撮影日記 2023年1月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 23/1/18〜23 歯科

 歯の詰め物が取れたので、治療してもらいました。
 詰め物が取れた跡の状況を1月4日に見てもらい、改めて予約をして治療してもらったのが1月23日。
 歯科は予約制でほぼほぼ待たずに時間通りにきっちり治療を受けることができるのですが、そうしたやり方をすると、予約が取れるのが2週間以上も先になるのですね。恐らくは、痛みがあるなど急を要する人のための枠は空けてあると思うのですが。

 取れた詰め物は歯科医だった叔父に、もうずいぶん前に治療してもらったものです。
 その叔父から先日、
「カルテが欲しいんやけど、用紙をどこかの歯科でもらってきてくれんか。」
 と言われて、面食らいました。
 というのは、叔父は歯科医を引退してからかねりの年月が経っているから。
 今更カルテなんて必要があるのかな?もしかして、ボケた?
 叔父の記憶が怪しくなりはじめているのは、なんとなくわかるのですが、今のところ、妄想を言うような傾向はありません。
 果たして、カルテを調達して叔父に届けると、ボケたわけではなく何かの事情でカルテの用紙が必要だったようです。
 叔父は歯科医を引退後、自宅を売却して介護付きのホームのような施設に入居しました。
 自宅を引き払う直前には、いろいろなお手伝いをするために時々叔父の家に行ったものですが、見事なくらいに持ち物がきちんと整理されていました。
 しかしホームに入居する際にそれらをすべて持っていけるわけもなく、大部分のものは捨てることになりました。
 新しい住まいに持っていったのは、一部屋に入る分だけの荷物。
 「持ち物」について、思いがけず考えさせられました。

 実は、うちは区画整備の関係で引っ越しをしなければならず、ここのところ毎日少しずつ荷物を整理したり不要なものを捨てています。
 そうした引っ越しに伴う作業が煩わしい反面、ふっと叔父の捨ててしまった荷物のことを思い浮かべると、案外、持ち物を整理するちょうどいい機会かもしれません。



● 23/1/14〜17 多賀公園



 昔よく遊んだ多賀公園へ、ある生き物を探しに行ってみました。
 多賀公園は、標高わずか35Mの御館山の中にあります。元々は黒田のお殿様の陣屋であり、直方城址とも呼ばれています。
 僕がよく遊んだのは幾つくらいだったのかなと思い起こしてみると、友達の富田君が思い出されました。
 富田君と同じクラスだったのは、小学校の1〜2年の時。ということは、6〜7歳の頃にはすでに多賀公園をウロウロしていたことになります。
 当時の多賀公園には小さな建物があり、管理人さんがいました。
 それから今となってはビックリなのは、シカやサルが飼われていたことです。動物園のように敷地全体を囲っている場所ならともかく、誰でもいつでも入れるような構造の公園で。
 どこからお金が出てたんだろう?
 当時から残っているコンクリートの壁に、点々と貝殻が埋まっているのに気が付きました。
 ヤマトシジミかな?
 コンクリートは、セメントに砂や砂利を加えて固めたものですが、その砂利の中に含まれていたのでしょう。
 僕が子供の頃にはすでにピカピカの公園というわけではなかったので、壁が作られたのは50年以上前。この貝たちは、いつ頃どこで暮らしていたのかなぁ。

 ともあれ、時々連れて行ってもらった遊園地や動物園と比べると、強烈な刺激があったわけではないけど、多賀公園は特別な思い入れがある場所。
 それを思うと、今では完全に廃れて廃墟的な雰囲気が漂い子供や女性だと近づきにくい場所になっているのが、もったいなく感じます。
 同じ山の中にある石炭記念館でも、よく遊んだものでした。
 直方市を含む福岡県の筑豊地区は炭鉱が大きな産業だったのですが、炭鉱に関しては、あまり教わった記憶がなく、むしろ大人は炭鉱にはあまり触れたがらなかった印象があるのは、炭鉱閉山後の落ち込みが暗い話題だったから?
 石炭記念館内の展示物もみた記憶がないのですが、屋外に展示してあった炭坑用の特殊な列車の類は楽しい遊び場でした。
 石炭記念館も含めて、子供たちを中心とする地元の人たちが何となく訪れれる場所として、小難しいことを言わずに廃墟にならない最低限の手入れってできないものかなぁ。



