撮影日記 2003年04月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ

04月30日(水)
 


 よく車のフロントガラスに、何やらたくさんぶら下げている人がいるが、僕は、目の前に余分な物があるのが嫌いだ。物が目について頭が痛くなってしまう。
 ひどい日には、カメラをのぞき込む時に、カメラが目の前にあることが耐えられない。だから生物学の学生時代には、実験で顕微鏡ののぞく時間が苦痛だった。
 細胞生物学実験という講義の中で、顕微鏡を使いスケッチをする日があったが、ちらっと顕微鏡をのぞき、あとは一度ものぞかずに、感に頼ってスケッチした。
 あるとき、その僕の耳の元で
「うまいな〜君は・・・」
 と誰かがささやき、心臓が止まりそうになった。
 助手のM先生だった。顕微鏡をのぞかずに描いていることを指摘されるのかと思い「うまい」という言葉に戸惑いを感じたが、その口調はまるで女性を真剣にくどく時のようだった。M先生は何度も何度も回ってきて、そのたびに「うまいな〜」と僕の後ろで立ちすくみ、廊下でも、「あ、君はあの絵がすごい・・・」と話し掛けられた。
 東大出身のM先生は、ひたすら研究にまっしぐらというタイプで、廊下を歩くときも100Mくらい先を見ているように思えた。知人がすれ違っても気付かなかったという噂があり、僕を憶えてもらった事は奇跡に近い。
 僕は絵が下手なので、絵に趣はあるかもしれないが、スケッチのような精密さが要求される絵が上手いはずがない。実は、僕が使っていたペンは、ロットリング社製の数千円もする製図用のペンで、そのペンで書いた線や点の切れがすごかっただけなのだが勘違いされた。そしてもうひとつ、顕微鏡をのぞかずに描くのだから描くことに集中していたことも、その一因であることは間違いない。
 野鳥を観察するときにも、双眼鏡や望遠鏡をほとんど使わない。昨日撮影したオオルリなどは、多くの人が双眼鏡を使って木のこずえで囀るようすを観察するが、僕は山歩きや渓流釣りをして、偶然に目の前に下りてきたオオルリを見るのが好きだし、そんな写真を撮りたくなる。
 ただ、昨日も書いたように、なかなか降りてきてくれない鳥なので、なわばり争いの喧嘩中のオオルリを撮る。もう1〜2週間もすると、縄張り争いが終わってしまうので、今日は再挑戦したかったが、雨の強い風で撮影どころではなかった。
 
 代わりにツクシマイマイの採集に出かけたら大漁だった。こんな大漁ははじめてだが、すべて1本の木の周辺で捕まえた。大きなものと小さなものの住む場所の違いもわかった。今シーズンは、何度か撮影モデルの採集に出かける予定だったが、これでもう行かなくも大丈夫。オオルリが撮れなくてがっかりしたが、代わりに3〜4日分くらいの採集が一日でできたので、どこかで時間のゆとりができたことになる。
 僕が飼育しているカタツムリは、今年になって合計5回産卵をしているが、その中から撮影用に数匹を残す。残りは、今日、採集をした場所に放し、僕だけのツクシマイマイの楽園を作ることにしようと思う。

今月の水辺を更新しました。
 
  

04月29日(火)
 
 昨晩のうちに宮崎県に移動をして、今日はオオルリの撮影を試みた。オオルリは初夏〜秋までの間に日本に滞在する夏鳥だが、ちょうど今頃が、渡来したオオルリのオスたちが盛んに縄張り争いをする時期になる。
 オオルリは、木のてっぺんなど高いところで囀る鳥なので、なかなか写真に収めることができないが、縄張り争いをしているオスは比較的簡単に撮影できる。近くに他のオスがいると夢中になり、ほとんど人を気にしなくなるのだ。
 今日は、山の中の道路を、窓を開けたまま車をゆっくりと走らせ、複数のオオルリが近距離で鳴いているような場所を探してみた。
 いい場所を見つけたので、車を降り、数枚の写真を撮ったが、天気がどうもよくない。昨晩の時点では曇りのち雨で、曇りはオオルリの撮影に適した天気なのだが、今日は曇りどころか晴れに近い天気になった。
 晴れの日の山の中は、木々の明暗が汚くて、ゴチャゴチャした写真になってしまう。レンズの中にオオルリが大写しになっているが、どうしても決まらない。
 縄張りが決まってしまうと、なかなか人の接近を許してくれなくなるので、来週あたり時間が作れれば、また撮影したい。
 
  

04月28日(月)
 
 昨日は農作業のようすを撮影させてもらったが、農家の方は大抵喜んで写真に写ってくれる。ところが、昨日大分県で最初に声を掛けた初老の男性は、
「え!なに?何で私なの?」
 と、ちょっと緊張しておられるようだった。トラクターに乗って僕の方に近づき、
「実は、僕は今年から農業を始めたんです。農業は楽しいですね。人と関わるよりもよっぽど楽しい」
 と自己紹介をしてくださった。
「写真は教材か何かのために撮影しているのですか?」
 とたずねられ返事に困ったが、子供向けの本の中で使いたい写真だったので、
「そうです」
 と答えると、
「社会科の副読本か何かで、教員ですか?」
 と、またたずねられた。
 通常、一般の人は、学校の先生のことを「教員」ではなくて「先生」と呼ぶ。先生のことを「教員」と呼ぶのは大抵は学校の先生なので、十中八九、その初老の男性の前の職業は先生だろう。
 僕の知人にも農業に興味を持ち、畑を手に入れた人がいるが、不思議なことに、お二人の話しの内容、雰囲気がとても良く似ている。そして、その雰囲気はやはり本職の農家の方とは違う。
 本職の農家の方は、農業に携わることで一人になりたいなどとは言わないし、田畑という壁や垣根のない場所でいつも働いているからだろうか、話しかけても、相手の雰囲気に垣根のような何かは感じられない。やっぱり、プロとアマチュアは違うのだと思う。

 昨日と同じ田んぼに今日も出かけてみた。
 
  

04月27日(日)
 
 今日から数日間は、大分〜熊本〜宮崎で撮影をする予定を組んでいる。
 僕は野外では、朝の9時半よりも早い時間帯に撮影をして、残りの時間には写真を撮らないことが多い。その時間帯が一般に物がきれいに写るからだが、そのためには前日の夜までに撮影地についておかなければならない。心の準備も含めて、当日の朝では微妙に遅いのだ。
 撮影ができない夜の間に移動をして、最も撮影に適する早朝に撮影するというのが、これまでの僕のスタイルだった。
 ところが、夜間に移動をするやり方では、撮影地までの風景を見ることができない。確かに移動の時間は無駄にはならないのだが、移動の時間がプラスにもなっていない。とても合理的なのだが、「遊び」がないように感じられてきた。
 そこで、今年からは発想を転換して、初日は早朝に自宅を出て、新しい被写体を探しながら目的地までを移動することにしている。

