撮影日記 2023年5月分< バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 23/5/29 裏と表

 川の景色の撮影で道路から谷をのぞき込もうとしたら、ガードレールに苔が生えていて、その苔を食べに来たであろう生まれた一ヶ月くらいの小さなカタツムリを見つけました。
 このカタツムリ、種類はなんだ?生まれて間もない子供の場合は種類が分からないのです。
 場所から判断すると、個体数が多いのはセトウチかな?
 あるいはイワミ?
 イワミなら、雨の日に大きな個体を探してみたいな。
 そんなことを考えていたら、ちょっと離れた場所に、今度は大人の貝を発見。



 種類はサンインマイマイでした。
 そうかそうか、サンインマイマイも候補として考えられるよな。
 ともあれ、画像はガードレールの山側。
 裏側は谷側になるのですが、光がよく当たる谷側にはほとんど苔がなく、カタツムリの姿も一切なし。
 たった一枚の鉄の板をはさんで、その裏と表とが別世界でした。



● 23/5/18 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。
4月分の今月の水辺は、連続していて少しずつ少しずつ移り変わるものの話です。



● 23/5/16 美の鼓動





 上記の美術館の展示に参加します。
 6/10〜7/23、九州産業大学美術館、入館料 一般200円 大学生・専門学校生100円 です。
 展示全体のテーマは、「たいせつなあいまいさ」です。
 僕の場合は「あいまいさ」は=自然で、白黒はっきりさせようとするのが人の社会の決め事や定義です。
 https://www.kyusan-u.ac.jp/ksumuseum/tennji/next/

 子供の時に、春は3〜5月、夏は6〜8月、秋は・・・と母から教わった時に、僕はたいへんにびっくりしました。
 びっくりした僕を見て父が、
「ほら、6月は、まだあまり暑くないから夏という感じがしないかもしれないけど、6月1日から制服が夏服になるやろう。」
 と言いました。
 が、僕がびっくりしたのは6月が暑いかどうかではなくて、季節って人が決めたことなの?という驚きでした。
  それまで僕が知っていた季節は、いつの間にか勝手に暑くなったり寒くなる季節でした。それに対して母が教えてくれた季節は、人の社会の決め事としての季節でした。
 つまり季節には2種類あり、1つが自然に存在する季節なら、あとの1つが人が定義した季節。そして、自然の季節は曖昧で連続しているけど、人が定義した季節はきれいに分かれています。
 自然界には、そもそも定義するという行為が存在しないので、自然界のものはすべて連続していてあいまいです。
 それに対して人は、連続していて入り混じっている物事を分解して名前を付けて、定義をして、あいまいさをなくそうとします。
 なぜ曖昧さをなくそうとするのか?と言えば、ある言葉を聞いた時に、みんなが同じものをイメージできるようにかな。
 そう言えば、大学の時にも似たことがありました。植物形態学の授業で胞子を勉強したときに、
「厳密に言うと、この瞬間から先が胞子なんです。」
 と教わった時に、僕は衝撃を受けました。
 僕が興味を持っている自然は自然界に存在する自然であり、人が定義した自然にはあまり興味が持てないことを実感した瞬間でもありました。
 ともあれ、「たいせつなあいまいさ」というテーマは、「たいせつな自然」でもあり、とても面白いテーマだと感じました。

 ところで、人が決めた季節は、どこに存在するのか?と言えば、人の脳の中ということになります。
 自然には、自然界に存在する自然と人の中に存在する自然とがあることになります。
 昔、大学時代の同級生が、
「人は自然の一部、自然は人の一部」 
 という言葉を使っていたのですが、そんなことを言っていたのかなぁ。
 そのうち、機会があれば、聞いてみようと思います。



