撮影日記 2022年12月分 バックナンバーへTopPageへ
 
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● 22/12/31 仕事としての自然写真

 時々、将来自然を相手にする仕事をしたいと思っていて生き物のカメラマンになりたい子供たちの存在を耳にすることがあります。
 そんな時に僕は、仕事としての自然写真が今後も存続してほしいなと思います。
 カメラで生き物を記録してそれを発表したりできることはとても面白いし、幸せなことだと思います。
 同時に、自然写真を仕事として確立してくださった先輩方に対して感謝の思いがこみ上げてくるし、そうした先輩方の訃報を耳にすると実に寂しい気持ちになります。
 先輩方にお返しができればいいのですが、自分よりも、お金も地位も技術も見識もある大先輩に対してできることはあまりありません。
 そこで代わりに、仕事としての自然写真が今後も存続するように、何か発信できたらなと思います。



● 22/12/19〜12/30 訃報

 先日亡くなられた山口進さんと言えば、ジャポニカ学習帳の表紙の虫の写真を担当しておられたことで有名ですが、僕は面識がありませんでした。
 ところが、昨年だったか今年になってからだったか、同じ編集者と仕事をしていた関係で僕のSNSをフォローしてもらい、しかも大先輩の方から応援のメッセージをもらったりしました。
 そう言えば、山口さんのところに、古い虫好きの知人が出入りしているという噂を聞いたことがあり、彼とも会えるかもしれないと期待して、山口さんがお住いの関東方面での撮影があれば、いや、そんな撮影の仕事を作って遊びに行ってみたいなと思っていました。
 自分が子供の頃から活躍しておられる方の訃報を、頻繁に耳にするようになりました。
 それだけ自分も年を取ったということですが、寂しいものですね。
 どこのだれも、いずれ、ありとあらゆるものからお別れする日がくるのは当たり前のことですが、その当たり前のことが、とても寂しいです。
 僕は科学が好きですが、科学は、何が当たり前かを知ろうとする学問です。
 一方で、それでは解決できないことが世の中にはたくさんあり、しかも、それが人にとってとても大切なんだ思う気持ちが、近年強くなってきました。
 
 

● 22/12/14〜12/18 更新のお知らせ

 11月分の今月の水辺を更新しました。



● 22/12/6〜12/13 カバー

 以前は、取材の行き帰りの車の中で音楽を聴くために、カセットテープをたくさん準備したものですが、今では、車の中に限らず、ほとんど音楽を聴くことがなくなりました。
 理由は、近年は頭の中で原稿や企画を考えたりそれを言葉にして唱えている時間が長くなってきたから。そして音(特に意図的な音)が、その邪魔をするように感じられるようになってきたからです。
 僕の場合、多分、音楽を聴くこととそれらの作業とは、脳の中の同じ箇所を使っているんじゃないかな。
 ちなみに、写真撮影の際には、音があっても全く気になりません。
 それでもつい聞いてしまうのが、音楽の中でもカバーと呼ばれているジャンルで、今やオリジナルの曲を聞くよりもカバーを聞く方が多くなってきました。
 プロが自分の曲を歌ったり演奏すると、どうしても商業っぽくなるのに対して、カバーの場合は、原曲に対する憧れがしばしば込められていて、その部分が楽しいのです。

 僕の場合は音楽ではなく写真撮影ですが、それだけで生活するとなると、これでもか!というくらいにたくさん写真を撮ることになります。すると、良くも悪くも一喜一憂しなくなり、冷静になることで品質が上げる反面、感動することに関しては薄くなりがち。
 そこで、技術が高いとか商品として完成されているとかよりも、何であるにせよ、感動の成分が欲しくなってくるのです。
 ともあれ、ここ最近でいいなと思ったカバーは、リストラーズによるカバーの数々。
 どれもとても楽しいのですが、特に印象に残ったのは↓です。気が向いたら聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=brzzDt98Kus

 少年隊と言えば、妹が大好きだったことと、少年隊の隊を間違えて体育の体と書いてしまったことがあり、人からすごく馬鹿にされたのが数少ない思い出として残っている程度で、当時はそんなにいいとは思いませんでした。
 ところがリストラーズのカバーを聞いた上で、今改めて昔の動画を見てみると妙にジーンとくるし、やっぱり当時のジャニーズってスゲーなと感動が感じました。



