撮影日記 2019年1月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2019.1.25〜28 深度合成

 二か所の海辺で採取したある物体を、スタジオで高倍率で撮影。
 動かない被写体の高倍率の撮影では、今や当たり前のように深度合成が求められる。
 その分、めんどくさくなったとも言えるが、楽になったとも言える。
 深度合成が普及する以前は、なかなか思い通りの写真が撮れずに何度も何度もやり直した挙句、最終的には妥協や我慢をせざるを得なかった。満足できる画像が得られなかったので、ある意味終わりがなかった。
 深度合成をすると、うん、十分だなという画質が得られるので、手間はかかるが、先へ進める面もある。

 深度合成にはいろいろなやり方があるが、僕の機材は、ニコンZ7に300mmの望遠レンズを取り付け、その先端に金属顕微鏡用の10倍レンズをねじ込むというもの。
 そしてニコンZ7のフォーカスシフトという機能を使い、カメラ任せでピントをずらした画像を得る。
 その場合、35ミリ判フルサイズセンサーのカメラで、だいたい幅4〜5ミリくらいの範囲が、画面いっぱいに写る。カメラのセンサーサイズをAPS-Cサイズに切り替えれば、さらに大きく写る。それでも、2000万画素以上の画素数が得られるので、一般的な使用には十分だ。
 このカメラとレンズの組み合わせに関しては、昨年、暇な時に色々とテストをしておいたので、今回は、すんなりと本場の撮影に入ることができた。
 もちろん、いずれ役に立つだろうとは思っていたのだが、準備しておいたことがピシャリはまると気分がいい。

 その手の準備は、やっておいた方がいいのか?あるいは、撮影の依頼を受けてから準備した方がいいのか?
 依頼もないのに準備をすると、最後まで依頼がなかった場合に、準備の手間や必要なものを買ったお金が無駄になる。
 だが、依頼を受けてから準備をすると、短期間で準備を終えなければならないので、検討時間の不足から不必要なものを買ってしまったり、同じものを高く買ってしまうこともある。
 僕の場合は、依頼を受ける前に準備をしておく方が、性に合う感じがする。



● 2019.1.22〜24 宿と車内泊

 高画素のニコンZ7でたくさん撮影したら、画像をパソコンに取り込んで別に2つのハードディスクにバックアップをするだけで、1時間を要してしまった。
 今回は取材費を出してもらい宿に泊まることができたので、その程度のことは何でもないけど、車内泊だと、電源の問題やその他、なかなか厄介だ。
 それでここのところは、大容量の記録メディアをカメラに挿しておき、数日間におよぶ取材でも、画像をハードディスクに移し替えることなしに、あるいは記録メディアをたくさん準備するなどでしのいできた。
 車内泊の取材では、パソコンを立ち上げない日の方が多くなった。
 ところがニコンZ7が採用したXQDと呼ばれるカードは非常に高価で、おいそれと買い足せるものではない。また、記録でメディアなどというのは買って楽しいものではないから、どうせなら、楽しいものを買いたい心理が働く。

 しかしやはり、宿はいいな。
 パソコンの大きな画面で画像を確認できるアドバンテージは大きい。
 写真がよく撮れていたなら撮れていたで、自信をもって先に進めるし、撮れていなかったなら、やり直しができる。
 ここのところ、車内泊ではパソコンを開かないことの方が多かったので、ノートパソコンの画像処理ソフトがアップデートされておらず、画像が開けなかったのだが、インターネットに接続できる今どきの宿なら、その場でアップデートできる。
 しかし、充電しなければならないものの多いこと。
 自然環境が破壊されることに関して、
「これだけ高エネルギーな暮らしをすれば、誰が悪いとかではなく、そうなるのは当たり前。」
 という考え方が自然を愛する人の中にもあり、僕もその意見に賛同する部分が大きい。
 誰が悪い、と言える人は、自分が見えていないが故に自分を棚上げできる人のような気がする。
 それが当たり前だと思うからといって、自然環境がどうなってもいい訳ではないし、だから工夫が必要なのだけど、誰が悪いというのは不毛な議論のような気がする。
 原発事故以降、原発推進派と反原発に世の中が分かれている感があるけど、石油依存に問題があるから原発が出てきたことを思うと、僕は、どちらも大きくは違わないような気がする。
 仮に原発派を批判するにしても、恥じらいが必要だと思う。
 本当に物を言いたいのなら、自分が、低エネルギーな暮らしをするべきじゃないかと。
 自分がそうなれたらいいなカッコイイなと思うのだが、とても残念なのだが、僕はそうなれない。



