撮影日記 2003年03月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ

03月30日(土)

カタツムリの卵

 飼育中のツクシマイマイが産卵をした。飼育容器の中に入れた木の枝の下に見える白い粒がその卵だ。一昨年から撮影モデルとして飼育を続けてきた子供のカタツムリが、アクシデントで死んでしまい、「撮影ができなくなる!」と困り果てていたのだが、これで何とかなりそうだ。
 あとは、卵を乾燥させないように2〜3週間維持すればいい。
 カタツムリは一度交尾をすると、何度かに分けて産卵をするので、このあと気を付けておけば産卵のシーンも撮れる。産卵の写真は、以前にも何度か撮ったことがあるが、写真に多少納得できない点があり、是非撮り直しをしたいのだ。
 
「今月の水辺」を更新しました。
  

03月30日(土)

 鳥取県にはオシドリを撮影できる観察小屋があり、僕は年に一度くらい、他の取材のついでに立ち寄って撮影をする。
 一昨年もそこで撮影をしたが、他に数人のカメラマンがいて、その中に混じって、ビデオで撮影をしていたおじさんが、隣で望遠鏡で観察中のおばさまをつかまえ、
「いや〜綺麗だ」
 と話しかけた。
「ほら見て。ここ見て」
 と自分のビデオの液晶画面を見せている。おばさまは、どう見ても迷惑がっているのだが、おじさんはお構いなしだ。
 せっかく生でオシドリを見られる場所なのに、なんでビデオの液晶画面なんかを・・・と僕は感じたのだが、オシドリを見せたいというよりは、ビデオのレンズを通して捉えたそのおじさんの作品を見せたかったのだろう。
 野鳥の撮影に夢中になっている人には、そんな人が比較的多くて、げんなりさせられる。
 もちろん、自分の作品作りもいいし、とても楽しいことだと思うが、もしも自分の作品作りをするのなら、そんな誰でも同じような絵が撮れる場所ではなく、自分の足で歩き、自分の目で探して、本当に自分らしい絵を僕は見せてもらいたい。
 オシドリという被写体その物を見せたいのか、それとも自分の映像の世界を見せたいのか、そのおじさん自身、自分で自分のことがわからないのかもしれない。自分のことって難しいなと思う。
 
 先日、北海道の方からメールをいただき、僕が撮影した写真の場所をたずねられた。何かのカレンダーの中で使用された僕の写真を気に入り、切りとって飾ってくださっているとのことだった。
 写真は北海道の天売島で撮影したウミネコで、僕の写真をきっかけに、その方が天売島に出かけ、本物のウミネコを見て感動をしてくださったらいいな・・・と思う。
 よく「何でもない被写体でも、彼が撮れば絵になる・・・」などとカメラマンを称える。確かに、写真のマジックで、そんなことがあるが、僕の目指す場所は違う。
 どんなに素敵な写真が撮れても、それが写真の中だけの世界で、実物を見た人ががっかりするようなら空しい。素敵な自分の作品を見せるのではなくて、素敵な自然を伝えたい。
 昨日は、「字の間違いがあるよ」と、やはり見ず知らずの方からメールをいただいた。メールをくださった北海道の方といい、本来は知り合えるはずもない方と、つながっているなんて面白いな〜。字の間違いというよりは、「いつも見てるよ」というメッセージを送ってくださったのではないかと、その文面から感じた。
 
「今月の水辺」を更新しました。
  

03月28〜29日(金)



 世界文化社・かがくらんど6月号の見本が届いた。26ページのうち、3枚を除いて、残りは僕のカエルや田んぼの写真で構成してもらえた。
 本を編集してくださった清水さんは、以前にもアマガエルの号を作ったことがあり、今回の仕事の依頼を受けた際に、そのカエルの号を送ってもらったが、
「私はアマガエルが好き。このシーンが好き。この写真が好き・・・」
 と、情熱を前面に押し出していく編集をする方だという印象を持った。
 編集者が情熱を前面に押し出そうとすると、それを実現できるだけの写真があれば、飛びっきりいい本ができる可能性があり、やり甲斐がある。逆に、写真が伴わなければ、ちぐはぐな本になってしまう可能性もあり、写真を撮る側の情熱が試されるように感じられて緊張もある。
 今回の本は、とてもいい感じに仕上がっていて、清水さんの思いに負けないだけの情熱で、僕の方も撮影していたことを確認でき、ホッとしている。

 プロの写真家だからといって、全員がいい写真を撮ることにうち込むわけではない。人によって、写真の撮り方にはいろいろなスタイルがあり、中には、印刷物の中で「使える」というレベルの写真が撮れればそれで良しとする人もいる。
 僕の場合は、ただ使えるかどうかではなく、一枚一枚の写真のクオリティーにこだわる撮り方をするので、それが生きる編集をしてもらえると嬉しいし、逆に、「雑な写真でいいので、ありとあらゆるシーンが欲しい」などと言われると苦しい。
 むろん、色々なケースに対応できるのがプロなので、たくさんのシーンを次ぎから次ぎへと撮影していくような撮り方も身に付けようと努力だけはするが、自分に合った場所で、自分をいかしてもらうことができれば、それが一番いい。見本を見ながら、そんなことを感じた。
 
「今月の水辺」を更新しました。
  

03月26〜27日(水〜木)