● 23/5/13 アルパインスタイル





 子供の時に、初めて宮崎県の祝子川渓谷に連れて行ってもらった時には、水の美しさに大変に驚きました。
 川底が岩盤なので魚の姿がよく目立ち、祝子川沿いに設けられた大崩山への登山道からは、点々とヤマメの姿が見えました。
 その祝子川に行ってみようかと思ったのですが、写真を撮ることを目的にする場合はちょっとばかり遠いので、よく似た渓相の大分県の渓谷に行ってみました。
 気象条件が撮影向きではなかった場合には釣りをするつもりでしたが、結局丸一日写真を撮りました。

 最近は道路が良くなったので、北九州を朝の5時に出発すると、例えば宮崎県の延岡市で朝の8時代には撮影が可能です。
 したがって、時間を確保して前もってとにかく現地に行っておくより、天気を見て良しと判断した場合にさっと現場に向かうことが多くなり、気象条件を外すことが少なくなりました。
 山登りのスタイルに、時間をかけて徐々に徐々に高度を上げる極地方や、軽装で一気に頂上を目指すアルパインスタイルなどがありますが、最近の僕の撮影スタイルは、アルパインスタイル的になりました。
 それが必ずしもいいことだとは思っておらず、天気が撮影向きではなく釣りをしたり、目的以外の被写体を撮影するのも悪くないのですが、それでもアルパインスタイル的になっているのは、コストの問題があります。
 山登りの際のアルパインスタイルのいい点には費用を抑えられることがあるらしいのですが、これは写真撮影にも当てはまりまるのです。



● 23/5/5 賞

 好きでやっていることなので悩みという言葉は厳密には不適当ですが、カメラマンとしての僕の悩みは、自分が興味をひかれる被写体が、しばしばあまり人気がないことです。
 写真が仕事ではなければ、人気の有無などは、どうでもいいこと。むしろ喧騒嫌いの僕としては、人気がない方が静かに撮影に取り組むことができる良ささえあるでしょう。
 でも仕事の場合、人気がないものはビジネスとして成立しにくいので困ります。ある生き物の人気と、その生き物を紹介する本の売り上げには恐らく相関があり、言うまでもなく人気がある生き物の方が本はよく売れるでしょう。
 そして本が売れそうなら企画を出版社に提出した際に受け入れてもらえやすくなるし、売れそうもない感じがすれば、なかなか企画は通らないでしょう。
 最近僕が取り組んでいるテーマの中では、貝は、写真の被写体としてはあまり人気がありません。中でも子供向けの本に関して言うと、貝の本は、カタツムリを除いて、過去にほぼ例がありません。
 したがって、「貝のふしぎ発見記」の案を出版社に提案する際には、どうせ企画は通らないだろうなと内心僕は諦めていました。
 ところが結果は、予想外のものでした。
「貝の本がないから、出版しましょう」
 ということになったのです。
 そして、その「貝のふしぎ発見記」が、なんと!第70回産経児童出版文化賞 奨励賞を受賞しました。
https://www.sankei.jp/pressreleases/2023/05/695852
 そんなことって、あるんですね。
 また「貝のふしぎ発見記」は、同時に北海道の課題図書にも選んでもらいました。
http://sla.gr.jp/~hokkaido-sla/pdf/shiteitosyo.pdf

 生き物が話題になる時に多いのは、自然に対して人がどうあるべきか、つまり人の在り方の話です。
 それに対して「貝のふしぎ発見記」は、世の中には人の都合とは無関係な存在もあるという立ち位置の本なので、本来、人の目にとまるキャッチーな本ではないでしょう。
 そんなタイプの本に誰かが興味を持ってくれたことが、とても嬉しいです。
 人の在り方の話はとても大切なことですが、どんなに大切な話でもそれが人の話であることには違いなく、すべてを「人」にしてしまうことには、僕はとても抵抗があります。
 そこに、僕の生き物のカメラマンとしての立ち位置があります。

 問題は、産経児童出版文化賞が大変に厳かな賞であることです。
 皇室の方がお越しになる授賞式に何を着ていくか・・・。
 僕はセレモニーはいつもとんずらしているので、服がないのです。
 僕を良く知る人たちからは、「絶対に普段着でいかないように」と釘を刺されています。


   
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