● 2019.1.18〜21 法律

「お前、法律を破っているじゃないか!」
 とインターネット上で、生き物好きの若者同士がけんかをしているのを見た。
 採集禁止の場所で、生き物を採ったとか。
 そう言えば、僕もよく法律違反をする。
 車を走らせれば、気が付くと速度違反をしていることは珍しくない。
 車の法定速度は、人の命を守るものなので、理屈を言えば、僕は人の命を軽んじていることになる。
 いや、多少速度違反をしたところで、誤差のうちという気もする。
 けれでも、確率論では論じられないのが人の命。例えば、この手術であなたが命を失う確率はわずか1%です、と言われても、その1%に該当してしまった人にとっては100%になってしまうし、客観的な第三者の立場ではなく、ある個人の立場に立たなければならないのが人の命の話。
 だから、多少の速度違反は誤差のうちなどという考え方は、自分勝手なのだろう。
 少なくとも、大多数の日本人にとっては、そこらの採集禁止の場所でちょこっと生き物を採ることなどはどうでもいいことであり、交通ルールの違反の方が問題であるに違いない。だから僕などは、「法を犯して採集をした」と攻め立てられているその若者よりも、一般的には、もっと質が悪い奴ということになる。

 法律って何なのだろう?と考えるはめになった。
 若者って青いなと思う。
 けれども、その青さに考えさせられることもあり、青さも、世の中には必要なんだろうな。
 法律違反をする自分がどんな論理に則って違反しているのか、きちんと言語化してみたいのだが、なかなか言葉にならない。
 唯一ピンと思い浮かんだのが、養老孟子さんの、『私は政治嫌いだから、政治には関わらない。なぜなら、そんなもので世の中が変わるとは思っていないから。世の中はお上で変わるのではなく、世間の側から変わってくるような気がする。』
 と言った風な意見だ。
 法律も、お上の決めたことになるのだろうが、僕は、それがそんなに正しいとは思っていないところがある。強いて言うなら、ある種の建前みたいなものだとしか思っていない。
 もちろん、法律の中でも、昨今の飲酒運転や無謀運転に対する厳罰化の声みたいな、世間の側から沸き起こってくる声は別にして。
 僕だって、法定速度やそれ以下の速度で車を走らせることも多々ある。
 でもそれは、法律を守らなければならないからではなくて、自分がそうした方がいいと思っているから。僕だけでなく、大部分の人がそうじゃないかな?
 法律を作ったところで、みんながそれに同意をしてくれなければ、結局形だけのものになってしまう。
 そういう意味では、やはり世の中を変えているのは、お上ではなくて、世間のような気がする。
 
 

● 2019.1.11〜17 五島牛


NikonZ7 AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VR

 明日はもしかしたら晴れるかも。でもなぁ、この雲の予報だと、余裕の晴れじゃないよね。位置がちょっとずれてしまったら、曇りになってしまうだろう。
 結局天気に確信が持てず、島に渡るのを先延ばしにしたら、どうもその日は青空が出たようだった。機を見るに敏で動かなかった優柔不断な自分を責めたくなる。
 非常に腹立たしい。
 でもふっと、「最初のチャンスはあえて見逃す」という、将棋の大山十五世名人の戦術を思い出した。そうだ!大山流であえて最初のチャンスを見逃したことにしようか。俺は決断ができなかったのではなく、最初のチャンスはあえて見逃す主義なのだ!と。

