撮影日記 2017年10月分 バックナンバーへ今週のスケジュールへTopPageへ
 
 
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● 2017.10.29 実用の写真の話

 僕は、写真集が大好きで大好きで、家にある写真集の冊数は、場合によっては自然写真を生業とする者の中で最多の可能性さえある。
 写真集のような写真が求められ、あんな写真が撮ればプロになれるんだと学生時代には思った。

 ところが、実際にはそうではなかった。例えば鳥の写真集と鳥の図鑑のどちらがよく売れるのかと言えば、桁違いに図鑑の方が売れる。
 これは何も鳥の写真に限った話ではなく、風景でも同じだろう。滝の写真集などというものはなかなか成立しないけど、滝のガイドブックなら成り立つ。
 世間が求めているものは、「役に立つ」ということ。
 僕のように、自分の感覚と世間のニーズとの間に大き過ぎるずれがある者は、本来趣味として写真を撮るのが向いているタイプであり、世間のニーズを感覚として理解するのに大変に長い時間がかかってしまう。


CanonM5 MP-E65mm F2.8 1-5×マクロフォト

 一般に小さな生き物であればあるほど、その写真に「役立つ」が求められる度合いが大きくなる。
 獣よりも、鳥の写真の方が、説明や知識が求められがち。
 鳥よりも両生類の方が、両生類よりも虫の方が、虫よりも微生物の方が、説明や知識を要求されるケースが多くなる。
 恐らく、大きな生き物なら感情移入という物の見方ができるが、小さな生き物の場合はそれができにくくなるので、科学的な切り口が採用されるのではないかと思う。

 それに抗い過ぎると、最悪の本を作ってしまう危険性がある。
 だが僕は、ちょっと抗ってみたくもなる。
 例えば微生物の写真なら顕微鏡写真が最適だと思うが、僕は顕微鏡のステージの上の生き物を撮影する気には、なかなかなれない。
 その写真から思い浮かぶのは実験室やお勉強であり、僕が好きな野生の生き物ではないのだ。
 したがって、小さな生き物を撮影する場合でも、一般的な撮影機材を使用して、その生き物が動いているところを撮影したい。



● 2017.10.23〜28 使える写真の話



 干潟での撮影の帰り道、何となく風景が心に引っ掛かり、立ち止まる。
 景色を見て何かが言いたいわけではない。むしろ、自分の言いたいことが分からないからシャッターを押してみる。
 そんな写真に、使い道はない。
 仕事の現場では、きちんと言葉にできる具体性が求められる。なぜなら、仕事は一人でするものではなく、いろいろな人と言葉を交わしながら進めるものだから、言葉にならない物は取り扱うことができない。
 使い道はないとまで書くと語弊があるので、補足をすると、いかなる写真であろうとどこかで使用される可能性はあるのだが、あまりに頻度が低い。

 僕には、元々、何かを具体的に伝える写真よりも、心象風景を撮りたがる傾向があった。
 だからだと思う。
「プロになりたい。」
 と学生時代に昆虫写真の海野先生を初めて訪ねた際に、海野さんは、売れる写真、使い物になる写真、つまり仕事としての写真について教えてくださった。
 当時僕が撮っていたような心象風景的な写真はプロとしては通用しないし、そこを修正しなければならなかった。
 今でも気を抜くと、僕は、自己満足の写真へ向かう癖がある。
 だから、写真を撮る際には、その写真をどこにどんな形で発表するのか?それならば写真はどう撮らなければならないのかを考える。

 かと言って、十分自分を分かった上で写真を撮っているのか?と言えば、そうでもない。自分が何をしたいのか、写真を撮ってみて、なぜこう撮りたかったのだろう?と分析してみて初めて分かる部分もたくさんある。
 僕の場合は、きれいな写真を撮りたいわけでもなければ、シャープに撮りたいわけでも、説明したいわけでもなく、その生き物に対する自分のイメージを追及したい気持ちが強い。



● 2017.10.18〜22 特盛どじょう本(北九州・魚部)

 一般的に、写真の撮り方には2種類ある。
 1つは絵画としての写真。あとの1つは、 具体的な何かを説明して伝える写真。
 プロアマ問わず多くのカメラマンは、その2つの写真を両立させようとするのだが、普段僕が見かける日本人が撮影した写真には、案外説明して伝えることの方が上手くいっていない写真が多い。
 海外の写真家の作品を多く扱った経験をお持ちのある方が、
「日本の写真家は、きちんと説明するのが下手です。」
 と断言されたことがあるのだが、なるほどなと納得させられる部分がある。