● 23/1/14〜15 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。



● 23/1/9〜13 人工物を撮る


 普段撮影に使用している小道具を紹介する記事を書くために、撮影用品を幾つか撮影しました。
 どんな物かが分かれば十分なので、普段生き物を撮影しているスタジオでパッと簡単に撮ろうとしたら、どうも結果がイマイチでおもしろくありません。
 うちのスタジオは、どうしても生き物の撮影に特化してしまうので、人工物を撮影するのにはあまり適さない状態だったのです。真面目に写真を撮ってみると、自然物と人工物との形や材質の違いなどが思っていた以上に大きかったのです。
 上手く写真が撮れないと撮影が面倒に感じられ、メーカーに許可を取ってカタログの画像などを流用させてもらおうかと考えました。
 がしかし、ちょっと待てよ、お前はカメラマンじゃないか!と思い直し、自分で撮影することにしました。
 カメラマンにとって写真撮影は面白いことのはず。その面白いことが面倒に感じられるのは、だいたい、自分の決めた時間内に終わらせようとしている時など、撮影がある種の義務やルーティンワークになっている時です。
 そこで、丸々3日を費やして、スタジオの改造から始めて、昨日、撮影用品の撮影を終えました。
 スタジオの改造で気を遣うのは、改造後に普段撮影している被写体も普段通りに撮れるようにすること。人工物はよく撮れるようになったけど、生き物が撮りにくくなったのでは話になりません。
 おもしろいのは、そうしてより汎用性が高いやり方を追求していくと、写真の教科書に書かれている通りのやり方に近づいていきます。

 今回は、光の当て方の改良以外に、スタジオの撮影台のすぐ近くにノートパソコンを導入しました。
 パソコンからカメラをコントロールするやり方ををテザー撮影などと呼びますが、テザー撮影にはハイスペックなパソコンは不要なので、古くなって引退させていたものを現場復帰させました。
 パソコンを置いてみると今度はサブモニターが欲しくなったので、これまた古くなって使っていないモニターをノートパソコンに接続し、ツインモニターの状態へ。
 これまでは、スタジオでパソコンを使用するのは深度合成の時か羽化や孵化のタイミングを長時間を監視するような時だけだったので、パソコンはスタジオの隣の部屋に置いてあるデスクトップを使用していました。
 ところが人工物を撮影してみると、動かない被写体ならばでの細かなライティングの確認などに、撮影台のすぐ近くにパソコンがあるととても便利だったのです。



● 23/1/8 カメ

 区画整備に伴う引っ越しを控えていて、その打合せがありました。
 うちは90坪強の土地に建蔽率いっぱいいっぱいまで建物が建っているので、それらを動かすとなると、恐らく相当な時間を取られるでしょう。
 中でもやっかいなのが、飼育している生き物たちのこと。土や砂利がたくさん入っている大きな水槽とか屋外で飼育しているカメなどを別の場所に移すのはあまりにも手間と労力がかかり、今のところはまだ考えたくありません。
 うちの環境にたまたま合っていて、なんとなく維持できている苔など植物の類は、新しい環境では同じようには維持できないかもしれません。
 
 仕事場の屋外で飼育しているカメのうちの一匹は、まだフィルムカメラの時代に手のひらの上において撮影して欲しいと言われて購入したものです。
 それから20年は経っているはずなので、カメの維持費はどう考えても撮影のギャラを軽く超えています。馬鹿な仕事を引き受けてしまったものです。
 それにしても、カメって長生き。
 カメの中でもミドリガメは、人が飼いきれなくなったものが野に放たれ大繁殖をして問題になってしますが、なるほどなと思います。
 生き物を飼う際には責任を持て、というのはその通りですが、僕が撮影用にミドリガメを購入してから今までに自分の身に何が起きたかを考えてみると、区画整備に伴う強制的な引っ越しまであるわけですから、自分の身に何が起きるかはどこの誰にもわかりません。
 どうにもならないような大病をするかもしれないし、自営の人なら、下手をすると多額の借金を背負って倒産するかもしれないし・・・
 本当の意味で責任を取ろうと思うならば、どこの誰もカメなんて飼うことができないし、逆に言うとカメを飼っている人は誰であろうとも、実はある程度見切り発車している無責任な人。
 そして言うまでもなく、僕もその中の一人です。
  