 そしておよそ一週間後、次の晴れの予報に合わせて島に渡った。
 大体晴れの日は、週に一回か、10日に一回くらいかな。
 深夜のフェリーで一泊して、翌朝5時頃島に到着。
 しかし、青空が出たのはまだ薄暗いうちのみで、晴れどころか、雨が降り出した。
 風は強いし、気温も低い。
 島でレンタカーを借りれば一番安く上がるのだが、自分の車をフェリーで運んだのが正解だった。自分の車なら、身一つよりも道具をたくさん持っていくことができるし、十分な防寒具を準備していたのだ。
 この風と寒さで、身一つと最低限の装備だけだったなら、絶望的な状況だっただろう。
 
 島に渡って二日目、今度は青空が出た。
 時間いっぱい写真を撮って、昼過ぎのフェリーで福岡に戻る。
 これまた、自家用車を島に運んだ結果、フェリーに乗る直前まで写真を撮ることができた。
 なるべく安く上げないと、と最大限に努力をしたのだが、帰宅後に、
「一週間くらい島に滞在しても良かったのに」
 と言われて、
「ええ、そうだったの!」
 ととにかく安上がりにするために慌ただしかった島での撮影が、取り越し苦労だったことを知った。
 あと一ヶ所、別の場所での撮影が残っているので、次は、多少旅を楽しませてもらおうかな。
 
 子供の頃に、博多のフランス料理のお店で、父といっしょに次々とステーキを食べたことがある。
 いわゆる豪遊であり、二人で、当時のお金で数万円を要したらしい。
 途中でギャルソンがあいさつに来て、牛は長崎県の五島産。島で潮風に当ててビールを飲ませて育てたものです、と説明してくれた。
 ステーキはどれも、だいたい一皿5000円くらいだったように記憶している。
 その博多の和田門をインターネットで検索してみると、今は、当時のようなひたすらに高価なものばかりのお店ではなく、並みの値段の料理がたくさん用意されているようだ。
 島に渡ってみると、牛たちが飼われている環境は、子供の頃に想像したイメージ通り。
 牛たちは自由に歩き回り、中には海岸近くまで下るものも。



● 2019.1.10 島

 島に渡りたいのだが、タイミングがつかめない。
 撮影依頼の書類には、
「晴れの日に撮影してください。」
 と書かれているのだが、この時期、太平洋側ならともかく、日本海側やそれに近い場所では、連続した確実は晴れはなかなかない。
 12月の下旬から機会をうかがい続け、一日だけ完璧な日があったのだが、たまたまその日は約束が入っていて動けなかった。
 約束をなかったことにしてもらおうか?と散々悩んだ。
 だが、それをすると、自然写真の仕事の場合きりがないから、開き直って約束を優先させた。
 次の良さそうな日は、今日現在の天気予報では14日だが、14日にもなんと数少ない約束がある。
 自然写真の仕事で何が辛いか?と言えば、僕の場合は、そんな時に、どうしようか?どうしようか?と悩むことかもしれないな。
 陸続きの場所なら、とにかく現場に行ってみればいいのだが、島の場合、費用がかかってしまう。今回は費用をだしてもらえるのだが、それでも費用は最小になるようにしたいし、余計なお金は使わせたくない。
 ともあれ、天気は、本当に難しい。



