撮影日記 2002年12月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ

12月31日(火)

 今日は、福岡市の大濠公園で、カモ類の撮影を予定していたが、天候が思わしくないため延期をすることにした。昨日出かけた北九州の曽根干潟にしても、大濠公園にしても、身近な場所は案外撮影がおろそかになりやすい。大濠公園や和白干潟や今津など、福岡市周辺の有名な野鳥観察ポイントにも、もう数年間出かけてない。
 来年は、もう一度初心にかえって、身近なところから、見直してみようと思う。
 
 今月の水辺を更新しました。
  

12月29〜30日(日〜月)

 27日にツクシガモの撮影をした曽根干潟に、また出かけた。
 前回は、天候が悪かったものの鳥が多くて、なかなかいい時間を過ごせたのだが、今日は天候が良いにもかかわらず、ほとんど鳥がいない。27日にツクシガモを撮影した田んぼに出かけてみたが、ツクシガモだけでなく他のカモ類の姿もほとんどない。一枚もシャッターが押せないどころか、カメラを手にする間でもなく昼寝をして一日が終わった。
 27日の日記の中で、曽根干潟の常連の人たちが撮影する様子は、どこか集中をしていない印象を受けると書いたが、きっと今日のような状態が曽根干潟の常日頃なのだろう。そして常連の人たちは、その曽根干潟に慣れ過ぎていて、のんびり構える習慣が付いてしまっているのだと、僕は推測した。
 同じ場所であるにも関わらず、あまりに鳥の数が違うので、なぜだろう?という疑問を感じる。今シーズンの間に、あと何度か曽根干潟に出かけるつもりなので、他の日の様子も見て、その理由を想像してみたい。
 
 今月の水辺を更新しました。
  

12月28日(土)

 今月撮影したフィルムの現像が仕上がった。結果はどれもかなりいい。メダカの卵の写真もいい。
 直径一ミリ程度のメダカの卵を拡大して撮影すると、水中の小さなゴミも同時に拡大され、以前にメダカの卵を撮影した際には、そのゴミの写り込みに苦心させられたが、今回は一切ゴミの写り込みがない。
 今日はカモ類の撮影を予定していたが、天候が思わしくない。予定を変更して、届けられたばかりの現像済みフィルムを使ってHPを更新をした。

 今月の水辺を更新しました。
  

12月26〜27日(木〜金)

 曽根干潟

 北九州の曽根干潟に出かけた。目的は、ツクシガモの撮影だ。
 ツクシガモは、ほとんど九州だけで見られるカモで、主に干潟に飛来する。元々は長崎県の諫早湾で多く見られる鳥だったが、ここ数年、曽根干潟で見られる数が増えている。恐らく、現在の曽根干潟は、ツクシガモを見るためには、日本で一番いい場所ではないだろうか?
 僕はずっと以前に、長崎県の諫早湾や山口県の阿知須干拓でツクシガモを撮影したことがある。だが、写真が古くて、おまけに技術的にもお粗末な写真なので、今シーズンの間に曽根干潟に数回通って、いい写真を撮っておきたい。
 上の画像は、海と陸地とを分ける堤防の上から干潟を撮影したものだが、堤防をはさんで陸側には、海を埋め立てて作った干拓地があり、干拓地にも野鳥が多い。今日は、干拓地の田んぼで、そのツクシガモやハヤブサやチュウヒを撮影した。
 曽根干潟での野鳥撮影は7〜8年ぶりだが、曽根の雰囲気が大きく変わっていることに驚いた。と書くと、自然が破壊されているというのが定番だがそうではない。
 まず、マガモやカルガモなどのカモが増えている。
 それから、カメラマンの数も増えている。今日は天候が悪かったが、それでも4〜5人のカメラマンを見かけた。みんな、この場所での撮影になれている感じがする。常連だろう。
 そして、ハヤブサやチュウヒなどの鷲鷹の仲間が、あまり人を恐れなくなった。今日撮影したハヤブサは、車でそっと近づくと25メーター前後まで近づくことができた。餌を食べているのならそのようなこともあるが、ただじっとしているハヤブサに、そんなに簡単に近づけることは珍しい。写真に撮られることに慣れているのだろうか?

