撮影日記 2019年7月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2019.7.31 更新のお知らせ

6月分の今月の水辺を更新しました。
今月は、サギの戦いです。


● 2019.7.21〜29 どちらの気持ちも分かる

 学生時代に、プリンセスプリンセスの「ダイヤモンド」という曲が大流行した際に、
「この曲メロディーが大好きなんだけど、ダイヤモンドっていうタイトルがね・・・ダイヤモンドってそんなにいい物かぁ?希少価値で高価なだけで所詮石でしょう?専門家が見ないと精巧なガラスの偽物と区別がつかないなら僕はガラスでいいや。」
 と発言して、研究室の女性陣から、
「あなたは、女心が分かってない。」
 と猛烈なおしかりを受けたことがあった。
 僕は子供頃から、自分の感覚で捉えられるかどうかを重視する傾向があり、誰かに言われなければ分からないことや、専門家にしか判定できないような物事は気にならない性格だった。
 指輪には興味がないけど、指輪なら、ダイヤモンドかガラスかよりも、デザインが自分の好みに合うかどうかなどの方が断然に重大事項なのだ。

 さて、水辺の生き物の世界では、近年、魚や蛍などの放流が問題になるようになった。
 遺伝子の研究が進み、同じ種類の生き物でも遺伝子には地域によって多少の違いがあることが明らかになり、放流によってあちこちから生き物が持ち込まれることでそれらの遺伝子の違いがグチャグチャになってしまうことが懸念されるようになった。
 渓流に住むヤマメなどは、放流によっていろいろな地域のヤマメの遺伝子が混ざってしまい、本来その川に生息するものはほぼ絶滅で、大部分も場所で今生息しているのは別のヤマメだと言ってもいいだろう。
 生き物好きとしては、大変に歯がゆい。
 一方で、専門家にしか分からないような物事が気にならない性格の僕としては、専門家にしかわからないような生き物の小さな遺伝子の違いなんてどうでもいいという人の気持ちもとても分かる。そこまで神経質にならなければならない社会は、窮屈な社会だというのもとてもよく理解できる。今後知識は増えることはあっても減ることはないので、窮屈さは増す一方になる。
 年を取るにつれて、何か議論が生じた際に、どちらの気持ちも痛いくらいに分かるというケースが多くなってきた。
 社会のことが分かるようになるどころか、ますます分からなくなってきた。



● 2019.7.12〜20 最強のスレーブストロボ?


 
 ニコンの製品に、小型の発光部をワイヤレスでコントロールできる、SB−R200という非常に便利なマクロストロボがある。
 今日紹介するMeike MK-MT24 マクロツインライトフラッシュは、そのニコンのコピー商品とまでは言わないが、それを参考にして作られた類似の製品の範疇に入るだろう。上の画像には写っていないけれど、発光部をレンズに取り付けるパーツなどはニコンとほぼ同じもので、共通の規格になっている。
 アクセサリー類も含めた商品の中身は、下記のリンクを参考に
 https://amzn.to/30PuSHr

 ニコンとの違いは、まずは電池。
 ニコンがCR123Aであるのに対して、Meikeは単4二本。
 ニコンのSB−R200が発売された際に、電池が特殊で高価なCR123Aであることに不満を持った方は少ないくないようで僕もその一人だが、単4のMeikeを使ってみると、ニコンがCR123Aを採用した理由がとてもよく分かる。
 単四ではパワー不足であり、小型軽量で力がある電源となると、やはりCR123Aになるのだ。
 電池がすぐに切れてしまうことに加え、恐らく、パワー不足が原因ではないかと思うのだが、Meikeはやや発光が不安定で、光量がばらつく傾向もある。
 したがって少ない枚数の写真を撮ればいいケースではMeikeも通用するが、たくさん撮影したい場合はニコンの方が扱いやすいと思う。
 
