撮影日記 2018年9月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2018.9.29 これがニコン!

 ニコンの新型ミラーレスカメラを受け取ってきた。
 手触りが非常によく、ミラーレスっぽさを感じさせないので、触っていると一眼レフだつい勘違いし、電源を切ったままファインダーをのぞくと真っ暗で、
「ああ、ミラーレスだった。」
 と改めて気付く感じ。
 新しいタイプのカメラの先進性よりも、従来のニコンの一眼レフのユーザーが触った時に違和感を感じずにスムーズに新しいシステムに移行できることを目指したカメラだと感じた。 
 そういう意味で一番驚いたのは、ミラーレスカメラでは忘れられたアクセサリーになってしまった感があるアングルファインダーがつくこと。これを必要とする人は多くないものの、ローアングルで微妙なピントが要求されることが多い生き物の撮影には必須のアクセサリーだ。
 ニコンすごい!

 僕の本来の希望を書けば、一眼レフで言うならニコンのD610やキヤノンの6Dみたいな、多少安っぽいけど、その分値段が安いカメラが欲しかった。
 日進月歩なデジタルカメラは、高品位なものを長く使うよりも、ほどほどのものを倍のペースで新型に買い替える方が、得られる写真が高画質になる場合が多いから。
 だが、高画素機に関しては、そうした安価なカメラは出てこないだろう。安価なカメラは、一般ユーザーをターゲットにしているのであり、一般のユーザーには、高画素は必要ない。
 他に感心させられたのは、DXフォーマットに切り替えた際にファインダーの大きさが変わらないこと。
 したがって、DXフォーマットの状態でも、ファインダーは非常に大きく、DXフォーマットの一眼レフと比較をすると、もう笑いが出てしまうくらいの違いがある。
 11月に発売される2400万画素のZ6の発売を待つべきか?とも悩んだけど、DXフォーマットに切り替えて使用する場合は画素数は少なくなってしまうし、その点高画素機なら十分な画素数が残るのだから、高画素機で正解という気になってくる。
 この日記を古くからご覧の方はよくご存じだろうけど、僕はカメラのファインダーにこだわりまくってきたし、光学ファインダー命だったのだが、新しい時代に入ってることを実感。

 さて、さらにあと1つ、新しいカメラに対応させるために画像処理ソフトをアップデートして驚いた。
 古いニコンの画像処理ソフト・Capture NX シリーズで採用されていたカラーコントロールポイントが復活していたのだ。
 カラーコントロールポイントは、特定の色と範囲を選択すれば、その色だけの明るさやコントラストや彩度を調節することが可能な機能で、部分の調整の際に非常に便利なアイテムなのだ。
 例えば、トンボの目玉。
 目玉は光の当たり具合で沈んで暗く写ることがあるのだが、目玉だけを選択していとも明るくすることができる。
 Capture NX シリーズは、RAW画像だけでなくTIFFやJPG画像も取り扱えるので、Capture NX シリーズ廃止以降は、いったんTIFFやJPGに変換した画像をCapture NX シリーズで再調整したいたのだが、その必要がなくなった。
 デジタルカメラは、ソニーの台頭やさらにパナソニックの発表で混沌としてきた感があるが、画像処理ソフトなども含めて総合力で見ると、やはりニコンとキヤノンがいまだに別格であることには変わりない。


旧Capture NX 2でカラーコントロールポイントを使用中の画面


● 2018.9.26〜27 おじいちゃん

 子供の頃、60歳と言えば、おじいちゃんだと感じていた。
 だから、60歳まで生きられたら一応納得だな、と僕の目標は60歳だった。
 ところが大人になってみると、身の回りのおよそ60歳の先輩方はおじいちゃんというイメージではなく、まだまだ暮らさなければならない存在だと感じる。
 ゴールだと思っていたところが、実は、道半ばだった。
 例えば相撲なら、子供の頃は、土俵で戦っている力士こそが相撲で生活をしている人だと思っていた。だが大人になってみると、相撲協会で働いている親方たちも、同じく相撲で生活をしている人だった。
 他の競技のコーチや監督も同様。
 スポーツの世界で、協会や協会の重鎮が
「選手ファーストだろう!」
 とさまざまに批判を受けているのだが、叩かれている側の思いも、最近は分からなくはない。引退しても、それは競技の引退であり、まだまだ人生のゴールではないということが。