 ただ、たくさん常連の人がいても、みんな惰性で写真を撮っていて、どことなく集中していない印象を受ける。少なくとも、嬉々として、ワクワクしながら写真を撮っていないことだけは確かだ。今日は、午後から晴れ間ものぞき、とてもいい光のコンディションになったにもかかわらず、その時間帯までには、僕以外の全員が引き上げてしまった。
 常連の人達は、車も機材も、それから撮影ポジションも・・・、みんな自分のスタイルを持っているので、すぐにそれと分かる。
 だが、そのスタイルに当てはめて楽に撮れる写真を撮ろうとしていて、自分が自然の方に合わせようとはしない。その人の勝手なのかもしれないが、高価な機材が泣いている。
  

12月25日(水)

 北日本取材の大まかな計画がたった。
 今回は、場所を新潟県の瓢湖と北海道の屈斜路湖の2箇所に絞ることにした。取材の期間は、現在進行中のザリガニの撮影に配慮して20日前後。水鳥のみに的を絞り、他の被写体には目もくれず、集中して撮影をしたい。移動は、新潟までは車で、新潟から北海道はフェリーを使う。
 新潟県の瓢湖は、風光明媚な場所ではないが、カモ類の撮影がやりやすい。
 北海道の屈斜路湖は、オオハクチョウが有名で、そのオオハクチョウを撮影するつもりだが、今回屈斜路湖を選んだのは、オオハクチョウが理由ではない。
 今年の2月に屈斜路湖で撮影をした際に、カワアイサというカモが比較的人を恐れずにいて、夕方になると、ほんのすぐ近くまで寄ってきてくれた。カワアイサを至近距離で見れる場所は少ないし、もう一度、その姿が見たくて屈斜路湖を選んだのだ。
 カワアイサの撮影のために屈斜路湖にいくのではない。カワアイサは、屈斜路湖からそう遠くない網走の濤沸湖(とうふつこ)にはさらにたくさんいて、屈斜路湖よりももっと近い距離から撮影ができる。カワアイサを撮影するだけであれば濤沸湖の方がいいが、周囲の風景は、屈斜路湖の方が圧倒的にすばらしい。その風景も含めて、屈斜路湖でカワアイサの姿を見ていたいのだ。
  

12月24日(火)

 昨日の日記の中でデジカメのことを書いたが、道具にはそれぞれに特性がある。僕は今のところ、大部分の撮影を645版のカメラでこなしているが、645版には645版の、35ミリ版には35ミリ版の、またフィルムにはフィルムの、デジカメにはデジカメの良さがある。
 先日写真家の中野耕志君が北九州に遊びにきた際に、僕が645版のカメラで撮影したフィルムを見て
「あ〜、645版はいいね」
 と言ったのだが、中野君の目にそう映ったということは、僕が645版のカメラを使いこなしているという証拠だし、その一言がとても嬉しかった。
 これからの時代は、フィルムに加えて、デジカメを使いこなすことが不可欠になる。そろそろ、デジカメの本格的な導入の検討もはじめようかと思っている。

 今日は、デジカメで、仕事を全く抜きにした遊びの撮影を楽しんだ。自然を撮影すると、本気になり過ぎるので自然以外の被写体を撮影した。今まではデジカメを使用する際には、カメラ任せで、特に深く考えずに撮影をしてきたが、今日は、カメラの設定をよく考えながら、デジカメの特性を噛み締めるようにして撮影した。
  

12月22〜23日(日〜月)