  

● 23/1/3〜1/7 見識

 夏の終わりくらいだったか。「こんな写真ありませんか?」と身近なある生き物に関する写真のリクエストがあり、残念ながら、うちにはリクエストにかなう写真がありませんでした。
 がしかし、たまたまその直前の仕事のために準備した諸々が流用できることに気付き、その日のうちにリクエスト通りの写真を撮って、見てもらいました。
 そんなこともあるので、一仕事終わったあとは片付けをせずに放置しておいた方がいいのかな?
 あらかじめ準備ができていると、本来なら準備に費やす結構な時間を、撮影そのものにあてることができ、より長く撮影できる分、写真の質があがります。

 その時に撮った写真がレイアウトされたものが昨日届き、とてもきれいに仕上がっていたので楽しい気持ちになりました。
 実は、リクエストにかなう写真を持っていなかった時点で、その日の撮影で疲れていたこともあり、「ありません」と返事しようかと思ったのですが、偶然準備があったことに加えて、担当の方の写真や生き物に対する見識を感じたのも、新たに写真を撮る気になった理由の1つでした。
 写真を探す人の見識や写真に対する興味は、時にカメラマンのそれよりも重要です。
 カメラマンがどんなにいい写真を撮っても、選ぶ人がそれを選ばなければ何もはじまらないし、逆にカメラマンがひどい写真を撮ったとしても、選ぶ人がそれを選ばなければ、ひどい写真が世に出ることはありません。
 僕は、本来、意気に感じて写真を撮るタイプではありません。相手が誰だとか、ギャラが幾らだとか、そもそも有償か無償かなどに関係なく、いつでも同じように写真を撮るタイプなのですが、それでも、相手に見識を感じた時には、自然と力が入ります。



● 23/1/1〜1/2 記録としての写真

 鉄道写真家の中井精也さんが高校生の時に撮影した写真をツイッターにアップしたのが2018年3月。それから数年の月日が流れた2022年の年末に、中井さんのそのツイートに、
「写真に写っているお腹の大きな女性は私の母で、お腹の中にいるのが私です」
 といった内容の書き込みがあり、僕は心を揺さぶられました。
 写真ってすごいなと改めて思いました。
 僕の身には、たぶん、そういうことは起きないだろうな。というのは、僕は、技術的につたないという理由で、昔の写真を残していないから。
 ふと、昔、昆虫写真家の海野さんに写真を見てもらった時に、
「もっと普通の写真がみたいな」
 と言われたことを思い出しました。
 その「普通の写真」は、今でも常に僕の頭の中にある概念でありながら、あまりよく定義できていなかったのですが、記録としての写真と言ってもいいのかもしれません。
 その日僕が海野さんに見せたのは、技巧を凝らした技術で見せる写真ばかりでした。
 カメラマンにとって自分の撮影意図は大切なものだけど、記録としての写真の面白さは、しばしばその意図とは別のところにあります。
 それを「人の意図ではないものの面白さ」と解釈するならば、記録写真の面白さは自然の面白さに通じるものがあります。
 通じるというよりは、まさに自然そのものなのかな?
 今もしも50年前の武田家の写真が出てきたら、それが何を写した写真であろうが、僕にとって大変に興味深いものでしょう。
 年を取るにつれて、僕は、写真のもつ記録性の部分に関心が湧いてきました。
 記録性に興味を持つと、あらゆる写真が価値を持ち、写真を見る目は、上手い下手とは違った見方になります。
 ただし、写真撮影は、技術を伴う活動であり、技術を否定するのは論外なのですが。
 ありがちなのは、同じ「すべての写真に価値がある」でも、「人が一生懸命に撮った写真に優劣はない」と言ったお話です。
 これは、人の社会の中での評価のあり方に対する1つの考え方であり、写真のもつ記録性の話は、また別の話です。


   
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