撮影日記 2018年4月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2018.4.23〜28 更新のお知らせ

3月分の今月の水辺を更新しました。


● 2018.4.22 オモシロイということ

 美術館での展示に招待され、今日はそのための準備。
 問題は、今がちょうど撮影が多い季節であることに加え、本作りが2冊佳境を迎えており、なかなか展示のための準備ができないこと。
 展示をやりたくないわけではないけど、断っておいた方が明らかに手堅かったなぁなどとついつい考えてしまう。
 しかも今回の展示は、いわゆる写真の展示ではなくて、美術館での企画展なので、テーマが難しい。
 しかしそんなことを言ったところで、後の祭り。とにかく、やり抜くしか道はない。

 与えられたスペースをきちんと埋めるだけなら実に容易い。だがそれは、ある意味最悪だろう。
 展示をするからには、ただきちんとしているではなくて、面白くなければならない。
 スペースをただ埋めるのは真面目に一定時間の作業をすれば終わるが、面白くするにはアイディアが必要で、そのアイディアはいつ、どんな形で降って湧いてくるのか分からないのだから、先の見通しが立たない。
 逆に言えば、今自分がやっていることが、これだけ作業すれば終わると見当をつけられるような内容ならダメということ。何かが降臨しなければ完結しないことに取り組まなければならないし、そこには、見通しが立たないという不安がつきまい、その不安な状態が正常な状態。

 面白くなければならない、という場合のオモシロイは、笑えるという意味ではない。
 言葉にするのは難しいが、強いて言うなら、俗ではないということ。
 その人にしか出来ないことと言い換えてもいいし、世間ではそれを、オリジナリティーという。
 僕の母校である鞍手高校で美術を教えておられた画家の赤星月人先生は、「垢ぬけている」という言葉を使っておられた。
「美術で一番大切なことは、垢ぬけていることです。」
 と。
 俗ではないというのは、平凡なものは認めないことでもあるので、ある意味残酷だ。
 どんなに一生懸命取り組んだものでも、つまらないものはつまらないし、下手なものは下手だし、面白くないものは面白くないと切り捨てられるし、切り捨てなければならない。
 ただし、別に非凡なものを生み出せる人が、人間として偉いわけではない。写真の場合なら、写真という芸事において優れているに過ぎない。
 だから別に非凡なものを生み出すことができなくても、人間として劣るわけではない。
 つまらないものに対して率直につまらないと言えるのは、そういう大前提の元に成り立っている。

 さて、昨晩深夜まで作業をして、大まかな展示のアウトラインが見えてきた。
 そうなると、やってみて良かったなと思う。



● 2018.4.18〜21 深度合成


NikonD7200 AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

 もう随分前の話だけど、依頼された写真を撮影して送ったら、
「何でこう撮れるの?」
 と驚かれたことがあった。被写体にはきちんとピントがあっているのだけど、背景が大きくぼけた写真。
 写真の常識では、被写体全体にきちんとピントを合わせれば、背景のぼけは小さくなるのだから、確かに矛盾する写真だった。
 当時まだあまり普及していなかった、深度合成というテクニックを使用した写真だった。
 深度合成とは、ピントを合わせる位置を少しずつずらしながらたくさんの写真を撮影して、それらのピントがあっている箇所だけをパソコンで合成する技術だ。
 動かない被写体に限られるが、どこからどこまでピントを合わせ、どこをぼかすのかをコントロールできる。
 わずか一枚の写真のためにたくさんの画像を撮影して合成するのだから、格段に手間がかかる手法だが、そうして驚かせることが、ひそかな喜びだった。
 今は、深度合成は当たり前になった。
 当たり前になったら、驚かせる喜びがなくなった。
 そして、めんどくささのみが残った。
 だが、いったん深度合成が普及すると、もうそれを使わない写真は古くなってしまう。
 誰がこんな技術を思いついたんだ!などと、ちょっと煩わしくも思うのだが、ついて行かざるを得ない。
 それが新しくなるということ。



● 2018.4.3〜17 水族館

 上京して、水族館の取材と打ち合わせ。打ち合わせの際にドカッと宿題が出て、帰宅してからはパソコンに長時間向かう。
 ここ数年、パソコンに長時間向かうのが以前よりも苦痛に感じられることが多いのだが、今回はなぜか運よく、ちょうどパソコン気分になっているタイミングと重なり、思いのほか苦しくない。
 凄く得をした気分だ。
 どんなに好きなことでもその気にならない場合もあるし、苦手なことでもたまにはやってみたくなることもある。

 水族館での撮影が予想以上に難しかった。
 もちろん、過去にも何度か水族館で取材をしたことがあるので薄々知ってはいたのだが、今回は撮影の時間が非常に長かった関係で、確信を持った。水族館で撮影するのは、野外で撮影するのよりも難しい。
 特に、水族館は照明が一定なので、野外と違ってどんなに待ったところで、撮影に適した光線状態にはならない。
 だから、納得できる写真を撮ろうとするのではなく、その場でベストだと思われる写真で妥協しなければならない。
 そのためには、その場で最善の写真がどんな写真なのかの当たりをつける必要が生じるのだが、その判断がなかなか難しい。多くの水族館では照明に水銀灯が使用されていて、水銀灯は人が感じられない周期で点滅しているので、カメラで撮影すると明るく写ったり暗く写ったりと一枚一枚の写真にバラツキが生じ、どの位置がどんな風に写るのかの判断ができにくいのだ。
 水族館は水槽によっては非常に暗いので、デジタルカメラのISO10000台を初めて使用する羽目になり、果たしてこんな高感度を使って画質は大丈夫なのか?という不安もあったのだが、写真を小さく使用する分には十分使用できることが分かった。 



● 2018.4.1〜4.2 釣魚1400種図鑑



 凄い本だなと思う。
 魚の標本が並んでいるだけで、デザインが洒落ているわけでもないし、中には質があまり良くない写真も含まれているのだが、釣れる魚が見事なくらいに網羅されていて、海の魚に詳しくない僕でも、とにかく魚の名前がわかってしまう。
 写真の点数は、オスメスで形態が異なる種類に関しては雄と雌が掲載されているものもあるが、基本的に各1点。魚の場合、体色が変化することが多いので、その一枚の写真だけでは同定が出来ない場合もあるけど、大まかな名前さえわかれば、インターネットを検索すれば、たくさんサンプル画像が出てくる。
 だから、魚の名前が分からない時には、まず一番にこの本を使うし、非常に頼りになる。
 味について記されているのもいい。
 逆に言えば、魚の名前がわかるかどうかに、写真の質や本のデザインは、あまり関係がないということで、この本の凄さは、図鑑の最も本質的な部分だけをずばり追及していること。
 本を作るタイプのカメラマンとして、非常に大きな影響を受けた。

オハグロベラ 
NikonD800 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 海での釣りは、いわゆる外道と呼ばれる、みんなが狙わないような魚を狙う。そして初めて釣った魚は、必ず撮影する。
 すると、そんなに頻繁に海釣りに行くわけでもないのに、わずか一年で、撮影した魚の種類数が50種類を超えるのだから海は凄い。
 それだけたくさんの種類の魚が海には生息し、名前が分からないと話にならないのだから、名前がわかる本は非常にありがたい。
 
 
   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2018年4月分


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