撮影日記 2025年6月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 25/6/29 核家族

 ちょうど家の前を通りかかった母から、病気の治療をしている父の体の具合に関して少し話しを聞きました。
 両親の住まいは、うちからは、徒歩で行き来できる距離にあります。

 家族や一族はある程度近くに住んでいた方がいい、というのは、最近僕が感じるようになってきたことです。
 以前はむしろ、そんなことにこだわるのがいやでした。子供の頃、学校の授業をほとんど聞かなかった僕が、
「おお!そんな時代が来るのか」
 と興味を感じた数少ない教科書の中の言葉は、中学社会の『核家族』でした。
 僕は、少なくとも中学生の時には、当時の日本の主流だった大家族制にいいイメージを持っていませんでした。
 さすがに大家族制度に戻すべきだとは今でも思わないけど、近くに住むのはいい方法だと感じるようになりました。

 きっかけになったのは、身の回りの年配の人たちの姿でした。
 年を取ると、おそらく多くの人が若い頃に想像していた以上に人手が必要だということ。
 そしてその場合、親族は、お互いに関係が悪くなければ、ありがたい存在になること。
 年を取ったらホームに入居する予定だった人でも、いざその年齢になると、なかなか踏ん切りがつかないなどの様子を、みなさんが見せてくださった結果でした。
 子供が住んでいる土地に、親が年を取ってから引っ越すケースも何例も見ました。
 しかたがないけど、年を取って引っ越しをすると、身の回りに知り合いがいなくなってしまいます。
 親族の距離も含めて、地域のコミュニティーはなるべく壊さない方がいいと感じるようになりました。



● 25/6/27 奥只見

 目の前のことを考えたくない時にいつもすることと言えば、渓流釣りの番組を見ることです。
 僕にとって渓流釣りは子供の時に夢中になった夢であり、渓流釣りの思い出は、今の暮らしとは被らないからです。
 中でも好きな番組は、このシリーズです。
https://www.youtube.com/watch?v=KfkS5sUPdjU
 ユーチューブに投稿されている釣り動画には、それを見た人が同じ場所に押し寄せる結果、良からぬことが起きてしまう懸念が付きまといがちですが、上記の動画はなかなか真似ができるものではない点でも、夢中になってみることができます。
 この動画をもしも子供の時の僕が見たならば、興奮で気が狂ってしまったことでしょう。

 動画の中に出てくる奥只見の恋ノ岐川は、釣りキチ少年だった僕の憧れの地でした。
 下流には銀山湖とも呼ばれる奥只見ダムがあり、当時から、大イワナの生息地として知られていました。
 銀山湖やその周辺の渓流を有名にしたのは、釣り好きだった作家の開高健さん。
 開高さんとその釣り仲間たちは、進駐軍の兵隊さんのために輸入されたルアーを駆使して、次々と大イワナを釣り上げたのでした。
 当時銀山湖に通っていた開高さんの釣り仲間の一人だった常見忠さんが開発し、開高さんの著作の中にも出てくるたルアー・バイト13グラムは、当時の僕の憧れのルアーでした。
 僕は奥只見に行ったことがないのですが、東日本取材の際に「銀山湖」の名前が記された道路標識を見た時には、実は、目的の生き物を見つけた時以上に最高に胸が高鳴りました。



● 25/6/23 運を天に任せて

 運を天に任せて待つしかない出来事が身近に起きました。
 出来事に気持ちを取られてしまった時に、僕の場合、真っ先にできなくなるが『公』にかかわることです。
 例えばプライベートなこの日記を書くことはできても、本の原稿を書く、つまり公である仕事はできなくなりがちです。
 僕はそんなタイプなので、日頃から、何かあった時に自由に振舞える立場を選んでいて、その一例が生き物のカメラマンだったとも言えます。ただ単に生き物の撮影の仕事がしたいわけではなく、自営でありたいのです。
 中には、僕とは逆に、仕事をすることで、つまり社会との接点を持つことで平常心が保たれる人もおられることでしょう。
 ふと、昔高校で理科の講師をしていた時のことを思い出しました。
 お父さんを亡くした直後の学生さんが登校していたので、驚いて担任の先生に話しを聞いてみたら、
「学校に来た方が忘れられることもあるみたい。」
 と教えてもらいました。
 
