撮影日記 2017年11月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2017.11.27〜30 造作、無造作

 写真や野外活動と言えば、こだわりの世界。写真屋さんにしても、アウトドアショップにしても、釣り具屋さんにしても、工夫を凝らしたこだわりの道具であふれている。
 僕も常々、より使いやすい道具はないものか?より有効な方法はないものか?と考えるし、その結果、自分のスタイルが2週間以上変わらず同じということは滅多にない。
 一方で、実に無造作なのに、素晴らしい成果を上げる方もおられる。
 例えば、サンダル履きのお気楽な格好で水辺に出かけ、探しにくい生き物をいとも簡単に見つけてしまう人や、市販のカメラを市販のまんま使って、素晴らしい写真を撮ってしまう人が。
 妙に難しく考えないとでも言おうか、無造作には無造作の良さがあり、無造作でしかできないこともある。
 僕は、長期取材の際に使用するトヨタのハイエースに関しては、使いやすくなるように思いつく限りの工夫や工作を施しているのだが、普段使用している軽自動車については、荷物をただポンと積むだけで、特別な改良はしないと決めてある。撮影機材についても、構えて撮る場合のシステムと、適当に撮る場合のシステムの2種類を使い分ける。
 車に取材用の工夫を施すと、やがてその車がなければ取材をする気にならなくなるし、改造を施したマイカメラばかりを使っていると、その道具がなければ写真が撮れないと思い込んでしまう。
 でも、レンタカーで凄い写真を撮る人もたくさんいるし、機材も同じ。
 道具を使うことが目的なら話は別だが、僕の目的は写真を撮ること。

 さて、キヤノンのイオスMシリーズは、気張らずに写真を撮るのに実に適したカメラだと思う。
 このカメラには、完璧は求めない。
 それよりも、気楽にカメラを構え、とにかく写真を撮る。
 照明も、別に完璧ではなくてもいい。
 なるべくセットの手間がかからず、いろいろな状況に幅広く通用するやり方でいい。



 照明器具は、どんなレンズを使用する場合でも、MT-24EXのみ。
 2つある発光部は、レンズに取り付けるのではなくストロボ本体に固定をして、ケンコーの影とり越しにTTLオートで光らせる。
 2つの発光部を、別々の役割を持った2つの照明として使うのではなく、影とり越しの大きな1つのライトとして使う。



 カメラの内蔵ストロボや小型の外付けストロボを影とり越しに照射すると、実にきれいに物が写る。影とりは、非常に有効な撮影機材だ。
 影とりのすごいところは、軽くて安くて簡単なのに、効果が大きいということ。
 生き物の写真の世界では、僕が知る範囲では、昆虫写真家の森上信夫さんが最初に影とりを本格的に採用し、森上さんの真似からたくさんの人に広まった。



● 2017.11.25〜26 磯のエビ




 アカシマモエビにコシマガリモエビ。なんてきれいなエビなんだろうと思う。
 海と淡水の違いはあるものの、ペットショップで人気のビーシュリンプなんかよりも、この色、このスタイルは断然に魅力的。
 僕なら、こっちを水槽に入れて眺めていたいと思うのだが、そんなに人気がある生き物ではないようで、インターネットを検索してもこれらのエビが話題になっているケースはあまりない。
 一般に、漁の対象や食べ物にされる生き物は、生き物屋さんには、あまり人気がない傾向があるが、それも何となくわかるような気がする。
 例えば、水槽に入れてみるといい。
 すると食用にされる生き物は、自然の一部を切り取ってきて飼育をしているというよりは、生け簀の空気がただよう。

 僕は、普段撮影の対象にしている野の生き物は、ほとんど食べない。
 普段、こいつ、素敵でしょう!と本の中で見せている生き物を、そのあと殺して食べてしまうのは、時に読者に対する裏切り行為になりかねないから。
 食べる場合は、採ったぞ〜、食べるぞ〜、これが今日の釣りの成果だ!というような写真の撮り方をする。
 決して殺したり食べるのが悪いと思っているのではなく、人を欺かないようにしたいだけ。

