撮影日記 2025年9月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 25/9/27 シリーズ

 シリーズものの本と言えば、昔、あかね書房の「科学のアルバム」シリーズをたくさん読んだことを思い出しました。
 単独の企画ではなかなか取り上げられない、ちょっとだけマイナーな生き物が取り上げられているのが、魅力でした。
 シリーズになっていることで、全巻目を通したくなりました。
 その結果、普段自分があまり興味を持っていない、単独の企画ではなかなか手に取らないような生き物の巻でもつい読んでしまい、意外にそれが面白かった記憶があります。
 自然写真のカメラマンを志すようになってからは、商業出版ではメジャーではない分類群の生き物を撮影しているカメラマンの仕事を見ることができるのが、「科学のアルバム」シリーズの魅力に加わりました。
 「科学のアルバム」は、おそらく当時の百科事典ブームが可能にした企画であり、もしもそうであるとするならば、百科事典ブームは終焉していると思うのですが、生き物の本に関しては、シリーズには今でも意義があると思います。
 
 シリーズものの魅力を、いい意味での「玉石混交」の魅力だとするならば、僕が学生時代に夢中になって読んだ雑誌アニマの魅力は、まさに「玉石混交」の魅力でした。
 アニマ以降に登場した自然雑誌がそこまでブームにならなかったのは、「玉石混交」とは逆に、出版物として洗練されたものを作ろうとし過ぎたからではないかという気が、僕はします。
 アニマを、いい意味で玉石混交にしたのは、学問という視点であり、学者さんの視点だったように思います。
 自然系の出版関係者は、一般に、ちゃんと意見を言う学者さんが関わることを好まない傾向があります。
 学者さんは、本作りという観点からすると、不都合なことを言いかねないからです。
 でも、生き物の本に関して言えば、それは長い目で見ると非常に大切な視点であり、学者さんの指摘を排除しようとすれば、本の価値を下げてしまうことでしょう。
 自然写真の仕事がたいていの場合、自然の仕事であって写真の仕事ではないように、生き物の本は、自然に興味がある人が手に取るものであり、本に興味がある人が手に取るものではないからです。
 近年は、学者さんをメインにした出版が、次々と企画されるようになりました。
 それらの本の品質が非常に高く、話題にもなっていることを思うと、将来はもしかしたら、生き物の本を作る際に、誰を監修にするかが結果を大きく左右する時代になるかもしれません。

 僕が関わったシリーズと言えば、岩崎書店の「うまれたよ!」があります。
 ヤドカリやクラゲの繁殖など、普段本格的にカメラを向ける機会が少ないシーンを撮影し、今も、新たな巻の制作に取り組んでいるところです。
 ふと気になったのは、「うまれたよ!」以降に、どこかの出版社から、新たな生き物のシリーズ本が出てくるかどうかです。
 今の流れから判断すると、図鑑を除けば、少なくとも僕が引退するまでには、もう出てこない可能性も大いにあるでしょう。
 それを思うと、シリーズものに関わることができたのは、幸運だと言えます。



● 25/9/19 人の記憶

 先日、朝起きたら、目の白目の部分が真っ赤に染まっていました。そう言えば高校時代、世界史のK先生がやはり同じ症状になり、
「先生、目はどうしたのですか?」
と 聞いたことを思い出しました。
 K先生は、努力家でした。少しでもいい授業をするために、人生をかけている感じがしました。
 一方で上昇志向が強ぎて、同僚の先生方からは煙たがられる傾向がありました。
 その後、割と若くして亡くなられた、とどこかで聞きました。
 K先生の息子さんは、僕の弟の同級生で、子供の頃、時々うちに遊びに来ていました。
 僕も一緒に遊んだことがありました。
 息子さんは、先生とは逆に、控えめな印象を受けました。控えめなので、乱暴に扱ってはならないと思い、ウルトラマンごっこをした時にはウルトラマンキングに命名し、丁寧に接した記憶があります。
 それにしても、完全に忘れているつもりの人のことを、1つの出来事をきっかけに次々思い出すのですから、人の記憶って不思議ですね。
 もっと不思議なのは、工夫に工夫を重ねたK先生の面白い授業の中身を、僕は一切覚えていないことです。

