撮影日記 2018年6月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
・今現在の最新の情報は、トップページに表示されるツイッターをご覧ください。
 


● 2018.6.29〜30 どこかで見た風景


EOSM5 EF-S60mm F2.8 マクロ USM ストロボ

 どこかで見た風景が、ふっと頭の中をよぎる。
 デジャヴなどと言われる既視感ではなくて、間違いなく自分が歩いた場所。しかももう一度行ってみたいのけど、どこなのかどうしても思い出せない。



 カタツムリハンドブック(文一総合出版)の取材はスケジュールが非常にハードだった。時には一日に900キロ車を走らせ、目的地でカタツムリを探した時間が30分以下しか確保できなかったような日もあった。全国を駆け足で取材した結果、そんなどこなのかが思い出せない景色が、山のように蓄積された。
 ひどい雨が降ったとか、霧が立めて怖かったとか、ヒルにやられたとか後ろ向きな記憶がある場所に関してはよく覚えているのだが、すんなりいった場所や心地よかった場所の方が案外思い出せない。
 さすがに勿体ないなと感じ、もう一度全国を、今度はもう少し時間をかけて歩き直す仕事はないか?と検討してみた。ついでに各地のいろいろなジャンルの生き物を愛する達人たちに会いたいななどと思っていたのだが、そのタイミングで、先日紹介した学研の「はじめての ちいさな いきものの しいく と かんさつ」の話があり、引き受けた結果、慌ただしい日々がさらに2年間続いた。
 
 さて、数年ぶりに、ボリームがある仕事から解放された。
 今回は、ただひたすらに先へ進まなければならないプレッシャーとは無縁の撮影。
 目的とするシーンはあるけど、たまたま出会う他のシーンにカメラを向けるゆとりもある。幸せやなぁ。
 慌ただしい日々も、それはそれで必要だと思う。
 生活をかけるプレッシャーがあって初めて、自由に過ごせる幸せを噛みしめることができる。
 仕事って一体なんだ?という議論があるが、僕はそれが仕事ではなかろうかと思う。
 生活がかからなければ、自由を噛みしめるよりも、「俺は俺は」「私は私は」の自己顕示に走りやすい。
 ともあれ、僕は、仕事と自由のバランスを重視したい。



● 2018.6.27〜28 SNS

 若者の自然写真のレベルがめざましく向上していることに、近年驚かされることが多い。写真を初めて1年とか2年、つまり従来の感覚で言うなら初心者の中に、写真歴20年以上のベテランと遜色ないか、それ以上のレベルの者がゴロゴロいるのだ。
 原因はSNSだと思う。
 毎日SNSを通じて写真や生き物に関する情報や質の高い写真が次々と流れてきて、それを見ているだけで感覚的に写真を身につけてしまう。ちょうど、子供が特に勉強をしなくても自然と言葉を喋れるようになるように。
 しかもSNSの情報は無料なので、経済力に左右されない点も大きい。
 中でもツイッターの威力はなかなかのもの。今やツイッターを見ることなしに、その流れについていくことは難しいとさえ思えてくる。
 インターネットのやっかいなところは、嘘の情報も多数含まれている点だが、ブログと違ってSNSの場合は、誰かが間違えを書くとより詳しい人が誤りを指摘してくれることが多い。その結果、誰かの間違えをきっかけにより詳しいことを知れる良さもある。
 インスタグラムとどう違うのですか?と先日聞かれたのだが、文字から始まるツイッターに対してインスタグラムは画像中心なので言語の壁がない。したがって、海外の人に対しても発信することができる。
 だがその分漠然としていて、まるでパソコンの壁紙でも見ているかのようで、情報としては弱い。
 ともあれ、写真は本を読んで勉強する時代ではなくなった感がある。

 普段、年配の人と話をする際には、その人が新しいことは知らない可能性があるという前提で言葉を選ぶことが多い。普段スマートフォンを手放せない若者だって、田舎のおじいちゃんに話をする際には、おじいちゃんがスマホに詳しくないという前提で話をするだろう。
 これは別に僕に限らず、誰でも無意識のうちにそうしているに違いない。
 それと同様に最近は、ツイッターを見ている人と見ていない人とで話の内容を変えなければならないと感じるようになった。
 
