大変なんですよね〜。私の知人も、クラブの先生方に、この鳥はもうあなたの鳥だもんね〜などとからかわれています」
 と楽しそうに、なんの屈託もなく話して下さった。
 僕は、鳥に悪影響を与えないようにすれば、一時的に餌付けをして写真を撮っても構わないと思うが、それでも鳥は誰かの所有物ではなし、どんなに大丈夫だと思っても悪影響が出ていないように、いつも自分を振り返ることが義務だと思う。
この鳥はもうあなたの鳥だもんね〜」
 などとクラブの先生が煽ることが、どれだけ野鳥の生活や自然を脅かしていることだろう。
いい写真さえ撮れればいいという雰囲気がクラブに広く蔓延していたし、指導者の器の大きさがそんなところに現れるように思う。

 時に、鳥が好きだからいい写真を撮りたくて無理をして、その結果鳥を痛めつけてしまうような方がおられる。誉められたことではないが、僕はまだ許せるし、そんな方はきっと長く写真を撮るうちに次第に鳥に優しくなっていくだろう。
 たちが悪いのは、写真が好きだからいい写真を撮りたくて鳥を撮っているカメラマンだ。このタイプは写真を撮れば撮るほど、自然に対して無神経になっていく。
 
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 2003.9.14(日) 

 今日は、スタジオでカタツムリを撮影した。同一のシーンを2種類のフィルムで撮影してみて、どちらがより好みに合うかをためしてみた。さっそく明日にでも現像に出かけようと思う。
 つい先日、白バック写真で同じようにフィルムのテストを試みたが、白バック撮影用のフィルムは好みの発色をするものがわかったので、今回は白バックではなくてごく普通のスタジオ撮影に用いるフィルムのテストだ。

 撮影の内容によるフィルムの使い分けは、今までほとんど考えたことがなく、野外も白バックも一般的なスタジオ撮影も、すべて同じフィルムでこなしてきたし、それでも何とかなる。
 ただ、今年になって富士フィルムから新製品が発売され、それを使ってみて、その仕上がりをチラッと見た瞬間に、「あ!いつもの仕上がり」と全然違うと感じた。
 新たに試したフィルムは、従来僕が使ってきたものと似た傾向のフィルムだと言われているものだが、似ていると言われるもので結構違うと感じたので、もっと厳密に試してみたいと思うようになった。
 
写真展で展示に使用したプリントを格安で販売します。詳しくは、「その他」のページの「ショップ」をごらんください。まだ、1枚のプリントしか準備をしていませんが、いずれ種類を増やす予定です

 
 

 2003.9.13(土) 

 オオサンショウウオの撮影に出かける予定だったが、ひどい肩〜首の痛みがあり、9月末に延期をした。8月〜9月がオオサンショウウオを見るのにはベストのシーズンらしいが、9月末〜10月上旬くらいであれば、まだ見られるらしい。
 今年は車に寝泊りしながら撮影をするが、もしも楽しかったら、来年からは8月に3〜4泊で宿を取りバカンス兼オオサンショウウオの撮影の時間を作ろうかと思う。

 ちょうど一年くらい前にも原因不明の同じ肩の痛みがあり、その時には無理をして菊地渓谷で水中撮影をしたら、それからひと月以上も、ただじっとしているだけでも耐えられないほどに痛めてしまった。
 今年もまた同じ時期の痛みなので、今回は慎重になっているのだが、季節に関係するものか?と思いつつ去年の仕事の記録を読み返してみると原因が分かった。
 昨年は「何だか肩が痛いな〜」と思いつつ菊地渓谷に潜る直前に、パソコンに向かう時間が長い日が数日続いていて、今年もやはり先週はパソコンに向かった時間が長い。
 特に無理な姿勢で椅子に座っているつもりはないが、姿勢が良くないのだろう。椅子をひっかえとっかえして、多少は姿勢を正す工夫をした方が良さそうだ。それが原因で、慢性的な痛みを持ってしまうと、年寄りになってから苦労しそうだ。

 僕はまだ35歳なので、
「そんな年齢の時から年寄りになった時のことを・・・」
 と笑う人もいる。
 が、写真で暮らしていこうとすると、「10年後、20年後の僕はどうなっているのだろう・・・」と、将来のことを考えると恐ろしくなる日がある。
 もちろん、「まあ、なんとかなるだろう!」という部分も写真家には大切だと思うが、それは、思いつく限りのベストを尽くした上での話だろうと僕は信じている。
 僕の身の回りを見回したときに、この人には何かと不幸なできごとが多いな・・・と感じられる人がいるが、そんな人たちの日常ををよ〜く見ていると、運が悪いのではなく、慎重になるべき時にそうならずに、やはり脇が甘いような気がするのだ。