 熊本での水中撮影を終えて帰宅をした。撮影は2日間を予定していたが、2日目は決定的な忘れ物があり、水中撮影の予定を変更した。代わりに、23日の撮影日記の中で紹介した場所で、田んぼの定点撮影を開始した。
 ちょうど一年くらい前に、有名な阿蘇の一心行の大桜を撮影したが、桜は、花の季節だけでなく新緑から雪まで、およそひと月に一度の割合で撮影した。
 そして今度は、田んぼを定点撮影しようとしているのだが、桜の定点撮影でつかんだ要領が、なかなか役に立ちそうだ。水辺とは関係ない桜の撮影だったが、田んぼの定点撮影の中で、その機会が生かしたいと思う。

「今月の水辺」を更新しました。今月は、昨日〜今日撮影したばかりの水中の写真です。
  

03月25日(火)


 
 一昨日、湧き水の池でテスト撮影したフィルムを、今日はさっそく分析してみた。そのデータをビニールテープに書き込み、水中カメラの見えるところに貼り付けた。「こういう条件の時は、こう撮る」と、自分自身に教えるためのカンニングペーパーのようなものだ。
 今晩からは、さっそくそのデータを貼り付けたカメラを持って、再度水中撮影にでかける。今回の取材は短くて、明日と明後日の2日間の撮影の予定だ。
 明日、明後日は平日で、現像所が営業しているので、撮影したフィルムをすぐに持ち込んで結果を見ることができる。幸い、湧き水の池の近くには、クリエイトという現像所の熊本営業所があり都合がいい。

 僕は、あまり曜日や日にちを気にする必要がない生活を送っているので、撮影日記の日時や曜日を、頻繁に間違える。先週も湧き水の池に潜り、水中撮影のデータを取り終え、現像所に出かけて現像をして、あと何日か撮影をして帰る予定だったのだが、その日が土曜日、翌日が日曜日で現像ができないことに気付き、福岡に戻った。
 今回は、曜日をちゃんと考えているので、現像ができる。大丈夫だ。
  
3月26日はサーバーの工事のため、すべてのページが見られなくなります。
  

03月24日(月)
 
 事務所の通信回線をADSL回線に変えたのだが、時々インターネットにつながらなくなり、数十秒の間ホームページの閲覧やメールの送受信が出来なくなる。
 始めはプロバイダーに原因があるのかと思い、問い合わせてみたところ、「まずNTTに・・・」という返事をいただき、NTTに問い合わせてみた。
 すると
「NTT側には問題がない」
 という返事で、再度プロバイダーに問い合わせ、いろいろと調べてみたところ、NTT側の通信障害だという返事をもらった。
 またまたNTTに問い合わせてみたところ、1つ2つ対処の方法を教えてもらい、試してみたが改善しない。パソコンに原因があるのか?と思い、多少思いつくことをやってみたが、これも全く改善しない。
 そこで、僕の弟のADSL回線を使って、僕のパソコンで、僕の使用しているプロバイダーで試してみたところ、快調そのもの。僕のパソコンには問題がないし、プロバイダーにも問題がないことが確認できた。どうもNTT側に問題があるようだ。
 いろいろな試みで結構な時間を食ったし、馬鹿らしいな〜と思う。第一、NTTの問い合わせの窓口は滅多に電話がつながらない。宣伝だけはすごいのに、実際にちゃんとしたサービスを受けられないことが、最近多すぎるような気がする。
 1〜2分待つことも嫌だと感じる僕が、せっかち過ぎるのだろうか?
 
3月26日はサーバーの工事のため、すべてのページが見られなくなります。
  

03月23日(日)
 


 この一年、田んぼの定点撮影をやろうかな?と考えている。その田んぼを、自宅の付近や、北九州や山口県で探してみたが、なかなか思うような場所が見つからず、今度は、昨日から熊本県をロケハンしている。
 僕は渓流が好きなので、山間の棚田ならいい田んぼを何箇所か知っている。ところが、子供の本の中で見せるための、身近で、のどかな里の田んぼを探してみると、これがなかなか見つからない。ようやく一箇所だけ、「ここならいいかな?」と思える場所に行き当たった。
 この場所は、あとしばらくすると一面にレンゲが咲き乱れるし、秋には、中央の木に柿の実がたくさん実る。もしかしたら、ゲンジボタルも多少飛んでくれるかもしれない。

 ついでに、同じ熊本県の湧水池で、水中撮影の際のストロボ(照明)のデータを取ってから帰宅をした。先週の火曜日にやはり同じ場所で、同じようなデータ取りをしたが、水中ということでなかなか思うようにいかず、
「これでOK」
 というような自信の持てるデータが取れなかったので、そのやり直しだ。
 パイロットの七分頭などという言葉を聞いたことがある。パイロットが上空に上がると、気圧の変化など諸条件の違いで、通常の七割くらいしか頭が働かなくなるという意味らしいが、水中も同様で、何でもないことができなくなる。
 前回はまさにそんな状態に陥ってしまったので、今回は、ノートにどんな手順でデータを取るのか詳しく書いて、それを見ながら、水中で試し撮りを試みた。今度は大丈夫だと思う。
 
3月26日はサーバーの工事のため、すべてのページが見られなくなります。
  
 

03月22日(土)
 