 ペットショップに行くと、最近は爬虫類用の餌として冷凍されたネズミが販売されている。
 それらのネズミはどこかで生産されているのだが、ネズミを凍らせることが問題になることはない。
 なぜなら、最初からそういう目的で生産されているネズミであり、それは隠し事ではないから。
 だが、お店で売れ残った犬を冷凍庫に入れて冷凍して殺したりして、もしもそれが露見すれば、それなりの問題になる。
 それらの犬がそんな風に扱われるとは世間は考えてないし、みんなを騙すことになるから。
 犬がかわいそうだからではない。犬がかわいそうというのなら、ネズミも同じだけかわいそうということになる。
 そんなことではなくて、人を悪い方向に欺かないということ。
 写真に撮る場合でも、その生き物のスペックを紹介するような撮り方をする場合ならば、そのあと食べてみるというのはとても面白いと思う。
 味や食べ方も、その生き物のスペックの一部だから。
 あるいは図鑑など、生き物の同定が非常に重要な場合は、撮影した個体を殺して標本にして残すべきだと思う。後で何か疑問が生じた場合にそれが検証できないことの方が、読者を欺くことになる。
 何が正しいかは、その時々によって違ってくる。



● 2017.11.24 プラントハンターのイベント



 種名が不明のカタツムリ。
 見つけたのは随分前。プラントハンター・西畠清順さんのイベント会場だった。
 世界の植物と共に持ち込まれた岩の窪みに数匹くっ付いていたカタツムリで、外国産ではないかな?と思う。
 その西畠清順さんが企画したクリスマスツリーのイベントが、インターネット上でなかなか評判が悪い。
 確かにイベントの企画意図などを読むと、突っ込みどころや矛盾満載だと僕も思う。
 でも、開催されれば、恐ろしい量の人が集まるだろう。
 西畠さんは、植物というよりは、イベントが好きなんじゃないかな。イベントとしては、よくこんなこと思いつくなと感心させられるし、凄いセンスだと思う。
 イベントって、そんなもんじゃないかな?矛盾が少ない方がいいのかもしれないけど、人って、そんなに完璧やきれいになれないのではないと僕は思う。

 最近、
「君たちは、何でそんなに後ろ向きなんだ。」
 という大学時代の恩師の言葉をよく思い出す。
 先生が
「こんなことをやってみては。」
 と提案しても、多くの学生が、
「それにはこんな問題があります。」
 とケチをつける方向にばかり答えるとよく怒られたものだ。
「何で、提案を成り立たせる方向の意見を出せないのか?
 と。
「あれはダメ、これはダメ。」
 を言うと、結局当たり障りはないけど、だから何?というものだけが残る。
 役所の業務とか、町内会のイベントとか、学校のイベントとか、PTAのイベントなら、「面白くないけど誰も不愉快にさせない」でいいと思うのだが、創作の世界は、そんなものではないと思う。



● 2017.11.22〜23 PCトラブル

 メールソフト・サンダーバードポータブル(日本語版)は、OSにインストールするのではなく、デスクトップ上でも、外付けのハードディスク上でも、USBメモリー上でも、アプリの本体ががどこにあってもいいので、とても便利。
 例えばUSBメモリー上においておけば、自宅でも、取材先でも、どこへでもすべてのメールデータを持ち歩くことができる。
 僕の場合は、クラウド上に置いておき、すべてのパソコンからアクセスできるようにしてある。
 一方で小さなトラブルが多く、パソコンが苦手な人には勧められない。
 ただしOSにインストールするのではないので構造は簡単で、1つ1つのファイルが何をしているのか理解しやすく、それらのトラブルは、症状に応じてファイルを削除することで比較的簡単に解消できる場合が多い。
 今日はそのトラブルがあり、しかも、なぜかいつものようには解決できず。
 そこで、PCを再起動させてみたら、問題は解消した。
 ちょうどPCのアップデートがあったので、その関係かな。