写真展で展示に使用したプリントを格安で販売します。詳しくは、「その他」のページの「ショップ」をごらんください。まだ、1枚のプリントしか準備をしていませんが、いずれ種類を増やす予定です。

 

 2003.9.12(金) 

 この秋カタツムリをスタジオで撮影するための準備を整えている。今日は、午前中のうちにダムの建設現場に出かけて倒木を拾い、午後からは拾ってきた木を使いやすい長さに切り揃えるなど、具体的な撮影の準備に取り掛かった。
 
 以前から、2匹のカタツムリが交尾に至る様子を細やかに撮りたいと思っていたが、野外でカタツムリくらいのサイズの生き物の動きがある生態を、自然の光でビシッと撮影することはほぼ不可能だ。
 なぜ不可能なのか、その技術的な問題はむずかしいので書かずにおくが、自然の光では撮れないので、代わりにストロボという人工の照明を用いる。
 ところが、一般的なストロボには得手不得手があり、木に止まっているカタツムリのような形は、ストロボできれいに撮るのがとても難しい部類に入る。そこで、撮影をスタジオに持ち込み、スタジオ用の大型のストロボを使い、スタジオ撮影のテクニックを駆使して撮れば、ごく自然な感じに写る。
 カタツムリの交尾のシーン自体は、雨の日などに野外で見た方が簡単に見れるので、そこが難しいところだ。

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 2003.9.10〜11(水〜木) 写真の紛失
 
  つい先日、写真の支払い明細を見ていたら、本来もらうべき額よりも大幅に多いお金が振り込まれることになっていた。貸し出された写真の中の一枚が紛失して、その補償額が含まれていたのが、支払いが高額になった理由だった。
 紛失した写真は、まだ学生の頃に撮ったイワツバメの写真だ。力作という訳でもない、「とにかく撮っておくか」とシャッターを押した写真だったが、紛失の結果、通常一枚の写真を貸し出した際にもらえる額よりも一桁多いお金が振り込まれることになった。
 今年は、数ヶ月前にも同じような紛失があった。その時は、ショウブの写真だったが、やはり自分でもどの写真なのか分からないくらい、思い入れのない写真だった。
 本当は、写真の紛失なんてあって欲しくないし、あってはならないと思う。
 が、何かのついでに撮った、自分でもほとんど思い出せないようない写真が紛失して、それで多めのお金をもらい、恥ずかしいけど正直に言うと嬉しかった。

 8月16日〜17日の日記の中で、「ここ数年間で溜め込んでいたフィルムの整理が終わった」と書いたが、その時に整理したフィルムは、撮影をしたものの名前が分からない生き物や、写真が気に入らず、「残そうかな?捨てようかな?」と迷い、その結果溜め込んだ写真が大半だった。
 今回僕は、そんな写真をすべて捨てることにした。捨てる写真で、ごみ箱がいっぱいになった。
 例えば、名前がわからない貝の写真があった。貝は名前を調べるのがむずかしくて、カタツムリであれば、上から、横から、裏からの写真が揃ってなければ種類の特定ができないこともある。
 つまり、上から、横から、裏から一通り撮ることが、貝類の写真を撮るときのポイントなのだが、当時の僕は、そのつぼを押さえていなかったのだ。自分の写真を見て、
「あ〜素人だな・・・」
 と感じたので捨てた。
 鳥の写真の中にもカモメの仲間などに、それから植物にもその手の写真が多く、一応きれいには写っていても種類を判別するポイントが押さえられていない写真が多かったので、そんな写真を捨てた。
 今回紛失したショウブやイワツバメの写真は、写真のレベルでいうと、そうして自ら捨ててしまった写真と同程度の、プロとしては甘い写真だったが、たまたま簡単に名前がわかったので僕はその写真を整理した。
 それがプロの写真の流通ルートにのり、紛失してお金になった訳だが、もしも名前がわからなかったなら、きっと未整理のままで事務所のテーブルの上に積まれていたことだろう。そして、先月まとめて捨てられたはずだ。

