撮影日記 2019年10月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2019.10.30 スマホと接続の話


Panasonic DMC-LX100 クローズアップレンズ 水中ハウジング

 防水したカメラを水に沈め、カメラとWi-Fiで接続したスマートフォンの画面を見ながら写真を撮る。
 その場合、うちにあるカメラの中ではパナソニックだけが、スマートフォンとの接続中もカメラを操作することができる。他のカメラは、スマートフォンからしか操作ができなくなり、カメラ側からの操作には反応しなくなる。
 したがって、パナソニックのカメラなら、両手でしっかりとカメラを構えた上で、スマホの画面で構図を確認しつつ、カメラのシャッターボタンを押すことができるが、他のカメラの場合は、片方の手をカメラから離して、スマホの画面に表示されるシャッターボタンに触れてシャッターを操作しなければならず、片手でのホールドになってしまう。
 片手では、どうしても写真がぶれやすくなる。
 ちょっとしたことのようだけど、僕のような用途だと、非常に大きな違いになる。

 実は、それを知った上でパナソニックのカメラ(LX100)を浅い水の中の撮影機材として選んだわけではなく、LX100を選んだ理由は、一般的なコンパクトカメラよりもセンサーのサイズが大きく、画質がいいことが期待されたから。
 コンパクトカメラを使うのは、浅い水の中の撮影の場合、カメラが小さい方が有利だから。大きなカメラは浅い場所には入らないのだ。
 LX100もものすごく接写能力が高いわけではないので、クローズアップレンズを併用しているのだが、偶然にもその組み合わせが水中での撮影に適するようで、僕が過去に浅い水の中で試した撮影機材の中では、図抜けてシャープな像が得られる。
 水中写真の難しいところは、気軽に機材を試せないこと。
 手持ちのいろいろなカメラを試してみたいなと思っても、防水ケースがなければ試せないし、またテストができるような水辺まで行かなければならない。
 それから、カメラそのものの性能に加え、防水ケースとの相性などもある。
 因みに、カメラが完全に水の中に沈んでいる場合は、Wi-Fiの電波がスマートフォンまで届かなくなるので、アンテナが必要になる。
 
 

● 2019.10.26〜29 波紋の話


Panasonic G9PRO
LEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.
1.4× DMW-STC14

「美しい」と、写真家の二神慎之介さんが、ツイッターでつぶやいてくださった。波紋がいいと。
 波紋を入れた理由は、波紋がなければ、陸上から撮影したのか、深い場所での水中写真なのかの区別がつきにくくなるから。
 陸上から撮影すると、水面の小さな波の影響で被写体が微妙に歪む。
 そして、一目見て明らかに陸上からの写真の場合は、歪があっても何の問題もないのだが、そうでない場合は、その微妙な歪を被写体の形だと思われてしまう可能性もあるので、「これは陸上から撮影したものですよ」と宣言したい。
 このシーンの場合は、その宣言が、波紋だった。

 露骨に、「これは陸上ですよ」と説明する撮り方では、写真を見る人は理屈っぽい頭を使わなければならないから疲れてしまう。
 だから、その説明が、美しいとか面白いなどと別のものとして感じられるように写真を撮る。無意識の間に、「ああ、水の上から撮っているんだ。」と感じられるように撮る。
 自然物の中には、人が見て美しいものもあればそうではないものもあるのだから、美しい写真を撮ることが僕の目的ではないけど、美術性という要素を駆使しながら、なるべく説明せずに説明するのだと考えてもらえればいい。
 ただし、正確に言うと、撮っている時にはそこまで言語化できているわけではない。
 現場ではもっと直観的で、帰宅後に写真を選ぶ時に、自分で撮った写真を自分でよく読み、自分が直感的に選んだ画面の中の1つ1つの要素が何を意味するのかよく考えて、説明せずに説明できる写真を選ぶと書いた方がいいかな。 



● 2019.10.24〜25 更新のお知らせ

9月分の今月の水辺を更新しました。



● 2019.10.21〜23 伝統って凄い!