 ただ僕でも、何もしない時間が長いと考えてもしかたがないことを考えがちなので、何をしたらいいのだろうと探ってみました。
 すると、6月の中旬以降にやっていたことの中で今でもできやすいのは、持ち物の整理でした。
 いつもは、整理をして不要になったものを売ってしまう際に、荷物を梱包して宅配業者さんにもっていくのがあまり好きではないのに、今は不思議なことに苦になりません。
 ただ1つ違うのは、物を売る際の値段のつけ方です。インターネット上で個人が販売サイトを利用して物を売る際には定額形式とオークション形式とがありますが、今はオークションが何だか嫌で、すべて定額制にしています。
 どう転ぶかわからない出来事が起きている今、気持ちが安定や確定を求めていて、幾らで売れるかがわからないオークションを拒否しているのかもしれません。



● 25/6/19 いい時代


 先日、どこかで偏光グラスを紛失して予定外の出費があったので、それを補填するためにいくつか物をオークションに出品して換金しました。
 とは言え、同じようなことは過去に何度かやっていて、もはやパッと考えて手軽に換金できそうなものは、現役の撮影機材を除くと、思いつきません。
 そこで、まとめてドカッと置いてある釣り具を細かく精査して、その中に取り残された価値があるものを探しだしました。
 出品には、単なるお金の補填以外に、物を減らす意味もありました。
 というのは、去年の春に引っ越しをした際にあまりにも物が多くて、もはや今から機会あるごとに使わないものを処分しておかなければ、僕が死ぬまでに間に合わないと感じたからです。
 今回の釣り具に関しては、まずは思い入れが強いものを一通り選びだして小箱に納め、残りに関しては思い残すものがない状態にしました。
 今日の画像は、その中でルブレックス社製のルアーを収めた小箱です。
 今見てもやっぱりルアーは魅力的でなので、自分で整理をすれば処分と言えども有意義な時間になります。
 
 換金することにしたルアーの汚れを取り除いたりしていると、古い製品の方が塗装が剥がれにくかったり、細工が壊れにくい傾向があります。
 特に僕が小学生〜高校くらいの間に作られた製品は、とても丁寧に作られている印象です。
 子供の頃の僕が、ルアーの沼にはまったはずです。
 その後の、多くのメーカーが製造を手抜くようになった時代なら、僕はもしかしたらそこまでルアーに熱中しなかったかもしれません。
 ルアーで魚を釣るということに関しては、『いい時代』を体験したわけです。



● 25/6/18 当たり前のこと

 去年だったか一昨年だったか、もうちょっと前だったかに、
「千葉先生が亡くなったって本当?」
 と大学時代のT先輩から電話があり、久しぶりに話をしました。
 T先輩は、僕とは高校は異なるものの同郷で、学生時代を通じて、この人に出会えてよかったと今でもその立ち居振る舞いを思い出す人の一人です。
 社会人になってからも、福岡から山口まで子供連れで恩師のお宅に遊びに行くような人情に厚いタイプだっただけに、恩師の訃報にどこまでもさみしそうでした。
 先輩の話を聞きながら、僕はふと、学生時代に千葉先生から聞いた話しを思い出しました。
「みんな花が枯れないように、時には科学技術を駆使したりいろいろなことをするけど、俺は、花は枯れるからいいと思うんだよな。」
 という、たしか授業中の話でした。
 生き物がいずれ死んでしまうのは、当たり前のこと。
 ところがその当たり前のことが、多くの人にとって、時に、耐えられないんじゃないか?と思えるくらいにつらいことだったりします。
 それに対してどう振舞うかは人それぞれですが、科学は、人によってはまったく役に立ちません。
 なぜなら、科学は何が当たり前か追求する学問であり、『当たり前』が受け入れられない人には解決にならないからです。
 医療みたいな科学技術の力でできるのは死を先延ばしすることであり、死そのものをなくすことはできません。
「花は枯れるからいい。」
 に限らず、千葉先生は、日頃から当たり前を受け入れることを重視しておらる印象がありました。