 今から10年くらい前、昆虫写真の海野先生の事務所をたずねた際、海野事務所のドアを開けると、先生が電話とファックスと格闘をしている姿が目に飛び込んできた。
 電話の向こうは出版社の人だろうか?テントウムシの写真を探しているようだった。
 先生は、手元にあるテントウムシの写真について、その絵柄を伝えようとしているのだが、所詮、電話では伝わらない。そこで、パソコンに取り込んだ画像を様々に処理をして、プリントアウトして、ファックスで送信してみるが、写真は黒くつぶれてしまい、何が何だか相手にはわからないようだった。
 その電話やファックスが、その後どうなったのか僕の記憶にないが、作業が終わった後で、
「こんな面倒なことをやらなくても、電話回線を使って、自分のパソコンから相手のパソコンに画像が送れるような時代が、そう遠くないうちに来るんだ」
 と先生がおっしゃっていた記憶がある。
 まだインターネットや電子メールなどという言葉も、ほとんど聞かれないような時代だったし、パソコンの中に画像が取り込んであり、その画像にソフト上で処理をする事でさえ、ほとんど知られていない時代だったから、今考えてみると、その先見の明に驚かされる。
 プロの世界は結果の世界である。手段にこだわらず、インターネットも、電子メールも、デジカメも・・・使えるテクノロジーはどんどん利用して、結果で勝負しなければならないし、そのためのアンテナを日頃から張り巡らせておく必要がある。
「こんな面倒なことをやらなくても、電話回線を使って、自分のパソコンから相手のパソコンに画像が送れるような時代が、そう遠くないうちに来るんだ」
 というあの日の海野先生の言葉を思い出すと、今僕は、改めてそう教えられる。

「デジカメとフィルムとの微妙な性質の違いについて、詳しく知りたい」
 といったことを、先日、この日記の中に書いたが、海野先生からメールをいただき、僕が疑問に感じていた部分に関して、何点か教えてもらえた。
 僕は、まだ学生時代に、
「プロになりたいんです」
 と海野先生に手紙を書いたが、その時は海野先生の写真が好きだったので、先生から写真術について教わりたいと思った。ところが、今は写真術よりも、仕事ってどういう風にすすめるものなのか、職業写真家としての物の考え方を教わる機会の方が多いように思う。そして、写真術よりも、物の考え方のほうが断然に大切であることを、僕は痛感している。
  

12月20〜21日(金〜土)

 この冬にカモ類の撮影をするための計画を立てているのだが、これ!といった具体的なアイディアが思い浮かばない。
 カモの撮影は、ただ写真に収めるだけであれば、撮影場所さえ間違えなければ、それほどにむずかしくない。ところが、それを人の心を打つような写真に仕上げようと思うと、突然にむずかしくなる。
 実は、僕自身、人様が撮影したカモの写真を見て、心を打たれるほどに感動をした経験が一度もない。

 生き物に興味がない多くの人にとって、家畜であるアヒルと野生のカモとは、ほとんど区別がつかないだろうし、カモは野生の生き物というよりは家畜的なイメージが強い。そのカモを撮影して、人に感動を与えるためには、家畜のイメージを払拭するような写真を撮らなければならないだろう。
 例えば野生の生き物ならばでの荒々しい動き。それから、野生の生き物ならばでの羽毛の輝き・・・といったところだろうか。
 これまでに何度も撮影をして、これといった写真が撮ったことのない被写体なので、今回は前もって、しっかりとした自分のイメージを固めてから撮影に臨もうと考えている。
  

12月18〜19日(水〜木)

 アメリカザリガニの赤ちゃん
 
 以前にザリガニの成長の様子を写真に撮ったことがある。ザリガニは脱皮をしながら少しずつ大きくなるが、水槽の中に一つだけ決めた石を置き、その石の上にのっかたザリガニを数ヶ月に渡って撮影することで、大きくなる様子を表現しようとした。
 撮影ははじめとても上手くいったが、途中からさまざまなアクシデントに見舞われて、中断せざると得なくなった。ザリガニが大人になるまでには一年以上かかるし、その様子を撮影するのであれば一年以上先のことまで考えておく必要があるが、僕の見通しが甘かったのだ。
 今日からは、そのザリガニの成長を撮り直しする。その撮影を始めれば、長い期間、留守にすることができない。せいぜい20日くらいの取材しかできなくなる。この冬は、30日〜40日くらいの北日本取材を考えていたので、撮影をやり直すかどうかとても迷ったが、自分のアイディアを未完成のまま放っておきたくない。撮り直しをすることにした。
 実は、先日、生き物の飼育水槽の写真を撮った際に、編集長から、
「水槽以外の写真も武田さんの写真を使います。すでにお持ちのザリガニやアマガエルの写真の中から使わせてください。小さな本だけど一冊の本だし、実績になるでしょう」
 と言ってもらえた。そんな時のために、日頃から撮りだめした写真があるのだが、「いろいろなシーンを撮っておいてよかった」と思った。
 せっかくそう言ってもらえたのに、もしも相手が求めるシーンの写真がなかったら申し訳ない。僕に出来ることは日頃から心を込めて写真を撮り、いい写真を提供できるように備えておくこと以外にないことを痛感した。
 今日撮影したザリガニの赤ちゃんは、5ミリ程度だが、その赤ちゃんが真っ赤な大きなザリガニになるまで撮影を続ける予定だ。
  

