撮影日記 2026年2月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 26/2/27 続・うまれたよ!ミジンコ

 3月に発売予定の 『うまれたよ!ミジンコ/岩崎書店』 の文章は、元々は、自分の身に起きたことを順に紹介する形式で書いていました。
 僕が何かを見たり、疑問を感じたり、調べたりしてミジンコについて知る過程を記していました。
 その後、編集者からのアドバイスで、僕がミジンコについてすでによく知っているものとして語る形式に変更しました。
 生き物を話題にする時に、語り部がすでに知っていることとして語るのは、例えば学校の理科の授業がそうです。授業の場合、先生は自分が実際に見たことがないことでさえ、あたかもよく知っているかのように語ります。
 いわゆる予定調和なのですが、試してみると、なるほど!その方が、対象をよく知らない人のとっては話しが伝わりやすくなることがわかりました。
 ただそれでは、まるで授業であり、確かに分かりやすいけど感動に欠ける気がして、本の最後の部分だけは、自分の身に起きたことを書く形式を選びました。
 本の冒頭〜途中までは分かりやすさを優先して予定調和し、最後に、未知との遭遇があるのは、音楽でいうなら変調みたいな感じです。
 音楽には、イントロとか、何度も繰り返される主な旋律とか、さびとかエンディングみたいに、ある程度の形がありますが、本も、30ページくらいのものに関しては、よく似ている印象があります。
 小学生の時に起承転結という概念を教わりましたが、僕は、作文をする際には、音楽の展開を思い浮かべ、それに近づける方がしっくりきます。



● 26/2/22 うまれたよ!ミジンコ



 ミジンコには種類がありますが、この本のミジンコは、小学校〜高校の理科の教科書に登場する『ミジンコ (Daphnia pulex) 』と言う名前のミジンコです。
 日本の Daphnia pulex は、近年の遺伝子を調べる研究によって、アメリカからやってきたことがわかりました。
 日本にやってきたのは、過去に計4匹。驚いたのはその時期で、4匹のうちの2匹は3000年〜700年前に日本に住み着いたのだとか。
 当時、いったいどうやってミジンコが日本まで来たのかは、不明です。
 残りの2匹は、近年の魚の移動にともないやってきたのではないか?と考えられているそうです。
Daphnia pulex の正体や生態の詳細は、東北大学のプレスリリース、
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2015/04/press20150407-01.html
に記されています。

 僕は、このプレスリリーズを読んだ時に、日本の Daphnia pulex が、いつ、どこから来たのか?のロマンに大感激しました。
 そこで、「うまれたよ!ミジンコ」は、単なる Daphnia pulex のライフサイクルの本ではなく、「生き物はどこから来る?」をサブテーマにした本を目指しました。
 岩崎書店の「うまれたよ!」シリーズは、基本的には監修がつかないシリーズですが、ミジンコのライフサイクルは、僕が高校の理科で教わったものとは大きく異なる新しい知識。
 さらに知識が更新されている可能性もあるので、編集者にお願いして監修をつけてもらいました。
 監修してくださった占部城太郎先生によると、今、生物学の世界で Daphnia pulex とされているミジンコには、日本の Daphnia pulex の他に数種類が含まれているそうです。
 それを加味した上で正確に表記したい場合は、「従来的には Daphnia pulex であるが同定には詳細な検討が必要な種」という意味の Daphnia c.f. pulex を使用すると、教えてもらいました。
 c.f. は「参照する」 とか 「近似の」 といった意味なのだそうです。
 また、僕が撮影したミジンコが、4系統知られている日本の Daphnia c.f. pulex の中のどれに該当するかを、占部城太郎先生が調べてくださいました。
 その結果、うちのミジンコは、近年日本にやってきたものではなく、3000年〜700年前にやってきたものだとわかりました。
「うまれたよ!ミジンコ」は、3月に発売予定です。
 
 