 一方で、Meikeの方が優れている面もある。
 まずは、ニコン用、キヤノン用、ソニー用と3つの規格が存在すること。
 ニコン用は→https://amzn.to/30PuSHr
 キヤノン用→https://amzn.to/2JQO7ta
 ソニー用→https://amzn.to/30GbDzZ
 僕は、ニコン用とキヤノン用を所有しているのだが、キヤノン用の方がやや安定感がある。
 それから、詳しい中身は上記のリンクを見てもらうとして、発光部に取り付けるアクセサリー類はMeikeの方が断然に充実しているし、実用的。

 そしてあと1つ、Meikeは、スレーブストロボとしても機能する。
 ニコンの方は、専用のコントローラーまたは、一部のニコンのカメラに内蔵されたストロボがなければ発光できないが、Meikeはスレーブモードに設定すれば、他のストロボの発光に同調して光らせることが可能。
 最初に書いたように、Meikeには電源の問題がある。
 したがってある程度の光量が求められるメインのストロボにするとパワー不足を露呈してしまうのだが、他にメインのストロボが存在し、その影を起こす補う補助ののストロボとしては、軽くて小さくて、悪くない。
 悪くないというよりは、小さな生き物の撮影で使用するスレーブストロボとしては、もしかしたらNO1かもしれない。
 スレーブの感度は、実は、とびっきり明るい環境では試したことがないのだが、通常の屋外で一般的な撮影では、今のところ、ちゃんとマスターストロボの光を拾ってくれる。少なくとも、スレーブストロボとして期待されながらもスレーブの感度が低過ぎたサンパックのPF20XDなどとは別次元。
 スレーブストロボとして購入する場合は、コントローラーは不要だが、発光部だけが販売されているのは、アマゾン他、日本語で注文できるサイトでは見かけないので、Meikeのサイトはこちら→http://www.mkgrip.com/goods/show-238.html



● 2019.7.12 民主主義ってなに?

 経済学が専門のある先生が、野猫や観光地の鹿を管理する環境保全活動に対して、経済学者の立場から反対の意見を発信しておられるのだが、生き物に関する知識の間違えがあまりにも多い。
 発信の内容を隅々まで丁寧に見ていくと、小さな局面では耳を傾けるべき箇所がないわけではないが、全体としてみると、あまりにもひどい。
 一流の大学を出てちゃんとした大学で教授を務めている人でも、こんなひどい人がいるんだ!とただただ驚かされる。
 恐らく、ほどんどフィールドを歩いたことがないし、また、生き物に関して勉強したことがないのもすぐに分かるし、経済学の立場を否定するつもりはないけど、自然や生き物に関してもある程度勉強してから言ったらどう?という思いを、ここのところずっと抱えていた。

 一方で、選挙が近くなったりすると政治に関する議論を見聞きする機会が増えるが、軍事の専門知識を持つ人が、そうでない人に対して、
「知識がない人間は黙っておけ。」
 というような言葉を投げかけるのを目の当たりにすると、それは違うんじゃないかな?という気もする。
 知識があろうがなかろうが、その時にその人が思うことを言ってもいいのではないかと。
 そもそも日本の選挙制度では、知識がある人もない人も同じ一票を持つし、専門家だからと言って何票も投票できるわけではない。
 専門家にできるのは、一人一人が自分の考えを固める際に必要な情報を提供することであり、ではどうしたらいいのか?と落しどころを決めるのは専門家の役割ではない。落しどころは、それらの情報を元にみんなが考え、みんなが決めるものだ。
 だとするならば、専門知識がなくても意見を言っていいことになるし、少しは勉強してから言えよと感じる僕が間違えているのかな?
 環境保全とか軍事などという具体的な話の前に、そもそも、民主主義って何なのだろう?という疑問が込み上げてくる。
 何が正しいか?ではなく、みんなが何を選ぶかなのかな?