● 22/12/4〜12/5 続・おもしろいとは

 過去に何人かの業界関係者の方から、
「地道に下働きをしていたら、やがて自分にも白羽の矢が立って活躍の場を与えられるなどというのは幻想であり、写真や出版業界ではそんなパターンは滅多にない。」
 と聞いたことがあります。
 いわゆる下積みに関する話で、
「下働きをしても、行きつく先は下働きをする便利なお手伝いさんでしかない。」
 と。
 確かに、俗に創作活動と呼ばれる分野は力の世界であり、そこで自分の意見を主張したり活躍したいと思うのなら、自分の腕を磨くしかないような気がします。仮に人間関係を駆使するにしても、あくまでも軸足は自分の創作活動を磨くことの方にあり、その上で・・・ではなかろうかと。
 写真の場合は、極めて高度な技術を持ち合わせていたとしても、しょせん、芸能に過ぎません。写真が上手いと言っても、それはその人の芸が達者だっただけで、その人が偉いわけではありません。
 ところがそう思っている僕でも、素敵な写真を撮る人のことは知りたくなるし、時に憧れを感じたりもします。
 僕をそう思わせる何かの正体は「おもしろい」であり、「自分が好きなことに夢中になって取り組むと結果的にそれが誰かを喜ばせる」です。
  
 逆に、「地道に下働きをしていたら、やがて自分に白羽の矢が立つ」で、真っ先に思い浮かのは、僕は、日本の政治の世界です。
 ○○党の○○派に属していて当選何回などという理由で、大臣に選ばれたりします。
 それはそれできっといい面もあるのだろうと思います。が、人の心は打ちません。



● 22/11/20〜12/3 おもしろいとは

 今までに何度か、先輩方や仕事の関係者のみなさんから、
「武田さん、写真って、おもしろくないとダメなんですよ。」
 と指摘をされたことがありました。
 以降、おもしろいは、僕は常に気にかけていることの1つです。

 おもしろいは感覚なので言葉で説明するのが難しいのですが、世界中でその人からしか聞けない話があり、しかもその話が聞くに値する内容になっている、だと僕は理解しています。
 そこから真っ先に外れるのが、いわゆる知識です。知識はすでに知られていることであり、僕からしか聞けない話ではないからです。
 世界的な自然写真家である岩合光昭さんは、
「自然写真を撮るのに科学の知識は不要かむしろ邪魔。」
 と著書の中に書いておられるのですが、なるほどなぁと思います。
 確かに過去に僕が、「写真って、おもしろくないとダメなんですよ。」と人から指摘された時は、しばしば、知識を受け売りしようとしている時でした。
 誰かがこう言っているとか、こんなデータがあるとかではなくて、自分が心底面白いと思うことに夢中になって取り組んだ結果おもしろい作品ができ、結果的に人が喜んだり癒されたりするのが写真活動の基本です。
 
 ところが、これが意外に難しい。
 例えば、仕事を依頼されると誰しも嬉しいので、依頼をしてくださった会社や編集者に対して「御社のために・・・」という気持ちがこみ上げてきます。
 そしてその瞬間に、「自分がおもしろいと思うことに夢中になって取り組む」が、「誰かのために」にすり替わってしまい、その結果、撮れる写真は面白みを失います。
 あるいは、子供向けの本の仕事などの場合は、「子供たちのために・・・」という気持ちがこみ上げてくることがありますが、これも同様です。
 「御社のために・・・」や「子供たちのために・・・」は、自然写真活動をする上で決してゼロではないのですが、料理で言うなら最後に散らすスパイスみたいなもの。それがメインになってしまうと写真は面白さを失い、その活動は、写真活動ではなくボランティア活動に変わってしまいます。
 こう書くと、ボランティア活動をバカにしていると腹を立てる人がたまにおられるのですが、そうでありません。
 写真活動とボランティア活動は全く別のものであり、僕が志しているのは写真活動なのです。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2022年12月分


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