 生物学者には2つのタイプがあります。
 1つは生き物が好きな人、あとの1つは科学が好きな人です。
 その点千葉先生は後者であり、生き物愛好家というタイプではありませんでした。むしろ、生き物愛好家型の人を好まない感じさえありました。
 ところが千葉先生の研究室には、不思議なことに生き物愛好家タイプの学生がよく志願してきました。
 それがなぜなのか、僕は学生時代から興味があったのですが、今は、先生が当たり前を受け入れることを重視しておられ、そこに生き物愛好家との共通点があったから、と理解しています。
『当たり前』は言い換えると『自然』であり、千葉先生の当たり前を受け入れる姿は、自然を受け入れる姿だからです。
 少なくとも、僕が千葉先生に影響を受けたのは、そこでした。
 医療や最新の科学技術等、人が自然に逆らう行為を全否定するつもりはないし基本的に尊いことだと思っているけど、最後は自然を受け入れられるようになりたいと思うのです。
 
 

● 25/6/16 典型

 苦心しているミジンコの孵化の撮影は、ちょうど一ヶ月ほど前に、まぐれで一応写真が撮れた以降は、なんの結果もでない日々が続いていました。
 成果が上がらなかった要因は、まずは気温が高くなってきたことでした。
 季節が進み孵化に適した水温を超えはじめたことは、元々孵化率が低いミジンコの撮影においては重大な問題であり、小型の水槽用のクーラーを購入することにしました。
 購入したら次は、クーラーが使用できるサイスの撮影用水槽を作る必要がありました。
 これは、設計がめんどうな上にさらなる出費があるので、もうやめた方がいいんじゃないか?という気がしてきました。
 特に自作の場合、物を作ったものの設計が悪くて使えなかったというケースがままあり、作り直しで当初の自分の予算以内に収まらないかもしれないという恐怖が付きまといます。
 がしかし、ここでやめると約3万円のクーラーが意味をなさなくなります。
 一層のことクーラーは「未使用」の状態でメルカリにでも出品してしまおうかと散々悩んだあげく、特製水槽を準備しました。

 その新兵器を使った最初の撮影では、なんの成果も上がらず、実にがっかりしました。
 卵をチェンジした次も同様。
 ところが、新兵器導入後3度目の試みが進行していた昨日、撮影水槽内をミジンコが泳いでいることに気付き、自動撮影したカメラの画像をチェックしてみると、孵化の様子がいちおう写っていました。
 さらに細かく画像を見ていくと、なんと、今回は3匹もの個体が生まれていたことがわかりました。
 冷や汗をかいたのは、3匹のうち最初の一匹の孵化は12日で、残りの2匹は13日だったことです。数日前の出来事であり、僕は見落としていました。
 失敗が続くと、どうせまたダメだろうという気持ちになりがちで、見落としが多くなります。
 写真としてはややピントが怪しいのですが、今回は孵化の様子を3パターン見ることができ、どんな風に子供が出てくるのが典型なのかがおよそ見えてきたのは大きな成果と言えるでしょう。
 武田晋一の観察日記的な本の場合は、僕が見たものを素直に見せればよく、それがミジンコの孵化としては例外的だったとしても構わないのですが、科学物の場合、典型的なパターンを知っておく必要があるからです。
 生物学の学生時代、研究結果の解析の際に、ただ結果を羅列するのではなく典型を抜き出しなさいとよく指導されたものです。
 一方で日本を代表する自然写真家である岩合光昭さんは、自分が見た現象が典型なのか例外なのかではなく、自分がおもしろいと感じたものを現すことを主張しておられます。
 エンターテインメントとしての写真です。 