 今日は、その結果見つけた場所で農作業や田んぼの周辺の生き物を撮影したが、1つ撮影すれば、またいい被写体が見つかるという流れで、次から次へと無心になってシャッターを押すことができた。
 車を離れる時に5本持っていたフィルムが途中で無くなり、無くなった途端に、目の前にアオダイショウが出てきて、走ってフィルムを取りに戻ったが、ギリギリのところで逃げられた。
 カエルの声がたくさん聞こえてくるようになった。アオダイショウはカエルを食べに来たのだろう。
 僕は、田んぼやその周辺の身近な自然を美化した「癒し」の写真を撮りたいとは思わない。そこで見られるありのままのことを撮影して、しかもそれが作品としても人の心を打つ、そんな写真を撮りたい。
 そんな僕にとって、逃げられたアオダイショウは是非撮りたかった被写体だが、フィルムが足りなくなるほど快調に撮った証しでもあり、逃げられたことがちょっとだけ心地よくもある。 
 
  

04月26日(土)
 
 露出計用水中ケース

 ストロボを光らせて撮影をしたら、被写体が真っ白になったり、逆に真っ黒く写った経験をお持ちの方はいないだろうか?自然光で撮影する場合は、カメラ任せに撮影してもかなり写るが、ストロボを使う場合は、カメラ任せでは難しいこともある。
 そこで、多くのプロカメラマンはストロボを使う場合、前もってデータを取っておき、そのデータに基づいて撮影をするか、それでも難しい場合は、ストロボ撮影用のメーターを使用する。
 今日の画像は、そのストロボ撮影用のメーターを水中に持ち込むための専用ケースだが、ちょうど一ヶ月くらい前に特注で発注したもので、ようやく完成して昨日届いた。中に納まっているのがメータで、周辺の透明な部分が特注した部分。もちろんケースの外から中が操作できるようになっている。
 見て分かる通り出来がいい。これが3万円弱なので安いと思う。
 恐らく、同じような特注の注文をする人が僕の他にも時々いて、その結果、そんな価格で作れるのだと思う。もしも僕が初めてだったなら、5万円は下らないのではないだろうか。
 なんだかとても嬉しくて、光を感じ取る部分など傷がついては困る部分を丁重に布で包み、水中撮影用の機材の中に収めた。 
 
  

04月25日(金)
 
 今日はちょっと一休み。事務所でフィルムを整理をしたり、飼育している生き物たちの世話をして過ごした。
 春になったばかりの頃は無性に気が急き、足が地に付かない感じがする。まだ4月の下旬なので、これから本格的な生き物のシーズンに突入するタイミングだが、「あまり写真が撮れていない!」と心の中のどこかで焦りまくっている。

 学生時代の僕は成績が悪く、希望の大学に入学できる確率は低かったので、勉強のことは考えたくなかった口だが、自分が勉強すべき科目の数を、受験までの残りの日数で割ってみて、
「間に合うわけないわ!」
 と、絶望のどん底に落ち込んだりもした。ただ、間に合いそうもなくてもベストを尽くす以外にできることはないと開き直ったことをふと思い出す。
 焦っても仕方がない。目の前にある被写体を一生懸命撮ろうと、春は毎年のように自分を諌める季節でもある。
 
  

04月24日(木)
 
 先日道を歩いていたら、曲がり角からおまわりさんが2人出てきて、やましい事があるわけではないが逃げ出したくなった。子供の頃は、正義の味方のイメージだったおまわりさんが、どうも車を運転するようになって以来、嫌いになった。
 迷惑な改造車や街中の駐車違反など、取り締まるべきことは放っておき、どうでもいいような所で速度違反の取締りをしたり、標識が悪くていかにも見落としそうなところで一旦停止の取締りをしてみたり、弱きをくじき、強きを助けはしないものの、見てみぬふりをしているように感じるのだ。
 警察も県によって、その方針が若干違うように感じられるが、熊本県は、夜間の駐車場での職務質問が異常に多い県だ。公園や道の駅などに車を止めて寝ていると、深夜に窓を叩いて起こされることが多い。つい先日も、そうやって職務質問をされそうになったばかりだ。
 僕は、無性に反発したくなり、無視を決め込むことにした。
 まず、布団の中に潜り込み身動きしないようにする。布団はなるべく平らにしておき、誰も中にいないように装う。同じ駐車場に数台止めてある別の車から職務質問が始まったので、息を潜めてじっと待った。僕の車の番がきて、
「運転手さん」
 と声を掛けられた。予定通り無視する。コンコンと窓をノックされる。それでも無視をするが、おまわりさんもなかなかしつこい。やがて、
「誰も乗っとらんごとある」
 と声が聞こえ、別の車の方に向かったようだ。
 些細なことだがドキドキした。なかなかスリルがある。自分にやましい事がある時は、下手に隠し立てをすると益々苦境に陥るものなので素直になった方が得だと思うが、僕にはやましいこともない。これからも無視を決め込むことにした。
 大人気ないなと思う。でも、そこまで立派になりたくないような気もする。
   

04月23日(水)
 
 「一人で、山の中で過ごす夜は怖くないですか?」
 と時々たずねられるが、僕は怖くない。むしろ、町の公園の駐車場で寝るときの方が、中には安心できない人もいるので緊張する。
 ただ、よくよく思い返してみると、一度だけ、奄美大島の山の中で怖い思いをしたことがある。
 ある晩、車の中で眠ろうとすると、
「チャリン、チャリン」
 と鈴の音が車のすぐそばから聞こえてきた。
「犬の散歩かな?」と一瞬思ったが、車なしで来られる場所ではなかったし、その車の気配は全く感じ取れなかった。そんな場所だから、飼われている犬や猫が散歩をするような場所でもない。
 緊張して耳をすますが、足音は聞こえない。ただ鈴の音だけが聞こえ、しばらくするとそれも聞こえなくなった。
 僕は目が悪いので、寝る体勢ととってコンタクトレンズを外すと、ほとんど物は見えない。急いでコンタクトを入れ、確認しようかとも思ったが、見ない方がいい物もあるし、布団に潜りこんで眠ることにした。
 あの時、外を見たら何が見えたのだろう?

