撮影日記 2025年4月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 25/4/29 機材とお金

 昨日は雨が降ったので、予定していた撮影ができなくなりました。
 今の時期は季節ものの撮影依頼が多くて、予定がずれこんでしまうと、簡単には振り替えることができないのが悩ましいところです。
 そんな時に真っ先にすることと言えば、自分のテーマとして取り組んでいる撮影を中止し、そこにずれこんでしまった撮影の予定を入れることです。
 そうした変更は今年に限った話ではなく毎年おきることなので、4〜5月は、自分のテーマとしての撮影を完結できた試しがありません。

 さて、雨でぽっかり空いてしまった時間をどうしよう?と考えてみました。
 雨と言えば、カタツムリやナメクジが思い浮かぶのですが、昨日は気温が低くて、おそらく活動していないでしょう。
 そこで、水辺の景色を撮影しようと、ちょっとばかり遠くのため池に行ってみたら、一番重要なレンズがカメラバッグに入っていませんでした。
 ああそうか!
 雨が降らなければ仕事をする予定だったので、重要なレンズを仕事用のカメラバッグの中に入れたのでした。
 しかたがないので、持ってきたレンズで撮影できるものにカメラを向けることになりました。
 昨日撮影した写真は、4月分の今月の水辺で紹介するつもりです。

 風景を撮影したので、買って間もない三脚を使うことになりました。
 車が、物をたくさん積める軽バンから普通の形の車に変わったので積める荷物の量が少なくなり、複数本使い分けていた三脚類を万能な一本に変更したのです。
 新たに買ったのは、アマゾンやユーチューブで好評だった中国の無名メーカーの製品ですが、使ってみると、脚の出方がややスムーズではなく、許容範囲ではあるけど、気に入る感じではなくちょっとだけがっかりしました。
 あと一万円出せば、使いなれたメーカーの品質がよく分かった製品を買えたのですが、一万円をケチった結果、損をしてしまったかもしれません。
 ああ、たくさんお金があればなぁ・・・誰かお金をください、と切望する残念な瞬間です。
 とはいえ、カーボンのそこそこ大きな三脚を2万円台前半で買えるのは、昔の感覚では信じられません。
 どこかにそれなりのコストダウンがあるのは仕方がないこと、と自分に言い聞かせました。
 機材にどこまでお金をかけるかは、実に悩ましい問題です。
 今回の場合も、このあとまとまった量の振り込みがあったりすると、こんなことならいいものを買っておけばよかった、となるし、逆に経済状況が困窮すると、多少使いにくくても節約しておいて良かったということになったりもします。



● 25/4/23 運転



 用事に間に合わうように帰宅したくて高速道路を走行していたら、ふと気づいた時には割と近い距離に工事による一車線規制がせまっていて、ひやっとしました。
 急いだらいつか事故するなと、間に合わせようとするのをやめました。
 ちょうど車が新しくなり走行性能が良くなったのも、それを助長していました。
 細道に入り込んで撮影する時に使う軽自動車を、バンタイプから、普通の形の車に乗り換えたところ、スイスイ走るのです。
 軽バンは、軽自動車としては荷物をたくさん載せられるし、車内泊も苦ではありません。
 一方で、エンジンの上に座席がある構造は、エンジンの熱で暑い、音がうるさい、燃費が悪い、物のわりに高価などの代償があり、今回はボンネットがある普通の形をした車を選んだところ、燃費や熱の問題以外に走行性能があまりにも違いました。
 それはともあれ、時間に間に合わせるなどの社会的な圧力は、社会人である限り無視はできないし、約束を平気で破る人を僕は好きになれませんが、まともに受け止めすぎると、それはそれでろくなことになりません。
 僕の場合、運転で一番ヒヤッとする機会が多いのは、期限にゆとりがない撮影で、それをなんとかしようと焦って車を走らせながら被写体探しをしている時です。
 事故をおこしてからでは遅いので、期限にゆとりがない仕事は断るようにしようかと毎回思うのですが、一方で、撮影を依頼する人にはそこまで想像ができないだろうから、断るのは冷たすぎるかなとも考えてしまいます。
 ふと生物学の学生時代のY先輩の言葉を思い出しました。
 がんばってためたバイト代でようやく買ったジムニーをのんびり走らせなら、
「車を飛ばしてちょっとばかり早く着いたくらいで何にもならない」
 とよく言っておられたのです。
 30年近くたって思い出すのは、その言葉が当時の僕の心にしっかり刺さったのでしょう。