● 25/6/12 終了

 今年の春に撮影を依頼されたシーン、つまり来年の春に出版される書籍用の写真撮影が、ほぼほぼ終わりました。
 3月末からの脇目も振らずに撮影する繁忙期の終了です。
 写真に「仕事」も「趣味」も「プロ」も「アマ」もないと思うこともあるけど、やっぱり仕事はつらいなぁと改めて思いました。
 今年は1つどうしても現象を再現できず撮影できなかったシーンがあり、その旨を伝えて、ギブアップしました。
 ギブアップしたのは、今年の春に引き受けた仕事の中では唯一生き物に細工を施すことなくありのままに撮影できるシーンで、それゆえに一番おもしろそうだなと思っていた撮影だったのですが。

 時間にゆとりができたところで、まずは、3月末からの約二ヶ月間に貯めてしまった画像の整理をしようと思ったら、まったくやる気になれないのであきらめました。
 かといって積んでしまった書類の山は、さらに整理をする気になれません。
 ならば、適当にどこかに行って適当に写真を撮ろうかと検討するも、自由になったとたんに体調がイマイチなのが困ります。
 どうも無気力症候群を発症してしまったようです。
 

 
 今一番やる気になれることは何かな?といろいろ試してみたら、生き物の世話関連の作業なら苦にならない感じがしたので、魚の飼育水槽の手入れをしました。
 撮影に追われ、定期的な水替えを長い間パスしてきたので、まずは水替えです。
 水槽の水替えはあまり好きではないはずなのに、今回は妙にやる気になれたのは、人の気分の面白いところです。
 水替えの最中に電話がなり、荷物が届いたというので、運送会社の営業所に受け取りに行きました。
 届いたのは水槽用のガラス蓋。それまで使用していたポリカーボネート製の蓋が反ってしまうので、ガラスを注文していたのです。
「アクリルよりも反りにくい」と販売されていたポリカーボネイトの蓋は、結構高かったのですが・・・水槽の蓋はガラスに限ります。
 ガラスは、コーワガラスでサイズや種類を指定して、購入しています。
 今回は、ガラス特有の緑色が薄くより透明に近い高透過ガラスを注文しました。



● 25/6/9 出費

 今年引き受けた仕事の1つに時間がかかり過ぎ、コストだけならまだしも僕の日当分も加味すると赤字の様相を呈してきました。
 しかたがないので当分節制しようと心に決めた直後、どこかで偏光グラスを紛失したことに気付き、さっそくの出費で、ほんとうにガッカリです。
 客観的に言うと、だから?という程度の話ですが、せっかく仕事をしたのに赤字やなとガッカリしているタイミングであり、たかがしれたことが妙に堪えます。
 SNSで何度か、同業の方が機材を落として壊した話を見たことがあります。
 僕は出費系のアクシデントにとても弱いので、万単位の修理費を考えると他人事ではなく、みんなよく発狂しないなとみなさんの精神力に驚かされます。

 偏光グラスは、水面の反射を抑える働きをします。
 したがって、水中の生き物を観察する際に有効です。
 また川を歩いて横切る時には水中がよく見えていないと危ないので、偏光グラスは必須アイテムです。
 せめてもの救いは、偏光グラスは消耗品であることです。
 そして僕が紛失したものは、新しいというわけではありませんでした。
 でもできたら、仮に新品を買ったとしても古いものも残しておき、古い方は車に積みっぱなしにしておけば、偏光グラスの積み忘れや現場でなくしてしまった時に使えるし、僕はそうしてバックアップをすることを日ごろ重視しているので、やっぱりガッカリです。
 それにしても、どこでなくしたのでしょう。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね・・・」
 という映画『人間の証明』の中の有名な台詞が、頭の中で何度も何度も繰り返されます。



● 25/6/7 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。
今回は、絵になる場所ではないけど、思い入れが強い場所に行ってみました。



