撮影日記 2021年7月分 バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 21/7/25〜26 湿った場所とは?



 うちのカタツムリ飼育容器です。
 ポイントは左上の水場で、落ち葉を浸しています。
 これを屋外の雨水が入らない場所に置き、2〜3ヶ月に一度くらいサツマイモを入れ、毎朝植物に水をやる時についでに水を足す以外は放置します。
 いろいろな生き物が入り込むので、蓋にはネットを併用したいところですが、一方でカタツムリは蒸れに弱く通気性が重要なので悩むところ。
 そのうち暇な時に、太陽光で回るファンを取り付けてみましょう。
 カタツムリみたいに割となんでも食べる生き物は、飼育下では野外のようにはしっかり育たない傾向があります。なんでも食べるということは、いろいろな栄養が必要なのかな?
 というので落ち葉を湿らせて食べさせるために作った水場ですが、時々カタツムリが水に浸かっているのが興味深いです。
 
 さて、上に書いたように、カタツムリは湿度を好むのですが、一方で蒸れには弱い生き物です。
 一般的には、カタツムリは湿った場所が好きな生き物ということになっていますが、現実は、蒸れずに乾いている要素も重要で、そんな単純ではありません。
 同じようなことは、生き物をあつかっているとよくあります。
 例えばオカダンゴムシがそうです。
 湿った場所が好きな生き物とされていますが、正確に書くと、民家の庭みたいな乾いた環境の中にあるちょっと湿った場所を好む生き物です。
 うちの犬は、とても暑さに弱いのですが、一方で暖房が大好きだったりします。ストーブの前の、人間の感覚では考えられないくらい暑い場所で温まっていたりします。それから、クーラーが効いた涼しい部屋を好むということはありません。
 
 生き物の世界は実に微妙で、人の言葉で書き表すと矛盾だらけだったりします。



● 21/7/24 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。



● 21/7/13〜7/23 聖徳太子

 誰かの何でもない一言が、妙に心に残ることがあります。なぜその一言が心に残ったのか、本人にもわからないのに。
 僕が小学生の頃、学校の裏に落ち葉がどっさりと積もって、草がボウボウ生えた手入れが悪い庭があり、時々忍び込んでは生き物を探しました。
 僕のお気に入りの場所でした。
 忍び込むのが後ろめたいというのもあって、ある時僕は母に、うちの庭をそんな風にして欲しいとお願いをしました。
 すると、母からは、
「いやよ、そんな庭は。きたない。」
 と返ってきました。
 生まれてこのかた、母の言葉で最もよく心に残っているのは、なぜかわからないのですが、その時にその一言です。

 父の言葉では、
「聖徳太子みたいな人は、立派だな、すごいなとは思うけど、自分は友達になりたいとは思わない。」
 という一言です。
 前後の脈絡は全く覚えておらず、なぜそんな話になったのか、記憶にありません。
 父の言葉の中の聖徳太子は、立派な人の象徴です。
 立派な人というのは、一般的には、人の社会の決め事を重んじる人のことを指すように思います。
 そして、人の社会の決め事は、人が自然に振舞ってはならないときに作られます。自然にふるまっても構わないときは、わざわざルールを作る必要がないからです。
 つまり、立派な人は自然から遠い人とも言い換えることもできます。
 人が立派になればなるほど、その人の中から自然が失われていきます。
 それが行き過ぎた人と友たちになりたくはない、という父の言うことは、なるほどなぁと最近思うことがあります。
 人が自然から離れて人間性を確立することはとても大切なことですが、人は同時に自然物でもあるからです。
 ちょっと前にツイッターで、一人の子供を育て上げたお母さんの
「やって動物(子供)を人間(大人)にまで育て上げたのだから、もう2度とあの苦労(子育て)をしたいとは思わない。」
 というつぶやきを読んだのですが、動物(自然)を人間にすることを世間では教育と呼びます。



● 21/7/7〜7/12 仕事は必ずつらい

 ここのところ、幾つか仕事の依頼があったのですが、どれも「まいどあり!」という感じとはほど遠く、求められた写真が撮れるのかどうか、あまり自信がありません。
 撮れないとも言えないけど、撮れるとも言えない。
 やってみなければ、わからない?
 いやいや、やってみてもすぐにわかるわけではなく、撮れるとするなれば必要になるお金と時間を投資して、終わってみなければわからないかな。
 今回に限らず、仕事の依頼は大抵そうですが。
 通常のビジネスなら、「ちょっとうちでは引き受けられません。」とお断りするのが普通くらい確率の仕事が当たり前で、計算できる仕事の方が稀です。
 自分が狙って撮れるものは、他の人にも狙って撮れます。そのレベルのものは、すでに世の中に存在する写真を借りればいいし、誰かに撮影を依頼するなら、それを超えたレベルのものが欲しいということなのでしょうね。
 写真を撮ること自体は競争ではないのですが、仕事はどうしても競争になります。

 あと1つ、なるほどなぁと思うのは、依頼される仕事は、新しく登場した技術を使ったものが多いということ。
 深度合成が登場したら深度合成が。
 タイムラプスが登場したらタイムラプスが。
 新しい技術が決していいわけではないのですが、従来の撮り方で普通に撮れる写真は、すでに市場が飽和しているのでしょうね。

 競争や新しいことを身に付けるのは、つらいものです。特に新しいことを身に付けるのが、年をとるにつれて、つらくなってきています。
 逆説的ですが、僕がその手の仕事を引き受けるのは、仕事の依頼でもなければ、自分から進んで新しい技術を身に付けられないからです。



● 21/6/29〜7/6 更新のお知らせ

 5月分の今月の水辺を更新しました。
 今月は、アラレタマキビという巻貝の話です。ただし、アラレタマキビの姿はありません。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2021年7月分


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