 そう思うと、今回捨ててしまった写真の中にも、お金になる写真があったかもしれない。だから、怪しい写真を溜め込むことになるわけだが、やはり捨ててよかったと思う。
 そういう嬉しいアクシデントで儲かってもいいと思うが、基本は、納得できる写真を撮ることだ。もちろん、これからも売るための写真を僕は撮るが、売るための写真でもただ売れればいいのではなくて、同時に自分も納得できる写真を撮らなければならないと思うからだ。

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 2003.9.9(火) 新たな取り組み
 
 一昨日、
「今年になって撮影したフィルムの整理がすべて終わった」
 と書いたばかりだが、今日は、もう次のフィルムが仕上がってきた。
 今回は、すべてスタジオで撮影したもので、カタツムリを生きたまま標本として撮影した写真が大半だ。
 その中の一枚をスキャナーで取り込んでみたが、この撮影はただ単にカタツムリの標本写真を揃えることが目的ではなく、同時に、スタジオで、これから僕が使用するフィルムを決めるテストでもある。
 ここのところ数種類のフィルムを使用してみたが、今回試したフィルムは特に気に入った。

 野外では、晴れの日もあれば曇りの日もあり、朝の撮影もあれば昼の撮影もある。その時々によってフィルムの発色は違うし、あまり厳密なことを言っても仕方がないが、人工の照明で撮影するスタジオでは、訓練をすれば、本当に微妙な所まで写真をコントロールできる。
 そこで、まず使用するフィルムの銘柄を決め、一種類のフィルムの特性を知り尽くし、そのフィルムのいい特性を引き出せるように照明を使いこなす勉強しようと思う。
 野外で撮りなれたカメラマンは、その微妙な部分に関しては、つい、「まあ、いいや」と言ってしまいがちなので、まずそこを改める。

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 2003.9.8(月) 写真のもつ記録性

 僕の父はお姉さんと妹の3人兄弟だが、本当は敏ちゃんという弟がいたらしい。敏ちゃんは、僕のおじさんになるはずだったが、子供の時に病気で死んでしまい、父も祖父母もその死をとても悲しんだようだ。
 その敏ちゃんが亡くなろうとしている時に、僕の祖父はとても悲しんだ一方で、弱っていく様子をつぶさに写真に記録した。その記録は、写真の作品として誰かに見せるためのものではなく祖父の日記のようなものではないかと、父から聞かされたことがある。
 人が日記を書く時には、もう一人の冷静な自分が、その日一日の自分を客観的に見つめるわけだが、祖父は子供の死という悲しい出来事をただ悲しむのではなく、それを受け入れ、客観的な目で見つめようとして、その手段として写真を選んだ。
 もしも同じ状況に立たされたなら、僕には思いつきもしない行為のように感じられるが、祖父の世代の人には、同じようなことをする人が時々いたようだ。記録をすること、つまりどんな時でも物事を冷静に見つめようとすることが尊ばれ、写真はその手段だった。

 海野先生の小諸日記を読んでいると、先生がやはり写真の記録性をとても大切にされていることが分かる。例えば、
「デジカメは画像と同時にデータが記録される点がいい」
 と時々書かれているが、デジカメの画像には、使用したカメラの機種や設定だけでなく、撮影した月日や時間までも一緒に記憶されている。
 今週の僕は、ちょうど一週間写真の整理をしたが、写真を撮影した場所や月日をちゃんと記録することは、とても手間がかかることなのだ。
 だが、中には小諸日記を読んで、
「データが記録されることがそんなに重要なことなのだろうか?」
 と感じられた人もいるだろう。
 写真は今でも記録の手段であり続けているが、最近の写真は、記録というよりも遊びや作品作りの手段としての側面の方が目立ち、記録性という部分が軽く扱われているような気がする。

 僕は、自然を記録した写真も遊びの写真も両方撮るが、写真を続ける限りは、写真の基本は記録・報道であるを忘れずにおこうと思う。

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 2003.9.7(日) ようやく作業終了

 ようやくすべての写真の整理が終わりそうだ。
 今日の画像は、今回整理したすべてのフィルムを積み上げたものだが、あとはこのフィルムを入れた小さな袋を分類して、画面右下のようなちょっと大きめの袋に入れる。さらに、それをタッパーなどのケースに分類して収めればすべての作業が終了だ。

 以前に、先輩に連れられて出版社をたずねた際に、その先輩が、撮影したすべての写真に通し番号を打って整理しているのを目にして、
「カッコいいな!僕も真似しようかな・・・」
 と思ったことがある。
 なかには、僕よりもずっと凝った整理をしている人もたくさんいるが、冷静になって考えてみたら人には向き不向きがあるし、面倒なことが嫌いな僕には明らかに向かないので、色気を出さずに、なるべくシンプルに整理することにしている。
 