 ただ、SNSに積極的ではないのに、決して時代遅れにならない人がおられるのは興味深い。
 そうした人たちに共通するのは、人と深い付き合いをして、いい仲間を持っていることだ。
 情報は別にSNSを通じて入ってくる必要はない。仲間との会話でもいい。
 カメラマンがSNSにかかわることをネット戦略だと言う方がおられるが、僕はそうではないと思う。
 ネットかどうかなんてどうでもいいことで、要は人の結びつきの中に自分が身を置くことができているかどうかの話。



● 2018.6.24〜26 関西取材

 北九州の門司で夕刻のフェリーに車ごと乗り込むと、翌日早朝に関西の港に到着する。瀬戸内海は波が穏やかなので、船の旅は快適そのもの。船が出航したことに気付かないこともある。
 寝ている間に運んでもらえるし、船で洗面台付きの個室を選んでも、陸路で高速道路を使用する場合に比べて、僕の車のあまり良くない燃費ならほぼ同じか、少し高額なくらいに収まる。
 関西の港は、便によって、神戸、大阪南港、泉大津などを選べるが、今回は神戸の港に向かう。
 神戸からは、高速道路に乗って大阪へ。
 大阪の河川敷で、石をテーマにした本作りの最終的な打ち合わせや詰めの作業に参加した。
 著者の先生の石の話が、非常に面白かった。
 石、つまり地学の本と言えば、僕は過去に水と地球の研究ノート(偕成社)を作ったことがあるが、その時の「地球の本を作りたい」という強烈な衝動が再びこみ上げてきて、心が熱くなる。
 夜は、滋賀まで移動をしてカタツムリを探す予定だったのだが、先生の石の話に興奮し過ぎてしまい、夕刻どっと疲れが出て、途中のパーキングエリアで横になったら最後、そのまま深い深い眠りに。
 早く寝た分、翌朝は3時に目が覚める。
 あまりに早すぎるかと思ったのだが、そのまま岐阜まで移動をして、早朝からやはりカタツムリの撮影。
 早く起きたせいで、午前十時にはすでに腹ペコで、昼食を食べる。
 午後は京都へ移動。
 京都水族館で副館長を務め、両生類を得意とする写真家でもある関慎太郎さんと話込む。
 その後滋賀まで引き返し、今度こそは夜のカタツムリ探しを!と思っていたのだが、何と言っても3時に起床しているので、またも夕刻に睡魔に襲われ、目が覚めると朝というありさま。
 変なリズムになってしまったなぁ。

 ここのところ、遠出をした際にはホームページを更新しなくなっていたのだが、パソコンが変わったので、従来と同じように旅先で更新ができるのか試すこともかねて、今日は更新してみました。



● 2018.6.10〜19 印刷の話

 自分の画像をパソコンで見た時よりも、印刷された時の方がよく見えるという現象を、去年初めて体験した。印刷は、どんなにうまくいったところで元の画像には及ばないというのが当たり前なだけに、大変に驚いたものだった。
 画像の色などの関係でたまたまそう感じたのかなとその時には思ったのだが、今年もまた同様のことが起きた。
 印刷で何か技術革新があったのか、それとも技術者の方々のレベルが全体的に上がり、従来ならカリスマと呼ばれていた一部の人の技術レベルに、今や多くの人が達したのか?
「この写真は正直に言えば撮り直したいな」と思っていたあまり質が高くない画像が、全く撮り直しの必要を感じないレベルに印刷されていたのだ。
 印刷物を見てほっと胸を撫でおろしたのだが、実は、困ったことでもある。
 きちんと印刷するための写真を撮っている人とそうでない人の差が出にくくなることを意味するから。
 写真の技術の中にはキレイに印刷させるための細かなテクニックがあり、僕はそうした技術を撮影時に時間が許す限り駆使するのだが、そんなことをしなくても十分にきれいに印刷されるとなると、力の入れどころを変える必要がある。
 別に今に始まったことではなく、デジタルカメラの登場以降、いろいろな知識や技術が不要になった。
 写真の基礎中の基礎であった露出とか絞りとかシャッタースピードなどという概念がほぼ不要になり、そんなことよりもより良い機会を逃さず撮影することの方が大切な時代になった。
 従来の古い技術に執着した人から順に、新しい展開についていけなくなる節があり、カメラがなんだとか、レンズがなんだとか、露出が・・・などと言っている人の写真が、とてもつまらなく見えるようになった。
 そうした変化にはついて行かざるを得ないし、ついて行くためには、自分は初心者でありチャレンジやーだと肝に銘じておくことが大切なのかな。