12月17日(火)
 
 
 
 メダカの卵の撮影は、今日も快調だ。今撮影をしている卵は13日に採卵をしたものだが、あと数日で孵化をするはずだ。大体魚の形が出来てきた。明日〜明後日には鱗もできるだろう。
 今日は、卵を撮影しながら、この冬に北日本で水鳥を撮影するための準備を整えている。北海道まで行くのか、あるいは本州で撮影をするのかといった計画の他に、機材にも改良を加えた。
 今日の画像は、カメラをぶれさせないように、体に固定するための小道具だが、実際に使用する道具に取り付けてみて、色々な姿勢で、さまざまな場所をファインダーで捉え、よりカメラの「ぶれ」が少なくなるように改良を加えた。

 有名な野鳥の撮影地に出かけると、たくさんのアマチュアカメラマンがいて、様々に工夫が凝らせれた機材を目にすることができる。だが、「これは有効だな〜」と感心するような工夫をしている人には、滅多にお目にかかれない。大抵は、気休めか、その人の自己満足で、工夫をして、よりいい写真を撮ることが目的ではなく、工夫をしたという満足感に浸ることが目的なのかもしれない。
 そういったアマチュアに対して、野鳥写真の第一人者であるKさんが、
「そんなことしなくても、普通にして撮れるのがプロなんだよ」
 というのを聞いたことがあるが、大抵の場合、その通りである。
 だが、中には有効な工夫もあるのだから、工夫をする心を忘れてはならないと、僕は思う。例えば、自然写真の世界で最も権威がある雑誌であるナショナルジオグラフィクのカメラマンたちの機材には様々な工夫が凝らされている。日本人よりも大柄で体力があるはずの欧米人が、写真がぶれないように機材に改良を加えていることも珍しくない。
 そんな機材を見せられると、僕はハッとさせられる。ぶれないように撮るというのは写真の基本だが、すでに超一流と評価されている人でさえ、その基本に忠実であろうとしているのだ。
 もちろん、写真の中には、カメラマンの意に反してぶれているのに、それでも「いい写真だな〜」と人の心を打つ写真もある。だが、それはあくまでも例外であり、それを目指してはならないように思う。
  

12月15〜16日(日〜月)
 
 写真家の中野耕志君が遊びにきた。中野君は、今年のキャノンのカレンダーを撮影した写真家で、自然だけなく、飛行機やモータースポーツも撮影する。千葉県在住だが航空ショーの撮影でちょうど九州にきている。いろいろと写真の話をしたが、いい刺激になった。
 自分の手を動かして、何かに一生懸命取り組んでいる人と話をするのは、やっぱりいいな〜
 
