撮影日記 2019年3月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
・今現在の最新の情報は、トップページに表示されるツイッターをご覧ください。
 


● 2019.3.20〜28 タバコと自然の話

 前にも書いたことがあるのだが、僕はタバコを吸いたいと思ったことも実際に吸ったこともないのだけど、この人好きだなと思う人の中に、著名人でもプライベートな知人でも、なぜか愛煙家が多い。
 多分、僕が自然写真を好きであることと、愛煙家がタバコを好きであることが、生き方として、どこか似ているのだと思う。
 タバコを吸えば、「そんな害があるものはやめなさい」ととがめられる。
 一方で、自然写真家になりたいなどと言い出すと、「そんなリスクがあるものはやめておきなさい」と止められる。
 確かにリスクがあるし、その通りだと思う。いずれも、品行方正な生き方ではない。
 けれども、リスクを排除して、手堅く、安心、安全に生きるだけがすべてではないと思う。少なくとも僕はそんな風に生きたくない。

 タバコが徹底して排除されようとしているけど、そんな社会の中では多分、多くの生き物も排除されてしまうだろう。
 例えば僕がよく撮影するような俗に湿地と呼ばれる浅い水辺は、ほとんどすべての人にとって役に立たないし、むしろ逆に、虫が湧くとか、害だと見なされることが多いから、タバコと同じ目に合うことだろう。
 僕は、タバコのにおい自体は、好きではない。特に衣服につくと、それだけで疲れを感じてしまう。すでに多くの人が言っていることだが、禁煙が進むにつれて、昔なら気にならなかったようなわずかなタバコの臭いが気になるようにもなった。
 けれども、マナーが悪くて品性に欠けるタバコ吸いは別にして、それくらいいいじゃないか、と思うことにしている。その程度の寛容さもない社会の中では、僕が好きな自然も、タバコ同様に徹底して排除されてしまうような気がしてならないから。
 だから、タバコを徹底して追い詰めようとしている人を目にすると、ゾッとしてしまう。

 僕が知っている自然愛好家に関して言うと、タバコが大嫌いな人と大好きな人に分かれる傾向がある。
 知人の中のタバコが大嫌いな自然愛好家は、人は自然を大切にするべきだなどと、ある種のイデオロギーとして自然を愛好している人が多いように思う。秩序や正義を好む人と言ってもいい。
 一方でタバコが大好きな自然愛好家は、前者とは逆に、人がこうあるべきだという人の社会のプレッシャーから逃れるために自然を愛好している人が多い。寛容さや適当さを好む人が多い。



● 2019.3.18〜19 うまれたよ!クラゲ



 生き物の本の場合、自然・写真(あるいはイラストや文字)・本の3つの柱があり、そのうちどれか2つが一線を越えていれば、大抵企画が成立する。
 今回の 『うまれたよ!クラゲ』 の場合は、従来の自然物にはしたくないという思いから、3つの柱のうちの本の部分に力を入れた。読んでもらった子供たちが、あるいは本を読み聞かせる大人たちが、読みながらほんわか楽しい気持ちになれるように!と。
 ボコヤマクリタさんのリズミカルな文章が、とても素敵な一冊になった。
 
 自然・写真(あるいはイラストや文字)・本の3つの柱のうち、素敵な「自然」やすばらしい「写真」は、当たり前に努力をしていれば到達できる。
 しかし、素敵な「本」を作るのは、それよりもずっと難しい。
 なぜなら、自然や写真は自分一人でも取り組むことができ、自力で経験を積むことができるのに対して、本は、自分一人では作れないから。
 したがって、なかなか経験を積むことができない。
 ただの自作の本ならば作れるのだが、作ったものが、売れるとか売れないとか、評価されるとか批判されるなど人の反応を得ることができにくく、その結果例えるなら、学習で問題集を解いたのに答え合わせができないのに近い。
 ある程度の評価を受けるためには、ある程度の量が売れたり、本に夢中な人たちの手に届かなければならず、それは個人ではほぼ不可能なのだ。
 逆に言えば、そこがプロの強みでもあり、本をもっと勉強してみようかと思い立ったのだった。