● 25/6/6 撮影の待ち時間

 ここのところアリを撮影したくて何度もトライしているのですが、撮影したい現象を見ることができず、合計すると膨大な待ち時間になってきました。
 そんな待ち時間にすることと言えば、見通しが良くて人が少ない場所なら、付近で何か被写体を見つけて写真を撮るのが僕の場合ベストです。
 撮影中は時間を忘れるので、待ち時間が苦になりません。
 また、見通しが悪い場所や人が多くてセットしてある機材から離れると盗難される恐れがある場合は、機材の改善をします。
 現場で道具をいろいろ試して、よりよいセッティングはないかと探ります。
 今回は、その過程で、ストロボをカメラの右側や左側に保持するアームが欲しいなぁと思いました。
 カメラの右側とか左側とか横から光を当てたい場合、今まではレンズの先端にねじ込むリングタイプのストロボ保持システムを使用していました。
 でもリングは、レンズの前方が重たくなりバランスが悪くなる、レンズを交換する際にリングも付け替えなければならないなどの点がどうしても性に合わず、僕の機材の中で一軍と二軍を行ったり来たりしている状態でした。
 今回準備したアームは、果たして一軍に定着してくれるでしょうか?
 それはともあれ、アリは撮影できないのに、機材だけがどんどんグレードアップしています。

 購入したアームは、歯医者さんが歯の写真を撮るために設計されたGODOXのストロボ用アーム・MF-DBです。
 可動部に適度なテンションがかかるように作られていて、ネジを緩めたり締めたりしなくても可動部を動かすことができます。

 アマゾン
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 カメラバッグに入れてみたところ少々嵩張るので、野外では、常に持ち歩くというよりは、これがどうしても欲しい時に限定的に使う道具かなと感じました。
 一軍ではあるけど、補欠的な存在です。
 僕の場合、左右両方のアームを同時に使うことはなく、片側だけでいいので、より嵩張らないブラケットに、一番肝になるパーツを移植してみました。
 これなら、日常的に持ち歩いてもいいかなと思える嵩に収まります。
 これで一軍のレギュラーとして活躍してくれるかもしれません。





● 25/6/1 影響を受ける

 昆虫写真家・海野和男先生のインターネット日記 『小諸日記』 が終わってしまうのだそうです。海野さんは決して終わらせたいわけではないけど、残念なことに、小諸日記のデータがあるサイトが今月終了してしまうからだとか。
 
 さて、僕のこの撮影日記は、海野さんの小諸日記を真似たものです。
 昔、こんなことを始めたんだと海野さんから小諸日記の話を聞いて、当時はインターネットが普及していなかったので、僕にはなんの話かほとんどわからなかったのですが、やがて自分も同じようにやってみることにしました。
 分からないなりに海野さんの話が一応頭に残ったのは、大学生の時にコンピューターが得意な先輩がおられ、
「パソコン通信っていうのがはじまるんよ。それが実現したら世の中変わるよ。」
 と時々話しておられたから。
 海野さんの話は、あれと関係あるのかなと思いました。
 パソコン通信は、現在のインターネットへと進化をしました。
 僕自身は新しいものが決して得意ではないけど、新しいものを取り入れるのが得意な人の影響を受け、自分もそれを取り入れるやり方です。
 僕は極めつけに人付き合いが悪いのですが、影響だけは受けるので、言うなら、誰かが何かをやっているのを影からこっそり見ていて真似をするタイプなのです。
 人の影響を受けて始めたことがやがて不可欠になることは多々あり、どんなに付き合いが悪くても、最低限、人の影響を受けうる環境に身を置いておくのは、きっと大切なことなのでしょう。

 実は字を書くことが大嫌いな僕が、インターネットなら、こうして記事を更新することが苦にならない理由は、キーボードで文字を入力するのが苦にならないからです。
 そしてキーボードのブラインドタッチを覚えなさいと言ってくださったのは、大学生の時にパソコン通信の話をしてくださったM先輩でした。
 「これ練習しとき。」
 と、ディスクに入ったタイプの練習用のアプリ・タイプクイックを渡してくれました。
 僕の場合、インターネットで発信をすることはお金にはなっていないし、仕事の宣伝という面でも不可欠というわけでもないのですが、写真活動をするような者は、そんなこと抜きに発信をするのも大切なこと。
 それをはじめる大きなきっかけの1つが、大学生の時に、たまたま同じ研究室におられた先輩だったわけです。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2025年6月分


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