 北九州・魚部の展示や制作物を見ていつも思うのは、写真がなかなかよく撮られているということ。
 魚部の写真は、絵画としての写真ではなく、何かを伝えることに徹した写真だが、何を言いたいのかが非常によく分かる。
 何となく撮られている写真など一枚もない。すべての写真にきちんとテキストがつけられるし、非常に具体的。
 被写体に近づいて大きく撮るべき写真は大きく、引いて小さく撮るべき写真は小さく。
 写真を生業にしている者の感覚で言えば、すべて『使える写真』になっているのだが、それはきっと、言いたいこと、伝えたいことがあるから、ではないかな。
 逆に言うと、きちんと説明できていない写真は、そもそもその人が言いたいことや伝えたいものがまだ曖昧なケース。主張がよくまとまっていない場合が多いのではなかろうかと思う。
 つまり、写真の技術以前の問題。
 昔(フィルムの時代)なら、写真を撮ること自体が難しかった。絞りだとか露出だとかシャッタースピードなどという概念を知らなければ、何も始まらなかった。だから、とにかく写真が撮れるということが重要だった。
 例えばこんな話がある。
 水中写真の黎明期に、ダイバーにカメラを持たせたのだが、何度トライしてもまともな写真が撮れない。そこで、カメラマンにダイビングを教えたら凄い写真が撮れ、それが水中写真のブームへと結びついていったと。
 だが、今はデジタルカメラの登場で、写るのは当たり前になった。
 写真の知識よりも、何が言いたいか、つまり被写体に対する思いの方が重要になった。

 さて、北九州・魚部制作の「特盛どじょう本」は、生き物の写真の仕事をしている者としては、なかなかショッキングな仕上がり。
 ああ、ここまでできるのか!と。
 自己満足のまとめではなく、完璧な商品価値を持つ制作物であり、魚以外の生き物に興味をもっている自然愛好家にとっても、参考になることが多いのではなかろうか。
 とにかく、何が言いたいのか、何をしたいのかが明確。
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● 2017.10.18〜21 超拡大で虫と植物と鉱物を撮る(日本自然科学写真協会)



 自分が所属する会が制作したものだから、などという贔屓を一切排除しても、読み込む価値がある技術書だと思う。
 近年は、技術書と言えば、見やすくデザインされていたり、写真が分かりやすかったり、説明が丁寧だったりと、読みやすい本が増えた。ひどいなぁとガッカリするような本は、見かけなくなった。
 一方で、多くの本が最初から手堅く、100点満点で言うなら75点くらいにまとめようと作られていて、何か物足りないと感じる機会も増え、永久保存版だと言いたくなるような本は、逆に減ってしまったような気がする。
 その点、この本は、紛れもなく永久保存版だ。

 テーマが超拡大なので、自分には無関係だと思い込む方もおられるかもしれないが、例えば深度合成や白バック写真の撮り方などは、今や自然写真のすべてのジャンルで求められるようになったテクニックだ。
 野鳥写真なんかでも、そのうち深度合成が普及し、静止している写真に関しては、背景は大きくぼけているのに鳥の部分には全身にピントがあっている写真が当たり前になる可能性は大いにある。
 その前に、自分には関係ないジャンルだから、という考え方が面白くない。
 自然写真業界の同業者の方々と話をする際にいつも感心させられるのは、優れた写真家であればあるほど、他のジャンルの写真もよく見ておられるのだ。

 昔、平凡社の雑誌・アニマが全盛だった頃、多くの自然写真愛好家が、アニマの中で紹介されるさまざまな撮影テクニックに関心を持ち、興味の幅を広げていった。
 実はこの本は、、昔アニマが果たしていたような役割を日本自然科学写真協会が果たすことができたらなという思いから、元々僕が企画したものだ。
 ところが、地方に住んでいる者が限られた上京の機会でこれを成し遂げようとすると、非常に時間がかかってしまう。今はインタネット回線を使用して、テレビ電話的な道具で会議をすることもできるし、実際、日本自然科学写真協会(SSP)ではそうした会議も行われているのだが、残念ながら、顔を合わせて直接話をする場合に比べると、3割くらいしか内容が理解できない。
 したがって、地方に住む者は、地方に住んでいるものにしかできないことを目指すべきなのかなと感じるようにもなった。
 そこで、会のメンバーであり、企画を指揮して引っ張っていく能力に長けている石黒久美さんに丸投げをしたら、素晴らしい本に仕上がった。
 日本自然科学写真協会(SSP)では、第二弾、第三弾のさらなる出版の企画が進みつつあるので、興味がある方は、是非入会してください。



