撮影日記 2021年10月分 バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 21/10/17〜31 更新のお知らせ

 9月分の今月の水辺を更新しました。
 今月は、知識の話です。


● 21/10/8〜16 お参り

「緊急事態宣言中なのに、どこどこのお店で誰々がお酒を飲んでいました。」
と誰かが叩かれるたびに僕が感じたのが、そんなにお酒を飲みたいのなら人の監視の目があるような場所ではなく誰かの家に集まって楽しく飲めばいいやん、ということ。
 で、みんなで集まってお酒を飲んだことを黙っておけばいいだけの話。
 僕は、
「三密は厳禁です。集まってはいけません。」
 と特定の個人に向かって指導したがる人は好きではありませんが、
「お酒を飲みましたよ、お酒を飲むのは自由ですよ」
といちいちSNSなどに発表し筋論としての自由を主張する人もメンドクサイ人だなと思います。
 
 僕はそんなタイプなので、新型コロナウィルス騒動に伴う緊急事態宣言でそんなに不自由は感じていないのですが、1つだけできなかったのが、お世話になった方のお参りでした。
 亡くなられたのがちょうど去年の今頃だったので一年遅れになってしまいましたが、新型コロナ騒動が少し下火になった今の機会に、と仲間に声をかけてお参りに行ってきました。
 仲間の中にはとても声がいいお坊さんがいて、美声でお経を聞かせてくれました。
 そのお坊さんが、
「あっ、数珠を忘れた。線香もライターも」
 と言うので、なんだか心が安らぎました。
 お参りは儀式や形や知識の世界ではなくて、心の世界だと僕は思うからです。
 あと一人、高校時代の友人のお参りに行きたいのですが、やはり高校の同級生で友人のいとこでもある知人の連絡先をパソコンのトラブルで紛失してしまい、どうしたものかな。



● 21/10/7 更新のお知らせ

8月分の今月の水辺を更新しました。


● 21/9/22〜10/6 教科書

      

    


 「生き物」の写真を撮るのと「物」を撮るのとでは事情が異なるので、若いころは自分独自の生き物用のやり方で写真を撮っていたのですが、それに改良を加えているうちに、気付くと商品撮影の教科書通りのやり方に近づいてきました。
 教科書って、すごいものですね。
「ああ、そうか、こうしたらいいんだ。ついに自分独自のいい方法を開発したぞ!」
 などと感激したものの、よく考えてみたらそれはすでに教科書にしっかり書いてあるようなケースが多々あります。
 特に教科書に、イロハのイとして真っ先に書かれていることの理解が一番難しかったりします。
 例えば、光はこれくらいの角度で照射しましょうなどと書いてあった時に、それを本当の意味で理解をすることが。
 教科書の中身をおぼえるのはそんなに難しくありませんが、理解するのはむづかしいです。

 写真撮影の際のやり方の改善とは、自分のやり方では撮れない被写体を減らしていくことです。
 したがっていつもの自分の形で撮影してみて、それでは写らない被写体に巡り合ったときに何らかの改善を施します。
 その撮れない被写体が撮れる全く新しいやり方を考えるのではありません。これまで撮れていた被写体は従来通り撮れるのに、今回撮れなかった被写体も撮れるように手を加えます。
 野球の打者のスイングに例えるなら、打てない投手がいたときに、その投手の時だけスイングを変えるのではなく、いつも同じスイングをしているのに、その投手も打てるようなやり方を探すことです。
 つまり、よりオールラウンドになることですが、オールラウンドになればなるほど、教科書に近づいていくのです。
 逆に言うと、ある被写体だけを撮るのなら、教科書よりも優れている一芸に秀でたやり方が存在する可能性は大いにあります。
 教科書が、いろいろなタイプの被写体に配慮しなければならない「しがらみ」の世界だとすると、「しがらみ」に束縛されない世界です。
 僕の場合、職業写真家が仕事で撮影した写真よりも、自由人が趣味で撮影した写真の方が面白く感じるのはよくあることですが、趣味の写真の面白さは、しがらみのなさでもあります。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2021年10月分


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