 PCの再起動後、今度は別のトラブルが発生。モニターの解像度が、おかしくなった。
 1920×1200が選べなくなり、急に低解像度に切り替わってしまったので、まるで突然にセーフモードに切り替わったかのようであり重篤なのではないかと焦ったが、単なるモニターの表示の問題だと判断でき、すぐに一安心。
 ただし、この単なる表示の問題がなかなか解決できず、自力では無理と判断して、近所のパソコン工房に持ち込んだところ、やはり経験がないとのこと。
 結局、PCのアップデートの際に、モニターのドライバーが更新され、そのドライバーに不具合があったようで、デバイスマネージャーから、ディスプレイアダプターへと進み、ディスプレイの名前をクリックして、ドライバーのタグを選択後、ドライバーを元に戻すをクリックしたら、解消された。
 それらのドライバーは新しいものが存在する場合に勝手に更新されるわけだが、まさか、古いモニターのドライバーが今更更新されるとは想像もできなかった。
 思わぬところで時間を取られ、日記を更新している場合ではないのだが、パソコン工房の店員さんが初めてというくらいなので、当然、ネットを検索しても同じケースは見つからないし、書いておこうと考えた。
 いろいろなトラブルがインターネットで検索できるのは、ありがたいなと思うのだ。
 ネットに様々な情報、特にトラブルや不満の情報があげられることに関しては、メーカーや作り手の側の人は、しばしば神経を尖らせておられる。
 だが、買う側の立場から言うと、それらの情報は非常にありがたい。僕はネット通販で物を買う際に、悪いレビューやトラブルの記事から先に読む。
 そこには、記事を書く人の位置取りが現れる。例えばカメラに関して書く場合に、メーカーの方を見て書く人と、ユーザーの方を見て書く人がおられる。
 
 僕は、ユーザーの側に立って書かれたものが大好きだ。
 なぜか?と言えば、子供の頃、物を買う際に、雑誌などに書いてあることが当てにならず、騙された!ととてもガッカリすることが多かったから。
 今にして思えば、メーカーに配慮して書かれた記事を読んで、それを信じ込んでしまった結果なのだが、そこに存在する忖度みたいなものが、僕には理解できにくいからだと思う。

# PCの高解像度が突然に選べなくなるトラブル


● 2017.11.21 生き物を放す

 いろいろな意見があるものだな、と思った。
 先日、希少な生き物を食べてしまうことで問題になっている奄美大島の野良猫に関して、
「猫を捕獲をして避妊手術をした上で、元の場所に放す方法がいい。猫を捕獲して引き取り手がないものを殺してしまうのは反対。」
 という獣医さんの意見を読んだ。
 徳之島ではその方法で、アマミノクロウサギの数が増えるなど成果があがっているのだそうだ。
 野良猫を避妊したら、なぜアマミノクロウサギの数が増えるのか?
 手術を受けた猫がウサギを食べなくなるわけではないだろうから、手術によってそれ以上増えなくなり、徐々に猫の数が減る結果、ということなのだろう。
 野猫の寿命は長くないと言われていることを思うと、なるほどなと感じた。
 つまり、今存在する猫に関しては容認しようよ、という意見になる。

 野良猫は、アマミノクロウサギの死因の極々一部であり、猫の駆除はアマミノクロウサギの数を減らさないことに関してほとんど効果はない、という意見もある。野外で見つかるアマミノクロウサギの死体を調べたところ、猫が原因と思われるものよりも、交通事故の方がずっと多いのだそうだ。
 だが交通事故なら死体が残るが、猫に食べられた死体は見つかりにくいだろうから、これは信頼できない。
 また、徳之島で猫に避妊手術を施したらウサギの数が増えたというデータが正確なのであれば、やはり猫の影響が小さくないことを意味している。

 さて、ここのところ、磯で生き物を採集して、撮影しては元の場所へ返しにいくことが続いている。
 自然愛好家の中には、いったん持ち帰ったものはすでに野生の生き物ではなく、生態系を乱す可能性があるので絶対に野に放してはならないし、飼いきれなくなったら殺すべきだという意見があるが、僕はこの意見は通用しないと考える。
 例えば、極端な例だが、
「飼いきれなくなった猫を野に放すくらいなら殺せ。」
 という主張をする人を、世間が尊敬し、その人の話に耳を傾けたいとは思うだろうか?
 学者さんが理屈としてそうした意見を提唱したり、ある個人が自分の主義としてそれを実行するのはいいにしても、みんなでこうあるべきだと主張するのは、むしろ、生き物好きの人間が、過激な原理主義者だとみなされてしまうマイナス面が大きすぎる。
 僕の場合は生物学の出身なので、生き物を殺すことには慣れているのだが、それは多くの人にとって容認しがたいことなのだ。
 こうあるべき、と主張する際には、現実的で必ずみんなが守れる何らかの落しどころを示す必要があると思う
 野生の生き物の場合は、病気の個体などは別にして、元の場所に返すのが現実的だと考える。



