撮影日記 2023年11月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 23/11/30 センサーダスト

 先日、写真からタイムラプス動画を作ろうとしたら、カメラのセンサーに付着した小さなゴミが写真に写り込んでいることに気付きました。
 前日に、ちゃんとセンサーをクリーニングしておいたのに・・・
 カメラのセンサーに付着するゴミは、センサーをクリーニングした際にセンサーの周辺に押し出されたものがまた出てきた結果でしょうから、センサーの真ん中よりも周辺部によく付着します。
 そして写真から動画を作成する場合、動画の方が画面が横長なので写真の上下は多少切ることになり、その際に上下に写り込んだゴミは、一緒に切られてしまうことが多いです。
 左右のゴミは少しトリミングをすれば、だいたい回避できます。
 左右を切るなんて、画質の面で勿体ないと感じる方もおられるでしょうが、僕が今タイムラプス撮影に使用しているニコンのZ7Uで撮影できる画像の大きさは、8256×5504ピクセル。
 それに対して今主流の4Kと呼ばれるサイズの動画を作成するのに必要な画像の大きさは3840×2160とかなり小さいので、ニコンのZ7Uで撮影する画像は、動画を作成するにはもともと大き過ぎるのです。
 ところが今回のゴミは、画面の中央付近の嫌な場所に付着していました。
 その結果、もう一度撮影をやり直すことになりました。
 カメラのセンサーのゴミはクリーニングをしてもすぐに出てくることがあるので、タイムラプス撮影の際には、現場で、撮影の直前に手入れする必要があるようです。
 今までも、本番撮影の直前には試し撮りをして再度ゴミのチェックをしていますが、カメラのファインダーでは見落としがちだし、見落としの結果後で面倒になるのは馬鹿らしいので、大きな外付けモニターを現場に持っていくことにしました。


 
 上の製品は、時々スタジオで、カメラの背面液晶を見ることが出来にくい特殊なアングルからの撮影の際に使用しているもので、モバイルバッテリーでも駆動できるし、とても薄いし軽いので、持ち運びには適します。
 興味があったら、画像をクリックしてみてください。



● 23/11/28 特殊なソフト

 画像処理用のPCを新しくしたのはいいけど、新しいPCですべてのソフトがちゃんと動くかどうかは一通りの仕事をやってみるまで分かりません。
 したがってPCの新調の際には、当分の間、僕の場合で1〜2ヵ月くらいは、一抹の不安が残ります。
 中でも、深度合成用のソフトやタイムラプス用のソフトなどの特殊なソフトは、多くの場合、小さな会社、あるいはもしかしたら個人が作っているような印象で、トラブルに対する対応に関しては、より不安が大きくなります。
 ここ数日は、タイムラプス動画の仕事があり、LRタイムラプスという特殊なソフトを新しいPCに変えてからは初めて使用することになりました。
 結果はちゃんと動いて一安心。
 それどころか、以前使用していたものからアップデートされていて、以前はソフトの表記が英語だったものが日本語表記になっていました。

 LRタイムラプスは、操作がかなり特殊で、ガイドなしでは手も足も出ないでしょう。
 ガイドを見ながらでも最初は何をやっているのかよく分からないし、とにかくガイド通りに何度もやっているうちに、徐々に理解できていくソフトでしょう。
 さらに、単独で作動するのではなく、アドビのライトルームと連動して動くしくみになっているのもやっかい。
 使いこなすためにはライトルームの操作にも慣れている必要があり、ライトルームを普段使用していなかった僕にとっては苦手なソフトでした。
 ところが、新しいPCでは、そのライトルームを日常的に使用することになりました。ライトルームに搭載された、Aiの力で画像のノイズを消す機能が大変に有効で、そもそもそれを使うためのPCの新調だったからです。
 すると、LRタイムラプスを使用する作業のうちの半分のライトルームと連動させる部分が、慣れた作業になり楽になりました。
 タイムラプス動画の仕事に関しては、ソフトに対する苦手意識がかなり改善されました。
 今後もライトルームと連動させるタイプの特殊なソフトは出てくるでしょうし、自然写真を仕事にするような人の場合、ライトルームには慣れておいた方がいいのかもしれません。
 ライトルームと有名なフォトショップは同じ会社の製品ですが、かなり発想が違うし、フォトショップの感覚で言うとライトルームは独特で、慣れが必要なのです。