● 25/4/20 しかけ

 子供の頃に、『しかけ』を採用した本にワクワクした思い出があります。
 うちにあった本の中には、ページを開くと複雑な立体物が立ち上がる、ある種の芸術と言っても言い過ぎではないような仕掛け本もありました。
 写真で生き物を紹介する本の場合は、そこまで複雑な仕掛けは見たことはありませんが、単純なしかけなら、そのための写真撮影を時々引き受けることがあります。
 写真でしかけを作る場合、カメラマンが自然に撮った写真が要件を満たすことはほぼないので、撮影の前に設計図的な見本を受け取り、その通りになるように写真を撮ります。
 物を配置して生き物を所定の場所に置いて、撮影するわけです。
 他の写真のジャンルで言うなら、状況を作って撮影するのは、商品撮影とかポートレート撮影などに近い感覚でしょう。
 
 さて、今日は、そのしかけ用の写真を撮影しました。
 その手の写真を撮る時に毎回思うのですが、作る写真を好きか?と言われれば、僕の好みではありません。
 一方で、作ることができる技術自体は、とても大切なことです。
 なぜなら、よりよく作るためには、どんな写真がいい写真なのかがよく理解できていなければならないからです。
 人が、「ああ、気持ちがいい。」と感じるのはどんな写真なのか、言語化できていなければならない、と言ってもいいでしょう。



● 25/4/15 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。

 もうずいぶん前のことですが、今月の水辺に関して、ある編集者から、
「毎月たくさん撮る写真の中から一枚を選ぶのって大変でしょう。何かを選ぶってすごくエネルギーがいると思うんです。」
 と言われたことがありました。
 その時に自分が何と答えたかは記憶にないのですが、僕の場合はむしろ逆で、今月の水辺を更新しようとすると、これぞ!という一枚が見当たらないことの方が多いです。
 その編集者が「インスタグラムを始めました」と教えてくださったので見てみたら、いろいろ楽しそうなことをしていることがわかりました。
 ところが意外にも、投稿することがなくて100件投稿したらやめる予定なのだそうです。
 投稿することがないのは、僕が今月の水辺の写真を選ぼうとしても、これぞ!という写真が見当たらないのと同じなのかもしれません。
 僕の場合は、今月の水辺を撮影するための時間を、わざわざ作ることにしています。
 その時間を自分のテーマと一致させることができれば、今月の水辺を更新することが、1つのテーマで撮影を続けることに結びつきます。



● 25/4/14 本と写真



 パッとページを開いてみて、
「ああ、写真がいいな!」
 と感じたのが第一印象でした。
 写真を担当したのは亀田龍吉さん。僕が大好きなカメラマンの一人です。
『季節のざっそう 探検帳』 の著者は飯田猛さん。身近な植物に関する楽しい小話を集めた本です。

「亀田さんの写真いいな〜」
 とページをめくりながら眺めていると、ふと中学生の時の出来事が思い出されました。
 ある日父が、山と渓谷社のハンディー図鑑(山渓ハンドブック)の 『クワガタ』 を買ってきてくれたのですが、その写真の品質がとても高くて驚かされたのでした。
 撮影を担当したのは栗林慧さんでした。
 うちにあった他の虫の本と比較をすると明らかに写真の品質が高くて、別次元の仕上がりになっていました。
 当時の僕は、これだけ立派な写真が使われているのだから、この本高かったやろう、と父に感謝しました。
 実際には、写真の使用料は写真を使用するサイズや使用目的で決まり、写真の品質で決まるわけではないので、本の定価も、写真の品質とは無関係に判型やページ数などで決まるのですが。
 その時の経験は今でも僕の中に生き続けていて、出版社は、どうせ同じギャラを払うのなら腕のいいカメラマンを選ぶべきだし、カメラマンは、そうなった時に自分が選んでもらえるように努力をすればいいというのが僕の基本になっています。
 
 現実には、本を作る際に写真を選ぶ立場にある人の中には、写真の良し悪しをあまり重視しない人もたくさんおられます。写真は、ある程度以上ちゃんと写っていればそれで十分という考え方です。
 それはそれで理解できるし、その方が、僕だって気が楽です。
 でも撮影が楽しいのは、僕の場合は、ちょっとでもいい写真を撮りたい、と夢中になっている時です。
 写真の品質をどれくらい重視するかは、写真が好きかどうかに大きく左右されます。
 そういう意味では、 『季節のざっそう 探検帳』 の著者の飯田猛さんは、大の写真好きです。
 一冊の本を評するにもいろいろな観点がありますが、写真という観点から言うと、この本は、植物写真の撮り方、使い方の教科書になりうる本と言ってもいいでしょう。
  
 

