撮影日記 2021年11月分 バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 21/11/30 写真の構図の話



 確認してくれば良かったのですが、2本のイチョウは、多分雄株と雌株。
 左が雄株なんじゃないかな?
 僕が雄株だと予想している小さな方の株は、僕が子供の頃にはもっと背が高く、すっと上に伸びていた記憶があります。風雨で折れてしまったのか、あるいは住宅側なので安全の確保のために短くされたのか・・・。
 ともあれ、こういう構図で写真を撮ると、雄株と雌株を表した写真になります。
 写真に限らずテレビなんかもそうですが、一般的に、画面の中央にあるものが見せたいものであり、多くの閲覧者は常識としてそれを知った上で見ています。



 少しカメラを振って、右の株が画面の中央に来るように配置すると、この写真は右の株を見せる写真になります。
 右の株の特徴は、左の株よりも枝ぶりなどがいいこと。
 したがってこの構図は、イチョウの枝ぶりや色付きなどを見せる構図になります。
 もしもイチョウの定点撮影をするのなら、僕はこの構図で撮影します。



 さらにカメラを振ってイチョウを画面の中央から外しました。
 代わりに画面の中央に入ってくるのは青い空。画面の中央にあるものは重要なものだとすると、この構図では、ただ単にイチョウを見せるのではなく、青空も重要だということになります。
 青空はどんな役割をしているのか?というと、場所の広さや気持ちよさを表し、それゆえにイチョウのことを伝える写真というよりは、絵画に近い写真になっていきます。
 そうした狙いの場合は、さらに一部を拡大するような変更を施し、より絵画性を高めていくような絵作りをします。

 上の2つの構図は仕事の現場でよく求められる構図で、一番下の構図は、趣味の写真に多い構図です。
 つまり仕事の現場では、被写体のことをきちんと伝えることが第一に求められ、趣味の写真では、絵画性が第一に求められます。
 また一般に写真雑誌や写真のハウツー本は、アマチュアカメラマンをターゲットにしているので、構図の決め方としては、一番下の趣味の写真の構図=絵画としての構図がよく紹介されます。
 ともあれ、構図を見れば、その人が何を言いたいかがある程度わかるわけです。


● 21/11/28〜29 遠賀川の大イチョウ



 遠賀川の堤防には、中流〜下流域まで、点々と大イチョウがあります。
 雄株と雌株が対になっていたり木の生え方から判断すると恐らく人が植えたものですが、僕は子供の頃から大イチョウを見ているので、なんの目的でそこにイチョウが植えられたのかなんて考えもしませんでした。
 ところが僕が大学生の時に生物学科の同級生と九州山地の山奥に釣りに行ったついでに、うちの実家に立ち寄ったところ、
「ねぇねぇ、この近所って堤防に大きなイチョウの木があるでしょう?あのイチョウの木は何で植えてあるの?」
 と同級生から聞かれました。
「う〜ん、木が植えられた理由なんてないんじゃない?」
 などと適当なことを答えると、するとたまたまそこにいた祖母が、江戸〜明治の頃、川を船が行き来する際の目印だったと教えてくれました。
 書物によると、一番多い時で約9000艘の船が川を行き来していたというのです。
 船の名前は五平太船。石炭を運ぶのが目的でした。

 その大イチョウの木にカメラを向けてみました。
 自然写真の仕事をする際には、被写体に関する情報がとても大切です。おのずと、イチョウの由来や樹齢などを調べることになります。
 すると、困ったことがおきました。
 直方市の大イチョウは、樹齢1000年以上と言われているので、木が植えられたのは江戸時代よりもはるか前の平安時代のことになり、祖母が教えてくれた船の目印説は当てはまらないことになるのです。
 その前に考えられるのは、樹齢1000年という見積もりが大幅に間違えている可能性です。
 大イチョウの大部分は遠賀川の堤防の割と高い位置に生えていますが、もしも本当に樹齢が1000年なら、1000年以上前からそこには現代並みの高さの堤防があったことになり、常識的に考えるとそれは考えにくいことだからです。
 ならば 木はいったい何のために、いつ頃植えられたのでしょうね?



● 21/11/22〜26 更新のお知らせ

10月分の今月の水辺を更新しました。



● 21/11/21 生き物の専門家

「外来生物のアライグマが作物を食い荒らして困る」
 と役所に相談をしたら、
「自分で捕まえて殺処分して燃えるゴミとして出してください。」
 と返ってきたのがあまりにお役所仕事だ、というニュースを目にしました。
 件の役所は、僕の地元の直方市。
 最近なるほどなぁとわかってきたのは、政治は、基本的に対人だということ。
 一方で、対自然に関してはあまり念頭になく、災害にしてもコロナ騒動にしても、相手が人ではないものになると政治家は実に弱いということ。
 役所に一人くらい、生き物や自然の専門家を置いたらいいのにな。

 ふと思い出されるのは学生時代のこと。
 僕は、生き物にかかわる仕事がしたいと理学部の生物学科に進学したのですが、ある日の授業中の
「生物学科などという特に就職があるわけではない学科を好き好んで選び学生が毎年いるんです。」
という恩師の話に、ええ、そうなの!このまま卒業を迎えても生き物関係の仕事に就けないの?と愕然としたものでした。
 それから職業について考えるようになり、最終的には、自然写真という職業を思いつきました。
 僕のことは置いておき、生物学を勉強して、これといった生き物にかかわる就職がない人が毎年一定数いるわけです。
 
