撮影日記 2024年2月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 24/2/29 やる気

 やらなければならない撮影の準備をやる気になれなくて、困っていました。無理してやったところでだいたいロクな結果にならないので、待つしかありませんでした。
 ようやく昨日、やろうかなという気になりました。
 これがもうちょっと遅かったなら、今シーズンの撮影には間に合わなくなった可能性が大です。運が良かった!
 自分のことなのに「運任せ」という感覚は、無責任な話ですが・・・。
 
 自然写真に限らず趣味性が高い仕事は、「おもしろい」を表現することが大事。
 そのためには、やっている本人がそのコンテンツを心底おもしろい!と感じている必要あり。
 でもいつでもやる気になるわけではないので、無責任はある程度つきまといます。
 短期間なら、例えば「困難に立ち向かう自分が好き」とか「大きなことをやってやる!」みたいな何かが自分を支えてくれることもあります。
 でもそうした動機は長い目でみると邪念であり、最終的には、その邪念で自滅しがち。
 僕の場合は、「自然写真で生活したい」という邪念があります。自然写真で生活ができれば、ある程度自由に暮らせるから。
 つまり、僕の邪念は、自由でありたい邪念です。
 それはそれで頑張る動機になるけど、本質は、単純にいい写真を撮ることです。
 第二は、例えやる気がイマイチでも、それなりのコンテンツを制作できる技術かなぁ。
 そして第三に、「自由でありたい」とか「頑張っている自分が好き」とか「大きなことをやってやる。」みたいな欲望のたぐいも、カンフル剤としては有効。
 ただしカンフル剤は使い過ぎると自分を傷みつけるので、要注意。



● 24/2/27 成績がいい子
 
 会計処理ソフトをインボイス対応の物に変えたことは、以前にも書きました。元々、とても古いものをアップデートもせずに使用していたこともあり、新しいものが非常に分かりやすくなっていることに感激させられた、と。
 ソフトが使いやすくなると、今度は、「ここはこういう風に入力するのが正しいんだ!」などと気付く箇所が幾つもありました。
 そして多少なりとも知識が増えると、帳簿の帳尻が当たり前にきれいに合うようになってきました。
 さらに、所有している店舗型の銀行口座も、ネット銀行のようにインターネットを使用して照会や振込や振り替えができるようにすることで、お金の管理が随分楽になりました。
 今は恐らくできにくくなっていると思うのですが、昔銀行口座を簡単に作ることが出来た時代に作った同一銀行内の同一名義の複数の口座を上手に使いわければ、お金を分類して整理する際にとても便利だと気が付きました。
 特に手数料なしで使用できる振替という機能がとても便利だとわかりました。
 ともあれ、あんなに面倒に感じられていた帳簿への入力が、ついに苦痛ではなくなりました。
 ああ、そうか・・・
 多分、学校で成績がいい子供などは、こんな流れになっているんじゃないかなぁ。
 何かがきちんとなれば、やる気になる。やる気になれば、もっとうまくいく方法を思いつく。
 厳密に言うと、僕は、上手く行くことが必ずしもいいとは思っていないのですが、それは長い目で見た時の話であり、当面、物事は上手く行けば楽しいです。
 
 

● 24/2/26 鉄道写真

 実は写真関係の番組と生き物関係の番組は、普段ほとんど見ません。
 たまたまテレビがついている時に放送されても、だいたいチャンネルを変えるか、テレビを消してしまいます。まれに見ても、短時間がほとんどです。
 あまり見ない理由は自分を疲れさせないためで、最近特に、生き物や写真から離れることが、僕にとって大切になってきました。
 食事に例えるなら、空腹の時に食べるのが何よりも美味いわけですが、自然写真の撮影でも同じ状態を作り出すためです。
 ちなみに僕は、普段、間食をほとんどしません。
 僕としては、
「なんでそんなことするの?食事がその分おいしくなくなってもったいないやん。」 
 という感覚です。
 