 僕の白目が真っ赤に染まったのは、今回が2度目です。
 目はカメラマンの命。前回は、大病だったらまずいと病院に行きました。
 結果は心配するものではなく、毛細血管が切れたのが原因で、老化に伴うことが多いのだとか。
 その時に印象に残ったのは、
「同じ症状でもう2度と病院に来る必要はないよ。」
 と先生が妙に強く念押しするかのように2度言ったことでした。
 のちに、先生は癌で、余命宣告をされていたことを知りました。
 ああそうだったのか・・・多分、その日の診療のことだけでなく、先生がいなくなった後のことも少しだけ気にかけてくださったのでしょう。



● 25/9/18 スナガニ


NikonZ7U NIKKOR Z 17-28mm f/2.8

 海水浴の季節が終わったので、スナガニの写真を撮りに、砂浜に行きました。
 暑いので短時間にしておこうと思い日よけや飲料水を持たずに行ったら、とても長くなってしまいました。
「今日は手短に」と言いつつとても長い訓示をする偉い人たちの気持ちが、多少わかる気がしました。
 それでもやっぱり、偉い人たちの話は、なんであんなに長いのでしょう?
 昔高校で理科の講師をしていた時に、全校集会で校長先生が
「今日はみなさんに話したいことが5つあります。」
 と切り出した時には、絶望で気を失いそうになりました。
 5つも話を聞けるわけがないのに、暴動を起こそうとしない学生たちに、がっかりしました。
 この日記を読んでいる人の中にもしも校長先生がおられたら、話は短くしてあげてください。


NikonZ8 NIKKOR Z 17-28mm f/2.8

 さて、カニの巣穴の前にカメラを置くと、カニはしばらく穴から出てこなくなります。
 出てくるまでの時間は時によって違うのですが、昨日は時間がかかり一時間半も要しました。
 カニの場合は、いったん出てくると、通行人や鳥におびえて引っ込んでも、すぐにまた出てきます。
 遠隔地操作の撮影では、カメラをセットする時にいったん隠れた生き物は、カメラが大きいとなかなか出てこない傾向があります。
 昨日の場合は、図体が大きなZ8を使ったので、カメラの大きさが嫌われた可能性があります。
 大きなカメラには、あと1つ弱点があります。
 カメラが大きいと、当然カメラの影も大きくなり、影が画面に入らないようにするためにはかなりカメラを下げる必要があることです。
 上の画像の場合、画面に入らないギリギリのところに影があります。
 この手の撮影の難しいところは、その影が太陽の移動に伴って動くことです。
 カメラをセットする時にはちゃんと影を避けていても、1時間、2時間、3時間と待つ間に、影が画面の中に入ってくることがあります。
 広角レンズを使用した小さな生き物の撮影では、カメラが小さくなると影の影響が少なくなりカメラポジションが増えるので、別世界になります。



● 25/9/16 嘘


NikonZ8 NIKKOR Z 24-120mm f/4 S

 ミジンコ用の飼育水を作っている容器です。
 時々、通りがかりの人から、「何を育てているんですか?」と聞かれ、説明するのは難しいので困ります。
「メダカです。」
 とか嘘をついておく手もあるけど、1つ嘘をつくとさらに嘘が必要になったり、誰にどんな嘘をついたのか覚えておく必要が生じます。
 仮に一人一人を覚えていたのとしても、自分が予測しない人の結び付きがあり嘘がばれたり、嘘が広まって困ることも考えられます。
 人を欺いている人がいて、それが実は露呈しているのに嘘をついた本人は気付いていないケースは、僕も過去に何度か身の回りで経験があります。
 したがって、説明しても分からないだろうなと思いつつも、
「植物プランクトンです。ミジンコの餌なんです。」
 と答えます。
 今のところ、そう答えた全員に、ポカンとされました。