 採卵中のメダカ

 13日から取り掛かっているメダカの卵の撮影は快調に進んでいる。若干の改良の余地があるが、魚の卵の撮影方法がマスターできたようだ。
 魚の卵の場合、卵を一つだけ無地のバックで撮影し、その成長をつぶさに見せる撮影方法と、水草や岩陰に産み付けられたままの状態で自然に見せる撮影方法とがある。前者は、理科の教科書などの教材で写真が使用され、後者は、魚の図鑑などに写真が使用されることが多い。今回撮影しているのは前者になるが、卵の中の小さな変化をはっきりと分かりやすく撮影しなければならないので、大変に細かい作業になり、それがむずかしい。
 卵は産卵直後に、メスのお尻からピンセットで採取する。網で掬ったメスを容器の中に入れて採卵するが、メダカは中々横になってくれない。魚の本能なのだろう。水がほとんどなくても泳いでいる時と同じ態勢(お腹を下、背中を上)をとろうとする。そして弱ってくると、体を横にして倒れ、ようやく採卵ができるが、僕としては魚を弱らせたくない。いつも採卵のたびに、
「早く横になってくれよ」
 とせかせかした気持ちになる。ところが今回は、比較的簡単に魚を横にさせる方法に気が付いた。魚は、通常背中側に光があるような状態で生活しているので、光に対して背中を見せようとする性質がある。だから、下から光を当ててやればいいのだ。
 これは、ビニール袋などに入れた魚で実験をしてみるとよく分かる。透明な袋に魚を入れ、下から照明を当てると魚が上下の方向感覚を失い、上下逆さまになって泳ぎだす。
  

12月13〜14日(金〜土)

 今日からメダカの卵を撮影する。これまでに数回撮影したことがある被写体だが、小さなゴミが目立つ写真が多く、どうやって撮ったら上手くいくのか、いろいろと試行錯誤を繰り返している被写体だ。
 これまで撮った写真の中には、比較的ゴミが目立たないものもあり、印刷物に使用可能な写真を僕は持っている。だが、それはゴミが目立つ写真の中から比較的ましなものを選んだだけで、
「メダカの卵のような被写体はこう撮る」
 という武田流の方法は確立できていない。その方法を確立するのが、今回の撮影の目的だ。今までに試みたことがない方法で撮影にチャレンジしているが、果たして結果はどうだろうか?
 今日の段階では、とても快調に撮影が進んでいる。これから卵が孵化をする日まで、こまめに卵を観察し、シャッターを押していくことになる。
 撮影そのものは、数時間に一度シャッターを押すだけなので負担は小さい。長い時間の留守は出来ないが、撮影の合間に本を読んだり、テレビを見たり、・・・ゆっくりすることができる。今日は、数年前に買ったヤマメ釣りの極意の本を読み直し、釣りに出かけた気分になった。ここ数年、釣りをしていないが、来年は、撮影に必ず釣具を持っていくようにしようかな?
  

12月11〜12日(水〜木)

 昨日は、午前中からお昼にかけて小さな雑用があり、ざっと一時間くらいで終わるとみていたのに数時間を要し、ほとんど一日が潰れてしまった。一日って呆気ないな〜と、何だかとても損をしたような気持ちになった。
 と、そこに写真の注文の電話が。ありがたや、ありがたや。さっそく依頼されたイメージの写真を探し、スキャナーでパソコンに取り込み、メールを使って編集長に送ってみた。
 生き物関係の出版は、東京が中心になるので、地方では不利な点もある。僕が一番不利に感じるのは、出版社の人の話を直に聞く機会が少なくなってしまう点にある。在京の人のように、さっと出版社に出向くわけにはいかない。
 その不利な点を自分なりの工夫で、可能な限り補うように、日頃からいろいろと案を練っているが、最近は、そうして思案してきたものが少しずつ役に立ちつつある。文明の利器も最大限に利用したい。
 そしてもちろん、地方に有利な点もある。有利な点を最大限に生かす工夫も忘れてはならない。首都圏に住んでいる写真家と話をしてみると、地方に有利な点がよくわかる。僕が事務所に使っている建物は、元々崩壊寸前だった程傷んでいた建物に手を入れたものだが、一軒家で、部屋が3部屋あるのに加えて、一部屋に相当するような空間がある。それは、首都圏では考えられないような広さ、贅沢に違いない。そこは、とてもいい生き物撮影スタジオになる。また、首都圏に比べ、身の回りに自然が多いの有利な点だ。
 身近な水辺の生き物を中心に、時に野外で、時にスタジオで撮影する今の僕のスタイルは、自分の置かれている環境に、撮影スタイルの方を合わせた結果だといってもいいだろう。
  

12月10日(火)