● 2017.11.18〜20 転校


EOSM5 EF-M11-22mm F4-5.6 IS STM

EOSM5 EF-M11-22mm F4-5.6 IS STM

 小学校の1〜2年の頃、この辺りで、捨てられた大量の新品の文具を見つけたことがあった。
 その時、人生で初めて目にしたのが、シャープペンシルだった。
 これは何だ?と思っていたら、友達の富田君が詳しく説明してくれた。
 芯を入れる箇所のキャップを外したら、そこに収まっている小さな消しゴムの青や緑がとてもきれいで、僕はシャープペンシルに一目ぼれ。でも、富田君と拾ったものを山分けにして持ち帰って母に見せたら、警察に届けなければならないとなって、ガッカリ。

 富田君は、初めて小学校から一人で帰らなければならない日に、
「あんたのこと知っとるばい。家こっちやろう。僕もこっちやから一緒に帰ろう。」
 と学校で最初に話しかけてくれた友人で、馬が合い、よく遊んだにもかかわらず、いつの間にか転校していなくなってしまいまった。
 他にも、畠山君も、奥田さんも、野口君も、なぜか僕が好きだった友達は、いつの間にか転校した。
 特別に好きだった友達に限って転校してしまったのは、偶然だと思っていたのだが、必ずしもそうではないかもと最近は思う。
 というのは、転校したということは、勤め人のお宅のお子さんだった可能性が高いから。
 一方で武田家は商店街のど真ん中にあり、身近な友達の多くは自営業者の子供たち。
 小さくても一国一城のお宅の子供たちと、お勤めのお宅の子供たちとでは体質が違っていて、お勤めのお宅の方が奥ゆかしいというか、控え目な子供が多かったように思う。
 僕は、その奥ゆかしさに癒されていたのかもしれないなと思う。
 多分、転校する際には何か先生方からの説明があったはずだが、僕は先生の話や会議での会話などが全く耳に入らない体質なので、聞いていなかっただろう。
 因みに、学校の授業も、小〜高校の間、ほぼ聞いたことがない。
 勉強は、自分で教科書を読んでするものだった。
 授業中は何もすることがないわけですから、一コマが長いのなんの。
 子供の頃は、自分が先生の話を聞いていないことに気付いておらず、それに気が付いたのは大人になってから。
 
 この下り坂の奥に猿やシカが飼育されていたけど、今は、すべてが寂れた公園。
 寂れてから実に長い時間が経っているので、都心なら確実に再開発されているのだろうけど、思い出の場所が、そのまんま寂れただけで残っているのは、お金がない田舎の良さ。
 思い出のすべてが凝縮されている。そんな場所もあって欲しいなと思う。

直方・多賀公園にて。



● 2017.11.17 お金をもらうということ。お金を出すということ。

 大学4年生の時に、初めて昆虫写真家の海野先生の事務所を訪ねた際に、海野さんは、写真を売るということに関してたくさん話をしてくださった。
 実は僕は、プロ志望でありながら、そんなことを考えたことはなかった。恐らく家庭環境なのだろうと思う。
 ふっと思い出されるのは、子供の頃にお盆休みを利用して穂高岳に登った際の、父との会話だ。
 当時は、夏と言えば、高校野球の甲子園大会。どこに行ってもラジオで実況中継が流れ、新聞は大会関係の見出しが大きく、まさにそれ一色という様相。
 途中の駅で父が興味を持ったのは、その日の勝者、高知県の明徳義塾高校の監督のラジオのインタビュー。
「甲子園に行こうと思うな。日々努力を積み重ねれば甲子園の方からやっきてくれる。」
 という内容だった。
 当時の監督は、のちに明徳高校が松井秀喜選手を5打席連続敬遠をして猛烈な批判を受けながらも勝つことにこだわった馬淵監督ではなく、豪快な生きざまで人を魅了した松田昇監督だった。
 松田監督のインタビューを聞いた父が、
「そうなんよ。わしもそう思うんよ。」
 と一言つぶやいた。
 武田家は、そんな環境だった。