 マスが卵を産みそうな場所にカメラを沈めて、あとはその瞬間をひたすら待つ。
 この日は、カメラは、7時間水の中だった。
 だがメスは産みそうな気配を見せるにもかかわらず、結局産卵には至らず。陸の上から見ると産卵用の穴を一生懸命掘っていて穴はそれなりにできあがっているように思えたのだが、水中から見る雌の体が傷んでいてすでに1〜2度産卵済みで、産卵はもうおしまいなのかな。

  水の中にカメラを放置してそれを陸からコントロールするなどというカメラマンは、恐らく10000人に一人もいないはずなので、こうした特殊な撮影をすると、メーカーがどこまで特殊なケースを想定しているかがよく分かって面白い。
 え、なんで?こんなこともできないの?ともどかしくなることが多々ある。
 ニコンは、非常に特殊なケースまで想定している印象がある。
 ニコンほどではないが、キヤノンもなかなか。
 ソニーは、最新のテクノロジーの部分は凄いけど、あくまでも一般的な撮影を想定しており、特殊なことはあまり考えてない印象がある。
 ソニーがそうしたケースを切り捨てているわけではないと思う。また、ニコンやキヤノンの最新のカメラを作っている今の技術者が、そこまで考えているわけでもないと思う。
 恐らく、何となく踏襲されている蓄積の違いであり、いわゆる伝統の力ではなかろうか?と思う。
 やっぱりニコンやキヤノンのカメラは凄いな、とじみじみ思う。
 ソニーのカメラが急激にシェアーを伸ばしているけど、老舗は、その蓄積と伝統を捨てないで欲しいなぁ。



● 2019.10.11〜20 絶体絶命の危機

 取材中にお腹が痛くなった。何か悪いものを食べてしまったかな・・・
 僕はお腹が痛くなりやすいのだが、明らかにいつものそれよりは症状が重い。
 考えられるのは、野菜サラダくらい。昼食を調達する際に弁当と一緒にサラダを買ったのが、朝の4時頃。
 それから現場に向かって、弁当とサラダを食べたのが午前11時くらい。
 7時間は、車の中に置いておくには、もしかすると長すぎるのかな?
 車内泊での取材の場合はどうしても野菜が不足するので、と購入したサラダだったのだが・・・。
 今後はペットボトル入りの青汁でも買うとして、サラダは、すぐに食べる時以外は、やめておこう。

 トイレまで間に合うかどうか、非常に際どかった。
 途中で、もうダメかなと半分諦めた。
 しかし、車内泊での取材で漏らしてしまうと、非常に厄介だ。一体、どこで処理をしたらいいのだろう?
 トイレできれいに拭いて着替えるくらいしか思いつかないのだが、お尻以外も汚してしまうだろうしそれでは不満が残ることだろう。
 そう思うと、もうひと踏ん張りするしかなく、最悪の事態は、気力で何とかギリギリ回避することができた。危ない、危ない。
 簡易トイレは車に積んであるのだが、なぜだか組み立てる気にはなれなかったのはなぜだろう? 今にも漏れそうな時に、トイレをセットする作業をするのは、案外ツライからかな?
 今回は、ズボンの替えを持っていたのだが、替えがないとどうにもならないので、替えは必須。
 「おもつ」は、万が一に備えて、車に積んでおくべきか・・・
 
 

● 2019.10.10 有料記事のお知らせ

主に自然系の学芸員や研究者の人を想定した有料記事です。
本当は10円にしたいのですが、システムの最低の価格が100円なので、仕方なく100円です。冒頭のみ、無料で読むことができます。
白バックの標本写真を撮る(1)|タケシン|note(ノート)
https://note.mu/takeda_shinichi/n/n4eaa62b0d997
です。

 有料記事を書いてみてしみじみ思うのは、僕の場合、お金を稼ごうと思うのなら、写真を撮るのが一番手っ取り早くて効率がいいということ。
 僕はカメラマンなのだから、当たり前なのかな?
 有料記事が割に合わないことは準備をしながらすぐに分かったのだが、それでもなぜ書いてみたのか?と言えば、どうしても自然写真が好きで自然写真だけで生活をしたい人に、自分が知っているノーハウを伝えたいから。
 その場合は、記事を書く側にも読む側にも、自分の覚悟を示すお金というプレッシャーがあった方がいいように思う。