 自然は、何度も何度も見に行くことができる。
 写真も、一年間に山のような量を撮影する。
 その間に、山ほどの失敗と修正を重ね、技術を高めることができる。
 しかし本は、仮に本を作れる立場にいたとしても、年に多くても数冊しか作れないし、時間がかかる。
 だから一度の本作りの中で少しでもたくさん勉強したいし、本当に一生懸命に、ギリギリのところまで取り組んでくれる人と共に作りたいな、という思いがある。ギリギリのところまで粘ることでしか、見えてこないものがあるから。
 本を作る場合には客観的な目が必要になるが、今回は、どんなやり方をしたら、その客観的な目を確保できるのかに関して、「へぇ、本作りの過程でそんなことをするんだ!」と教えられることがあった。
 ともあれ、自分一人では、本は作れないのだ。



● 2019.315〜17 ユーチューブ

 いつの間にか、テレビをあまり見なくなった。
 映像を見る場合は、テレビよりも、インターネット上の動画投稿サイトであるユーチューブを見ることが多くなった。
 ユーチューブに投稿されている動画の中には、テレビ番組を録画して違法に投稿したものもあるが、個人が作成した番組もあり、その中には、テレビよりもある意味面白いものも珍しくない。
 正確には、テレビとは面白さの質が異なるが、とにかく面白いものがあると書いておこう。
 ユーチューブがテレビよりも優れてる点としては、月日が経てば経つほど、どんどんコンテンツが増えていくことがあげられる。とにかく、年々充実していく。
 それから、基本的にスポンサーが存在しないので、何でも語れるという面もある。だからタブーに切り込むこともできる。
 スポンサーが存在しないということは、テレビのように視聴率を気にする必要がないので、大衆向けに作る必要もない。
 最近面白いなぁと思ったのは、『歴史ゆっくり紀行』。歴史上の人物を次々と紹介するのだが、マイナーな人物に関する話が面白い。
 例えば、黒田節のモデルになった母里友信を紹介した
 『天下の名槍を呑みとった漢!母里友信の豪快頑固伝説』 (←クリックすると動画が再生)
では、僕が育った直方市や福智山が出てくる。
 黒田節と炭坑節はいずれも福岡県の民謡であり、子供の頃から知っているのだが、母里友信が、
「富士山よりも福智山の方が高い。」
 と言い張った話は初めて知った。
 僕の父方の祖母の祖先は、秋月氏に使えていたらしいのだが、その秋月家を紹介した
 『大友なんて大っ嫌い!』復讐に燃えた秋月種実、いったいどこで間違った?
などもなかなか興味深い。
 そう言えば、僕が生まれて初めて話を聞いたフリーの写真家は、釣りや旅の写真家である秋月岩魚さん。秋月さんは山形県の出身だが、祖先は、福岡の秋月であり、戦に負けて東北まで落ち延びたとされているらしい。
 そしてユーチューブで秋月岩魚さんを検索すると、秋月さんが登場する動画が見つかる。
写真家 秋月 岩魚さんによる、地球環境保護のススメ
 ともあれ、凄い時代になったものだ。



● 2019.311〜14 研究

 生き物の遺伝子を調べるために、研究者の方に依頼されて、何度か生き物を採集して送ったことがある。研究の材料であるから、どこで採集したかなどのデータを正確に誠実に、と心掛けた。
 一方で、研究の材料は、やっぱり自分で採集しなければならないのでは?とも考えた。
 というのは、他人が採集したものはデータに嘘があるかもしれないから。
 僕が引き受けた際には、いずれも十分な交通費を申し出てもらったケースはなかったのだが、そうなると、人によっては引き受けたものの面倒になって結局適当に・・・などということだって考えられる。僕などは、断るのは割と平気だけど、中には頼まれると気が乗らなくても断れない性格の方もおられるから。
 それでも他人に採集をお願いするということは、その研究が社会にとってそれほど重要ではないと依頼者が思っていることを意味する。間違えがあったら重大な事態になるようなケースでは、恐ろしくて、他人に無償で依頼なんてできない。
 研究者にとってでさえその程度の重要さのことだし、生き物の研究なんてそれでいいという解釈もあるだろう。
 ともあれ、僕が採集して送った生き物が、新種であることが判明したこともあった。新種というとドラマチックな感じがするが、従来1種類だと考えられていた生き物の中に、実は複数の種類が含まれていたというケースだった。
 遺伝子を調べることで、見た目からはなかなか区別ができない生き物の区別が可能になってきた。
 そんなことがあるから、近年は、採集した生き物を、とにかく別の場所へと放さないで!という運動が始まりつつある。
 生き物たちの細かな分布が乱れてしまうから。