 相撲は、引退後のことがとてもよく考えられていると思う。
 同じくメジャーなスポーツである野球では、競技を引退するとごくごく一部の人を除いて転職を余儀なくされるのに対して、相撲は、協会から給料が支払われる線路が敷かれている。
 力士は、テレビのインタビューなどを聞いていても、組織の一員だという印象を強く受ける。
 だから、協会なしでも恐らく食っていける貴乃花親方が、受け入れられないのも分かるような気がする。

 対局なのがテニスプレーヤーだ。
 世界で活躍するテニスプレーヤーからは、いわゆる体育会系の匂いがしない。
 みな、完全に個が確立されていて、自分を前面に押し出してくる。
 他の競技では考えられないほど、審判にひどく噛みつく選手が存在する。
 あるいは、試合中にイライラ、イライラして、当たり散らす選手なども。



● 2018.9.25 更新のお知らせ

8月分の今月の水辺を更新しました。



● 2018.9.19〜24 参加することに意義があるのか?



写真を担当した本が刊行される。
岩崎書店のちしきのぽけっと (23)
「石はなにからできている? 」
https://amzn.to/2PSw1Zn

 被写体はそこらの石ころなので、写真を撮ること自体は容易いが、そこらの石ころなので、それで人の心を動かすことは非常に難しい。
 撮り直しに撮り直しを重ねた結果、他の本の撮影のために開けておいた時間をすべて食ってしまった。
 しかも、本2冊分。
 だが本作りは、人の心を打てなければ意味がないのだから、それでいいのだと思っている。本を出すことが目的ではなく、「伝えたいことがある」 のだから。
 むしろ、中途半端なものを出すことの方が、それまでに費やしたすべての時間が無駄になってしまうのだから勿体ない。山に9合目まで登って、山頂に行かないのはもったいない。
 だから、最後まで執念深く取り組める場を与えてもらったことに、感謝だ。

 それにしても、この本の撮影の難しさは、生き物の撮影とは異質だった。
 表紙の写真だって、生き物と違って、無限にバリエーションが考えられる。
 結局、自分にとって何か引っかかったものを手掛かりにするしかなかった。
 最初、表紙の真ん中に写っている白い筋が入った石が目に留まった。
 この筋は、どうやってできたのかな?地層みたいなもの?
 と。
 次に、右下のハート形の石が目についた。
 よし、何だか分からないけどここを撮ろうと決めて、多少ゴミを取り除くなどした。

 自然や生き物や写真の本は、基本的に、何となく読むものではなく、それが好きな人が熱心に読むものなのだと思う。子供の頃に、学校の教室に生き物の本がおいてあったのだが、それを手にするのは一部の者のみであり、みんなが読んでいたわけではない。
 自然の本を手に取らなかった同級生たちが、好奇心に欠けていたか?と言えば、決してそうではない。大変に優秀な連中の中にも、自然にはほとんど興味がないという者がいた。
 この手の自然の本は、いわゆるユニバーサルサービスではなく、一部の熱い人を対象にした活動なのであり、最低限、その人たちに応えられる熱量を持っていなければ、存在意義がなくなってしまうように思う。

 さて、長いこと続けてきた活動の中の幾つかを、やめることにした。先日も、関係者と、そのための話し合いの場を持った。
 例えば、自然写真の写真展は、ただ開催することに意義があるのだろうか?
 WEBページは、ただ存在することに意義があるのだろうか?
 自分の身の回りの写真家のみなさんをざっと眺めてみると、素敵な活動をしている人は例外なく、そういう体質を認めない。むしろ、そんな癖をつけないように、細心の注意を払っておられる。
 協調性をすべて否定するつもりはないけど、それ以前に、写真家としての大切にしなければならないことがある。