 昆虫写真の海野先生のHPの中の「小諸日記」は、海野先生と、そのパートナーである高嶋君の二人によって日々書かれているが、記事が、果たして海野先生が書いのか、あるいは高嶋君が書いたのかが、読んでもなかなかわからない。
 僕はそれを漠然と感じていたのだが、ある時海野先生の口から、
「どちらが書いているのか分からないでしょう?」
 と言われて、ちょっと驚いた。自然とそうなっているのではなくて、ちゃんと意識をして、そういう風に書かれていたのだ。
 どちらが書いたのかわからないということは、記事の中に個人的な意見がほとんどにじみ出ていないということになる。誰か個人の意見を書くのではなく、自然のことを伝えるという立場にこだわって、記事が書かれていたのだ。
 もちろん、自然についてではなくて、人の意見が書かれている記事もいいと思う。何を書いてもいいと思うが、書くことによって自分が何をしようとしているのか、その立場をはっきりとさせ、その思いを的確に書けるようにすることは大切だと思う。海野先生の
「高嶋もだいぶそれができるようになってきたよ」
 という言葉から、僕は先生が写真を撮るだけでなく、書くこともとても大切にしていることがわかったし、僕自身も書くことを大切にしようと思った。
 僕の撮影日記は、それを書くことに結構な時間を費やしている。そんな時間があれば撮影をした方が・・・と思うこともある。だが、海野先生に倣って、少しでも的確に書けるように努めてきて、最近、それが間違っていなかったと感じる出来事が多くなってきた。
 仕事をする上で、とてもいい僕の名刺代わりになってきた。

 先日、海野先生の小諸日記を見ていて、珍しく、
「これは先生が書いたのかな?」
 と感じる記事があった。内容は戦争のことだった。
 
3月26日はサーバーの工事のため、すべてのページが見られなくなります。
  
 

03月21日(金)
 


 撮影の舞台にする田んぼを探して、山口県をロケハンした。
 僕のイメージは、ちょっと探せばそこらにありそうな田んぼで、そこにすむ生き物たちを子供たちに紹介する内容にしたい。有名な棚田を探せば、ビジュアル的に見事な場所は見つかるが、そんな、誰かに連れていってもらわなければ行けないような場所ではなくて、明日にでも「行ってみようよ!」と子供が感じられるような場所だ。
 かといって、コンクリートで固められたような場所ではなくて、それなりにロマンもある場所を探している。そんな場所を探して、一年間の定点撮影をやってみようと思う。
 今日の画像は、数時間走った中でベストだと感じた場所だ。明日は、熊本県を探してみる予定だ。
 
3月26日はサーバーの工事のため、すべてのページが見られなくなります。
  
  

03月20日(木)
 
 来年度の取材の話を打診された。25ページくらいの本で、内容は小さな生き物であること以外は、書かずにおこうと思う。僕のテーマである水辺ではないが、その本を担当してくださる方の編集が好きなので、打ち込んでみようと張りきっている。
 僕は、撮影の時に、主なテーマ以外に、小さな別のテーマを設定することにしている。
 例えば、1月のハクチョウの撮影では、主な被写体がハクチョウであることは言うまでもないが、それ以外に、「温泉の湧く湖」という小さなテーマを設定して撮影した。
 音楽でいう主旋律と副旋律みたいなものだと自分では考えているのだが、アマガエルを撮影するときには、アマガエルを主旋律に、田んぼで仕事をする農家の人の気配を副旋律にして、アマガエルがすむ田んぼで働く人、そこに残された人の足跡、その足跡の中に入り込んだオタマジャクシの姿などを撮影した。
 僕が設定した副旋律は些細なものなので、アマガエルの写真を見て、その中で僕がアマガエルとは違う別の小さな物語を展開していることに気付く人は少ないだろうし、本を作る編集者は、僕とはまた違った物語を作るものなので、本の中で、その副旋律が温存されたまま写真が組まれることは稀だし、最後には、僕の心の中だけにあったこだわりとして、副旋律は聞こえなくなってしまう。
 それでも、副旋律を設定することは、たくさん撮影する写真全体のトーンを揃え、無数にある写真の撮り方の中から、「どう撮ろうか?」という迷いを消し去り、「今回はこう撮る!」という強い意思を僕に与えてくれる。
 また、見えないところに何かプラスアルファーがあるかどうかが、いい写真かどうかの分かれ目でもあるような気もする。
 
 水辺であれば、多少の経験があるので、主な被写体以外に、別の小さなテーマのイメージが湧きやすいが、今回はそうではないので、頭の中で案を熟成させる時間を長めに取りたい。主な被写体以外の部分で、何かをかもし出せる写真を撮ってみたい。
  
  

03月19日(水)
 
 昨日、熊本でテスト撮影したフィルムを、今日は事務所に持ちかえり徹底分析している。その結果を踏まえて、何をどうすればいいのか?次ぎはどんなテストをしたらいいのかを判断しているが、予想以上に、水中は陸上とは違うことがわかった。
 例えば、陸上で50センチのところにピントを合わせたカメラを、水中用のケースに収め水の中に持ち込んだとする。すると、陸上では50センチの距離にピントを結んだカメラが、水中では全く違うところにピントを結ぶ。使用するレンズによっても違う。
 そんなことは知らなくても写真は撮れるのだが、本当の意味で確実に撮りこなそうと思うと、しっかりとメカニズムが理解できてなければ対応できなくなる。
 
 ずっと以前に、ちょっとした縁で、写真を趣味にしている知人と水槽撮影をしたことがある。その知人は、とてもおしゃれな写真を撮る、なかなかセンスを感じさせるアマチュアなのだが、特に光の使い方にこだわった写真を日ごろ撮っている。
 ところが、その知人が水槽撮影をする様子を横から見ていると、光の性質を最低限知っている人なら絶対に犯さない間違いをちょくちょくやらかしてしまう。日頃、光をうまく使った写真を撮っているようでいて、実際は経験則でそんな写真が撮れているに過ぎず、いつも撮っている状況とは違う居面に出会うと、ど素人同然になってしまう。
 そこがプロかアマかの大きな違いの一つだと、僕は思う。
  