NikonZ8 NIKKOR Z 24-120mm f/4 S

 ミジンコ飼育水の内容は、浄水器を通した水に、発酵鶏糞を入れたものです。
 鶏糞の量は、飼育水30Lに30〜45グラムくらい。だし用の小袋などに入れて、水に放り込んでおくだけです。、
 ミジンコの餌が増殖して、ミジンコが爆増します。
 発酵鶏糞水は、ウーロン茶色でほぼ無臭です。
 最初に魚やカメの飼育水を少し加えておくと、植物プランクトンの増殖が早まります。

 このやり方のいいところは、とても安上がりなことです。また、手間も、大したことがありません。
 一方で、飼育水の状態は気象条件の影響を受けます。
 夏場は植物プランクトンの数が少なくなり、ミジンコの育ち方が悪くなります。
 時に、劇的にミジンコの状態が悪くなることもあります。おそらく気象条件等で、植物プランクトンが激減した時だと思います。
 販売されている「生クロレラ」などを餌として使用すれば、コンスタントにミジンコを増やすことができますが、コストがかかります。
 また、野外でミジンコがどんな風に暮らしているのかの想像ができなくなります。



● 25/9/15 画面構成



 一枚目の写真は、宮崎市にある「鬼の洗濯板」と呼ばれる岩です。



 そこからほんの少し横に移動して同じように撮影すると、「鬼の洗濯板」だった写真が、「磯の潮だまり」の写真になります。
 画面構成の違いです。

 画面構成は、写真の技術や知識ではなく、常識の話です。
 例えば、画面の中の一番目立つ場所に配置されているものが、その人が見せたいものです。
 写真に限ったことではなく、テレビの画面の中で、ひな壇の中の一番いい場所に配置されているタレントさんは、重要な人です。
 先日、ある出版関係者が、
 「腕に自信があるというカメラマンが売り込みにきたんだけど、下手くそでビックリした。」
というので詳細を聞いたら、被写体が端っこに写っていたり、小さく写っていたりしたのだそうです。
 別に被写体は端っこに写っていてもいいのだけど、その場合は、その端っこが画面全体の中で一番いい場所になっている必要があります。
 ただ、これがなかなか難しい。
 そしてそれが満たされていないのに、被写体を画面の端っこなどに配置してしまうと、その写真は、単なる下手な写真になってしまいます。

 画面の中の一番いい場所は、一般に画面の中央のやや手前ですが、他にも、相対的に明るい場所、色が強い場所、シャープに見える場所、目につきやすい形など多数あり、それらの組み合わせで決まります。
 生き物の写真を撮る人は、概して、画面構成をあまり考えない傾向があります。
 そうなる理由は、生き物の場合、撮影者が何を見せたいのかは明らかであり、画面構成が良くなくても十分に伝わるからです。
 例えば鳥が写っている写真なら、鳥の位置が悪くても、ああ、鳥の写真を撮ったのね、とわかります。
 つまり生き物のカメラマンは、画面構成を考える必要にせまられてないのです。

 ともあれ、何かを勉強して身に付けると、その分、何かが失われたり、分からなくなります。
 構図を勉強して斬新な構図にしたつもりが、その分常識が分からなくなり、ただの下手な写真になってしまったりします。
 他にも、生き物のことを知ると、それを知らない人の気持ちが分からなくなったりします。
 それを補うために、出版の場合は、編集者が存在するのでしょう。
 常識という角度から著者に指摘をして、正してくれます。

 ある編集者が若い頃一番最初に読んだ本を勧めてくださったので、買ってみました。
 いかに表現するかがテーマの本だけに、表現が実に巧みで、専門知識を得るための本である以前に、読み物として面白いです。
 本づくりにかかわる人以外に、視覚に訴える仕事をしている人にお勧めできます。
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● 25/9/13 明日できることを今日するな