 それはともあれ、普段写真関連の番組をほとんどみない僕が、先日は珍しく、鉄道写真家の中井精也さんのテレビ番組を見ました。
 舞台がうちの近所の「平成筑豊鉄道」だったこともありチラッと見たら、ついつい最後まで見てしまったのです。
 中井さんの鉄道写真の中の一点を見つめ過ぎない「ゆる鉄」が良かったのかなぁ。
 通常、写真撮影の際には、画面の中のパッと目が行く箇所に主要な被写体を置くのが原則です。例えば僕が所有している本なら、嶋田忠さんの写真集「鳥のいる風景」には鳥が小さく写った写真が含まれていますが、たとえ面積は小さくても、見た人の視線はそこに吸い寄せられます。
 それがいかにできているか?は、写真が上手い、下手の1つの指標でもあります。
 ところが中井さんの「ゆる鉄」の特に引いた写真は、パッと見た時に目がいかない箇所に列車が配置していあるのが特徴です。
 すべての写真がそうなっているので、意図的なのでしょうね。
 趣味で写真を撮っている人には、そうした写真を僕は勧めません。
 中井さんの普段の活動とその実績があって初めて認められるやり方であり、他の人がやっても、ただの下手な写真になってしまうから。
 また、意図的に人の視線を外すことができるということは、意図的に人の視線を集めることもできるし、その技量あっての表現だからです。



● 24/2/22 蕎麦



 蕎麦の味は、実は、僕にはあまりよくわかりません。
 決して無味に感じられるわけではないし食べたくなることもあるけど、よくテレビで見かける食レポのように、
「う〜ん、いい香り」
 みたいな分かりやすい鮮烈さを感じたことは、一度もありません。
 蕎麦は僕にとって、食べたいにしても、何となく食べたい食べ物です。
 それでも、もしもお金があり余るほどあるのなら、何度でも行きたいお蕎麦屋さんもあります。うちから車で10分ほどのところにある「ほしの村」は、行けば毎回、大感激させられます。
 食後の満足度の高さから言うと、もしかしたら僕のNO1かもしれません。
 でもそれでも、どう美味しいか?と聞かれるとやっぱり言葉にできないし、何となくおいしいのです。

 言葉にできない状態がひっかかるのは、職業柄かなぁ。
 写真のさまざまな表現を学ぶ際に、この表現素敵だな!真似してみたいな!と意欲を感じても、どこがどう素敵なのかを上手く言葉にできない時は、真似ることができません。
 手がかりがないのです。
 逆にきちんと言語化できるものは、時間さえかければ、だいたい真似をすることができます。
 仮に料理人を目指すとしても、僕はお蕎麦屋さんにはなれないでしょう。



● 24/2/21 2007年の画像


CanonEOS5D EF17-40mm F4L USM
lightroom classic にて新たにRAW現像

 2007年に撮影した画像を、最新のソフトで画像処理してみました。今回画像処理に使用した lightroom classic は、Aiによる画像のノイズ除去機能を備えています。
 当時撮影に使用したカメラは、キヤノンの初代EOS5Dでした。

 上の画像の場合、最初カエルの背景は真っ暗に近くて、ほんのり緑が見える程度でした。
 そこでまずはシャドーを大幅に持ち上げて、可能な限り背景が見えるようにしました。
 すると背景が明るくなる代わりに、盛大にノイズが発生しました。
 そのノイズを、lightroom classic のノイズ除去機能で取り除きました。
 結果は、やはりスゴイ!の一言。
 他には、カエルの体の陰になっている箇所を、立体感を損ねない範囲で多少明るくなるように調整しました。また、白い泡状の卵の一部が白飛びしてしまうのを抑えました。
 