● 2019.1.9 オーソドックスに撮る



EOSM3 UW-NIKKOR 15mm F2.8 ストロボ2灯

 特注の機材が届いた一昨日は、まずは適当でいいから写真を撮ってみた。とにかくカメラを水に沈めて操作性をテストした。
 昨日は、カメラにストロボを取り付けて光らせてみた。
 ストロボは、上手に使うと、気象条件にあまり左右されずにコンスタントにきれいな写真が撮れる反面、すべての写真が、優等生的なきれいさで揃ってしまう、つまり面白くなくなってしまう嫌いもある。
 だが僕は、新しい機材を導入した際には、まずは、優等生的で構わないので、オーソドックスなきれいさで撮影できる設定を探す。
 自分の作風にこだわるのはその後で、と決めてある。
 理由は、オーソドックスに撮れるように準備をしておかなければ、オーソドックスに撮れと求められた際に困ってしまうから。そして困ると、人は自分を守ろうとする心理が働いて、
「オーソドックスな写真なんてつまらない。そんな写真を求めるなんて写真を分かってない。」
 などと言い逃れをしてしまいがち。
 そんな醜い自分をなるべくさらさないように、自分の作風を前面に押してもいいのだけど、その前に撮ろうと思えばオーソドックスにも撮れるだけの準備はしておく。
 撮らないのと撮れないのは大違い。



● 2019.1.6〜8 水中専用15mmレンズ




EOSM3 UW-NIKKOR 15mm F2.8

 ニコノス用の水中専用15mmレンズを、EOSM3用の水中ハウジングに取り付けた特注の機材が届いた。
 フィルム時代の古いレンズなので、古いから写りが悪いのか?あるいは水中専用レンズだから水中ではよく写るのか?
 果たして、昨日テストをしてみたら、非常によく写ることが分かった。
 水中では、水中専用の設計であることのアドバンテージが、非常に大きいようだ。
 水に沈めることができるデジタルカメラは幾つか存在するが、残念なことに、今販売されているものはいずれも陸上で使用するものを防水したものであり、水中専用設計ではない。
 
 ニコンの水中カメラ・ニコノスはデジタル化されなかった。したがってニコノス用のレンズは、本来、フィルムでしか使用することができない。
 だからフィルムがほぼ切り捨てられ、趣味のものとしてはともかく仕事では使えなくなった今、ニコノス用のレンズは無用の長物となった。

 そうなることは予測できたので、大部分の機材は、値がつく間に処分してしまった。
 ところが15mmレンズは、前玉が傷だらけだったので、格安のジャンク扱いになってしまうため、処分する気にもなれず、放っておいた。
 だがある時、いよいよ邪魔になった。
 そこで、傷がついたレンズを交換可能かニコンに問い合わせてみたら、僕が持っていたものは修理可能だと分かり、前玉を交換してもらった。
 もちろん、その上で売ってしまおうと思ったのだが、前玉がピカピカになってみると何かに使えそうな気がして、そのまま持ち続けた。
 やがてデジタルカメラは、一眼レフからミラーレスの時代になった。設計上の問題で、ニコノス用の水中専用15mmレンズは、どんな技を使っても一眼レフには取り付けることができないのだが、ミラーレスカメラには、カメラの便利な機能と連動させることはできないものの、取り付けるだけならできる。
 長い間眠っていたレンズが、また活躍できることになった。
 それにしても、こんなレンズをラインアップしていたり、未だに古いレンズの修理やメインテナンスができるのだから、ニコンってすごいメーカーだな。大部分のカメラマンにとっては用がない特殊な機材でも、カメラメーカーとして一通りのものをラインアップする、カメラに対する意気込みは、ニコンがNO1だと思う。



● 2019.1.3〜5 ああ、恥ずかしい。



 画像を整理しながら、やっぱり35ミリ判フルサイズセンサーのカメラは画質がいいな〜と思った。
 ところがあとでデータを見て気が付いた。カメラの設定が、35ミリ判フルサイズのFXフォーマットではなくて、APS-CサイズのDXフォーマットになっていたことに。
 ああ、恥ずかしい。思い込みって怖い!