● 2018.6.7〜6.9 新刊のお知らせ

阿部浩志さんとのコンビの本が2冊完成しました。


キンダーブックしぜん 7月号 しおだまり

 おおまかな写真は揃っていたのだが、一部の写真撮影が真冬になってしまい、1月にインフルエンザ状の症状で長期間体調を崩してしまったこともあり、思いがけず大苦戦。
 カメラマンって孤独だなといつになく実感。
 特に咳が止まらず、実は完全に咳が収まったのはつい最近のことなので、なんと約半年間こじらせてしまったことになる。
 どちらかというと夏の方が嫌いな僕が、暖かい季節が恋しくて恋しくてたまらなくなった。

 あまりの苦戦で、過去に携わった仕事の中で、最も印象に残った本作りとなった。
 けれども、暗い思い出ではない。生き物の撮影は、終わってしまえばすべていい思い出。
 だから、自分は何が好きとか、何が俺の流儀とか、何に納得できるとか、あんまり難しいことを考えるのではなく、とにかくやり遂げることが大切なのかな。



はじめての ちいさな いきものの しいく と かんさつ (学研)

 2016年から取り組んでいた本で、内容は、虫以外の小動物の飼育と観察の本。
 協力をしていただいたみなさんには、近々、僕の手元に献本用の本が届く予定なので、届き次第お送りします。

 この本に掲載されている生き物は、ミジンコから爬虫類や海の生き物まで幅が広い。
 したがって、短期間で集中して撮影できる内容ではない。
 毎日少しずつ、地道に地道に積み上げていく感じになる。
 一日のすべての撮影量を10とするならば、毎日3〜4割くらいがこの本のための作業になり、他の仕事をする日でも、少しずつだが常にこの本の撮影が加わってくる状態が約2年間続いた。
 いつもなら1つの仕事を終え、さあ、帰ろうかというところからあと1仕事する感じになり、一言で言えば体力勝負だった。
 2年間、連日体力勝負をするのは、さすがに無理があるので、その間、すべての撮影を、これまでより効率化する努力をした。例えば、交通費と時間を使ってこれまでは遠方まで出かけて撮影していた被写体を、なるべく近くで撮影するなど。
 北九州近辺で生き物を見ておられるスペシャリストのみなさんには、随分お世話になった。
 
 水辺の生き物の場合は、スタジオでただの白バック写真を撮るのにも水槽を準備して水を張らなければならないなど、陸の生き物よりも、時間もお金もかかる。
 したがって、この本のためだけの撮影をすれば、1年で撮影できたとは思うけど、下手をしたら赤字になってしまう可能性もあり、元々は、1年で出版される予定だったのだが、お願いして1年延期してもらった。そして、本の中で必要な写真以外にも、ついでに他の仕事でも使えそうな写真を撮らせてもらった。
 
 アマゾンでの購入はこちら

 
 

● 2018.6.4〜6.6 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。



● 2018.6.2〜6.3 高倍率撮影


EOSM5 Olympus OM-System Zuiko Auto-Macro 20mm F2

 メスのミズクラゲの傘の裏側に付着しているはずのプラヌラ幼生が見つからないなぁと思っていたら、僕が想像よりもよりもずっと小さくて、これまで見逃していたことがわかった。
 確認には、実体顕微鏡が必要な大きさだった。
 勝手な思い込みで、田んぼで見かけるタマミジンコくらいの大きさをイメージしてしまっていた。

 物が見つかったのはいいのだが、問題は、僕が普段守備範囲にしている被写体よりも小さいので、どうやって撮影するかだ。
 一番いいのは実体顕微鏡を使用した撮影システムを揃えることだが、そんなに頻繁には使用しない分野のために投資するのは抵抗がある。そこで、古いオリンパスの拡大用のレンズを、ミラーレスのカメラに取り付けることにした。
 OM-System Zuiko Auto-Macro 20mm F2なら、10倍くらいまで撮影することができる。
 このレンズは、これまではベローズを併用して使用してきた。
 というのは、これはオリンパスの昔のフィルムカメラ用であり、その他のカメラにアダプターを介して取り付けられるものの、カメラとレンズとが連動しないため像がとても暗くなり、ピント合わせが極めて難しく、それを回避する唯一の方法がベローズにダブルケーブルレリーズを使用するやり方だったから。
 ただ、ベローズは大きくて重たいので、すべてが大掛かりで楽しくなかった。
 その点ミラーレスのカメラなら、ファインダーの像を明るく増幅して見えてくれる機能があり、ベローズを使用する必要がなくなった。
 ともあれ、プラヌラを詳しく見せるには物足りないが、今回の用途にはギリギリ事足りそうだ。