  

03月18日(火)
 
 水中にて、ストロボ撮影用のデータを作成中

 水中でストロボを使用するためのデータを取りに、熊本の湧き水の池に出かけた。僕は、日頃は、実際に何かを撮影した際の結果を踏まえてストロボを使用している。こんな条件の時には、こういう風に設定すればきれいに写るというデータを自分なりに持っている。
 ただ、その経験が通用しにくい局面もあるのだし、今日の目的は、経験ではなくて、メーターを使用してカメラを設定できるすることだ。経験と機械の両面から挟み撃ちにすることで、今まで撮影してきた状況よりも、もっといろいろな局面に対応できるはずだ。
 機械があれば撮れると思っている人も多いが、機械は機械で使いこなしがある。
 いろいろと試してみたが、水中では、陸上とはメーターがかなり違う反応をすることがわかった。
 水中の被写体は水に濡れているのに対して、メーターは袋の中で水に接していないからだと思うが、あまりに予想外の結果になるので、やり直しの連続で、通常の撮影であれば3日分くらいの空気のボンベが、すべて空になった。
「おや?おや?」
 の連続で、これがメーターのはじき出した値だと自信を持っていえる結果にならないのだ。
 それでも、空気がなくなる直前に、「これかな?」というところにようやく落ち着き、テストを終えることができた。
 ただ、自信がないので、空気もなくなったことだし、博多まで引き返し、すぐに現像所にフィルムを持ち込んだ。結果は、かなりいい線までいっているが、あと1〜2度のテストが必要だ。
 水中での空気の消費量は、そのときの精神状態にかなり左右される。焦ったり、冷静ではなくなると消費量が増えるし、いい呼吸をすると空気の消費量が減って長持ちする。

 今日の湧き水の池は安全な場所だが、川の流れが激しいところでは、それなりに危険が付きまとう。水中の場合は、日頃から自分の酸素の消費量や、酸素の量をチェックする習慣や、その他・・・、しっかりと自分を把握する習慣をつけておかなければならないし、たとえ安全な場所でも、変な癖をつけないように、危険な場所と同じように自己管理しなければならない。
 
  

03月17日(月)
 
 アカガエル 白バック写真

 まだ、学生の頃、
「プロになりたいんです」
 と、昆虫写真の海野先生のもとをたずねて以来、僕は先生から、第一線で活躍するいろいろな自然写真家の仕事の特徴を、聞かせてもらうことができた。
 中でも印象に残ったのが、今森光彦さんのことで、
「今森君はね、まめに色々な本に目を通して、人がヒット作を飛ばすと、すぐに同じ場所にいって同じシーンの写真を撮るんだ。しかも、最初に誰かに撮られた写真よりも、必ず少しずついい写真を撮るんだよ!」
 という話だった。
 今日は、そんな今森さんに倣って、人様のパクリ写真を撮っている。
 僕が真似たのは、山と渓谷社の「日本のカエル」という図鑑で、写真を撮ったのは松橋利光さんという僕と同世代の写真家だ。面識はないが、すばらしい写真家だと思う。
 この図鑑の中で、松橋さんはカエルを白いバックの上で、まるで商品のように撮影しているが、その表情や質感がすばらしい。

 海野先生や今森さんに限らず、僕はいろいろな写真家の手法を真似、盗めるものは盗もうと日々心がけているが、真似てみて身になるものが多いのは、海野先生と今森さんの手法で、お二人ともまるで科学者が実験をする時のように、物の考え方が論理的なので、科学出身の僕には理解しやすい。
 写真を見て、自分自身が同じように撮りたいかどうかは別にして、なぜそう撮ったのかが、よく分かるのだ。
  

03月16日(日)
 
 今日は、アカガエルとヤマアカガエルに関して教わるために、北九州市の自然史歴史博物館をたずねた。両生類を担当しておられる武石先生は、野鳥の担当でもあり、以前に野鳥についても教わったことがある。
 館内全体をゆっくりと案内してもらい、標本室などの設備も見せてもらうことができたが、すごい規模の博物館だ。自然が好きな人になら、誰にでもお勧めできる。
 自然史歴史博物館は、比較的最近にリニューアルオープンしたばかりで、新しくなってからは出かけたのは初めてだが、そこで研究ができる武石先生がうらやましくなった。
 僕は、大学に入学した直後、どこでもいいから博物館の学芸員になりたいと思った時期がある。ただ、学芸員は、それほど多くの募集があるわけではない。僕が学校を卒業するタイミングで欠員がでて募集があるとしたら、それは幸運だったといった方がいいだろう。
 僕はせっかちなので、どこかに欠員がでるまで待つ気持ちにはなれなかったし、写真家であれば、努力次第で何とかなるだろうと、写真家を志すようになった。
  

03月15日(土)
 
 僕が子供の頃、学校の社会の授業では、日本の技術力や産業のすごさを教える内容が多かったように思う。地元の筑豊炭田が、いかに日本の経済発展に大きな役割を果たしてきたか、八幡製鉄の規模の大きさなど、先生方が誇りに満ちた表情で話をしてくださったのを、よく憶えている。
 悪戯ばかりして授業に参加せず、邪魔者扱いされていた僕でさえ覚えているのだから、よほどに先生の表情に自信が満ち溢れていたのだと思う。
 今では時代が変わり、産業の発展よりも、環境問題などの自然にまつわる話の方が、学校で取り上げられるべき内容に変わってきた。
 ただ、残念なことに、その自然の話は、目をキラキラさせて聞く話ではない。
「自然を守らなければなりません!」
「行政がこんな無茶をしています!」
「人は自然をもっと大切にするべきです!」
 と、お説教に近い、しかめっ面で聞かなければならない話ばかりだ。学校だけではない。自然について訴えようとしている多くの人の話が、教条的なお説教に収束しているように思う。
 環境問題は大切だと思うが、それ以上に、人がワクワクするような自然の話が求められているのではないだろうか?僕が子供の頃の先生方が、自信と誇りに満ち溢れた表情で日本の技術力を語ったように、自然を語ってくれる人がいたらいいなと思う。