 今日は、21日に出かけた大分県の渓流に、また足を運んでみた。前回は雨の増水で多すぎた水も今日はちょうどいい。
 撮影をしようとして流れを見渡すと、ふと人の顔が見えたような気がして、体が固まった。赤くて色っぽい唇の女の人だ。
 それは岩の上に落ちた、一枚の真っ赤な葉っぱだった。
 葉っぱがまるで唇そのものの形をしていて、その赤さは口紅のようだ。その上に、わずかに沢の水が注がれていて、口紅はちょうど今塗りたてのような艶やかさに見える。赤い葉っぱは、面長の形をした岩の、人でいう口のあたりに落ちていた。
 人間は、顔の形に近いものを認識する能力を持っていて、それが何でもない写真を心霊写真に見せると聞いたことがあるが、なるほど・・・うなずける。
 その唇に思いっきり迫り、何枚も何枚も写真を撮った。
 岩の上の落ち葉の写真を見ると、形のいい葉っぱを拾ってきて置いたのかな?と思うが、探そうと思っても見つからないほど見事な唇の形をした落ち葉が、元あった場所から1ミリでも動かすと、そのシーンが台無しになると感じられるほど、見事な場所に落ちていた。
   

04月22日(火)
 
 アユの遡上を撮影するために、球磨川の河口に出かけた。僕は、宮崎県の五ヶ瀬川で、何度かアユの遡上を撮影したことがあるが、球磨川は今日が初めてだ。
 球磨川はアユの本場であり、全国からファンが釣りにやってくる。ところが球磨川には途中にダムがあり、アユたちは自然のままでは川をのぼることができない。
 そこで、河口の球磨川堰でアユを捕まえ、それをすべて車でダムの上流まで運んでいるが、河口には、そのための基地があり、今日も魚を運ぶためのトラックが数台、そして20人前後の漁協の方がアユの遡上を待ち構えていた。
 捕獲のための設備や数台の専用トラックや人の数を考えると、たかだか1種類の川魚が、それだけの人の生活を支える程の経済効果があることに驚かされる。
 球磨川堰の両端には階段状の水路がある。その水路は魚のためのもので魚道というが、アユのような小さな魚だけでなく、大物も魚道を利用しているようだ。今朝は、漁協の人達が、70センチくらいのコイを2匹、40センチくらいのサクラマスを1匹、網で捕まえた。

 肝心なアユの写真だが、今日はアユがほとんどのぼっていなくて全くダメ。4月中旬から5月上旬がそのシーズンになるが、ピョンピョンのぼる日もあれば、そうでない日もある。
 偶然にたくさんのぼる日に当たれば写真が撮れると今まで考えていたが、漁協の方に話しを聞くと、ちゃんとのぼる日が予測できることがわかった。
 今シーズンは、条件からしてベストな日はもう過ぎているが、あと1日くらい、4月下旬に次にいい条件の日があるので、都合がつけば、もう一度出直してみたい。
   

04月21日(月)
 
 僕が撮影する写真には、大きく分けて2つの写真がある。1つは自然や生き物たちのことを人に伝えるための写真で、あとの1つは、僕の心の中にある自然のイメージを表現した写真だ。
 前者が「自然観察」とするならば、後者は「詩」とでも言えばいいだろうか。前者が、僕の仕事としての写真で、後者は僕が趣味として撮影している写真になる。
 
 今日は、大分県の渓流に出かけてみたが、渓流は僕が一番好きなフィールドであり、渓流では仕事を忘れて、ただひたすらに自分のイメージを追及する。
 そうして撮影された写真は、それを見る人にとっては自然が写っているのかもしれないが、僕にとっては、自然ではなく僕(人)の心を写した写真なので、いわゆる自然写真とは一線を画するものなのかもしれない。
 といっても、写真が寂しそうだったら僕の寂しい心を表現している・・・などと、中には、写真の雰囲気と僕の内面とを、直接的に結び付けてしまう人もいるが、そんなものでもない。
 先日、ある方から、宮沢賢治さんの「やまなし」を読んでみたらと言われて読んでみると、小学校の時に教科書で読んだことのある物語だった。
  「クラムボンは笑ったよ・・・・」
 とそのワンフレーズを書けば、「ああ!」という人が大半だと思う。やまなしは、水中のサワカニが見た風景をまるで詩のように表現した物語だが、僕が渓流でシャッターを押す時も、どこかやまなしのような視点に立って撮影する。
 
 渓流で撮影する時には、僕は決して無理をしないことにしている。無理とは、危険を犯さないとか、疲れる程踏ん張らないという意味ではない。
 イメージが湧いてこないときにはシャッターを押さないという意味だが、逆に、撮りたい時には、フィルムがなくなるまで一箇所で撮影することもあるし、機材を防水して、流れを泳いで、岩に体をロープで固定してでも撮る。
 今日は、僕のイメージよりも水量が多くて、結局、ほとんどシャッターを押さずに引き上げた。
 渓流の写真は、僕の個人的な世界なので、誰にも見てもらわなくてもいいかな?とも思う。逆に、もしも誰かに見てもらうのなら、本当に気持ちを通じ合えそうな人に見てもらいたい。
  

04月20日(日)
 
 シグマ15ミリ魚眼レンズ

 今日も雨の一日になった。今週末〜来週にかけて、幾つか、県外での取材を予定しているが、2日続けて中止になった。
 代わりに、昨日も今日も雨を撮影したが、雨は機材がずぶ濡れになったり、撮影条件も厳しくて一日中撮れる被写体ではない。せいぜい2〜3時間集中して撮り、残りの時間は、フィルムの整理など事務的な作業をするか、機材の改造などの工作をすることが多い。
 上の画像は、シグマ社製の15ミリ魚眼レンズだが、今日はこのレンズに若干の改良を加えた。
 レンズに歯車が巻きつけてあるが、これは、このレンズ付きのカメラを、水中撮影用の防水ケースに収めた際に、防水ケースの外側からレンズのピントを調整するための部品だ。防水ケースの外側にあるつまみをクルクルと回すと、そのつまみに連動したこの歯車が同じくクルクルと回り、水中でレンズのピント合わせができる。
 実は、このシグマ社製の15ミリレンズに取り付けられる歯車は、防水ケースのメーカーからは発売されていない。そこで、別のレンズ用の歯車を無理やりに取り付けて使用しているが、当然、それが、うまく付くはずがない。
 そこを、ウ〜ンっと力を少しずつ入れて、無理やりに歯車を取り付けて使用してきたが、無理に取り付けるのだから、歯車1つを付けるのに10分くらいかかるし、取り外すのにも、木槌か何かで軽く叩かないと取れない。
 そんなことを繰り返していると、そのうち妙な力が加わり、レンズが壊れてしまうかもしれないし、かと言って歯車を取り付けたままにしておくと、水中撮影には都合がいいが、陸上での撮影では手に優しくなかったり、地面にレンズを押し付けるようにして低いアングルから撮影する時に邪魔になる。
 そんな事情で、シグマの15ミリレンズは、歯車を取り付けたまま、ほとんど水中撮影専用のレンズになっていたが、今日は、歯車の内側を少しずつ削り、無理をしなくてもレンズに歯車を取り付けられるように改良した。
 歯車の部品は、たくさん売れるものではないし、それなりに高い。それを削りそこなうと、本当にお金の無駄を出してしまうので、これまでは歯車に手を加えることをためらってきたし、いっそうのこと、同じレンズをあと1本買い、水中用と陸上用と2本揃えようかとも思ったが、同じものを買うなんて馬鹿らしい。
 ようやく重い腰をあげて工作してみたが、電動工具のおかげで、うまく削ることができた。やれやれ。
  