 実は、生き物に興味がない人にそれを理解してもらうのは、なかなか難しい。
 遺伝子を調べなければ明確なことが言えないということは、遺伝子を調べることができない大多数の人にとっては分からないということであり、大多数の人にとって感覚では捉えられない、どこか遠い世界の話だから。
 
 

● 2019.38〜10 道具


NikonZ7 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

NikonZ7 AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR

 今年は、なるべく道具を買わないようにしよう。SNSやツイッター上の機材に関する話題に目を通していて、そんな気持ちになった。
 あれがないとダメとか、これでしか最高の写真は撮れないと言った書き込みが何か極端というのか、思い詰めているというのか、原理主義的というのか、偏狭で、硬いなぁと感じられることが多く、それとは逆のことをやってやろうという気になった。
 今年購入するのは、基本的に、それがあれば今まで撮影できなかったものが本当に撮れるようになるもののみにして、今持っているものよりもちょっとだけいい程度のものには手を出さないことにした。
 今は一眼レフ用のレンズをアダプターを介してミラーレスカメラに使用しており、ミラーレス専用レンズを買いたいと思っていたのだが、そんなものは後回し。
 確かに、ミラーレス専用レンズの数字上の性能は凄い。けれども、それが印刷物上でどの程度違うか?と言えば、誤差程度であろう。
 今持っている道具で、十分過ぎるくらいに写っているじゃないかと。
 もっと違いところで勝負したい。



● 2019.3.7 今月の水辺

 このホームページのコンテンツの中でも「今月の水辺」は、止めてしまおうかなと検討したことがある。
 だが、ある編集者の
「今月の水辺って凄いなって思うんだよね。だって、たくさん撮影した写真の中から一枚を選ぶわけでしょう。選ぶって、大変だから。」
 という一言が常に僕の心の中にあり、その言葉に支えられて続けてきた。
 正確に言うと僕の場合、一枚を選ぶことが大変というよりは、たった一枚の写真でさえ撮れないから大変と言った方がいい。
 だから、月に一枚でいいから、自分がエピソードと共に見せたい写真を残すために、そういう意識を植え付けるためにやっているのだと言える。
 仕事の写真なら山のように残るが、そこから外れた写真は僕にとって難しい。
 そんな目的の今月の水辺だが、正直に言えば、あくまでも仕事のついでにという感は否めなかったけど、今年は、それなりにちゃんと意識をして取り組んでみようと思っている。
 1月、2月と二回更新して、今のところ、まだそこまではできていない。というのは、自分の意識を変えるのは難しく、気付けば、今までと同じスタイルで写真を撮ってしまうから。
 たかが写真でも、ある意味、自分が変わる必要があるから。
 それにしても、刺激になる言葉をもらえるって、本当にありがたい。自分一人では、なかなか続けていくことができない。

 さて、今月の水辺を更新しました。



● 2019.3.5〜6 公共事業とは・・・



 東九州自動車道路は、福岡県、大分県、宮崎県の海沿いを結ぶ高速道路だ。その名の通り、九州の東側(右側)に位置する。
 部分的にはかなり前から道路が出来上がっていたのだが、つながったのは割と最近のことだ。というのは、福岡県の一ヶ所で、立ち退きで揉めていたから。
 結局、行政による強制執行がなされ、その後に道路がつながり、お陰で、大分や宮崎に行く際にはとても便利になった。

 立ち退きで揉めた箇所は小山のようなミカン畑だった。元々のミカン畑は、遠目に見ても見事に手入れが行き届いた立派な畑だった。 
 その山のど真ん中を道路が突っ切ることで水脈などが変わり、ミカンの生育に悪影響がでる可能性があるなど、土地の所有者が立ち退きを拒否する理由が報道されたこともあった。
 ともあれ、当時の報道をちゃんと見た大多数の人が、土地の所有者の気持ちも分かるけど行政の立場も分かる、と感じたのではなかろうか。
 どちらが間違えている!などと外野が言えるような状況ではなかった。
 人間の社会って、時に悲しいものだなと僕は感じた。
 
