撮影日記 2025年1月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 25/1/29 就職の話

 旧ツイッターのXで、
「大学に進学する際には、理学部にはいかない方がいいよ。悪いことがいくつかあって、例えば就職が弱いよ」
 といった趣旨の投稿が目に留まりました。
 随時更新されるXのタイムラインの中でその投稿が目に留まったのは、多分、僕が、その理学部に好き好んで進学したからでしょう。
 当時理学部を志願した理由を今の自分の言葉で表すと、「人の役に立つかどうかをあまり言わない業界が好き」でした。
 そして、人の役に立つことを前提にした学部(医学部、薬学部、工学部・・・)と比較をすると、確かに、理学部の就職は強くはないでしょう。
 志願すれば最終的にどこかに就職はできるのでしょうが、給与の額やその他の条件やステータスまで含めると、就職を重視するみなさんが重んじる「いい会社」につとめられる確率は、低くなることでしょう。
 そう言えば、学生時代、授業中に恩師が、
「理学部などというこれといった就職があるわけではない学部に好き好んで入学する学生が、毎年一定程度いるんです。」
と話してくださったのが思い出されました。

 それはともあれ、僕はいつから自分がそんな志向になったんだろうと少しずつ遡ると、高校に入学した直後のことが思い出されました。
 先生方が口を揃えて、
「どこに進学するかで人生が大きく決まる」
 みたいな言い方をするのに対して、猛烈な反発を感じ、憤りに類する何かがこみ上げてきたものでした。
 当時の先生の言葉を今改めて考えてみると、「どこに進学するかで人生が大きく決まる」という発想は、どこかに就職してサラリーマンになることが前提になっていることに気付かされました。
 日本では、一説には働いている人の9割近くの人が勤め人だと言われているし、先生も、言うまでもなく勤め人であり、学生がやがて勤め人になる前提で教育が進んでいくのは、しかたがないことなのかもしれません。
 その点、僕の場合、父方の親戚も母方の親戚も、大半が自営業でした。
 また、僕は商業地区に住んでいたため、近所のおじちゃんやおばちゃんはみな自営業者でした。
 日本では大半を占めるサラリーマンが、僕の身の回りにはほとんどいませんでした。
 それゆえに、自分がどこかに就職するイメージも持てませんでした。
 つまり僕の場合は、そもそも、自営が前提になっていました。
 自営をする場合は、基本的に、学歴はあまり重要ではないわけです。



● 25/1/22 カメラの話


NikonZ8 NIKKOR Z 400mm f/4.5 VR S + 1.4X

NikonZ8 NIKKOR NIKKOR Z 180-600mm f/5.6-6.3 VR+ 1.4X

 仕事で写真が上手く撮れない時に、念力で写らないかなぁと妄想することがあります。僕の心の中には、簡単に写真が撮れてほしいと思う気持ちがあります。
 でももしも本当に念力で写真が写るのなら、生き物の写真撮影は、長年続けられるほど面白いことではなくなってしまうでしょう。
 簡単に写って欲しいという自分の思いに反して、実際にはうまく写真が撮れないことが、僕が写真撮影を続ける原動力になってきました。
 
 さて、僕が写真を始めた当時は、写真撮影はなかなか難しいことでした。最低限きちんと写真が撮れるだけで、「ほ〜あんたやるね」と褒められたものでした。
 中でも難しかったのが、ピント合わせでした。
 カメラがピントを合わせてくれる今と違い、ピントは手動で合わせるもので、手動でのピント合わせには訓練が必要でした。
 その後、カメラがピントを合わせてくれるオートフォーカスが発達し、今ではカメラが自動的に被写体(今日の画像なら鳥)を検出し、そこにピントを合わせるまでになりました。
 今日の2枚の画像は、いずれもピント合わせを完全にカメラ任せにして撮影したもので、僕がやったことと言えば、鳥の方向にレンズを向けただけです。
 念力で写真が写るはさすがに無理にしても、最新のカメラは、間違いなくそれに近づいています。
 今やカメラに対する要望があまりなくなり、むしろ、すごいな〜とカメラに感心しながら写真を撮るようになりました。
 でももしかしたらそれは、写真が、以前ほどは夢中になれない活動になりかけているのかもしれません。
 写真に限らず、僕が過去に興味を持ったことで言えば、釣りも、似た傾向があります。それから車も、熟成してしまい、最も熱い時代を通り越した印象があります。
  
 ともあれ、もしも単純に高性能なカメラを求めるのなら、ニコンZ8は、お勧めできます。
 カメラに求める性能は人それぞれですが、多くの人が、これ以上のものはもういらんわ、と満足できるレベルに達した製品であり、あ〜気に入らなかった。損した・・・と感じる確率は極めて低いでしょう。
 中でも、野鳥その他の動体を撮影する人には、とてもいいカメラだと思います。
 もしもZ8を購入したら、最初に試してみるべき設定は、被写体認識によるオートフォーカスです。
 さらにシャッター速度1/2000くらいをターゲットにしたISOオートと組み合わせれば、撮影前に操作をする箇所がなくなるので、まるで息をするかのように写真が撮れるはずです。
 古い機材を使っている人の場合は、少し練習が必要になるかもしれません。
 というのは、従来のカメラは撮影前にある程度考えなければならなかったので、考える癖がついていることが多いからです。
 その点、最新のカメラの場合は、考える前にレンズを向けるのが使いこなしのコツです。
  