 ヨシノボリの顔

 今日は、知人が水槽撮影のノーハウを勉強するためにやってきた。
「こうやって・・・」
 と説明しようとすると、ちょうどヨシノボリが一匹、水槽の中からこちらを見ている。言葉で説明するよりも見てもらうのが一番とカメラをセッティングして、ヨリノボリの撮影の様子を披露した。ついでに、デジタルカメラを使って、同様に撮影をして、
「こんな感じですね」
とお見せしたのだが、その一枚が上の画像だ。
 このヨシノボリは、去年の秋にメダカを採集する際に網に入っていたもので、もう一年以上も飼い続けている。僕のことを餌をくれる人としておぼえているので、水槽の前を通りかかると、こちらを向いて餌が降ってくるのを待っている。
 水槽のサイズは、幅が90センチ、奥行きが45センチあり、人の小指よりも小さなこの魚にとっては、窮屈ではない広さに違いない。狭い水槽で飼育すると、魚の体が傷んでくることもあるが、このヨシノボリは色艶もよく、とてもきれいな体をしている。
 小さな魚は小さな水槽でも飼うことができるが、きれいな魚体に育てようと思うと、やはり広い水槽が必要で、小さな魚の代表格であるメダカでも、本当にいいプロポーションに育てようとすると、幅60センチ、奥行き45センチの広さが必要なる。
  

12月09日(月)

 一昨日に引き続き、新しく買ったストロボのテストをしている。前回は、デジタルカメラを使ってテストを試みたが、今日は、仕事用のカメラにフィルムを詰めて撮影をしてみた。
 デジカメとフィルムとでは、絵が微妙に違う。デジカメでテストをしても、フィルムを使用した本番撮影の結果を忠実に再現するわけではないし、デジカメでのテストは参考程度にしかならない。だが、大まかな点はデジカメでのテスト撮影で分かるし、何よりも、テストの結果がほんの数秒後に確認できる点がありがたい。
「こうしたらどうなるか?」
と、感じたことを気楽に試せるし、テスト撮影がとても楽しくなる。その結果、写真の上達が早くなるように思う。以前は、本番撮影を終えた後に、HP用の画像をデジカメで撮影をしていたのだが、今ではその全く逆で、少なくともスタジオ撮影では、ほぼ100%、デジカメでのテストを試みてから本番に挑むようになった。
 それだけデジカメでのテスト撮影のウエイトが大きくなったのだから、もう少しデジカメに詳しくなろうと考えているが、今一番よく把握したい点は、デジカメとフィルムとの違いだ。例えば、デジカメの感度をiso80に設定した場合に、フィルムでいうと、どの程度の感度に匹敵するのか?など厳密に知りたい。
 
「デジカメの画質って、どの程度すごいの?」
 と時々たずねられるが、正直に言うと、僕にはあまりよく分からない。
 デジカメの雑誌を見ると、「フィルムを越えた」だとか、「ほぼフィルムと同等の画質だ」と書かれているが、その雑誌の中に掲載されたデジカメ画像の画質は、フィルムよりも明らかに劣る。虫や花など、狭い場所にクローズアップした画像はフィルムと甲乙つけがたいとしても、風景など、たくさんのものを写しこんだ写真は、キャノンの最新のデジカメ(EOS1Ds)で撮影された画像でも、決して満足できるレベルではない。
  

12月08日(日)

 ここの所、程度のひどい無気力症候群に取り付かれ、何を試みても充実しなかったのだが、今日は、久しぶりに、無心になって一日働くことができた。
 無気力になっている時には、僕の場合は、体調も冴えないことが多い。体調が悪いから無気力になるのか、それとも無気力だから体調も冴えないのか分からないが、とにかく、身も心も沈みこんでしまうような時期がある。
 期間は、大抵は二週間くらいだろうか。僕は、ある程度計画を立てて撮影を進めているが、撮影テーマの変わり目にそんな症状に陥ることが多い。落ち込んでいる時には、二度と嬉々として写真を撮ることなどできないような気になるのだが、ある日突然立ち直ってしまう。
 立ち直る時は、何かを工作して作ったり、農作業や庭仕事のような作業をしたり、部屋の整理をしたり・・・、頭を働かせながら手先を使う作業の後が多いので、頭と体のバランスが取れない時に陥る症状なのかもしれない。
  