 それを自然写真に当てはめると、
「写真を売ろうと思うな。一生懸命写真を撮っていたら・・・・」
 ということになる。
 だが、自然写真のような、本来なら食えない方が当たり前という活動を仕事にする場合、よほどに才能がない限り、そうはいかない。
 海野さんは、その僕の弱点を見抜いたので、話がそこに集中したのだと思う。
 その日偶然にも海野さんの元を訪ねてきた、当時時々雑誌に登場していたAカメラマンから、
「海野さんは、どんなことを教えてくれた?」
 と聞かれ、教わったことを話したら、
「おかしいな。僕が習ったことと全然違う。」
 と返ってきた。
 海野さんからは、
「A君と何か話した?」
 と聞かれ、
「僕が習ったことと全然違う。と言っていました。」
 と答えたら、
「それはそうだよ。その人の置かれている状況によって、アドバイスの中身って全然違ってくるんだから。」
 と話してくださった。
 ともあれ、自然を相手にしてお金をもらうのは、とても難しい。

 さて、下記に関心がある人は、どうか応援してください。
 クラウドファンディングサイトへ移動
 こんな活動にお金を出すことがステータスであるような社会であって欲しいな、と思うのです。



● 2017.11.12〜16 写真を解説する

 本を作る際には、季節物から手がける。生き物の繁殖行動などは、限られた時期にしか撮影できないから。或いは磯の生き物などは、採集できる時期とできない時期とがあり、ただの白バック写真だって、いつでも撮影できるわけではない。
 逆に季節がないものは、基本的に秋〜冬に後回し。
 だが短時間で撮影できるシーンに関しては、季節物の合間やついでに撮影する。
 だから最後に残るのは、季節があまりないもので、しかも撮影に時間を要するシーンということになる。
 一言で撮影に時間がかかると言っても、おおまかに分けると2種類ある。
 1つは、誰がどうみても、明らかに撮影が難しいシーン。あとの1つは、何でもないようで、実は案外難しいシーン。

NikonD610 AF-S VR Micro-Nikkor ED 105mm F2.8G(IF)

 タニシの白バック写真の撮影は、何でもないようでいて、実はなかなか難しい。水の中のタニシには、写真に撮りにくい要素が多いのだ。
 水中のタニシを完璧に撮りこなせるようなら、他の大部分の水中の白バック写真はこなせるだろう。
 今日の画像のタニシはヒメタニシだが、オオタニシやマルタニシは、殻の質感の違いからさらに写真に写りにくく、より難易度が高い。
 タニシよりもさらに水中の白バック撮影が難しいのが、ムラサキウニだ。ムラサキウニの場合は、写りにくい特徴であることに加え、それを何とかして鮮明に写そうとする際に、長いトゲが妨げになる。
 タニシの難易度が星4つとするならば、ムラサキウニは星5つ。

 僕は撮影の技術的なことを質問されたら、大抵のことは詳しく話す。なぜか?と言えば、僕の先輩方がみんなそうだったから。
 だが、タニシの白バック写真のどこがどう難しいのかは、物がどうしたらきれいに写るのかのノーハウが満載過ぎて、それをここに書くほどの根性はない。
 では、なぜこんな記事を書くのか?と言えば、タニシの写真は、大部分の人にとって面白いものではなく、何か面白い小話でもなければ、なかなか見てもらえないから。
 地味過ぎて見てもらえない生き物を、どうしたら知ってもらえるのか。
 僕がイメージするのは、囲碁や将棋の「解説」に近い。プロの棋士の囲碁や将棋の対局は、本来はごく一部の天才にしか理解できない世界だが、その対局を、現役の棋士の中の誰かが解説するしくみがあり、それによって多くの人が楽しむことが可能になり、エンターテインメントとして成立している。
 自然写真でも、同じことができないかなと思うのだ。
 出版業界には書評という制度があるが、書評で取り上げられるのは、有名な生き物が写っていたり、分かりやすい本に限られる。それらの書評を書いているのは、プロの自然写真家ではなくて、出版に携わっている誰かなので、そこで取り上げられる本が一般的になるのは当然のこと。
 一般的ではない自然写真を、一般の人でも面白く感じられるように解説出来るのは、現場の最先端にいる人間、自然写真の専門家以外にあり得ない。
 