「子供の本の仕事っておもしろいですね」
 と言うと、子供の本の編集者の方から、
「子供の本の仕事は、人が何かを感じることの原点につながるんじゃないかと思う」
 という返事をいただいた。
 その編集者の方が指す、「人が何かを感じることの原点」って何なのか、次に話をする機会が会った時に探ってみたいと思うが、僕は、自然の本の中では、「不思議」だったり、「ワクワク感」を指しているのではないかと思う。
 僕は、子供の本向けの写真だけでなく、地元九州で使ってもらうことを意識したカレンダー向けの写真や、写真集にまとめることを意識した作品志向の強い写真など、いろいろな写真を撮っているが、もっと子供の本の仕事のウエイトを大きくしてみようかな?と最近思うようになった。
  

03月14日(金)
 
 昨日、田んぼをロケハンした山口県は、道路が早くから整備された県として知られている。確か「道路知事」といったニックネームをつけられた熱心な知事がおられ、道路の舗装も早く、田舎の方まで大きな道が作られたのだと聞いたことがある。
 僕が話を聞いたのは、もう30年くらい前のこと。山口県の自慢話として話を聞かされた。
 今は、むしろ田舎までりっぱな道路が敷かれているのは、税金の無駄使いや、業者と政治家との癒着の象徴で、イメージが悪いので、時代が変り、その評価が180度変わったことになる。

 僕は、道路よりも山や森が好きだ。山の中に作られた立派な道路を目にすると、
「道路を作らないで!」
 とつい声を荒げたくなるが、そんな時、「山口県の道路は立派だ」と心の底から自慢した当時の大人の誇りに満ちた顔や、社会の授業中に日本の産業について自信に満ちた口調で話をしてくださった先生方の声を思い出すことがある。
 そうした人のバイタリティー・開発や産業の振興の結果、今の豊かな生活があることを思うと、
「道路を作らないで!」
 という僕の思いは、甘っちょろい発想なのかな?という気もしてきて、わからなくなる。
 自然写真と撮っていると、よく自然保護を訴えていると受けとめられるが、僕は、人が自然に対していかにあるべきか分からないし、保護を訴えるなどという大胆なことを撮影中に考えたこともない。
 僕はただ自然が好きで、「素敵だな」と思う感動を、無心で伝えたいと思う。自然を、多くの人の目に触れるところまで、写真によって運んできくるのが役割で、それをみて、判断をするのは僕ではなくて、写真を見る人の仕事だと思うのだ。

 大学生の子供を持つお母さんから、
「あなたは立派だ」
 と言われた事がある。
「あなたは、こうやって自然について訴えて、立派な活動をしているのに、うちの息子は漫画ばかり読んでいるけど大丈夫でしょうか?」
 ともたずねられた。が僕は、そうたずねたお母さんよりも、その息子さんに近いと思った。
 僕は、立派なことだから自然を撮るのでなく、むしろその息子さんが、
「漫画おもしろいな〜」
 と漫画に夢中になるのと同じように、単純に自然が好きで写真を撮っているからだ。きっと好きになったものが漫画だったら、僕も漫画に夢中になるだろうし、飛行機だったら飛行機に夢中になったに違いない。
 自分の思いを正しく伝えることは、むずかしい。
 昨日、山口県の田舎の大きな道路を走りながら、そんなことを考えた。
  

03月13日(木)
 
 注文していた水中撮影用のアクセサリーが、ようやく今日届いた。これで水中撮影に出かけることができる。来週頭にも予定を組んでみよう。
 今日も、昨日に引き続き、田んぼの撮影のために車を走らせてみた。昨日は、自宅近辺を主にロケハンしたが、今日は学生時代に6年間を過ごした山口県東部を探してみた。
 ふと、学生時代、よく散歩した田んぼに素敵な場所があったことを思いだし、足を運んでみたが、写真を撮るためのクールでシビアな目で改めて見ると、思ったほど良くはない。思い出の場所なので、かなり、かなり美化されていたようだ。
 絵画と違って、写真はロマンだけでは描けない。写真は、時に残酷でクールな表現手段だなと思うし、また、人の夢、ロマン、想像力ってすごいな〜と思う。
  

03月12日(水)
 
 ここのところ、事務所で機材に改造を加えたり、水中撮影のための下準備をしている。その下準備を終え、今日から撮影に出かける予定だったが、1つだけ必要な機材が手に入らなくて、スケジュールを変更した。ずっと事務所でごちゃごちゃ作業をしていたこともあり、気分を変えるためにも、今日は、野外にでかけて田んぼのロケハンをした。
 田んぼの撮影は、簡単そうで難しく、いい場所がなかなか見つからない。電線があちこちに張り巡らされていたり、田んぼの風景に不似合いな今風の人工物があったり、田んぼの水路がコンクリートで塗り固められていたり・・・
 今日は4時間ほど車を走らせてみたが、結局、気に入った場所は一箇所も見つからなかった。
 宮崎県や熊本県にまで足を伸ばせば、所々にいい場所があるが、田んぼという場所柄、遠出をして取材という感じで撮影するよりも、まるで散歩のように頻繁に出かけて撮影したい。そこで、毎年その気になって近場を探すが見つからない。ない物はないのだろう。
 福岡県内では南部に有名な棚田があるが、シーズンになると、たくさんのカメラマンがおとずれるし、中には50台前後のカメラの列ができるような場所もある。そこに行けばきれいな写真は撮れるが、僕はみんなで整列して写真を撮るのではなく、そこにすむ小さな動物や植物にもカメラを向け、もっと大きく田んぼを捉えたい。 
  