 今はSNSが発達した時代なので、自然にカメラを向ける人のうち、作家型の人なら、放っておいても次々と面白い人が出てくるだろう。
 でも、技術屋型の人は、SNSが発達しても、そんなにたくさんは出てこないだろうと思う。
 そして、自然をきちんと世間に伝えようとするならば、本物の技術屋は絶対に必要だし、とても大切な存在。
 作家型の人は、必ずしも写真で生活ができなくてもいいのかな、と思う。
 だが技術屋は、写真で生活ができなければならないと思う。現場で山ほど経験を積まなければ分からないし、覚えないし、育たないから。
 一言で「写真が上手い」と言っても、写真の上手さにはいろいろな質があるが、その中に稼げる上手さというのがあって、有料記事ではそんな部分を密かに書いてみるつもりだ。



● 2019.10.6〜9 同じことを繰り返せない話

 先月、弟と釣りに行く予定だったのだが、直前に弟が病気になり中止になった。
 そして本来釣りに行ったはずのタイミングで、今度は僕も具合が悪くなり、治療を受けるはめになって、釣りに行けなかったことが結果的に吉と出た。弟が病気にならずに釣りに行っていたら、僕は宿で寝ているだけに終わったに違いない。
 釣りは、また来年のお楽しみ。
 
 せっかく道具を準備していたので、仕舞うのではなく、しばらく飽きるまで毎日駐車場でキャスティングの練習をすることにした。
 的を置いて、リール付きの竿をブンと振り、針を的に当てる的当てだ。
 僕はまだ幼い頃に最初から現場で釣りを覚えたので、駐車場のような場所よりも、たとえ障害物がたくさんあったり足場が悪くても川の方が投げやすい。
 というよりは、駐車場みたいな場所で投げてみると、何でこんなに下手糞なの?という感じ。
 現場で投げれればいいのだから、それで十分だと思っているのだが、本当に上手な人は、場所を選ばないだろうな・・・。周囲の状況によって上手く投げれたり投げれなかったりするのは、多分、僕が感覚で投げていて、投げ方が確立されてないのだと思う。
 今更ながら達人たちの動画をユーチューブで検索して投げ方を真似てみると、コツが掴めたのか急に上手くなった。
 ただそれでも、僕が投げると確実性に欠ける。
 そもそも、僕は、何事にせよ、物事を同じように何度も繰り返すのが得意ではない。
 昔、楽器を練習したことがあるのだが、その時にも、曲を演奏することはできても、ドレミファソラシドを同じように何度も繰り返すことができなかった。
 もしも僕が料理人になれば、多分、毎回同じメニューの味が違ってしまうし、野球の投手で言うならコントロールが悪いタイプになるのだろう。
 釣りのキャスティングの練習を通して、そんな自分を少し変える試みをしてみようかな。バラツキが大きい自分をどうしたら制御できるのか、試行錯誤してみようと思う。



● 2019.10.4〜5 環境保全の話

 環境保全の活動家で、ツイッターも駆使しておられるある方が、
「過去に一度もブロックをしたことがない」
 と書いておられるのを読んで、ウン、ウンと納得させられた。
 ブロックとは、自分のツイートに対して悪意のある反応をする相手を排除する機能のこと。環境保全に限らず政治的な活動をすると、しばしば対立する立場の方が現れ、意見を戦わせるのみならず嫌がらせが始まり、ブロック機能を使わざるを得ない状況に陥る。
 ところが、ツイッターを多用しておられるにも関わらず、そんなケースがまだ一度もないのだという。
 面識がある多くの人が認める優しくて誠実な人柄。ツイッターでも、その人柄通りのつぶやきで、その大きさ故に、悪意を持った人間が近づきにくいのだと思う。
 僕にとって信用できる、数少ない環境活動家なのだ。