 囲碁や将棋の解説は、協会が組織的に取り組み、文化として根付いていて、いろいろな人が解説を担当するから面白さを発揮するのであり、自然写真の解説も個人では難しい。



● 2017.11.11 磯の魅力



 磯の生き物が面白い場所は、黒潮の影響を受ける地域などで、福岡県は特に面白い地域には入らないだろうと思う。
 それでも、2〜3時間生き物を探せば、毎回初対面の生き物が見つかる。こんな不思議な生き物が、そこらの海辺に普通にいるのだから海って凄い!
 ウミウシは、ごく一部の種類を除いて、同じ日に同じ場所でたくさん目にしたことはないが、ほぼ毎回、まだ見たことがなかった種類が、ポツンと1匹かせいぜい2匹見つかる。
 磯は、今のところ生き物を探すことが面白くて、それを人に伝えるために死ぬほど写真を撮りたいと思うところまで、まだ到達していない。
 いや、海の生き物が凄すぎて、手出しができないのかな。

 磯の生き物の名前を調べる時にしばしば役に立つのは、博物館がその地域の生き物だけを紹介したガイドだ。
 当然、そこで取り上げられる生き物は、その地域の生き物に偏っているはずなのに、下手に全国で通用するように作られたものよりも、役に立つ場合が多い。
 全国に通用するものを作るよりもある地域のものを作った方が、作り手が、読者の立場に立ちやすいからではないかと思う。
 ただし、そうしたガイドは、写真が悪い場合が多い。近年は博物館の学芸員の方々が素晴らしい本をたくさん作っておられるが、水辺の生き物の撮影は、写真が簡単になったデジタル時代であっても敷居が高く、写真の専門家が撮影する意義はあると思う。

 僕は、本の中では図鑑よりもお話が好きなのだが、海の生き物に関しては、図鑑の方に魅力を感じる。
 お話の場合、みんなが共感できる何かが必要になるが、海の場合、その人が住んでいる場所などによっては全く馴染みがない人も少なくない。
 例えば、カタツムリのようなナメクジのようなヒラコウラベッコウガイが面白いのは、多くの人がカタツムリとナメクジを知っているからだろう。
 これいったい、何よ?と。

 ところが、同じような不思議な外見の生き物が海にはたくさん存在するが、ヒラコウラベッコウガイほどの驚きはない。その人の日常と結びつきにくい。

 それから、磯の魅力の1つは、やっぱり生き物の種類数だろう。
 ともあれ、どなたか、いずれ、磯の生き物の名前を調べる本を一緒に作りませんか?