03月11日(火)
 
 タテゴトアザラシのタマちゃんを捕まえて、北の海に返そうというグループが出現したらしい。川に網を張り、ボートとダイバーまで準備しての作業が、テレビのニュースで報道された。
 だが、このグループ、どこかいかがわしくて、役所には、川底の調査をすると嘘の届け出をしていて、大部分の人の同意もなく、通報をされ、役所の人や警察まで出動して、ひんしゅくを買ったようだった。
 その行為が正しいかどうかは、答えもないのだし、誰にも分からないが、その行為を本当に必要だと思うのなら、必要性を訴えコンセンサスを得て、嘘の届け出ではなく、ちゃんとした届出を出してから行動に移ればいい。
 そんな身勝手な行動をすることが、自然を守る活動全体を、一種のいかがわしい宗教活動のようなものだと思わせてしまう。
 グループは、「タマちゃんを北の海に返すべきだ」と主張しているのだが、僕はそうではなくて、「タマちゃんを北の海に返したい」と主張するべきではないか?思う。
 「タマちゃんを北の海に返すべき」と、「タマちゃんを北の海に返したい」というのは、同じようで全く違う。前者が客観性を持った意見だとすると、後者はある個人の好みをのべた主観に過ぎない。
 グループの行為は、「命を守る。タマちゃんを北の海に返すべきだ」という大義名分の元に、実際は、単に自分達の好みを押し付けているに過ぎないように、僕には感じられた。
  

03月10日(月)
 
 子供の頃、僕は渓流釣りに夢中になったが、釣りの約束の1週間くらい前になると、あまりの興奮で寝られなくなった。頭の中は魚釣りのことで満タンになり、押さえきれない思いで気が狂いそうになった。決して大げさを書いているのではない。こう書いても、書き足りないほどワクワクした。
 写真を始めたばかりの頃も、やはり夢中になった。フィールドをロケハンして歩き、オオルリやカワセミやサンコウチョウの巣を見つけ、さあどうやって写真に撮ろうか?と考え出すと、時間がいくらあっても足りないような気がして、どうしようもない焦りのような興奮をおぼえた。
 さあ、これから何かしよう!という、居ても立ってもいられない時の興奮は格別だし、同時にこれほど疲れることは、他にないような気がする。

 今日は、子供の本の出版社の方が、
「たまたま福岡に用事があるので・・・」
 と事務所にお越しになったが、今の僕にとって、釣りや鳥の巣を見つけた時の興奮に似ているのが、本の編集者の方と話しをする時間だ。
 話の後には、「こんなことしたいな・・・、あれもいいな・・・」と、次々とアイディアが湧いてくるが、湧いてきたばかりのアイディアはまだとても曖昧で、一瞬でも気を抜くと、消えてなくなりそうな気がする。
 居ても立っても居られない何ともいえない刺激、気持ちの高ぶり、熱い熱い疲れが残る一日になった。 
  

03月09日(日)

 

 水中撮影に際に、水の中で、カメラのフラッシュの明るさを測る工夫をしている。
 陸上では、フラッシュメーターのスイッチを、「カチッ」と押せば、どのようなカメラの設定で撮影すればいいのか、メーターがすぐに教えてくれるのだが・・・
 僕の陸上用のフラッシュメーターを水の中に入れると、水没しておしゃかになってしまう。

 今日は、先日、博多で買ってきた防水袋をテストしてみた。袋のビニールを一枚通すことで、光がどのくらいロスされるのかを試すテストだが、その様子をデジカメで撮影してみて、
「なるほどな〜」
 と感じた。袋の表面が反射をしているが、反射している分だけ、メーターに届くはずの光がロスしているのだから、その分、メーターの値に狂いが生じることになる。
 ならば、袋を一枚通すことで失われる光の量を確認しておき、その分を補正すれば陸上で普通に使っているメーターを防水袋におさめることで、水中でも使えるようになるはず。ところが、光をあてる角度によって、ビニールの表面の反射の量が変わってくるから話はとてもややこしい。
 いろいろな角度でメーターにストロボの光をあててみたが、ビニールを通しても全く影響がない角度もあれば、かなり大きな誤差が生じてしまう角度もある。
 仮に水中に、防水袋入りのメーターを持ち込むとするなら、ストロボをあてる角度を考慮しながら、メーターを使わなければならないし、日頃、空気中でのメーターの使い方とは違う使い方を習得する必要がある。
 水中専用のメーター(約80000円)を買おうかな・・・。買えない値段ではないが、国産の商品はなく、アメリカ製のものが1種類あるらしい。メーターのような精密機器はアメリカ製というイメージはないし、故障の際の修理など、不安も付きまとう。 
  

03月08日(土)

