撮影日記 2023年12月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 23/12/31 年末

 僕は昔から、年末とか正月みたいな風習が、あまり好きではありません。
 そしてその理由を言葉にすると、 「人の決め事一色にされたくない」 です。
 年末や正月に限らず、人の決め事はとても大切なこと。でも、世の中には人の事情ではないものもある、と思うのがその理由です。
 「人の事情ではないもの」のことを、世間では「自然」と呼びます。
 
 もう随分前のことですが、写真展を開催した際に、
「写真展をするのなら、自然保護について訴えなければならない。」
 と見に来たからから言われたことがありました。
 そう指摘されたのは、僕が何も触れていなかったから。
 ではなぜ触れないのかと言えば、自然保護は人のあり方の話、つまり人の話だから。
 生き物の話を最終的に人の話にしなければならないのなら、自然がなくなるのは当然ではないのか?と思うのです。
 学校の授業で言うなら、自然保護は社会や道徳。それに対して自然の話は理科。
「写真展をするのなら、自然保護について訴えなければならない」は、例えるなら、理科の授業が社会や道徳の授業になってしまうようなもの。
 でも、理科は理科で必要でしょう?
 或いは、子供たちを野山に連れ出すイベントなどの際に、判で押したように、
「子供たちに命の大切さを教える」
 というフレーズが使われます。
 が、命の大切さも人の社会の価値観の話です。
 自然を見た時に、それがすべて人の話になってしまうことに、僕はとても違和感を感じるのです。
 僕らが暮らしているのは人の社会の中なので、9割くらいは人の社会の秩序でいいと思うのだけど、1割くらいはそうじゃないものも残しておいて欲しいな、と思うのです。



● 23/12/30 思い出としての写真



 近々控えている引っ越しには、楽しみなこともあれば残念なこともあります。
 残念なことと言えば、例えば、夕方の5時になったらどこからともなく聞こえてくる童謡が聞けなくなることです。しょぼい電子音なのですが。
 それから、今のぼろい建物に挿し込んでくる夕日が見れなくなるとか、案外つまらないものが多いです。
 厳密に言うと、それらは、童謡や夕日にリンクされた思い出とということになるでしょう。思い出は、人が意図したものではないことが多いです。
 したがって新たな引っ越し先で同様の夕日が挿し込むように仕向けても、あるいは5時になったら同じような動揺を流したとしても、それらは所詮予定調和であり、思い出の代わりにはならないことでしょう。

 写真にはいろいろな役割があります。
 その1つに、思い出としての写真があります。
 思い出としての写真は、記録とはちょっと違っていて、なんとなくであり、その写真が将来どんな意味を持つのか、写真を撮った時点で撮影者の意図が明確ではありません。



 思い出と言えば、この写真は釣りの師匠が撮影したものです。
 時は、1978年9月10日。
 天気は雨。
 僕が初めて渓流釣りをした時のものです。
 その日の師匠の釣果は、確かぼうずだったと思うのですが、釣れなかったのは小学生の僕を連れていたからかな。師匠の釣り仲間で、別行動の原さんが釣ったヤマメの中には卵を持ったメスがいて、みそ汁に入れて食べた卵がとても美味しかったです。
 今見ると、この一枚は、思い出の写真として完璧。僕にとってこれ以上のものはないでしょう。
 写真の中で僕は釣り竿を持っていないし、食べたヤマメの写真もないけど、それらは頭の中にある記憶で十分。

 一般に写真を趣味にしている人は、思い出としての写真があまりうまくありません。
 一言で言うと写真の技術や知識が邪魔をします。僕にとって最高の思い出の一枚を撮影した釣りの師匠も、写真には興味がありません。恐らく師匠は、この写真を撮った記憶がないはずです。
 要するに「評価」という土俵には乗らない写真があるのです。
 評価は、人の社会の秩序と言い換えてもいいでしょう。
 人の社会の秩序はとても大切なものだし、公に対して発信している写真につきまとう評価を排除しようとするのは愚だと思うのですが、写真のすべてを人の秩序にしてしまうのも同等に愚かなこと。
 写真は、上手いだけが能じゃないところが、面白いです。