● 23/11/26 科学物

 過去に何度か、
「自然写真の仕事をするためには大学で生物学を勉強した方がいいのですか?」
 と聞かれたことがありました。 
 一言で自然写真と言っても、生物学的なものから、絵画や文学的なものやエンターテインメント的なまでさまざま。その中の科学物ではない何かを目指しているのなら、生物学の勉強は不要、もしくは知識が邪魔になる可能性も大いにあります。
 でも現実には、自然写真の仕事の多くは科学物の枠組みになっているし、オーソドックスにそれらの仕事をやりたいと思うのなら、生物学に進学するのは悪い選択ではないはずです。
 大学で先生方が意図的に教えている知識に関しては、独学でもそれなりに勉強できるでしょう。でも、研究室の中で交わされる会話などから自然と身に付く科学の考え方は、そうした知識以上に重要で、これが独学ではなかなか身につかないからです。
 常識とは、考えなくてもこれが当たり前でしょうとわかる感覚だとするならば、科学系の常識が身に付くと言い換えてもいいでしょう。

 ただ近年は、SNSが、かなりその代わりを果たすことも多くなってきました。
 例えば旧ツイッターのXで研究者のみなさんや生き物好きのみなさんの発信やそこで交わされる会話を日常的に見ることは、自然科学系の研究室に所属し、そこで交わされる会話が自然と耳に入ってくるのに似ているのです。
 いい時代になったなと思うわけですが、一方で、そうして見ている人と見ていない人の差を大きく感じるようにもなりました。
 新しい段階が生まれたとでも言うのか、あるいは山登りに例えるなら、今まで頂上だとされていた場所がもはや頂上ではなく、ベースキャンプにでもなってしまったかのようです。
 さらに、自分が知ろうとしない結果、自分が無知であることに気付けない類の強気や、逆に、ちゃんと知らないことから生じるコンプレックスやそこを避けたくなる弱気も怖いものです。
 ただ、ならばと義務的に頑張ってSNSを見ても、ほとんど何の役にも立たないでしょう。面白がってみていなければ話にならないところが、生き物の本作りのような趣味性が高い分野の難しさだったりします。
 実は、年々徐々に、自分がついていけなくなり始めていることも、感じ始めています。難しくて分からなくなるというよりは、興味がなくなってくる感じがします。
 
 

● 23/11/17 また忘れ物

 写真を撮ろうと思ったら、ニコンのマウントアダプターを忘れてしまったことに気付きました。
 今、ニコンのカメラには新旧2つの規格があり、Fと呼ばれる古い規格のレンズをZと呼ばれる新しい規格のカメラに取り付けるためには、FTZというアダプターが必要です。
 新しい規格のカメラが登場した際にカメラは一台買えば済むのに対して、レンズをすべて買い替えるのはとんでもなない出費になるので、古い規格のレンズも、当面アダプターを介して使わざるをえないのです。
 ところが、そのアダプターをよく忘れてしまうわけです。
 アダプターをあと1つ買うべきか・・・
 ニコンの場合、そのアダプターが約30000円となかなか高価。僕の印象では、せいぜい18000円で、中古で13000円くらいが妥当のような気が・・・

 今、使用しているレンズで、そのアダプターを必要とするのは、
AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VR
AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED
AF-S NIKKOR 24mm f/1.8G ED
AF-S Fisheye NIKKOR 8-15mm f/3.5-4.5E ED
 の4本です。
 AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VRは、つい先日、これに近いものが新しい規格で発売されたばかりです。
 当然、おお!新しいものに買い替えるか!と思ったわけですが、残念ながらお値段が・・・。少なくとも、すぐには手が出せる価格ではありませんでした。
 AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G EDは、あまり使用頻度が高くないので、古いもので我慢。
 AF-S NIKKOR 24mm f/1.8G EDも、使用頻度が低いので後回し。
 AF-S Fisheye NIKKOR 8-15mm f/3.5-4.5E EDは、新しい規格のレンズに買い替えたい一番手です。
 ところが買い替えようにも、それが発売されていないので、古いレンズを使うしか方法がありません。
 AF-S Fisheye NIKKOR 8-15mm f/3.5-4.5E EDなどは、そもそも、僕が引退するときまでに新規格のレンズが発売されない可能性もあります。
 
 

● 23/11/15 政治の話

 政治に参加せよ、と言われても、政治がらみの話は僕にはほとんど理解ができません。例えばインボイスうんぬんと言われても、それが自分にとって得か損かはわかっても、社会にとっていいことかどうかは、経済が分からない僕には判断ができません。
 さらに、僕みたいな偏ったタイプの人間の場合、そもそも一般的な大多数の人の気持ちが理解できにくい面もあります。
 したがって、世の、「政治がひどい」というヒステリックな批判を耳にしても、正直、そこまでは共感することができません。
 ただ時々、僕にもわかる分野の話になると、確かに政治がお粗末だなと感じることならあります。
 とにかくアイディアのなさにがっかりさせられます。
 いいアイディアをたくさん持っていて、こんなことを実現したいと主張するのではなく、とにかく役職としての政治家になりたい人があまりにも多いというのか。