04月19日(土)
 
 昨日の晴れが嘘のような雨の一日になった。天気予報で雨が降りそうなことはわかっていたので、今日は、午前中に雨の撮影をした。
 ただ、大降りにはならなかったので、雨そのものを写すことはできない。雨に濡れた植物など、雨の周辺にある写真を撮影した。
 
 僕は、ほぼ100%の撮影を645版のカメラでこなしているが、35ミリ版よりも645版を使う理由は、大きく分けて2つある。
 1つ目は、僕が35ミリ版のメインで使用しているニコンには、気に入ったマクロレンズがないこと。そして2つ目は、645版のカメラとレンズが作り出す像の方が、35ミリ版よりも僕のイメージに近いことだ。
 だが、気に入って使っている645版のカメラにも欠点がない訳ではない。雨の日のような暗い日には、明るいレンズが揃っている35ミリ版の方が断然に有利になる。
 今日は、雨の日の中でもかなり暗かったため、全体の撮影の半分くらいを35ミリ版で撮影した。
 ニコンのカメラには、タムロン社製の90ミリマクロレンズを使用しているが、レンズの描写自体はとても気に入っている。ただ、645版の120ミリマクロレンズと併用すると、タムロンの90ミリという焦点距離が微妙に短くて、やや使いにくい。
 そして、ペンタックス645版の120ミリマクロレンズとタムロンの90ミリとは、ピントリングの回転の向きが逆になっている点も気になる。ニコンマウントの本当に使いやすいマクロレンズが欲しいな!といつも思う。
 ニコンのマニュアルタイプの105ミリマクロレンズはシャープだが、ボケが汚くて使いにくい。オートフォーカスタイプのものは、ボケはやや良いが、どこかピントが甘いような気がする。
 描写にこだわり抜いたニコンマウントの100ミリクラスのマクロレンズがあれば、僕は15万円くらいまでなら出してもいいと思う。 
  

04月18日(金)
 
 友人が、
「世界の著名な写真家の作品を集めたワイルドライフという本がなかなか面白かったよ」
 と言っていたのを思い出して、僕も買ってみた。
 それぞれの写真家の作品と記事によって構成されている本で、写真はあまりいいものが選ばれていないように思ったが、その記事の中に、
「なるほどな!」
 と驚かさせるものが幾つかあった。
 何でもないように思える写真の中にも、実際に撮ってみるとなかなか撮れないものがある。そんな写真の中の幾つが、僕の心の中で解決された。

 僕は、人の写真をたくさん見ている方だと思う。少なくとも、同世代の人で、ネイチャーフォトに関して僕よりも多く見ている人はいないのではないだろうか?
 以前は、定期的に大きな書店に出かけて、洋書から新刊から図鑑や子供の本まで、自然関係の本で手に取ることができるものにはすべて目を通したものだが、最近は出版業界が不況で、心を打たれるような本が少なく、書店に出かける習慣がなくなってきた。
 たくさん自然写真の本を見ている僕でさえそうなのだから、出版業界が、売れない、悪い流れになっていることもうなずける。
  

04月17日(木)

 カタツムリの卵

 またカタツムリが卵を産んだ。カタツムリの産卵ラッシュがはじまったようだ。
 13日にも卵の画像を掲載したばかりだが、今度は別のカタツムリが産卵した。3月の末にも卵を産んだカタツムリなので、今年に入って2度目の産卵だ。
 カタツムリは一度交尾をすると、何度かに分けて産卵をすると言われている。少なくとも同じカタツムリが2度産卵することは確かめられた。果たして、合計で何度卵を産むのだろう?
 それから、カタツムリは雌雄同体なので、交尾をすると2匹ともに産卵をする。今日の画像の卵は、13日に掲載した産卵中のカタツムリの相手になった個体が産んだものだ。雌雄同体と言っても、交尾中には雄役・雌役と役割分担があり、どちらか一方しか産卵をしないのでは?という気もしたが、そうではないようだ。両方とも同じように産卵する。
 ただ、交尾から卵を産むまでに要した時間には、約2週間の開きがある。かなり個体差があるようだ。
 この卵は、孵化の様子をアップで撮影する準備を整えた上で、維持をすることにした。
 孵化は、何度も撮影したことがある。だが、この手の撮影は、わざわざ撮ろうとすると、採集、飼育、採卵・・・とかなりの月日を要するので、撮れる時に色々なパターンを撮っておいた方が、後々楽になる。

 フィールドと事務所・スタジオとの行き来で忙しい季節が始まったぞ!
  