● 2018.9.18 続・やる気なし

 昨日に引き続き、今日も水槽の移動。
 体調不良で無気力なのは相変わらずだが、そんな中、水槽の移動だけはなぜか乗り気なのも昨日と同じ。
 そして、今シーズン中に予定していた4つの水槽の移動をすべて終えることができた。
 何もしたくないので2〜3日思い切りゴロゴロするか?と思っていたのに比べると、煩わしい作業を終えることができたのは、非常に大きい。
 ただ、たまたま気分が乗ったからと言っても、さすがに疲れた。水槽は当分扱いたくない。
 水槽を移動させる際のコツは、段取りを十分考えること。
 抜いた水を入れるバケツや砂利を一時的に入れておく容器なども十分な数準備すること。
 今回は、水槽までは移動することができたのだが、片づけをするエネルギーが残っておらず、不要になった砂利や器具は放置したままなのが少々気になるが、まあいいでしょう。

 過去に、水槽を移動させる際に、一体幾つの水槽を割ってしまっただろう?
 大丈夫と思ってちょっとでも横着すると、やっぱり割ってしまう。
 派手にバーンとぶつけたことはないのだが、コツンとやってしまい、そのコツンが命取りなのだ。
 特に僕が撮影に使用している俗にフチなしと呼ばれるガラスを貼り合わせただけのプラスチックで補強されていないタイプは割れやすい。
 今回も、実は一番最初に移動させた水槽を割りそうになってしまった。
 幸い、水槽の上部の角が少し欠けたくらいで済んだので使用には差し障りないのだが、万札が飛んで行ったかと一瞬目の前が暗くなってしまった。
 ただ、それで慎重になり、以降は十分過ぎるくらいに手厚くなったのが良かった。



● 2018.9.12〜17 やる気なし
 体調不良で全くやる気なし。
 そこで座ったままできる仕事ということで、撮影用の昆虫標本を作ろうとしたら、集中力が欠けていたのだろう、羽が破れてしまい失敗。あと一匹、余分に殺さなければならないと思うと、ますます楽しくない。
 虫の標本は、むしろ気力が充実している時に作るべきだとわかった。

 一言で言えば何もしたくない。
 けどれも本当に何もしないで過ごすと、あとのスケジュールが密になり後々苦しむことになる。
 そんな時は、いずれやらなければならないことで今でもできることを、何でもいいから終わらせておくに限る。
 先日は、車のオイル交換へ。オイル交換なら、車を整備工場に持っていくだけだから無気力だってできるし、いずれ撮影の時間を削ってやらなければならないのだから、こんな時にやっておくに越したことはない。
 今日は何をしようか?と考えてみたら、撮影用の水槽の移動ならやってもいいような気がしてきた。
 今ある水槽をいったん空にして、より効率よく撮影できる別の場所へ移動させるのだ。
 いつもなら一番やりたくない類の作業なのだが、不思議なことに体調が悪い時には、普段やりたくない作業がはかどることがある。
 この秋の間に大きな水槽を合計4つ動かす予定になっていて、それなりに時間がかかる作業なだけに、いつになったら終わるのだろう?と内心不安に思っていたところ、なんと!そのうちの特に手間がかかる3つを、わずか一日で終えることができた。 
 人のやる気は、不思議なものだと思う。
 やる気が出ない時にでもできることは、すんなりと見つかるわけではないし、ある程度やってみなければ分からない場合が多い。
 それから、それが普段自分が好きなこととは限らないのも重要。
 好きと嫌いは紙一重。



● 2018.9.10〜11 写真が撮れないような気がする話





 本番の撮影に臨む前に、何でもいいからそこらの被写体に適当にカメラを向けて数枚撮影し、影音出方や発色の具合を確かめる。
 野球で言うなら、キャッチボールをするみたいなものだろうか。
 昔、ドカベンこと、南海ホークスのキャッチャーだった香川選手が、
「キャッチボールを始めるまでは、ボールが取れないような気がして怖い」
 と話すのを聞いたことがあるのだが、僕も、写真も撮れないような気がして怖いのだ。
 毎日のように写真を撮っているのに・・・とも思うのだが、フィルム時代の名残かな?フィルムの場合は、現像するまでは本当に写真が撮れているかがわからなかった。
 よくぞあんなストレスに耐えられたものだと今更ながら思う。

