撮影日記 2020年7月分 バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 2020.7.30〜31 迷う人は向かない

 ツイッターを眺めていると、僕がフォローしている人の中だけでも、自然写真だけで生活をするようなプロの自然写真家になりたい方が何人かおられます。
 大多数は若者で、中年の方は少なくて、僕よりも年上の方がチラホラという感じかな。

 迷っている人に共通しているのは、物事をよく考えるタイプの人が多いこと。そしてよく考えるがゆえに安定や保障を求め、保障を求めるがゆえに本質的な勝負ができずに、打つ手打つ手が小手先になっていること。
 時々、プロになりたい若者からメッセージをもらったりするのですが、僕が言えるのは、よほどに才能がある人は別にして、大多数の凡人は、覚悟を決めて背水の陣を敷いて勝負するしかないということ。それに躊躇いを感じる人は、多分どれだけ考えても実現できないので、止めた方がいいということ。
 写真の技量にもいろいろありますが、最近しみじみ思うのは、プロにもっとも要求される技量は、もしもそれができなければ飯が食えないという困窮した状況でしか養えないということ。
 十分な生活費や貯蓄があったら身に付かないということ。
 一方でそれと同時に、ある程度の経済力や地位を築くには、今20代の若者が覚悟を決めて取り組んでも40代になってしまうでしょうから、なかなか目標が達成できなくても、別に写真が撮れなくても命を取られるわけではないし、まあいいや!というようなお気楽さも同時に持っているような人が上手く行っているような気がします。



● 2020.7.29 立小便がしたい

 自然写真を仕事にしたいな、と思ったのは、大学生の時。生物学の学生だった僕は、卒業が近づくにつれて生き物から離れたくない思いが強くなり、自然写真を仕事にできたらなぁと考えるようになりました。
 そういう動機なので、写真は大好きでこだわって撮っていますが、それで人に影響を与えたいとか社会に影響を与えたいという思いは、僕の場合ほぼほぼゼロ。
 お金持ちになりたいもなくて、そこにあるのは、自然写真を撮って暮らしたい。それによって自然や生き物たちと存分に接する自由が欲しいという思い。
 自然写真家にもいろいろなタイプの人がいますが、僕はそんなタイプ。
 当然、有名になりたいという思いも、ありません。むしろ、適当にそっと暮らしたい。
 元・プロ野球阪急ブレーブスの福本豊さんは、盗塁の記録を樹立し国民栄誉賞を提案された際に、「立小便ができる立場でありたい」と賞を断っておられるのですが、僕も自由に立小便がしたい。

 さて、そんな僕にとって発信の手段としてのツイッターは面白いのですが、拡散力があるのが問題。多くの人がフォロワーが減ることを問題にしているのに対して、僕の場合は増えるのが問題。
 ビジネスは仕方がないとして、個人の活動は、たくさんの人にバラまくよりも、それが本当に好きで好きでたまらない誰かにだけ、思いを届けたい。
 時々、一度のツイートでフォロワーがたくさん増えることがあり、ああなるほど、こう書いたら増えるのか!と学習し、以降は同じタイプの投稿をしないようにしているのですが、段々書けるパターンが減ってくるのでそれはそれで難しいですね。
 その点、このホームページの日記くらいがちょうどいいのかな?という気もします。
 ただ、現役である限り、社会の変化にはついて行かざるを得ないと僕は考えます。
 昔インターネットが登場した際に、自分はインターネットはやらないという方が、僕の身の回りだけで何人もおられました。でも今や、当時は結びつくなんて想像もできなかった物事がインターネットと結びつき、インターネットなしでは、出来ないことだらけ。
 あるいは、スマートフォンなんて要らないというのも同じ。
 何がそうなるか、わからないのです。



● 2020.7.28 殺気は存在するのか?


モニターに写し出された飼育容器の中の羽化直前のヤゴ

 生き物の前でカメラを構えて待っていると、待っているその現象がなかなか始まらないような気がします。例えば、前日までの様子から今晩羽化するに違いないトンボが、なかなか羽化の気配を見せないとか・・・
 これはほぼほぼ例外なしに、待機しなければならない撮影の際には、毎回のように味わうことです。
 そうした気持ちになるのはどうも僕だけではないようで、同業者の間では、カメラマンの殺気が伝わるんだという説があり、結構ちゃんとした人の中にも、そう主張する方がおられます。
 僕はどう感じるか?と問われれば、そんな気もするし、そうではないような気も・・・。
 ともあれいずれにせよ、何らかの手段で確かめてみたいなと以前から思っていました。

 今年はそれもあって、撮影中の生き物をビデオで監視するシステムを導入しました。スタジオや庭でこれから起きる現象を、離れた別の部屋で監視することで、自分の気配を完全に消してしまうのです。
 果たして結果は、少なくとも虫の場合は、殺気を感じ取ることはないかなぁという印象。ビデオでの監視でも、目的の現象は、印象としてなかなか始まりません。 撮影者の殺気が生き物に影響を与えるよりも、撮影者の側が焦れている可能性の方がずっと高と感じました。
 トンボの羽化なら、羽化をする場所がなかなか決まらず、ウロウロウロウロ。やがて動かなくなって、羽化が始まるかな?と思ったら、また場所替えをしたりして、えっまだ?まだ?何かおかしくない?って感じ。