● 25/4/8 自然のおもしろさ

 自分がカメラを向けている現象が、なかなか教科書通りにならない。
 これは、自然写真の中でも科学物の撮影を仕事にしている人が、必ずと言ってもいいくらいに思い知らされることです。
 例えるなら、説明書の通りにやっているのに、説明書の通りにならない感じです。
 そこで、教科書通りの写真が撮れるまで、何度も何度も撮影を繰り返すことになります。
 そんな馬鹿な!なぜ?と感じられる方もおられるでしょうが、科学が導き出す結論は全体の傾向なので、個別の案件に関してはそうならないことが多々あります。
 例えるなら、日本人の男性の平均身長が○○○pだとしても、○○○pの人を探すのは意外に難しいのと同じことです。
 あるいは、新型コロナのワクチンが効くと言われても、それは統計上の話で、ワクチンを打ってもコロナにかかる人もいれば、ワクチンを打たなくてもかからない人がいるようなことです。
 全体の傾向である科学は、国の方針を決めるような際には適します。
 一方で、それはあくまでも全体の傾向であり必ずそうなるわけではない、と理解しておかなければ、物事が科学の教科書通りにならなかった時に、特にそれが自分に降りかかってきた時に、陰謀論みたいなものにはまってしまう危険性があります。
 
 ともあれ、僕は、教科書通りにならないところに、自然の面白さを感じます。
 というよりは、教科書通りにならないもののことを、自然と定義しています。
 したがって僕にとって、科学の面白さと自然の面白さは、被るけど別のものだし、僕が写真を通して伝えたいものは、自然の面白さの方です。
 ただ、科学物の写真を撮る際には、科学の面白さの方に的を絞るのですが。
 生物学の学生時代の恩師の話によると、日本語の自然と科学の世界でいう自然は、別のものなのだそうです。
 日本語の自然が、人の意図ではないものであるのに対して、科学の世界で言う自然は現象の中の法則性の部分のことを指すのだそうです。



● 25/4/5 ついに?


OM SYSTEM OM-1U
M.ZUIKO DIGITAL ED 90mm F3.5 Macro IS PRO MC-20

 自動撮影中のミジンコの卵の中の1つが、妙に膨らんでいることに気が付きました。
 これは、どう考えても孵化です。
 僕が今撮影しているミジンコは卵の孵化率が低くて、なかなかカメラの前で孵化をしてくれなかったのですが、ついにその瞬間がおとずれようとしています。
 しかも、自動撮影の場合はカメラ任せなのでピントがいい位置に合わない可能性がありますが、今回は孵化の兆候をキャッチできたので、あとは自分の目で見ながら撮影することができます。
 おととしから、この卵を見つめながら、いったい合計で何時間待ったことでしょう。
 僕は昔、カワセミの捕食シーンを撮影するために、約3ヶ月間同じ場所に通ったことがありましたが、苦労の度合いで言えば、大したことはありませんでした。
 その点、ミジンコの孵化はとにかく気が滅入るし、しんどい撮影でした。
 そのしんどい撮影が、ついに実を結ぼうとしているのです。


 
 やがて卵の膨らみは、シュンと小さくなりました。
 絶対に撮り逃さないぞ!と気合が入ります。
 ところがところが、子供の姿が見えません。
 何が起きた?と連写した画像を確認してみると、どうも子供は卵の裏側、つまりカメラから見えない側から孵化したようです。
 ふくらみが縮んでから約10秒後の画像に、ピンボケの状態でうっすら何かが写っていました。おそらくミジンコの子供でしょう。
 いったいどうしたら、このシーンを撮れるのでしょうか?

 僕が今撮影しているミジンコの卵は、水に浮き、ちゃんと確かめたわけではありませんが、何かにくっつく傾向があります。
 例えば水槽内なら、水面近くのガラスに付着しがちです。
 その卵を、いったん暗所においたり冷やしたり乾かしたりして孵化をさせるための条件を整えた上で、また水に浸して撮影します。
 すると卵はガラスからはがれて水に浮こうとしますが、浮くと撮影が難しくなるので、浮かないようにいろいろと工夫を施しています。
 今日の画像のような状態できちんと固定するのは、実はそれだけでもまあまあ難しいのですが、さらに何かの工夫がなければ、撮影できないことが判明しました。
 世の中、甘くないなぁ。
 しんどいのは時期があることです。
 あまり気温が上がりすぎると孵化しなくなるらしいので、エアコンを駆使しても5月いっぱいかなぁ。その後の暑い時期は水槽用のクーラーで冷やす手もありますが、おそらくガラス面が結露し、大きな被写体ならともなく、小さなものの場合、結露越しに撮影することはむずかしいでしょう。
 
 
   
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