 武田家はかなり極端な役職嫌いなので、僕の場合、子供の頃から役職好きの人が身の回りにはいませんでした。
 役職好きの人は、役職という錦の御旗が通用しない役職嫌いの人を大変に恐れるので、武田家から遠ざかっていくのです。
 ところが大人になる過程では、いろいろな人に出会います。そして中には、役職が大好きという方と出会う機会もあり、それは僕にとって未知との遭遇でした。
 中には、政治家の方もおられました。
 やがて、役職好きの方々と接するうちに、そうした方々が、役職に就くことで自信をつけようとしていることに気付きました。
 その根底には、役職=偉い人という評価が存在していることになります。
 なるほど!
 僕は普段、日本の政治家のみなさんに対して、自分が分からないことは得意な人にやってもらえばいいのに、なぜそうしないのだろう?と感じるのですが、役職=自分の自信という構図が成立してしまうと、それができにくくなることでしょう。
 権限を委譲して、その結果他人が活躍すると、今度は自分の自信が失われるからです。俺の立場がない、と。 
 でも、本当に役職にふさわしい人とは、自分が悪役になれたり、自分を超えて他人が活躍しても、それを喜べる人、自分の立場を求めない人ではないか?という気がしてなりません。



● 23/11/14 迷惑メール

 メールに返信をしたのにその後の返事がないなと思っていたら、僕の返信が迷惑メールに振り分けられていたらしいです。
 それまで普通にやり取りできていたはずなのに。
 その事情が記された返事が、今度は僕のメールソフトで、迷惑メールに判定されていました。僕は迷惑メールを自動で振り分けていないので、それに気づいたのですが。
 それにしても、迷惑メールって、配信している人は儲かっているのでしょうか?こんなの誰も騙されんやろうと感じるものがあまりに多いです。
 本気で騙そうとしているメールなら、世の中にはズルして儲けようとするやつがいる、と同意はできないにしても理解はできるのですが、誰も騙されないようなメールだと理解ができないし、僕はどちらかということ、そちらの方がモヤモヤして好きではないかもしれません。
 インターネットが普及した初期の頃は、迷惑メールやウィルスみたいなものを社会は想定していませんでした。したがって、その手のものが登場したときには、なに?なに?と言った感じでした。
 それにしても、いろいろなものがでてくるものだな〜。人のすることって、複雑だな〜と改めて思います。
 
 日本にはオオサンショウウオをいう名前の大きなサンショウウオが分布しますが、近年、よく似た外国産のオオサンショウウオが日本の河川に放流され、雑種がはびこっていることがわかりました。
 しかもそれが範囲を広げている。
 さて、いったい誰が、何の目的で外国産のものを放すのでしょう?
 魚なら「釣りたい」が想像できますが、オオサンショウウオとなると、全く想像ができません。
 また、標識されているオオサンショウウオが、全く別の河川で見つかった話を聞いたことがあります。
 いったい誰が何の目的で、オオサンショウウオを移動させたのでしょう?
 愉快犯?
 あるいは何となく?
 釣り師が魚を釣りたいがゆえに外来魚を放流することが問題となり、一部では、バス釣りなどを禁止すべきという意見もありますが、恐らく禁止をしても、その手の放流はなくならないことでしょう。
 僕はそんな時に、人間って何者?と考えさせられます。



● 23/11/13 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
 今月は出版では使われないであろう写真を選んでみました。



● 23/11/6 リスのエビフライ探検帳



 もう随分前のことですが、いったい何の話からそんな話題になったのか、
「そう言えば、先日、編集者が集まるパーティーの場で、あなたは写真が好きですか?、と飯田さんから聞かれたんですよ。」
 と編集のTさんから切り出されたことがありました。
 そこで、
「で、なんて答えたのですか?」
 と聞いてみたら、
「もちろん、大好きですと答えました。そしたら、ああそれはいいね!と飯田さんがしみじみおっしゃいました。」
 とTさんが教えてくれました。
 Tさんは、情熱的な仕事をすることで業界では有名な名物編集者。そのTさんの話の中に出てきた飯田さんは、Tさんとは違う出版社の編集者で、一編集者というよりは、編集部全体を率いる立場におられた方でした。
 飯田さんは、仕事で写真を送ると、その写真を見ることを、大変に楽しみにしてくださいました。仕事の責任感以外に、写真や本作りが好きだからやっているという思いが前面に出てくる編集者でした。
 飯田さんが、他社の編集者に、
「あなたは写真が好きですか?」
 と聞いたということは、業界内でそういう人が得難いということなのかなぁ。
 仕事の責任感が強い編集者は、まあまあおられるのですが、写真や自然の話が好きで好きでたまらないという人には、なかなか出会えません。
 というのは、仕事の責任感と何かを好きであることは、同居することが難しいからです。
 一方を取れば、他方が損なわれます。
 日本の社会は、仕事の責任感、つまり真面目さが強く要求される社会なので、好きであることをきちんと維持するためには、確立された個が必要になってくるのです。
 そして僕が年を取るにつれて思うのが、仕事の責任感はもちろん大切だけど、生き物の本を作るような分野は趣味性が高い分野であり、やっぱり好きで好きでやっていることが大切ということ。
 