 僕は撮影したデータを、撮影したときのままの状態ですべて残しています。没だったものも採用したものも例外なく、です。
 でもすべてを残すとなると、ハードディスクの消費量が増え費用がかかるし場所も取るので、それをやめてしまおうかと2〜3年前に検討したことがありました。
 僕のようなイベントの類を引き受けていないカメラマンの場合、その分たくさんの写真を売らなければならないので、迅速に写真を貸し出さなければなりません。
 すなわち、写真は撮影した直後にすべてに目を通し、使えるものはその段階できちんと画像処理をして、すぐにでも貸し出せる状態で生き物の種類ごとに分類しておく必要があります。
 そこから漏れたものがないか再度目を通すなどというのは、現実的ではありませんでした。
 また実際に、古いデータを引っ張り出してその中から使える写真を探すようなケースは、3年に一度あるかないか程度の頻度でした。
 ところが、ソフトのノイズ除去機能が発達してくると、過去に没にしたもの、あるいはセレクトしたけど画質に満足していないものを改善することが可能になりました。
 結果、元データはすべて残しておくべし、と心変わりしました。
 
 さて、暗部のノイズをソフトの力でここまで劇的に軽減できるとなると、写真の撮り方も変わってくることでしょう。
 撮影時に時間的な余裕がある時は別にして、そうじゃない時は、レフやストロボで暗部を起こそうとするよりもとにかく写真を撮ってしまう方がいいでしょう。
 実は、今日の画像を撮影する際には、ストロボを光らせてみたり、レフをあててみたり、いろいろ苦労したものでした。
 しかしカエルのような肌の場合、ストロボを光らせるとギラギラしてしまいます。
 レフをあてる場合は、広角レンズだとレフ板が画角の中に入ってしまうのでもっと長いレンズを選択することになり、背景が狭くなってしまいます。
 当時、随分苦労したものでしたが、今になってみると、ストロボもレフも使わなかった写真が僕の中ではベストでした。
 
 

● 24/2/19 春なのに


OM SYSTEM OM-1
M.ZUIKO DIGITAL ED 90mm F3.5 Macro IS PRO MC-14

 3月上旬から中旬を予定した卵が、約一ヶ月も早く産み落とされました。
 それに伴い、僕にとって一年で一番忙しい時期が始まりました。
 SNSを眺めていると、
「生き物たちが活発になる春が待ち遠しい」
あるいは
「生き物がたくさん出てくる春が楽しい」
 といった感じの投稿をよく見かけますが、僕は、もうちょっとゆっくりしたいなと感じることが多いです。
 自然写真の仕事は趣味みたいなものであり、やらされているわけではないし、やりたいことのはずなのですが・・・。
 そこのところは、待ち遠しくて待ち遠しくてたまらない趣味とは、何かが違うのでしょうね。
 お金をもらう、というのはなかなかしんどいです。
 いや、お金をもらうこと=誰かとの約束を果たすことがしんどいのではなく、お金がもらえなかったら暮らせなくなる心配がしんどいのかなぁ?
 ツイッターを眺めていると、鬱に苦しんでおられる方がいろいろな書き込みをしておられるのですが、割と多いのが「お金」です。
 経済的にゆとりがある時は、鬱の症状が出にくいというのです。
 
 それはともあれ、渓流釣りに夢中だった頃は、春の解禁日が待ち遠しくてたまりませんでした。
 また、秋の禁漁日が近づいてくると、名残惜しくて惜しくて・・・
 渓流釣りには漁期が定められているのです。
 渓流魚は秋に卵を産むので、釣り師にとって魚の個体数が一番多いのは春です。
 逆に秋には、釣られたり、何かに捕食されたりして数が少なくなりますが、代わりにサイズが大きくなっています。
 大学時代に一番ガッカリしたことと言えば、大学の後期の試験が、ちょうど渓流釣りが禁漁になる直前の時期と重なっていたことでした。
 試験勉強をすると、禁漁間際の最後の釣りに行くことができませんでした。
 それが、腹立たしくて腹立たしくて!
 4年生の時は卒論を書くのみだとしても、1〜3年生の間、3年間も禁漁間際の釣りに行けないのは、暴動を起こしたいくらいでした。
 今思い出すと、実にくだらないです。
  
 