 老化による体力の低下で、撮影したその日のうちに写真に目を通したり、画像処理することができにくくなってきました。
 特に野外で撮影した日は疲れがひどく、ちゃんと画像を見るのは、翌日に持ち越すことが多くなりました。
 最初は、だらしないなという思いがありました。
 ところがやがて、写真を見る楽しみがあることで、翌朝の目覚めがいいことに気が付きました。
 また、その方が画像処理が楽しいし、結果もいいと。
 ふと、大学時代の出来事を思い出しました。博士課程に属していた先輩が、先生から、
「おい、今日できることを明日に残すなよ。」
 と指摘された際に、
「先生、トルコのことわざに、明日できることを今日するなというものがありました。」
 と口答えして怒られた出来事でした。先輩は、洞窟探検のチームに属し、トルコの洞窟探検から帰国した直後でした。
 当時の僕は、先輩の話を、おもしろいけど、それは怒られるでしょうと思ったものでした。
 でも、年を取るにつれて年々、まんざら間違えではないかも・・・、と思う気持ちが強くなり、最近では、結構まじめにそう考えるようになってきました。
 特に生き物の研究とか写真撮影みたいな活動の場合は、発想の自由さとか閃きみたいなものが不可欠であり、その場合、がんばらないことも大切だからです。
 先輩からすごく重要なことを教わったのではないか、と今更ながら感謝の気持ちが込み上げてくるようになりました。
 それにしても僕の場合、学校の出来事で今でも継続して考え続けていたり影響を受け続けているのは、社会が学校で意図して学ばせようとしたことではないことばかりです。
 そこでたまたま起きた出来事、つまり社会の意図よりも、偶然の方に大きな影響を受けています。
 
 

● 25/9/12 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。



● 25/9/11 新製品の話

 OMシステムから新製品の望遠ズームレンズが発表され、久しぶりに、予約という形で注文をしました。
 以前は、生き物仲間のN君がカメラ屋さんに勤めていた関係で、新製品は、N君を通して予約をして買っていました。
 単に物を買うというよりは、N君に注文の連絡をしたり、会いに行くことを兼ねて、札束を握りしめてお店に受け取りに行くのがなんとなく楽しかったのです。
 その後、N君が転職してからは、予約という形ではあまり買わなくなりました。
 近年は、新製品が発表されると、一時的に人が殺到して品切れになり、次回の出荷は数ヶ月後などというケースがよくあります。その喧騒に巻き込まれる感じがあまり好きではなくて、むしろ物は発売後時間が経って落ち着いてから買うようにしていました。
 ただ今回の新製品に関しては、僕にとって最も使用率が高いスペックのレンズだったので、早く購入することにしました。
 今愛用している同じくOMシステムの 40-150f2.8 との大きな違いは、手振れ補正が採用されたことです。手振れ補正は撮影を劇的に有利にするので、どうせ買うなら早い方がいいのです。

 問題はお金が、かなり足りないことです。
 金作に関しては、今使用している 40-150f2.8 は比較的高価なレンズなので、それを手放せば、それなりに足しになることでしょう。
 また新製品の性能が圧倒的だった場合は、 さらに 300mmf4 も不要になることも考えられます。
 300mmf4 まで追加して手放せば、おそらくお金の問題は解決できるはずです。
 ただ、使ってみたら新製品が気に入らないケースも考えられるので、それらのレンズを手放すことができるのはまだまだ先。
 当面、二本のレンズを質に入れたつもりで、不足するお金は、自分銀行から借りておくことにしました。
 
 