 あるいは、人間には間違える権利があると言い換えてもいいのかもしれない。
 間違えかけている子供に対して、指導者が親が、「それは間違えだよ。」と言い過ぎると、子供はちゃんと成長できなくなると言った話を耳にすることがある。
 すなわち、間違える権利を奪うなという話を。
 それは子供に限った話ではなく、もしかしたら環境問題なんかも、間違えた選択の結果環境が損なわれ、多くの人が痛い目を見て、みんなが環境を大切にしたいと思う経験をすることが大切なのかな。
 それが民主主義ということなのかな?
 
 

● 2019.7.11 老化と死

 父が、血液の癌で、抗がん剤治療を受け始めた。血液の癌にもいろいろな種類があるらしく、急激に進むようなものではなく、80過ぎという年齢を考えると、それで命を落とすより前に老化に伴う別の病気で寿命を迎える可能性も十分にあるらしい。
 抗がん剤は、癌細胞の撲滅が目的ではなく、ある程度以下の数になるよう抑えることで、体がきつくないようにするのだという。
 母も、以前癌の手術を受けているのだが、そんな時にどう振舞うかを見ることができるのは、後に続くものとしてはありがたい。
 昔、高校で理科の講師の仕事をしていた時に、毎年、学校の近辺の児童養護施設から通ってくる学生が数人いたのだが、その中のある一人が、
「児童養護施設で暮らしていると、みんなが当たり前に家庭で身に付けることが身につかず、社会に出てから人には分からない苦労をする。」
 と話してくれたことがある。
 例えば、お金を持ったことがないのでお金が分からないとか、家庭というものがどんなものかが分からないとか、そうした教育以前の何かが。老化や人の生き死にを見ることができないのも、もしかしたら、それに含まれるのかもしれない。

 先日、どこだったか忘れてしまったのだが、近年、お年寄りが大切にされないどころか、老害などと言われて頼られなくなったのは、社会の変化が急激過ぎてお年寄りの経験が役に立たないどころが、むしろついて行けずに足手まといになるからと誰かが書いておられるのを読んだ。
 知識や情報に関しては、確かにそうなのだと思う。
 だが、老化や死を受け入れることに関して言うと、最新の情報や知識など何の役にもたたない。
 どんなに病気の説明を受けても、治療を受けても、自分の死を受け入れたくないのは、昔の人も今の人も寸分たがわず同じであるに違いない。
 やっぱり、自分より先に生まれ、先に死んでいく人たちに見せてもらうしかないのだ。



● 2019.7.3〜7.10 海の生き物



 海の生き物がやっかいなのは、種類が多過ぎて、なかなか名前が分からないこと。
 図鑑に、これかなと思い当たるものが見つかっても、図鑑には載っていないよく似たものが実はたくさんいたりして、これで間違えないと自信を持って言えるところまでは、なかなかいかない。
 また、陸の生き物ほど執念でもって作られたいい図鑑がなく、そこらの海辺にいる身近な生き物でさえ、大まかにしかわからない場合が多い。
 さらに、ヒトデの仲間や貝類など・・・・そもそも、同じ種類でも変異が多かったり、見分けるには顕微鏡が必要だったり、同定が難しい生き物が多い。
 それゆえに、図鑑には、ここがもっとも確実な識別のポイントだ!と明快に記されてない場合が多い。

 ウニも、分かるようで分からない。
 画像のウニは、コシダカウニだと思う。
 うちの近所では、同じような形のものとしては、バフンウニ、サンショウウニが見られるが、区別のポイントが、丸いとかやや平たいとか漠然としている。
 コシダカウニの場合は、海水に浸けた場合に現れる管足と呼ばれる多数の細い足が非常に長い。ウニは、この管足を使って移動するのだが、それが長いコシダカウニは、バフンウニやサンショウウニよりも逃げ足が速い。
 全国の海をそれぞれの季節に一通り巡って、そこらの海でみられる本当にメジャーな生き物の名前が分かる図鑑は、いつか作ってみたい。
 また、一人では無理だろうから、そんなことができる生き物仲間が欲しい。