 残念だな、と思うのは、その後に報道がなされないこと。ミカンの育成に、実際はどの程度影響が生じているのかなどを知りたなと思う。
 どちらの主張が正しかったなどと誰かを裁きたいわけではなく、知りたいのだ。
 東九州自動車道路に限った話でなく、秘密保護法が作られる際なども、とんでもないことがなされようとしていると大批判があったけど、法律が実際にできてみて結局どうだったのかは全く報道されない。
 秘密保護法が本当に都合が悪い法律なら、政権交代が起きた時に変えることだって可能なはずだし、それをもう検証しないとういのは、今では必要な法律だと思っているのかな?
 実際はどうだったのか、知りたいなと思う。でなければ、気持ちが悪い。
 個人情報保護法が作られる際にも、一部のジャーナリストが反対の声を上げたことがあった。が、今となっては、個人情報保護法はなくてはならない法律になった感がある。
 でも、その時に反対の声を上げたジャーナリストたちが、実際はどうだったかを会見するのは見たことがない。
 消費税はどうなんだろう?
 消費税反対!と言った政党もあるが、その政党が、消費税を8%から5%に戻すと主張するのは聞いたことがあるけど、消費税を廃止すると言わないのはなぜだろう?
 当時は反対したものの、やはり今では必要だと思っているのか、そんなところを知りたいなと思うのだ。



● 2019.3.2〜4 先手と後手

 ここ数年、ちょうど今頃の時期は、春がくるのが怖かった。生き物たちが活発になると、慌ただしくなってしまうから。
 全体に、いつも後手に回り、追い立てられている感があった。借金と同じで、一度後手に回ると、損をしてしまうことが多い。
 例えば生き物を探す場合、ベストな日に行けばすぐに見つかるものでも、シーズンを過ぎてしまうと探すのに苦労して、余計な時間がかかってしまう。
 そこで、まずは先手を取れろうと思ったのだが、これがなかなか難しい。
 というのは、僕らの仕事は2年がかり、3年がかりが当たり前であり、一度後手に回ってしまうと、その状態で2〜3年辛抱せざるを得ないからだ。学校の授業で一度分からなくなると挽回が難しいのと同じように、仕事の途中で挽回をするのは難しいのだ。
 その辛抱している2〜3年の間に、別の次の仕事が動き始め、今度はそちらが後手に回ってしまう悪循環になる。

 さて、今年は、春が多少待ち遠しい。
 ちょうど仕事の切れ目が重なり、継続中でやっかいな仕事がないので、心機一転を図れるのだ。
 楽しみやな。春。



● 2019.3.1 仕事って何?

 磯でよく見かけるスガイの殻に付着する藻類の名前はカイゴロモ。
 そのカイゴロモは、スガイの殻の上でしか見つからないのだという。
 スガイの殻は大きくても3センチ程度。そんな小さな殻の上だけに生息する生き物が存在するというのだから、面白いな。
 海はやっぱりすごい。

 僕は、海の生き物を撮影の対象から外していたのだが、岩崎書店の 『うまれたよ!ヤドカリ』 の撮影を担当したことをきっかけに、興味が湧いてきた。
 海の生き物を撮影の対象から外していたくらいだから、ヤドカリをよく見た経験もなく、 『うまれたよ!ヤドカリ』 の撮影はまだヤドカリに興味がない状態で始まったのだが、本が完成する頃にはヤドカリを好きになっていた。
 これは僕にとって、本を一冊出した以上に大きな出来事だった。
 なぜなら、 『うまれたよ!ヤドカリ』 の制作が、仕事って何?という長年の疑問に対する、1つの答えになっていたから。
 今自分が好きなことに取り組むのが趣味だとするならば、縁あって目の前にあるものを好きになるのが仕事ではなかろうか、と。
 子供の頃、仕事に関して、父から、
「自分に対する奉仕が趣味、他人に対する奉仕が仕事。」
 と教わったことがあるのだが、父の仕事の定義が、長年、僕にはとってどうしてもピンと来なかったのだ。


   
先月の日記へ≫

自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2019年3月分


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TopPageへ