● 2017.10.14〜17 ヤマメの話

 僕は小学校の4年生の時からヤマメ釣りをしているので、ヤマメは最も馴染みがある魚だ。
 ところが、僕が知るヤマメは釣りの対象としてのヤマメであり、ヤマメの写真を撮るのはそれとはまったく別の話。
 まず、ヤマメ釣り師は道なき道をひたすらに歩き、人が入りにくい場所に入ろうとする。釣り師を知っていて釣り針を警戒するヤマメと、そうではないヤマメとでは、釣果が大違いなのだ。
 ところが、そんな人が立ち入りにくい場所に、大きくてデリケートな水中撮影の道具をもって入るのは、数名のポーターでも雇わない限り不可能だ。
 したがって、僕がよく知るヤマメのポイントは、いずれも撮影のポイントにはなり得ない。
 捕ると撮るは大違い。

 それから、釣りをする場合は、そのヤマメがどんな素性のものでもいい。
 ヤマメは放流が盛んなので、各地の特徴をもったものが混血しているのだが、釣り師にはそんなことはちょっとした気分の問題程度であり、あまり重要ではない。
 ところが写真を撮る場合は、それが問題になる。
 アクセスが良く、混じりっ気のないヤマメがいる。この2つを完璧に満たす場所を、九州〜中国地方の範囲で、僕は知らない。
 一番近いのは宮崎県の椎葉で、椎葉は川が道から近く、椎葉らしいヤマメが棲んでいるのだが、少々遠い。
 その椎葉に、近年は分布しないはずのイワナが放たれ増えていることは、非常に腹立たしいが、釣り師にそれを理解してもらうのはなかなか難しい。いやほぼ不可能だろうと思う。
 ある釣り雑誌の編集長が、川のことを『釣り場』と書いておられるのを読んで、なるほどなと思った。
 それを釣り師のエゴだという方がおられるが、僕はそんな簡単なことではないと思う。
 その人が、何にどんな順番で出会ってきたかによって、理解できないこともある。

 さて、袖が破れて修理に出していたドライスーツが仕上がったとの連絡。予定よりも数日早いのがありがたい。
 ドライスーツに限らず、水中撮影の道具は、そんなに頻繁に使用するわけではないので予備がない。
 したがって、何か1つの道具の故障で、一切の撮影ができなくなってしまう。
 そこで、水に潜って撮影する予定の生き物でも、飼育可能なものは同時に飼育して、スタジオでも撮影できるように備える。
 今年はヤマメを飼育しているのだが、釣ったり、見ているだけでは絶対に分からない性質もあり、それはそれで面白い。
 ヤマメとイワナは大学生の時にも飼育をしたことがあるのだが、水を冷やす電気代ばかりが気になって、あまり楽しめなかった思い出がある。



● 2017.10.12〜13 被写体と背景の話

 写真は、基本的に、背景が遠ければ遠いほど、よく写る。
 被写体と背景が近い場合、両者が同じような質感で写ってしまうため同化してしまい、被写体が背景から浮かび上がってこない。
 被写体と背景とは、距離が違う、色が違う、明るさが違うなど何かが違うように、それによって被写体が背景から浮かび上がってくるように撮影するのが原則だ。



 白バック写真でも同様で、被写体と白の背景が遠い方がよく写る。
 透明に近いエビの場合なら、白の背景の上にじっとしている場合、つまりエビと背景が接しているよりも、エビが泳いでいて、背景との間に距離がある方が細部まで写る。
 白の背景とエビとは離れている場合、背景とエビとに別のライトを当て、両者の明るさが異なるようにもできる。
 上の画像の場合なら、背景により強い光を、エビにはやや弱い光を当て、明暗差をつけることで、エビがよりよく見えるように撮影してある。エビと背景が同じ明るさになってしまうと、エビの細部が背景の白に溶け込んでしまう。