● 26/2/14 SNS


NikonZ7U NIKKOR Z 17-28mm f/2.8

 撮影スポットとして有名な海岸に行ったら、まあまあ歩かなければならない場所なのに、人、しかも若い人がたくさんいてビックリしました。
 海岸は足跡だらけだし、海辺の断崖は落書きだらけ。
 その場所を有名にしたSNSの威力に、改めて驚かされました。
 インターネットの黎明期に、「インターネットが普及したら世の中変わる」と言われていた割に、僕はそこまで変わらない印象だったのに、最近は本当に変わったと感じます。
 世の中が求めていたのは、SNSとスマートフォンだったのでしょうね。
 今、SNS上には、一昔前の感覚で言うととてつもなくすごい傑作写真が溢れています。
 カメラの進化もあるけど、それ以上に大きいのがSNSによる情報網の発達で、SNSは写真の質を劇的に向上させました。

 僕は、SNS+スマートフォンの組み合わせのうち、スマートフォンには興味がありません。
 したがってSNSのなかでもスマートフォンでの閲覧を前提にしているインスタグラムは、あまり見ません。
 一方で、SNSには、世の中の流れがとてもよく分かるという側面があり、パソコンを使用できる時だけですが、SNSにそれなりに目を通します。
 特に、昔は許されたのに今は許されない諸々のことが、SNSを見ているとよく分かるからです。
 SNS上で最近多くなったのが、カメラマンへの批判です。
 例えば、七五三や結婚の際の記念撮影を屋外で行うカメラマンが邪魔くさいなどなど。
 その手の話は、都会と田舎とで事情が大きく異なり一概には言えないのですが、発信する仕事をしている人は知っておいた方がいいのです。
 ただし、僕は、SNSに打ち込む気にはなれません。
 運営者が「止めた」と言ったら終わってしまうようなものに、僕は夢中になれないのです。
 
 

● 26/2/10 頑張る動機

 選挙の時にいつも思うのは、すべての政党に強く賛同する部分とどうしても受け入れられない部分の両方があることです。
 僕は子供の時からそんなタイプなので、会議とか話し合いみたいなものが理解できないことが多く、なるべく一人でできる仕事を選んだ結果が、自然写真だったという側面があります。
 自然写真みたいな仕事の場合、自然が好き、写真が好き以外に、何か追加の動機が必要になる場合が多く、僕の場合は、勤めたくないとか組織に属したくないみたいなものが、それに該当します。

 自然が好き、写真が好き以外の 「他の何か」としてもっとも一般的なのは、「目立ちたい」とか「評価されたい」みたいな承認欲求でしょう。
 特に、自然写真という言葉の中の「写真」の部分に重点を置く人の場合は、承認欲求は、もっともオーソドックスで分かりやすい頑張る動機と言えるでしょう。
 一方で「自然」の部分に重点を置く人の場合は、僕を含めて一定数の目立ちたくない人が存在します。
 人の社会の評価から一定の距離を置きたい人です。
 そのタイプの場合、頑張る動機の設定が難しく、そこに何を持ってくるかが、仕事としての成否をを左右するとても重要なポイントになるように感じます。
 
 

● 26/2/6 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。


● 26/2/5 具体的な指示



 撮影を担当した「石はなにからできている?」が増刷されました。新たに刷られた6刷りが送られてきました。
 書類によると累計の部数が21500冊なので、この本は、評価されたと言えるでしょう。

 石ころと言えば、昔、ムツゴロウさんこと作家の畑正憲さんが、
「そこらの石ころを撮影してもプロのカメラマンにはなれない」
 と写真家志望の若者に宛てて書いているのを読んだことがあり、以降、僕はムツゴロウさんの言葉を常に意識してきました。
 ところがその僕が、そこらの石ころを撮影することになり、さらに、そこらの石ころを撮影した本が評価をされ版を重ねるとは・・・。
 実は、この本で使用されている写真は、一度すべて撮り直しをしました。
 最初に撮影して送った写真に対して、岩崎書店のIさんから、
「悪い写真ではないけど、自分がイメージしている写真とは違う。」
 とメッセージが届いたからです。
 今改めてそれらの写真を見てみると、撮り直しをした写真が威力を発揮しています。