12月06〜07日(金〜土)

 注文をしていたスタジオ用のストロボが届いた。写真家であり、東京で撮影スタジオ(五反田・パオラスタジオ)の経営もしておられる知人が、ちょうどコメット社から大きな買い物をしたあとで、コメット製品なら、大きな値引きを引き出せるということだったので、今回は新品で、コメット社製のツインクル04F(400ws)を買った。
 実は、ここのところの水槽の撮影と子供の撮影の際に、フォトショップ・パル(このHPにリンク)の西本さんから、スタジオ用のストロボセットをお借りした。ご好意で、1200wsのものを無料で貸してもらえたのだが、大型ストロボの威力には驚かさせたし、使ってみて、これは役に立つという感触が得られたので買うことにした。
 僕も1200wsの物が欲しかったが、予算の都合もある。お借りしたストロボをいろいろと扱ってみて、400wsあれば、僕の仕事は、ほぼすべてこなせると判断した。
 昨晩から、人物、静物・・・いろいろな撮影を試みているが満足だ。もっと早く買うんだったな〜。

 今、僕が、実際に仕事に使っている道具の金額は、合計をしても、そうたいした額にはならない。だが、そこにたどり着くまでには、たくさん無駄な物を買ったし、山のような無駄の結果、好みに合う道具にたどり着いたとも言える。買ったものの役に立たなかった道具の方が多かったような時期もある。
 最近でこそ、買う物がほぼ100%機能するようになったが、今考えてみると、以前は、道具に頼って何かをしようと考えていたような気がする。自分の足で歩き、自分が手を動かし、その結果、「この道具が必要だ」というのではなく、「この道具があれば、何かできるのでは?」というような、どこか他力本願な気持ちで、道具を買っていたような気がする。
 もちろん今でも、そんな気持ちも少しはある。Rライカのボディーと28ミリ・マクロ60ミリ・マクロ100ミリ・180ミリあたりのレンズ数本があったらな・・・などと考えることもあるが、それは夢みたいなもので、それで目の前が切り開けるとは考えていない。 
  

12月05日(木)

 先月末から撮影をしてきた「生き物の飼育シーン」の写真にOKがでた。メダカ、アマガエル、カタツムリ、アメリカザリガニを、水槽の中でおしゃれに飼育して、その様子を写真に撮ったが、水槽の中に植える苔や水草のコンディションを整えるために付きっきりになっていたため、今日は、とても開放感がある。
 水草や苔は、植えたばかりだと不自然で貧素だし、放っておくとどんどん伸びるので、タイミングを見計らって写真に撮らなければならないが、数種類の水草を植えた場合、それぞれの成長を揃えなければならないから神経を使う。また、草の緑色は植えた直後には浅い。その後草の成長に伴って緑が瑞々しくなり、根が張り過ぎると水槽の狭さが災いして緑色がまた浅くなるので、いいタイミングで撮影しなければならない。

 今回は、そういった点に関しては上手くいったが、そこに気を使い過ぎて息切れをしてしまった感もある。水槽そのものの写真を撮った経験がなかったこともあり、写真の技術面での出来は100%満足できるものではなく、僕がやろうとしたことのレベルに、写真の技術が伴わなかった。
「もう少し、写真の色が出たらな!もう少し質感を出せたらな〜」
などと不満も残った。
 それでも、今回撮影した写真は、それを見た人が「きれいな飼育水槽だな〜」と十分に感じるレベルだとは思う。ただ、それ以上に実物の水槽がきれいだったのだから悔しい。被写体の魅力は100%引き出したい。「僕にもう少し経験があったなら・・・」と、今回ほど感じたことはない。
 また、一つの水槽を色々なアングルから撮っておくべきだったという反省も残った。ではなぜ、色々なアングルから撮らなかったのだろう?と考えてみると、水槽を撮影するためのスタジオが狭くて、アングルを変えようにも変えられなかったということに気付いた。つまり、水槽大の物を撮るための物理的な準備も出来ていなかったということになる。
「まだまだ、勉強することがある」
 そう痛感させられた仕事になった。
  