 唯一、被写体に影響を与える可能性があるのが、ストロボの閃光です。
 これは、まだまだ回数を重ねなければ確かなことは言えませんが、ストロボを使用する写真と、ストロボではなくLEDライトを使用するビデオとでは、ビデオの方が現象がスムーズに早くはじまる、つまり虫がストロボの瞬間的な光を嫌っているような気がするのです。 
 当初は、写真撮影の際に使用するストロボは、光っている瞬間以外は部屋を暗くしておけるので、夜間の生き物の活動を妨げず有利で、付けっ放しにしなければならない(いつ点灯するかのタイミングは重要)ビデオ撮影の際のLEDライトは不利だと思っていたのですが、実際に両方試してみると、当初の僕の予測とは逆のような気がしています。
 
 

● 2020.7.25〜7.27 更新のお知らせ

6月分の今月の水辺を更新しました。
今回は、脇役好きな僕の習性について書いてみました。



● 2020.7.16〜7.24 写真の意図を読む



 シオカラトンボは夜の暗い時間帯に羽化しますが、求められる写真は、今日の画像のような、昼間のように明るい写真。
 理由は、明るい方が、羽化の様子が見易いからかな。人の目は昼間に物を見るようにできているので、昼間の明暗や影の付き方が見易いのです。
 確かに、仮に僕が羽化の様子を室内で事細かに観察するならば、電気をつけて十分に明るくして見るだろうと思います。
 それでも、夜に羽化をするシオカラトンボの生態が間違って伝わってしまうやん、と思うのですが、それらの写真が使用される際にはあるトンボの生態について伝えたいわけではなく、あくまでも羽化という現象について分かりやすく見せたいのでしょう。
 それが分かっていても、僕は何となく違和感を感じるのですが・・・・

 逆の立場で、昼間のように明るく撮られたシオカラトンボの羽化の写真を見せられた際に、
「おや、昼間のように明るいぞ。そんな風に撮ったのはなぜだ?なるほど、その種類の特徴を見せたいわけではなく、トンボの羽化という現象を見せたいんだな。」
 という風に撮影者や編集者の意図を読み取ることができるかな?
 しばしば知識が邪魔をして、オレオレになってしまい、他人の意図を理解するのがなかなか難しいのです。

 SNSを眺めていると、時々写真の構図に関して、苦言が呈されていることがあります。
「この写真は、被写体がど真ん中に写り過ぎている。ど真ん中に被写体が写っている構図は日の丸構図といって好ましくないし、被写体は中央から外すべきだ。」
 などと。
 確かに、写真撮影の際に被写体を画面のど真ん中に配置しないのは写真の構図のセオリーですが、生き物の図鑑に使用される写真の場合などは、基本的に画面のど真ん中に写っていることが求められます。
 嘘だ!と思うカメラマンは、生き物図鑑を開いてみてください。被写体をど真ん中に配置する理由が分かることでしょう。
 つまり、被写体が画面のど真ん中に写っている写真はもしかしたら、「これは図鑑用の写真ですよ。」 という撮影者の意思表示かもしれません。
 もしもそうなら、
「この写真は構図が悪い」
 と指摘した人は、詳しい人ではなくて、むしろ型にはまった知識を持っているだけの、写真が読めない人かもしれません。
 ともあれ、それがそうした意思表示なのかどうかは、構図以外の写真の撮り方を見れば、ある程度分かるでしょう。図鑑ならば、生き物の形がよく分かるように、色がよく分かるようになるべく影にならないように撮影されていることでしょう。それから、図鑑によく記載される識別の際に重要なポイントがしっかりと写っているはずです。



● 2020.7.9〜7.15 100%技術の世界

 例えばコカ・コーラ社のペットボトルの広告やコマーシャルの写真を見て、
「うわぁ、スゲー写真だな!上手いなぁ」
 と感動する人はほとんどいないでしょう。
 でも実は、一流企業の商品の撮影を担当できるのは極々一部の選ばれた人であり、それらの写真は技術の集大成と言ってもいいでしょう。
「これは上手い写真だ」
 とか、
「俺には写真が分かる!」
 などと写真を語る人はたくさんいますが、大多数の人に分かるのは、その写真が自分にとって感動的であるかどうかであり、ある写真が技術的に上手いかどうかは、なかなかわかるものではありません。
 もしもそれが分かるようなら、その人は今、写真業界の第一線で仕事ができ、生活ができていることでしょう。

 写真の技術が露骨に出るのが、物を撮影する世界です。
 生き物の撮影なら、まずは生き物を探さなければならないので、撮影の技術云々の前に生き物に対する見識が求められますが、物を撮る際には、そういうレベルでの被写体に対する知識は不要です。
 あるいは、ポートレートを撮影する場合は、モデルさんとのコミュニケーション能力が必要になりますが、物の撮影では、被写体とコミュニケーションを取る必要はありません。
 物の撮影は、ほぼほぼ純粋な撮影技術の世界であり、物の撮影をある程度真面目に勉強してみると、写真の技術のことが非常によく分かります。
 逆に言うと、生き物の写真は、写真の技術以外の要素、つまり生き物に関する見識が非常に大きく、そこが命なのです。
 人を感動させることに関しては、プロとアマの差はないと僕は思っているのですが、ちゃんとした写真を撮ることに関しては一目瞭然の差が存在します。

 さて、今シーズンは生き物の飼育に絡んで非常に撮影が難しい物の撮影があり、大苦戦。しかしいい勉強になっています。
 しみじみ思うのですが、これって、僕の手に負えるの?と不安になるくらいの撮影を引き受けなければ、なかなか技術は向上しませんね。
 
 

● 2020.7.1〜7.8 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。
 更新したのは5月分です。
 内容は、つがいのウミウシと今月の水辺の更新を続ける理由についても触れています。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2020年7月分


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