 同じ拡大専用レンズでも、キヤノンのMP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォトの場合は、5倍までしか撮影できない。また、真下に向けて撮影すると、レンズの自重でヘリコイドが若干動いてしまう欠点がある。
 その点、オリンパスの古い製品にはロックがあり、真下に向けても自重で倍率が変化してしまうようなことはない。
 この時代のオリンパスは凄いな。
 正直に言えば、実体顕微鏡の撮影システムも欲しいのだが、実体顕微鏡の困る点は、レンズが真下を向いた状態、つまり垂直方向でしか使用できないこと。
 僕の撮影では、水平方向の被写体も少なくないので、カメラ用のレンズを使用した方がカバーできる範囲が広いのだ。

 OM-System Zuiko Auto-Macro 20mm F2を使用する以外には、一般撮影用の300mmくらいのレンズの先端に、顕微鏡用のレンズをねじ込む拡大のやり方がある。
 この方法の場合、300mmレンズがオートフォーカスなら、AFを使用できるはずだし、AFが使用できるのなら、カメラをパソコンに接続してパソコンからピントを操作することが可能になる。
 ピント合わせの際にカメラに触れる必要がないのは、カメラにちょっと触れただけで被写体がファインダーの中で動いてしまうような高倍率の撮影では、非常に有利になるだろう。



● 2018.5.31〜6.1 輪

 目には見えないのだけど、自然や自然写真を好きな人たちのコミュニティーが存在する。そしてその中に入らなければ、自然写真の世界で、ある程度以上の活動をするのは難しい。

 ある程度以上の活動というのは、自分が発表した写真や自分の存在を認知してもらうことであり、業界のみんなが集まった時に、その人の話題が出てもおかしくない状態になること、と言い換えてもいい。
 僕の場合は、その輪の中に入る努力を特にしたことはないが、大学生の時に昆虫写真家の海野先生の話を聞き、以降教わった通りにやっていくことで、自然と中に入ることができたように思う。
 つまり海野さんが教えてくださったのは、輪に入る方法だったとも言える。
 中でも、本を作れと強く推してもらったのは大きかった。ちゃんとした出版社からコンスタントに本を出せば、その人は自然と輪に入ることができる。

 別に出版ではなくても、インターネットでもいい。
 ただインターネットは、闇雲に発表すればいいわけではなく、輪に入れるような方向性と、そうではない方向性とがある。
 一般的には、自分よりも力量が上の人をうならせてやろうという意識の人は、輪に入りやすいように感じる。
 逆に、自分よりも力量が下の人に向かって発表している人は、輪に入りにくい。
 自分よりも写真の力量が下の人に向かって発表すると、その写真を見て関心を持ってくれるのは、自分よりも力量が下の人 = 業界の輪を構成する人ではない人になってしまうから、なかなかつながりが生まれない。
 自分よりも力量が下の人に向かって発表をするというのは、学校の授業に近い。授業では、自分よりも詳しくない生徒たちに向かって話をするわけだが、そうすると、お弟子さんはできても、ライバルや目標にすべき人には出会いにくい。

 輪の中に入るのには、人それぞれ、いろいろなやり方がある。
 凄い写真を撮って、力でねじ入るのもその1つ。誰しも、いい写真を撮っている人の話は聞いてみたいものだから。
 あるいは、パーティーや会みたいなものに参加する政治的なやり方もある。

 面白いなと思うのは、付き合いが悪いくせに、すんなり輪の中に入れる人もいれば、付き合いが良いいのになかなか輪に入れない人も存在する。全くペコペコしないのにスッと仲間に入ってしまう人もいれば、敬語や丁寧語だらけで極めて腰が低いのに、どこか一員になれない人も存在する。

 その輪の中に身を置くことで、自然と身につくことがたくさんあるし、輪の中に入らなければ知り得ないこともたくさんある。
 また出版の場合、誰に撮影をお願いしようか?となった時に、カメラマンは、十中八九以上、その輪の中から選ばれる。輪の中にいる人というのは、他のメンバーがある種の保証をしてくれているのに近く、安心できるのだと思う。


   
先月の日記へ≫

自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2018年6月分


このサイトに掲載されている文章・画像の無断転用を禁じます
Copyright Shinichi Takeda All rights reserved.
- since 2001/5/26 -

TopPageへ