 では、そうしてよく写ればいいのか?と言えば、必ずしもそうではない。
 エビなどは、地面の上にいて、地面に影が落ちている方がエビらしい。
 そこのところに、その人が、いったい何のために、どんな用途で写真を撮るのかが現れる。
 エビの背景を黒にすれば、触覚や足に生えた小さな毛などがさらによく写る。だが、黒の背景で撮影すると、まるで別の生き物のように見える傾向がある。
 したがって黒の背景は、主に文章で細部の特徴を説明したい場合などに適するが、全体をパッと見た時の印象を伝えるには不適だと言える。

 さて、画像はヌマエビ。
 ヌマエビは、福岡県では非常に少ない。県内のある場所なら採れると教わったのだが、そこに行ったことがない僕は、県内では見たことがなく、画像の個体は、ちょうど去年の10月に鹿児島に行った際に採集して持ちかえったものだ。
 去年はいよいよ締め切りに追われ、時間をかけて撮影するゆとりがなかったため、白の板の上にじっとしている姿を撮影したのだが、一年間うちの水槽で生き続けてくれたので、今回はエビを背景からよりよく分離させるために、泳いでいる姿を写した。



● 2017.10.7〜11 テスト



 容器に水を張って、水中撮影用の機材のテスト。
 水中で広角レンズを使用すると、カメラを防水するケースのレンズ部分(ポートと呼ばれる)との相性で、画面の周辺などでうまくピントが合わないことがある。
 ただ、そんなことを言ったところで、使用頻度が高いわけではないはない道具をひっかえとっかえして購入しては試す経済的なゆとりはないのだから、とにかく買ったものを使おうと一切気にしないことにしてきた。
 しかし、やはり正確な知識を持っておくべきではないかと考えを改め、今日はすべての水中用の機材をテスト。まずは、ソニーのα55にシグマの魚眼レンズを試してみた。
 防水ケースは、プルーフ製の特注品だが、アンティスの規格で制作されており、ポートと呼ばれるレンズ部分はアンティス規格のアテナ製のドームポートだ。



 結果は、隅から隅までシャープに写り、一切問題なし。
 一切問題なしと分かると、この道具をより自信をもって使用できるし、何でもいいから撮りたいな!と写欲が湧いてきた。
 だから、テストをしてよかったんだろうな。

 防水ケースの中のソニーのα55は、初心者用の安価で小さくてちゃちなカメラだが、僕の用途には都合がいい。
 というのは、僕の場合、山の中の小さな細流など、これらの道具を持っていくから。
 山道を長時間歩く場合、道具は小さくて軽いのがとにかくありがたい。



 今日テストしたものとは、使用したレンズ部分が違うのだが、先日も、サンショウウオの幼生の撮影で、この道具を山に運び上げた。
 画像は、その時に撮影したソボサンショウウオだ。
 先に小さく軽いと書いたが、山登りをすると、それでも十分すぎるくらいに重い。 
 一緒に山に登ったみなさんは、防水コンパクトカメラのオリンパスのTG-4やその他のカメラで荷物が軽そうなのが非常に羨ましかった。おまけに図鑑的な説明的な写真を撮ることに関しては、水中ではTG-4の方が適する場合が多い。

 初心者向けのカメラなので、昨日や耐久性などは頼りない場合もある。
 例えば、このカメラで露出を切り詰めると、その露出を反映してファインダー内の画面が暗くなってしまう。したがって、ストロボを使用する場合などに自然光の露出を切り詰めた状態に設定すると、画面が暗くてピント合わせができないのだ。
 その状態でピントを合わせるためには、被写体を明るく照らし、シャッターを押した瞬間だけ消灯するタイプのターゲットライトを持ち歩く必要が生じる。
 高級機の場合は、露出を切り詰めても画面だけは明るく表示させる設定ができる機能などもある。
 僕はソニー製のストロボを持っていないので分からないのだが、多分、α55も純正ストロボを取り付けると、それを検知して、その場合のみ画面を明るく表示させるようにはなっていると思うのだが、水中のような特殊な状況では、純正ストロボ以外のものを使う確率が高い。



