撮影日記 2020年5月分 バックナンバーへTopPageへ
 
 
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● 2020.5.22〜26 対人の世界、対物の世界

 こういうリンクって、どれくらいの期間残っているのかな?自然とは何かを一般向けにこれほど表現できている記事は、他にないかも。
養老孟司氏、「将来の夢はYouTuber」の子供達に伝えたいこと|NEWSポストセブン https://news-postseven.com/archives/20200523_1565198.html

 世界は見方によって「対人の世界」と「対物の世界」に大きく分かれている。という養老さんの言葉を借りるなら、僕は対物の世界が大好き。
 物心ついて以降、長い間自分のことを生き物が好きだと思っていたのですが、突き詰めると実は、生き物が好き=対物の世界が好きの表れの1つであり、僕が自然写真を撮っている理由もそう。
「対物の世界が好き」というのは、言い換えると、「自由が好き」でもあります。「あれをしてはダメ。これをしてはダメ」は、「対人の世界」にだけ存在するわけです。
 それがないのが、例えば自然であり、自然の素晴らしいところ。
 「対人の世界」の世界を否定するつもりは毛頭ないけど、すべて「対人の世界」で塗り固めてしまうのは、僕も嫌。
 三密にならずに自然写真が撮れる場所なんてたくさんあるし、それが「対物の世界」である自然なんじゃないかなという点にも強く強く共感しました。 

 そうした自然写真を発表することにまで、自粛を迫る動きがあります。
 写真と言ってもいろいろなジャンルがあるから、写真関係者やカメラ関係者がそう考えるのは、まだわかるのですが、自然写真をやっている人がそれを鵜呑みに丸飲みにし、意見ができないのはとても残念。
 自然写真の半分は写真かもしれませんが、半分は自然。自然とは何かを考えそして伝えるとてもいい機会なのに、それを放棄するのなら、そんな自然写真になんて大した意味はないんじゃないかな?



● 2020.5.14〜21 更新のお知らせ

 今月の水辺を更新しました。



● 2020.5.13〜16 続・監視システム


 
 蛹(さなぎ)になりそうなモンシロチョウの幼虫を見つけたので、写真撮影用のカメラを設置後に、さらにビデオカメラを使って、事の進行具合をくつろげる部屋のモニターでチェックできるようにセットしました。
 あとは100Mほど飛ばすことが可能なカメラのリモコンを握りしめ、イベントの始まりを待つのみ。
 そうしたシステムは、もっと早く導入すべきだったなぁ。大きなモニターで観察する生き物の様子が、ある意味、NHKの「ダーウィンが来た!」よりも面白いのです。
 特に面白のが、シャッターチャンスではない取り留めのない部分。例えば幼虫がじわじわ動いたり、ピクピクしたり、あるいはしばらく動かなかったり・・・。
 昔、水草と熱帯魚に夢中だった頃に、これといった変化が起きない水槽をただひたすらに眺めていることが楽しかったことを思い出しました。
 「ダーウィンが来た!」は編集されているので、ここぞ!という箇所がピックアップされるのですが、僕が見たいのは、もしかしたらそうした特別なイベントではないのかもしれません。

 蛹化が始まるまでの時間に、海野さんの『蛾蝶記』という本を開いてみました。
 僕は、海野さんの著作物の中では、『蛾蝶記』が一番好きです。理由は、一番海野さんらしいと感じるから。
 同じシリーズに今森光彦さんの『昆虫記』がありますが、もしも同じ被写体を撮るのなら、見て面白かったり参考になるのは『蛾蝶記』のような気がします。
 『昆虫記』は読者目線なのですが、『蛾蝶記』はカメラマン目線なのです。





● 2020.5.8〜12 監視システム



 使っていない古いPC用のモニターに、使っていないカセットテープ式の古いビデオカメラを接続して、スタジオの生き物を、ソファーがある休憩室で観察できるようにしてみました。
 殻に閉じこもったサザエが殻から出てくるまでの間を、より楽に待ってみました。

