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● 2020.4.18-20 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。



● 2020.4.13-17 カメラの難しさ、写真の難しさ

 写真撮影の際の難しさには、大きく分けて2種類ある。
 1つは、カメラの難しさ=機材の扱いの難しさだ。例えば、ちゃんとピントを合わせるとか、ぶれないようにするとか。
 あとの1つは、写真の難しさ=写真表現の難しさ。
 
 一般に、レンズが長くなればなるほど、カメラは難しくなり、写真は簡単になる。
 例えば超望遠レンズは使いこなしが非常に難しいとされているが、その難しさは、ピントを合わせたりぶれないようにすることの難しさであり、写真そのものは、望遠になればなるほど画面がシンプルになりまとまりやすいので簡単になる。
 逆にレンズが広角になると、カメラの操作は簡単になるけど、写真が難しくなる。広角レンズでは、ピンボケやブレをあまり気にする必要はない。が、画面の中にたくさんの要素が入り込んでくるので、絵作りが、つまり写真が難しくなる。
 ある人が、写真が上手いかどうかは、広角レンズで撮らせてみると非常によく分かる。またある人が、カメラが上手いかどうかは、望遠レンズを持たせてみるとよく分かる。



 さて、オリンパスのレンズ・M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PROを使用すると、写真がいとも簡単に撮れてしまう。
 このレンズは35o換算で600mmに相当する超望遠レンズだが、600mm相当のレンズとしては超軽量で、ブレ補正機構の威力が驚異的。さらに、新発売のOM-D E-M1 Mark IIIと組み合わせると、ピントがとてもよく合うので、望遠レンズの難しさであるカメラの扱いの難しさがなくなってしまうのだ。
 残るは、望遠レンズの絵作りの簡単さで、いとも簡単に写真が決まる。
 非常に特殊な道具に分類される超望遠レンズだが、このレンズに関しては、値段以外は初心者向けだともいえる。
 初心者が使用する場合は、1キロ程度の軽量なものでいいから、三脚を使うことをお勧めする。

 ただし、もしも写真を上手くなりたいと思う人がこのレンズを使用するのなら、あと一本どんなに長くても35mmよりもワイドな広角レンズを持ち、広角レンズでも写真を撮る習慣をつけた方がいいように思う。
 というのは、前に書いた通り、望遠レンズを使用すると、望遠レンズの画面をシンプルにする力のお陰で写真が簡単になる分、写真が上達しない傾向があるから。
 例えば、28mmのレンズで撮影をすると、その画面の中には50mmの画角も含まれているので、本人はそのつもりがなくても50mmでも撮っていることになるし、50mmの撮り方も上手くなる。
 だが50mmを使っても、28mmの撮り方は上手くならない。



● 2020.4.10-12 記憶

 子供向け以外で僕が確実に覚えている一番古いテレビ番組は、1976年に放送された大河ドラマ・風と雲と虹とだ。
 主人公は、加藤剛さんが演じる平将門。
 その全編を収録したDVDが販売されているのだが少々高価なので、先日、小銭を払ってNHKオンデマンドで公開されている前編・後編の2つに分かれた総集編を見てみた。
 すると、一ヶ所、まるでつい先日のことのように覚えているシーンがあり、あと一ヶ所、あっ、このセリフ聞き覚えある!と思い出したシーンがあった。
 凄いね、人の記憶。
 大河ドラマ・風と雲と虹は音楽が印象的で、音に関しては40年以上、ほとんど片時も離れずに耳に残っている感じがしたのだが、内容に関しては、全く思い出すことはできない状態だった。
 それにしても、加藤剛さん、カッコイイなぁ。
 女優さんで一人、なんてきれいな人だ!こんな人見たことない!と衝撃を覚える役者さんが登場したので、調べてみたら、吉永小百合さんだった。
 
 大河ドラマ・風と雲と虹の次に覚えている古い記憶は、1978年のテレビドラマ・白い巨塔。
 田宮二郎さん演じる財前教授が、死んでしまった時なのか、或いは癌で床に伏した時なのか、それを悲しむ山本學さん演じる里見教授が
「財前君・・・」
 と言葉を漏らすシーン。
 北九州にあった祖母の家の居間で、親戚のみんなと一緒にそのシーンを見た記憶がある。



● 2020.4.9 日の丸



 満月の写真を、ちょうど日の丸と同じ比率になるようにトリミングしてみたら、日の丸の中央の円の部分って、大きいものだなぁ。
 僕は日の丸なんてただのマークだと思っているので、拝むのも嫌うのも趣味に合わないけど、こうして日の丸のような構図の写真を撮っていると、脳内に君が代が流れてくる。
 それが国というものなのかな。

 今では廃れてしまった風習だが、僕が子供の頃は、祭日に門のあたりに国旗を掲げる家がそこそこあり、小学校の担任の安永先生が祭日の前日に、
「明日は国旗を掲げている家があるから見てごらん。」
 と話してくれたことがあった。
 学校と言えば、日の丸、君が代を忌み嫌う先生方がおられ、当時は、今よりもずっと教員組合の活動が盛んだったのだが、日の丸を見てごらんなんて言う安永先生は組合員ではなかったのかな?
 もちろん、一国民として日の丸を拝めという話ではなく、風習を楽しむ話なのだけど。
 当時の日教組の組織率や和を乱すようなことはしない先生の性格を考えると、組合には属していたと思うのだが、先生の話には偏りがなく自然体で、今にして思うと、非常にバランスが良かったように感じ、僕は、先生と言えば、小学校の4〜6年を受け持ってもらった安永先生をイメージする。



● 2020.4.1〜4.8 やらされたくない。

 自粛は自分や自分たちのためにするものであり、国に命令されたからや国のためにするものではないのでは?
 だから、国が自粛を要請するのなら代償としてお金を出せ、という理屈は、僕には理解ができない。
 お金は、不可抗力の緊急事態から人を守るためのセーフティーネットとして、国が自粛を要請するしないに関わらず、必要であれば支払われるべきではないか?という気がしてならない。
 
 子供の頃、テストでいい点を取ったらお金がもらえるならなぁとよく考えたものだった。
 だが、勉強は自分のためにするものだから、いい点をとってお金がもらえるのは妙な話で、そんなことを考えた僕は、多分、親や先生から勉強をやらされていたんだろうな。
 親や先生の命令で頑張ったのだから褒めてくれとか、報酬をくれという理屈だ。
 もっとも、子供はそんなものかもしれない。
 自分で好き好んで部活動に入部したはずなのに練習が嫌だなどというのも、同じようなことかな。

 大人になるにつれて、そうしてやらされるのが嫌いになってきた。
 組織に入ると、そんな人がそれなりの割合で存在するのが嫌で、一人でできる仕事を探すようになった。
 とにかく、やらされたくないのだ。


   
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