  

● 25/1/21 実験

 ここ数日は、本来なら暖かくなってから起きる水中の現象を、スタジオで、加温することで撮影中です。
 寒い時期にヒーターで加温すると、水温を一定にでき、ある現象が起きるまでに何℃なら何日みたいなデータが取れるので、次回また同じものを撮れと言われたときに見通しが立てやすい良さがあります。
 僕の仕事は写真撮影ですが、時に、結果的に、科学の実験にもなります。

 一方で、水をヒーターで温めて27℃にするのと、常温で27℃になっているのとは、同じではありません。
 その違いが原因になり、ヒーターを使うと想像外のいろいろなアクシデントが起きます。
 今の時期なら、湿度が低いので、ヒーターで温めると、水がとんでもないスピードで蒸発します。
 実は今進行中の撮影も、一度水を枯れさせてしまい、やり直しを強いられました。
 蒸発を防ぐために容器にふたをすると、今度は、水温と気温の差でふたがひどく結露し、中が見えなくなりました。
 しかたがないのでふたをせずに時々足し水をすると、ヒーターで温める前の冷たい水には空気がたくさん溶け込んでいて、それが温められた時に気泡となって出てきて、撮影の邪魔をしました。
 そこで、足し水用の水も、事前にヒーターで温めて、水に溶けている空気の量を調整することにしました。
 最終的には好みの問題なのでしょうが、この手の科学の実験的な撮影をするたびに、僕は、できれば、生き物は自然の気温、光の中で撮影したいなぁと思います。
 生物学の学生時代に、実験があまり好きではなくて、生き物の研究者ではなくカメラマンへの道を選んだことが思い出されます。
 
 ただ僕は、実験の考え方や実験が導き出す結論自体には、興味があるし、その支持者でもあります。
 したがって反科学みたいな人は、とても支持する気にはなれません。
 僕は、科学のものの見方はとても大切だと思っているけど、すべての物事を、何が真理かという観点で見ることには抵抗があり、そんなことを問わない場もあってほしいと思うのです。
 


● 25/1/16 「ながい ながい あさごはん」



 本づくりの仲間であるボコヤマクリタさんから、本が届きました。
「ながい ながい あさごはん」は、ボコヤマさんの頭の中を、イラストとお話で描いた創作絵本です。
 ボコヤマさんは、僕と一緒に本を作る際には主に編集やデザインなどの裏方ですが、今回の本は「作・絵 ボコヤマクリタ」であり、ボコヤマさんが著者です。
 僕にはイラストや創作の世界のことはよく分からないけど、お話を読んでみると、
「へぇ〜、ボコヤマさんは、普段こんなことを妄想しているのかぁ」
 という思いがこみ上げてきました。
 何かいろいろ妄想しているであろうことは感じ取れていたものの、具体的に形になったまとまった量のものを見るのは初めてのことです。

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です。

 僕は、自分の名前が記された本でも、それを自分の本だとはあまり思っていません。
 本は、編集者やデザイナーと一緒に作ったものであり、その一部を、自分が担当したに過ぎないという意識が強いです。
 もともと、目立つのがあまり好きではない、というのもあります。
 でも、著者になることと編集やデザインをすることは、かなり違う役割だと感じます。
 著者に求めらえるのは、その人の名前が記されていることで読者に喜ばれること、です。あるいは読者がその名前を知らなくても、経歴を見たり調べたときに、この人の話なら聞いてみたいなと思わせるような人になることです。
 つまり著者は、自分が送ってきた生活を見せる人と言ってもいいのかもしれません。
 
 

● 25/1/14 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。


● 25/1/12 工作

 昨年末にかかった新型コロナの影響がまだ残っていて、何となく体がきついので、室内の用事を片付けておくことにしました。
 その一環で水回りの隙間にコーキング処理を施したところ、コーキングが汚くなってしまいガッカリです。
 塗るとか貼るみたいな作業は、手先の器用さが如実に表れるように思います。僕は、ひどく不器用ではないけど、器用でもなく、塗る、貼るは苦手です。