04月16日(水)

 3月末に更新した今月の水辺は、魚釣りの際の「撒き餌」を紹介したが、今日は、その続きで、魚釣りを撮影した。僕が水に潜り、魚がパクっと餌をくわえる様子を、水中から撮りたかった。
「撮りたかった」と書いたのは、撮れなかったからだが、針に付けられた餌がどんな風に魚たちに見えるのか、ずっと興味があったことを、ゆっくり観察できた。
 なぜか、魚たちは、カメラの前で餌を食べてくれなかったが、恐らく僕が撮影している湧き水の池はあまりに豊かで、カメラを構えた不気味な人間に近づいてまで、日頃食べ慣れていない餌を食べる必要がないからだろう。年間を通して水温が20度というその池は、一年中水草が枯れることなく繁茂し、水中から見た魚たちは切羽詰まっている感じがしない。
 それでも、餌を食べないわけはないので、工夫をして撮らなければならない。どうしたら、カメラの前で餌を食べてくれるのか、いろいろな試みをして、次回の撮影に備えることにした。
  まずは、餌のうじ虫を針に取り付けることなく、たくさん水中に撒いてみた。さすがにそうすると魚たちが集まってきて食べる。池の中には、ウグイ、カワムツ、オイカワなどが無数に泳いでいるが、どの種類の魚が餌を良く食べるかを観察した。
 これら3種の魚はいずれもハヤと呼ばれているが、中でも一番数が多いオイカワは、小さな虫のような動物質の餌をあまり食べないようだ。ウグイは、とても食いつきがいい。
 それから、どんなタイミングで餌に食いつくかに注目をした。マニアックになってしまうので、詳しいことは書かずにおくが、「なるほどな〜」と、釣りや、魚釣りの撮影に参考になることがあった。
 釣りをすると、魚の機嫌が悪くてどうしても釣れない日がある。そんな日にも、こうしたら可能性が高くなる?と、いいことを発見したかもしれない。
  

04月15日(火)

 

 昨年、農作業を取材させてもらったお宅をたずねて、写真が掲載された本を見てもらった。今年も、仕事の様子を撮影させてもらうつもりだ。場所は、熊本県と大分県との県境付近の菊池市で、山間の田んぼの中でも、一番山手にある田んぼだ。
 菊池市というと、菊池渓谷が有名で、僕もよく撮影をするが、今日は撮影なしで、渓谷の入り口のお店に立ち寄り、地鶏を食べて帰った。
 おじさんは、顔はとても怖いが気さくで、ここの地鶏は絶品だ。初めて食べたときは、思わず、「うま〜い」と声をあげてしまった。2本注文したら、
「いつもありがとう」
 とおじさんが1本おまけをしてくれた。かなり硬いので、3本も食べると、最後の1本は、あごが筋肉痛になり、噛めなくなるほど。だが、その分、味が濃くて、これが鳥の味か〜とぞくぞくくる。
 僕は、脂っこい食材が好きではないので、日頃鳥皮を食べないが、ここの地鶏だけは別。鳥の皮って美味いな!と鳥皮が好きではない僕でさえ思う。
  

04月14日(月)

 ミツガシワ

 山口でミツガシワの花を撮影した。植物の撮影が不得意な僕だが、今年からは水辺のものに限り、積極的に撮影するつもりだ。
 それから、いつもは、試し撮りとHPへの掲載のために持っていくデジカメを、今日は、本格的に撮影に使用するつもりで持ち出した。当面、645版のカメラとデジカメの二刀流でこなし、デジカメを徐々に仕事に導入していこうという考えだ。
 ところが、最初にフィルムで撮影して、次にデジカメでと一息つくと、急に撮影意欲が失せてしまった。
 いい写真を撮るためにはそれなりに試行錯誤が必要で、一輪の花の周りをウロウロしたり、三脚を立てみたり、地面に這いつくばってみたり・・・その結果、周辺の雑草が踏み倒され、足跡がたくさんつき、地面が荒れた感じになってしまう。
 もちろん、数日うちにそれらは元に戻るが、自分が撮影をした跡をみると人の気配たっぷりで、このあと、デジカメで撮影すると、もっとひどくなるんだなと思うと、嫌になってしまったのだ。
 いい釣り師は釣り場を荒らさないとよく言われる。下手糞のあとを釣ると、魚たちは人の気配におびえきっていて釣れないが、うまい人のあとはそれがない。
 撮影も全く同じで、うまい人ほど無駄な動きが少ないので、場所を荒らさない。いい写真を撮るために粘り強く撮影することは大切なことだが、同時に、最短距離でベストの写真を撮れるように、あらゆる無駄を省く努力も必要だと感じた。
  

04月13日(日)

 一日後

 昨日産卵を始めたカタツムリが、まだ卵を産み続けている。産卵は、通常はせいぜい3〜4時間程度で終わることが多いが、このカタツムリは、なぜかとても時間がかかっていて、ちょうど24時間たった写真を今日は掲載してみた。
 おかげで、今日も山口取材に出かけられないでいるが、ゆっくり観察できることは嬉しい。
 自分の胴体で土の中に部屋を作ると昨日書いたが、その部屋のサイズは、おそらくすべての卵の合計の体積に等しいのではないだろうか?ほぼ、地中の部屋が卵で隙間なく埋め尽くされた。
 通常、産卵後は、まるでカタツムリが穴に土で蓋をしたように見えるが、果たして蓋をするような行動が見られるのか、今日はこれから観察するつもりだ。
 この卵は、このまま維持して、ここから孵化をして出て行くところも撮りたい。ただ、これからの季節は取材での外出が多くなるので、僕が事務所で仕事をする日に孵化が始まるかどうかはわからないが、多少、他の仕事の計画を曲げてもいいと思う。

 北九州で自然に関する教育活動に携わり、小学校に出入りしておられる方が、
「学校で使っている教材を見たらカタツムリが取り上げられていたけど、最近はカタツムリなんてほとんど見かけないし、そんなものを取り上げてもつまらない。北九州の海にはカブトガニが産卵に来るのに、なぜその身近なものを取り上げようとしないのだ!学校の先生たちは、身近なものを全然見ていない!」
 と嘆いておられた。
 僕は、違うなと思った。
 カタツムリは、種類を問わなければたくさん見られる。その方自身、身近なものを見ていないのだ。自然って、僕は「見なければならない」というものではないような気がする。もちろん、人が生活をしていく上で、地球の一員として最低限の知識やルールは必要だが、自然観察は本来、見たい人が面白いから見るものだと思う。
 そもそも、身近な生き物と言えど無数に存在するのだし、身近な生き物について知っていると言える人がどこかにいるのだろうか?いるはずがない。
「みんな知らないから駄目だ」
 ではなくて、
「自然ってこんなに面白いよ」
 と伝えられる人に、子供の自然教育をお任せしたいなと僕は思う。
  

04月12日(土)