● 24/2/18 10年以上前の画像



 左は、うちの犬がまだ子犬だった時のもの。
 もう10年以上前の画像を、最新のソフトを使って画像処理しなおしたものです。

 10年間の間に、カメラは猛烈に進化をしました。
 進化をしたと言っても、屋外の十分に光がある場所で低感度で撮影する分には、僕はそんなに差はないと感じています。
 ところが暗い場所や超高速シャッターを使用したい時など、カメラを高感度に設定したときの画質は、各段に良くなりました。
 正確に書くと、カメラの機械の部分が劇的に変わったわけではなく、良くなったのはソフトの部分です。
 したがって、古いカメラで撮影された画像でも、最新のソフトを使用して画像処理をやり直せば、見違えるように高画質になります。
 カメラの中には画像処理をするソフトが内蔵されているわけですが、それを使わずに、パソコン用のソフトで画像処理をすると、古いカメラで撮影された画像でも、最新のソフトで画像処理できるわけです。
 ただし、1つだけ条件があります。
 それは、カメラに内蔵されたソフトを使用しないRAWと呼ばれる設定で、画像が撮影されていることです。
 ともあれ、最新のソフトを使えば、10年前のカメラで暗所で撮影された画像を最新のカメラの画像と並べても、特に遜色ありません。
 ソフトの性能が、とにかく物を言う時代になりました。
 なぜ、こんなことをわざわざ書いているのか?と言えば、「ソフトでごまかすなんて邪道」という古い考えが自分の中にあるからです。
 それを、もう時代が違うんだよ、と自らに認めさせるためです。

 ならば最新のカメラは不要なのか?と言えば、そんなことはありません。
 最新のカメラが凄いのは、瞳認識や被写体認識。
 意図的にピントを合わせなくても、カメラが自動的に犬の目にピントを合わせてくれるのです。
 瞳認識や被写体認識は、もはや使わない手はないでしょう。
 また、今新たにカメラを買うのなら、瞳認識、被写体認識を搭載したカメラを買うことをお勧めします。



● 24/2/17 スーパースター

 G社の編集者・西●秀樹さんからメールが届くと、差出人が西城秀樹に見えて嬉しくなります。
 ハウスのカレーのCMを思い出し、
「秀樹、感激」
 とつぶやいてみたりします。
 その流れで、昔の西城さんの動画をユーチューブで見ると、今見てもカッコいいです。もはや一人のタレントのレベルではなく、時代と言っても言い過ぎではないと思えてきます。
 今は、多様性が重視される時代。つまり、人と人の違いの部分に注目が集まりがちで、その結果物事は細かくジャンルに分かれ、ジャンルや世代を超えた西城さんのようなスーパースターは、当分は現れないのではないでしょうか。
 当時を思い浮かべると、みんながある程度同じ方向を向いていました。つまり、人と人の違いではなく、共通点を探していました。
 昔のタレントさんの映像を今改めて見直してみると、それも悪くないなと僕は感じます。
 そう思っている人が多いんじゃないかなぁ。音楽番組などは、昔の映像ばかりを流している感があります。

 大学生の時に、昆虫写真家の海野さんに、「僕もプロのカメラマンになりたい。どうしたらいいのでしょう?」と手紙を書いた際に、海野さんからの返事には、
「どうしたらいいかは、人によって全員違います。」
 と書かれていました。
 これはすなわち多様性の話であり、一人一人の人間の違いに着目した返事です。
 そしてその次には、
「でも、ある程度の形はあります。」
 と、今度は一般的なこと方が記されていました。
 こちらは共通性の話であり、人間の共通点に着目した返事です。
 人は一人ひとり全員違うよ、というのは、何も分からないよと言う話です。一方で、人と人の共通点に着目すると、ある程度の道筋が見えてきます。
 どちらも大切な視点ですが、どちらかというと、僕は共通性の方が大切かなという気がしています。
 ちなみに、自然科学は物事の共通性に着目する学問です。
 一見違いに着目しているように見える研究でも、それは、違いを明らかにすることで共通性が見えてくるという話です。
 科学の世界では、その共通性のことを「法則」といいます。



● 24/2/15 犬も自然


NikonZ8 NIKKOR Z 35mm f/1.8 S
 
 犬(動物)は面白いなぁと思います。
 僕にとって何がおもしろいのか?と考えてみると、犬の面白さは人の意図ではないものの面白さです。
 人の意図ではないものを日本語では自然というのだと大学生の時に教わったことを、ふと思い出します。
 つまり、僕にとっての犬の面白さは、自然の面白さです。