 僕は、自然が大好きで、大きなリスクを取って自然写真家を志したくらいなので、言うまでもなく環境問題には興味があるのだが、多くの環境活動家をどうしても好きになれない。
 俺がこんなに正しい!私がこんなに正しい!というある種の自己顕示欲みたいなものを、「環境保全」という大義名分のもとに発散しているように感じられるケースが、とても多いから。
 環境活動家のみならず、政治家に対しても似た感情を持っているのだが、社会が何を選択するかは、誰が正しいかや何が正しいかではなくて、みんなが何を選ぶのかの問題だと思う。
 それぞれの立場の専門家は何かを決める人ではなく、情報を提供する人であり、人が何を選択するかはそうして提供された情報を参考にしながらみんなで決めるべきこと。
 誰かと話し合いをして、物事を決めなければならないことがある。例えば、夫婦の間でもいい。
 その時に、自分の意見が通っても、僕は嬉しくない。絶対に譲れないと思っていても、いざ自分の意見が通ると、楽しくない。僕の意見が通った時は、相手の意見は通ってないのだから。
 どちらの意見が通るかよりも、誠実なやり取りの方がずっと大切だと思う。

 今は環境問題を重視する人は少ない。例えば、国政選挙に環境を争点にして立候補しても、まず当選しないだろう。
 だが、もしも多くの人、すなわち特別に自然に興味があるというわけではない人たちがその議論を必要と感じる状況に環境が陥れば、ガラリと変化するだろう。
 自然写真の仕事は、自分で撮影した写真を使って商売をするのだが、商売をすると、タイミングというやつがとても大切だと思い知らされる。どんなにいい物でもタイミングが合わなければ売れないし、それなりのものでもタイミングが合えば売れてしまう。
 何が正しいか以外に、タイミングやその他、いろいろな要素が絡む。人を相手にするって、そんなことではないのかなと思う。
 だからこそ、俺は正しいんだ!といった自己顕示欲に満ちた、誰かをやり込めるような発信や議論は、馬鹿らしいような気がしてならない。



● 2019.10.1〜10.3 波に乗れない

 撮影が、さあ、乗ってくるぞ!という時に何かとトラブルが起きて波に乗れないケースが、約1年続いている。信心深くない僕でも、これは天中殺じゃないか?という気がしてくる。
 その割には、仕事の撮影だけは、良くできているのが救いだ。
 いつもなら早く仕事を終わらせて自分が撮りたいものの撮影に出かけようとするのが、波に乗れないものだから、最低限の仕事だけを確実にという心理が働いて、依頼されたものだけをいつもよりも時間をかけて撮影しているからかな。
 時間をかけると、写真の質が上がるのは当然として、いつもなら締め切りに追われ、仕事はやっぱり辛いなぁと感じていたのが、仕事は仕事でそれなりに面白かったりもする。

 さて、ようやく今度こそは乗れるかな?というタイミングで、武田家では、質の悪い風邪が大流行。間が悪いなぁ〜。
 これはただの風邪じゃないなというのですぐに治療も受け、1週間が経過して、処方された薬はすべて無くなり、風邪の症状がほぼ収まった。
 よし、今度こそは!と、昨日は、まずは体を作り作りのために沢を歩くが、病み上がりに加えて、台風の影響で非常に蒸し暑かったこともあり、きつくてバテバテ。
 そんな日に限って、夜行性の生き物の撮影が思いがけず入り、さらにまたも思いがけず、深夜〜翌日午前中にかけての別の撮影もそこに加わる。
 自然写真の仕事は面白いし、遣り甲斐もあるけど、体調が悪い時だけは、辛いなと思う。僕は、組織が好きではないので一人でできる仕事を選んでいるのだが、組織というものがなぜ形成されたのかは、そんな時に思い知る。手分けや協力って、やっぱり素晴らしいことなのだ。
 ただ、今回は、夜の撮影〜明け方まえの撮影共に、一人で何とか乗り切ることができた。

 だから今度こそは、波に乗れるのではなかろうかと思っていたら、風邪の診察を受けた際に調べた血液に問題があり、来週、それなりの検査を受けることになった。
 なるほどなぁ、体がキツイはずだ。
 どうも風邪とは無関係の症状のようなので、それが偶然見つかって良かったのだろうけど・・・、まだ僕の天中殺は続いているのかな。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2019年10月分


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