 
 

 2003.9.6(土) まず撮ってみること

 いつだった、沖縄の離島に撮影に行く準備をしていたら、父の友人のTさんから、
「初めての場所に行くのだから、最初はカメラを持たずに行き十分に観察をしなくてはダメだよ!」
 とアドバイスをしてもらったことがある。
 カメラマンは写真を撮ろうとする意識が強過ぎてつまらない物の撮影に夢中になり、その結果、もっといい物を撮り逃す傾向があり、まずは、冷静に物を見る時間を持った方がいいのではないか?というのが、そのアドバイスの真意だった。
 だが、僕は違うと思った。
 僕は、いろいろな人の写真を見る機会があるが、中には、もっと観察をした方がいいんじゃない?と思える人もいれば、逆に、この人はああだ!こうだと見ているよりも、撮ってみた方がいいんじゃない?と思わせる人もいる。
 何が足りないかは人によって様々であり、僕の写真には、撮ってみるという行動力の方が足りない傾向があると、日頃感じていたからだ。

 それから数年たって、そのアドバイスをしてくださったTさんが畑仕事をしている場所をたずねた時に、僕は、近くの雑木林がガサガサと揺れていることに気が付き、
「木が揺れているけど、あそこに何かあるんですか?」
 とたずねてみた。
 Tさんからは、
「そうかな・・・」
 と何もないような返事が返ってきが、突然に、
「そう言えば!くくり罠をかけているんだった」
 と慌てられ、罠にかかっていたタヌキを開放したという出来事があった。
 僕には、自分で罠をかけ、あれだけ木が揺れていて音がして、それに気付かないのが不思議でならなかったが、Tさんは、農作業に集中しておられ、周囲の状況が見えなくなっておられたのだろう。
 日頃、自分自身が狭いところで集中し過ぎ、木を見て森を見ずの状況に陥りやすいので、「まずはカメラを置いて観察を・・・」と僕に語ってくださったのではないだろうか?なるほどなぁ・・・とその時思った。
 
 昨日からは農作業の写真を整理しているが、僕は農業には詳しくない。だから、農作業のようすをまず観察してから撮影に取り掛かる手順も考えたが、最終的には、見るための特別な時間を取らずに、直感的に、感覚的に写真を撮った。
 そうして撮影した写真を整理してみると、その中に、いつの間にか物語ができはじめていた。数百枚撮影した写真の中の数枚が、とてもうまく繋がって並べられるのだ。すべてレンゲが写っている写真なのだが、来年は、そのうまく繋がった数枚の写真を核にして、さらにその周辺の写真を撮り足すことで物語を広げていこうかと思う。
 今日の画像は、田んぼの水が漏れないように、鍬で田んぼの周囲を固める作業をしておられる様子だ。 
 
 

 2003.9.5(金) 一石三鳥

 今日は、農作業の写真を整理しているが、この春の撮影で一番のエネルギーを注いだのが、今日の画像のシーン。満開のレンゲ畑を一気に耕していくようすだ。

 写真はビジュアルに訴えるものなので、ただ何かを訴えているだけでなく、視覚的に「おっ!」と思わせることが大切。
 その方法として、例えば、広角レンズを使い手前のものを大きく、遠くのものをより小さく見せ、その非日常的遠近感で人目をとめる方法や、被写体の背景を大きくぼかし被写体を浮きあがらせる方法などいろいろあるが、花を組み合わせるなどして絵的に美しく撮るというのも人の目をとめる有効な方法の1つだ。
 絵画的に撮ろうとする時に僕が最も注意することは、ただ美しいだけの写真を撮らないようにすることだが、例えば、カワセミが一本の枝に止まっていたとする。
 もしもその枝が水辺に生えるネコヤネギで花を咲かせていたのなら、その枝を写すことで写真が美しくなるだけでなく、カワセミが水辺の鳥であることをより強く伝えることができる。だが、その枝が桜なら、カワセミについて何かを説明できるわけではないので、それはただ美しいだけの写真だ。むしろ桜はインパクトが強いだけに、カワセミが桜の咲くような場所に多く見られる鳥だと、間違った印象を与えてしまう危険性もある。
 僕が今日の画像のシーンにたくさんのエネルギーを注いだ理由は、レンゲ畑は圧倒的に美しく、しかもレンゲは肥料としてわざと田んぼに植えてあり、さらにレンゲを写すことで田起しの時期を伝えることが出来、一石三鳥の効果があるからだ。
 