 今年の秋から冬を目処に、何人かの心許せる仲間たちと、インターネットを使った新しい試みを計画している。試みといっても、大胆な、突飛なものではなくて、日頃、仕事をしていて、「こんな事やれたらいいかも?」と感じていることを試してみるだけだが、いざ実現となると、多少の勉強や、シュミレーションの必要性を感じている。
 例えば、日頃自分のホームページの中で画像を扱う時には、これといった規格も作らずに、実に適当にやっているのだが、何人かで、共同で作業をするとなると、画像のサイズや細かい点に、お揃いの規格を作っておいた方が、後々、快調に作業を進められるだろう。
 その規格は、いろいろなケースを想定しておく必要があるし、やってみると、「あ〜でもない・・・」「こ〜でもない・・・」と、心が千千に乱れる。
 それなりに先が読めていることでも、実現することには、やはり手間がかかる。
  

03月07日(金)

 3月〜4月上旬にかけて、何度か水中撮影を計画している。そのためにストロボの照明のシステムに改良を加えているが、改良を加えると、それまでに蓄積してきた撮影データが使えなくなる。新しいデータを取らなければならないが、水中だと、若干話がややこしい。
 通常、ストロボのデータを取るときには、フラッシュメーターという機器を使用するが、水中用のフラッシュメーターは8万円前後と、高価なのだ。水中専門のカメラマンなら買うのもいいが、僕の場合、水中撮影の占める割合は低いので、8万円は高い。とても迷っている。
 メーターを使わなければ、何度か実写をして、そのフィルムを現像してデータを取ればいいのだが、それはそれで、スマートではない。また、水中は水の濁り具合などによって、過去に準備したデータが通用しないことも、時にはある。だが、その場合にも、メータがあれば、実写をして現像をしなくても、一発でその状況に適したデータが導き出せる。
 今日は、メーターを買う代りに、防水のビニールのケースを買うことにした。その中に、陸上で通常使用しているフラッシュメーターを入れれば、なんとかなるかもしれない。
 以前に、博多のカメラ屋さんで、コンパクトカメラを、遊びで水中に持ち込むときに使用する、4000円前後の防水袋を見たことがあるので、今日はお店に出かけて1つ手に入れてきた。

 他にも、陸上で使用しているメーターを、特注のアクリル製の入れ物に入れる手もある。こちらは4万円ほどお金がかかる。ただ、いくら特注と言っても、アクリルのケースを通っていた光を測定するのだから、撮影の際の距離などの状況によって、若干メーターの精度が落ちる可能性もある。
 どれにしようか?とにかく、防水袋を試してみよう。
  

03月05〜06日(水〜木)

 ここのところ、雨の日が多い。雨の日には、飼育中のカタツムリが交尾をしているのでは?と、気になる。今週の月曜日にも交尾を確認したばかりだし、今日もと期待をしたが、全く動きがなかった。
 月曜日は暖かくて気温が12度あったが、今日は5度しかなかったので、その違いだろう。10度前後が活動の有無の境目になるのだろうか?
 ただ、交尾を確認した月曜日に、雨の中、カタツムリを採集した森に出かけてみたが、野外では1匹のカタツムリも見かけなかった。飼育下と自然状態とでは違いがあるのかもしれない。
 考えられることは、飼育下では、狭い籠のなかで2匹の出会いの確率が高まり、その刺激がやや低い気温での活動に結びついている可能性があると思う。
  

03月04日(火)

 1月末に北海道に出かける直前から、ザリガニの成長のようすを撮影している。ザリガニを、同じ石の上で一年くらい定点撮影して、その成長のようすを連続写真で見せるという撮り方だ。
 今日はその続きで、子供のザリガニを撮影したが、最初に撮影した当時、5ミリくらいだった子供が、今や大人の小指くらいの大きさに育っている。
 厳密にいうと、一匹のザリガニを継続して撮影するのではなくて、同時に生まれた兄弟の中からコンディションのいいものを選んで撮影する。こういった長い期間を要する撮影の場合、1匹を追跡して撮影しようとすると、死んでしまった時に、それまでの苦労が無駄になってしまうので、複数匹を同じ進行で飼育し、死亡という最悪のアクシデントに備えているのだ。
 この撮影日記の中には、「飼育している生き物たち」という言葉がたくさん出てくるが、生き物たちとは、今回のザリガニのようなモデルたちのことを指す。
 小動物を撮影する写真家は、野外で、自然状態で生き物と接するだけでなく、今日の僕のように、まるで実験のようにして生き物たちと接することも少なくない。
 
 僕は、生物学の学生時代、実験があまり好きではなかったから、自然の中で生き物と接することができる自然写真を職業に選んだ。だが、実際には、こうやってまるで実験のような撮影もしているし、その割合は、他の大半の自然写真家よりも多いだろうと思う。
 なぜ、好きではなかった実験のような撮影をするのか?自分でも何とも言えないところもあるが、人は自分の経歴には逆らえない部分があるような気がする。
 たとえば僕の場合、実験は好きではないが、実験の経験がない人よりも、その手の撮影はずっと手馴れているし、一般的に言うと、得意だといえるのかもしれない。
 身に付いているものは、それを生かすのが理に適っているような気がするからだ。
  

03月03日(月)