 いや、犬は品種改良された生き物であり自然ではありませんよ、と言いたくなる方もおられるでしょう。実は僕も、柴犬ななと暮らすようになるまでは、長い間いそう思っていました。
 が、人が品種改良したというのは、犬のすべてではなく、ごく一部の話。
 実際には、一匹の犬の中で、人が品種改良をした部分と自然の部分とがモザイクになっています。
 そのどこに着目するかで、犬が自然かどうかは違ってきます。

 人は、人の意図ではないものを一生懸命に除外しようとしています。
 予定通りにならないものは、改善して、なるべく予定通りに事が進むように仕向けます。
 そのくせに一方で、人の意図通りにはならない犬や猫を好んで飼うのは、とても面白いことだなと思います。
 すべてが自分の意図通りにならない方が人は幸せなんだ、と僕は理解しています。
 人間にとって自然が必要なのは、自然という刺激があった方が、人は幸せだからではないか、と。 



● 24/2/13 センサーサイズの話


NikonZ8  AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VR

 最近、この手の撮影にはOMの機材を使用していますが、今回は、NikonZ8が大幅アップデートされたのでZ8を使いました。
 OMとニコンとでは、カメラの規格が異なります。そしてカメラの規格が違うと、当然特性も違ってきます。
 僕は、自分の流儀より状況を生かそうとするタイプなので、手元にあるカメラに応じて写真の撮り方を変えます。
 具体的には、水の微妙な濃淡は大きなセンサーのカメラの方が良く出るので、今回は大きなセンサーの特性を生かすために、カメラポジションを選ぶ際に、水の表情に力がある場所を選びました。
 ちなみにOMの場合は、濃淡よりも線が良く出るシステムなので、鳥そのもの形を描写するような撮り方を選びます。
 それを数字に直すと、今回は、画面全体の中での鳥の存在感が60%、背景が40%くらいの画面構成を意識しました。でももしもOMを使うのなら、生き物が70〜80%、背景が30〜20%くらいのところを狙ったことでしょう。
 カメラポジション以外に、目線の高さも選択肢の1つです。
 目線を高くすると奥までよく見えるので、水の存在感が増します。風景写真を撮る際に、小高い場所が撮影ポジションとして適するのと同じことです。
 逆に目線を低くすると、鳥が力を増し、その分水の存在感が薄れます。

 仕事の場合は、生き物が70〜80%、背景が30〜20%くらいのところが好まれることが多いです。
 というのは自然写真の仕事の大部分は科学物であり、背景の質感は二の次だから。むしろ背景が力を持ち過ぎると、相対的に被写体の存在感が弱くなってしまうからです。
 画面全体の中で主要な被写体の存在感が占める割合が高い写真を、わかりやすい写真と言います。
 仕事の場合は、わかりやすい写真が適するわけです。
 
 

● 24/2/12 猫





 海辺で潮が引くのを待っている間に、そう言えば猫を撮影したことはほとんどないな、と思いついて撮影してみました。
 猫の写真と言えば、岩合光昭さんが本格的に猫を撮り始めた時に、僕はとても驚かされました。 
 というのは、岩合さんの猫の写真は、あまりかわいくなかったから。
 かわいいは主観なので好みの要素がありますが、岩合さん以前に猫写真のブームを巻き起こしていた「猫カメ」と呼ばれていたみなさんの写真は、とにかくかわいかったのです。
 「猫カメ」のみなさんが撮っておられた猫の写真は、ムツゴロウさんが撮った映画の「子猫物語」などが源流になるのかなぁ。
 それはともあれ、当時僕は、
「これは売れんやろう、岩合さんには売るという観念ないのかな」
 と思ったものでした。
 実際には、僕の予想は見事に外れ、岩合さんの猫写真は大ヒットしました。
 つまり、僕には見えてないものがあるのでしょうね。
 猫の写真自体には興味を感じないものの、人が岩合さんの猫写真に求めているものが「かわいい」じゃないのなら、それは何なのかを知りたいなと思いました。