 その飯田さんが著者として作った本が、冒頭の「リスのエビフライ探検帳」です。
 今のポジションを何と記そうかと思って本の中のプロフィールを見たら、「散歩家」と書いてありました。
 「リスのエビフライ探検帳」は、散歩家の飯田さんが、リスに食べられてエビフライのような形になった松ぼっくりを紹介する本です。



● 23/11/4 ストライクゾーンに投げ込むとは

 引っ越しに備えて荷物を整理していると、整理=分類であると改めて感じます。
 そして整理をする際に一番最後まで残ってしまうのは、しばしば、分類しにくいものです。
 例えば工具の類を整理する際に、「切る道具」「はさむ道具」「ネジを締める道具」などと分けていくわけですが、そうした単純なカテゴリーに分けにくいものは、整理する上で困った存在です。

 その手の分類しにくいものは、恐らく世に存在できにくいはずです。
 なぜなら、お店がメーカーから物を仕入れて陳列する際に、置き場に困るし、敬遠されるはずだから。
 当然メーカーは、自社の製品が既存のカテゴリーに当てはまるように開発していくことでしょう。
 自然の写真を使用した書籍でも、科学書なのか美術書なのか分類する際に迷うようなものは、あまり成功していないように思います。
 物事の境界線ではいろいろな化学反応が起きるので、その境目に位置するもの、つまり分類しにくい物の制作は、大変に面白いことでしょう。
 でも、その手の制作は、俗っぽい言い方をすれば頭がいい人のすることであり、凡人はストライクゾーンの真ん中に球を投げこんだ方がいいんだろうな、なんて思います。

 世の中には、分類することを大変に嫌う方もおられます。
 例えば、男だとか女などと分けると、烈火のように腹を立てる方がおられます。
 写真の世界では、プロとかアマなどと分けると、腹を立てる方がおられます。
 でも、分類することは整理することなので、分類はとても大切なことです。
 分類を嫌う方の話は、どうしても支離滅裂になるので、会話をすることが難しいです。
 中でも分類が大切なのは、科学の世界です。
 科学は、自然界に存在する法則性を見出そうとする学問。そして法則性とは共通性であり、まさに分類そのものなのです。



● 23/11/1 警察

 大学時代の研究室の仲間が、運転免許の更新に行く、と言うので、
「そう言えば山口県って、免許の更新がそこらの警察署でできるんだよね。」
 と言ったら、
「よその県では違うの?」
 と聞かれました。
 山口県の警察署では免許の更新ができるのを知ったのは、大学生の時でした。
 研究室の先輩が、
「山口県はのう、警察署で免許が更新できて、運転免許試験場まで行く必要もないし、警察署は人も少なくて早くていい。」
 と教えてくれたのでした。
 福岡県にはそのような制度はないし、教えてくださったのは愛媛出身の方なので、愛媛県にもないのでしょう。

 さて、その愛媛出身の先輩は、今では福岡県警に勤めていて、科学捜査の仕事をしておられるはずです。
 福岡県警の採用試験の時に自動車で警察署に向かったら遅刻をしそうになり、しかたがないので警察署の前の通りに車をとめておいたら、駐車違反の切符を切られたという面白い先輩でした。
 研究室にはあと一人、愛媛出身の先輩がおられ、二人ともカリカリしないというのか、自由を愛する方だったので、僕の愛媛県出身の男性に対する印象は大変にいいです。
 一方で、研究室に在籍していた愛媛出身の女性は大変に気が荒く、男性の先輩に向かって呼び捨てで
「おい、○○!私の実験はどうなった。出来てないやんか、やっとけと言ったやろう。」
 と怒鳴りつけるほど。
 n=1なので、それで県民性を語れるはずもないのですが、狂暴という印象が30年以上経過した今でもこびり付いて取れていません。

 その穏やかだった愛媛の先輩が、ある時車の運転中に、警察官に止められたことがありました。
 求めに応じて免許を提出すると、警官が
「 ○○○ ○○○ さんね。」
 と名前を声に出して読みました。
 先輩の名字の読みは、非常に特殊でした。当然、警官は正しく読むことが出来なかったのですが、先輩は不貞腐れて、見るからに非協力的でした。
 あの朗らかな先輩が・・・さらに今にして思うと、後々警察に勤めることになった先輩が・・・
 一般的に言うと褒められた振る舞いではないのでしょうが、僕は、むしろそこに人間味を感じ、今でもその時のことを思い出し、ホッとさせれることがあります。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2023年11月分


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