撮影日記 2023年7月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 23/7/20 編集

 僕の場合、撮影した画像の色や明るさの調整などの画像処理はわりとまめにやっているのですが、処理が終わっていつでも貸し出せる状態になった写真を分類して整理するのは、月に一度くらいの頻度です。
 すると一ヶ月の間に冷静になるのか、自分の写真に対する評価が撮ったばかりの時とは違ってきます。
 具体的には、うん、これでいい!と思っていた写真の中に、後でみたらそうでもない写真が出てきます。
 その逆、つまりイマイチだったと思っていた写真が、後で見たら良かった試しは、多分ありません。あとで見て嬉しくなるケースがあるとするならば、何でもないと思ってスルーしていた写真の中に、ん?これ意外に使えそうという写真が含まれている場合くらいでしょうか。
 つまり見落としです。
 ともあれ、大抵の場合、写真は撮ってからひと月くらい時間を置いて冷静になってみたら、ガッカリするわけです。
 ガッカリするケースでは、共通点があります。
 時間に追われて撮影した写真です。
 ぱっと見、使えそうな写真なら短時間で撮れても、じっくり見ても評価が下がらない写真を撮るには時間をかける必要があるし、同じ持ち時間とコストの中でその時間をいかに生み出すかが、カメラマンとしての力量であるような気がします。 
 
 若い頃は、1つの被写体に対して、いろいろな角度から撮っておこうとしました。
 でも、いろいろな角度から写真を撮るということは、1つの角度から撮影する時間は短くなっているということであり、1枚1枚の写真の品質は低くなります。
 そしてその中から一枚だけ写真を選んで使うと、これぞ!という1つの角度から突き詰めて撮った写真に比べると、品質は低くなります。
 いろいろたくさん写真を撮っておいて、その中から後で写真を選ぼうとするのは、事前の編集がきちんとできていないということであり、僕は褒められたやり方ではないような気がしています。
 それゆえに、まとまった量の撮影の仕事を引き受ける際には、
「撮るシーンが多くなればなるほど、それぞれの写真の品質は低くなりますよ。」
 と伝えることにしています。



● 23/7/12〜19 区画整備



 左側の壁は、元々斜面だった場所を削って新たに作られたもの。
 結構な高さがあります。
 元々は右にいくにつれて低くなり、右側には住宅があったのですが、立ち退きで広大な更地になりました。
 写真に写っているのは一部で、おそらくこの4倍くらいの面積が更地になるはずです。
 僕にはその是非を判断できる能力はないのですが、政治にすることって、すごいですね。

 僕がこの付近に住み始めた当時から、
「ここに住んでも、どうせあと少しで区画整備の立ち退きが始まるよ。もう決定事項だから・・・」
 と言われていました。
 で、実際に僕が立ち退くことになったのが、それから約30年後の今年です。
 これだけの面積の斜面を削ること、人を立ち退かせることもすごいけど、30年もかかるのもまたすごい。
 政治ってむずかしいのでしょうね。
 区画整備が決定事項だと聞いてから、実際に着手するまでには30年も要しているわけですが、いざ工事が始まると、早い早い。
 画面の右側を、東筑高校、折尾愛真高校、折尾高校の学生さんが歩いて駅に向かったりするのですが、何度もここを歩いた卒業生の方でも、この場所がどこか分からないんじゃないってくらい、短期間で変貌しました。
 ここには規制の対象になるような特別な生き物はいないわけですが、僕的には、そうして何となく生き物がいなくなることが残念です。
 ちなみに、僕は政治には興味がありませんが、もしも政治家になるのなら、新たに野山を切り開くのではなく、これから人口が減ることを利用して、すでに切り開かれた土地を有効利用することを勉強して、その道の専門の政治家になりたいです。
 
 

● 23/7/11 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。



● 23/7/3 調べる・考える

 ホームページを更新しようと思ったら、ホームページ関係のファイルが、サーバーに送信できなくなっていました。
 何が起きているのか分からなかったので、別のPCで試してみたら、そちらでもやっぱりダメ。
 そこでサーバーのホームページで調べてみたら、
「FTPでの通信(旧方式)を提供終了いたします。今までのFTP設定(旧方式)から変更していない場合はファイル転送ができなくなりますので、期限までに設定を切り替えていただくようお願いいたします。」
 とあり、分かるような分からないような・・・
 ともあれ、多分それが原因だろうと、書いてあることを試してみたら、無事、更新ができるようになりました。
 おそらく、事前にメールで通告がきているはずだけど、何のことを言っているのか分からずにメールを削除してしまったのでしょう。
 おや?ということが起きると、妙に疲れます。
 
 さて、以前にもちらっと書いたのですが、区画整備の関係で引っ越しをすることになっていて、考えなければならないことがあまりに多くて、まあ、なんと面倒な。
 調べるとか考えるというのは、なんと疲れることでしょう。
 救いなのは、北九州市が、或いはうちの担当の方がとてもちゃんとしているということです。

 最近気を付けていることの1つが、調べたり考えたりするときは、可能な限り、詰め込まないことです。
 なるべく、調べたいなとか、考えたいなという気持ちになっている時にだけ、調べたり考えたりするようにしています。



● 23/7/2 画像処理





 今や、画像処理は非常に重要な写真のテクニックになりました。
 今日の2枚の画像も、実はそこそこ勉強している人でなければ知らない画像処理を施してあるのですが、不思議なことに、僕はそれを人に紹介したいという気持ちにはなりません。
 隠したいわけではありません。
 僕の場合、大抵の写真のテクニックは、おもしろいこととして、どんどん紹介しています。
 先に不思議なことに・・・と書いたのは、画像処理に関しては語りたくない理由が、自分でもよく分からないのです。
 自分以外の方が画像処理に関してレクチャーしておられるのを見ても、その内容の良し悪しや是非以前に、理屈抜きに、何だかつまらないなぁと感じてしまいます。中でも、元の画像に、ここはこうすると線や字で細かく書き込まれたものを見ると、嫌気に近いものを感じてしまいます。
 画像処理ソフトの操作のやり方は別にして、そのソフトを使用して誰かが施した処理の中身を参考にすることもありません。
 画像処理はインチキの一種だと言う方もおられます。が、僕はむしろ、写真の本質に近いとさえ思っているのに。
 商品撮影の本などを読んでみると、写真には、「ここはこう写っているべきである」というある種の理想が存在することがわかります。
 画像処理はその理想に近づける行為であり、どこがどう写っているべきかに関する理解の深さが問われる操作であり、決してインチキではないのに・・・

 画像処理は、僕にとってはとても大切なことだけど人に語るようなものではない、ある種のプライベート?


   
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