 カタツムリの産卵

 今日は、山口からミツガシワの撮影を報告する予定だったが、カタツムリが産卵をはじめた。
 カタツムリは、土に穴を掘って産卵をする。その穴を掘る様子から順に撮影したくて、昨晩からいろいろと試みてきたが、穴を掘る時は神経質になるようで、少しでも触れると穴掘りをやめてしまう。
 特に今回は、画像のような断面写真でそれを見せようとしているので、全く手を触れないで撮影することは不可能だ。
 何度か撮影にチャレンジしたが、神経質になっているカタツムリが穴掘りをやめ、また別の場所に穴掘りをはじめ・・・・と、同じことの繰り返しになってしまうため、穴掘りの写真はあきらめることにした。
 今日のお昼ごろに最初の卵を産んだが、今朝はもう穴がほぼ完成していて、そうなると触れても気にしなくなった。今日は、カタツムリが土の中に頭を突っ込んだところから撮影を始めた。
 以前にも全く同様のシーンを撮影したことがある。その時には、カタツムリがどの程度神経質なのかがわからず、産卵を中止することを恐れて、たくさん卵を産み落としてから撮影を始めた。今回は、まだ1つも卵を産んでいない所から撮りはじめたところが新しい。

  土の中に頭を突き刺したカタツムリは、頭を使ってその穴を広げて小さな部屋を作る。前回の撮影の時に、卵が体から出てくるところはたくさん観察したが、頭を使って穴を広げ、わざわざ部屋を作るとは知らなかったので驚いた。
 部屋を作るといってもダイナミックな動きではないので、写真や仮にビデオでも、それを表現することはむずかしいだろうし、文章を付ければ本の中で一応の説明はできるだろうが、
「へ〜、こうやって部屋を作るんだ!」
 と、感動を与えるようなページにすることはできない可能性が高い。
 僕は、カタツムリのような何を考えているのかわかりにくい生き物でも、部屋を作って産卵をする本能を持ち合わせていることに驚かされ、その驚きを伝えたいと思うし、写真ではそれがむずかしいことをもどかしく感じる。
 だが、その自分の思いにこだわり過ぎると、マニアックな写真家になってしまう危険性がある。自分にとってどんなに感動的だったとしても、人には伝わらないこともたくさんあるし、その見極めがよくできる事も、プロの写真家には大切なことだろう。
 もどかしいが、そのもどかしさは、自分の目で見た人だけが得られる潤いのようなものだと思うことにした。
  

04月11日(金)
 
 カタツムリが卵を産みそうな気がする。うろうろして、少し土を掘ってみたり・・・
 土を掘るところから写真を撮りたいので、ちょくちょくのぞきながら待っている。数日間付きっきりになれば、いつかは必ず撮れるが、他にも取材があるのでそうはいかない。でも撮りたい。早く産んでくれないかな!
 バカスカ売れるようなシーンなら、そのためにまとまった時間をとれるのだが、カタツムリの産卵のシーンは、残念ながらそうではないのでつらい。明日の撮影にも備えなければならない。

 今週末〜来週にかけては、熊本と山口で一箇所ずつ取材を予定している。熊本は晴れ、山口は曇りの日に撮りたい被写体だが、明日は曇りのち晴れの予報なので山口県に出かける予定だ。
 ミツガシワの花を撮影したいのだが、初めての場所なので、花が咲いているかどうかもわからないし、当面、2日間の日程を取ってみた。
 山口県は、中国地方の西の果てに位置するが、経済的には九州とかかわりが深く、よく「九州・山口」などと、ひとまとまりの文化圏として扱われる。九州ではないが、僕の地元の1つだ。
 その地元で撮影する時には、ただ生き物を撮影するだけではなく、地元のガイドブックのような出版物にも写真を提供できるように、被写体の周辺にあるものも撮影することにしている。
 明日は、ミツガシワが分布する西限だとされているお寺をたずねる予定だ。花だけでなく、お寺も含めて撮影したい。
  

04月10日(木)
 
 昨日納得できる写真が撮れなかったメダカとレンゲの組み合わせを、今日も撮影してみた。今日は、一日中晴天で、晴れの日は植物が汚く写るので、撮影をしたい場所に車で影を作って撮影した。
 晴れの日の日陰なので、それなりに明るい。なんとか645版のf4のレンズで、1/60前後のシャッターを切ることができる。35ミリ版のf2.8のレンズで、さらに一段早いシャッターを切ったほうが手堅いが、僕はとにかく645版が好きなので無理をしてみた。
 果たして結果はどうだろうか?それにしても、レンゲってきれいな花だな・・・。僕は、植物の中ではレンゲが一番好き。
 ただ、レンゲを一生懸命撮った経験は、ほとんどない。理由は、あまりにレンゲがきれい過ぎて、曇りの日など、花の撮影に適した日なら誰が撮っても見事に写ってしまうから。レンゲは美しすぎるからとでも言ったらいいのだろうか?
  

04月08〜09日(火〜水)
 
 レンゲとメダカの組み合わせで撮影をした。水路を泳ぐメダカの群れの手前に、レンゲの花を入れて撮影してみたが、なかなか難しくて手間取った。

 晴れた日には、
「今日は、撮影日和だったでしょう!」
 とよく言われるが、被写体によって、晴れがいい時もあれば、曇りがいい時もある。
 レンゲのような植物は曇りの日、そして、逆光の方が写真はきれいに写る。
 ところが、水の中にいるメダカを撮影するには晴れがいい。そして、逆光にすると、水面が光でキラキラと反射してメダカが見えなくなるので、光は順光でなければならない。
 つまり、レンゲとメダカの撮影とは、気象条件も、撮影の際の太陽の位置も全く逆で、レンゲを写そうとすればメダカが、メダカを写そうとすればレンゲが写らないのだ。
 そんな時は冷静に、自分の中での優先順位を決める以外に手はない。
 今日は雨〜晴れまで、不安定な天気だったが、僕の場合、水路を泳ぐメダカが一番大切なので、メダカを写すことができる明るい条件の時に撮影をした。ただ、なるべくレンゲがきれいに写るように、メダカを写せる範囲で曇りに近い条件の時を選んだ。
 さらに撮影を難しくするのが、レンゲの花の就眠運動だ。レンゲは早朝には花が萎んでいて、日が昇るときれいに開き、昼ごろにはまた萎み始め、寝たり起きたりの就眠運動をする。きれいにレンゲを写すためには、花が開く9時〜11時くらいがベストなのだが・・・

 あまりに満たさなければならない条件が多くて、今日は本当に納得できる写真は撮れなかった。また明日チャレンジしてみようと思う。
  

04月07日(月)
 