 最近は、改造された機材をあまり見かけなくなりましたが、以前は、生き物写真のハウツー本を開くと、改造機材がよく紹介されていました。
 その加工があまりきれいではないことで有名だったのが、昆虫写真家の海野さんでした。海野さんの改造機材は、見た目よりも使えることが重視されていました。
 逆に加工がきれいだったのは、栗林慧さんでした。栗林さんの工作物は、雑誌の紙面で見ると、市販品とまではいかなくても、メーカーが試しに作った試作品くらいの感じがして、みんなの憧れでした。
 ただし現物を見るとそれなりに手作り感もあった、と聞いたことがあります。
 ある時、栗林さんの自作機材にあこがれていた方が初めて実物を見せてもらった時に、パテが少しはみ出していることに気付き、つい、
「あっパテが・・・・」
 と口走ってしまったのだそうです。
 すると栗林さんが、ふふふと笑い、
「いや、そんなもんだよ。」
 とおっしゃったという話を聞いたことがあります。
 それはともあれ、僕は工作があまりきれいにできず、きれいに作ることに妙に執着しそうになった時には、伝え聞いた栗林さんの
「そんなもんだよ。」
 という言葉を思い出し、あまり見た目に執着し過ぎないように、自分に注意をします。



● 25/1/5 古い知り合い

 今は関西に住んでいる高校時代の先輩が帰省しておられたので、会いに行ってきました。
 学部は違いますが大学の先輩でもあり、最後に会ったのは大学生の時だったので、顔を合わせたのは三十数年ぶりです。
 子供の頃の知り合いで、何人か、この人に会いたいなと今でも思う人がいます。
 何かの時にふっと思い出し、あの人だったらこんな時にどうするかな?なんて考えてみたり、記憶の中のその人の振る舞いを参考にさせてもらう人です。
 みんなに共通しているのは、ちゃんとしているのに、緩いところがある点です。
 人の社会の秩序が強すぎない人、まじめ過ぎない人と言ってもいいでしょう。
 人の社会の秩序はとても大切なものだけど、世の中には人の秩序じゃないものもあるよ、というのが自然の話です。
 そういう意味で僕が会いたくなるのは、自然の成分をいい塩梅に残している人と言ってもいいのかもしれません。
 生き物にかかわる活動をしている人が、必ずしも自然の成分を残している人だとは限りません。
 例えば自然保護活動や保全活動に力を入れておられる方の中には、自然が好きというよりは人の社会の正義を重視する人がおられます。
 強いているなら、人の社会の秩序としての自然を好きな人です。

 数年前に、ある生き物関係のライターさんが、採集を禁止されている生き物を捕まえ、それを島から持ち帰ろうとして空港で逮捕されたことがありました。
 それに対して、SNS上で、
「自然を愛する人間のすることではない。」
 という批判を多数目にし、なんだかモヤッとしたものでした。
 ライターさんが咎められたのは、法律という人の社会の決め事を破ったからであり、自然を粗末にしたからではないのでは?と感じたからです。
 そもそも自然界には採ってはならないなどという決まりごとはないし、ただ単に自然を愛するかどうかの話なら、生き物は採っていいのが自然ではないかと僕は思うのです。
 また、世の中を人の秩序でガチガチに固めようとするのなら、自然がなくなるのは当たり前のことではないかと思うわけです。



● 25/1/4 予定

 今、直近に予定している撮影は、2つ。
 1つは、スタジオでひたすらに待機をする撮影。あとの1つは海辺での撮影で、近県に数日遠征します。
 昨年末に新型コロナに感染した関係で、もともと組んでいたそれらの予定を、大幅にを変更することになりました。
 海辺の撮影の方は、潮があるので、おのずとこの期間という風に数日が決まります。
 潮は絶対であり、時に潮と気象条件が都合よくかみ合わずに時間を確保していても手も足もでないケースがあるのですが、一方で諦めるしかない清々しさもあります。
 スタジオの方は、できれば一週間、完全に自由になる時間が欲しいのですが、自然写真を仕事にして毎日サンデーな暮らしをしていても、これは案外難しいです。
 その手の撮影を予定するたびに、なかなか一週間くらいの連続した日を確保することができなくて、人間って用事がたくさんあるんやなぁと今更ながら思います。
 連続した時間が必要な撮影の場合、一番いい方法は、複数の人間で手分けをするやり方です。
 すなわち交代制であり、本来は、NHKみたいなチームでやるのに適したテーマだと言えるでしょう。
 仮に個人がそれに立ち向かう場合、いくつかの方法が考えられますが、僕は、一人の人間の一貫した視点を重視しています。
 客観や情報としての写真では、個人に勝ち目はないでしょう。



● 25/1/1 2025年

 昨年は、区画整理にともなう引っ越しがあり、慌ただしい年でした。
 うちの場合、撮影スタジオや生き物の飼育施設の引っ越しが簡単ではないことはわかっていたので、事業が具体的に進みはじめた3年くらい前からは、何かと引っ越しが心の重しになっていました。
 生き物の本を作る場合、一冊の本を作るのに少なくとも2〜3年を要するわけですが、その2〜3後に自分がどこに住んでいるかも分からないのは、ゴールが全くイメージできない感じがして、しばしば困惑しました。
 その引っ越しも無事完了し、身の振り方を考える必要がなくなった今年は、以前のようにまた無心になって自然写真に打ち込みたいものです。


   
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