  野球選手の話と言えば、松坂大輔投手が、自分の体が同じコンディションの日は2度とない、と以前テレビのインタビューに答えていた。
 投げるたびにコンディションが違うので、その日のベストを探っていくのだという。
 写真の場合は、同じ光の日は2度とないと言える。
 同じような天気でも、日が違えば写り方が違う。
 だから、その日のコンディションに合わせながら写真を撮ることになる。
 まず何でもいいから撮ってみるのは、それを探るためでもある。 



● 2018.9.7〜9 「いいね」の話

 ツイッターやフェイスブックで、「こんな本がでました。」とか「こんなイベントをやります。」と紹介すれば、「いいね」をしてもらいやすい。
 でもだからと言って、本を買ってもらったり、イベントに来てもらえるのか?と言えば、そうではない場合が多い。
 多くの人がそれに「いいね」をしてくれるのは、内容的に「いいね」を押し易いおめでたい系の話題だからであり、本を買ってくれるかどうか、イベントに参加してくれるかどうかは別のことなのだ。
 買ってもらいたい場合は、それはそれなりの書き方をする必要がある。
 一言で言えば、それを読んだ人がワクワクするような、心がこもった書き方を。

 本やイベントのスペックをただばら撒いたところで、ほとんど無意味がない。
 役所の行事なら、ただスペックを紹介すればいい。役所 という大きな後ろ盾があるのだから。
 あるいは、すでに有名なものを紹介したい場合でも同じだろう。
 福山雅治のコンサートの魅力を今更誰かが語る必要もないし、それよりもコンサートの正確な日時や場所の方が大切になってくるだろう。
 だが、後ろ盾がなかったり、まだ人に知られていない物事を紹介する場合は、紹介する人の熱さが重要になる。
 どれだけ心がこもった文章を書けるかが。
 ただ情報をばら撒くことを、空しいなと感じる心が、重要になる。
 そんな気持ちを共有できる人と、一緒に何かをしたいものだと思う。



● 2018.8.27〜9.7 オークションとアマゾン



 夜の撮影では、構図を決めたりピントを合わせるためにライトが必要になる。ライトは左手に握りしめてもいいのだが、カメラに固定しておくに越したことはない。

 固定する際には、それを可能にする適当な用品を探す。
 俗に「接続系」などと呼ばれるその手のパーツは、実際に試してみなければ使えるかどうかが分からない場合が多いので、今すぐに必要があるかどうかに関係なく、とにかく一通りのものを買って持っておくことにしている。


 
 今回購入したのは、ありそうでなかったこれ。従来なら2つのパーツを組み合わせなければならなかったのが、1つで事足りるのでこれはとても便利だ。
 組み合わせるパーツの数が多くなればなるほど、接続部が緩んだり、強度が落ちたりしやすい。
 
 以前は、この手の用品は、写真用品の総合カタログの中から探したものだ。だから総合カタログは必携だった。
 しかし近年は、カタログには載らない小さなメーカーや新しいメーカーの台頭が著しく、もはやカタログは用をなさなくなった。
 最初にその傾向が見えたのは、ヤフーオークションだった。
 ほとんど知られていない小さなメーカーが、オークションに自社の新品を出品するようになり、その中に斬新で秀逸で安価な製品が見られるようになったのだ。
 その後、アマゾンが普及すると、アマゾンが主な販売の場になった。
 中でも、以前購入した商品や閲覧履歴から「あなたにお勧めはこれ!」と勧めてくる機能や「他の人はこんなものを買っていますよ。」と紹介する機能が、最初は「おせっかいやな」とか「履歴を利用されて気味悪いな」と思っていたのが、今や、「いいもの勧めてくるなぁ」と感心するレベルに。
 さらに、小さな会社が作る未知の製品には品質に対する不安が付きまとうが、アマゾンではレビューを読めば大体把握できるようになってきた。
 すべてが組み合わさって、すごいシステムになった。
 多分、そこまで読み切って始まったわけではないと思う。
 生き物が環境に適応したり進化するかのように、商売の仕組みが変化し出来上がっていくさまがとても興味深い。
 因みに、ヤフーオークションも刻々とシステムが変わり、今では普通のネットショップで物を購入するのとほぼ同じ安心感で物を買うことができる。


   
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