● 23/12/25 処分

 近々予定している区画整備に伴う引っ越しには、いい事もあれば、悪い事もあります。
 いい事と言えば、今の仕事場に感じる不満を解消するいい機会になることでしょう。例えば、今の撮影スタジオには空調がないし、生き物の飼育室ではお湯が出ません。
 空調がない鉄筋コンクリートの建物は、夏になると建物が蓄えた熱でほとんど地獄になります。朝まだ薄暗い時間帯でも、室温は前日から残っている熱で33〜34度くらいの暑さ。
 ましてお日様が出る日中は・・・。
 かといって空調を取り付けようにも、建物の構造上、天井に埋め込む方式のビル用の高価なものしか選択肢がなく、数十万円の覚悟が必要です。またフロアーが仕切られていないので、余程に強力なエアコンを買わなければならないし、電気代も大変なことになるでしょう。
 冬は、生き物の飼育室にお湯が出ないのはつらいです。洗い物をすると、10秒くらいで、手が冷たさでガーンと痛くなあり、子供の頃のお湯が普及する以前の暮らしが思い出されます。
 一方で、今の仕事場には、むちゃくちゃに広いという良さがあります。
 うちの広さは、昔日本が大きな家に3世代くらいが同居するのが普通だった時代の名残であり、核家族化した今の時代に同等の広さの土地を住宅街に確保するのは、ほぼほぼ不可能。
 したがって、今の広さを前提に発展させてきた仕事のスタイルを変更せざるを得ないのは、引っ越しに伴う悪いことの1つです。
 そこでまず最初にやらなければならないのが使用頻度が低いものの処分であり、夏の終わりくらいからかなりの時間を割いてやっているのですが、まだ終わりません。



 撮影機材に関しては、使用しないものはオークションで販売するのが、一番お金になります。が、物の説明を書いたり落札されたら発送したり、と手間もかかります。
 また僕みたいな商売の素人は、まとめてたくさん出品すると誤配をやりかねないので、1つずつ販売していくと、今度はオークションの結果を気にしなければならない期間が数ヶ月にも及んでしまいます。
 ということで、幾分かの撮影機材は、まとめて買い取り業者さんに送ったりもしました。



● 23/12/20 役に立つ?

 つい先日、SNSで、大学時代の恩師・千葉善彦先生の著作が取り上げられていました。
 先ほどその投稿を改めて見てみたら、「リツイート」が707なので、ただ取り上げられていただけでなく話題になったと言ってもいいでしょう。
 千葉先生は時々、
「研究は役に立つだけが能じゃない。」
 と言っておられました。
 ところが、ご自身の研究が役に立った時は大変に嬉しそうでした。
 それを思うと、もしも先生が生きておられたら、ツイッターのアカウントを持っておられたし、著作が取り上げられたことをとても喜んだに違いありません。

 千葉先生は、大学院生のそれも含めて研究のことを仕事と呼んでおられました。俺の研究じゃなくて、俺の仕事。君の研究じゃなくて、君の仕事という風に。
 そして仕事なんだから、社会に貢献しようとする義務があると考えておられました。
 当時の僕は、社会への貢献と「研究は役に立つだけが能じゃない」という主張とが矛盾するのではないかとも感じたのでした。
 でも今考えると、一人の人間の研究の中に役に立つ部分もあれば、純粋な興味で成立している部分も必要なのは、至極当然。
 純粋な興味の部分がなければ研究というよりはビジネスになるし、役に立とうとする部分がなければ趣味になります。
 自然写真の仕事も全く同じで、売れるもの (人気があるもの、役に立つもの) しかやろうとしない人は、つまらないです。
 でも、売れることを軽視している人は、やがてどこかで仕事としては続けられなくなったり、続いていても、もはや惰性になってしまったり。

 それを思うと、「研究は役に立たなければならない」とか、「いやそうじゃない」などという世の議論は、罪作りだなと感じます。
 議論することで、どちらか1つの考えを選ばなければらないと思い込んでしまうから。



● 23/12/12 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。


● 23/12/11 検査



 大腸の検査をしてもらいました。
 大腸の検査と言えば、煩わしいのは下剤を飲んで腸を空にすることと嘆く人が多いのですが、僕の場合は、下剤を飲むのはそんなに苦ではありません。
 元々、日常的に水分をとてもたくさん取り、お茶のボトルを短時間で空にしてしまうくらいだからかなぁ?
 むしろ、前日の食事制限の方が嫌な感じがします。
 検査をしてくれたのは内科医である弟で、弟の病院では、前日の食事として専用の検査食を採用しています。
 そして何よりも僕みたいなうっかりが多いタイプにとって気になるのが、ちゃんと気を付けているにも関わらず食事制限を忘れてしまうことです。その手のうっかりは何かに夢中になった時におきがちなので、今回は、検査の前日はなるべく何もしないようにゴロゴロして過ごしました。
 