 岩合さんの猫の写真に写っているものは、「家畜でありながら、つながれていたり閉じ込められてない存在」です。
 つまり、家畜と野生生物は、きれいに分かれているわけではなく連続していますよ、という話です。
 家畜と野生生物という分け方は、人の社会の決め事です。例えるなら福岡県と大分県の県境みたいなものであり、そういう線引きが自然界に実在するわけではありません。
 いわゆる概念であり、人の頭の中だけにあるものです。
 なぜそうして概念で線引きするのか?と言えば、人の社会の管理の都合です。
 合理性です。
 管理や合理性といった人の社会の秩序は、とても大切なものです。
 一方で、すべてを人の管理下に置こうとすると、おかしなこともたくさんおきます。なぜなら、世の中には人の都合、人の秩序ではないもの=自然もあるからです。
 岩合さんの猫写真に魅せられる人たちが癒しを感じているのは、街の猫に象徴される人の線引き(管理)が行き過ぎてないない景色なのかな?



● 24/2/10 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。



● 24/2/8 内向き、外向き

 数ある他人からの評価の中でも、本を作るカメラマンにとって特に厳しく感じられるのが、出版社の営業マンや広報担当の人からの評価ではないでしょうか。
「営業がこう言っている。」
 と編集者から伝えられる中味は、だいたい僕にとって耳が痛い内容です。
 編集者は著者に寄りそう立場なので、僕の気持ちも可能な限り汲もうとしてくれます。
 一方で営業マンや広報担当の人は外に向かって発信する立場であり、重要なのは僕の気持ちではなく、外の人がどう感じるか。
 商業出版の場合は本が売れそうかどうかであり、力の世界、結果の世界です。
 力の世界では、例えば、
「一生懸命取り組みました!」
 は通用しません。
 そんなことはよくわかっているつもりなのに、営業や広報担当の人の意見を聞くと、自分の中にあるそれに気付かされることがよくあります。

 力の世界は厳しいし、時に残酷です。特に近年は、力の世界に対して、「弱肉強食の温かみがない世界」とか、「弱者切り捨て」などとよく言われます。
 一方で、とてもいい面もあります。
 それは、「誰が気にくわない」とか「あいつが悪い」とか「俺の方が正しい」みたいな他人の悪口を言う必要がないことです。
 カメラマンなら、いい写真を撮りそれを発表して評価を得ればいいし、スポーツ選手なら、いい成績を残せばいいだけのこと。
 自分が志した世界で無心になって取り組むのみであり、とてもシンプルです。
 そう言えば、僕の釣りの師匠は、釣りを好きな理由として、魚が針にかかっている間は無心になれることをあげておられました。
「魚がかかった時は、あいつが悪いとか、俺が正しいとか、その手のことを考えてる暇なんてないもんなぁ。人間ってね、あいつが間違えてるとか、俺が正しいとか、そんなことばっかり言ってるくせに、それを言っている時が一番楽しくないんよ。」
 と。



● 24/2/6 物はなくなる



 今僕が住んでいる建物には、約50年前に一時的ですが、母方の親戚が住んでいました。その時に3人のいとこが背比べをした跡が、今でも柱に残っています。
 きょうだいの中で一番年上だった浩通くんは、その後、下宿をして県外の超難関中学に通いましたが、14歳の時に亡くなりました。
 当時、原因はノイローゼだと聞かされました。受験が過酷で「受験戦争」という言葉がよく使われた時代です。
 親族にとって、とてつもなく悲しくて、大きな出来事でした。

 その浩通くんの両親のうち、おじは近年亡くなりました。
 今や浩通くんのことを知る者は、ほとんどいなくなりました。
 背比べした柱が残っているうちの建物も、今度の春には取り潰されてなくなります。
 大規模な再開発に引っ掛かっているので、恐らく1年後には、周囲の景色も含めて跡形もなくなることでしょう。
 こうして時代って移り変わるんだなと、特に物は無くなるんだなと強烈に感じるのは、年を取ったからでしょうか。