 サザエが殻から出てくるまでの時間は大したことがないのでスタジオで待ってもいいのですが、もっと労力を要する撮影、例えば生き物の様子を夜中に1時間おきにチェックして状況によっては撮影を開始する場合に、いちいち立ち上がってスタジオをチェックするとそれだけで疲れてしまうので、半分眠った状態で横になったまま、モニターを見ることで済ませてしまうというのです。
 孵化や脱皮や羽化などあまり動かない被写体の撮影なら、この監視システムに加えて、写真撮影用のカメラをタイマーで管理する自動撮影を併用すれば、全自動にはできなくてもかなり自動化が可能でしょう。
 電源がない野外で、現場の映像をちょっと離れた車まで無線で転送するバッテリー駆動のシステムならすでに持っているので、それをスタジオでも使えばいいのですが、バッテリーの充電等や機材のセットが面倒でまあいいやとなってしまうので、もっと気軽に使えるカメラとモニターとがコードで接続されただけのシステムを準備してみました。
 
 そうしたやり方は業務的で横着だという思いもあったのですが、実際にやってみると、もしかしたらそういう工夫をしない方が横着なのかな?
 従来のやり方でいいと人が主張する時、そこには本人が気付いてなくても、新しいことをやりたくないという気持ちが働いている場合が多々あるような気もします。
 これにハードディスク式の録画機を加えることはできるのかな?
 できるのなら、自分が不在で写真撮影ができない時でも、脱皮や羽化などの様子を記録しておけば、撮影に必要なデータが得られることでしょう。
 そうした記録は動画に取り組んでいる方々が多用しておられ、魚の撮影やトンボの撮影でビデオを放置しておくやり方を見せてもらったことがあります。





● 2020.5.4〜7 右と左

 政治の世界の、保守や革新という言葉は、僕にはどうもピンと来ないのですが、以前、ある新聞社で仕事をした際に、右寄りを現実主義、左寄りを理想主義と聞いて、なるほどなぁ、それならば理解できると感じたことがありました。
 僕は、右寄り政治家の中の保守を主張する政治家はどうも好きになれないのですが、現実主義の政治家なら、そういう人も大切だと思うのです。
 政治家が、保守だ!伝統だ!皇室だと言っても、そもそも結婚式で女性がドレスを着るようになったきっかけが美智子様の結婚式だったり、皇室のお子さんがキリスト教大学に通ったことを思うと、そういうことは政治家が押し付けることではなく、みんなが自然と決めることじゃないか?と思うのです。
 
 さて、安倍総理大臣がよく主張してきた、他国が攻めてきたらどうする?という視点は、確かに持っておかなければならないと思っていますが、別に批判というわけではなく、それよりもずっと確率が高い伝染病=自然現象に対する備えが、これほど手薄とは・・・
 右寄りの政治家はイデオロギーに執着するのではなく、もうちょっと現実主義になって欲しい。
 ということは、南海トラフ地震や関東の大震災などに対する準備も、ほとんどなされてないのではないかな?

 安倍総理大臣が発した、
「責任を取ればいいというわけではない。」
 という言葉が、
「自然現象には時としてかなわないことがある。それは総理大臣の責任ではない。」
 という意味なら、その通りだと思うし、誰かが言う
「批判ばっかりするのは止めようよ。」
 という言葉の意味が、
「自然現象には時としてかなわないことがある。」
 という意味なら、やはりその通りだと感じるのですが、一方で、だからこそ、もっと自然に関心を持った方がいいのではないかな。
 自然のきれいなところだけを取り上げるのではなく、怖いところだけを取り上げるのでもなく、自然ってどんなものなのか?という観点で。



● 2020.5.3 祖母の思い出



 子供の時に、祖母がアオバアリガタハネカクシを話題にしたことがありました。体液がかかるとやけどのような症状になって危ない的な話だったような。新聞やテレビで紹介されたのを見たのでしょうね。
 生き物が好きだった僕にとって、祖母の一番の思い出は、アオバアリガタハネカクシです。