 故・日高敏隆先生が子供の頃の話として、
「生物学に進みたい」
 とお父さんに相談したら、
「あれは天皇陛下のすることだ。」
と却下されたと何かの本に書いておられました。
 昭和天皇や平成天皇は生物学者でもありましたが、なぜ生物学だったのかというと、天皇のすることが政治への口出しにならないように、だったとされています。
 当時の生物学はそういう存在、つまり浮世離れしたものだったわけです。
 ところが、今人の社会を揺るがしているものには自然や生き物がとても多いのです。



● 21/11/7〜19 兄弟機



 左がニコンZ6、右がZ7.
 両者は画像を記録するためのセンサーが異なり、Z6の方は暗い場所での画質が良く、Z7の方は画像を大きく伸ばした時の画質がより優れています。
 外観は、ロゴ以外はたぶん同じ。それから操作性も同じです。
 
 外観が同じであるのは、いいことだと思います。
 例えば、カメラを防水ケースに入れて水中での撮影に使用する場合に、同じ防水ケースが使えるからです。
 別に水中ケースに入れるようなことがなくても、複数のカメラを用途に応じて使い分ける際に、外観や操作性が同じだと安心感があります。
 ただ、間違えも起きます。
 おやおや、今回の画像は若干ノイズが多いぞと思ったら、Z6だと思って使っていたカメラが実はZ7だったとか、大伸ばしに強いZ7だからと、あとでトリミングすることを前提に撮影した画像が、実はZ6で撮影した画像であまりトリミングできなかったりとか・・・
 着せ替え人形みたいな発想で、例えばカメラのダイヤルの部品が交換可能になっていて、交換用のパーツではさまざまな色が選べるとか、おしゃれも兼ねた何かがあっても良かったんじゃないかなぁ。



● 21/11/6 正しい以外のもの

 家族が手術をして、病院の食事の画像を送ってくれたのですが、もうちょっと食事が楽しいという側面を大切にして欲しいな、なんて思いました。出されているのは、きっと正しい食事なのでしょうけど。
 正しいかどうかは1つの判断基準ではあるけど、正しいから正しいわけではないというのは、もともと僕がよく感じることだったりします。僕は、正しい以外の側面にも価値を見出せる人が好みです。
 何度か書いたことがあるのですが、「この人好きだな」と思ったら、その人がタバコを大好きだったというケースが、僕にはよくあります。僕自身はタバコを吸いたいとは思わないので、恐らく僕が見ているのは、正しい以外の側面を見ている人なのでしょう。
 以前読売新聞に、タバコを愛する著名人が煙草のエピソードを駆使しながら自分を語る企画が掲載されたことがあったのですが、僕が好きな人が次々と登場したものでした。
 なぜ正しい以外の側面も見るのか?と言うと、自然界には正しいとか間違えているという概念はないからです。
 そんなことを考えているのは人間だけで、正しいとか間違えているはあくまでも人間の価値観。
 僕らは人間なのでそれはそれで大切ですが、世の中には人間以外のもの=自然も存在しているからです。そしてその自然は、人間の中にもあります。
 一般に、「正しいから正しい」という物の考え方を正論と呼びますが、僕は正論を言う人には、暴論を言う人以上に警戒します。
 正論を突き詰め、人間にとっての正しいを追求していくと、自然がなくなってしまうから。



● 21/11/1〜11/5 カメラの話



 今、常時使用しているカメラは、NikonZ、EOSM、OLYMPUS EM、OLYMPUS TGの4系統。
 4系統も使うのはいろいろと煩わしくて、減らすことを何度も検討したのですが、すべてのカメラが活躍し、どれも外すことができません。
 広い風景を撮影する際には大きなセンサーのカメラが適し、僕はニコンZを使用しています。
 大きなセンサーのカメラの特徴は、諧調の良さです。例えば今日の画像なら、波の白にもいろいろな明るさがありますが、大きなセンサーのカメラを使用するとそれらがより良く出るし、波の表情をよりよく表現できるので撮影が楽しくなります。
 逆に言うと、諧調表現が重要なシーン以外では、大きなセンサーのカメラの良さは発揮できにくくむしろ弱点が目立ってくるので、大きなセンサーが得意なシーンを選んで使用するようにしています。
 EOSMシリーズの特徴は、小さくて軽いのにとてもよく写ること。そしてワイドズームの性能が素晴らしい。
 小さ過ぎて操作性は必ずしも良くないのですが、カメラを三脚に固定して遠隔地操作から撮影する場合は固定が簡単だし、大きなカメラよりも生き物をおどしません。
 OLYMPUS EMシステムは、なんと言ってもプロキャプチャー機能と、近い距離での写りの良さです。
 カメラは、基本的には人物などを撮影するように作られているのかなと感じることがよくありますが、オリンパスは、小さな生き物の撮影を中心に据えているのでは?とさえ思えてしまう設計です。
 それから、OLYMPUS TGは、浅い水辺での撮影では、これに代わるものはありません。
 水中で高画質な写真を撮るこつは、被写体になるべく近づくことです。水の層を少なくすればするほど、高画質に写ります。
 Tgの場合は、レンズ交換式では考えられないようなレンズの直前までピントが合うので、その特性を生かすと、水中ではレンズ交換式よりも高画質に撮れることも珍しくありません。
 じみじみ思うのは、道具は使いこなしだということです。


   
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