● 2019.7.1〜7.2 欲望の話

 手塚治虫さんの漫画や宮崎駿さん率いるジブリのアニメの中で、人が豊かさや快楽を求めた結果、その代償として自然が失われていくようなシーンを見かけることがある。漫画やアニメに関わらず、同様のイメージを持っている人は少なくないだろうし、日本の社会には、そうしたイメージが1つの型として存在している。
 だから自然を好きな人には、抑制的な考えを持つ人が多いし、お金儲けや人の欲望を嫌う人が多い。中でも、特に環境保全に携わる人は、そうした傾向が強いように思う。
 一方で写真のような世界は、ある部分、欲望の世界。いい作品を生み出すためにはお金も使うし、物もいるし、これでもか!とやらなければならない場合もある。
 自然写真の世界でも、巨匠とされる人たちには例外なく欲望の塊という側面がある。
 抑制的な人で本当に評価された人を、僕は知らない。
 ただ、その欲望の見せ方が上手い。欲望を表現しているのに、それが汚らしく見えないし、むしろ純粋に感じられる。
 
 僕は、学生時代から、ムツゴロウさんこと作家の畑正憲さんの著作が大好きなのだが、今改めてそれらを読み直してみると、ムツゴロウさんが、人並外れた欲望の塊であることが分かる。そしてそれを隠すことなく表わしていることが。
 ところが社会は、ムツゴロウさんを欲望の塊ではなく、自然を愛する純粋で素朴な人として受け止めた。
 プロデュースが実に見事。
 そして、僕がムツゴロウさんのどこを好きだったのか?と言えば、その欲望の部分なのだ。
 そもそも、素朴で抑制的なものが、あれだけ大ヒットするわけがない。
 自然写真家でも、栗林慧さんにしても、嶋田忠さんにしても、岩合光昭さんにしても、それまでの枠組みを超えた大ヒットを生み出した人はみんな欲望がすごくて、その欲望の見せ方が上手い。

 欲望って、悪なのかな?
 僕がこれまでに出してきたような生き物の本は、そんなに売れるものではないし、大きな利潤を生みだすことはない。物によっては、出版社は赤字になっているだろう。
 僕が先輩方や関係者のみなさんから聞く範囲では、生き物の本の場合、損益分岐点になる冊数は5000冊くらいだと聞いているので、それ以下しか売れなかった本は赤字になっていることになる。
 ではなぜ、商売をしなければならない出版社が、赤字になりかねない本を出せるのだろうか?
 それは、同じ社で仕事をしている人の中に、売っている人がいるからだ。
 そして売れている物は、ほぼ例外なく、人の欲望と結びついている。
 例えば、岩合さんの猫の本やカレンダーに対して、「あんなものは、ただカワイイだけでくだらない」と批判をする人が自然愛好家には少なくないのだが、岩合さんの猫の写真が売れることによって、本来なら売れないという理由で出版できない地味だったり分かりにくい野生生物の本が出版できるようになる。
 人の社会では、欲望〜抑制的な世界まですべてが結びついていて、何が悪なのか迂闊に言えるものではないし、だからこそ、いろいろな価値観の人が存在しなければならないのではなかろうか?
 もしも僕が死んでも、困る人はそれほど多くない。
 だが、大ヒットメーカーがいなくなれば、その出版に関わっていた人、印刷に関わっていた人、流通に関わっていた人、販売に関わっていた人・・・等、その人が稼ぐ額が大きければ大きいほどたくさんの人の暮らしに影響が出るし、そうして人の社会を動かすことができる人は社会に必要なのであり、そこには必ず欲望がある。

 最近の人では、プラントハンターの西畠清順の世界が、まさに欲望の世界であり面白いなと思うのだが、西畠さんは、ひどく叩かれてしまった。
 欲望の見せ方があまりうまくなかったのだと思う。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2019年7月分


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