● 2017.10.6 更新のお知らせ

今月の水辺を更新しました。
2017年9月分の今月の水辺は、チゴガニです。


● 2017.9.27〜10.5 丸と四角 一眼とミラーレス


 ずっと使っていなかったニコンのD800を先日スタジオで使ったら、やはりなかなかいいカメラなので、今度は野外に持って行ったのだが、いつも使用しているアングルファインダーが取り付けられないことに
「ああ、そうやった!」
 と気付いた。
 ニコンの一眼レフの場合、ファインダーののぞき窓に丸と四角の2種類があり、それぞれ専用のアングルファインダー、あるいは、四角を丸に変換するアダプターが必要になる。
 そして丸い覗き窓の場合、アングルファインダーはネジでねじ込む方式で、四角のようにストンとはめ込む取り付け方ではないので取り付けに時間がかかるし、アングルファインダーをつけたり外したりが頻繁な僕の野外での撮影には向かない。
 そんな理由で、野外で使用するニコンのカメラは、すべて四角の窓のカメラと決めていたのに、それをうっかり忘れて、D800を持ち出してしまったのだった。
 


 D800専用に、丸い窓にストンとはめ込む取り付け方のアングルファインダーを自作して持ってはいるのだが、やはり、四角い窓のカメラに専用のアングルファインダーを取り付ける方がスムーズだ。
 その丸窓と四角い窓のニコンのカメラだが、丸い窓は高級機、四角い窓は普及機に採用されており、丸い窓の方が多分覗きやしのだと思うが、僕はその差を感じたことはない。
 全部四角の窓じゃダメなの?
 そんな理由で、最近のニコンのカメラなら、D500は購入しなかった。
 D850に関しては、深度合成の機能を搭載したので、一瞬購入を検討したのだが、やはり丸い窓のカメラなので却下。

 ニコンがそう遠くないうちに発表するであろう本格的なミラーレスのカメラには、アングルファインダーが取り付けられるのかな?
 最近のカメラは、液晶が可動式になっていてアングルファインダーの代用になっているものもあるが、液晶なんかではシビアなピント合わせはできないし、是非、アングルファインダーを取り付けられるようにして欲しい。
 もちろん、四角の窓で。

 ミラーレスカメラのファインダーは、正直に言えば、デジタル一眼レフと比較をして、感覚的には、あまり心地がいいものではない。
 だが、暗い場所でも画面を明るく表示できるし、撮影した直後に、画像を確認するためにファインダーから目を離す必要がないのは、非常に非常に大きい。



 これは、随分前に撮影した、遡上するアユの写真だが、決して狙って撮影したわけではない。
 なぜなら、アユのジャンプは高速なので、アユの姿を見て狙ってシャッターを押したのでは、全く間に合わないから。
 しかたがないので、適当にシャッターを押し続け、たまたまそのタイミングでアユがジャンプした時に写真が撮れる。
 ただしこれは、従来のデジタル一眼レフでの撮影の場合の話。
 ミラーレスカメラの中には、シャッターを押す前からすでに記録が始まり、シャッターを押した瞬間に記録が終わる機能を搭載しているものがある。
 それを使うと、まるで過去が写るかのような機能なので、古くはパスト撮影などと呼ばれたが、アユがジャンプしたのを見てシャッターを押せば、シャッターを押した直前1秒間くらいの画像が連続写真で記録され、ジャンプをした瞬間を狙って撮影できることになる。
 シャッターを押すと撮影が終了する写真画質のビデオみたいなものだと思ってもらえればいい。
 ニコンのミラーレスカメラでは、ニコン1と呼ばれる安い機種でさえそのパスト撮影の機能が搭載されていることを思えば、おそらく、将来発表される本格的な機種にも採用されるだろう。また、ミラーレスではないD850が深度合成の機能を採用したことを思うと、当然深度合成も採用されるに違いない。
 そうなると、相当高額なものになるだろう。
 誰か、お金をくれないかな〜。


CanonEOS5DU EF100mm F2.8 マクロ USM 水中ハウジング

 古いアユの写真を載せたので、ついでに先日撮影した画像を1枚。
 この後、ドライスーツに穴が開き、盛大に水漏れ。冷たかった。


   
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自然写真家・武田晋一のHP 「水の贈り物」 毎日の撮影を紹介する撮影日記 2017年10月分


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