 今回の大腸の検査は、過去に取った腫瘍の経過観察でした。
 以前、何かおかしいと思って見てもらったら3センチもの腫瘍が出来ていたのです。
「大きいから一部癌化している可能性もある。」
 とのことでしたが、取った腫瘍を調べてみたら、癌は見つかりませんでした。
 翌年、経過観察でもう一度見てもらったら、今度は何もなし。
 そして今回も何もなし。
 つまり五十数年生きてきてたった1つだけ、できものができたわけです。
 五十数年で1つというのは、とても低い確率でしょう。でも、もしもそれを放置していたら下手をすると命がなかったかもしれません。
 それは病気に限った話ではなく、僕は普段、火事を出さないようにかなり気を付けますが、火事を出す確率は癌ができる確率よりもさらに低いことでしょう。
 でもそのとても低い確率のことを気にしなければならないのが人間なので、毎日ただ生きているだけで、疲れるはずです。
 ともあれ、何かおかしいと最初に検査をした時に、もしも弟が内科医でなければ、煩わしくてさらに先延ばしにしたかもしれないし、それを思うと、気楽に検査をお願いできる兄弟がいた僕は運が良かったという気もします。



● 23/12/3 ハードディスク



 貸し出し用の画像を保存しているハードディスクを、より容量が大きなものへと変更しました。今や8Tという大容量のものが2万円以下なのだから、随分安くなったものです。
 安くなったとは言え、ハードディスクは買ってワクワクするものではないので、できれば買いたくないし、あと少しで満タンになりそうなタイミングになると、不要なファイルを削除してみたり、整理をやり直してみたりと悪あがきをします。
 そんな時に出てくるのが、ちょっとした人の集まりなどの際に撮影したスナップ写真などです。
 そう言えば、この写真、みんなに渡したっけ?渡したかもしれないけど、まあ、もう一度渡しておくか、とそれらの画像を一ヶ所にまとめてみたりします。
 でも、その手の画像が次々と出てきてきりがないので、最終的にはそのまんま。むしろ、人に渡す予定の画像がまとめられたフィルダーが1つ増えて、整理とは真逆のことに。
 僕は、だいたいそんな結果になるので、大切なのは、
「画像の整理しているから、整理が終わったら画像を送るね。」
 などと画像を渡したい相手には伝えないことだったりします。

 貸し出し用の画像は膨大な量になるので、1つのハードディスクに収めることができず、3つに分かれています。
 その3つのハードディスクを、1本の3つ口の電源コードと1本の分岐されたUSBコードでひとまとめにして、合計2本のコードをPCとコンセントに接続します。
 さらにそれと同じものをあと1組作成し、バックアップにします。
 バックアップの方は、普段は落雷による故障に備えて電源コードとUSBコードを抜き、何にも接続していない状態にしてあります。
 また、バックアップを取る際に元の画像が壊れていた場合、バックアップまでもが壊れてしまうので、バックアップは2組用意して、一ヶ月交代などで交互にバックアップを取ればより安全になるだろうと、今、二組目のバックアップを準備しているところです。
 


 ハードディスクは、ワイヤーラックを使用して、壁に設置します。
 ワイヤーラックやハードディスクを入れているかごは、100均の華奢なものではなく、ホームセンターで販売されている丈夫なもの。
 後はハードディスクを結束バンドで補強して、パソコンを起動させ、新しく設置したハードディスクのインデックスを作成すれば、作業完了です。
 パソコンの画面上でハードディスクのアイコンをクリックすると、ウインドウズのPCの場合、右上に検索窓が表示されます。
 その検索窓にファイル名などの文字を入力すると、PCがそれに該当するものを探し出してくれます。
 僕は画像のファイル名を231203・・・と日付にしているので、その日付を入力すると、ファイル名にその日付を含む画像がすべて表示されるわけですが、インデックスを作成しておくと、その表示速度が超高速になります。
 ただし、インデックスの作成には時間がかかります。



● 23/12/1 資金

 アダプターを介して使用しているニコンの古い一眼レフ用ののレンズを、アダプターなしで使用できるミラーレスカメラ用の最新レンズに買い替えたいのですが、問題はお金です。
 今ちょうど引っ越しを控えていて、その際にどれだけお金が必要か分からないので、出費ができないのです。
 引っ越しの費用自体は大まかに算出できます。でも、引っ越しのついでに買い替えた方が長い目で見たら得になるもの生じてくるでしょう。
 あるいは、つい先日、生き物の飼育に使用している古い冷蔵庫をちょっとばかり動かしたら、それをきっかけに壊れてしまい、買い直す羽目になりました。同様のことが、引っ越しの際に幾つか起きる可能性も多いにあります。
 古いレンズでもアダプターが存在しちゃんと仕事ができているのだから、まあいいやという気持ちもあります。
 一方で時々、ああ、ここで最新のレンズがあればな・・・となるケースもあり、実はつい先日もそんなことがあったのです。
 唯一、新たな出費をせずにレンズを買い替える方法は、今使用しているものをオークションや買取業者さんに売り、資金にすることです。
 が、問題は、一時的に道具がなくなるのと、古い道具を幾つか売り払ったものの、新しいものを買うほどのお金にならなくて次のものが買えないケースです。
 ああ、早く落ち着きたいものです。


   
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