 一眼レフの場合は、35ミリ判フルサイズセンサーのカメラをAPS-Cサイズに切り替えるとファインダーの中の像が小さくなるのですぐに気付くのだが、ミラーレスカメラの場合は、拡大されて35ミリ判フルサイズセンサーの場合と違わないサイズに表示されるので気付きにくい。
 単焦点レンズなら画角の違いで気付くことができる。だが、ズームレンズを使用している場合は、画角からも気付けない場合がありうる。
 
 撮影した画像を拡大すれば、もちろんその差に気付くことができるだろう。
 だが、僕は24インチのモニターを使用しているのだが、24インチ程度のモニターに画像をまるごと一枚映し出した場合、その程度の拡大倍率では、35ミリ判フルサイズ機もAPS-C機も、低画素機も高画素機も、だいたい同じになってしまう。
 だからそもそも、35ミリ判フルサイズもAPS-Cも区別できないのだ。
 にもかかわらず、35ミリ判フルサイズセンサーのカメラで撮影したという気分が、思い込みを引き起こしてしまうのだ。

 区別ができないのは、僕だけではない。
 たまに、写真仲間とブラインドテストをすることがある。例えば、データが一切分からないようにして、この画像を撮影したカメラのセンサーサイズは?と。
 すると、第一線で仕事をしている人でも、35ミリ判フルサイズセンサーのカメラとAPS-C機とでは、通常の印刷サイズでの比較では、ほぼ区別がつかないと言っても言い過ぎではない。
 もちろん、的中させる場合もあるけど、偶然当たる確率もあり、本当に分かっているのか?と言えば、「正直に言えば分からない。」となる。
 概して、プロの方が、そんなケースで正直だと思う。
 ちゃんと知っているからこそ、恥ずかしがらずに、区別ができない、と正直に言える面がある。
 分からない人ほど、見栄を張ってしまうのだ。
 また、プロの方が、ブラインドテストをしてみたり、自分を客観視しようとする傾向があり、思い込みが少ない。
 趣味の写真の場合は、思い込んでいてもいいし、むしろ思い込みを楽しむものだとも言えるのだが、仕事の現場では、思い込みは時に命取りになる。
 正確な知識が必要なのだ。



● 2019.1.1〜2 計画的

 写真撮影は、一生懸命取り組むと、きりがない。
 仕事を依頼され、それにとことんまで取り組めば、しばしば自分の写真を撮る時間がなくなってしまう。
 仕事の写真を撮るのは当然だが、加えて自分の写真も撮りたいと思うのなら、どこかで何かを捨てる、あるいは効率化して、そのための時間も作り出さなければならない。

 今年は、取材前の調べ事や準備をこれまでよりも念入りにやってみようかと思う。より計画的に取り組むことによって、能率アップを試みるのだ。
 早速、近々2ヶ所で取材の予定があるのだが、依頼されて最低限撮影しなければならないシーンの他についでで何が撮れるのかを調べることに、今日はそれなりの時間をかけてみた。

 調べたことはPDF化して、県ごとに分けて、資料として残す。
 そうしたことはもちろん以前から散々にやっているのだが、クラウドが発達したことで、作った資料をインターネット上に置いておけば、いつでもどこからでもアクセスできるようになり、資料を持ち歩く必要がなくなった。また、資料を見る際には、パソコンよりもお手軽なタブレットが普及した。
 車内泊での取材の場合は、とにかく機器の充電に気を使うが、タブレットは、パソコンよりも充電がずっと楽なのでありがたい。
 また最近の端末は、大容量のSDカードを挿すことが可能になり、データの容量の面でも余裕ができた。
 デジタル機器に頼る場合、ノートパソコンやタブレットやスマートフォンは、故障に備えてそれぞれ2台必要になる。その点ここ最近は、安価なタブレットでもそこそこの性能を有するようになったので、大枚をはたかずに複数の端末を持つことが可能になった。
 ともあれ、今年は調べるとか準備をする、さらにそれらを、文明の利器を使用して効率的に運用することにこだわるのだ。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2019年1月分


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