● 2017.11.4〜11.10 Panasonic DMC-LX100


Panasonic DMC-LX100

 防水ケースに入れたカメラをスマートフォンと接続し、スマートフォンの画面を見ながら撮影。
 PanasonicDMC-LX100のいいところは、スマートフォンから操作する設定にしても、カメラ本体からも操作が可能なところ。キヤノンのEOSMシリーズなどは、スマートフォンからの操作中にはカメラ本体は操作できなくなる。
 これができるカメラは、ほとんどないのではなかろうか?他社も採用すべきだと思うのだが、そんなことが必要な人間は、ごくごく一部の中のさらにごく一部であり、気付いてもらえないだろうなぁ。
 したがって、Panasonic DMC-LX100の場合、シャッターを押す際に、スマートフォンの側から押してもいいし、防水ケースに設けられたシャッターレバーを使用してカメラ本体のシャッターを押してもいい。
 深い場所を撮影するために棒の先にカメラを取り付けて水に沈めるような場合は、スマートフォンからシャッターを押し、浅い場所でカメラを手にもって撮影する場合は、スマートフォンはライブビュー画像を見るためだけに使用して、カメラ側のシャッターを押した方がぶれにくい。
 ただし、カメラ本体を操作すると、それがスマートフォンの画面に反映されるのに割と時間がかかるのがちょっと残念。
 Panasonic DMC-LX100の欠点は、露出補正や絞りやシャッター速度をスマートフォンからはコントロールできないこと。
 したがって、カメラ本体の操作箇所を、防水ケースに設置されたレバー等で動かさなければならない。
 カメラを手にもって撮影する浅い場所では、カメラ側を操作すればいいのだから問題はないのだが、カメラを棒に取り付けて沈める深い場所の場合は、何らかの操作をしたい場合は、いったんカメラを引き上げなければならない。
 スマートフォンから露出補正や絞りやシャッター速度がコントロールできない理由は、おそらく、それらの操作箇所がダイヤル式になっているから。
 例えばシャッター速度をダイヤルで1/125に設定し、それをスマートフォンから1/60に変更すれば、ダイヤルの表記と実際にカメラに設定されているシャッター速度とが食い違ってしまう。
 ダイヤル式は目に優しくて好きなのだが、カメラを遠隔地操作するなどの特殊な撮影には適さない。
 DMC-LX100の後継機であるLX200がうわさされており、興味があるのだが、それを買ってさらに防水ケースを作るお金がないのが切ない。
 DMC-LX100用の防水ケースは大きさに少しゆとりを持たせて作ってあるので、新製品の大きさ次第では、今使用中のものを改造するという手もある。



● 2017.10.30〜11.4 猫の命の話


CanonM5 EF-S60mm F2.8 マクロ USM

 野良猫を次々と捕まえて殺せば、下手をすると逮捕されてしまう。だが、野ネズミを次々と捕まえて殺しても、逮捕はされないだろう。
 理由はとても簡単。
 猫にはファンが多く、猫が殺されると嫌な思いをする人がたくさんいるけど、ネズミが殺されても、嫌な思いをする人はあまりいないから。野良猫を殺したら逮捕されるのは、猫がかわいそうだからではなくて、他人に嫌な思いをさせたから。
 それをされたら嫌だなと感じる人が一定程度以上の数存在する場合、まともな人間の社会の中では無視をすることはできなくなる。
 猫に限った話ではない。クジラでも犬でも同じこと。
 クジラや犬を食べるなという意見に対して、
「じゃあ、豚や牛はいいのか?矛盾している。」
 などという反論は、一見論理的なようで、全くのナンセンス。
 そもそも、クジラや犬と豚や牛の命の重さの比較をしても仕方がない。命の重さを比較することなんて不可能だから。
 例えば、同じ命の重みのはずの猫でも、野良猫が殺されるのと誰かの飼い猫が殺されるのとでは、全く別の話。
 これは、理屈ではなく、悲しむ人がどれくらいいるかの話。

 野良猫が希少な野生生物を食べるから、野良猫を駆除せよという意見も同じ。
 野猫を駆除するのは希少な野生生物を守るためではなくて、希少な野生生物を大切に思っている人がいて、そんな人たちの気持ちを守るため。
 そう思う人がある一定する以上いる場合、その意見も無視できなくなる。
 どちらが正しいなどという話ではなく、人の好みの問題。
  「生物学的」に正しいことや、「生態学的」に正しいことなら確かに存在する。
 だが、人の社会がすべてが科学的な物の見方で決まるわけではない。
 もしも科学が人を幸せにするのなら、科学者が政治家になればいい。
 だが、科学者に人の社会が治められるとは到底思えないし、そんなことが上手くいったという話は聞いたことがない。
「今は科学の世の中じゃないか」
 と思う方もおられるだろうが、それはしばしば「科学」ではなくて、「科学技術」だ。

 その上で、僕は野生の生き物が好きだ。
 だから、他の人にも野生の生き物の魅力を知ってもらいたいと思うし、生き物たちの写真を撮る。
 知ってもらわなければ、好きになってもらうことなんてできない。
 一方で、自然が嫌いという人がいてもいいよね、と思う。

 


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2017年11月分


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