 先日新しいパソコンが届いて、セッティングが終わったと書いたが、プリンターを使おうと思ったら動かなかった。一昨日の晩から、昨日はほぼ丸一日、今日も昼過ぎまで散々もがいて、ようやく解決した。
 プリンターとパソコンとをつなぐケーブルには「パラレル」と「USB」の2種類がある。僕がこれまで使用していたプリンターはパラレルだったが、今回買ったパソコンにはパラレルの差込口がないので、パラレルをUSBに変換するコードを買った。
 ところが、その変換コードが原因なのだろう。妙なことばかりが起こる。まずはコードのメーカーに問い合わせ、次にプリンターのメーカーに問い合わせ、一通りのことを試してみたが解決しない。
 コードのメーカーは、うちの商品が原因ではないだろうというが、どう考えてもコードが原因であること以外考えられないので、そのコードを持ち帰り、自宅で使用している小型のプリンターと組み合わせて試すことにした。
 そして、問題の変換コードを自宅のプリンターにつなごうとした時に、ふとあることに気づいた。自宅のプリンターは、パラレルでコンピューターとつながれているが、パラレルだけでなくUSBのコードも使えるように2種類の差込口があり、パラレルを無理やりにUSBに変換するコードなど使わなくても、最初からUSBのコードも取り付けられるように作られているのだ。
 事務所のプリンターは、自宅のものよりも後から買ったものなので、事務所のプリンターも同じ構造になっている可能性がある。急いで事務所に引き返し、調べてみると思った通り。パラレルのコードもUSBのコードも両方使えるようになっていた。
 さっそくUSBのコードをつないで見ると、ちゃんと動く。馬鹿なことに時間を費やしたものだ。やはりパラレルのコードをUSBに変換するコードがおかしかったことになる。
 まあ、撮影がいよいよ忙しい5〜7月じゃなくて良かったと思うことにした。いろいろと思いつく箇所を触りまくった結果、パソコンの構造には多少詳しくなった。
  

04月06日(日)
 
  世界文化社・ワンダーランド5月号

 昨年の冬に撮影した飼育の写真が本になった。世界文化社から発売されているワンダーランド5月号の中の12ページ分で、「かってみよう」という特集だ。
 今日の画像は、その中のカタツムリと、アマガエルの飼育のページだが、他にメダカとザリガニのページもある。

 「写真がいい」などと僕らはよく口にするが、人によって、また立場によって、いい写真の基準は違う。アマチュアが考えるいい写真と、プロが考えるいい写真とはしばしば違うし、カメラマンが考えるいい写真と、本の編集者が考えるいい写真もまた違う。
「なんでこの写真を使ってくれないのだろう?」
 また、
「なんでこの写真を使うのだろう?」
 などと思うこともあるが、今回のワンダーランド5月号の編集を担当した飯田さんは、編集者の中でも写真家に近い目を持つ人だという印象を持った。それだけに、
「ああ、わかってもらえる!」
 という感激と、わかる人を相手にしている緊張感とがあり、撮影はとても充実した時間になった。僕が自分でベストだと思っている写真を、
「これ使いたいですね」
 とピタリ一致して言ってもらえると自信になる。が、次の写真を出すときに下手なものを出せないので緊張する。その緊張の中で撮影してこそ100%の引き出してもらえるのだが、今回の仕事は、それができた撮影だと自負している。

 飼育の写真というと、ただ「撮りました」という感じの写真が多いが、そうではなく楽しいイメージを伝えられるように心がけた。
 自然写真家は、生き物の撮影をしている時には夢中になっても、水槽や飼育容器やその他・・・・「物」を撮影する時には、仕方なく撮ることが多いが、緊張の中で撮影した結果、物でも工夫をして撮れば充実した時間になる。そんな楽しさを教わったような気がする。
  

04月05日(土)
 
 昨日雨の中で昆虫の雨宿りを撮影していると、家族から
「パソコンが届いたよ」
 と電話があった。3日に注文しておいた新しいパソコンだ。
 自宅にもどり、さっそく事務所に持ち込み、セッティングをしてみたが、ようやく今朝になり使える状態になった。これまで使っていたウインドウズ98と比べると、XPになって、ずっと簡単になったと思う。
 ただ、ニコンのスキャナーだけが、うまく認識されず、どうにもならない状態になり時間を食ったが、一度すべてのソフトを再インストールしてやり直したら、今度はうまくいった。何だったのだろう?
 ついでに再インストールも、リカバリーディスクなど不必要で、ハードディスクの中の領域で勝手にできてしまうし、時間もとても短時間で可能だった。
 本当はマックが欲しいと思うのだが、ちょっと使ってみた印象では、XPならいいかな?と感じた。

 僕が初めてパソコンを使ったのは、大学4年の時だ。当時は、ほとんど誰も個人ではパソコンを持っていなかったが、大学の研究室に数台あった。
 その中に当時助手だった富岡先生(今は教授)のマックがあり、きれいな図を作る必要があるときに貸してもらったが、ほとんど何の説明も受けずに、
「適当にやれば大丈夫だよ」
 といわれて、そうしてみると上手く使えたので、感激した記憶がある。
 最近はパソコンでできることが複雑になっているので、たとえマックといえど、未経験者が適当にやってもだめかもしれないが、当時、ほどんどパソコンを扱った経験も、マウスに触ったことさえない僕が適当に触って使えたのだから、いかにマックが良く出来ているのがわかる。
 卒業してからしばらくして、マックを一台手に入れたが、その後、ウインドウズ95が登場し、98が出たときに、僕はマックからウインドウズに乗り換えた。マックの方がお金が掛かるので、仕方なく変えた。
 最初にウインドウズの電源を入れ、立ち上げてみた時に、あまりのセンスのなさに、ちょっと悲しく惨めな気持ちになった。マックが立ち上がるときに聞こえてくる和音は、有名な音楽家が選んだ音だと聞いたことがあるが、それに比べるとあまりにウインドウズはがさつに感じられた。
 もちろん、今は、そんなことはどうでもいいと思う。パソコンのような日進月歩の道具は消耗品なので、あまり凝り過ぎるよりも、ほどほどの値段のものを、次々と新しくした方がいい。
  

04月04日(金)
 
 雨の撮影に出かけた。といっても、写真に写るほどの大粒の雨ではなかったので、雨の周辺にある写真を撮ることにした。
 今朝、うちの庭に咲いている椿の花が雨に濡れてとてもきれいだったので撮影しようか?と思ったが、庭は狭いので、背景などの問題がある。それではと近所の花公園に出かけてみた。
 花公園には椿がなかったが、代わりにたくさんの花が咲いていて、特にスイセンがきれいに咲いているのでのぞき込むと、中に小さなバッタの仲間が休んでいる。
 次々とスイセンの花をのぞいていくと、点々と同じ虫が休んでいるので、きっと、そんな時期なのだろう。風が比較的強いので、そのまま通り過ぎようか?と思ったが、「待てよ!雨宿りをしているのか?」と思い直し撮影することにした。
 昆虫の雨宿りの写真は、とても需要が多くて、僕も何度か「写真ありませんか?」と声をかけられたことがある。
 きっと、純粋に雨宿りのためにそこにいるのではないのだろう。ちょうどその虫がたくさん発生して、花粉を食べるだとか何らかの理由でスイセンの花の中にいて、そこに雨が降ってきたので、濡れにくい奥の方に隠れているのかな?
 風が止むのを待たなければならないので、ほんの数カット撮るのに、1時間以上の時間がかかった。
  