12月03〜04日(火〜水)

 つい先日、「犬は、狼を家畜化したものであることが確認された」と新聞で読んだ。いったいどんなきっかけで、狼を家畜化したのだろう?また、何のためにそんなことをしたのだろうか?
 家にも犬が一匹いる。およそ30年間くらいだろうか?武田家では数匹の犬を飼いつないでいるが、犬は人の言うことをよく理解するし、犬と暮らしてみると、人と犬とが一緒に暮らした歴史の長さを感じる。
 
 ここの所、数日間、事務所の一角に作られたスタジオに改良を加えたり、生き物の飼育態勢と整えたりして、この冬、スタジオ内で小動物たちを撮影するための準備を整えている。
 冬の間に撮影する小動物は、メダカやザリガニなど、水中に生息する生き物に限られるが、これは、水の中であれば、水槽用のヒーターの温度と、照明器具を点灯する時間の長さを調節すれば、夏の環境〜冬の環境まで、低コストで、簡単に作り出せることによる。
 撮影に使用する生き物は、特別待遇ルームで、理想的な環境を整えて維持するのだが、今日は、メダカを4匹、大部屋から特別待遇ルームに移した。
 水槽の中といえども、流線型をして泳ぐのが得意な魚を、どれか一匹狙って網で掬うのには骨が折れるものだが、メダカだけは例外だ。色艶のいい個体に目を付け、それを、いとも容易く網で掬うことができる。
 まるで、人間が狼を家畜化したように、メダカも、人間が飼い易い様に家畜化されているのでは?と思えてくる。メダカは、代表的な実験材料だし、子供向けの科学雑誌に出てくる魚としても定番だが、飼えば飼うほど、その理由が「なるほどな〜」とうなずける。
 僕は、子供の頃は、どちらかというと教科書に出てくるような生き物には興味がなく、先生も知らないような野生の生き物に興味があった。アメリカザリガニにせよ、メダカにせよ、今頃になって、その面白さや、その生き物が生物学の研究にどれほどに貢献したのかに気付かされている。
  

12月01〜02日(日〜月)

 テレビで、「車上ホームレス」が増えていると報道されていた。「車上ホームレス」とは読んで字のごとく、車の中で生活をしているホームレスのことだが、映像を見ていると、僕の取材の時の様子とほとんど違いがない。僕も、ホームレスと間違えられ、
「すいません〜ん。ちょっとお話を聞かせてください」
 などと、インタビューを受けてしまうかもしれない。

 車での生活は、長くなるとそれなりに苦痛だけれども、楽しい。安全そうで、トイレや水道がある駐車場探しで苦労させられる時もあるし、冬場だと寒さがこたえ車内の凍結など面倒なことも多いが、室内で寝るのに比べると、断然に、外の空気を感じることができる。
 大雪の朝には、シンシンと静けさを感じ、また雨の日には、車の屋根にポツンポツンと落ちる雨の一滴一滴の音を聞くことができる。宿に泊まれる身分になれたらな・・・と思いつつ、いつの間にか、そんな車での生活の中で撮影のリズムが生まれるようになっている。
 ここのところ、水槽撮影の仕事があったこともあり、フィールドでの取材をしていない。スタジオ撮影が続くと、少しずつだらけてきて、無気力になり、そろそろ、車での生活をした方がいいかな?という気持ちにさせられる。
 今年は、フィールドでは、何を撮りたいかをはっきりとさせ、的を絞って撮影するように心がけてきた。例えば、「新緑と沢」なら、そればかりを目を皿のようにして探したし、「沢と花」や「新緑とオオルリ」など、具体的にイメージを固めてから撮影をしてきた。そういう意味では、季節感に乏しいこの時期の九州に、「これ!」といった被写体は見当たらないが、あとしばらくすると、阿蘇などの山間部では積雪が始まるし、阿蘇の麓の涌き水の池には、冬鳥たちがやってくる。
 その時に、すぐにフィールドに飛び出していけるように、今の間に、スタジオでの仕事をしっかりとこなしておかなければならない。
  
先月の撮影日記へ
 

自然写真家・武田晋一のHP「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2002年12月


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