 この撮影は、僕が思っていたよりも遥かにむずかしい撮影だった。
 まず、満開の時に偶然田起しをする農家を見つけなければならないし、光線状態が撮影向きの時間帯にその作業が始まらなければならないし、撮ってみたらわかるが、今日の画像程度の撮り方でも、驚くほど広いレンゲ畑がなければ周辺の道路などが背景の上部に写りこんでしまうのだ。
 今年、それなりに良しと思える写真が撮れたのはこの画像の日の一度だけで、それも、この撮影から5分後には、太陽が山陰に隠れてしまう程きわどかった。
 夕方の撮影なので、写真が全体に赤っぽく情緒はあるが、理想を言えば、夕暮れでレンゲがオレンジ色になり本来の色ではないのが多少気に入らない。この写真の中ではレンゲはムーディーな何かの花ではなくて、あくまでもレンゲでなければならないので、本来の色を出したかった。
 
 

 2003.9.4(木) なぜカメラを持つのか

 写真を整理してみると、自分が好きな被写体がよく分かる。好きなものは、自分でもびっくりするくらい、とにかくたくさん写真を撮っているのだ。
 今日は1〜2月に北日本で撮影したカモの写真を整理しているが、今日整理した写真の中では、シノリガモの写真が特に多かったので、一枚スキャナーで取り込んでみた。
 なんて不思議で洒落た模様なんだろう!シノリガモは、僕がついついシャッターをたくさん押してしまう好きな鳥の1つだ。

 シノリガモの実物を見たことがあるかないかは別にして、「あ!知ってる」と思った人は、野鳥ファンだと言ってもいいだろう。逆に言うと、ごく普通の人は、写真も含めてシノリガモを見たことがないことになる。
 シノリガモの写真を見かけないということは、シノリガモを撮影しても滅多に売れないということになるし、そもそも北日本に多い鳥なので、九州に住む僕が写真を持っていても、一生の間に一度も売れない可能性も十分ある。
 だから、撮影は程々にしておいた方が財布のためにはいいのだが、それでも機会があれば、つい写真を撮る。ただ見ているだけでもいいが、写真を撮ろうとすると、ただ見ているだけよりもよく鳥が見える。写真を撮るためによく鳥を見るという人は多いが、僕は、鳥を良く見る手段として写真を撮る。
 誰しも、何か作業をしていた方が、手持ち無沙汰な時よりも心が「無」になれると思うが、僕の場合は、写真を撮ろうとすることで無心になり、すっと自然の中に入り込むことができる。たとえば、鳥の写真を撮るような時は、同じ場所で何日も待ち続けることがあるが、もしもカメラを持たずにただ見るだけだったなら、とてもとてもそんなに長くは、僕は待てないだろう。
 
 

 2003.9.3(水) 売れそうな写真
 
 2月に北海道で撮影したハクチョウの写真を、ちょうど今整理している。北海道から帰宅後に現像をして、パッと見て気に入った写真はすぐに整理を終えたが、残りの中途半端な写真の整理がまだ終わっていない。
 その中途半端だと思っていた写真の中に、今日は、なかなか売れそうな写真を一枚見つけた。
 夫婦でハクチョウが写っていて、飛んでいて、しかも鳴いていて顔にもポーズにも表情がある。写真をトリミングすれば縦長の紙面にも対応できる。写真家は、ダイナミックな迫力満点の写真を評価する人が多いが、よく売れるのは、今日の画像のようにダイナミック過ぎず、どこかユーモラスな、少し間抜けな感じがする写真だ。
 整理をしながら、嬉しくなった。
 
 動物が夫婦で写っているような写真はよく売れる。そういうと、いつ、誰だったか忘れてしまったのだが、
「私も、サギの夫婦が写っている写真を撮りましたよ。巣に片方の親がいて、あと一方の親が巣から飛び立つ瞬間が撮れています」
 という人がいた。
 だが、僕の経験的には、そのサギの写真はあまり売れないような気がする。動物の夫婦の写真に求められるのは仲のいい雰囲気なので、2匹の寄り添い具合や表情が大切だし、一方の親が飛び立つ瞬間では仲の良い夫婦だという印象が弱い。恐らく、その方には、『動物の夫婦』の意味が分からなかったのだろう。
「動物の夫婦の写真を撮ってよ」
 などと注文を受けた時に、その写真(例えば夫婦の写真)に何が求められているのか、それを感じ取る力が、時に写真の技術よりも大切なこともある。意外に、技術にこだわる人や、芸術家ぶっている人に、それが分からない方が多い。