04月03日(木)
 
 そろそろ、仕事にデジカメを導入しようかな?と考えている。その前に、古いパソコンをどうにかしなければならず、新しい物を注文した。本当はマックが欲しいのだが、お金がかかるので、ウインドウズで辛抱。
 「パソコン買い物ナビ」という激安店を紹介するホームページで、安い店から順に調べたが、特に安い店には、やはりいかがわしい所が多いような気がする。あるお店は、
  「支払いは銀行振込のみで、代金引換はできません」
  「故障以外の返品はできません」
  「注文のキャンセルはできません」
 とやたらに強調してあり、その理由として100%メーカー直送だからと書いてあるが、販売されている商品の中には、本来モニターがセットになっているはずの機種の「本体のみ」などという商品がある。メーカー直送であれば、そんな売り方はできないはずなので、知人に聞いてみると、
「本来セットのものを、たまにバラして販売することがあり、その残り物でしょう。うちも時々、そうすることがあります」
 との事だった。うたい文句に嘘があることは、やはり信頼できないかな?と考え、次に安い店を調べてみるという具合だ。
 デジカメを仕事で使うことを考慮してDVD-RW付きの物を買ったら、結構な値段になった。512Mのメモリーを2枚買い1Gに増設するつもりが、予算オーバーで、メモリーが1枚しか買えなかったが、大きな画像を扱うと一日に何度もとまる今のパソコンよりはいいだろう。
 キャノンから、実売で20万円をきる、レンズ交換式のデジカメが発売されたばかりだが、僕がメインに使用しているニコンからそれに匹敵する機種が発売され、その値段が下がってきた頃に、レンズ交換式のデジカメを買う予定だ。
 早くデジカメが欲しいのだが、それを扱えるだけのパソコンがなければ話にならず、もどかしい。645版のフィルムを取り込めるスキャナーも手に入れたのだが、こちらも今僕が使用しているパソコンでは、持て余していて、ほとんど威力を発揮していない。とにかくパソコンを換えるのが先決だ。
  

04月02日(水)
 
 今日も雨で、一昨日〜今日にかけて予定していた3日間の水中撮影がすべて中止になった。代りに今日は、カタツムリを飼育するための容器を工作した。
 つい先日、ツクシマイマイが卵を生んだばかりだが、あとしばらくすると、ぞくぞくと子供が生まれてくる。生まれたばかりの子供のカタツムリは小さくて、市販の大半の飼育ケースの網の目を潜り抜けてしまう。
 かといって、タッパーなど密閉した容器に小さな穴をあけて飼う方法では、湿度が高すぎて、中が不潔になりやすい。
 今までは、ある程度は仕方がないかな?と多少の不安を抱えてつつ、タッパーに穴を開けて飼育をしてきたが、今回は、手厚く、自作の容器を作り、より完璧な飼い方を目指すことにした。
 まずは、タッパーの蓋に正方形の穴をあけ、次にシリコーンを使って、そこに金属製のメッシュを張りつける。今日は、合計で6個のタッパーの蓋に、同様の工作を施した。
 タッパーの本体には、湿らせた土を入れておく。土を入れた本体は、蓋の倍の数を用意し、交換しながら使う。飼育に使用していない容器の土は、天日で乾燥させ消毒する。
 6つ用意した容器を、自宅と事務所のそれぞれ別の場所に置いておくことで、病気など、何かのアクシデントが発生した時にも対応できる。

 この3月に撮影用のモデルとして飼育してきたカタツムリを死なせてしまった。
 カタツムリは、人によっては気持ち悪く感じるし、そう思われないように撮ることが求められるが、死なせてしまったカタツムリは、本の編集の方がみて、
「これ、かわいいカタツムリですね!」
 と口にするような理想のモデルだった。
 一枚か二枚の写真を見せるのであれば、撮る角度を工夫して、気持ち悪くないように撮れるが、本の中で、いろいろなシーンを、たくさんの写真で見せるためには、どこから撮っても気持ち悪くないカタツムリをモデルにしなければならない。
 当初、2004年に、カタツムリの写真を形にしたいと考えていたので、そのためには、今年(2003年)中に撮影しなければならず、カタツムリのイメージである梅雨の時期に撮影をするためには、今の時点で、いいモデルを準備しておかなければ間に合わない。
 カタツムリが死んでしまったことに加えて、撮影の予定が大幅に狂ってしまうこともあり、滅多に落ち込まない僕だが、大変にがっかりしてしまった。
 ところが、捨てる神あれば拾う神ありで、2005年度にカタツムリの仕事を・・・という打診をつい先日受け、カタツムリの写真を形にできる可能性が高くなってきた。
 2005年度なら、今度生まれる子供たちが、理想のモデルになる。3月にモデルを死なせたことを、いい教訓として生かすこともできる。
  

04月01日(火)
 
 飼育室

 水中撮影の取材に出かける予定だったが、雨で足止めを食らっている。代わりに今日は、飼育室の掃除して、飼育の方法に改良を加えた。
 今飼っているのは、メダカとザリガニと、あとはもらいもののオオクワガタで、メダカは何かの取材に備えて維持しているだけだが、ザリガニの方は撮影が現在進行中だ。他にカタツムリを飼っているが、こちらは産卵を間近に控えているので、目につきやすいように事務所の廊下で飼育している。
 冬の間はあまり世話に手間がかからないが、これから気温が高くなると水が傷みやすくなり面倒になる。そうなった時、世話をし易い上手い飼い方をしているのと、そうでないのとでは、掛かる時間に大きな差がでてくるので、今日はいろいろと工夫を凝らし、なるべくメインテナンスフリーに近づくように手を施している。
 飼育はただ手をかけて飼うのであれば、本に書いてある通りにすればいいが、僕の場合は愛玩ではないので、そこに必要以上の時間を取られないよう飼わなければならない。毎年、試行錯誤を繰り返している。
  
先月の撮影日記へ
 

自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年04月


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TOP PAGEへ