撮影日記 2019年6月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2019.6.29〜30 民主主義

 アメリカって、やっぱりすごい国だなと思う。
 もしも日本なら、トランプ大統領は持たないだろうし、社会からの圧力がかかり、あっという間にトップの座から引きずりおろされてしまうに違いない。
 日本では公人が口にできないような問題発言をしても、アメリカではそれを支持する人がいて、そうした人が堂々と支持を表明し、トランプ政権が成り立つ。
 それがいいかどうかは別にして、凄いなと思う。
 これが民主主義なのかと。

 僕は、日本の社会が自然を大切にする社会であって欲しいと思うのだが、自分一人で決められることではないし、最後は、民主主義とは何だ?という問題にかならずぶち当たる。



● 2019.6.27〜28 連続写真の現実



 植物の連続写真の撮影は、大抵の場合、毎日撮影しなければならずその間は遠出をすることができなくなり、連続した2週間くらいの日程を確保しなければならない。
 一方で、日々の撮影に要する時間自体は長くはなく、ノルマさえ果たせば、残りの時間は、近くに制限されるものの、好きな場所に行って好きな被写体を撮影することができる。
 したがって、連続した日程の確保が煩わしくもあり、ノルマを果たしたあとの自由時間が楽しみでもある。
 ただ現実には、植物の撮影はなかなか思うようにいかない場合が多く、失敗に失敗を重ね、日程がどんどん延びてしまい、最後は気力と根気の勝負になりやすい。
 よく知られた植物の発芽や成長程度の撮影でも、実際にやってみると、さまざまなトラブルが生じ、きれいにはいかないのだ。
 最初は自由時間を楽しんでいたのが、あまりに失敗が続くとついにはそんな気にもなれなくなり、最初は丁寧に丁寧にやっていた作業が段々雑になって、冷静ではなくなってしまう。
 どこにも、誰にもぶつけることができない一種の苛立ちに心が支配され、孤独になる。
 以前は、僕が下手糞だから上手く行かないのかな・・・と思っていたのだが、それからそれなりのキャリアを積んでもやっぱり同じ。
 そんなに思ったようにはならないのが当たり前。
 僕が仮に成長したとするならば、撮影を思ったように進めることができるようになったのではなく、思い通りにはならないことが分かったことかな。
 先輩方がどれほどの執念で写真を撮っていたのかを実感し、改めて尊敬の思いが込み上げてくる。



● 2019.6.22〜26 マイクロフォーサーズの存在意義





 カメラを三脚に固定して、チラシの一部を撮影してみた。2枚の画像は、カメラはいずれもパナソニックのG9PROだが、レンズが違う。
 上の画像は、アダプターを介して取り付けた ニコンのAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRで、下の画像は、パナソニックのLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.。
 ズームレンズなので焦点距離を変えることができるが、今回のテストでは、いずれも200mmに設定。絞りは開放のf4とした。
 カメラとチラシとの距離は1M。1Mというのは、ニコンのAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRの最短撮影距離であり、このレンズは、それ以上被写体に近づくことができない。
 因みにLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.の最短撮影距離は、0.75Mなので、もう少し近づくことができる。
 人物やその他の撮影では、レンズの最短撮影距離付近は、まず使用することはないだろうが、小さな生き物の撮影では頻繁に使用する距離であり、レンズは、自分がよく使用する条件でテストする必要がある。
 
 まず、びっくりするのは、同じ200mmで同じ位置から同じカメラで撮影しても、これだけ写る範囲が違うということ。
 恐らく、パナソニックのLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.は、撮影する距離によって焦点距離が大きく変化する構造になっていて、200mmというのは無限遠の場合であり、ピントの位置が1M付近では、135mmくらいになるのだと思われる。
 こうした撮影距離のよる焦点距離の変化は、珍しいことではない。





 そこで、パナソニックのLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.の方に1.4倍のテレコンバーターを入れると、ほぼ同じ範囲が写るようになる。
 上がニコンのAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR。下が、パナソニックのLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.+1.4倍のテレコンバーター。
 
 さて、ここで特筆すべきは、下の画像、すなわちパナソニックのLEICA DG VARIO-ELMARIT 50-200mm / F2.8-4.0 ASPH. / POWER O.I.S.+1.4倍のテレコンバーターの方が、ずっとシャープだということ。
 ニコンのAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRは、35ミリ判フルサイズ用のレンズなので、マイクロフォーサーズのG9PROよりも大きなセンサーのカメラを取り付けることが可能だが、どんなに大きなセンサーのカメラを取り付けたところで、レンズがシャープでなければ高画質にはならないのだから意味がないし、35ミリ判フルサイズセンサーの威力を発揮することはできない。
 つまり、大きなセンサーのカメラの方が画質が悪いという逆転現象が起きてしまうのだが、なぜそんなことがおきてしまうのだろう?