「悪い写真ではないけど、自分がイメージしている写真とは違う。」
 は、実に漠然とした言い方ですが、そこからわかったのは、そういう言い方でしか伝えられない何かを相手が求めているということでした。
 ピントや露出みたいな具体的に言葉で表現できる何かではなく、言語化しにくい何かです。
 そうした言語化できにくい部分にまで踏み込めるかどうかは、とても大切なことだと感じるのですが、「石はなにからできている?」は、その重要性を初めて実感させられた仕事でした。
 漠然とした要求に応えようとすると、エネルギーを要します。
 自分で考えなければならないことが劇的に増え、その中には無駄な検討がたくさん含まれるからです。
 でも、よく考えてみれば、自分で考えるのは当たり前のこと。
 むしろ考えることが楽しいのであり、誰かが具体的な指示をするのは、もしかしたらその楽しさを搾取する行為かもしれません。



● 26/2/2 選挙

 子供の頃、政府与党の自民党よりも、当時の社会党や共産党の主張の方が正しいような気がして、父に聞いてみたことがありました。
 僕は当時中学生。中曽根康弘さんが総理大臣の時代でした。
 タカ派だった中曽根総理大臣に対しては批判が飛び交う機会が多く、中学生なりにきっといろいろと考えさせられたのでしょう。
 学校では、社会のG先生が中曽根政権の批判をしました。
「君たち、選挙のポスターに STOP THE NAKASONE と書いてあったのを見ましたか。 NAKASONE の前に THE が付いているのは、中曽根軍団という意味なんです。日本を危険な方向へと導こうとしている中曽根軍団を止めなければならないんです。」
 と授業中に声高に語られたのをよく覚えています。
 ともあれ、僕の質問に対する父の答えは、
「たとえ共産党が政権を取ったとしても、今とそんなに違わない政策になるんよ。社会党や共産党の人が言うのは理想なんやけど、現実はそうはならんのよ。」
 といった内容でした。
 へぇ〜という思いと、そんなはずはないという思いが、同時に込み上げてきたものでした。

 それから随分時間が経ち、父が言った通りになったと感じた機会が何度かありました。
 社会党の村山富市さんが総理大臣になった時。
 民主党政権の鳩山由紀夫総理大臣時代に、米軍基地関連でゴタゴタした時。
 そして先日、立憲民主党が与党になることを目指して公明党と合併し、かつての主張を捨て去ってしまった時。
 あと1つ、当時父に聞いたことがありました。
 社会党と共産党の違いが分からなかった僕が、
「社会党と共産党は協力したらいいんじゃない?」
 と聞いたところ、
「社会党と共産党は、主張は近いんだけど、あまり仲が良くないんよ。」
 と返ってきました。
 確かに今でも、共産党と他の革新政党との間には、一線が引かれています。
 なるほどなぁと思うのは、僕には政治のそうした側面がよく分からないと言うことです。よく分からないので、政治にあまり興味が持てないのです。
 僕などは、国に必要な政党と、誰がどの政党に属するのかを、Aiに機械的に決めさせたらいい社会ができるのではないかとさえ思ってしまいます。

 当時の社会党は、野党だったとはいえ、たまに自民党の大物政治家が選挙で負けることもありました。
 僕が住んでいる地区では、自民党のホープだった麻生太郎さんが、社会党の多賀谷真稔さんに負けてしまいました。
 でも今では、その社会党の末裔である社民党は、ほぼほぼ消滅してしまいました。
 社民党の党首の話を聞いてみると、あまりに面白くないので、僕は、絶望的な気持ちになります。
 そう言えば僕の父は、社会党や共産党が政権を取れない理由として、
「まじめな人が多いと言われているんだけど、面白くない人が多いんよ。」
 と言っていました。
 まじめな連中が通用しないなんて、あっていいものだろうか?と当時思ったものですが、社民党や共産党の党首の話を聞くと、なるほどなぁと思ってしまいます。
 ユーモアは、その人の心のゆとりの現れであり、とても大切なものではないかと。


   
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