 同じ年のいとこのかずちゃんによると、浩通くんが心の調子を崩してしまった時、両親がともに「受験」という同じ方向を向いてしまったのだそうです。
 そしておそらくその経験から、かずちゃんには3人の子供がいますが、両親がともに同じ方向を向きすぎないようにしていることが、言葉の端々からふっと感じられることがあります。
 そういう意味では、亡くなった浩通くんは、かずちゃんの経験やさらにかずちゃんの子供たちの中に生きているのかもしれません。



● 24/2/4 ディフューザー



 GODOXのストロボ・MF12用のディフューザーを買ってみました。MF12に取り付けると、こんな感じです。
 結論から書くと買う価値ありと思いました。


 最初に驚いたのが、箱がでかいということです。
 ということは僕の想定よりも中身もでかいし携帯性を重視する僕には不向き?
 ところが触ってみると柔らかくて、こうして潰せば、僕のバッグに入るし、むしろ組み立て式よりもスピーディーです。

 あと、これはいいと思ったのは、取り付ける時にMF12の脚の部分を通す構造になっているので、位置が安定し、紛失もしにくいでしょう。
 バッグに収納する時からつけっ放しにしておく製品かなと思いました。購入先は、中国のショッピングサイトであるアリエクスプレスです。

 GODOXの製品は、一部日本の通販サイトでも購入できますが、中には、中国のサイトでしか買えないものもあり、僕は時々、アリエクスプレスを利用します。
 そうした機会にいつも不思議に思うのは、特殊な写真用品に関しては、中国のショッピングサイトの方が、日本のサイトよりも品揃えが豊富だということです。
 中国では売れるけど、日本では売れないものがあるということ?
 アメリカのB&Hも同様で、日本では買えないものが売られています。
 アメリカは、今では僕が子供の頃ほどの憧れではなくなっていますが、それでも最先端の国でありまあ理解できるとして、日本では売れないものを中国のサイトで買っているのは、どんな人なのでしょうね?
 もしかしたら、ヨーロッパの人が買うのかな?
 もしも特殊な照明用のアクセサリーみたいなものを中国人が買っているとするならば、中国の写真のレベルは僕が思っているよりもずっと高いのかもしれません。



● 24/2/3 自由とステータス

 僕の両親はともに野生生物が好きではありません。
 特に父は嫌悪していて、子供の頃僕が飼っていた生き物は、しばしば何か理由をつけて捨てられるか、父の目に触れない隅に追いやられました。僕はいつも、コソコソしていました。
 でもそれが僕にとってマイナスか?というと、そんなに簡単な話ではありません。
 というのは、今自分が自然写真の仕事で生活できているのは、生き物が嫌いな人の気持ちが分かるから、という側面が多分あります。
 人の暮らしはつながっているので、生き物を好きな人だけを見て仕事はできないのです。
 あるいは、僕が自然写真で生活をすることに執着するのは、誰にも気兼ねすることなく生き物を見ることが出来る立場でありたい、という子供の頃からの願望です。
 ある意味、子供時代を卒業できてないとも言えるし、一方で、結果楽しくやってるのだから、物事の評価はとてもむずかしいです。
 ともあれ、自然写真のプロに執着すると、時々、
「プロがそんなに偉いわけではありませんよ。」
 という方がおられ、ビックリします。
 僕は思う存分生き物を見る自由が欲しいのであり、プロであることに「偉い」とか「すごい」みたいな他人からの評価を求めているわけではないからです。
 自由が欲しいという願望を、ステータスを求めているように勘違いしてしまうのは、自分自身がステータスを求めている人です。自分がステータスを求めている人には、他人もそうであるように思えてしまうから。 
 逆に僕には、ステータスが好きな人の気持ちが、あまり理解できません。
 ともあれ、ステータスは、言い換えると社会の評価です。
 一方で僕が欲しい自由は、人の社会の秩序ではないものであり、別の言葉でいうなら自然です。
  
  
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2024年2月分


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