 

 2003.9.2(火) 心に染み付いた思い

 先日、子供の本の編集者の方が福岡までお越しになったが、編集者はたくさんの人の写真を見ているので、色々な写真家の話が面白い。例えば、
「Uさんの写真は一見ピントがよく合ってないように見えるのだけど、引き伸ばしてみたら、結構大きく伸びるので不思議なんですよ〜」
 といった具合に、印刷物になった段階では分からない写真の印象を聞かせてもらうことができる。

 ある人はなるべくシャープな写真を撮り、ある人はわざとぼけているような軟らかい写真を撮る。人によって好みの画質は違うが、多くの編集者の意見が一致するのは、岩合光昭さんの写真がとてもシャープで切れがいいということだ。
 だが、その岩合さんが何かの本の中で、
「動物って、なかなかピントが合わないんだね〜」
 と駆け出しの頃に出版社の人から皮肉を言われたと書いておられた。
 岩合さんは、ピント合わせに自信があるとよく書いておられるが、きっと、その時ピントが合っていないと言われたことを糧にして、シャープな写真を撮るように、日々心がけてこられたのだろう。そう言えば、岩合さんの写真をたくさん扱っている編集者の方から、
「岩合さんは、写真を貸し出す前に、ピントが合っているかどうか他の写真家よりも慎重に確認しますよ」
 とも聞いたこともある。

 僕も、人に指摘された訳ではないが、似た経験がある。
 僕は、写真をはじめた当初野鳥を主に撮影していたが、高性能なレンズが買えず300ミリレンズにより望遠にするアクセサリーを取り付けて写真を撮っていた。だがそれでは、どんなに、どんなに、どんなに工夫をしてもしっかりとピントが合った写真が撮れなかった。
 その後、ニコンの600ミリレンズを手に入れてからは、そんなに力まなくてもシャープな写真が撮れることがわかったが、その時の「シャープに撮りたい!」という強い思いが今でもいつも心の片隅にある。その結果、今では、僕はピントを合わせることにそれほど苦労している方ではないと思う。
 ただ、ピント合わせがむずかしい状況もある。例えば、今日は昨シーズンの冬に撮影した水鳥の写真を整理しているが、水に浮いているカモは意外にピント合わせがむずかしい。浮いているカモは波で微妙に水面で移動をするので、その結果、ピントがずれてしまうのだ。
 
 
 
 2003.9.1(月) 文明の利器はすごい
 
 人によってフィルムの整理の方法はさまざまだと思うが、僕の場合は、フィルムを1コマずつ小さな袋に収め、その袋に被写体の名前、注釈、撮影場所、撮影日時と僕の名前を、
 例えば
  矢研の滝
  日本の滝100選
  宮崎県児湯郡都農町
  2003年7月29日 武田晋一
  と書き込んだラベルを作り、それぞれの袋に貼り付けている。
 結構面倒なのが、撮影場所の正確な地名を調べることだったが、事務所にADSL回線を引いてからは、これがとても楽になった。地図のホームページを開き、撮影をした場所の上をマウスでクリックするだけで、その場所の市や郡名と町の名前がすぐに出てくるからだ。
 有名な場所でも、意外に正確な地名は知らないことが多い。今年の2月に北海道の屈斜路湖で撮影をしたが、あそこはいったい何郡なんだろう?と考えてみたら全くわからない。だがインターネットの地図で調べてみたら、『川上郡弟子屈町』だとすぐに出てきた。
 字が難しくて、ラベルを作るソフト上ですぐに出てこなくても大丈夫。地図の中の文字をコピーして貼り付ければ、ほんの数秒で難解な漢字の地名が書き込まれたラベルが完成する。例年、面倒だな!まだ終わらないョ・・・と泣き言を言いながらフィルムを整理していたが、今年はそんなに苦しまなくても終わりそうだ。今年の春にひいたばかりのADSL回線だが、やっておいて良かった。

  また、ついでに調べごともできる。矢研の滝って日本の滝100選に選ればれてたっけ?と思えば、矢研の滝を検索すればすぐにわかるし、すぐに分かると調べごとも楽しくなる。文明の利器はすごい!
 
  
  
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年09月分


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