 実は、ニコンのAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRに限らず、レンズの最短撮影距離付近というのは、マクロレンズでもない限り、写りが悪い。名作と言われているレンズでも、最短撮影距離付近に限っては、故障じゃないか?と疑いたくなるような描写のレンズがたくさんある。
 そして一般に、大きなセンサーをカバーするレンズであればあるほど、最短撮影距離は長くなる傾向がある。恐らくもっと最短撮影距離を短くしようと思っても、性能の問題でできないのだと思われる。
 僕はレンズの設計に関してはど素人なので、推測になってしまうのだが、より大きなセンサーをカバーできるようにレンズを設計すると、至近距離での描写が犠牲になるのではなかろうか?
 したがって、近くの被写体を撮影することに関しては、下手にセンサーを大きくしてレンズの性能を落とすよりも、小さなセンサーに特化したレンズで小さなセンサーのカメラで撮影した方が高画質になるのではなかろうか?
 マイクロフォーサーズのカメラで撮影すると、ピントが深いのがメリットとよく言われるが、それ以前に、至近距離に関して言うと、そもそもレンズの性能が違う(もちろんレンズの銘柄にもよるのだろうが)のだ。
 ともあれ、僕はマイクロフォーサーズに関しては、大きなセンサーで撮影しておいて、あとでトリミングすればいいやんと思っている部分があったのだが、これは大間違いで、ニコンのフルサイズ機にAF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VRを取り付けてフォーサーズ相当をトリミングするよりも、最初からマイクロフォーサーズのカメラとレンズで撮影した方がいいということになる。
 逆に言うと、マイクロフォーサーズのカメラを使用する場合は、それに特化したマイクロフォーサーズ規格でしか達成できない高性能なレンズを使うべきということかな。
 ということで、マイクロフォーサーズ専用のマクロレンズを注文してみた。パナソニックにも当然マクロレンズはあるのだが、共通の規格を採用した、より設計が新しいオリンパスを選択してみた。



● 2019.6.20〜21 見せているけど、見られたくない

 ちょっと前の話だが、この人すごいなと思っていた人が仕事でツイッターを始め、恐らく世界中でその人からしか聞くことができない話題が提供されるので、そのオリジナリティーに感激。
 ところが当の本人は、
「ツイッターを始めたら、どこで知るのか、私のツイートを見ている人がいるので気持ちが悪いんですよ。」
 などと言うので、ずっこけそうになった。
 ただ、気持ちは分かるような気がする。
 僕もツイッターで発信をしているのだが、届けたい人に届けたいのであり、不特定多数の人にとにかく見てもらいたいわけではない。ツイッターではしばしばフォロワー数が話題になり、フォルワーが減るとそれを気にする方が少なくないのだが、僕はそんな数なんてどうてもいいし、むしろ無暗に任数が増えないように細心の注意を払う。
 ツイッターの場合、同じ中身のことを書くのでも、それを読んだ人が「イイね」と言いたくなるような書き方をすれば閲覧者が増えるのだが、あえてそうならないように書くのだ。
 自ら見せているくせにあまり見られないように書く根本的な理由は、僕が引籠り体質だからなのだろうが、利潤を上げる必要がない場所では、そういうものに追い立てられたくないし、適当に、自由でいたいと思う気持ちが強い。
 それから、教祖様みたいにはなりたくないのだ。



● 2019.6.19 尊敬

 誠実なんだけど、決して糞真面目ではなく、たまに悪いこともするし欲望もある。穏やかなんだけど、たまには怒ることもあるし、自分の意見を持っているけど、決して正義感を振りかざしたりはしない。
 僕は、昔から、そんな人を尊敬する傾向がある。
 小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、大学の時も、社会人になってからも、身の回りのそんな人に憧れ、尊敬してきた。
 僕にとって尊敬の対象は、いわゆるエリートである必要はないし、何かのスペシャリストである必要もない。
 今なら、写真が上手な人や生き物に詳しい人をスゴイなとは思うけど、僕にとっての尊敬は、それとはまったく別のところにある。

 高校時代に尊敬し憧れていた友人が、最近亡くなったことを知った。
 病名が判明した時には手遅れだったのだそうだ。
 会いたいなとちょくちょく思うのに、僕はだいたい付き合いが悪く、そういうことに関しては行動力ゼロで、ついに会いに行くことができなかった。
 僕は、死んだから何もなくなるのだと思っていて死後の世界を信じてはないはずだけど、確かめようがないし、もしかしたらあるのかもしれないし、もしあるのなら、憧れていた彼にまた会えるのかもしれないし、そうならいずれ自分が死ぬ日がくるのも、まんざら悪くはないような気がする。



● 2019.6.11〜.6.18 更新のお知らせ

5月分の今月の水辺を更新しました。
今回は、トビハゼのまばたきです。



● 2019.6.1〜.6.10 さようなら、こんにちは


 キヤノンのEOSMシリーズ用のカメラバッグの中に常に入れておいたタムロン社製の100-400mmズームレンズを手放した。
 日頃、仕事の撮影中に野鳥が姿を見せてくれることがあり、例えばモリアオガエルの産卵シーンを待っているとサンコウチョウが水浴びにやってきたようなケースで使用するためのレンズだった。
 が、軽量コンパクトなミラーレスカメラ・EOSMシリーズとの組み合わせではバランスが悪かった。動かないものをゆっくり撮影するには良くても、素早い対応が求められるシーンには向かなかった。
 EOSの一眼レフ用のレンズをミラーレス機のEOSMシリーズに取り付けるためには、マウンドアダプターを間に取り付ける必要があり、その分重量が重たくなるのも良くなかった。
 ただ、描写が非常に気に入っていたので、対応が遅くなってしまった。タムロン社製のレンズに多い傾向なのだが、階調重視の設計で、インターネット上で公開される各種の性能テスト以上に描写が良く、何とも言えない魅力があるのだ。
 このレンズは、EOSの一眼レフで使用すべきレンズだという結論に達した。



 代わりに購入したのが、こちら。
 パナソニックの50-200mmズーム。パナソニックのカメラに取り付けると、35ミリ判フルサイズ機換算で100-400mmのズーム相当になる。 望遠側の開放f価がf4なので、1.4倍のテレコンバーターの併用も問題ないし、そうすれば560mm相当までカバーできる。
 EOSMシリーズと併用する場合は、タムロン社製の100-400mmズームレンズよりもレンズ自体は随分軽いのだが、その代わりにパナソニックのカメラが一台増えることになる。
 ただ、パナソニックのカメラG9PROには、EOSMシリーズには搭載されていないプリキャプチャーという機能があり、それを考えると、カメラボディーが一台増えることはマイナスではないだろう。


   
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