 子供の頃の僕は、生き物と釣りと仮面ライダーとウルトラマンとスーパーカーくらいにしか興味が持てなかったので、そうした話題がほとんど出てこない学校の授業が退屈でたまりませんでした。
 辛抱して辛抱して15分くらい経ったかな?と時計を見たら、経過した時間はわずか5分。毎日毎時間、早く授業が終わらないかなぁと、教室の時計を何度も何度も見直したものでした。
 そんな風だから授業の記憶はほとんどないのですが、生き物が取り上げられた時だけは別。例えば、いまだにその日の教室の空気までもをよく覚えているのは、国語の「たろうこおろぎ」です。
 たろうこおろぎは生き物の話ではないのですが、何も知らない僕は、いつこおろぎの生態の話が出てくるんだ?と心待ちにし、ついに授業が終わるまで聞いてしまった感じ。こおろぎの生態のお話を期待していた僕には、「たろうこうろぎ」のストーリーは、予測と違い過ぎるがゆえに理解ができなかったのですが。
 「たろうこうろぎ」は国語ですが、国語には生き物の名前が出てくる授業がいくつかあり、他にも多少記憶があります。

 つまらなかったのは、意外にも理科。
 理科は、本来は自然から学ぶはずなのに、学校では教科書が絶対で、教科書から勉強しようとするから。
 自然から学ぶのは、言い換えると一種の自由であり、自然という人が作ったものではないものを相手にしているわけですが、それに対して教科書から勉強するのは、教科書という人が作ったものを相手にしているのであり、その時点で人の支配を受けているし、それが自然を愛する僕には許しがたかったのです。
 つまり僕は、子供の頃から、世の中を、人が作ったものとそうでないものに分け、人が作ったものではないものに興味を感じていたのです。

 先生に限らず、一般にエリートは教科書が大好き。
 僕の父は大変なエリートだったらしいのですが、やはり教科書が好きで、山に登っても頭の中で教科書やガイドブックや誰かが記したものを読んでいるようなところがあり、なんで自然を見ないんだろう?とよく感じたものでした。
 ある時上高地で、梓川を泳ぐイワナに感激して、面白くて見入っていたら、そこに立てられた看板を読みなさいと父に怒られ、看板なんていつでも読めるのに・・・と大変にガッカリしたことがありました。
 オリジナリティーは、生身のイワナの中にあるのであり、看板の記述にはないわけです。
 教科書をよく読み、同時にオリジナリティーを備えている人も、恐らく存在するだろうと思います。が、そのような人は、野球で言うならイチロー、将棋で言うなら羽生さんみたいな人に限られるんじゃないかな?



● 2020.4.21〜5.1 無人撮影



 野外での撮影から帰宅したら、モンシロチョウの幼虫が蛹になりそうな気配。炎天下の撮影ですでに疲れていたし、この手のシーンはいつ始まるかが分からないので、無人撮影を試みることにしました。
 使用するカメラはニコンのZ7。というのは、カメラにタイマーが内蔵されていて、撮影を始める時間、撮影の間隔、一度の撮影する枚数などが細かく設定できるから。
 同じようなことが可能なカメラに接続可能なリモコンも存在するのですが、小さなリモコンでは操作が分かりにくくて細かい設定を要する撮影には使いたくないのに対して、カメラに内蔵されたタイマーは分かりやすくてとても好印象。

 で、翌日カメラをチェックしてみたら、カメラのバッテリーが無くなっていたのでガッカリ。
 でも画像をチェックしてみたら、バッテリーが無くなる前に蛹化が始まっていたようで、一通り撮影できていました。
 バッテリーは、カメラに内蔵のものではとても対応できないことは分かっていたのでそこそこ容量が大きいモバイルバッテリーを接続していたのですが・・・。
 電源がある場所ではACアダプターを使用すればいいのですが、そうではない場所での対応は今後の課題です。

 植物は微妙に動くので、植物上での孵化や脱皮や羽化の無人撮影の際に、ピント合わせをどうするかは、、重要なポイントになります。
 パッと思いつくのは、十分に絞りを絞ること。
 で、絞りを絞っても煩雑にならない画面構成にすること。
 この手の撮影はたいてい自分が思っているよりも難しくて、実はデータの蓄積が非常に重要。
 たくさん見つかる生き物のよく見られるシーンの場合は、数打てば当たるで、毎日やればいいのかな。
 あと1つ大切なのは、楽しむこと。
 そんなの撮影じゃないなどとお堅いことを言うのではなく、こんな楽をできる方法を編み出した!と何かを編み出すことを楽しむことが大切。


   
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