 飼育中のカタツムリの交尾を確認することができた。つい先日、撮影モデル用のカタツムリの子供が死んでしまい、今年の5〜6月の撮影ができなくなる!と落ち込んでいたのが、今日交尾をしたカタツムリが、近々卵を生んでくれれば何とかなる。
 カタツムリは梅雨のイメージの生き物なので、アジサイの花と組み合わせて撮影することが多いが、アジサイの花の上に乗せるためには、大きな物は不向きだし、サイズが限定される。
 また見方によってはグロテスクな生き物でもあるので、どなたの鳥肌も立てないように、特にかわいらしい種類を選んで撮影する。
 今回の撮影には、殻のサイズ1センチくらいの、ツクシマイマイの子供が理想のモデルだったが、飼育下でそのサイズまで育てるには1年かかるし、たとえ近日中に卵を生んでくれたとしても、5〜6月に1センチは間に合わないが、生まれたての子供が手に入れば、とにかく撮影することができる。
 それで、よしとしよう。
 野外で採集する案も検討しているが、京都大学で研究しておられる方に尋ねてみたところ、2センチであればちょくちょく見かけるが、1センチは目立たなくて、
「捕れます」
 とは言い切れないらしい。
 1センチというサイズは、単にアジサイの花のサイズに合わせただけの大きさではない。実は、小さなカタツムリは強い光をあてると殻の中が透けて見え、中の様子をイメージさせることができる。だが小さすぎると、中が見にくく、1センチくらいが一番都合がいい。
 アジサイとの組み合わせのイメージ的な写真だけでなく、内部のようすを伝えられる、全く新しい視点の写真を撮りたかったので、僕は1センチというサイズにこだわりがある。

 交尾を確認できたことで、俄然勇気がでた。
 数日中に生まれるであろうカタツムリを、保温してみるのも、成長が早くなっていいかもしれない。通常来年の今頃、1センチくらいに成長するはずのカタツムリが、今年の秋くらいには1センチくらいになるかもしれない。
 勇気がでると、いろいろなアイディアが湧いている。
  

03月02日(日)

 水中撮影カメラ

 今日は、水中撮影の道具に改良を加えている。3月に、熊本の湧き水の池で水中撮影を予定しているが、そのための準備だ。
 手を加えている箇所は、ストロボ(人工の光源)をカメラに取り付けるアームの部品で、これまで使用してきた部品の操作性が良くなかっため、別の物へと交換した。
 今日の画像は、水中カメラだが、銀色の本体の左右に黒いグリップの部分があり、さらにその先にカニのハサミのようなアームが取り付けられてる。このアームを使いやすい物に交換するのが今日の作業の内容で、写真は交換済みの状態だ。
 僕は水中撮影はアンティス社製の道具を使用しているが、ストロボを取り付ける部品に関しては、アンティスの製品が気に入らなかった。アンティスはとてもコンパクトなのだが、その反面きゃしゃで、それが使いづらかったのだ。
 そこで、他社製のアームを試みてみたが、当然メーカーが違うのだから付くわけがない。ネジのサイズも違うし、取り付けの方法も違う。ところが、ところが、1つだけシー・アンド・シー社製の頑丈なアームが改造も何もせずに上手くついた。不思議だな・・・
 ストロボのアームは水中カメラのグリップに2本のネジで止めるように作られている。そして、その2本のネジの間隔だが、アンティスとシー・アンド・シー社とでは違う規格になっている。なのに、1組だけ、アンティスの水中カメラのグリップに、シー・アンド・シーの規格に合うネジ穴が準備されていて、それで取り付けることができたのだ。

 今月の水辺を更新しました。
  

03月01日(土)

 カタツムリ 越冬のイメージ

 撮影用のカタツムリが死んでしまい、昨日は、人間を辞めたくなるほど落ち込んだ。よく分かっているつもりだったが、仕事の中で生き物を扱うことのむずかしさを、改めて思い知らされた。
 今日は、このトラブルをどう切り抜けるか、朝から考え続けている。
 撮影に使いたいのは、サイズが5ミリ〜20ミリの、縞模様があるタイプのツクシマイマイの子供だが、まずは野外で採集することを考えてみた。だが、ただ捕まえればいいのではなく、サイズや色に要求があることを考えると、目立つ大きなものならともかく、これはとてもむずかしい。
 次ぎに、撮影を一年先送りすることを考えてみたが、あきらめるのはいつでも出来るので、これは最後に考えることにした。
 さらに、容器をよく調べると、2匹だけ、2ミリ程度のカタツムリが生き残っているので、これをもう少し大きく育てることを検討してみたが、小さなものを死にやすく、たった2匹では心もとない。また、3匹以上のカタツムリが写りこむような撮影ができないので、やはり何か手を打たなければならない。
 他にアイディアが思い浮かばないので、これまでのカタツムリの飼育データに目を通してみると、3月に卵を生んだカタツムリがいたことを思い出した。ツクシマイマイのようなカタツムリは、5月の上旬に冬眠から覚めるといわれているが、驚くほど早く産卵をしたものがいた。そこで、繁殖用に飼育しているカタツムリの産卵を、何とかして少しでも早くなるように促してみることにした。
 幸い今日は雨なので湿度が高いし、単に湿度だけでなく、雨が好きな生き物は気圧の変化も感じ取っているはずなので、活動しやすくなっているはずだ。
 一組のカタツムリを、やや温かいところに置いておくと、2匹がとても活動的になり、お互いに顔を近づけようとするので交尾をする可能性がある。以前に、3月に卵を生んだとき、それがどんな条件だったのか、良く憶えていないが、何か条件が整えば、また同じ事ができるのではないだろうか?
 今日は、片方で、落ち葉の中で越冬中のカタツムリのイメージ写真を撮りながら、片方で、水をかけてみたり、特に活動的な2匹のカタツムリを小さな容器に閉じ込めてみたり・・・、気を取り直して、いろいろな試みをしている。直感だが、なんとか出来るような気がする。

 今月の水辺を更新しました。
  
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自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2003年01月


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