● 25/9/9 ボルトの話



 真下を見下ろすように撮影する俯瞰撮影用の三脚が、ちょうど使用中であいてなかったので、手持ちの道具を組み合わせて、臨時の俯瞰三脚を準備することになりました。
 俯瞰撮影の場合、三脚全体のバランスが悪くなり、倒れてしまうことがあるので、まずは三脚の脚にウエイトを取り付けることにしました。
 ところがウエイトの取り付け金具のボルトを緩めようとしたら、折れて、頭が取れてしまいました。
 まあ、一本くらいいいやと思ったら、なんと、他のボルトも同様に。多分錆びて、緩められなくなったのでしょう。
 ほんの数分で終わるはずのウエイトの取り付けが、修理に結構な時間を取られました。
 道具は壊れないのが一番、としみじみ感じました。

 さて、どうやって修理しようかと考えたあげく、まずは、折れて穴に残ったネジの上からドリルを差し込みました。
 次に、折れたボルトは4ミリ径のものだったので、M4のタップをねじ込んで、再度ネジを切りなおす感じで修理しました。
 ウエイトは、僕のことなので、多分安価なものを買ったのでしょう。それゆえに、品質の悪いボルトが使用されていたのでしょう。
 安物を買った場合、締めたり緩めたりするネジに関しては、いいものに変えた方が、後々トラブルが少なくて済みます。
 でもそもそも、どんなに安価な製品でも、可動部のネジだけは、いいものを使って欲しいものです。
 折れたボルトと同じサイズの手持ちが1本足りなかったので、ホームセンターに買いに行ったら、Nには、M4、20mm、六角レンチで締めるタイプのボルトが売られていませんでした。
 しかたがないのでGに行ったら、それだけ売り切れていて、暴れたくなりました。
 結局、通販で買うことになりました。
 ボルトに限った話ではなく、巨大な店舗に、
「なんでこの程度のものがないの?」
 とガッカリさせられるのは、僕の場合、割と良くあることです。
 できたら、近くのお店で買いたいのですが・・・。
 
 

● 25/9/1 新しいものごと



 7月に注文したGODOXの新製品iT30のOM用とニコン用が届きました。
 iT30が発表され、その後最初に出荷されたのがソニー用でした。僕が欲しかったOM用とニコン用は、いつ手に入るかが分からない状態でした。
 ソニー用の次が、多分フジ用とキヤノン用かな?
 最後がOM用とニコン用で、代理店から8月末に出荷されました。
 僕が写真を覚えた頃なら、その手の商品で一番最初に出荷されるのは、当時世界の報道の95%を占めていたニコン用だったことを思うと、時代の変化を感じます。
 ニコンが他社に追い抜かれる原因になったのがオートフォーカスの性能の差でした。
 手動でピントを合わせる時代が終わりオートフォーカスが普及しはじめたというのに、キヤノンの製品に全く歯が立たないくらいの差をつけられていました。
 ようやくニコンのオートフォーカスがキヤノンと遜色なくなった頃、今度はカメラのミラーレス化が始まり、ソニーが台頭してきました。

 さて、iT30は、GODOX製のストロボをワイヤレスで発光させるコントローラーであると同時に、自身もストロボとして光ります。しかも、ハイスピードシンクロが可能です。
 僕のストロボの選び方を大きく変えたのが、Aiによる高感度ノイズ除去の普及でした。
 自然光の撮影で高感度と高速シャッターを当たり前のように使うようになると、当然、ストロボを使用する場合にも高速シャッターを使いたくなり、ストロボを選ぶ際にはハイスピードシンクロが可能な機種になりました。
 また、isoオートを使うようになると、以前は手動で、カメラの感度に応じてストロボの発光量を決めていたのが、カメラ任せで、TTLオートで発光させるようになりました。
 最新の機能は、言うまでもなく撮影者を楽にするためのものですが、それはそれなりに使いこなしがあるのが常。ストロボのオートも、慣れやコツを習得する必要がありました。
 
 ともあれ、年を取ってくると、そうした新機能についていくことが段々むずかしくなってきました。
 ああ、こうしてやがて分からなくなるんだろうなぁ、と最近よく思います。多分、新しいもの好きくらいになっておいた方がいいんだろうなと。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2025年9月分


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